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シンセ・ベースとベース・シンセの代表曲 [ベース]

 今回は、シンセ・ベースが楽曲を彩っているタイプの好例となる代表曲をいくつか取り上げようという試みであるのですが、表題の「シンセ・ベース」と「ベース・シンセ」とはどう違う物なのか!? という所も多いに疑問を抱かれるかと思いますので、先ずはそちらから説明して行く事にします。


 結論から言って「シンセ・ベース」と「ベース・シンセ」の違いとは、前者の「シンセ・ベース」は鍵盤製もしくはオルガン・ペダル・タイプのシンセサイザーの事を指しており、後者の「ベース・シンセ」はエレキ・ベースの信号をエフェクト的に加工してリシンセシス(再合成)する類の物を指しているのです。

 この名称は私の主観によるものではなく、70年代以降音楽雑誌でも使い分けが為されていたと記憶します。ジノ・ヴァネリのアルバム『Brother To Brother』の頃の呼び方はそれほど統一が為されていなかった様に思いますが、YMOの海外ツアーで細野晴臣がローランドのG-88を使う様になってからはだいぶ様相が代わり、鍵盤を用いない方のそれを「ベース・シンセ」という風に明確化があったと記憶しております。

G-88B.jpg


 とはいえ、出版社で統一されていた様なものではなく、音楽ライターによっては使い分けずに「シンセ・ベース」と総称していたりする事もあったと思います。

 現在のベース専門誌がそれらを明確に区別しているかどうかは定かではありませんが、本記事では鍵盤タイプのシンセを用いる物を「シンセ・ベース」と呼び、他方エレキ・ベースの信号を加工および信号をトラッキングしてMIDI変換する物を「ベース・シンセ」と呼ぶ事にします。

 ローランドのGRシリーズがMIDI変換させる所まで発展して来ましたが、それほど大胆な進化を遂げているとは言い難く、ベース・シンセの世界はMIDIトラッキングの遅延よりも、信号そのものを加工してリシンセシスさせるタイプの方がまだ需要が多いのが実際であろうかと思います。

 ローランドはG-88、G33Bというベース・コントローラー(ベース筐体はフジゲン製)を用意しましたが、それから5年位経過すると、コントローラーのボディからネックにかけてトラッキング精度を高める為に振動を安定させる為にスタビライザーを付けて、世にも奇特なアヴァンギャルドな出で立ちとなったGR-77Bが登場する様になるという訳です。

 GR-77Bが凄かったのは、元のエレキ・ベースの信号音をMIDI信号に変換してしまう所でありました。ベロシティーは0 or 127で、音域は4オクターヴ強という物でしたが、ノートON/OFFだけでもMIDI変換させてしまうのは素晴らしい物でした。

 処で、ベース・シンセの方となると歴史的に最も活躍していたのはジノ・ヴァネリのアルバム群であろうかと思います。私が最も度肝を抜かれたのがアルバム『The Gist of Gemini』でありました。私は当時、本アルバムは緻密にエレキ・ベースとシンセ・ベースがユニゾンとなっていると推測していたのですが、リチャード・ベイカーによるシンセ・ベースにはアンプ音とライン音のミックスに依る物であろうという判断に最終的に至る事となりました。

 その後、ジノ・ヴァネリ作品群での「ベース・シンセ」は次作『A Pauper in Paradise』からなのではないかと私は思っております。そうして『Brother To Brother』の「Appaloosa」へと繋がって行く訳です。

 ベース・シンセの世界に於て当時はエレクトロ・ハーモニクス社(通称:エレハモ)のマイクロ・シンセサイザーの独壇場だったと思って間違いないでしょう。基本的にはエンベロープ・フィルター(オート・ワウ/タッチ・ワウ)にオクターバーやファズ回路を利用して偶数次倍音生成から新たに再変調させた信号を本信号をダッキングとして用いて再合成というのがざっくりとした特徴として述べる事が可能かと思います。

EHX_MicroSynthsizer.jpg


 下記の動画はエレハモの特徴が非常に能く表している物でありましょう。




 
 リシンセシスというのはそれほど難しい物ではないでしょう。信号そのものを過剰にブースト&クリッピングさせれば1/2・1/4倍の信号が得られますし、それと併せてファズ回路を応用する訳ですが、ファズ回路は通常奇数次倍音が優勢となる物です。もちろん偶数次倍音も随伴させる訳ですが、ベース・シンセの回路は偶数次倍音抽出に注力していると思われます。

 こうしたリシンセシスされた音に対してエンベロープ・フィルターとして通した上で、リシンセシスとしての《エフェクト処理》を施されていない信号音の有無、または回路側が適宜検知している内部スレッショルド値を元にゲートが作動する様にしてリシンセシス音のON/OFFを決定している様な動作でベース・シンセの音は決まるという訳です。

