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ドミナント・シャープナインス(♯9th)とポリコードの関係 [楽理]

 ドミナント7thコードに増九度(=♯9th)が付与されたコードを「ドミナント・シャープナインス」コードと呼びますが、通俗的に知られているのはジミ・ヘンドリックスの「Purple Haze(紫の煙)」での物です。

 これ以降、本稿ではドミナント・シャープナインスの事を単に「シャープナインス」と呼ぶ事にしますが、「紫の煙」でのシャープナインスはドミナントの箇所で使っているのではなくトニックとして用いている訳ですね。決して「Ⅴ度の位置」に現れるドミナント7thコードとして使っているのではありません。

 端的に言うと「紫の煙」は《同位和音》という括り方として使われるシャープナインスです。この同位和音とは複調を孕んでいる状況を指しており、同時に《同主調それぞれの同度の和音による併存》という事を意味しています。

 同位和音については坂本龍一が師事した松本民之助の著書『作曲技法』にて詳らかにされておりますが、この同位和音をもっと有名な所に置き換えるとバルトークに行き着きます。

 同主調の同度の和音が併存しているのですから、ハ長調の主和音とハ短調の主和音を併存させてみればお判りになる事でしょう。[ド・ミ・ソ] と [ド・ミ♭・ソ] が併存し合う事により、[ド・ソ] はコモン・トーンである訳ですから、必然的に [ド・ミ・ミ♭・ソ] という和音構成音の状況となっているという訳です。

 ドミナント7thコードをⅤ度の和音としてではなく、ブルースならばミクソリディアン・モードでメジャー・ブルース感を出す事もあれば、もっとマイナー感を出す為に、ミクソリディアン・モードでのⅢ度(本来は導音)を下主音化させて「♭Ⅲ度」に変化させてマイナー・ブルースを強調するというシーンも出て来るでありましょう。

 即ち、「紫の煙」はメジャー・ブルースとマイナー・ブルースの混淆に伴う複調の要素を孕んだ状況であると言えるのですが、《長・短それぞれの三度音が同居する》という風にして使われているのが実情であると言えるでしょう。

 つまり、そこで長三度音と併存する「短三度」音というのは、コード表記の仕来りの上では「○7(♯9)」という増九度と示されるものの、実質的には「♭10th」だという事です。これについてはデイヴ・スチュワートも指摘している所であります。

 シャープナインスが複調を喚起するコードであるという事に加え、複調という状況であるポリコードの例を挙げるとすると、次のジョン・パティトゥッチの「Baja Bajo」冒頭のドラム・フィルイン直後のトゥッティで奏される「G7/Cm/C△」という状況のポリコードを外す訳にはいかないでしょう。







 同主調それぞれの主和音による同位和音に加えて属七を鳴らしているという訳です。[c] 音から見れば長七度相当の [h] があり、♭10th相当の [es] と♮3rd相当の [e] および本位十一度相当の [f] もあるという状況です。

 和声的な構造としては [h・f] というトライトーンを持つ事で「G某し on C」という風な解釈にして「G7(♭13)on C」としても良いとは思いますが(主音上の属和音という解釈でも正当)、それだと複調の要素を読み取りにくくさせてしまうかと思ったので、私はポリコード表記で書いているのです。

 シャープナインス・コードが「ドミナント然」としたⅤ度の位置で使われる類の楽曲を例示すると、次のジェフ・ベックの「Ecstasy」は顕著な例と言えるでしょう。




 もう1曲、ドミナント然としたⅤ度でのシャープナインスで紹介しておきたいのは、マンハッタン・トランスファーの「Twilight Zone / Twilight Tone(邦題:トワイライト・ゾーン)」の埋め込み当該箇所と言えるでしょう。デヴィッド・ハンゲイトに依るダブル・ストップも非常に際立っている部分です。





 とはいえ、私が人生で一番最初に耳にしたシャープナインスは恐らくブラッド・スウェット&ティアーズ(BS&T)の「Spinning Wheel」かもしれません。本曲2度目のブリッジはクォータル(=四度和音)なので楽曲冒頭とは異なります。




 次の例はシャープナインスに「♭13th」が付与され、「♯9th」が線的に「♭9th」として、コード表記としては「alt」表記という風にして簡略化される事もある類の動きが、ドナルド・フェイゲンの「愛しのマキシン」の埋め込み当該部分です。







