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IVEの「KITSCH」に見られる微分音および中全音律 [楽理]

 IVEが暫くの沈黙を破り、2023年4月10日のフル・アルバム発売を前にカムバック曲としてアップされた「KITSCH」という曲は、静謐で春の温もりを感じるゆったりとした曲調に、ディスコ・ビートを予想していた所に突如チル・アウト系で作られている楽曲であります。

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 覚えやすい旋律のそれは、調性や協和感をも欺く事なく素直な線運びであり些か卑近な印象すら受けますが、米国アンダーグラウンド界隈ならば薬物でもやってオーバードーズする事なく快楽に浸って《酔いから覚めそう》な気分の状況の暗喩も含まれているのかもしれません。

 幅広い世代に受け入れられていると言われているIVEですので、露骨なドラッグのイメージなど持たせようとはしないでしょうが、日常の温もりのある親近感と距離感の対比としてダークなイメージが楽曲の構成に用意されているのは、女性が人生の中で何度かは経験しなくてはならない修羅場をくぐり抜けねばならぬかの様な描写も含んでいるのだと思います。

 そういう状況に陥っても自分を見失わない様な厳かな姿勢が、MVでの《笑顔なきメンチ切り》の様な表情となって描写されているのでありましょう。




 調性の見渡しが非常に利く類の楽曲の構造というのは概ね、和音諸機能である各機能(トニック、ドミナント、サブドミナント)の循環構造が「正格」な状態で進行を伴っているもので、本曲「KITSCH」も御多聞に漏れずAテーマ部分は所謂通俗的に言われる所の「イチロクニーゴー」パターンで形成されている訳です。

 コード進行が「Ⅰ→Ⅵ→Ⅱ→Ⅴ」と辿るが故の「イチロクニーゴー」なのであり、過程の和音はダイアトニックであろうが副次ドミナント(セカンダリー・ドミナント)が持ち来たされようともイチロクニーゴーのパターンというのはどちらも同じ様に呼ばれるものです。「KITSCH」の場合は副次ドミナントも生じない平易な構造です。

 このイチロクニーゴー・パターンが齎す「晏寧」の作用となる源泉を探れば《後続和音の上音》に《先行和音の主音》を取り込むからであります。

 トニックの根音である「Ⅰ」は後続和音の「Ⅵ」の上音(この場合第3音)に取り込まれ、Ⅵの根音は後続和音「Ⅱ」の上音(この場合第5音)に取り込まれ、Ⅱの根音は後続和音「Ⅴ」の上音(この場合第5音)に取り込まれている、という構造である訳です。これはルイ/トゥイレの『和声学』でも述べられている重要な事でもあります。

 斯様な和音諸機能の正格な循環が、音楽の起承転結を平易に聴こえさせる源泉となっているのであり、とりわけイチロクニーゴーというコード進行というのは機能和声の代表的な体系のひとつである訳です。

 また、この平易な状況が楽曲のブリッジ部では「移旋」が現れ、それまでの世界観とは対義的となる音楽的な「暗部」を見せるかの様な演出が為されているのも特徴で、こうした両義的な世界観を見せつけるそれは、ピンク・フロイドの世界観すら私は投影させたものです。

 扨て、彼女達の歌声というのはとても巧く、ボーカル・エフェクトが使われている箇所があってもあからさまにピッチ・エフェクトを使う様な事はなく、非常にメリスマ(1音節=一息で音高を変える技法)が効いており、このメリスマも曖昧な拍節・ピッチ感ではなくコントラストがはっきりしているので、こういう所の細部の巧さに彼女達の余裕すら感じ取れてしまうものです。

 そんな彼女達の歌の巧さの中にあってリズさんは非常に巧さが光りますが、持って生まれたアイドル声とも称すべき個性的なアーティキュレーションを付けるのが巧みなウォニョンさんの天賦の才にはあらためて卓越した能力を感じます。

