SSブログ

Sitting on the Dock of the Bay [回想日記]

日本語に意訳するなら、「波止場に佇む」とでも言えばよろしいでしょうかね。実際には座ってるんだけど、左近治ならSittingはさしずめShittingと言っちゃいそうなスタンスではあるんですが、ま、このタイトルは言うまでもなくオーティス・レディングの名曲でありますな。イナタく心に染みるほのかなメジャー・サウンド。日本人なら仕事の疲れ癒すのに一っ風呂浸かりたくなるようなそんな癒しの雰囲気の曲ですね。

左近治はThe Sectionのアレンジに似た感じで作ろうかなーと模索しているワケでありますが、この曲手がけようとしたらスティーリー・ダンのChain Lightningも脳裏をよぎってしまって、どちらも名曲ゆえにアタマ痛めております。

sitとshitは全然発音違うんですが、これがまた日本語のカタカナに置き換えると一緒になっちまいます(笑)。日本語というのは文字に置換してしまうことで、本来聴こえている筈の音を都合良く言葉に置き換えてしまって違う音に認識してしまうという弊害もあれば、雑踏や虫の声には妙に敏感だったりと、ノイズにも言葉を感じてしまうような実に奥深い言語なのでありますな。

子音を巧みに使う言語だとこういう認識にはならないのでしょうが、英語だとその発音自体に実に「リジェクト」した音を巧みに使う言葉が多いんですな。

代表的な例だと「L」の発音。次にthinkやtruthなどの濁らない「th」の音ですな。この「th」の音は周波数分布でいうと幅広く中高域までリジェクトしていて、低音側のほぼ「T」の低い成分と、sの音よりも上の息の音の両方を明確に出すワケですが、老化で高域が聴き取れなくなっても、thを認識できるのは、「T」よりもソフトな低音があることで認識できるというワケですな。日本語で表すなら「シンク」よりも「ティンク」の方に近くなると言えばいいでしょうか。

日本的であると、こういう音に無頓着になってしまうのはもとより、器楽的な音ですらも言葉にしてしまうとオケの音をいつの間にか聞き逃しているコトが多いんですな。また、器楽的(アンサンブル)に耳が注力されずに、曲を覚えるにあたって歌詞を重要視してしまうのも、日本人の「日本語しかしゃべれねえ!」というタイプの人には実に多く見受けられるものではないかと思うんですな。

音楽を聴く、というかアンサンブルの隅々まで音に注力しなくてはならないシーンに遭遇する人は、人声すらもあらゆる言語であろうが「音」として聴く程度の発想の切り替えが重要です。

それこそディエッサーの設定すら誤りかねないワケでして、ましてや耳につきやすい楽器を替え歌で歌ったりして覚えてしまったら、本来聴こえていたはずの隠れたアンサンブルの音は、どんどん意識の外へ追いやられて、違った音像を作りかねないので注意が必要なんですな。

左近治がこれまで最も難しいと感じた英語の発音は「squarrel」と「actually]」。後者はJ-POPでも馴染み深い言葉だと思うんですが、後者の場合は「アクチュアリー」の「チュ」ではなく、「シュ」よりもソフトで高域にシフトして(リジェクトされた部分がある)「エキサイターで強調したツ」に近いというか(笑)、ネイティヴな人達のactuallyを聴いているとほぼ「アクショリー」にしか聴こえないんですな(笑)。

前者の方も日本語にしてしまえば「スクワレル」、ほぼ「救われる」という言葉にしてしまいそうですが、「スクワオ」程度にしか聴こえない(笑)。

日本語では表せない、隠れた音(この場合「L」)を明確に聴き取れるようになってこそ、ミキシングにも英会話にも役立つのでありましょう。シンセ界隈なら一度は耳にしたことがある「envelope」だって日本語では「エンベロープ」。ところがネイティヴ発音だと「アンムロー」くらいにしか聴き取れない(笑)。小学校低学年から英会話を習っていた左近治の耳なんて最初はこんなモノ(笑)。

余談ですが、私の友人に「Seth」という奴がいましてですね、彼の名前の「th」は普通に聴き取ることができました。ところがこのSeth君、先日は妻と離婚するんだ!だの大騒ぎで、奥さん共々アメリカ人で2人の子供。普段はいつも主人を介して会う奥さんも、いつにも増して奥さんの方から私にカマをかけてきたりして旦那とのアレコレに探りを入れてくるような様子(笑)。浮気や暴力、借金があるわけではなく、幼い子供に対する教育に奥さんがどんどん強くなっていくのは日本もアチラも一緒のようで、どうもこういう過程での夫婦の「押し引き」が従来と違ってそこに違和感を抱いていて口喧嘩になっているようでありました。

子供の人生のためにも、暴力やら借金や浮気が原因でなければもう一度考え直した方がいいよと奥さんには伝えたんですけどね、そんなこと分かりきっているとばかりに、「子供の人生も大事だっていうけど私の人生だって大事でしょ?」と言われた時には言い返す言葉がありませんでした(笑)。

既成事実にあぐらをかいて惰性でどうにかケリを付けさせてウヤムヤにするのはやはり日本男児的な考えなのだろうかとあらためて痛感させられましたね(笑)。

そんな彼らも今ではすっかり修復して、ついこの間の不仲は何処に行ったのだろうというくらいホットでラブラブになっている最中であります。

仕事の疲れや人生の苦労という一山超えた時のけだるさはあっても疲労感を忘れさせてくれる期待のこもった時の疲れというのは癒しを感じるワケで、そういうけだるさと癒しが同居した曲が、iPodをランダム再生していたら丁度かかってきたというワケでした。

iPodにそんな機能なんて勿論無いでしょうが、時たま本当にタイムリーな曲を選んで再生してくれる時がありますよ(笑)。なにも数千・数万曲からそれを選ばなくてよかろうに!と思えるくらいに。