SSブログ

大村憲司による微分音を活用したギター・ソロ「Glass(ガラス)/ 高橋幸宏」 [楽理]

 1981年に発売された高橋幸宏の3枚目のソロ・アルバム『ニウロマンティック -ロマン神経症-』には、大村憲司、フィル・マンザネラというギタリストを起用していた訳ですが、マンザネラの名があるのも驚いた物でしたが、大村憲司というギタリストの凄さをアルバムA面1曲目からあらためて思い知らされた凄いギター・ソロ。

NeuromanticInnerSleeve.jpg




 いやまあ、8小節という尺をこれほどまでに太く長く使い乍ら聴き手の記憶にこびりつかせるギター・ソロというのは、私も人生長い事生きておりますが、このギター・ソロは素晴らしいプレイです。

 勿論、そのギター・ソロの主が大村憲司なのかマンザネラの方なのかが判明するのは相当後になっての事なのですが、誰が弾いていようと素晴らしい演奏である事には変わりない訳でありまして、ソロ演奏に於ける《即興》《装飾》《感情表現》《抑揚》など、凡ゆるパラメーターが凝縮された素晴らしい演奏であると言えるでしょう。しかもそこには微分音まで忍ばされている訳ですから尚更看過できる物ではありません。

 今回私が採譜してYouTubeにアップした譜例動画では、大村憲司のギター・ソロ部の微分音はもとより、シンセ・パッドに用いられているEventideのH-949と思しきREVリンクによる微分音デチューンをも「微分音」として明示しているのでその辺りも語っておかねばならないでしょう。

 Eventideは同機種のハーモナイザーを2基用意してデュアル接続させるとREVリンクという機能が使用できた訳ですが、これの特徴的なのは《絶対値の増減》を各々のハーモナイザーで増減させる様に働くという物なので、片方のセント量を「1.009倍」と設定した場合、もう片方のパラメータが自動的に「0.991倍」という風に相対量としての増減が自動的に設定されるという物だった訳です。

H-949_15.5Cents.jpg


 つまるところ、原音(A)が入力された場合、デチューン増(B)とデチューン減(C)という2系統のエフェクト音を得られる訳で、それらのエフェクト音をステレオにワイドに振ったりモノラルに絞ったりする事ができる訳で、その後数十年の時を経てトランスやレイヴ方面で流行したデチューンのそれというのは元々はEventideのこうしたアイデアが活かされていた物だった訳ですね。

 そうしたH-949のREVリンクが「Glass」にはどう活かされているかというと、先述の様に「1.009/0.991倍」という風なデチューンがシンセ・パッド音に使用されている訳ですが、微分音的にセント量で表すと「±約15.5セント」という事になる訳ですね。これは十二分音(=72EDO)の単位音程よりもやや狭く、十四分音(=84EDO)の単位音程よりも僅かに広い物で数学的な音律体系的には、77EDOという《第13次倍音を基準に採る》純正音程の音脈に吸い寄せられんばかりの13リミットの牽引力が手招きするかの様な世界観が視野に入って来る、という単位音程=約15.5セントという所に収斂する物なのであります。

 それ故に77EDOの1単位音程を増減させる事を72EDOでのヴィシネグラツキー流の変化記号を用いて書いたという訳であり、何て事はない、単にホ短調での声部に対して「15.5セント高い/低い」という声部をそれぞれ用意すれば済むだけの話であり、声部数を仰々しく見せた譜面(ふづら)にしたかった私は敢えて微分音表記を施したという訳ですね。

 ホ短調から77EDOの1単位音程分上下に移高させた体系が加わっているという風に解釈してもらえれば判りやすいと思いますが、今回の譜例動画でのシンセパッドも、3声に分けた中央の声部を ‘Standard’ と表記しており、その声部に対して上下に±15.5セント移高している声部があるという風に見れば判りやすいかと思います。態々微分音で書く必要はないのですが、なんとなく寂しい譜面にしたくなかったので、そこはご愛嬌という事でご寛恕願いたいと思います。




 扨て、茲から譜例動画解説に入るとしますが、大村憲司のギター・ソロは原曲95小節目から8小節ですので動画としては非常に短い尺となる為、ギタリストがギター・ソロを思う存分堪能したくなる尺としては比較的短い物であろうと思います。

 唯、本曲のギター・ソロで奏される音の表現の多彩さをひとたび耳にすれば、尺の短さなど全く感じさせない程素晴らしい演奏である事を実感させてくれるであろうと思います。このブログで曲の存在を初めて知り未聽の方は是非とも原曲を耳にして欲しいと思います。




