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定点観測が伝える客観的事実 [回想日記]

 坂本龍一に依る「スコラ 音楽の学校」が2013年に入り再び始まるコトになり、私自身この番組の趣旨が好きでこれまでも欠かさず録画してきたワケですが、どの回にも言える事なんですが、受講生の側に居る人は学ぶ事が多過ぎるが故に素直な表現が制限されている事に気付かず結果的に自己顕示欲の方を主張したいがために表現する音が歪曲してしまっているコトへの逡巡が見られ、自身の欲求の高まりから来る表現と未知の領域への葛藤が足枷になっている部分が顕著に表れていて、そうした受講生をある程度分類・体系できているという教育者としての側面も伺い知る事ができるモノでして、あらためて教育的な側面を実感するのでありますね。


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七つの海が凪ぐ頃 [回想日記]

 今回の記事タイトルは少しだけポエミックに(笑)。まあ七つの海と申しましても海洋は続いておりましてひとつの海なワケですが、確率としては全くのゼロではないといえどもかなり確率は低いといえども海洋全体がベタ凪ぎになる事ってあるのかもしれません(笑)。「平衡状態」という事でもありますが。


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属音から見える完全11度音とはつまり!? [回想日記]

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 前回は松田聖子の「瞳はダイアモンド」のイントロのコード「CM7(on D)」まで引き合いに出して来た私(笑)。嘗てのアイドル・コンテンツではありますが、アイドル路線を手当たり次第に性的欲求のなすがままに聴いていたのではなくてですね、単純に器楽的な側面であるバック・ミュージシャンのプレイを追って聴いていたモノなので誤解なきようご理解いただければなと思います。音楽とは無縁の性的欲求の牽引力を手掛かりにした所で身に付く事などありゃしませんからね。音楽へ興味に対する動機という物も音楽以外の何かを頼りにするのではなく、自発的に器楽的な興味から見付けて来れない様ではなかなか習熟しないのではないかと思うことしきりです。


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反体制とカウンター・カルチャー [回想日記]

 私は、ここ10年ほどの間日本という社会は少々右傾化して来たのではと感じているひとりなのでありますが、だからと言ってコメンテーター面して政治や思想を語ろう等とは微塵も思っておりません。然し乍ら我が国をおいそれと見限ってしまうほど自国を嫌悪しているワケでもありませんが、言いたい事が全く無いのではなく寧ろ声高に語りたい事など幾らでもあるモノです(笑)。

 自国への思いも捨て去ってしまうように、それこそ唾棄してしまう位に自国への居心地が悪く変化したと言うとそうではありません。別にワガママ放題で物言おうとしているワケではなくて(笑)。


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2011年新譜 私的ベストラインナップ [回想日記]

 扨て、今年もこういう話題の季節がやって参りました。まぁどーせ夜郎自大な左近治の戯れ言にわざわざお付き合いいただかなくともとは重々承知なんですが、まあお暇でしたらお読みになっていただければな、と(笑)。


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リスボン宣言とは言いません [回想日記]

本音を言えば病院という所はなるべく行きたくはないのが正直なトコロ。風邪とか貰って来た経験など1度や2度では済みません(笑)。しかしながらカラダが老いぼれて来るとお世話になるケースが増えて来るのも避けては通れぬ道だったりもします。


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音楽との邂逅 [回想日記]

扨て、音楽とやらは特別視すればこそ深みを増しますが、老若男女問わずして音楽というものは人々を魅了するモノですし、魅了された人達が総じて楽理的側面を知っているどころか知らない人が圧倒的に多いワケですね。場合によっては音楽の深部であり且つ正しい事を言っているんだけれども、あまりに乖離しすぎてドン引きされるコトだってあり得るワケです。バカっぽいギャグじゃないとダメなのに、ついついインテリ系のネタ絡めて恥ずかしい思いをする経験、人間誰でも一度は経験するかと思います(笑)。

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1985年5月のコト [回想日記]

過去にも語ったことがありましたが、今から四半世紀も前、それは25年前のことですが、この年の5月に私は人生初となる据置型CDプレーヤーをバイトして手に入れることになった年となるワケなんですが、一番初めに買ったCDソフトって確か当時はグローヴァー・ワシントンJrの「ワインライト」やら3枚くらい買ったと思います。

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暗示とは・・・!? [回想日記]

つまるところ、「暗示」ってぇのはどういうコト!?

というのは、前回まででお判りだと思うんですが、もう一度しつこく語っておきましょうかね、と(笑)。

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JAXAを訪れてみました [回想日記]

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事業仕分けが騒がれる昨今、意外にも私は独立行政法人とやらに足を運ぶのがどうも好きなクチのようでして(笑)、今回も少しばかりヒマを見付けてJAXAの相模原キャンパスに行ってみたんですな。

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00年代回顧録 [回想日記]

新年あけましておめでとうございます。今年も左近治の冗長ブログにお付き合い願えれば幸いでございます(笑)。

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今一度スーパーインポーズ関連を振り返る [回想日記]

 今回、マイナー・メジャー7thの分散フレーズをマイナー・トライアド上でスーパーインポーズさせたり「関係調」という近親性からは縁遠いと思われるモードを想起したりする例を出したわけでありますが、そこに共通することをまず語ってみようかな、と。


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これまでコメントを寄せてくれていた方々に [回想日記]



左近治の冗長ブログをお読みになってくれている方がいるだけでもウレシイ限りではございますが、数ヶ月も前にご質問や案内をいただいていたにも関わらず、ヘッポコ左近治は、自身のブログの「コメント承認」という機能すらもすっかり忘却の彼方となっておりまして、本日新たに2名の方のコメントをいただいていたことに気付いた次第でございます(笑)。

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文化祭 [回想日記]

扨て、先日左近治は某高校に潜入してきたワケでありますが、私の出身校とは縁もゆかりもない学校ではあるものの、何十年かぶりに学舎に入ると非常に懐かしさを感じるものでありましてついつい学生時代を思い出してしまいました。

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Mourning Callをよろしく [回想日記]

還暦を迎えずに逝去されるのは些か残念で他なりませんな。忌野清志郎氏が逝去、というニュースが飛び込んで参りました。

まあ、楽理的な面で言えばRCからは影響を受けていないとも言える左近治でありますが、私が人生初めてのウォークマン(=ウォークマンII)を手にした時のカセットにはRCサクセションの「PLEASE」が有ったコトは間違いなく、しかも、当時の連中と音合わせする時など、TENSAWやCharさんの「Shinin' You Shinin' Day」、CCRやらキンクスやRC、とまあ、バンド的には非常におさまりやすく、全く無関係だったワケではないのであります。

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そういやCDコピーって [回想日記]

いわゆるCDの不正コピーってぇのは、それこそパソコンの飛躍的な普及に伴って招いてしまったとも云われておりますが、不正コピーを助長させてしまうモラルの意識が総じて低いこともありますが、CDドライブの飛躍的な高速化とレンタルCD産業が後押ししていたと私は感じております。

私はCD-Rをキャディを用いて等速で焼き始めた世代ですので(笑)、それこそCDの実時間以上実際には費やしながらCD焼いたりしたモンでしたが、メディア1枚1500円はしたでしょうかねぇ。

まあ、そういう不正防止にCCCDなどという規格外のモノが出てきたりして変なモン買わされた時代など数年前。ただ、CDは現在でもコピーしようと思えばいくらでもコピーは可能なのでありますが、法の厳格化もさることながら、それを尻目に悪いコトする輩はいつの時代にも存在するものであります。

ただそういう連中にどれだけの知識があるかは判らないのでありますが、自分自身が鑑賞するためのコピーというのはとりあえずは許容されているワケですので、CDをコピーするという行為全てにおいて違法なのではないということも今やパソコンを操る人なら小学生でもこれくらいは基礎知識として備えている時代でありましょう。

パソコンの飛躍的な普及となると、一般的にはWindows98の頃に遡れるのではないかと思うのですが、それを思えばもう10年が経過することになるワケですね。オフィス・アプリを学校で広く導入して資格も増えました(笑)。扨てそんな教育を受けた世代の人たちは広く多く社会で活躍できているのかというと、おそらくや派遣が増えただけという実態を見せ付けられている人の方が圧倒的に多いのではないかと信じてやみませんが(笑)、教育へのパソコン導入とやらは本当に吉だったのかどうか、家庭レベルで見れば与えない方がよっぽどマシだったと思っている親御さんも多いのではないかと思いますよ、ホントに(笑)。

まあそんな話は扨置き、DAW環境を操る人だとCDをコピーするというよりは、オーディオ・ファイル化する人が多いと思うので(DAWアプリ使わずとも可逆圧縮系のオーディオ・ファイルやらにファイル・サーバとして蓄積させている人ももちろん居ます)、CDからインポートしてきたオーディオ・ファイルというのをCDに焼くとするとどうなるのか?