 後のMIDI変換が可能なそれよりも原始的なベース・シンセのそれは、トラッキングに伴う遅延を回避可能な点がメリットとなります。勿論、ベース・シンセのそれもファズ回路応用のそれが偶数次倍音抽出にエラーを起こして破綻する音や、リシンセシスのトリガーが破綻して発音そのものがエラーになる事も少なくはありませんが、MIDIトラッキング型よりも遅延は少ないのがメリットでもあります。

 MIDIトラッキングを仮に音声信号の波形の全周期を1サイクルでピッチ検出が可能とすると仮定しても、40Hzの信号でしたら全周期1サイクルで25ミリ秒が必要となる訳ですから、相当なタイムラグになります。どうにか偶数次倍音をも利用してタイムラグを少なくしようともするでしょうし、半周期で検出可能なアルゴリズムもメーカーによっては持っているかもしれません。

 ただそれとて、12.5ミリ秒に短縮させたとしてもタイムラグとしては結構長い訳であり、そこにMIDIメッセージとしてノートON情報を付随させるとすると、更に3バイトのメッセージを付与する必要があります。3バイトのMIDIメッセージ付与のそれだけで1ミリ秒程の遅延が加算され、果てにはベロシティやピッチベンドまで随伴させるとなれば、ピッチベンドのデータ長の14ビットを7ビット程度相当に均さないと情報量の多さにMIDIが飽和してしまいかねなかった事でしょう。

 無論、こうしたMIDI1.0の視野の範疇に於てですらもベースのオーディオ信号からMIDIに変換するというのはピッチベンド・データ量を間引いても遅延は相当な物であるという事がお判りいただけるのではないかと信じて已みません。

 現在ではMIDI2.0が視野に入るものの、MIDIトラッキングという部分ではなかなか向上しない側面であろうかと思います。そうした演奏上のデメリットの方が多くなる為、ベーシストの世界ではエレキ・ベースの演奏インタフェースを持ったまま外部シンセをMIDIで鳴らすという事が広まらない原因のひとつであろうとも思えます。

 翻って、ベース・サウンドの質として、サブハーモニック領域としてオクターヴ更に低い領域を補足するという音色面での追及は別な意味での「リシンセシス」という方面から重宝されており、元は音響面に於て低音を補足するという目的で作られた物が、ベースのサブハーモニック領域を更に拡大させる様なエフェクトも耳にする様になったという訳です。


Mr. Bassman / Johnny Cymbal



 実際にはシンセ・ベースでもベースでも無いのでありますが、ベースという音を人声での模倣によりコミカルに演じているそれは、ベースというパートに衆人の耳目を惹くという事だけで十分な価値があろうかと思います。これが後のアート・オブ・ノイズでの「Beat Box」にも繋がっているので決して看過する事は出来ません。


Beat Box / The Art of Noise



 トレヴァー・ホーン率いるZTTレーベルはフェアライトCMIを駆使して一世を風靡したのでありまして、超ビッグ・ヒットを攫っていたのはフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドでありました。然し乍ら、CMIを駆使して音響面で注目を集めていたのはプロパガンダやアート・オブ・ノイズでありました。

 トレヴァー・ホーンを始め、彼らのCMIを駆使したその凄さはMAフィールドの作業のフィードバックが大きく寄与しており、これは古くはトーキー音楽から積み上げて来た映像と音楽のリンクによって構築されて来た技術なのであり、こうした技術がサンプリングの収音、編集、合成、再ミキシング、ステレオパノラマ処理等、全てに於て技術が凝縮した音作りとなっていたのが最大の特徴であったと言えるでしょう。


Popcorn / Gershon Kingsley



 ガーション・キンズレーのムーグを用いたそれは、シンセ・ベースのみならず楽曲そのものがシンセを統御するものであるのでそうした面が音楽の歴史の上でも非常に重要で、後のホット・バターによる「Popcorn」も人気を博したものでした。


Chameleon / Herbie Hancock



 シンセサイザー黎明期に於ける「カメレオン」が知らしめた音楽界の功績は大きいでしょう。テンポがどんどん速くなって行ってしまうのは玉に瑕ではあるものの、それを無視しても余りある楽曲クオリティの高さは素晴らしい物があります。


Too High / Stevie Wonder



 ベースのフレージングとして特徴的なのは、七度と四度音を後打音的に使っているのが特徴です。即ち、短七度と完全四度が直後の拍頭に向けて十六分音符のパルス1つ分経過音として滑り込ませられているという訳です。フィルター・エンベロープのリリースを遅く採るレガート・ベースが功を奏しています。


Maybe Your Baby / Stevie Wonder



 本曲収録アルバム『Talking Book』はシンセ・ベースの好演を随所に耳にする事のできるアルバムですが、中でも本曲のコンプレッサーが深くかけられたレガート・ベースは絶妙で、トニー・レヴィンのチャップマン・スティックのフレージングや音作りにも影響を及ぼしているであろうと思われる程のお手本となるプレイが絶妙。