 このギター・ソロを形容するならば、フランク・ザッパ、エイドリアン・ブリュー、更には自由奔放な拍節感のそれにはダニー・クーチ(コーチマー)をも思わせるプレイでして、81年の時点では名前を伝え聞く事はなかったその後のジョー・サトリアーニにも通ずる様なプレイであると言えるのですが、本曲ギター・ソロで最も特徴的なのが《ロック式トレモロ・アーム》を使っているであろうというアーミング・テクニックにあります。

 通常のトレモロ・アームの場合、本曲の様な音程跳躍を伴わせる事は無理です。バネを少なくして挑んだとしても、非常に音程を下げて戻す時に、チューニングが正常に維持されなくなるので実用的ではないのです。

 81年辺りのロック式トレモロ・アームというのはフロイド・ローズの特許による製品しか存在しませんでしたが、このロック式トレモロ・アームというのは弦の両端を六角レンチで固定してしまいます。ですので、あらかじめチューニングした上で六角レンチで固定し、僅かにチューニングが狂った場合は、ブリッジ側にある微調整のネジを使って調弦するという訳です。

 とはいえ、安い弦だと弦自体に巻きグセが付いてしまっているので、ロックした所でチューニングが狂いやすいという事も起きる訳です。特に、後年に入って新たなるロック式トレモロ・アームはスタインバーガーのトランストレムを除けばケーラーが有名ですが、ボディのザグリが大きくブリッジの台座も重くて大きく、ブリッジの駒にはガイドとなるローラーの溝に弦を沿わせるという物だったので、あまりに音程を低く落としてしまって弦の張力がピックアップの磁力に負けてピックアップに吸着された時の勢いで弦がローラーガイドから脱線してしまう様な事もあった物です(笑)。

 エイドリアン・ブリューは、フェンダーのムスタングにケーラーを付けていたりし乍らネック・ベンドまで見せて呉れていた物でしたが、日本人ギタリストでケーラー使用でパッと思い浮かべるのは元パール兄弟の窪田晴男氏を筆頭に挙げる事ができるかと思います。

 ケーラーのアーム・ダウンはフロイド・ローズと比べてリニアなカーブで落ちて行く様な感じです。フロイド・ローズはかなり急峻に崖を落ちるかの様にして、ある一定の部分を超えると急激に落ちて行き、弦の張力が磁力に負けてピックアップのポールピースに吸着するという状況を見る事になります。

 トレモロ・アームの構造やメーカーなど無関係にトランストレムを除けば、低音弦ほど音程の落差が大きく、高音弦は低音弦と比較すれば非常に緩やかである物です。

 斯様なトレモロ・アームの構造と実際の音程跳躍をあらためてお判りいただけたかと思いますが、本曲では6弦で「1オクターヴ+短七度」5弦で「1オクターヴ+短六度」位に落ちる様に奏されており、過程では通常のギターの音域を遥かに超えた低い音が明示されている箇所もあるので注意されたし。これは、弦の張力がピックアップの磁力に負けない辺りの所までアームで音程を落とした事に起因するもので、通常のチューニングでフレットを押弦して演奏される音では出ない音ですのであらためてご注意いただきたいと思います。

 前置きが長くなってしまいましたが、ギター・ソロ部分は大別して《トニック・マイナー部》《ドミナント部》という2小節ずつのコード進行として見立てる事が出来る物で、トニック・マイナー部は「Em9 -> G△7sus4」を2回繰り返し、ドミナント部では「Bm7 -> D7」を2回繰り返すという状況になっております。

 95小節目のギター・ソロ最初の3音はグリッサンドに依る32分3連から入ります。音価の構造としては16分音符のパルス1つ分の音価が3等分されたので32分3連となっている訳ですので、直後の6連符は16分の裏からの6連符であるという状況ですので注意されたし。

 冒頭の32分3連は複前打音の様に捉えても良いと思いますが、3フレットの幅をグリッサンドで落とし、直後にグリッサンドで上行させるという物なので何度も繰り返し弾いていると摩擦熱で弦に熱を帯びるかと思います。

 これにてチューニングが狂いやすくなる要因にもなるので注意が必要とされる演奏である訳ですが、特に上行を採っている際の ‘feel diatonic’ という注記には特段の注意を払って欲しい部分でありましてそれは、グリッサンドそのものが1フレットずつクロマティックな上行であるにせよそれが《ホ短調に基づくダイアトニックな流れ》を意識して欲しいという事なので、ホ短調に現れぬ音階外の音よりもダイアトニックな音をグリッサンド過程で聴こえさせる配慮が欲しい、という意味なのですね。