最近じゃあ音圧はトコトン稼いでいるものが多いので、オーディオ・ファイルを再レンダリングする時には0dB超えているなんてぇのは当たり前。運良くレンダリングにおいて0dBをメーター読みで超えていなくともインター・サンプルでは超えていたりするんで、CD-Rに焼いてプレイヤーで再生してみたらオーディオ・ファイルには一切編集を加えていないのに音がクリップしてしまっている人など多いのではないかと思うんですな。

まあ、フリーでインター・サンプルのクリッピングを読み取れるとなるとSSLのX-ISMという便利なメーターがありまして、以前左近治もブログで触れましたけど、フリーの類でインター・サンプルのクリッピングにも対応できるプラグインというのは結構少ないものでして、DAWアプリ標準のリミッターでもインター・サンプルまではノータッチのものばかりだと思います。それ以前に、DAWアプリ各社で0dBの取り方が微妙に違ったりしますけどね(笑)。

インター・サンプルのクリッピングまで抑えてくれるフリーのプラグインだと、WavesのL1を模倣したと豪語するYohngのW1が代表的でしょうか。リリース・タイムの設定にはチョットした経験が必要になると思いますけどね。

まあ、こうして何も手を加えていないはずのオーディオ・ファイルをCDに焼いたらクリッピングしている、という事は回避出来ると思うんですが、W1を通すのが忠実なのか、レベルだけを弄る方が忠実なのかという迷いが出てくるでしょうね(笑)。それ以前にインター・サンプルのレベル・オーバーによるクリッピングにすら気付かずにCDコピーして喜んでいるアホだって居るかもしれない(笑)。

W1はナイクイスト周波数付近にチョットした特徴が現れるので、それを確認していただくのが一番良いかと思うんですが、コレも個人の好みですので私などが指南するなど滅相もありません(笑)。

とゆーワケで、今一度CDコピーとやらを見直すのも良いかと思いましてですね、老婆心ながらついつい語ってしまったというワケでございますよ、ハイ。

メジャー7thとの出会い 男と女の出会い [回想日記]

Kクリを始める頃は「増長四七(=ますながよしち)」やら「いかりや長七」と名乗ろうと企てていた左近治。増長四七の方は楽理の解る人ならすぐにピンと来るのではないかと思うのですが、増四度と長七度への思いを意味しているという(笑)。つまり、リディアンが好きだぞ、と。

左近治が長七度を意識したのは私が4歳の頃でしょうか。映画「男と女」のフランシス・レイのアレですね。何がそこまで記憶に残ったのかというと、メロディ・ノートに長七の音を使う、という点。手元にあったフォーク・ギターでメロディ・ノートだけを弾いても「あの感じ」はなかなか演出できずに(この頃の左近治はあらゆる楽器をまともに弾くことはできない時代)子供心に「どうやったらああいう感じが出せるんだろう!?」と、他に色々「和音」を探っても、真の意味で「長七」を咀嚼できていないために、在るべき音すらどんなに探っても見つけられないという時がありました。

小学校に入った低学年。ロッド・スチュアートがニッカウイスキーのCMでサッカーやってた頃、私はCharの音に初めて出会うことに。「Shinin’ You Shining’ Day」の2コードのモーダル感とマイナーの平行移動。これはSmokyのマイナー9thの平行移動にも繋がるワケですが、親戚が私の目の前で弾いてくれたメジャー7thのコードとマイナー9thのコード。これこそが左近治のメジャー7thとの邂逅。

「なるほど、俺はこういう和声が好きなんだ」とあらためて感じることが出来たワケであります。そうして化粧品のIONAのCMソングを聴いては「ああ、男と女系ね」とか(笑)、スティーリー・ダンの「Peg」を聴いても「indeed」と解釈できるようになったもんなんですな(笑)。その前には親戚づてに色々な楽曲を紹介され、ジェフ・ベックやらジェントル・ジャイアントに触れていくという小学生時代。YMOブームはこの後に来たワケでありました。

ただ一つ言えるのはテレビから流れる劇伴系の曲でも、今よりももっと和声的にも興味深い楽曲は多く存在していたように思います。80年代も中盤以降から「音色」「ミックス」頼りの色を強めていき、和声の追究というような楽曲が少なくなっていったように思えるんですね。

で、聞き手も多くのボキャプラリーを備えていない人が多いものだから、モーダル感を演出していても2コード程度や2~3種類のアプローチ程度で収めてやらないと、調性感覚が揺らぐため耳が付いてきてくれずにソッポを向かれかねない(笑)。そうしてソッポを向かれたジャズがあって、ジャズの良い部分だけを抽出して、分かりやすい程度でとどめて曲にする、と。もはやこういう傾向が続いているのが現在で、それこそが「平成」とも思えるんですね(笑)。

図書館に足運べば詳しく理解できるはずなのに、多くの人々は新聞の中吊り程度で躍らされ、それで知った気になってしまう(笑)。インターネット上の情報ですらそうなりつつある(笑)。こういうのがまさしく平成なんなーと痛感するワケですよ(笑)。勉強するのは嫌いなのに雑学は覚えようとするタイプとでも言えばイイんでしょうか(笑)。

人の手を借りなければ自分からは積極的に学ぼうとしない。
周囲の人が居なければ何もできない。

そんなスタンスのクセに物欲の前には身を乗り出して我先にとばかりに群がる(笑)。それこそ「男と女」の関係だったらどうすんの?と言いたいんですな(笑)。

それまでは親兄弟やら友人に頼ってばかりなのに、いざ異性と関係を持つ時にも「ヤッてもらうの?」(笑)。もはやこういうレベルの人が実に多いんですな。要はこーゆー時にだけ自分の物欲を率先してアピールしようとするとでも言えばイイでしょうか(笑)。脳幹に毛が生えた程度の感覚備えた人が実に多いんですなあ(笑)。だからこそそういう人々の脳幹をダイレクトに刺激するコンテンツを作るんだぞ、と(笑)。


和声的に習熟されていない人ほど、メジャー7thやら短二度の響きを毛嫌いする傾向があるんですが(笑)、その手の人達はメロディ・トーンに長七の音を使った楽曲に出会っていないか、それを咀嚼できていないかのどちらかだと思うんですね。伴奏にメジャー7th使おうが、メロディー・ノートが根音だったらこれ以上カッコ悪いモノも無いワケで(笑)。「きらきら星」のド頭からメジャー7thの伴奏付けるようなモンですな(笑)。

マイナー9thの場合は、長九度と短三度がおりなす半音の隔たりは、概ね歌い手の場合「こぶし」やらビブラートで半音を巧く使いながら旋律的なアレンジを試みる。新東京音頭なんてぇのはまさしく9thメロディと短三度のこぶしを使いながら、帰結感を極力避けて「あっちの感じ」を醸し出すワケですね(笑)。

身近な曲の和声の構造を知らないがために、自分自身にどういう志向性があるのかを読めないと本当の自分の好きなタイプを追究していくことができないままに、手当たり次第偶然性を頼りにレコードやCDを買い漁ったり、物量を稼いで出会わなければならない(笑)。数を集めればイイというモノでもないんですな。

その辺のCDショップにある数万枚のCDの中で、どれだけ自分の好む和声の曲が存在するものでありましょうか!?iPodに6千曲以上もストックして、それらだって吟味しながらチョイスしててiPodに貯め込んだのに5ツ星を付けているのは250曲ほど。もう少し厳しく星を付ければ200だって下回るかもしれない(笑)。

平成も20年になった今ですら、昭和を生きていた時代の方が長い左近治の人生(笑)。半世紀とはいかないまでもそれだけの年月で五つ星に出会えた曲は200曲そこら、というコトを意味するのでもあります。

和声構造のハナシをすればそんなコトまで知りたくはないと拒む人が多い。だけれども雑学大好き(笑)。これじゃマズイだろ、と。

18kHzくらいのピュアトーンまともに聴こえても耳コピできなければヘッポコ耳も同然(笑)。一体彼らは何を求めて情報を探っているのかと思うのでありました。

パソコンとの上手な付き合い方 [回想日記]

この左近治、年の瀬にあらためて思ったのでありますが、

「なにゆえ、音楽制作においてパソコン使わなにゃならんのだ!?」

とあらためて感じて自問自答していたのであります(笑)。

シーケンサー専用機を弄り始めて20年を超え(笑)、ATARIを手にしてその後Macとお付き合い。Kクリ始めてからWindows導入、と。本当ならパソコンなくても音楽はできるのだから、いわゆる「パソコン的な」操作やら知識はトコトン避けて通りたいのがホンネ(笑)。

でもですね、MacもOS X以前のUIならいざ知らず、OS Xになってからは激変したんですなあ、UIが。コマンド使えるなどある意味Macの世界では脅威であり、オモチャの延長のようなUIだったものがOS Xでは「パソコン化」した感があるのは否めません(笑)。だからといって使いにくくなったワケではないんですが、OS X以前のクラシックなMac OSを持ってしても、「パソコン」たる部分はあったのだし、それに長年触れてきたことでいつの間にか「パソコン的」な知識は身につけてしまったからこそ、新たな環境へシフトできてしまっていたワケですなあ。

とはいえ、根が「オモチャMac」的な思考を有する左近治(笑)。MacのつもりでWindows触ってそれこそネットに繋いだ日にゃあ危険極まりありません(笑)。

もちろんWindowsユーザーだって操作の利便性が向上したことに盲目になって、セキュリティなどお構い無し!というくらい「オモチャ的発想」の人も中にはいるとは思うんですが、セキュリティに脅かされる度合いは半端ではないWindowsユーザーは、やはりMacのそれとは違って意識が高い人が多いと思います。

Windowsプラットフォームでしか用意されていないソフトなどを渋々使わざるを得ないシーンもありますが、Macと比べるとお付き合いの度合いは雲泥の差(笑)。Macに慣れているからこそではありますが、だからといって「Windows憎し!」ではないんですなあ(笑)。

ただ、インテルMac以降、音楽制作においてはMacが有利になってきた現在、WindowsユーザーもMacを有する人が増えてくると思うのでありますが、MacのG3からG5までの期間はアップルはある意味闇の時代だったと思うんですな。マイクロソフトからの出資も手伝って相互ライセンス利用可能で、アップルは首根っこ掴まれていたのも同然で、未公表の技術などは隠匿していたのでありましょうな。

その相互ライセンスでWindowsはXPで熟成できましたし、アップルの反逆は相互ライセンス利用が終わってからジワジワと盛り返してきたというワケであります。

この闇の時代にWindowsに浮気をした人もかなり多く、有り余るほどのCPU処理にうつつを抜かした人が多かったというワケです。主要なアプリケーションがOS Xを重視せずにOS 9プラットフォームを長いこと維持し続けたことも理由に挙げられるのではないかと。

そんな曲折がありましたが、音楽分野だけではなく「パソコンとしての」意識が高いWindowsユーザーは今現在のMacを使いこなす人が増えてくるぞ、と。よもや「オモチャ的発想」から脱却してある程度成長しないとダメになりかねない(笑)。

意識の高い層を取り込むことで、よりパソコンは高度化していくというコトです。

OS X 10.5はかなり熟成されましたが、UNIXとしては機能していてもOS Xがその機能を使っていない部分もまだまだ多く(不必要な部分もある)、こういった所に手を伸ばして機能を拡張させるのはコマンド使うしかないんですが、Windowsと比較するとそういう隠れた深い部分の機能のUIが用意されているのは少ないんですなあ。ある意味そういう部分に真砂の数ほどいる「オモチャ的発想」の人に手を届かせたくないという理由もあるんでしょうが。

私がWindowsマシンを構築する際、最も手間ひま掛けるのはMMCコンソールでポリシー編集やら、そういう部分(笑)。本当ならこういう作業は避けて通りたい私でありますが、作業に没頭せざるを得ないそういう手間ひま掛けることは実は嫌いではありません(笑)。

むしろ、「パソコンを弄っている」と実感する部分でもあります(笑)。

中にはコマンドでテキパキやってこそ!