 
 本曲はロ長調。そこでのイチロクニーゴー・パターンという訳でありますが、イチロクニーゴーの形式に収まる楽曲など世の中には真砂の数ほどもあり本曲もそのひとつであるとは雖も、ロ長調を用いる楽曲やイチロクニーゴーに収まる楽曲は総じてパクリなのではありません。そんな事にまで剽窃を適用してしまうのであるならば、後から出て来る作品は常に汚名を着せられてしまう訳で(笑)、そこまでして叩きたいのであれば、なぜ音律をもパクリとは言わないのか!? というのが実に不思議な点でもあります。

 平易であるが故に素人でもその良し悪しをついつい語れてしまう物は往々にして根拠のない声のデカさだけが際立ったネガティヴな評価が付いてしまいかねない物でもありますが、そういう社会にあってIVEは好意的に見られている様に思えます。そこには、彼女達の歌、踊り、容姿という点に於て憧憬のアイコンであって欲しいという願望を懷く人が多いが故に好意的に捉えられるのでありましょう。これはIVEの強みであろうかと思います。

 私が本曲を聴いて、どこか聴き馴染みのある感じだと思った曲がポリスの「Every Breath You Take(邦題:見つめていたい)」であります。無論、「見つめていたい」の方はコード進行が「I -> Ⅵm -> Ⅳ -> Ⅴ」なのであり、ドミナントの後続で「Ⅵm」へと進む偽終止を採る箇所があるので、「Kitsch」のそれとは構造的には異なるのですが、アウフタクトを採って完全小節での強拍強勢(=つまり1拍目ド頭)でメロディーが腰を据えるのは、両者に共通した落ち着きを見せるメロディーの動きであります。




 コードがドミナント(Ⅴ)からトニック(Ⅰ)へ進行せずに「Ⅵm」に進む事を偽終止と呼びます。有名な所では、井上陽水の「夢の中へ」での《夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか うふふ》と歌われている《うふふ》の部分が「Ⅵm」である訳で、彼は音楽語法のひとつである偽終止という様式でも終止感を欺き、歌詞でもセンチメンタルな世界観を標榜させ乍ら、苦楽からの解放を覓めて薬物に溺れてしまう「サイケ」と呼ばれた社会の実態と嘆息を暗喩として仄めかしているのであり、こうした世界の対極を「偽終止」という技法の中で表現しているのであります。




 井上陽水という天才は、常人の考えでは到底及ばない様な音楽的な世界観で、痛切なメッセージを込める事が多々あるので、あまりにも素っ頓狂な曲調で明るく歌っている時にこそ彼の暗喩を探るというアンテナの感度を高める必要があるアーティストなのです。遉《気分イレブン》《川沿いリバーサイド》という言葉遊びの策士であります。

 サイケデリック社会をリアルタイムに見て来た陽水だからこそ、またそれを知るファンだからこそ対義的な世界観をついつい見ようとしてしまう。つまり、IVEの「KITSCH」の綺麗な晏寧を齎してくれる世界観と、それを翻して暗部の世界を見せる移旋された世界観のそれには、「夢の中へ」で鍛えられた世界観のそれを投影してしまいますし、こうした分かり易い世界観と社会の暗部を投影できる巨人=ピンク・フロイドの世界観を重ねざるを得ない訳です。

 ですので、私が耳にする「KITSCH」のドが付くほどのピーカンな世界観というのは、その対極にある「暗部」の乙張りに必要なコントラストとしての対比なので、怖さすら感じ取る訳です。音楽的にはチル・アウトやヒップアウト系列を巧く採り入れ乍ら、コンセプトとしてサイケデリックの世界観をも導入させているのですから、こうしたコンセプトは作曲者のみならずディレクターの手腕が光っていると言えるでしょう。

 そうした効果的な世界観の演出に更に貢献しているのが、本記事の本題でもある「微分音」の導入でもあるのです。

 微分音という状況は、通常ピアノやフレット付きのギターが標榜する12等分平均律の音から外れた音を用いる事になるので、巧く使わないと単なる音痴な音として知覚されてしまう事もあるのですが、本曲「KITSCH」で用いられている微分音は純正音程を使った音が効果的な色彩が散りばめられているのが特徴です。