 つまり、音階外のフレットを滑らせる時はなるべく速く移動させる必要があるという事なのです。ヴァイオリンを同一弦だけでポルタメントで演奏する事もありますが、それと同様の物であるという事です。それくらい、大村憲司の本ギター・ソロ冒頭でのグリッサンドには《意味のある》音階を強く意識した演奏であるという事が能く判る物となっているのです。グリッサンドは日本語で《急滑奏》と書きますが、単に急ぐのではない、こうした配慮を利かせた演奏はあらためて感服頻りです。

 同小節3〜4拍目では [d] がタイで伸ばされ、その後32分音符で [cis - c] と下行を採るのが実に気の利いた《装飾》でありまして、単に [d] を伸ばしているだけではないのは要注意です。

 尚、同小節4拍目のコードは「G△7sus4」という風に和声的解釈としてコードを充てる事にしました。メジャー7thコードをsus4化させると、コードの第4・7音とで三全音を形成するので、実質的には他の音を根音とするドミナント7thコードの断片にも見られてしまうので、この場合 [fis・c] の三全音を包含する「D7」の断片の姿であるとも言える訳です。「♭Ⅶ7 on Ⅲ」=「D7(on G)」にも近い音であるという訳ですね。

 上記のコードが結局「D7」の断片に寄るというのは、後のコードでもお判りになろうかと思うので、それはあらためて語る事にします。


 96小節目のアーム・ダウンですが、この際 [e・h] の四度をセーハで押弦しつつ、左手の余った指を僅かに押弦するだけのタッピングで低い [ais] 音をアーム・ダウンに忍ばせていると思われ、この低い音は漸次アーム・ダウンが過程に行われ乍らも [ais - h - c] という風にクロマティックに上行する様に左手で弦をベンディングし乍らクロマティックを標榜して動いており、そうして [e] までアーミングで落とすという状況下での過程で高音部の [e・h] という四度音程は、高位側の弦が [g] にアーム・ダウンされる際に低位側の弦を同度へ収斂させる様にベンディングさせているとしか解釈できない状況となっております。

 要は、3本の弦の内の内声にある弦をアーム・ダウンによる音程の落差が起きている最中に、内声部の弦の音程の落差がなだらかになる様に弦をベンド・アップさせているという事です。


 97小節目でのコード進行は先述の通り《ドミナント部》と称した様に、Bm7が3拍、D7が1拍という状況になっており、このコード進行が再びもう1小節繰り返されるという状況であります。

 ホ短調のドミナントがムシカ・フィクタを採らずに(※「B7」と変化しない)ドミナント・マイナーを固守して(※これは旋法的な動きで史実的には20世紀に入ってからの短調の振る舞いのひとつ)、平行長調の側のドミナントである「D7」を映し出す状況になっているのは調的には皮肉な物であると言えます。調が蹂躙されている様な物です。

 同小節4拍目で生ずる「D7」は先行和音「Bm7」の根音が半音上がった事で生ずる「D7」であり、ベース音がない状況だからこそ明示される状況であり、この「D7」は後続にドミナント・モーションと為す訳でもない行き場のない佇立した「D7」でありますが、この箇所で「D7」を生ずる調的な誘いはドミナント・モーションを誘発させる様な状況ではない経過和音的なドミナント7thコードとなっている訳です。

 扨て、肝心のギターの方となると同小節4拍目の八分裏からは複前打音のゴーストノートのピッキングから [e] 音が奏されます。そうして98小節目の小節線を跨いだ瞬間に、右手に持つピックをフレットにあてがい、[e] 音を押弦していた指の直近のナット寄りにピックを押弦させた直後に押弦の役割をピックに任せ、ピックを指板にあてがったまま半音上下に滑らせているという解釈に至りました。

 通常の指の押弦によるスライドでは滑らかすぎるのと、過程の [e] 音が指の押弦のスライドだと長く現れる筈ですので、こうした多くの状況を勘案してピック・タッピングに依るスライドと解釈したという訳です。また、このピック・タッピングが2拍11連符という、5連符+6連符を均した様な拍節感の状況で装飾的に、中央に位置する [e] 音が好いアクセントとなっているのが絶妙です。

 尚、同小節4拍目の1拍5連符は単に16分音符に聴こえてしまうかもしれませんが、能々聴くと実はそれが5連符だという事が判ります。大村憲司の多彩な拍節感は本曲に留まらず、特に高橋ユキヒロのソロ・アルバム『音楽殺人』収録の「The Core of Eden」でのギター・ソロでも5連符や7連符を得意としていたプレイが光りますが、彼にとってこうした連符の取扱いは至って珍しくもない物なのでしょう。

 5連符やら7連符など、これらを単に音を充填して使うだけなら凡庸なギタリストでも行える訳ですが、大村憲司の凄いのはそれらをフルに充填させずにフレキシブルな拍節構造で取扱えてしまう所にあります。これこそが彼の独自の拍節構造とフレーズ感を生む事に貢献している訳ですが、過小評価されている様な嫌いがあり、もっと評価されて好いと私は思っております。