 次に挙げる大村憲司のソロ・アルバム『外人天国』収録の「The Man in White」の埋め込み当該部分の2つ目のコードは、シャープナインスに「♯11th」が付与されるという物です。コード表記そのものは「B♭7(♯9)」で済むものの、メロディーのギター・リードが [e] 音を奏しているので、全体の和声的状況が「B♭7(♯9、♯11)」という事になるという物です。美しい響きです。

 この「B♭7(♯9、♯11)」というコードは「♮3rd・♭7th」という三全音に加え「根音・♯11th」という2組目の三全音を有しますが、それぞれの三全音が転回位置で全音を隔てているという状況である事を念頭に置いて下さい。




 扨て、シャープナインスに付与されるテンション・ノートで「♮13th」をあまり見た事が無いと感ずる方は、ジャズに心得のある方ならば多いと思うのですが、これは「♯9th・♮13th」で新たな三全音を包含し、しかもそれが元の三全音「♮3rd・♭7th」と転回位置にて《半音でぶつかる》事で、ドミナント要素よりも複調の状況をジャズの和声的溷濁著しい社会でもそれを薄々感ずるが故に避ける傾向にあるのだろうと思われます。

 とはいえ、シャープナインスというコード単体でも複調的状況を喚起するのですが、三全音が新たな組み合わせを生じ(この時点ではまだ好い)、それらが半音でぶつかるという状況になると、半音忒いのドミナント7thコードがポリコードになっている様な、それこそストラヴィンスキー的な状況となる世界観の方が近しくなろうかと思います。


 シャープナインスの核心に触れて行こうと思いますが、所謂ジャズ・ヴォイシングに能く見受けられるシャープナインスのコードの響きの多くは、ヴォイシングの構造的には《♮3rd音が♯9th音よりも低位にある》事の方が是とされる事が殆どなのでありますが、これは概して陥穽に嵌りかねない事となるので注意が必要な所であります。

 増九度よりも長三度音が上位に来る状況をシャープナインスというコード表記の中でのヴォイシングを探って見ると、それら2音が短二度でぶつかっているか、短九度を形成している状況である可能性がありますが、短二度でぶつかっている時というのは長三度音と増九度音が長七度を形成している状況の次に許容できるヴォイシングであろうかとは思います。

 但し、短九度を形成している場合だと《シャープナインスの響きを阻碍している》と言わんばかりの用法に収まってしまう訳ですが、こうした状況はもしかすると、シャープナインスという枠組みすら超えた使い方の可能性すら秘めているにも拘らず、そうした状況を総じて否定しまうのが好ましくないと私は指摘したいのであります。

 奇しくも、米津玄師の「KICKBACK」がリリースされた時、コード表記的には「シャープナインス」という形に収まろうとも、実際には「A♭△/G♯m」の同位和音であります。

《あなたのその 胸の中》の「ねの」の部分です。




 私は本曲の市販楽譜を目にした事が無いので、市販の楽譜がどういう解釈をしているかは判りませんし、作曲者・編曲者当人達の意図も全く判りません。まあしかし、市販の楽譜が解釈するのは概して「シャープナインス」という解釈だろうなと私は思っております。

 仮に当人達が「シャープナインス」の意図として使っていたとしても、内声に「♭10th」に等しい音を配するという事は、当該箇所が強烈な不協和を生む事に疑いの余地はなく、また、その強烈な不協和という姿こそがドミナント機能をより一層際立たせる事に貢献する事は確かなのです。

 加えて、ジェフ・ベックのアルバム『There And Back』収録の「El Becko」の埋め込み当該箇所(譜例動画10小節目)も、コード表記こそ「F♯7(♯9、♯11)」でありますが、この「♯9th」が本当にシャープナインスを想定しているのかどうかは、アンソニー・ハイマス本人にしか判らない事でありましょう。但し、内声に「♯9th」相当の音があるのは間違いありません。







 場合によっては、アンソニー・ハイマスは「F♯△/A△(on F♯)」という風に、短三度/長六度忒いとなる長三和音同士のポリコードで、上声部ポリコードの根音をさらに低音で重複させている意図があるのかもしれませんし、それを我々は偶々「F♯7(♯9、♯11)」と捉えているだけに過ぎないのかもしれません。