 装飾音だらけのプレイは、鍵盤をハモンド・オルガンでのグリッサンドの様にしてプレイしているのであろうと思われ、それがシンセ側のポルタメント設定で滑らかにする事で、独特のポルタメントとして音に現れるという物です。


Superstition / Stevie Wonder



 本曲のクラビネットはいかにもベースを担当している様に聴こえますが、実際はテナー部の副次的なベースなのであって、真のベースは更に低い方でエレキ・ベースで《異なるフレーズ》を奏でています。こうした異なる旋律は、クルセイダーズの「Ain't Gon' Change A Thang」も大いにインスパイアされたのではないかと思います。


I Feel Love / Donna Summer



 ジョルジオ・モロダーがムーグⅢcを使い、モーグ博士自身は想定していなかったステップ・シークエンスのクロックを、本体Ⅲcからのパルス信号でのシンセ音を録音後にそれを「パルス・クロック」としてパッチングさせて世界初のシーケンサー同期が可能になったという逸話が。
 

Love of My Life / Gino Vannelli



 ジェイ・グレイドンが参加している事もあり、なかなか凝った作りになっているアルバムですが、本曲のみならずベースはリチャード・ベイカーのサポートに依るシンセ・ベースであります。唯、シンセ・ベースはオン・マイクとラインの並列でアンプ音を感じ取る事ができます。


You Are A Winner / Earth, Wind & Fire



 細かなポルタメントが際立つシンセ・ベース。現今社会から本曲のシンセ・ベース音を対照させると、SH系のミャンミャン鳴く様なレゾナンスの効いた軽めの音が特徴的でもあります。

 本曲では前曲からの掛留となってベース音が浸潤してスネアのフィルが入り曲が開始されますが、フィリップ・ベイリーと思しき冒頭のラップは四分音ほど低くなる箇所があり、私は微分音的に耳にしています。


Earth (Still Our Only Home) / Jerry Goodman & Jan Hammer



 フェイク・ビートによるリフ形成の為、リフ冒頭の下主音を八分音符1つ分食って入るアウフタクト(弱起)として聴いてしまうので、先入観を払拭するには採譜して読譜した方が望ましいと思われます。

 シンセ・ベースの音としては貧弱な感は否めないものの、リフ形成のそれには一聴の価値があります。惜しむらくは、オリジナルよりもジェフ・ベックのライヴ・アルバム『ライヴ・ワイヤー』でのウィルバー・バスコムによるエレキ・ベースでのそれの方が知られているというのが悲哀なる点である事でしょうか。


The Robots / Kraftwerk



 ミニマリズムに基づいてアンヘミトニック(無半音五音音階)を駆使するという構造。これにより聴き手は「調性感」を強く意識する様になるのですが、頻々な転調を施して調性感の色彩が聴き手の調性感を蹂躙するという物。これにより多彩な変化が起こるという状況で、延々と反復の下で鳴らされるシンセ・ベースのオクターヴ・ユニゾン・フレーズが恐ろしい程に佇立感が際立ちます。YMOの「Behind The Mask」のイントロは、このベース・フレーズがヒントになっていると思われます。


The Kumquat Kids / Eddie Henderson



 少々下品なシンセ・ベースのフレーズですが、西洋音楽的に言えばディミニューションを効かせたフレーズと形容できるでしょう。エディ・ヘンダーソンのアウト・フレーズが非常に参考になりますが、本アルバムの同名タイトル曲である「Sunburst」ではオート・ワウのエレキ・ベースも聴く事が出来、マーカス・ミラーがプロデュースしたマイルスは相当参考にしたのではないかと思われます。


Ain't Gon' Change A Thang / The Crusaders



 シンセ・ベースではないのですが、ジョー・サンプルの弾くピアノ・ベース風のそれが、エレクトリック・ピアノの低音部で齎されるエレクトリックなそれと、ウィルトン・フェルダーによるピアノ・ベースとは異なるエレキ・ベースとの旋律が絡み合う素晴らしい楽曲なので取り上げざるを得ませんでした。ウィルトン・フェルダーのベースのピッチはジョー・サンプルより3セント位高いのが少々残念な所。白玉の所で顕著になります。


Poobli / Alphonse Mouzon



 本曲のウェルトン・ジット(Welton Gite)によるエレキ・ベースの音は、恐らくEventideのPS101を用いてステレオ感を演出してエンベロープをリトリガーさせてのフェイザー音であろうと思われるのですが、オートワウとも異なるその独特な固定感があるフェイザー音は後にキング・クリムゾンに参加するトニー・レヴィンがチャップマン・スティックでの音作りに相当影響を及ぼしたのではないかと思える物で、エレキ・ベースがどうにかシンセ・ベースに寄ろうとする萌芽を見る事のできる例であろうと思います。