 98小節目4拍目での5連符の最後は小節線を跨いだハンマリング・オンから始まり、以降99小節目での1・2拍目での7連符にプリング・オフ+ハンマリング・オン……という風にトリルの様にして奏されるという訳です。

 尚、99小節目1拍目での7連符の6&7つ目のパルスでは微分音になっております。これは、楽譜上では本位記号より低く採られた変化記号で表されているものの、演奏面に於ては弦の張力を引っ張る方でないと、アーム・ダウンではない状況で微分音を奏する事は出来ないので、これは右手を使って左手押弦よりもナット部分となる弦の陰影分割側を引っ張って音高の揺さぶりをかけているのであろうと思われます。

 即ち、[h - c] という押弦によるトリルが続いていた状況で、この微分音の2音は押弦自体を少なくとも半音下がったポジションで押弦しつつ、その瞬間に右手で弦を引っ張っているのであろうと思われます。微分音の変化量としては八分音と四分音という風にかなりピッチが正確な微分音ですので、この辺りの曖昧さの無い演奏はあらためて凄いと思います。同時に、この様なトリルを初めてからのタイミングから推察した場合、チョーキングをし乍らのトリルというのは極めて難しいので、右手で弦をベンディングするという判断に至っております。何れにしても、非常に緻密な技を駆使しているのは確かであり、あらためて舌を巻いてしまいます。

 また、同小節2拍目7連符の最後の方では複後打音を介在させた表記にしておりますが、半音ずつ下行した急峻なグリッサンドという状況ですので、音価を特段意識する事なくグリッサンドの方に注力すれば概ね似た感じの演奏になろうかと思います。


 100小節目では長前打音的にハンマリング・オンから [a] 音へ進んでアーム・ダウンをさせている訳ですが、この [a] 音を奏している音とは別の弦で [cis - c] と32&16分音符という装飾的な音が介在します。これは左手のピッキングによるという解釈です。

 そうして同小節2拍目の逆付点で [a] 音へアームが戻っているという挙動であり、この100小節目のアーム・ダウンの動きこそが一般的なトレモロ・アームっぽさを感じさせる部分ではなかろうかと思います。無論、ロック式トレモロ・アームでなければ、落差の大きなアーム・ダウンの後にまともなチューニングを維持してくれずに、斯様なプレイを可能とはしてくれない事でありましょう。加えて同小節4拍目には四分音&八分音の音が明示的に表されておりますが、これはチョーキングを使って表しているのであろうと思われます。


 101小節目は下行する複短前打音から入るというのが要注意です。その直後にダブルクロマティックで [cis] に向かっている訳ですが、同時に低い [e] 音を弾いて、落差の大きいアーム・ダウンを繰り広げるというプレイになっています。曲中で最も落差の大きいアーミングですので非常に印象的な箇所となるでしょうが、アーミングの過程でハイポジションの方で [fis] 音を奏する事の出来る音を右手でタッピングを付与してアーミングを続行するという解釈で表しております。

 この落差の大きいアーム・ダウンの物理的な音高は、通常のギターの最低音を遥かに超越する程に音程を落としています。これ以上落とせば弦の張力がピックアップの磁力に負けてポールピースに吸着されてしまうでしょう。それ位の落差でアーム・ダウンを施している訳です。


 102小節目の頭は複短前打音的に [f - fis] というハンマリング・オンになっているのは要注意とすべき点です。ダイアトニック的に [fis] から四度で [h] へ跳躍している様に聴いてしまうかもしれませんが、[f] が介在しているが要注意なのです。

 その直後に、計4声(4本の弦)が明示的に表されておりますが、各音は僅かにチョーキングをするなり少々グロウルを意識しても良いかと思います。特に内声の2音 [d・e] 音は僅かに高めた方がグロウルとしての効果がより発揮されるかと思います。


 斯様にして大村憲司に依る微分音を駆使したギター・ソロを取り上げて参りましたが、たった8小節されど8小節。これほど表現力豊かなギター・ソロのには、作曲者である高橋幸宏も嘸し満足したのではなかろうかと思います。まさに「デュナーミク」の妙味が茲にあると思われ、私自身多くのギター・ソロに遭遇して参りましたが、五指に入るほどの素晴らしい名演の魅力の源泉はどこにあるのか!? という欲求に駆られ採譜した次第です。

 一定のテンポを保つシーケンサーではアゴーギグの妙味は得られませんが、それを補うどころか超越するデュナーミクの妙味。あらためて脱帽です。

共通テーマ:音楽