 何れにしても、米津玄師の「KICKBACK」とジェフ・ベックの「El Becko」のそれらは、私には《心地良い異和》という風に耳にする事ができる物です。然し乍ら、単なる手垢の付きまくった卑近なシャープナインスの用法しか耳慣れぬ者が聴けば、それは単に「違和感」にしか聴こえないのかもしれません。

 唯、これだけは言えます。シャープナインスだけの響きしか知らない耳が醸成する事すらも無いという事を。


 抑も、シャープナインスの「♯9th」音相当の音が内声にある状況を叛いてしまう事が何故危険なのか!? という事を理解していないが故に、響きが安寧な方を選択してしまう訳ですが、その危険性の本質とやらを「E7(♯9)」というコードを例に語って行く事としましょう。

 下記に例示する譜例は、左側のコードが「E7(♯9)」であり、右側が「E△/G△」であります。この右側のコードはポリコードの1種であり、上下にそれぞれ長三和音が「短三度/長六度」忒いで併存している物でもあります。

DominantSharpNinth_Elektra.jpg


 実は、上掲の和音はそれぞれ、異名同音を前提にすると、ピアノの鍵盤上およびギターの指板上では実質的に同じ箇所を弾く和音の構成音を移置しただけの物です。その「移置」とは、

●シャープナインスの増九度音を異名同音変換させ最低音へ移置
●シャープナインスの基底部(根音・第3音)をオクターヴ上へ移置

という状況でありまして、こうして異名同音変換&オクターヴ移置させて周到に形成したこのポリコードの名は「エレクトラ和音」という名前が付いており、リヒャルト・シュトラウスが「エレクトラ」で用いた和音として知られている物なのです。

 つまり、ジミヘンの「紫の煙」も、最高音と最低音を入れ替えて異名同音に変換すれば「エレクトラ・コード」に変貌するという訳でもあります。

 茲で重要なのは、シャープナインスの増九度を低位に配した時、和音構成音間で生ずる重力は、それぞれが形成する長三和音の重力圏へ収まる様にして響く物だと思ってもらえれば一層判りやすいでありましょう。

 実際そうして、音の重力は別の状況として生ずる事となり、これにて「ポリコード」が成立する訳です。シャープナインスの増九度音を上下に倒置するだけで、斯様な複調の喚起が起こるという訳です。

 ジャズ/ポピュラー音楽の事を熟知するあまりに、西洋音楽をナメてかかる者は決して少なくありません。処がジャズですらエレクトラ和音への喚起すら覚束ない様なのが沢山あるのに、何故かジャズというのは理論的な部分でやたらと礼賛される向きがあるのですが、西洋音楽にあまりにも無知である事が、彼らの臆面も無い姿勢を強化してしまうのでありましょう。

 そんな彼等の言が体良く賛同されやすい状況だったり声が大きかったりすると、彼等の手前勝手な臆断の方が西洋音楽の体系をも遥かに超越してしまい力を持つかの様に振舞えてしまうのですから滑稽です。

 余談ではありますが、エレクトラ和音としての用法でポピュラー音楽に於て顕著な例を挙げるとすると、ジノ・ヴァネリの「Brother To Brother」やUKの「Danger Money」になるでしょう。










 尚、「Danger Money」楽曲冒頭でのエレクトラ・コードは「C♯△/E△」ですのでご注意を(※嬰ハ短調主和音のピカルディー3度とホ長調主和音)

 あらためて、複調の世界観とは和音構成音が同一であろうとも、配列が変わるだけで内含される調の優勢度がまるっきり変化するという事をお判りいただけたかと思います。

 シャープナインスというコードが持つ響きのそれが元々は音楽的な長・短の世界の両義的な側面を持つ物から、ほんの少し変化を作るだけで世界観がまるっきり異なる状況を喚起する訳ですから非常に興味深い側面であろうかと思います。


