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何某かの歴時に当て嵌まる装飾音の一例 [ドラム]

 扨て今回は、1994年発売のスウィング・アウト・シスター(以下SOS)のアルバム『The Living Return』に収録される「Low Down Dirty Business」という楽曲を例に、表題に見られる《装飾音》やそれに付随する話題を語って行く事に。 94年は多くの音楽ジャンルでアナクロニズムがトレンドとなっており、オーソドックスな全体像の中でフィルターを効かせた音作りやサチュレーションでオーソドックスな全体像に乙張りを付ける様にするのが好まれた時代。あからさまな深いリバーブが極力避けられているのも特徴のひとつと言えるかもしれません。

 リバーブについては近い内に《残響》をテーマにする時に詳らかにする予定ではありますが、アナクロニズムへの変遷で大きく変化したのがドラムのリバーブ付与です。それまでは、デジタル・リバーブの威光を存分に受けたプリディレイも採らず、ローカットも少ない《潤沢な》リバーブ付与が当然の様に罷り通っていたのですが、80年代も終わりに差し掛かる頃になると、ドラム・サウンドは徐々に変化が訪れる様になっていった様な記憶があります。

 例えばジョン・パティトゥッチの1stソロ・アルバムは1987年リリースでありますが、アルバムに参加するデイヴ・ウェックルやヴィニー・カリウタの音は注目すべき音でありました。

 これらのドラム・サウンドは今聴けば《深めのリバーブ》が付与されてはいるものの、当時はこれでもかなりデッドな残響であり、ドラムそのものの音が余分なリバーブで音質が劇的に変化しない事も手伝ってドラム本来の音が際立つ様に変化していったという訳です。















 そうした過程を経て94年という年はドラム・サウンドに於いて非常に興味深いアルバムが登場し、またそれらはドラム以外のサウンドに目を向けても優れた作品が多く、音楽業界を見渡しても非常に恵まれた《当たり年》であったと思います。













 例示した楽曲のそれらのドラム・サウンドの変化はお判りいただけるでしょうが、例示した80年代後半の方でも当時としてはドラム・サウンドのリバーブが抑え込まれている楽曲を選んでおります。これでもデッドな方だったという事です。


 残響というのは、ついつい音の余韻が長くなる様なリバーブ・テールとしての長さをイメージしてしまいがちですが、あからさまな残響としては全く知覚されない極端に短い残響=間接音という物も実際には存在していて、これが音色形成に一役買っている事を知っておく必要があります。

 加えて、残響など付与されていない様に知覚される音であっても、それをもし無響室で鳴らしたら全く音色が変わってしまってペラッペラな音に聴こえる事でしょう。機会があれば是非無響室での音を体験されてみて欲しいと思います。

 90年代に入ると、長いあからさまなリバーブ付与は少なくなりました。そういう意味でもドラム・サウンドは本来の音により一層近付く事となり、音色形成の為の策としてマルチマイクが高度化していったとも言えるでしょう。

 先述した様に、生のドラムのそれにも音色形成として司っている初期反射部分というのは潤沢にあります。つまり、無響室で鳴らさない限り《間接音の関与》が音色形成として一役買っているという訳です。

 それまでの手法としての「長いリバーブ付与」が《長い間接音》だとしたら、90年代以降に象徴されるドラム・サウンドのそれは長い間接音を排除した上で《短い間接音》への要求が高まったと言い換える事もできるでしょう。

 一般的に《長い間接音》として認識される最初の間接音の関与は、床からの反射となる一次間接音と言われています。床との距離よりも短い間接音を防いだり、またはそれを利用して間接音を得る事もありますが、その場合は長い間接音を得ようとしているのではなく、短い間接音=音色形成の関与の方に意識が向けられていると考えて好いかもしれません。

 床からの間接音を排除する目的でバウンダリー・マイクやPZM(プレッシャー・ゾーン)というマイクがあります。それらはマイクロフォンとしての方式の違いはあれど、床置きにする事で床からの反射の前に収音してしまうという目的で使われます。こうする事で《長い間接音》の付与が抑えられるという訳です。

 加えて、人間の一般的な生活空間での耳の高さよりも床の方が温度は低いので、音波は床の方が遅く進む事になります。僅かに遅い方が抑え込まれるという事は同時に《長い間接音》を排除しようとする訳です。