 加えて、オカリナ風でもあるスライド・ホイッスルの様な音は随所に微分音のアーティキュレーションが施されているので、これこそ自由な微分音の跳躍でありましょう。とはいえ、こうした通常の音組織の空間からはぐれた様な音が映えるのも、その後に聴かれる歌のピッチの確かさがあるが故に効果的に聴かれるのでありましょう。

 仮にも後続の歌のメロディーがデジタルの力を借りてピッチ修正を施さねばならぬ様な状況で微分音を使おうものなら、どちらも魅力を相殺する事になってしまいかねず、こうした策は失敗する事でありましょう。彼女達の歌の巧さがあるからこそ出来る効果的な《エフェクターを使わぬエフェクト》と呼べる演出を生むのであります。

 純正音程とは、音同士の音程が単純な整数比の比率になる状態です。例えば、ドから1オクターヴ高いドの音程比は [1:2] という訳でありますが、12等分平均律の世界というのはオクターヴ関係以外は対数の世界ですので、純正比となればこうした対数の世界に割り入って来る音の脈絡であるという訳です。加えて、整数比ですので音同士の振動が調和し合いうなりを発生がしない状況を生むのです。無論、そうした整数比同士の音を「複合的」に重ね合わせれば、不協和な状況を生むのですが、不必要なうなりを避けて出て来た純粋な不協和と形容すれば宜しいでしょうか。そうした世界観があるのだと思っていただければ幸いです。

 また、こうしたアイデアを臆する事なく組み入れる事ができる柔軟な思想と土壌がK-POPに培われているというのも大きな特徴であります。新たなる挑戦が更に音楽を進化させて行く訳ですが、よもや現代音楽や音響心理学のヒントが次々に導入され、聴き手もそうした土壌を受け入れている所に、日韓に於けるポピュラー音楽の捉え方の違いをあらためて考えさせられると共に、日本の商業音楽の衰退をも感じてしまう物です。

 何でも貪欲に新しい事を遣れば好いという物ではなく、歌モノであれば歌へのリスペクトと踊りならばそれを見せるという視覚的な部分に配慮し乍ら音楽の部分に乙張りと爪痕を残すという訳です。日本の場合ならば皮相的にジャズの文脈を落とし込んで高次なハーモニーを近視眼的に用いては40年前以上の方法論を輪廻させているに過ぎず、サブカル界隈の方がよっぽど自由度が高いと思わせんばかり。今やK-POPに学ぶ事の方が多いのかもしれません。

 
 では、譜例動画の解説に移りたいと思いますが、本曲の譜例動画での微分音変化記号は、Finale Maestroフォントを中心にIRCAMのomicronフォントを併用しております。omicronフォントはOpenMusicに用いられる表記体系でありますが、私のブログ記事での坂本龍一の「participation mystique」説明記事で載せておりますので、ご興味をお持ちの方はそちらをご確認下さい。

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 OpenMusicのPDFファイルにも微分音変化記号の解説は為されているのですが、IRCAMが頒布しているPDFそのものが古くPDFにフォントを埋め込まずにビットマップではない画像を使っている為に解像度が悪く不明瞭であるので、私の用意した上掲図版の方が判りやすいかと思います(笑)。




 尚、譜例中に見られる各音符に付記される値は、幹音から数えた時のセント量の増減値となります。つまるところ、本曲はロ長調で書かれている為嬰種変化記号として5つの嬰記号が調号に用いられる事となります。例えばそこで《F♯より25セント高》となる音高を必要とした場合、それに適する微分音変化記号と共に《基となる幹音からの変化量=100セント+25セント増=「+125」》という風に書かれるという事になります。

 加えて、譜例動画での4つのパートを纏めた ‘JI Synth Pad 1〜4’ というのはジャスト・イントネーション=純正音程=JI という意味ですので、あらためてご注意いただきたいと思いますが、第1パートの嬰種調号だけ嬰記号レイアウトが他と違うという事を説明しておこうかと思います。