というパワフルなユーザーもいらっしゃるワケですが(笑)、そういう操作に没頭することでパソコンの深部を理解できたとしても、それが音楽制作に反映されるほど密接な関係にあるわけではないのも事実(笑)。セキュリティ面において知識も少ないのにただ単に高めたいのならネットに繋がなければよいのであります(笑)。

ただ世の中そうも言ってはおられず、漢字Talk6.0.7の頃だってMacはRS-422ケーブルを相互のMacに繋げるだけで、面倒な設定無しにネットワークできるというのがMacの最大の利点でありました。もちろん繋ぐだけでマシン越しのアプリだって操作できたワケでして。

今、この手軽さはMac同士なら継承されていますが、MacとWindowsとなるとそう簡単ではない(笑)。どちらかがセキュリティ面において若干弱いという設定をしているのなら難なく繋げられますけどね(笑)。ただ、そのままの環境でインターネットとなると実に不安要素タップリなのが現実なんですね(笑)。

そんなセキュリティ面、音楽においては殆ど無縁。縁があるとすれば、ネット越しのノードとか、そういう部分。

WavesのAPAだってDHCP用のポートを使います。USB3.0じゃあマルチキャストふんだんに利用しようとする(笑)。塞いでしまって大丈夫なのか!?WAN側に漏れてハックされないようになど、と。

音楽面においても不可避ではなくなってくるネットワークの知識。IT技術者じゃないから何とも言えませんが、パソコン使ってりゃこういう知識は避けて通れなくなっているのが現実なんでしょうなあ(笑)。

パソコンなければ音楽できないようでは言語道断でありますが、パソコン導入したからには結局の所知らなくてはならない部分が出てくるわけで、利便性の前に盲信してしまってセキュリティ対策も不十分でアレコレやろうとすると泣きを見る、と(笑)。うまいこと付き合っていかないとダメな時代になってしまったんですなあ(笑)。

ソフトの魅力はハードがあってこそ [回想日記]

クリスマスや正月と。子供たちにはプレゼントやお年玉が期待できるというシーズンになり、卒業・入学シーズンとなるとこれまたお祝いにと、親の側からすれば出費を覚悟せざるを得ない時期になりました。楽器や音楽業界でもこのシーズンに虎視眈々となっているのではないでしょうか。

しかしながら業界はおそらくは、そういった低年齢層の顧客よりもボーナスシーズンという方に重きを置いて顧客獲得をもくろんでいると思うワケであります。

上を見ればキリがないのはどの業界でも一緒。身の丈に合った商品選びなど小学生ですらも判るコト。この妥協点を探った後の商品選びこそが今後の目や耳を養うモノでもありますが、スタートラインから非常に高額なハイエンドクラスを手にする子供たちだって少なくはないのが現実。

私の子供時代はと言いますと、小学生時代においてもお年玉の総額が10万円を切ることは無かったのですが、中学生になると大卒初任給を超えて当たり前。親のスネをかじるどころか骨の髄までしゃぶり尽くしたであろう左近治は、高校卒業するまでお年玉をもらっていたのでありますが、高校生の頃になると20万円を超えて当たり前という風になっておりました。

左近治がそうなのではなく友人の間でもそんな話を交わしていたんで、平均的だったのでありましょう。勿論、ニュースなどで報じられる平均額というのは大きく上回っておりまして、おそらくどこの家庭でも「世間様はこうなのに、おまえはもらい過ぎだぞ」と親から言われた経験があるのではないかと思います。

まあ、そんなこんなでプレゼントやお年玉をあげる立場になるとつくづく判る、親の偉大さや当時の大人の苦労。今の子供たちがDAW関連で欲しいものなど、大人と変わらないと思うんですね。

フェアライトCMIやシンクラヴィアなどを買ってもらえるという人に遭遇したコトはありませんでしたが、卒業・入学シーズンにプロフェット5やらドラムセットやらと。ギターやベースを弾く連中でも概ね30~50万円。恵まれた友人で50~200万円くらいのものを買い与えられていたモノでありました。今の貨幣価値から言えば、そんな当時の価格は現在の1.5~2倍近くあるんじゃないかと思うので、当時は本当に大盤振る舞いが標準だったのかもしれないとあらためて感じるのであります。

当時と現在とで確実に違うのは、マルチトラック・レコーディング環境(すなわちDAWアプリケーションという統合型の環境)が恵まれていること。CPUやDSPの演算処理の高度化と低価格によりシンセサイザー類の価格が下落。この部分に昔ほどのような出費を強いられることがないので、コンピュータと周辺機器、DAWソフトやら楽器本体をすべて集めても20~100万円もあればどうにかなってしまうのが今の時代。

先日も80年代中期サウンドをイメージした曲を作っていたんですが、「この音、25年前じゃあ1500万円出しても無理だっただろうなあ」と思いに耽ることもありました(笑)。

高校時代、生まれて初めてやったアルバイトの時給@520円(笑)。490円が標準的だった時代をついつい思い出してしまいました。消費税導入直前あたりでも平均的な時給は600円で、消費税導入されて便乗値上げ(ベースアップ)で630円という時代になったもんです。当時の営業マン10人に1、2人がポケベルを持つようになっていた時代です、この辺りが(笑)。

隔世の感とはまさにこのことなんでしょうなあ。

ソフトでなんとかなる時代になったもんですが、出来合いの環境を利用して予算内でどうにかこうにかして欲しいモノをより多く手に入れたい心理は理解できるんですが、やっぱりハードに金かけてナンボですよ、ホントに。パソコンもハードですが、その周りの音楽周辺機器。ソフトの高機能に目を奪われがちですが、本当に追求したければハードに金かけることを老婆心ながらお勧めします。

物欲をこらえるだけこらえて、金かき集めて、本当に欲しいモノだけを手に入れる。金かける所はハード。これらがキモですよ(笑)。

サンレコについて [回想日記]

サンレコが中綴じから平綴じになってもう10年以上は経過しますが、私は中綴じ時代が結構好きだったりしました。現在と比較しても機器的な部分でのコアな話題が多く、検証記事のレポートでも商品をしゃぶり尽くしたようなコメントが珠玉のように出現するという、ホントにコアな雑誌だったものでした。中でも、スティングレイのプリアンプの回路図が載っていた時は本当に嬉しかったものでした。

20年以上も愛読している雑誌ですが、今月号の検証コラムの多さやレイアウトの配置換えなど、結構懐かしいというか読みやすいと言いますか、昔の中綴じ時代のような頃を思い出させてくれるような印象を抱いたんですなあ。

その昔、ベースマガジンが刊行されていないような頃、リットーミュージックさんはギターマガジン誌上で採譜する人を募集していたりして、「グリッサンドやポルタメントまで符割にしてみせます!」とアピールしたものの、当時はご縁が無かったようで(笑)。まあ西畑勝氏のような採譜が理想なんですが、あそこまでのレベルに達するには相当な耳と情熱が無ければムリでしょう(笑)。ジョー・サトリアーニの採譜などは本当に読み応えがあったものでした。

サンレコとは、楽器店にもカタログすら置いておらず、販売店用としての資料を見せてもらったりでしかお目にかかることの出来ないような楽器を取り上げて、そのような機器の特長をレポートしているというスタンスが好きだったんですな。読んでいるだけでそのコラムを信頼して買いたくなってしまうような記事。最近はそういうものが本当に少なくなってしまって、かたやキーボード・マガジンは数年前から質が落ちていってしまって、サンレコにシフトさせていっているような向きもあったもんでしたが、今月号を読んで久々にサンレコらしさが戻ってきた感じがしたんですなあ。

とはいえ、多くの機材がデジタル化している現在、アナログな部分の良さを声高に語れなくなってしまったのもあって、アナログ的なキャラクターの変化がない故に、見えないデジタルのプログラミング的な部分にアナログの発想がどう活かされているのか!?という検証が現在のサンレコに乏しい部分。

NUMB氏が魁!Reaktor道場を連載していた時期は、ある意味そういうデジタルとアナログの融合を回路的に垣間見ることができたワケですが、自作エフェクトの連載も今月号で終わったとはいえ、どうせやるならそれらをMaxやらReaktorで模倣するような所まで本当は追究して欲しかったんですな。

少し前なんかはDOEPFERのシンセで松武秀樹氏のシンセパッチングの連載があったりしたものですが、音作りのイロハではなく、音が1オクターブ変化すると電圧はどう変位しているのかとか、そういう核心に触れる記事が今は非常に少ないのが悲しいんですな。

サンレコ読者なら808や909の音作りの連載するよりも、808や909の部分音のスペクトラムはどうなっているのかとか、科学的・物理的検証の記事が非常に少なく、実例的なモノばかりになってしまっているのが解せないんですなあ。