 また、床置きのマイクが音色形成のひとつに使われたり、逆相にして更なる大胆な音色キャラクターの変化を図る事も考えられるでしょう。

 そうして、SOSのアルバム『The Living Return』に収録されるドラム・サウンドのそれは、マルチ・マイクの妙味に加えて、残響の付与の少ないデッドでオーソドックスな音が明確になるので、ドラムの演奏にも傾聴して細かく捉える事ができるのです。そういう意味でも私にとってはお手本となるアルバムでありました。

 また、ドラム演奏の細部が露わになる事も相待って、今回取り上げる「Low Down Dirty Business」の楽曲冒頭のフィルインのフラムのそれも、非常に人間的な揺れとバリエーション豊かなフラムが露わとなるので、それを例示しようと企図したのが今回の譜例動画なのです。

 
 茲から本題に入る事となりますが、譜例動画を確認してもらう事にしましょう。DAW環境を有している方なら譜例通りに打ち込めばほぼ遜色の無い符割となっている事がお判りいただけるかと思います。




 今回、採譜にはMaxの手助けを得て入力している訳ですが、オリジナルの方は拍もテンポも揺れておりますし、「拍」の概念を利用した上でオリジナルの実演と齟齬が生じない様にある程度の匙加減で丸め込んではおりますが、「ほぼ」似た様な感じにはなると思います。

 とはいえ、オリジナルの「揺れ」という物も機械的な精度で測定した時に初めて判る様なレベルですので、実際にはそうした揺れを「ズレ」などと感ずる事は無かろうと思います。あくまでもMaxを使用して解析している為に、機械的な尺度から照らし合わせ時にズレを数値的に認識するだけの事です。

 また、このドラム・フィルのフラムをバリエーションのそれを読み解く時にあらためて痛感するのが、人間は何かしらのタイミングに支配されているであろうという事。仮にドラマーの側が無意識に《標榜する》リズムから逸れて奏したとしても、楽譜の拍節構造として解釈した時に何らかの数値の分配構造に当て嵌まるという推測が事実であったという事です。

 今回の譜例動画では3・5・7・11連符に収まる様になっておりますが、それらの大半は強勢で置かれた連符ではないという所を注意して欲しいと思います。つまりそれらの殆どは16分休符を拍頭に擱いてから奏されている物なので、強勢で始まるそれらの連符よりも複雑である訳です。

 加えて、このフィルの2小節で注意すべき点は、テンポが本編のそれとはやや速目に入っており、しかもスウィングではない平滑化させたグルーヴでフィルを奏しているという所にあります。こうした事から各拍の「ケツ」にある16分音符のキックがハネておらず、拍節構造が明確になる事に貢献しております。

 2小節目4拍目にある11連符の後ろにあるスネアも、相当溜めて打つ様な感じであるのですが、[10/11] に叩く位置がある訳ですね。ですので、11連符の先行9つのパルスは休符である訳で、それを「16分休符+32分休符」の組み合わせを3つ置いている訳です。今回は付点を殆ど使わずに示そうとしている狙いがあるので、拍節感をより一層判り易くする為の策として実行しています。

 尚、デモのドラム音源はBFD3を使っております。私はこうしたデッドな音を《マットな音》と表現したりしますが、こうしたデッドに聴こえる音でも本当は、遅延や残響としては耳にする事ができない間接音の集合体が音色を作っています。これほどドライな音であっても間接音の関与はまだあるというのが実際です。

 こうしたマットな音というのは大抵、どんなキットやピースを使おうがチューニングに最新の注意を払えば似た音に行き着く物です。ロック界に多い「ベッタンベッタン」「ベチベチ」とした音を作ろうとなるとまたちょっと違うアプローチが必要なのですが、基本的にマルチマイクのバランス調整とゲートのカットタイムを揃えてコンプレッサー(特にリミッター)の重視という選択を採るのが重要ではなかろうかと思います。

 私が常に参考にしているのは、70年代の英国や西海岸のミックスです。なぜか地理的に近かろう東海岸と英国よりも、英国のそれと似たミックスは西海岸の方が私がこれまで聴いて来た音楽には通ずる所があろうかと思います。

 私がミックスで参考にするのはジョージ・マッセンバーグ、ロジャー・ニコルス、リチャード・アルダーソン、ロス・ロビンソンです。

 特にマッセンバーグの場合、R&Bやロック系統のサウンド・メイキングまで非常に幅広く、参考になる物です。氏のミックスで非常に有名なのはEW&Fだったりしますが、これらをR&Bの当時のオーソドックスな音だと形容した場合(もっとイナタいミックスは溢れ返っていたものの)、ややキックの硬めなサウンドこそがマッセンバーグの特徴ではなかったかと思います。










