SSブログ

ミック・カーンの微分音演奏表記に伴う諸問題 [楽理]

 茲最近は書評に伴う微分音の話題もあった事に伴いまして、今回はJAPANのベーシスト、ミック・カーン(Mick Karn)の演奏例について語る事に。


続きを読む


小方厚著『音律と音階の科学』新装版(講談社ブルーバックス)を読んで [楽理]

 音楽書関連の大半は隈なく目を通す私ですが意外にもこうした新書界隈は行き届かない物です。否、この経験があったからこそ今では新書界隈にも目を光らせる様に心掛ける様になったのは小方厚著『音律と音階の科学』の存在があったからこそとも言えるのでありまして、今回〈新装版〉が刊行される事を知ったのもSYZYGYSの冷水ひとみさんがTwitterにて紹介ツイートをしておられた事できっかけとなったのでありました。
OGATA002.jpg



続きを読む


金曜★ロンドンハーツと欽ちゃんの仮装大賞にみる微分音《音効》考察 [楽理]

 今回は話題を変えて《音効》という方面の話題を語る事に。「音効」=SE というのは映画・映像放送・演劇などの界隈では能く用いられる言葉で、「音響効果」という仕事を示す事でありますが、辞書に載る様な語句と言えるまでは瀰漫していないのではないかと思います。ハリウッドでもこうした音効の仕事は専門業として存在しますし、元を辿ればトーキー音楽、歌劇に遡る事が出来るのではないかと思います。


続きを読む


杉本拓著『楽譜と解説』を読んで [書評]

 私のブログは茲の処、音楽書関連書評の話題が続いているのでありますが、今回取り上げる音楽書〈杉本拓著『楽譜と解説』〉を取り上げたいが故の事だったのです。これまでの書評に関して私が述べていた脚注と出典の重要性やらシカゴ・スタイルが好みではないというそれも、今回取り上げる書籍の脚注の類が概ね愉しく読む事のできる物ではないかと思い、刊行順としては先行のそれらと前後してしまうのでありますが、敢えてこうして紹介したかった訳です。脚注のタイプとしては、章末毎に脚注を充てられる物ですので近年の音楽書で例えるならば、ヤニス・クセナキス著 野々村禎彦監訳 富永星訳『形式化された音楽』を挙げる事が出来ます。  

 あらためて本の脚注・訳注の重要さという物を思い知る事が出来るのが『形式化された音楽』でありましょうが、本文が巧くテーマが別けられていると、文章のコントラストはより一層明瞭になり深く理解が出来る物です。それにひきかえ、フィリップ・ボール著『音楽の科学』という物を振り返ると、その圧倒的な文章量とは裏腹にテーマ別けは不明瞭で散文化しており、読む事に骨の折れる類の一冊である事は疑いの無い所でありましょう。それでも杉本氏は『音楽の科学』に興味を抱いている事を跋文にて告白しておりますので、骨折りを厭わないという事も同時に謂わんとする物なのかもしれません。


Score_Kaisets.jpg




続きを読む


木石岳 著『やさしい現代音楽の作曲法』を読んで [書評]

 政治学、社会学、音楽学などの界隈では「近代・現代」というキーワードは頻繁に使われる物ではありますが、それらが表わす言葉が明確に統一が図られて呼ばれている物ではありません。研究分野それぞれに各様の別けられる年代はあるとは思いますが一義的な解釈という風にはなっていない物でありますし、それらをひっくるめて「近現代」などと呼ばれる事も珍しくはありません。

 また、最近では特に為政者に依る欺瞞政治・公文書改竄・奸計企図が跋扈する政権下でありますから、それこそ一般の書店では戦後史にまつわる本が結構なスペースを割いて陳列されている事など珍しくありません。そういう息苦しい世の中にあって果して「現代音楽」とやらはどういう風に現今社会を生き抜いて来ているのか!? という事をあらためて現今世代の視点で語られるであろうという期待感から、今回の記事は『はじめての〈脱〉音楽 やさしい現代音楽の作曲法』の書評とする事にした訳であります。
GENON001.jpg


続きを読む