間違ったデジタル機器接続!とか、アナタのDAW環境の接続大丈夫?とか、その手の企画やると受けそうな時代ではありますけどね、確かに(笑)。

仮にそれらをやっても、最終的にオシロスコープで波形がどう変化しているのかという検証が今は非常に少なく、ただのコラムニストの集まりでしかないんですな。電源の重要性を知ってはいても、ケーブルの種類の羅列で、それらの違いがオシロでどうなっているのか!?ということを載せないのが今のサンレコ。ふた昔前なら絶対載せていたことでしょう(笑)。

私だったら、間違ったPan Law設定!とかやりそうですけどね(笑)。でも、今月号以降、サンレコがまた楽しくなりそうな気配です。


そんなことを書いていたら、Logic Pro 8.0.1とSecurity Updateの知らせが。

今やすっかりOS9起動とLogic Nodes用マシンとなってしまっているMDDのFinder表示がアップデートによりサクサクするようになりました。PDFやらEPS、TIFFファイルの描画も従来よりさらに速くなっているようです。MDDでこれだけキビキビさせている所でG5 Quadも速くなっておりますね。

それと同時にLogic Pro上でNI関連プラグイン内の音色リストなど、8.0.0ではクリックホールドしないと選択できないバグがあったんですが、それも改善されております。Logicの細かな改善点はまだこのくらいしか分かりませんが、OS全体のFinderの高速化がされているようで、描画やスクロールがキビキビ動いております。何か他にもあったらまた述べてみましょうかね、と。

Sitting on the Dock of the Bay [回想日記]

日本語に意訳するなら、「波止場に佇む」とでも言えばよろしいでしょうかね。実際には座ってるんだけど、左近治ならSittingはさしずめShittingと言っちゃいそうなスタンスではあるんですが、ま、このタイトルは言うまでもなくオーティス・レディングの名曲でありますな。イナタく心に染みるほのかなメジャー・サウンド。日本人なら仕事の疲れ癒すのに一っ風呂浸かりたくなるようなそんな癒しの雰囲気の曲ですね。

左近治はThe Sectionのアレンジに似た感じで作ろうかなーと模索しているワケでありますが、この曲手がけようとしたらスティーリー・ダンのChain Lightningも脳裏をよぎってしまって、どちらも名曲ゆえにアタマ痛めております。

sitとshitは全然発音違うんですが、これがまた日本語のカタカナに置き換えると一緒になっちまいます(笑)。日本語というのは文字に置換してしまうことで、本来聴こえている筈の音を都合良く言葉に置き換えてしまって違う音に認識してしまうという弊害もあれば、雑踏や虫の声には妙に敏感だったりと、ノイズにも言葉を感じてしまうような実に奥深い言語なのでありますな。

子音を巧みに使う言語だとこういう認識にはならないのでしょうが、英語だとその発音自体に実に「リジェクト」した音を巧みに使う言葉が多いんですな。

代表的な例だと「L」の発音。次にthinkやtruthなどの濁らない「th」の音ですな。この「th」の音は周波数分布でいうと幅広く中高域までリジェクトしていて、低音側のほぼ「T」の低い成分と、sの音よりも上の息の音の両方を明確に出すワケですが、老化で高域が聴き取れなくなっても、thを認識できるのは、「T」よりもソフトな低音があることで認識できるというワケですな。日本語で表すなら「シンク」よりも「ティンク」の方に近くなると言えばいいでしょうか。

日本的であると、こういう音に無頓着になってしまうのはもとより、器楽的な音ですらも言葉にしてしまうとオケの音をいつの間にか聞き逃しているコトが多いんですな。また、器楽的(アンサンブル)に耳が注力されずに、曲を覚えるにあたって歌詞を重要視してしまうのも、日本人の「日本語しかしゃべれねえ!」というタイプの人には実に多く見受けられるものではないかと思うんですな。

音楽を聴く、というかアンサンブルの隅々まで音に注力しなくてはならないシーンに遭遇する人は、人声すらもあらゆる言語であろうが「音」として聴く程度の発想の切り替えが重要です。

それこそディエッサーの設定すら誤りかねないワケでして、ましてや耳につきやすい楽器を替え歌で歌ったりして覚えてしまったら、本来聴こえていたはずの隠れたアンサンブルの音は、どんどん意識の外へ追いやられて、違った音像を作りかねないので注意が必要なんですな。

左近治がこれまで最も難しいと感じた英語の発音は「squarrel」と「actually]」。後者はJ-POPでも馴染み深い言葉だと思うんですが、後者の場合は「アクチュアリー」の「チュ」ではなく、「シュ」よりもソフトで高域にシフトして(リジェクトされた部分がある)「エキサイターで強調したツ」に近いというか(笑)、ネイティヴな人達のactuallyを聴いているとほぼ「アクショリー」にしか聴こえないんですな(笑)。

前者の方も日本語にしてしまえば「スクワレル」、ほぼ「救われる」という言葉にしてしまいそうですが、「スクワオ」程度にしか聴こえない(笑)。

日本語では表せない、隠れた音(この場合「L」)を明確に聴き取れるようになってこそ、ミキシングにも英会話にも役立つのでありましょう。シンセ界隈なら一度は耳にしたことがある「envelope」だって日本語では「エンベロープ」。ところがネイティヴ発音だと「アンムロー」くらいにしか聴き取れない(笑)。小学校低学年から英会話を習っていた左近治の耳なんて最初はこんなモノ(笑)。

余談ですが、私の友人に「Seth」という奴がいましてですね、彼の名前の「th」は普通に聴き取ることができました。ところがこのSeth君、先日は妻と離婚するんだ!だの大騒ぎで、奥さん共々アメリカ人で2人の子供。普段はいつも主人を介して会う奥さんも、いつにも増して奥さんの方から私にカマをかけてきたりして旦那とのアレコレに探りを入れてくるような様子(笑)。浮気や暴力、借金があるわけではなく、幼い子供に対する教育に奥さんがどんどん強くなっていくのは日本もアチラも一緒のようで、どうもこういう過程での夫婦の「押し引き」が従来と違ってそこに違和感を抱いていて口喧嘩になっているようでありました。

子供の人生のためにも、暴力やら借金や浮気が原因でなければもう一度考え直した方がいいよと奥さんには伝えたんですけどね、そんなこと分かりきっているとばかりに、「子供の人生も大事だっていうけど私の人生だって大事でしょ?」と言われた時には言い返す言葉がありませんでした(笑)。

既成事実にあぐらをかいて惰性でどうにかケリを付けさせてウヤムヤにするのはやはり日本男児的な考えなのだろうかとあらためて痛感させられましたね(笑)。

そんな彼らも今ではすっかり修復して、ついこの間の不仲は何処に行ったのだろうというくらいホットでラブラブになっている最中であります。

仕事の疲れや人生の苦労という一山超えた時のけだるさはあっても疲労感を忘れさせてくれる期待のこもった時の疲れというのは癒しを感じるワケで、そういうけだるさと癒しが同居した曲が、iPodをランダム再生していたら丁度かかってきたというワケでした。

iPodにそんな機能なんて勿論無いでしょうが、時たま本当にタイムリーな曲を選んで再生してくれる時がありますよ(笑)。なにも数千・数万曲からそれを選ばなくてよかろうに!と思えるくらいに。

NHKに魅了されてしまった週末 [回想日記]

左近治、あらためて思いました。最近本を読む時間が少なくなった、と(笑)。録り溜めしているテレビコンテンツを早送りでチェック、自分の見たかった番組チェック、さらに着うた制作というモノ達が実生活の時間を侵食するワケですからね。限られた時間の中でアレコレやりつつ、通勤の時間を使ってiPodで音楽を聴いたり、と。よくよく振り返ると本を読む時間が少なくなってしまったなあ、と実感したワケであります。

最近買った本なんてUNIXコマンドとIPSec関連(笑)。少しパソコンから離れろよ!なんて自分でも思ってしまうワケでありまして、いけませんなあ・・・(笑)。

映像とともに音楽を見る!というのは私にとってライブ会場に足運ぶ以外はそれほど興味もなく、実際には見たいと思う人達が少なくなってしまった(テレビではそういう人達をほとんどやってくれない)というのがありまして、見たいと思う音楽コンテンツにテレビを通して遭遇する機会はかなり少なくなったモノですが、週末のNHKさんには飛び付いてしまったというワケです。

まずは土曜日の椎名林檎と翌日深夜の筋少(笑)。昨日の筋少ライヴをリアルタイムで見てしまったモンで、今日は4時間くらいしか睡眠時間取っておりません(笑)。

椎名林檎は個人的にトータルな世界観が好きなんで左近治の趣味の領域ですな。先月号のサンレコでの記事も実に興味深かったのが記憶に新しいんですけどね。

筋少は、コレはもう高校時代左近治がポゴっていた(ポゴダンス)時代を思い出すというか、若き日の時を思い出すという楽しみ方に近いでしょうかね(笑)。普段は楽理的な話詰め込みがちな左近治もただ単に理屈屋ぢゃイカンと思い、高校時代はアチコチでポゴってたモンなんですよ(笑)。ラフィン・ノーズのライヴにも足を運んでいた時代もありましたっけ(笑)。非常階段を見ることは出来ませんでしたけどね。

まあ、正直言って当時の左近治のkinkyなパンクス人生なんてどれだけ気合入れてたかは定かでは無いんですが、髪型が阿修羅男爵してたりしていたのは普通でしたでしょうか(笑)。アシメみたいなモンですわ、アシメトリー(笑)。安全ピンは欠かせないクロスオーバー大好きな左近治だったのであります。高校2年の時にはすっかり足洗ってトラッドな姿でパンクス、と。

まあ、年には勝てないモノでありまして(笑)、若いモンには負けねえぞ、と奮起した瞬間からジジィは始まっているんですな(笑)。「くだらねえ!」と周囲にアレコレ偉そうに口出しするコトには忘却の彼方。くだらないモノに遭遇してしまうほど疲弊した時間しか使うことが出来なかっただけの言い訳なんですが、年取るとそこにはなかなか気付きません(笑)。