 余談ですが、ステュ・ゴールドバーグのローズが非常に際立っており、こちらも参考にしたい名演です。更に、ウェルトン・ジットのおすすめのひとつがウィリー・ボボの「Palos」です。ウェルトン・ジットの使用ベースは恐らく音から察するにクレイマーのアルミ・ネックのDMZ-5000だと思われます。





Sartori in Tangier / King Crimson




 トニー・レヴィンのスティックのそれは、もはやシンセ・ベースに寄せようとせんとばかりの音作りで、シングル・タップ・ディレイにフィルターを通して中域を太らせた上で、LFOはリトリガーをさせずにPS101を噛ませているのではなかろうかと思います。


Appaloosa / Gino Vannelli



 上掲「アパルーサ」のベース音は、マイクロ・シンセサイザーと思しきベース・シンセ。ジミー・ハスリップ(ヘイスリップとも)がスラップを織り交ぜ乍らベース・シンセを巧みに操っていますが、本曲のフリジアン・スーパートニック(=♭Ⅱ△7)でレゾナンスを効かせるベース・シンセの音には和声的にも音質面でも注目せざるを得ないものです。

Absolute Ego Dance / Yellow Magic Orchestra



 YMO作品の中で私が最も好きなシンセ・ベースの音が本曲の音。低音の飽和感がオン・マイクの音をミックスさせ且つBusコンプを混ぜた様な力感が加わっている音で、アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』の中でも本曲のベースはオーソドックスであり乍ら太い音質で素晴らしい。

 例えば「Technopolis」だとイコライザー視点で捉えるとベースの中域の音が際立っており、「Rydeen」だとやや柔らかい音になる。「Behinde The Mask」のそれは「Absolute〜」のそれと比してフィルターがやや開き気味で、「Insomnia」だとLFOを固定またはLFOをリトリガーさせたフランジャーらしき音が掛かっており、「Solid State Survivor」は如何にも「Moog Ⅲc」のリング・モジュレーションをパッチングさせた様な変調が聴かれるので、オーソドックスかつ太い芯のあるシンセ・ベースの音となると、本曲に軍配が上がります。


1000 Knives / Yellow Magic Orchestra



 コントローラーとなるエレクトリック・ベース筐体のG-88とモジュラー側のGR-33BはYMOの海外ツアーで細野晴臣が使用したモデルであり、当時は試作段階だったのではなかろうかと思います。スティングレイ風の1PUとGRトラッキング用PUを搭載し、ベース本体はグレコ製。余談ではありますがローランドGR-300は今猶パット・メセニーが愛用するギター・シンセで言わずと知れた音です。


Mardi Gras / Gino Vannelli



 これぞ「ベース・シンセ」のリシンセシスされた音と言えるでしょう。現在のエレハモから出ている Bass Mono Synth に於ける ‘COSMIC’ モードなど、本曲「マルディ・グラ」や「Appaloosa」系統の音になると思います。





Wild Dog / Clarke Duke Project



 85年のライヴ・アンダー・ザ・スカイでスタンリー・クラークとラリー・グラハムという強力なベーシストに依るツイン・ベースで幕開けとなった曲。あの場にジョージ・デュークが居たらトンデモない状況に陥った事でしょう。それでなくともあの盛り上がりぶりは凄い物でした。

 スタンリー・クラークとラリー・グラハムのステージを終えて一汗かいた所で席に戻る私。場所は最前列やや上手(カミテ)側に友人等とあらためて盛り上がっていると、中央ややシモテ寄りの最前列にはプロモーターと思しき美人女性を携えたケニー・カークランドの姿があり「アレ!? ケニー・カークランドは今回のライヴのメンバーじゃなかったよね!?」と思い乍ら会場の雰囲気を存分に堪能しておりました。

 まあしかし、この日のライヴで私が最も目を奪われたのは、クルセイダーズのベースであるブラッド・ボボが6弦ベースを使用していたのですが、同じベースなのに《いつの間にかフレットレスになってる!》というのが驚きでしたねえ。マグネット式の指板を取り替えられる様にしてあったとの情報が後のベース・マガジンに掲載されていた物でしたが、まあ面食らいました。無関係なハナシですいません。


Star Cycle / Jeff Beck



 スタジオ・オリジナル録音はおそらくムーグⅢcのモジュラーをシーケンサー制御であろうと思われますが、シークエンス・フレーズとしてのベースに加えてミニムーグのオクターヴ・ユニゾンさせているベースを更に重ねているというのが特徴。このミニムーグのパートを後年の軽井沢ライヴではオーバーハイムMatrix-12とダグ・ウィンビッシュでありました。





Feet / Ronnie Foster



 エレキ・ベースとシンセ・ベースによるユニゾンは、その後の音楽シーンにも非常に重要なアンサンブルになったのは疑いの無い所でしょう。特にこうした八分音符の平滑なノリにシンセの微妙なデュレーションの変化によるADSRの変化が僅かなダイナミクスを生む事で、打ち込みとは異なる細かな音価のメリハリで新たなグルーヴが生まれるのがポイントで、これは後の「アーバン」化の提示ともなった事でしょう。