 いずれもマッセンバーグが関わっておりますが、80年代中盤のスタンリー・クラークの音となると、ロック界にも通ずるブラックビートのドラムヘッドを使った様な音が特徴的でありましょう。


 扨て、オリジナルのドラム・サウンドを聴けば判りますが、左右のステレオ・パノラマ感は非常に少ない音であります。とはいえ、間接音を収音する為のマルチ・マイクの側はきちんと左右に振られているので、これが仄かにステレオ感を演出しているのであろうと思います。全くのモノラル・サウンドと異なるのはそうした配慮による物でありましょう。

 勿論ドラム・パートに限らず他のパートもステレオ・パノラマ感は非常に希薄なのが本アルバムの音像の特徴でもあります。それでもステレオ感として貢献するのは、僅かに付与されるリバーブを左右に降っている(センターをキャンセルする)所にありましょう。

また、音像の全体像として耳にした時、ステレオ・パノラマ感に乏しい音であるにも拘らずステレオ感を演出するには、リバーブ音や間接音付与の際、それらをM/S処理で左右に振って、位相をずらせた位置に置くとステレオ感は増す様に聴こえる訳です。

 例えば次のWaves PAZ-Analyzerを使ったステレオ・パノラマ状況を本曲オリジナルで確認してみると、楽曲冒頭から進んでギターやシンセ、スキャットが入って来る様になると、各パートのパンニング位置は考慮せずに AntiPhase 領域を見てみれば、見事に半周期ずらした信号の存在を確認する事ができます。

 即ちこれは、間接音を収音しているチャンネルをM/S処理などで左右に振って配置され、位相をずらしてステレオ感演出を狙っているという訳です。直接音よりも遅延となって生ずる間接音ですので、位相が半周期ずれても全くの逆相となる訳ではありませんし、周波数帯域を巧くコントロールすればステレオ感付与に貢献するという訳です。

 極言すると、楽器のパンニングを全く行わずにステレオ感を得る時に、こうしてリバーブ音だけをローカットし乍らM/S処理してステレオに振る《バス挿しリバーブ付与》はオーソドックスな手法でもありましょう。

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 あらためて譜例動画を小節順に解説して行こうと思いますが、例えばスキャットのパートでの5小節目には2拍目から生ずる2拍9連を生じており耳目を惹く符割になっているかと思います。同時に注目してもらいたいのは、2拍9連直前の音がE音よりも四分音低い音であるという所です。オリジナルでも勿論、同様の中立音程を歌っております。

 ベースの6小節目3拍目で生じている半拍2連が意味するのは、元々が16分音符をハネさせるスウィング表記を施しているので、それをハネさせずに平滑化させるという意味があります。

 9小節目からコード表記が始まります。本曲は調号からもお判りの様にCマイナー(ハ短調)を優勢とするマイナー・ブルースが主体でありますが、過程では「♮3rd」も各パートで使われています。つまり、マイナー・ブルースが優勢のブルースなのであり、楽曲としては「♮3rd・♭3rd」を混淆とする状況である訳です。

 処が多くのジャズ/ポピュラー音楽でのコード表記というのは表記の合理化ばかりを重視してしまい、単にマイナー・ブルースとしての響きしか無い箇所でも、ブルース全体を俯瞰して《♮3rdが現れる箇所もあろう》という事で「ドミナント7th」系統のコード表記を充ててしまうという悪しき慣習があります。

 無論、そういう悪しき慣習の表記でも彼等なりの理由はあるとは思います。例えば、本曲の譜例を参考にした上で自分たちの演奏としてインプロヴァイズ、インタープレイ、オブリガート等独自の解釈が介在する様な状況です。こうした所まで俯瞰すれば、ドミナント7thコード表記を採る事で彼等のそうした演奏は《マイナーに縛られないブルース》が常に随行する事となります。

 とはいえ私の譜例動画は短尺版であると雖も、オリジナル曲の状況をなるべく忠実に反映させている物であり(※ローズやギターはオリジナル冒頭の演奏は演奏が寂しいので互いに補ったアレンジにしてはおりますが)、私からすれば、譜例に基づいてどんな独自の解釈が予想されようともそれを方便にしてコード表記の合理化を招いてしまうのは罷りならん、と思っております。