ジジィの足音が聞こえてきて耳障りだと思っていると、なんてことは無い。てめえがThumperばりに足踏みしてたってヤツですな。まあ、てめえのイビキが煩くて起きるようなモンですよ(笑)。昔から使ってた香水も、加齢なるオイニーの影響からか臭い方が変わる、と(笑)。

これらのような現実に直面しつつ、楽しむ感覚だけは忘れず着うた作ってたりするワケですよ。先日も思い出したように昔作ったプロ野球ニュースの「今日のホームラン」もリメイクなどせずに納品しちゃいました(笑)。男児たるもの一発狙ってオーバーフェンスしてしまえば喜びもひとしおってなモンでしょう。

剛速球での直球勝負で、かよわい女性を三振させてばっかりいると手なずけられないワケでありますよ。

打たせて、捕る。

コレ、どんなシーンでも必要なコトですな(笑)。

ソフトウェア音源を考える [回想日記]

ソフトウェア音源ですか。音源によってはソフトシンセだのとも言われたりしますが、アナログ模倣タイプ、デジタルタイプ、物理モデル系、サンプラー系など色々タイプがありますが、従来「ハードウェア」としてリリースされてきたシンセの類は現在「ソフトウェア」として模倣されているんですな。

ソフト音源はMac上ではSystem7.1か7.2辺りから簡易GM音源としてQuickTimeインストゥルメントとして内蔵されたのが最初でしょうか。この頃からMax(当時)もあったワケですが。しばらくブランクがあってCubase VSTがソフトウェア・シンセとしての分野を一気に拡大させたというのは間違いないでしょうな。

MOTUのDigital Performer(以下DP)でソフト音源を扱うと、今や数百、数千のパラメータが搭載されていても珍しくないのに、たったひとつのパラメータのオートメーションを記録するにも瞬時にそのパラメータにアクセス出来ないのが難点なんですな。DPのもうひとつの弱点ですな。スナップショット撮った所でそれらのスナップショットを繋ぎ合わせても不要なオートメーションは表示され、後から削除。TouchやLatchで記録させようとしてパラメータ弄ってもウンともスンとも言わず(笑)。これじゃあ今の時代見放されますって(笑)。ココが改善されないのも致命的なんですな。

オートメーション用のターゲットとなるパラメータを「登録」してやってから作業に入る、幾多もあるパラメータにどれがどのようにIDが割り当てているかも一見して分からないのはDPだけのことではないんですが、他のアプリならとりあえず動かしてオートメーションを書き込めばそのパラメータだけが書き込まれて表示されるんですが、DPのそれだと見当すら付けられずに時間の無駄になってしまうという(笑)。

MIDI CCにアサインしてやった所でパラメータは128段階以上の分解能を持っているのも珍しくなく、NIのKOREなんてのは500段階に「スムージング」しているというのに(笑)、それをさらに128段階にスムージングさせてしまっては編集したい狙いの音ができるワケありませんな(笑)。

元々DPはソフト音源の対応は遅く、それこそVST Wrapperを使わざるを得なかったりするコトもあったワケですが、テープレコーダーという感覚で設計されているため、純粋にコンバーターを経由して録音される「オーディオ」を扱うという点だけが妙にクローズアップされてしまっている設計になっていて、それが結果的に取り残されてしまったような感は否めませんな。

ソフト音源だけで完結してしまうようなレコーディングのシチュエーションというのも稀な例なので一概には言えないモノでありますが、アナログシンセ動作させるにしたって、電源を安定化させても1~2時間は通電してやらないと今の時期なんてのはチューニングすら不安定でままならないという機種も多いワケですよ。特に海外製品の往年の楽器は。

DX7やM1以降のシンセでもまともに動いてくれるものというのはそろそろ少なくなってくるはずで、ディスプレイの表示が怪しくなってきたのならまだ許容範囲だとしても、その手のハードウェアからオーディオインターフェースに繋いで録音した時の音を、どれだけの人が満足できるでしょうか。アナログ回路を経由していることで独特の音質は生まれるものの、ソフト上で再現可能ならそちらを使ってしまおうとするという人もかなり多いのではないかと思いますね。JD-800やJD-990の出音にこだわるというのならいざ知らず、当時のシンセでアナログを介した音ならでは!というシンセは結構少ないモノです。

ハードウェアのデジタルシンセが出現してからは、実体としてはハードウェアシンセ内部のチップに独自のOSとデジタル処理用の波形やら発音方式のプログラミングが施されているだけに過ぎないワケで、その音のほとんどはアナログ出力ということの違いなんで、それらの回路をデジタル的にシミュレートしている以上、OSはMacかWindowsに頼っているだけで本当の意味での大差は無いのが現実なんですよ。

アナログ回路が音質に大きく関わっている場合は、その特性をデジタル的にシミュレートしきれているかどうかということを念頭に置く必要はあるものの、仮にシミュレートが不完全だとしても、アナログ機器を実際に使うデメリットよりもメリットの方が大きいのではないかと思うんですね。

つまり、今のご時世においてソフト音源を軽視している場合ではないんですよね。アナログ的な音を欲する場合、それをも見越した音作りが少々厄介になるだけで。

DPを普通にレコーダー代わりにして録音しても、音の編集においてはDP標準のプラグインよりもサードパーティー製プラグインに依存することが多かったのが現実なんですよ。エフェクト類のプラグインですらパラメータはかなり多岐に渡っているのも珍しくはないんですが、エフェクトの場合はキャラクターが限定されているためそれほど多くのパラメータ数は必要としないかもしれません。高度なモノもありますけどね。

そのエフェクト類のオートメーションすら迅速にアクセスできるような設計になっていないのに細かなオーディオ編集を出来るにしても時間の浪費になっちゃうのが現実なんですよね、コレが。MIDI編集でキビキビ出来る分、オーディオ面でその分取り返してしまってような(笑)。

細かいオートメーション編集こそが必要な時代であるのに、こういうオーディオの細かい編集作業がなぜこうまで作業しづらくなっているのかDPは!?と言いたいんですね。そういう部分が改善されない限りはDPに戻ることは無いというのが本音でして、愛用してきたツールだからこそ敢えて苦言を呈したいのでありますよ。

ただ、Logicでカラオケや着メロ用MIDIを編集しろと言ってもそれは無理です(笑)。データとして必要なメタイベントの扱いがLogicだとオートメーションデータを記録する領域として使用するからです。

そういうワケで私は用途に応じて色々使い分けてきたのでありまして(笑)。20年以上もMIDI弄ってりゃあ、その間に色んなソフトのひとつやふたつ手に入れますしね。Visionは買いませんでしたけど(笑)。

ソフトウェアベンダー全般に言えることですが、マニュアルに手ェ抜くようじゃ終いです。不正コピーやらコストダウンのために仕方ないことかもしれないと言っても、まともなユーザーが割食っているのが現実でして。

まあ、そんなコト言った日にゃあ、WindowsもMacもOS買ったユーザーには数千ページのマニュアルくらい用意しろよ、と言いたいんですけどね(笑)。マイクロソフトで言えばOffice95の時代が一番マニュアルでは充実してましたかね。ページレイアウトという概念すらないような「箇条書き」マニュアルの典型ですが(笑)。

DAWアプリだと、だいたいどこも1000ページの総数を超えるくらいあるんですよね。装丁にこだわれとは言いません。内容を充実させPDFやWebに頼らず印刷しろ、と。せめて50ドル以内の有料にてもっと内容を充実させろと言いたいですね。

マニュアルあってこそソフトの価値であるのに、日本語マニュアルも付けなくなって、本国がその姿勢だからウチではやらないと言い出す代理店が出てきてしまうとマズイですな。

代理店やる位なら本国がやらない分自分が動けよ、と。他の代理店はそうまでして日本語マニュアル用意しているのにも関わらず。卸業務やってたのが客に直販するようじゃ、レコード会社がCDショップに流通させないで3000円のCDを2000円以下で客に売るようなモンだろ、と(笑)。

そういう姿勢であってほしくはありませんな。こんなひどい所はさすがに国内では無いでしょうが(笑)。

私の場合、既に知っていることなんで今まで長く使ってきたソフトが急に英語版のマニュアルしか用意しないなんてことが仮にあったとしても問題無いんですが(笑)、新規ユーザー開拓と共に育っていくのがソフトであるのに、新規ユーザーには厳しく「英語で我慢して」「日本語ヘルプはあるから」と強要して、既存ユーザーには「既に知ってるだろうから」と胡座をかいてしまうようでは本末転倒なんですよね。こういうサービスがあって欲しくはないものですね。くわばらくわばら。

以上、本日の左近治の「たわごと」でしたとさ(笑)。

耳コピの重要性 (2) [回想日記]

今日アップしようと思った前回のブログ(笑)。操作間違えて昨夜アップしてしまったので、続きでも書いてしまいますか(笑)。

耳コピで重要なのは根気。コレに尽きますね。

前回でも述べたように、ハーモニーを自動的に解析してくれるようなツールも今では存在するものの、その解析力はやはりタカが知れているので役にはたちません。高度なハーモニーを延々と聴きながら分析するには結局自分自身の根気。

コードネームで表現できるような和声構造なら、音域によっては自動的に解析してくれるツールでも大丈夫かもしれませんけど、仮にそれに胡座をかいてしまうかのように信頼しきってしまって作ったとしても、それで本当にハーモニーを得られるのか!?という不安がつきまといますよね。

で、それらの音のソースを聞き分けるということは、好きな音楽をイイ音で聴いて楽しむというコトよりも遥かに細かく聴こうとしているんですよね、実は。

オーディオを聴く!というまさにこれこそが根幹とばかりにオーディオソースを聴いている、と。

オーディオを扱うソフトがいざオーディオを分析したり編集したり、細かくモニタリングしなければならないシチュエーションにおいて使いづらくなってしまったら本末転倒だろ、と。ですからMOTUのDPに対して辛辣な意見を述べたのでありますな(笑)。