Light On My Life / Shakatak



 80年代のアーバン系のシンセ・ベースは概して音価の短いフレーズが持て囃されていた中で、レガートを活かした隠れた名作のひとつでありましょう。ベースはおそらくミニムーグ。


And The Melody Still Ringers On (A Night of Tunisia) / Chaka Khan



 ハービー・ハンコックの弾くクラヴィターは、最低音域を担当するエイブラハム・ラボリエルのスラップの上方にミドル・ベースとも呼ぶべきレガートの利いたフレージングにあらためて脱帽させられます。


Rodan / The Square



 ザ・スクェア時代の田中豊雪によるミニムーグのプレイが印象的。実際にライヴでもエレキ・ベースばかりではなくミニムーグを弾く事がありました。後年、渡辺香津美がスパイス・オブ・ライフにてビル・ブルーフォードとジェフ・バーリンを引き連れて来た時のライヴでバーリンはミニムーグを弾く事もあり(J.F.K.)、あらためてベーシストがミニムーグやらシンセ・ベースを併用する格好良さを確認したものです。キング・クリムゾンでのトニー・レヴィンが矢張りムーグ・ソースを併用していた事も同時に追懐。


Mistral / The Square



 こちらは田中豊雪のスラップに加えてミニムーグと思しきポルタメントのスイッチを入れてのレガート・ベースが加えられているアンサンブルとなっているもの。故和泉宏隆作曲であるものの、シンセ・ベースのパートを和泉宏隆か田中豊雪のどちらがオーバー・ダブとなっているのかは不明。


Das Testaments Des Mabuse / Propaganda



 プログレッシヴ・テクノの走りと呼ぶに相応しいトレヴァー・ホーンの関与が際立つ作品。おそらくベースはムーグⅢcのパッチング・モジュラーをシーケンサー制御でしょう。


Feel Like Makin' Love / George Benson



 ウィル・リーがベース・シンセを弾いているもので、本曲はおそらくG-88Bではないかと思われます。移調直前のブリッジにてグリッサンドのアップダウンがありますが、そこでは恐らくベース・シンセ音はカットしていると思われます。


Borderline / Madonna


 
 マドンナのデビュー1stアルバム収録の「Borderline」にアンソニー・ジャクソンが参加している人を知る人は少なかろうと思うのですが、本アルバムで最もヒットしたのが「Holiday」であったので「Borderline」は少々おとなしい扱いでありました。

 本アルバムのジャケットとドナルド・フェイゲンの『ナイトフライ』を部屋に飾るのはなかなか映えた物で、世紀に遺る程の姚しい容貌のマドンナは楽曲抜きにしても美術的な意味に於ても飾る価値のある写真ではなかろうかと思います。

 アンソニー・ジャクソンのベースとは雖もピック弾きのサウンドではなくベース・シンセを通されて処理された音となっているので、リー・リトナー以降のあの音を欲しがる人からすれば面食らってしまうかもしれません。唯、ベースのフレージングを聴くとそれがやはりアンソニー・ジャクソンだなという事を痛感させてくれる物であり、見事なフレージングを披露しています。


Find Out! / Stanley Clarke

 

 マドンナの「Papa Don’t Pleach」もDXベースとサムピングのサンプリング・ベースを混ぜた音色は有名ですが、音色面に於ては本曲や伊東たけしのアルバム『L7』に参加したフィリップ・セス率いるドッペルゲンガーが秀逸。

 本曲のDXベースの特徴は、デフォルト(ファクトリー・プリセット)のDXベースよりもデチューンが強いタイプの音色であり、ベロシティー変化を効かせた音色変化に富むキャラクターは備えつつも、デュレーションの短さでノイジーな成分を活かしているタイプのDXベース・サウンドであります。後に発売されるTX81ZやDX7Ⅱでは、こうしたデチューンの強いDXベースが流行った物でした。


Gone Hollywood / Bob James



 DXベースだけではなくTX816をふんだんに活かしたボブ・ジェームスのアルバム『Obsession』の作りは、DXブーム真っ只中にあってかなり耳目の欲を蒐めた作品だったと思います。何よりバランスの良いDXベースのそれは、デチューンがドギツくなく、ベロシティの微妙なタッチでDXのオペレータのアウトプット・レベルの細かな変化によって音色変化が見事であるという繊細なDXベースの良さが非常に良く現れていると思います。



Midnight Cocktail / Gazebo



 日本国内では松任谷由実の後押しもあって小林麻美がカヴァーする「雨音はショパンの調べ(I Like Chopin)」がスマッシュ・ヒットを遂げ、当時を知る人からすれば相当広く知れ渡ったガゼボの曲ですが、ガゼボの1stアルバムで私が最も好きなものが本曲であり、ミニムーグと思しきベース音のデュレーションも絶妙です。