 ポリコードとは、ヘンリー・カウエルが提唱した ‘Polyharmony’ が元となっている物で、長三和音 [ド・ミ・ソ]と随伴する上方倍音列に随伴する様にして、[ミ] に随伴する第5次倍音上の長三和音および [ソ] に随伴する第3次倍音上の長三和音を生むという因果関係を生ずるとしたのが最初です。勿論、第3次倍音上に随伴させるならば、それは主和音上の属和音という事をも意味しているのであります。

Cowell_Polyharmony.jpg


 カウエルが示した譜例のそれ(’New Musical Resources’ p.25)は、最低音 [c] が上方倍音列の [2] だと読み取れば、ヘ音記号の次点で低い [g] は [6] を示すのであり、順に、

[e] は [10]
[gis] は [13]
[h] は [15]
[d] は [18](茲からト音記号)
[g] は [24]
[h] は [30]

を示しているという事をも読み取らねばなりません。

 そうして第5次倍音上に随伴する長三和音というのは、元の長三和音が「C△」であるならば「E△」を生む状況ともなり、この第5次倍音上に現れるそれは後に「5リミット」という風にも解釈を広める事となるのです。

 元を辿れば、ヘンリー・カウエルのポリコード論はハインリヒ・シェンカーによる倍音列との因果関係を包摂する形でポリコードを提唱したと思われるのでありますが、そうした多くの説に依拠する事がなくとも、主音から数えてⅤ度の位置にある和音が上方倍音列を強化する様に耳にするのは既に知られていた事であり、これにて「3リミット」の世界観は音楽的に補完されていた訳でもありますね。

 その後、ポリコードが広く知られる様になるのが第二次大戦後を迎えてのパーシケッティの著書『20世紀の和声法』であり、国内刊行物としてのそれは1963年に水野久一郎の訳によって刊行される事となる訳です。その第7章【ポリコード】に於て、パーシケッティは次の様に、

〈ポリコードは異なった和声領域に属する2個以上の和音の同時的な組合せ〉

という風に述べております。

 無論、あらためて重要な理解は《異なった和声領域》という点が重要なのであり、単にダイアトニック・コードで生ずるテンション領域の上音に存在する「アッパー・ストラクチャー」や「ハイブリッド・コード」というのはポリコードではない訳です。

 無論、Gミクソリディアン・モードでの「G△」とFミクソリディアン・モードの「F△」のそれぞれをポリコードとして併存させても、線的に全くの配慮がなく単に和声的に白玉で奏してしまえば、ハ長調の調域でダイアトニックで生ずる属和音と下属和音のハイブリッド状態とのコモン・トーンでもある訳ですので、これらの違いを決定付けるには、複数の調域としてのフレージングが必要となる訳です。つまり《複調》です。

 上掲のどちらの和音に対しても同一のモードで対処してしまえば、それは同一のモード内でのハイブリッド・コードに過ぎないという訳です。これらの理解はとても重要ですので、あらためて念頭に置いていただきたい点であります。

 話題が横道にそれましたが、原調に加え、そこに5リミットという音楽観が生ずる事になれば和声観は更に拡大する事となるのです。まあ、特段20世紀を引き合いに出さずともショパンの「軍隊ポロネーズ」はイ長調であるものの、途中に「A7→F7」という転調感を誘う様な部分がありまして、こうした状況を垂直レベルに「俯瞰」して捉えた時、和声的な複調の世界観が強化されて行く萌芽として確認する事が出来るのであろうなとも思えます。




 余談ではありますが、私がシャープナインスの響きで最も好きな用例のひとつが、YMOの坂本龍一作曲に依る「Castalia」の埋め込み当該部分であります。Ⅴ度の位置で聴かせる類ではないのはお判りであろうかと思います。「紫の煙」と同様ではありますが、用法としてはクインシー・ジョーンズの「Ironside」や坂本龍一作曲による「Elastic Dummy」に近しくなって来ます。この辺については何れ別の機会で詳悉に語る必要があるでしょう。




 最後に、《シャープナインスの根音を省略した時、その和音はどうなるか!?》と問うた場合、それは「ディミニッシュ・メジャー・セブンス」(dimM7, dim△7, dimMaj7 etc.)というコードになります。使い方の巧みな方は、dim△7の方を使い乍らうっすらと複調を喚起させます。dimM7については、ブログ内検索をかけていただければ当該記事を引っ張って来れますので、そちらも併せてご参照いただければと思います。

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