長年使ってきて、結果としてその利用者の声が反映されなくなってしまった。フィードバックも疎かになってしまったのでしょう。日本市場が先行した着メロに始まる音楽配信業界での制作裏舞台を米国では当初イメージしづらかった躓きがあったのかもしれませんし、なんとも言えませんが、それまでの地位に甘んじてしまって特定のシーンにおいて絶大な効果を発揮するような限定的な操作感にしてしまい閉塞してしまったというのが現在のDPでしょうか。

以前の地位を取り戻してもらいたいだけに、頑張ってもらいたいものですな(笑)。

まだ見ぬLogic Proの次期バージョンはレパード(Mac OS X 10.5)と共に恐らくリリースされるでしょうが、この次期バージョンの機能次第ではLogic Pro優勢にさらに追い討ちをかけることになるかもしれません。

DPの未来よりもLogic Proの未来の方が遥かにワクワクしてしまうのが本音ですよ(笑)。

年忘れ企画! 2006年のリリース曲を振り返る! [回想日記]

振り返るのに「年忘れ」!?
う~ん、我ながら無責任極まりないタイトルネーミングセンスに悦びを隠し切れません(笑)。

2006年はサッカー日本代表のドイツでの活躍を願って、ドイツ語タイトルの坂本龍一の楽曲を用いてスタートしようと祈りを込めたものですが、あえなく日本代表は敗れ去りました(笑)。

まあ、あの面子でああいう結果なら真摯に受け止めねばならないでしょうな。一喜一憂するだけの通り雨のような似非サッカーファンはすっかり淘汰されたでしょうから、心底好きな人には返って今くらいがじっくりサッカーを見れるのかもしれません。まあサッカーに限らずどんなジャンルでもそうですけどね。音楽もまた然り。

2006年全体は主にYMO関連というか坂本龍一作品が比較的多かったですかねー。私、YMOはリアルタイムで聴いてはおりましたが、それほど好きではありません(笑)。YMOのお三方がYMO活動期に残したソロ作品の方が好きです(笑)。

四半世紀以上経過した今、自分がどれだけ分析して昇華できるのか試してみたかったんですね。YMO関連の作品で。YMOというのはシンセの音作りよりもエフェクトを重視している要素が非常に強いので、自分自身でそれを再現するためにもう一度おさらいしてみたくなったのが正直な所ですか。

今年やっていて左近治が少しヒネリを効かせたのが「F03」という無料着うたで、この曲に使ったドラムのグルーヴは少々工夫が凝らしてありやす(笑)。

この曲のドラムのグルーヴは明治安田生命のCMでオンエアされていた相武紗季が叩くドラムのグルーヴを抽出して、グルーヴの一部をほんの一部の拍部分にクォンタイズさせたのです。

相武紗季のグルーヴ。拍単位のタイム感は良いと思います。他の部分はかなり揺れています(笑)。で、キックがペダルの反動に負けて2打目が弱い感じがオツなのですな、コレが。それを取り戻そうとするテンポの揺れ具合も堪らない。なかなか得られないタイミングです。

誤解して欲しくはないのですが、決して愚弄しているわけではなく、拍単位のタイム感は結構イイと思います、ホントに。唯、他が結構揺れているというか。軸はそんなにブレていないというか。

まあ、あのボンゾ(知らない人はいないと思いますが念のため、ツェッペリンのドラマーですね)でも相武紗季ちゃんくらい揺れてる曲もあるし(笑)、ボンゾと比較すればファンの方にお叱りを受けることはないでしょうかね!?

左近治が心の底から好きなドラマーは、リッチー・モラレスとヴィニー・カリウタなんですが、カリウタ師匠はさておき、リッチー・モラレスやボンゾも実は相武紗季ちゃんのような揺れはあるんですよ、コレが。ポール・ハンフリーやケンウッド・デナードはもっと大きく揺れるかも(笑)。

でもですね、相武紗季グルーヴの元のCMの方は8ビートのbpmは170以上。これをそのままbpm100前後の一般的なテンポに置き換えても、あんまり面白さは出ないんです。

大きく揺れたグルーヴ・ファイルは、もっと細かい音符にタイムスケーリングをしてやってから反映させるともっと面白い効果が出るんですね。

例えるなら16分音符や32分音符のオカズなどに反映させたり。こういう方がより「リアル感」というか人間的な彩りを機械的なグリッドに沿ったドラムに与えることができるんです。音価が細分化すればするほど、実は人間は結構曖昧になったりするので。

前ノリ感を出したい時に32分33連符でクォンタイズしちゃったりとか。テンポによっては64分61連符とか。こーゆーのも併せ技で反映させると打ち込みドラムがさらに面白くなるんですよ。

グルーヴ・クォンタイズを採用したソフトは確かCubaseが最初だったような記憶が。記憶が正しければかれこれ13~14年くらい前のような。

ドラムは場合によってはトップとボトムで同じ楽器を違うマイクで録音したりすることがあるので、こういう時の位相合わせや打ち消しあわないようにするためにサンプル補正や音量加減など。まあ、相殺することなく音を把握できていれば遅延を僅かに与えてやることも重要ですが、アンサンブル全てにおいてそれぞれがサンプルレベルくらいまでキッカリジャストのタイミングって私は嫌いなので、機械的なノリを演出させるような曲でもサンプルレベルではずらせちゃいます。私は。

こういう時こそハイ・サンプルレートは非常に緻密に編集できるので、それらを念頭においてミックスするというかそれが本能みたいなもので、遊び感覚でグルーヴ編集にそういったイタズラをするわけであります(笑)。作っている側も楽しみたいですしね(笑)。

こういう制作をストレスなく出来るのも使い慣れた環境や使い慣れたソフト達のお陰でもあるんですが、色んな環境を味わってきた経験があると環境が変わってもしばらくすれば昇華できるのでありますが、右も左も分からないレベルからいきなり何でも有り系の環境やソフト達で音楽をやろうとする今の世代の人達は、便利さの反面大変だろうなあーと思うのであります。

それこそイク族に突然文明の利器を与えてしまった弊害にすら投影できてしまうかもしれません。便利であるはずなのに順応できずに、結局は理性すら失って自己の欲望を優先させてしまうという悲劇的なアレですな。

今の学校教育も、夏休みの宿題はパワーポイントで絵日記作ったりホームページやブログだのと、小学生でこういう時代なワケですが、順応できない子はどうなんですかね!?本当は知りたいはずなのに、携帯しか使えずにいざ携帯をどれだけ使いこなすかと言えば出会い系だの、異性方面でしか利用していなかったり(笑)。

利便性というのは客観的に見た時初めて気付くもので、利便性に操られてしまっている段階であれば、客観的に見ると実はその人にとって不要ではないかと思えることも多々有り(笑)。

幼稚な発想をする輩はそういうもどかしさをコントロールできなくなるとイジメが発生したりギスギスした感じになっているのだろうなーと他人事にように傍観している左近治であります(笑)。苦労の泪を歓びの泪に変えさせる教育やしつけ。子供のころは散々うざったい思いをしたのではないでしょうかね(笑)。

排便している時に紙が無くても自分手を使って拭こうとする人はそうそういないでしょうから、まずは自分で考えて経験しろ、ということですな。

他人のグルーヴを自分のモノにするということはすなわち、社会の潮流にグルーヴしながら会得することでありますな。

さあ明日もグルーヴグルーヴ、と。

ゴマアザラシに酔う。年の瀬に [回想日記]

月日の経つのは早い。まさに光陰矢のごとし。秋冬はすっかり遊びに、行楽に、買い物にとふけっていた左近治。絶好の釣りシーズンでもありましたなあ(笑)。

時間は万物に等しく流れ左近治もまた歳を取っていくのでありますが(笑)、めまぐるしく老いぼれていく左近治にとってもプランク時間が等しく流れているのだと言い聞かせながら振り返ってみると、音楽面においては年末近くになって結構着うた用のネタにしたいなあと思う音楽に出会うことができましたねえ。年末年始にかけて左近治の嵐のようなリリースをお見せできればよいかなーと思っているのでありんす。

で、ゴマアザラシのCMなんですが、コレ、かなりヒットです。

JTのROOTSのCMといい、MAO/dの「VERY LOVE –0.5℃」然り。

前者はカウベルのポコポコ感を少なくしてエレクトロなビートで演出して制作を終えたところです。

MAO/dはCMで聴いたとき、ベースに惚れましたねえ、コレは。音価の長いフレージングや音の飲む(切る)感覚、セクシー・グリッサンド!早速買ってクレジットを見てみたら「亀田誠治」の名前が。う~んやはり亀田誠治はスゴイ音を出しますな。チョイ不良ならぬチョイ歪の音が実にキレイに高次倍音が出ていて、音のスペクトル的にはジェントル・ジャイアントのレイ・シャルマンが弾いている「Convenience(Clean and Easy)」(アルバム「Civilian」収録)を思い出してしまいました。

レイ・シャルマンのそれは8弦ベースなんで実際には違うんですが、そういう感じの倍音の出方を思い起こさせてしまう亀田ベースのサウンドに心打ちひしがれるワケであります。MAO/dの方も作ろうかなと思案中であります、ハイ。それにしても、最近グリッサンドひとつで酔わせるベーシストなんて久しく聴いてなかったなあ。後藤次利以来かもしれないですな。

まあ、ベースに酔いしれたとはいえ真の音や技能面で訴求力のある音楽に出会えるというのは、歌謡界においてはかなり少ないコトなんで(笑)、こういう音楽がフツーに流れているというのは実にイイもんですなあ。

今年を振り返るとドナルド・フェイゲンの新アルバム収録「The Night Belongs To Mona」、AYUSE KOZUEの「boyfriend」、MAO/dの「VERY LOVE –0.5℃」の3曲が、左近治にとっての今年のレコード大賞でしょうか(笑)。次点でmihimaru GTなどの新作が左近治にとっての今年のベストでしょうか。あ、ハラカミレイの新作を忘れてた(笑)。