 ベロシティーが効く筈はないのに、エンベロープのADSRカーブに於てアタックからディケイに転じる時のフィルターとラウドネスのカーブの違いに依ってディケイに移る絶妙なタイミングで離鍵のキーオフのタイミングが絶妙な訳です。

 鍵盤に於けるシンセ・ベースのグルーヴの絶妙さは意外にも、ベロシティーの効かないシンセでの方が離鍵の巧みさが顕著に現れるので私個人としては非常に好きな部分でもあります。尚、本曲の図太い音もアンプを通したオン・マイクとライン音のミックスである事が顕著な音であります。

ポールポジション / 今井美樹



 ミニ・ムーグ独特の太い音を全面に押し出していますが、白玉の時にフィルター・エンベロープのディケイを遅くさせつつピッチベンド・ホイールも操っていたりとかなり細かやかな操作で演奏をしているのが心憎い所。本曲がリリースされた時期はDXブームも過ぎてローランドD-50やコルグM1というデジタル・シンセ人気の変遷期であったのですが、DXブームが過ぎてアナログ・シンセ独特のフィルターの効いたサウンドを欲する様になって来たのも確か。そうした欲求がシンセ・ベース使用として表されているのでしょう。


Backstreet / David Sanborn



 マーカス・ミラーのスラップとシンセ・ベースのユニゾンのリフを基に、スラップを際立たせるという当時のマーカスが能くやっていた手法。音作りはレイ・バーダニの特色を生かしたアーバン・テイストなタッチが一役買っています。


Port of Call / David Sanborn



 マーカス・ミラーが得意とするスラップとシンセ・ベースのユニゾンのそれは、本曲が最も秀でた物であろうと個人的には信じて已まないのが本曲であります。ミックス具合、音色、適度に混ぜられるディメンションの音など、マーカスのスラップ・サウンドだけを取ってみてもレファレンスとすべき音です。


Industry / King Crimson



 トニー・レヴィンがムーグ・ソースを弾き乍らスティングレイでスラップを弾くという曲。スラップの方はオクターヴ下が出る様に綺麗なサブハーモニック・シンセサイザーが通されている様です。おそらくdbx製のサブハーモニック・シンセサイザーであろうかと思われます。現在でしたらWavesのLOAIRのプラグインで事足りますけれども。

 ディシプリン期のキング・クリムゾンにてロバート・フリップとエイドリアン・ブリュー御両人が使用していたのはトラッキング用ピックアップを使用ギターに取り付けてGR-300を制御。フリップ御大はレスポールに装着、ブリューはムスタング。ケーラーのアームが流行った時でもありました。日本人のケーラー愛用者は窪田晴男でしたか。

 後年のGR-700シリーズでのギター版であるGR-707は安全地帯の武沢豊も使用していたので、トンガったギターが印象に残っている方も多いかと思います。ベース・シンセからは話題が逸れてしまいましたが、ローランドのGR-700シリーズからはMIDI対応となったというのも大きな特徴でもありました。


Dirty Rice / John Scofield



 ジョージ・デュークがKORG M1をメインに引っ提げて参加する本曲でのシンセ・ベースは、ミュージックマン・スティングレイでスラップを奏するゲイリー・グレインジャーとのユニゾンが絶妙なアンサンブルを聴かせます。

 本曲のシンセ・ベース音は恐らくM1の矩形波を使ったベース音であろうと推察するのでありますが、M1の矩形波やオルガン・ベースはその後レゲエ方面やエレクトロニカ系統の方面でも重宝される様になり、それをヒントに、現今のEDM社会では倍音に自然七度が潤沢に含まれる類の音までもが使われる様に進化を遂げました。

 本アルバムは、前作『Blue Matter』のリズム隊(デニス・チェンバース、ゲイリー・グレインジャー)を引き継いでおり、特に前作収録「Make Me」がアルバム『Loud Jazz』がヒントとなったのではなかろうかと思います。


Funky Senetor / Jean-Paul Bourelly



 この綺麗なオクターヴ下のユニゾンもサブハーモニック・シンセサイザーによる物でしょう。サブハーモニック領域が活きる、実音の方のフレーズをやや高めに採ってグリッサンドを施しているのが実にお洒落なプレイであると言えるでしょう。


Deadbeat / Mint Royale



 ミレニアム期およびそれ以降の音楽で、シンセ・ベースのグルーヴが非常に好ましいのは、上掲ミント・ロワイヤルの「Deadbeat」がお勧めの曲となります。グルーヴの作り方が非常に巧みです。


Me Too / Meghan Trainor



 本曲は各拍強勢をリニアなポルタメントを施しているので、漸次滑らかに弱勢に置かれる八分音符裏の音へ微分音として滑らかに繋がる事となります。そのリニアなカーブから先行音とと後続音との間を平均化する中立音程を脳裡に映じ易くなります。