 そういう訳で、本曲で生ずる「ドミナント・シャープナインス」は「ドミナント♭10th」として書かれている訳です。長・短の混淆が明確であるからです。

 10小節目での「C7 omit3」という表記に於てもコードに重要な第3音省略を臆面も無い程に示しておりますが、これはコードとしての長い音価で第3音の存在が無く、単にフレージングで局所的に第3音がある状況ですので、こうした状況はそれこそ何某かのインタープレイやオブリガートが求められる時、第3音を長・短のどちらかに限定する事を避けています。それならばコードとして弾かずにフレーズだけが関与する様に表記すれば好い。そういう判断で表しております。

 13小節目で「C7」となるのは、メジャー・ブルースという姿の方が優勢となるが故の表記であります。勿論、ギターは長前打音的(※装飾音符ではない)に拍頭で半音下からスライドをさせますが、それは帰結先を強調する倚和音なのであるに過ぎず、決して拍頭(強勢)にある音だけを狙ってコード表記しようとは毛頭考えておりません。

 そうして14小節目には、メジャー・ブルースが優勢であろうとも音階の第3音が《真なるブルース》となる事を裏付ける様に微分音を伴います。勿論これにはあらかじめチョーキング・アップをしてからの演奏ではないと表現できない物となっております。

 15小節目のコードは「Dm7(on C)」という7度ベースであるのですが、それまでの流れがC音を強調している為、コード進行というよりも《経過和音》的に変化している様に耳にするでしょう。唐突に七度ベースを鳴らされるよりも、C音主体で主和音ばかりを聴かされない様に聴こえるので却って耳に新鮮ではなかろうかと思います。

 16小節目でのコード「B♭△7(on C)」も先のコード同様に、経過和音的に2度ベースとして振る舞っております。唐突に2度ベースが現れるよりも主和音近傍として現れる事で耳に馴染みやすい事でしょう。尚、本小節での2ndギター・パートはチョーキングで中立音程(微分音)を奏しているのであらためて注意してほしい箇所でもあります。

 17小節目のコード表記は、《ドミナント・シャープナインスとして表記すれば良かろうに》と思われる人が大半でありましょうが、敢えて「C7(♭10)」と表記しております。この意図としては、基本的に本曲はマイナーを基とするマイナー・ブルースであり、メジャーと為す長三度音は経過的に生ずるドミナント7thの時に生ずる物として解釈しており、マイナーとメジャーの配分として解釈した場合、八割型はマイナーが優勢な状況にあると考えております。

 そうした、マイナーが優勢である状況であろうともメジャーの薫りを漂わせるシーンが登場する。その際、メジャーが薫る状況から見れば、楽曲の調性がどういう状況を優勢にしているかよりも、都度登場するコード上から状況を見ている必要があろうかと思います。即ち、「C7某し」という状況でメジャー感が現れている状況での基とする優勢的なマイナー感は、単にドミナント・シャープナインスと表すのではなく《短三度の複音程》=「♭10th」が適切であろうと考えての表記なのです。それは決して、九度音の増音程化ではないという事を同時に示しているのです。

 尚、同小節に於けるシンセ・リード・パートで「coll' 22ma bassa」という表記は、3オクターヴ下の音を付与するヴェンドゥエジマ・ユニゾンである事を意味しています。

 19小節目はドミナント♭10thの状況に対して更に「♮13th」が付与されているという事を示しています。つまり、二組の三全音が其々半音で隣接している状況である [e・b] [es・a] である為、複調的な状況を喚起する状況でもあります。

 扨て、《2組の三全音が半音で隣接》し合うという事は、より《溷濁》を強めている状況であり不協和度は更に増します。それと同時に、調性音楽から逸脱する状況にもなります。混濁が弱めの不協和が調性音楽での属和音の振る舞いだとすると、更に混濁を強める事で半音階の状況を強めるという訳です。

 そうした状況がクロマティシズムに邁進している一方で、和声的なシステムが《2組の三全音》として解体できる状況は「複調」に寄り添っていると言える訳です。ですので私は「複調的」と述べている訳です。

 20小節目のコードは「D♭△9」が現れます。これはフリジアン・スーパートニックの和音が九度音を纒っているという状況なのですが、そもそもフリジアン・スーパートニックという状況は《Cフリジアンに移旋》しているので生ずる訳です。Cフリジアン・モードの第2音は「♭Ⅱ度」ですから、その音組織にて「♭Ⅱ度」上の和音が「D♭△9」と成っている訳です。