 このレイアウトは通常、ハ音記号を用いる時に使われる配置法ではありますが、2オクターヴ高いト音記号と雖も他の第2〜4パートは通常の調号の配置なので少々疑問を抱かれるかと思います。この時点で注意喚起としては十分なのでありますが、この配置法の意図は他にありまして、率直に言えば、調号で示される変化記号は《当該の線・間のみ有効》という意図を含んでいるものです。

 通常の調号ならば、例えば第5線に嬰記号が調号に置かれれば、どのオクターヴ位置でも「嬰ヘ音」となる訳ですが、この第1パートでは当該線・間のみ有効なのですから、通常、第5線上に置かれる嬰記号が無い事となり、第5線上に音が置かれた場合はこの前提の下では「へ音」となる訳です。

 その上で2小節目の同パートでは《括弧付きシャープ》でわざわざ「+102セント高」となる嬰記号が書かれています。つまりこれは、調号が用意する平均律を標榜する「嬰ヘ」とは異なる純正音程用の「嬰ヘ」なのです。

 加えて、この第1パートでの純正音程の [fis] こそが、器楽用の楽音としての最高音である事で、それ以上高い音を譜面上では必要としません。ですので斯様な調号を用いた注意喚起を行っている訳です。

 ひとつ付言しておきますが、こうした調号のレイアウトは必ずしも当該音の線・間のみを表す記譜法なのではありません(今回の私の表記同様の解釈を採る例は他にもあります)。バロック期にはオクターヴが変わる毎に調号を再び置いたりする例もあり一義的な例に収まる事はありません。とはいえ旧来の先蹤拝戴に伴う「伝統の異化」である事だけはあらためて明言しておこうと思います。

 次は、純正音程用のパートである第2パートのそれは自然七度を基とする脈絡であります。しかもこれは、[cis] を根音に採った場合の自然七度ですので、ロ長調の主音より32セントほど低くなる訳です。この微妙なズレは、ヴィシネグラツキーで道う処の ‘Quarter tonal seventh’ という、主音から最も遠い(次相のオクターヴに最も近い)単位音梯となる脈絡を用いているという訳です。

 あらためて次なる純正音程用の第3パートは、「(204/32)/(16/9)」という音程比であるのでご容赦願いたいと思います(修正前にアップしていた動画ではあろう事か通分してしまっておりました)。

 パッと見では [a] 音なので下主音に変じた様に思えるかもしれませんが、これは主音であるロ音から下方に純正完全五度を2回累積させた [cis] を基準にして上方に新たな純正音程を弾き出す事を意味しております。

 つまるところ「9/16」という音程比は主音から下方に純正完全四度を2回累積させた音であるので、平均律から4セントほど高い [cis] 音が短七度音下方に生ずる事を意味します。

 その発生プロセスは、主音から1度目の累積として約498セントを下方に採り、そこから再び下方に約498セントを累積させると(計996セント低)、そこで帰着する音を転回位置へと還元した場合、主音平均律からはおよそ4セント高い [cis] 音を導くという意味であります。

 そのおよそ4セント高い [cis] 音から今度は [51/32] という純正音程比を積み上げます。これが約807セントほどとなり、この経路で得た [51/32] を2オクターヴ上げます。これにより音程比は [204/32] となります。

 そうすると相対的に転回位置では平均律の [a] より10セント弱程高い音を得る筈ですが、これはあくまで標榜している純正音程であり、実質的には「+2セント」程度を下げれば、原曲と遜色のない所に収まるという事を意味しています。私のミスも含め、この第3パートは注意が必要なのであらためてご注意いただきたいと思います。

 そうしてJI Synth Padの第4パートですが、これは平均律の [d] 音よりもディアスキスマ=スキスマの10倍高い音として示されております。主音からは大全音(約204セント)上の「256/243」というミーントーンの短二度に近似する純正音程でもあるという訳です。スキスマの10倍は19.553セントですので、私が付記している「+21」とはほんの僅かに異なりますが、標榜する所と実音と私の抽出ポイントの間のズレがあるのはあらためてご承知おきを。