 つまる所、リニアなポルタメントを採る前後の音程間が半音であれば四分音を映じ、全音の場合だと半音を映ずる事となりますが、全音の場合は特に過程で滑らかに生ずる半音の両端が装飾音的な四分音をも生ずる様に聴こえるかもしれません。加えて、その音程が短三度であれば中立二度(150セント)の音程をイメージしやすくなるでありましょう。

 本曲はもうひとつ微分音的な観点で見過ごせない点があるのですが、それが楽曲のコンサート・ピッチであります。本曲をA=440Hzを対照させると若干ズレている様に感じられると思いますが、それは本曲が「7リミット」で採られている音楽であるからです。

 扨て、「7リミット」というのは上方自然倍音列の第7次倍音を基本に採るという意味であるので、それは「自然七度(しぜんしちど)」という事になります。平均律の短七度よりも約31.2セント程低い純正音程であるのですが、この「31.2セント」程低く採られてしまう状況をA=440Hzの世界基準に合わせようとしているので、コンサート・ピッチとなる基は31.2セントほど高く採られているのです。

 つまり本曲はA=448Hzで合わせる必要があるのです。A=448Hzとして俯瞰して捉えれば、他の音を総じて半音階を念頭に置くだけで楽曲を表す事が出来るので、A=440Hzを基準に7リミットとして解釈してまで他の音を7リミットに随伴する微分音を念頭に置くよりかは遥かにシンプル且つ合理的に解釈する事ができます。

 ですので、本曲はA=448Hzであるものの、狙いとしては7リミットが念頭に置かれているのだという隠された意図を捉えて然るべきでありましょう。7リミットを念頭に置けば、強勢に置かれるリニアなポルタメントのそれが単なるリニアなピッチ変化なのではなく、より微分音に注力して傾聴する事が可能となる訳です。微分音に慣れた人ほど、

 本曲の漸次ポルタメントを細かなアーティキュレーションとして解釈する事が出来る事でしょう。これまで紹介して来たシンセ・ベースでのポルタメントやレガート・ベースなどとは異なり非常に機械的ではあるものの、微分音として傾聴する事のできるソースのひとつです。メーガン・トレイナーの「Me Too」でのベース音は比較的オーソドックスな方ではあります。

 扨て、スタインバーグ社がVSTを規格制定以降を私は敢えて「近年」と呼ぶ事とさせていただきますが、デジタル黎明期にあったエイリアス・ノイズ対策やDCオフセット除去など格段に向上して来ました。

 矩形波ひとつを挙げるにしてもウェーブレット変換やシグマ近似などのアルゴリズムが強化されたのか、ファンダメンタル領域で生ずるノイズが非常に少なくなり、クリアなシンセサイズとして音作りにも格段の進歩を遂げた様に思われます。

 中でも先鋒的だったのがNative Instruments社であったと思いますが、飛び道具的にも非常に効果的な成果を上げたと思います。斯様な内部設計が進歩した事により、倍音形成が多様化した音が使われて行く様に変化してそれがEDMへと推移する様になって行く事となります。 

 EDMという音楽は、ハーモニー全体を俯瞰して見れば構造自体はそれほど複雑ではなく、それに随伴するフレーズも決して複雑怪奇な物ではなくシンプルな物が多いのですが、樂音に用いられているシンセ音の部分音組成を見ると、複雑な倍音構成によって構築されていたりする物が増加しました。特に奇数次倍音が矩形波を生むという事もあり、矩形波のクリアさが影響しているのであろうと思われます。

 アコースティック・ピアノや電子オルガンなどは自然七度がなるべく出ない様に設計されて来た「音楽社会」の中で、アナログ・シンセサイザーからデジタル・シンセサイザーへと変遷を辿り、パソコンの中で完結するシステム内部で「プラグイン化」されて来たデジタル技術が、その倍音生成の豊かさに伴い自然七度への受容が俄かに高まっている様に変化している様に私は感じる事があります。

 使用者の多くはその自然七度の包含を明示的に自覚などせぬままに使用しているのでありましょうが、奇数次倍音が齎す「7次倍音」=自然七度の音響的作用は知らず識らずの内に人々の間に浸透している様に思えるのは、EDMなどの音楽ジャンルに用いられる音色のそれに多く含まれる様になったと痛感するからです。ヒップホップ然り。

 それを微分音という事も知らずに使っている人達も少なくはないでしょう。それを自覚しない事を咎める訳でもなく、自然に新たなる音楽社会に根付こうとしている変遷期を私は単に俯瞰しているだけであり、音楽の新たなる進化を見ている様な気分にさせてくれるのは音楽に携わっている立場として非常に微笑ましいと思える物です。