 また、Cのマイナー・ブルース、またはCマイナー、CミクソリディアンなどがCフリジアンへ移旋する様な状況は本曲ばかりでなく数多存在する物ですが、移旋している訳ですので、原調を維持している訳ではありません。その移旋の喚起となっているのが直前の19小節目で現れていた2組の三全音が生じていた「C7(♭10、13)」だったという訳であります。

 その様な脈絡および経路が、原調には無い状況をスムーズに移行させる事の助力となっている訳でもあります。

 余談ではありますが、20小節目のシンセ・リード・パートの4拍目で現れる5連符での2つの微分音は、先行するものが [c] より32セント低い音で、後続の音が [c] より18セント高いヴィシネグラツキー流の微分音変化記号を用いて書かれているので、あらためて注意していただきたい箇所であります。

 そうして21、22小節目でのコードは「Cm7」となり、マイナー感を強調する状況となる訳です。とはいえ、1stギター・パートではスライドの後に [e] 音を生じているので、Cマイナー・ブルースであるのだから「C7何某」で良いのではないか!? と思われるかもしれませんが、旋律的に [e] は音価も短く、拍の弱勢で鳴っている状況です。

 これは旋律的な揺さぶりに過ぎず、総体的な「ハーモニー」として「C7(♯9)」或いは「C7(♭10)」の響きを必要としているのではないのです。あくまでもこの状況が欲しているハーモニーの音としては「Cm7」で充分な状況で、旋律が和音から類推する事のできないアウトサイドな音として弾みを付けているだけであります。決してハーモニーとしてオルタード・テンションありきのコードを欲している或いは鳴らされている状況ではないと判断しているからです。

 加えて、「Cm7」上に [e] 音が現れようとも、先行していた「C7(♭10、13)」が副長を喚起している事で、同主調の和音同士が併存する「同位和音」をも喚起するのでありますから、「Cm7」というハーモニーで同主調の脈絡である [e] 音が鳴らされるのは突拍子も無い脈絡ではありません。

 また、そうした状況をあまりに注意を払うが故に、ハーモニーとしてオルタード・テンションを要求したり、解釈や状況を変えてしまう必要はないと私は考えます。そうした判断からのコード嵌当である事をあらためて感じ取っていただきたいと思います。凡ゆる状況を勘案した上での判断であり、単に本曲の解釈や理解を楽にする為だけの合理的解釈は一切排除しているという事を念頭に置いていただきたいと思います。

 私は、音楽的な解釈をひねくれた発想で論じようとしているのではなく、身勝手な解釈を繰り広げようとしている訳でもありません。合理的な解釈に落とし込む事を回避すると、こうした部分で一般的な合理的判断を難しくしてしまうが故の表記なのです。

 合理的解釈が楽譜として表す時には必要となるケースもあるのですが、私は本曲ばかりでなく、可能な限り合理的解釈は極力排除して独自に採譜をしております。もっと平易で合理的な解釈をお望みの方はご自分で楽曲を解釈して採譜をすれば好いだけの事で私に求める事ではありません。

 世俗音楽を採譜する様な状況の多くは、粗笨な扱いを受けて合理的解釈が進んでしまい、原曲には遠く及ばない状況として書かれてしまうケースが実に多い物です。私はそういう解釈を許容したくはないので、読みづらかろう楽譜となっている訳です。本曲に限った事ではありませんが。

 勿論、楽譜の中には極力平易に書いた上で、楽譜には表される事のない《楽譜の行間》に奏者のデュナーミクを与え、音楽に新たな息吹として楽曲に彩る事も必要ではあります。そうしたデュなーミクを許容する以前に、看過できない状況を採譜している。それが私の「癖」なのでもあります。また、楽譜は多くの「癖」を吸収する事で音楽の素養を高める事に貢献するという事も知っておいていただきたい所です。

 扨て、こうして楽曲解説を同時に語って来ましたが、元の話題はドラムのフィルインの拍節構造のそれが何某かの連符の体系に収まるという解釈についてでありました。符割など一切考慮に入れていないフリーな演奏ですらも何某かの符割に当て嵌められると考えるのは、素数の分布などでも判る様に、対極的には何らかの因果関係に非常に近しい所に帰着すると私は捉えているが故の解釈なのです。

 体系に収まる、という物が必ずしもドンピシャである必要はない訳で、大局的に見れば結果的には何某かの因果関係の近傍に位置する、という事を言いたいのであります。そうした状況をなるべく厳密に楽譜にする時、どの様な拍節構造として解釈可能なのか? という事を冒頭から語っていたのです。

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