ホントはあなくろ本舗での洋楽が左近治のメインスタンスではないのか!?まあ、確かにJ-POPというジャンルは非常に疎い左近治ではありますが(笑)、聴いてて心地良い音に洋モノも和モノも最初から分かるワケではないので(笑)、色眼鏡というバイアスをかけずに音楽を聴いていることが重要かな、と。iPodで多くの音楽を持ち運べるようなライフスタイルになってから極めて自然に音楽を聴くことができるようになったのがここ数年の大いなる変化ですね。

次は今年のベストCM。

これはもう音楽どうこうではなく新垣結衣のポッキーのCMでしょうなあ(笑)。左近治も何十年ぶりに自分でポッキーを買い、コンビニでついつい手を伸ばしてしまったことか。このCMで「新垣結衣」というタレントさんを知ることになった左近治でした。

オレンジレンジのあの曲の8分でフィルターがかった音にもセンスを感じますが、なにはともあれ、あのCMはスゴイですな。屈託の無い笑顔と、ややもすると素人チックな踊りであっても躍動感が実に巧みに演出されていて、HALCALIデビュー時やチェッチェッコリのCMよりも訴求力を感じた左近治です。ウチの娘もあんなに弾けて喜んでくれたら、父ちゃん、泪で前が見えなくなるんではないかと(笑)。あれだけ可愛く演出される子の親御さんが羨ましいくらいですな(笑)。

ま、左近治の一人娘は12月誕生日なので、誕生日→クリスマス→正月というイベントを堪能できるためか父ちゃんもついついチカラが入ってしまうのでありますな。

最近イイなーと思うCMソングが、ららぽーとのCMソング。70年代末から80年頭のコケティッシュでアンニュイな感じなニュー・ウェイヴというかフレンチポップを思わせます。その後おフランステクノ事情はかなり攻撃的でサッフォーとか出てきたわけですが、この曲のメロディはシャッフルで唄ってバックは8ビートでシンプルで無垢なフェイジングがかかっていないSOLINA風なアナログシンセサウンドがイイんですな。平林里紗さんという方ですか。覚えておかないと。そういえば今度横浜にららぽーとが出来るんだよなあ。鴨居だけど(笑)。あの辺は池辺町(いこのべ)と言いますんで、ご存知無い方は楽器屋さんのイケベを連想しないように(笑)。黄金町、英町、真砂町、庚町、神戸町、大豆戸町、野庭町、小菅ヶ谷などなど、さあ貴方はいくつ正しく読めたかな?

あとはエビちゃんこと蛯原友里が出演しているFinePixのCM(クリスマスっぽくない方の)。富士フイルムさんによればaikamachi+nagieですか。道理でイイkickの音してるんですな。サイン波キックですが、ピッチエンベロープの音の処理やコンプの具合などチト違う。sami koivikkoな感じの音を連想させます、ハイ。

長くなってきたんで与太話は置いといて、次回は左近治のエレクトリック・ライフとでも称して語りまひょか(笑)。

可聴周波数帯域に惑わされな! [回想日記]

さて、久々の記事アップ。今回は少々専門的な話題にしてみまひょか。

デジタルフォーマットの音楽が完全に標準となった今、最も身近なのはCDのデジタルサウンドの規格でありますが、いわゆる16ビット44.1kHzサンプリング周波数というものであります。レコーディング現場においてはこれよりもさらに高ビット深度と高いサンプリング周波数で録音してマスター制作という作業を行っているのであります。

でもCDはおろか圧縮された音楽ソースでも多くの利用者を満足させるように世にリリースされているわけですが、人間の耳の可聴周波数帯域が20~20kHzということをあまりに素直に信頼しきっているのではないかと疑問に抱く人は少ないようで(笑)。

可聴周波数帯域という名称で知られているものは、「人間の耳が純音を聞き取る極限域」ということを示したものだけでありまして、実は人間が音と認識するのは、この純音部だけではないということは殆ど知られていないのですな(笑)。あまりにも自分の耳がヘッポコだと居直っていやしませんですか?

「純音」とは音叉とかギターなどハーモニクス。すなわち倍音を含まない純粋な単一の振動数を持つ音のことであります。

どんな人間でも「純音」を認識できるようになっています。純音を捕らえるのは「毛細胞」という非常に小さい毛のような細胞が耳にあるわけですが、この毛細胞の物理的な長さは確かに「純音」を捕らえるように出来ています。とゆーか、毛細胞の捕らえた音はまさしく入ってきた音の振動数を正確にキャッチしています。

毛細胞が根差す膜に延びている神経が卵円窓と呼ばれる部屋から伝わる振動をキャッチしていて、耳に入ってくる音の振動数が複数あってもその振動数の違いをキャッチしているのは毛細胞、その毛細胞に根差す膜は微妙な周波数の違いをも全く別の要素の音だと判別できるのはこの組織の役割です。

これらの毛細胞と毛細胞が根差している膜によって初めて音と知覚するというワケです。鼓膜から入ってきた音は卵円窓に入って、中身は液体が満たされ、その中をフワフワと毛細胞がワカメのように根差していると思っていただければ良いかと。「音の高さ」はこうして知覚できます。

では、次は音の強さ。実際にはどれくらいの音の大きさを感じ取ることができるのかというと、ここがもはや神レベル。
1.25cm×10の-10乗という、とんでもない小さな変化量すらも聞き取ってしまいます。この音の大きさの振幅を周波数に換算した場合、この変化量を持つ波長は驚くこと無かれ、なんと「2720GHz」の1サイクル(=1波長)に匹敵するほどの距離なんですな。波長の概念を導入しましたが、あくまでもこの場合は音の強弱によるものなので、耳は音の強弱を判別しているのは、たったそれほどの距離の変化で判別しているということです。周波数(音の高さ)は毛細胞の役割なので誤解のないように。

毛細胞自体はその物理的な大きさから、捕らえることのできる周波数は幼年期で25kHzをピークに加齢に伴ってどんどん低くなっていき、中年で15kHz前後まで下がっていきます。さらに驚くことなかれ、個人差はあれど上限あるいは下限域外の音も実際には毛細胞自体は音を捕らえているのであります。

それを「音」として知覚するのは卵円窓から毛細胞の根差す膜へ伝わる振動によって「都合よく」音をフィルタリングしてしまっているのであります。さらには、毛細胞の根差している膜が何らかの要因で横方向に張力が加わると、途端に毛細胞の呼応性が高まるというのも驚愕の事実なのであります。

純音が、一般的に知られている可聴帯域である20Hzから20kHzの間をスウィープ(連続的に周波数が変化する)する正弦波というソースを聞いたとして、この場合もう細胞はきっかりと純音を捕らえてはいますが、毛細胞の根差している膜自体に張力の水平な変化は影響をあまり及ぼさず、むしろ、楽器類などのアンサンブルによる他の音がある意味「呼び水」となって張力変化を起こすのです。

カクテルパーティー効果として知られている能力は、例えば周囲の雑音が多い場面でも会話など特定のソースの部分の音の判別を高めようとする能力なわけですが、耳の構造自体がありとあらゆる純音を分析して捕らえてはいても、自然倍音列などは構造上非常によく捕らえる(感度が増す)ためか、ある種の倍音列に合致させるような能力が備わっていて、その働きによって人間は可聴帯域はリアルタイムに変化しているというのが真実なのです。

正弦波のスウィープ信号でも16kHz辺りまでしか聞こえなかったから「もう歳なのかなあ」などと悩む必要はありません(笑)。加齢に伴う衰えよりも、器楽的な倍音列の合致能力が強化されているため、器楽的ではない単一の純音に反応しなくなっているだけなのです。器楽的に豊かで、アンサンブルのある音が呼び水となって、特定の音の倍音構造を判別しているので、例えばある楽器の演奏されている音域がオクターブ上に変化した時、耳はその楽器の倍音構造をとらえて今まで聞いていた音域での倍音構造と似た(または同じ)ものなのか否かを瞬時に判別して、それが同一の楽器と認識しているのは、倍音列を瞬時に判断しているからなのです。こういう時に概ね人間は純音だけでは捕らえきれなかった極限域外の周波数を聞き取るようですが、ヴァイオリンの音などが呼び水となって、音楽全体(耳で捕らえる全体の音)の周波数帯の上限がリアルタイムに変化しているというものでもないようで、ヴァイオリンの倍音構造を判断するためにヴァイオリンという楽器への上限域外の音は聞き取れていても、その他は上限域が変化していなかったりなど、様々なシーンがあるようで一概には言えないのも確かなのです。

とはいえ、純音で16kHz程度しか聞き取れなかったからそれ以上は聞こえていないのだと悲観することはありません。実際にはそのオクターブ上、あるいは2オクターブ上なども聞き取れているのは事実なのです。但し、極限域はリアルタイムに変化していて、アンサンブル全体の周波数帯が拡大するのではなく、ある特定の音への倍音構造を判別するために捕らえている、その音に呼応することの方が確実に多いということです。

もっと分かりやすくいうと、非常にこもった音質の楽器が数トラック分あって、それを2ミックスで人間は聞いている。その内の1つの楽器、例えばヴァイオリンの演奏音域が変化して途端にヴァイオリンのEQのハイ部分が上がると。

しかし、それが呼び水となって他の楽器のトラックまでもEQでハイを上げて2ミックスを聞いているのでないということであります。

ところがこういうことは音響関連を学ばない限り知られていないのが現実で、これらのことが載っている専門書など、こういうことを学んでいない限りまず一般的に目にする機会はないでしょう。ところが、それ故なぜか純音だけでの測定が耳の可聴帯域だとして曲解されてしまっているフシがあるのも事実で、少なくともインターネット上でこのような内耳構造なども併せて正確に述べられている記事やHPは見たことがありません。多くの人が煩わしさを感じることなく情報を手にすることができるのがネットのメリットですが、情報を発信する側がいつまでも凡人レベルだと正しい答すら見えてこないのが弊害でもあるわけなんですな。