 その微笑ましさには100年ほど前のドビュッシーにもあらためて通ずる物があると感ずるのでありますが、ドビュッシーが作った「全音音階(=ホールトーン・スケール)」というのは今でこそドミナントの箇所で平然と使われたりする事が多いものですが、ドビュッシーの意図というのはドミナント限定など毛頭考えておらず、寧ろ音階の一部が全音階(ダイアトニック・スケール)の抜粋であるにも拘らず、いつの間にかそれが《異なる音律》へと吸着される様な世界観を表現する為に用いたのであります。

 即ち、半音階が12EDO(Equal Division of Octave)であるならば全音音階は6EDOという音律の世界観へと、ダイアトニックな全音階の断片がいつしかモーフィングされる様に吸着されて行くという事の喩えでもあります。

 こうした《音響的エフェクト》をドビュッシーは、当時のパリ万博でガムランに触れた事でそうした音響的な側面を西洋音楽に於ける音楽語法の中で「全音音階」を形成させてみたという訳であります。

 その後、全音音階がドミナントの箇所で使用される事が多くなったという背景は、属和音の変位音に伴う性格に大きく影響しているからなのであり、全音音階がドミナントの箇所で多用されるのはほんの一部の用例でしかない訳です。

 属和音というドミナントの機能が強化されるのは、上方倍音列の並びとⅤ度の位置に存立する状況が重なり合う事で強化されるからであります。

 属和音の変位音は先ず、和音の第5音が増音程 or 減音程と変じる事に依って得られる物です。例えば [g・h・d・f] という構成音があったしたら、そこでの変位音は次の様に、

[g・h・des・f]
[g・h・dis・f]

という2種類の状況を得る事になります。前者は「G7(-5)」となる硬減七の和音、後者は「G7aug」となる増七の和音(オーギュメンテッド・ドミナント)であります。

 これらの和音から七度音を用いずに [g・h・des・dis] として使った場合、[g] を根音とする属和音の性格は失い別の和音を映じてしまいかねない物となってしまいますが(※異名同音で処理すれば実質的に「E♭7aug」の性格が強まる)、元々あった七度音を充填させると、

[g・h・des・dis・f]

という5和音という状況が実質的に「G7aug(♯11)」という状況として再び [g] を根音とする属和音の地位が蘇るのであります。

 加えて、そこに新たなる長九度音という自然倍音列由来の音(第9次倍音=属音上の五度)を加えると、

[g・h・des・dis・f・a]

として、コード表記としては「G9aug(♯11)」という状況を生む事になります。


 結果的に [g・h・des・dis・f・a] という構成音が全音音階を生じている事で、全音音階がドミナントで強く意識される事が多くなるのは、属和音の第5音の変位音を複合的に用いた事の結果であるに過ぎず、こればかりに収斂してしまうのはドビュッシーの企図した物とはまるっきり別物なのであります。

 現在では、西洋音楽の枠を飛び越えて、属七の和音は「Ⅴ度」以外の位置で聴く事も珍しくはなく、ブルースやジャズの発展と普及に依り、属七和音はもはや《音響的》な使われ方もある訳です。そうして自然七度や自然十一度がより一層楽音の材料音として使用される事の変遷をシンセサイザーが後押ししているのではないかと私は結論付けたい訳であります。

 音律の歴史として、自然七度を積極的に組み入れようとする動きは31等分平均律が中全音律との折衷を企図して設計された事もありました。一方で、ピアノが打弦時に第7〜9次倍音が極力抑えられる様に設計されている訳でもあり、ピアノに慣れ親しむ者が自然七度への欲求を高めるのは些か撞着するかの様に思えてしまいますが、これは工業的な問題に人間が強制されてしまっているだけなので、自然七度への欲求は自然発生的にも起こり得るのではないかと推察するのであります。

 第7次倍音を《新たなる基音》とするならば、自然七度上の第3次倍音は [7×3] で第21次倍音を結果的に捉える事になり、同様にして自然七度上の第5次倍音は [7×5] で第35次倍音を捉える事になります。

 斯様にして、7リミットという脈絡から新たなる音を見つけて、楽音の音響的な成分はおろかアンサンブルに於ける新たな《材料音》=全音階として発展を遂げるのではなかろうかとも推察するのであります。

 ベースという低音域の音は得てして倍音を多く含みます。低音域の聽覚上でのラウドネス感が増大する事により、基音が圧倒的に優勢であるが故に高次倍音の随伴を許容し得る楽音でもあります。無論、過剰な高次倍音の随伴も忌避される物でもありますが、EDM方面でも低音に随伴する《新たなる倍音》として従来の方法論とは異なる音響生成を聴き手が許容する程には既に醸成されている状況にあるのは認めるべきでありましょう。

 ベース音が単旋律であるからとか、和音を奏しないという様な理由で軽んじて取扱うのは危険であろうかと思われます。そういう意味で、シンセ・ベースという物にあらためて注目してもらいたいと願わんばかりです。

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