 純正音程は、音波自体が整数比である事で不協和音程であろうともうなりを生じない純正な調和を見せます。これがエフェクターを用いずに得られる「エフェクト」の根源なのでありますが、本曲「KITSCH」の明暗の世界での「明」の部分にオーセンティックな成分を加えたかったのであろうという意図が見え隠れします。

 また、「暗」という世界観は本曲のサビの後に現れるブリッジの移旋される部分に能く現れています。

 先述の通り、和声的にドミナント(Ⅴ)から「Ⅵm」へ進む事を偽終止と呼んだ様に、終止感の欺きがあるのですが、そもそも長音階のⅥ度というのは平行短調の主音の音度でもあります。そもそも本曲はロ長調なのでありますから、[gis] =「G♯=嬰ト音」は平行短調である嬰ト短調の主音であるのです。

 主音から上方に数えて長六度のそれは、上方自然倍音列に現れないのにも拘らず平行調同士の主音同士の間では兄弟の様な主従関係を見せるものです。ですので、長音階の主音からⅥ度音である下中音へ帰着する旋律の動きとなる状況は、和声的な方面での偽終止なのではありません。それは、コンフィナリス(副次終止音)という呼称が充てられており、喩えて言うなら、旋律の線が《よっこらせ》とばかりに座れる場所を見つけて寛ぐ様な物です。

 昔のCMにあった「プチシルマのテーマ」というのがまさに、コンフィナリスに帰着してしまうパターンであるのですが、この曲は線的な動きがコンフィナリスを見つけるばかりでなく、和声的にも「Ⅰ→Ⅵm」というトニックとトニックの代理和音を循環するという状況になる類の物です。




 翻って「KITSCH」の方は、移旋するブリッジでコンフィナリスに進行しても、遉にソフィスティケイトされています。これは、移旋を示す特性音として [a] 音しか見せておらず、移旋した時のメロディも [gis・a・h] の3音というトライコルドのみを使っており、[a] 音を除けば原調であるロ長調の音組織とのコモン・トーン(共通音)であるので、1音だけの違いが妙に映える状況となり、余計な節回しが排除されている訳ですね。

 1音の違いだけで移旋としては充分に効果的であるのですが、移旋した世界観に於て新たなる旋法の音組織が確定した訳ではありません。[a] 音を新たなるフィナリスと採ると、♭Ⅱ度を示唆する旋法が視野に入る訳で、♭Ⅱ度を持つ旋法を視野に入れると先ず最初にはフリジアン、次にロクリアン、そのまた次にナポリタン・マイナーなど非チャーチ・モードの可能性がある訳ですが、和声的には「G♯m」という風に演奏されておりますので自ずと [dis] 音を付随させる以上、旋法上で第5音が半音下がるロクリアンの可能性は無いという事だけは確定するという解釈に至る訳です。

 移旋が確定出来ない状況でありますが、可能性として非常に高いのはG♯フリジアン・モードという事になります。加えて、この移旋するブリッジ直前に歌はロ長調の上中音 [dis] を歌う時にアラート音の様な [g] 音が鳴らされます。このアラート音 [g] は平均律 [g] よりスキスマ分低く採られた音です。

 移旋は、IVEの既知のファンであるならば「Eleven」のイントロを思い浮かべる事でしょう。あちらはEフリジアンで始まりました。




 EフリジアンとG♯フリジアンというのは2全音/5全音の差として現れる調域でありますが、この2全音の差というのが、あらためて本曲で用いられる微分音での純正音程の脈絡に繋がるのであります。

 扨て、微小音程のひとつである「スキスマ」という音程は約1.955セント*です。これが平均律完全五度よりも高いというのであれば純正完全五度としての [g] を標榜しているのであろうと思うのですが、スキスマに近似する微小音程分低いとなると、ここでピンと思い浮かべられるのがミーントーン(中全音律)です。なぜならば、平均律完全五度の [g] 音が700セントで鳴らされるとした場合、ミーントーン5thは698セントの近傍となるからであります。
*厳密に言うと、この数値は「グラッド(grad)」と呼ばれる微小音程であり、本来スキスマはピタゴラス・コンマとシントニック・コンマの差=1.9537セントの事です。然し乍ら、12等分平均律完全五度と純正完全五度の差も極めて近い事から斯様にして同一視して呼ばれる事が多いものです。