ただ、音楽に関しては言葉でどう説明しても演奏すら全く出来ない人にまでこのようなことを理解させる必要があるのかどうかというのも疑問で、分からない人は分からせないままでいいのではないのか!?とも感じることはありますね(笑)。着メロ制作時代でもMIDIすらも分からない人にどうやって作るのか、または音階やキーとはなんぞや?などと説明する必要があったのかどうか(笑)。

次辺りは絶対音感についても語ってみましょうか(笑)。

NHK あの歌がきこえる ユー・メイ・ドリーム/シーナ&ザ・ロケッツ [回想日記]

テレビ番組をナビしていたら、たまたま見つけた「ユー・メイ・ドリーム」。左近治もYou May DreamとしてHouse系アレンジにて配信しておりますが、私、特にシナロケは詳しくありません。YMOブームの折にたまたまレモンティーとユー・メイ・ドリームを知っている程度のものですが、この曲は日本のコケティッシュなポップの中で5本の指に入る名曲だろうと思うので左近治は取り上げていたわけですな。

当時の日本の歌謡界はいわゆるヒポイオニアであるミクリディアンの曲調を本当の意味で消化しているのはあんまり記憶にないんですね。分かりやすく言うと、メジャーな響きなのに「シ」音がフラットしている曲ですな。

まあ、ユー・メイ・ドリームの場合Ⅵ♭→Ⅶ♭→トニックなので、一貫したヒポイオニアではなく、モードチェンジがある音列になるわけでありますが、ロック界で多用されるこういうモードがイイ意味でポップと融合した今で言えばオルタナ感のあるサウンドは日本の歌謡界の70~80年代前半は少なかったなあと記憶しているだけのことです。まあ、探せばあるんでしょうが、それがイイ曲とは限りませんし(笑)。

番組は一切見たことがないものの、曲自体に思い入れがある以上ついつい見たくなってしまう。漫画の原画が飛び出してサブカル系の番組なのか!?と思いつつもよくよく見てみると、思い入れのある音楽と漫画をリンクさせるという番組構成なのですな。なるほど、シナロケ特集をしているわけでもないものの、音楽の良さと漫画を上手くリンクさせているわけですな。

コケティッシュなボーカルものに、少しチープなロック感のある曲調を昇華させる音楽では、私左近治の場合

You May Dream / Sheena & The Rockets
Rock’n Rouge / 松田聖子

これらを筆頭に挙げることができるのではないかと。余談ではありますが、左近治はRock’n Rougeは松田聖子の曲の中で一番好きな曲かもしれないです(笑)。

まあ、それまでの日本のポップス界というのは、歯の浮くようなメジャー7thとセカンダリー・ドミナントを多用するというような曲がゴッタ返していたような中で、こういう曲調がヒットチャートに現れることが貴重だったワケであります。

いわゆる王道の音楽は、当時は松任谷由実ですか。まさにメジャー7thとセカンダリー・ドミナント系、しかもサブ・ドミナントから曲が始まった日にゃあ、まさに教科書のような王道路線の曲作り(笑)。松任谷由実で好きな曲は左近治の場合、「まぶしい草野球」しか挙げられないのですが(不二家のソフトエクレアのCMになっていたような)、あの曲はなんとなくエルトン・ジョンの「Bennie and the Jets」を彷彿とさせてくれるので好きなわけでして、先述の曲たちとはやはり違うのですな。Bennie and the Jetsの方はメジャー7thがパラレル・モーションするタイプですので「まぶしい草野球」とはやはり違うのであります。そういえばつい先日、エルトン・ジョンのBennie and the Jetsが収録されたアルバム「Goodbye Yellow Brick Road」がCD発売されました。このアルバムはエバー・グリーンのアルバムなので、Queerだからといって敬遠してしまうかもしれない方も持っていなければいけないアルバムの1枚ですので、ご存知無い方は是非お試しを。

音楽と触れ合う時間 [回想日記]

人間の寿命などせいぜい2万と数千日。左近治自身、生後15000日に満たない若輩者であります(笑)。私が中学生の頃までご健在だった曽祖父と曾祖母でも3万日を超えるくらいでしたから。仮に3万日の寿命だとしても1日8時間の睡眠時間を取っていれば、1万日は眠っているんですな(笑)。

楽器に携わる私とて、限りある生活時間の中で楽器演奏を習得したり、音楽を聴いたりしてきているわけですが、純粋に音楽を聴くという時間は意外にも少ないものなのだなあと実感するわけであります。音楽が生活に密着していない方の場合はさらに少ないというわけですね。

着メロや着うたというのは、携帯電話というメディアの魅力を借りただけで、音楽そのものへの執着心よりも携帯電話への愛着にエッセンスを加える二次的なものでしかないと思っております。着メロや着うたのほとんどは、オリジナルの作品を除けば殆どは何かの作品の二次的な利用でしかないわけで。

左近治の母は元ハワイアン歌手でして、バッキー白片さんの下で歌っていたのですが、そういう血を引いたのか私左近治も幼少の頃から音楽には親しんできていたのでありますが、楽器の演奏を習得したりする時間を除けば純粋に音楽を鑑賞する、という時間は本当にごく僅かな出来事でしかないのではないかとあらためて実感するのです。

で、私の着メロ制作時代は、世の着メロの隆盛と著作利用の関係がTVメディアを主体として非常に密接にリンクしたためCMソングもそれまでとは違った、着メロ受けするような曲になっていたりしていて、左近治の作る着メロもKクリにおいてマンスリーDL1位になった時もあったものですが(笑)、その当時は制作に追われるような時の流れで、自分の好きな曲すらも聴く暇がないほど、着メロリリース用の曲を物色するのにテレビ録画と視聴に追われるという日々が続いて、嬉しさと同時に地獄のような時を実感したこともありました(笑)。

左近治が着メロ制作をしなくなった理由は、着メロの音色というのは大半は「似て非なる音」のため、どんなに似せようとしてもデフォルメされる。そのデフォルメ感の「ウケ」具合で、ある程度のウケ具合を計算できてしまうわけです。そうなると、そのデフォルメとウケ具合だけで、音色作りやミックス具合は「テンプレート化」すら可能になってしまいかねず、そこまで到達した産みの苦しみよりも売れることを重視してしまってテンプレート化してしまうと、制作側としては面白味に欠けてしまうわけです。

もちろん、テンプレート化せずに追究することも可能ではあるのですが、オリジナル楽曲の作品に手助けされ、FM音源のデフォルメタッチにアレンジは手助けされ、それが制作の手助けになってしまうと制作側の喜びは本末転倒になってしまうのです。

難しいのは承知で、似て非なる音を模索して、似せながらも異種格闘技のようなエッセンスを超越した調味料など(笑)、著作者からクレームの無い範囲で著作物をアレンジする楽しさを継続するには、左近治には着うたにシフトするしか無かったワケであります。

こうして、リリースのためのネタ探しに躍起になることなく、自分の思い立ったときのアイデアを育みながら、音楽を純粋に聴いたり、楽器を自分のために楽しんで弾くということを取り戻し、私は癒されているワケであります(笑)。今週の月曜日から木曜日の深夜まで4夜連続で放送されたNHKの「日本の名峰」。

こういう良質な番組をどっぷり浸かって見ることができるのも、今現在着うたにシフトしているからなのです(笑)。

山好きは年配の人の趣味と思われるかもしれませんが、山はやっぱりイイですねえ。正弦波のような山ではなく、鋸歯状波のような山が(笑)。

スイミー/錦鯉のエサのCM情報模索中 [回想日記]

 『♪よく食ぁ~べる ニシキぃ~ゴイ♪』

 メジャー7thのアッパーストラクチャー・サウンドが実にクロスオーバー感を醸しているあのCM曲は一体!?

 左近治はKクリを開始した直後からこのCM情報についてあちこち探し回って、広報さんにまで電話をして訊ねたことが(笑)。しかし問い合わせても当時の担当者の方々が在職しておらず全くわからないまま。歌ってる女声コーラスは、たぶんスリー・グレイセスの方々ではないかなぁーと思っているのですが(笑)。

 左近治が今作るとしたら、ローズとストラトのハーフ・トーンでとことんクロスオーバー風にするだろうなあ(笑)。ギターはメジャー7thとルートの半音ぶつけのクローズド・ボイシングでスピノザ風な感じで(笑)。

 ご存知の方がいらっしゃいましたら、Kクリ事務局までメール下さい(笑)。

 私が中学生の時点でスイミーのあのCMを見ると「懐かしい~っ!」と声を挙げていたくらいですから。

 まあ、こういう風に企業に直接問い合わせても情報が全く掴めない曲は他にもありまして、例えば

マキロンの唄/山之内製薬

 これもまた、全く情報が掴めない曲です(笑)。「マキロン♪ シューパッ!」ってヤツです。ガチャガチャでマキロンの当時のキャラクターの男の子のスーパーボールをゲットした時は子供ながらにレア・アイテムとして保存していたものですが・・・片膝を曲げて座って泣いてます(笑)。オリジナルのド根性ガエルをリアルタイムでTVでご覧になっていた方なら必ず耳にした音楽です。私が小学校5~6年生くらいまで流れていたでしょうか。侍ジャイアンツや巨人のナイター中継(7:30開始時代)など、日本テレビ系列では特に頻繁に耳にした記憶があります。

 あとは社名すらも思い出せない、蓄膿症の薬のCM(笑)。クラリネットのメインメロディだったか、インストもので、切り絵が特徴的だったか。このCMはフジテレビ系列でよく見かけました。おもろい夫婦やパンチDEデートなどを見ているとよく流れていたような記憶が。

 これらの曲はメロディだけではなく、ハーモニーまでも左近治の脳に今も強烈な記憶として小脳にインプットされています。

 こーゆー、懐かしい飛び道具とも言える小脳&脳幹に訴えかけてくるタイプのCM曲の情報やリクエストは特に大歓迎ですのでお待ちしております(笑)。
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