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 注意したいのは、このミーントーン5thの [g] 音は、ロ長調基準の物ではなく [c] 音を基準にしたミーントーンに依る [g] 音だという所です。移旋直前のメロディーの上中音 [dis] 音は恰も平行短調(嬰ト短調)の属音の様に振る舞い、5声を満たした完全和音ではないものの「D♯7(♭9)」という短属九の断片を聴かせる訳です。ですので [g] 音は、その短属九の「♭9th」の様に振舞っているという訳です。

 無論、この「D♯7(♭9)」の断片は、直後の小節では嬰ト短調ではなくG♯フリジアンという風にスルリと移旋されるという状況である事も同時に念頭に置いていただきたい所です。DAWアプリケーションをお持ちの方で興味を持たれた方は、[c] 音を基準に採るミーントーンに調律して本曲当該部分のアラート音と重ねてみればドンピシャで合う事があらためてお判りになろうかと思います。

 余談ではありますが、周囲のアンサンブルに対してエレキ・ベースがグラッド分高く採られてしまっている演奏例を聴く事の出来る曲が次のインコグニートの「Talkin' Loud」のイントロ冒頭でのトライトーン・サブスティテューションでベースが「♭Ⅱ度」を奏する時です。




 恐らく、上述曲に於けるランディー・ホープ・テイラーはベースのA弦を合わせた後にE弦の第4次倍音をA弦の第3次倍音で合わせてしまったのでありましょう(つまり隣接弦間での5&7フレット上の自然ハーモニクスを合わせてしまう)。

 この状況を耳が許容してしまえる方は残念乍ら微分音を感得する事は無理です。どれほど興味がなかろうとも一度は交響曲を観に会場に足を運んで、演奏直前のプロ・オーケストラのチューニングを聴いて来て下さい。どれほど純正かがお判りになる事でしょう。

 因みにミーントーンとは、訳語として「中全音律」とされている様に、「中全音」という呼称が《中庸の全音》という事を意味しています。

 それはつまり「小さい全音」と「大きい全音」の存在を仄めかしているからなのでありますが、大全音(音程比:9/8)を2全音化するとピタゴラス長三度となり音程は約408セントとなります。他方、ミーントーンは純正完全五度の響きを犠牲(4セントほど低い)にして三度の響きを慮る音律であり、最大の目的は2全音を形成させて純正長三度≒386セントを得る事です。処が小全音(音程比:10/9)を2全音化させても約364.8074セントとなるので、それら大全音と小全音の間を採る様にして純正長三度が中庸になる様に置かれた事で命名されている音律体系なのです。

 斯様な状況を踏まえる事であらためて2全音の因果関係がお判りになったと思いますが、こういう脈絡をきちんと音楽制作に於て重要なプロットとして置いている所は非常に素晴らしい為事であろうかと思います。

 古典音律での音程比は、平易な自然数(整数)が隣接し合う音程比を用いる事が好まれました。とはいえ工業的な設計精度が高まり音律もより一層研究が重ねられると、五度も三度も純正を捨てた平均律の方が制限のない転調を用いて半音階社会を歩き回れる音組織を得る事の方が優勢となった訳です。

 そうして平均律がセリーを経て、㾱れ、平均律に馴れた者が今一度純正音程を確認するという状況がK-POPシーンにも現れているという瞬間を目の当たりにしているのであろうとも思えるのです。勿論それは平均律音程と純正音程とのコントラストを演出する為の乙張りとして「エフェクティヴ」に用いられているのが本曲の純正音程なのでありますが、偽終止を用いずにコンフィナリス(副次終止音)と移旋で楽曲を欺き、純正音程を用いてコントラストを強めるという演出のさり気なさに、あらためてK-POP制作側の余裕を感じ取る事が出来るかと思います。

 仮に日本の土壌に於て坂道アイドルにこうした策を用いたとしても、ファンの殆どは気付いてくれないのではないかと思います。この差ですね。現今の日韓商業音楽の文化の差は。


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