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正確無比な大村憲司のクォーター・トーン(四分音) [YMO関連]

 嘗てはYMOのライヴ・サポート・メンバーも務めた大村憲司。氏が急逝されて久しく今や多くの年月が経過した事をあらためて実感するのでありますが、YMOという括りで見る事など無くとも氏はエレキ・ギターの世界に於て常日頃からその名を轟かす偉大なギタリストの1人であった事は間違いないでしょう。メカニカルなフレーズよりもイナタいフレーズを好む人達からは特に評価が高かった人物だったかと思います。

 70年代中盤以降となると日本国内ではクロスオーバーが一般的にも広く流行した事もあってか、リスナーの多くはハーモニー感も耳が鍛えられた方が少なくなかった時代。ジャズ心の無い者ですらも薄々はクロスオーバーに触れていた時代があった当時に於て、メカニカルなフレーズが礼賛されゆく時代にあって大村憲司のプレイは《唄心溢れる》という風に形容される事が多いギタリストの1人でありました。

 確かに大村憲司のそれは、エレキ・ギターが最も映えるであろうギターの《咆哮と嗚咽》を乗せる事が巧みで、チョーキングの巧みさとフレージングの線運びにも秀でたプレイヤーであったので、そうした点を評価されていたのだと思います。

 思えば、レスポールを弾いていた頃のTOTOのスティーヴ・ルカサーと対比される事も少なくなかったのが大村憲司というギタリストではなかったかと振り返る私でありますが、私が能く投影していたのはダニー・クーチ(コーチマー)のギターでありました。共に私の好きなギタリストでもあるのでついつい思い入れは強くなります。

 今回高橋ユキヒロ(カタカナ時代)の2ndアルバム『音楽殺人』収録の「The Core of Eden」のギター・ソロ部分で用いられる微分音の正確さは後世に残すべき演奏であろうと感じていた事もあり、YouTubeに譜例動画をアップロードをしたので楽曲解説をしようと企図したのが今回の記事であるという訳です。

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 扨て「The Core of Eden」について語る事としますが、本曲冒頭のシンセのSEは松武秀樹が関与したヘリコプターの音を模した物と言われております。「Mirrormanic」での手垢が付きまくったほどに使われたガラスの割れるSE音と比較すれば凝った演出でありますが、何より本曲は珍しい位にシンフォニック・ロック系の筋立てに終始しているので、調性感としても見渡しは卑近な程に仰々しい程です。

 調性の見渡しの利く叙情的な曲調でありますので、個人的にはちょっとばかり見え透いた「お涙頂戴」感がつきまとうのですが、一般的なリスナー的立ち位置から見れば本曲のみならずアルバム全体としては非常に聴きやすく歌心に溢れ、メロディーも際立っている粒揃いの曲が目白押しという印象を抱きやすい物ではないかと思います。

 アルバム『音楽殺人』は日本国内発売の初回生産分がクリアーブルーのカラー・レコードとして発売され、日本以外でも豪州ではかなりセールスが良かったという本アルバムは、クリス・モスデルの歌詞とキャッチーなメロディが功を奏したのではないかと思います。

 本曲で最も特徴的なのは、ベースが Low-D 音を奏するという点でありましょう。通常の4弦ベースの最低音 [e] よりも全音低い音が現れるという事ですが、恐らくは4弦のみ全音下げにしたスコルダトゥーラであろうかと思います。KISSのジーン・シモンズの様に全弦全音下げというチューニングではなさそうです。というのも、3弦開放と思える音の [a] 音があるので、こうした解釈を採っているのでありますが。

 唯、本曲のベースが浅田なのか細野晴臣なのかは判然としないのが残念な所。YMOの海外のライヴに於ては「The Core of Eden」が演奏された事もある様ですが、ベースのリフがオリジナル同様に白玉を残す事でライヴ・ステージで丸々2小節白玉を2小節毎に弾くという状況はベーシスト側からするとかなり手持ち無沙汰となってしまうであろうと思われ、こうしたフレーズはなかなか勇気と気合いの要るプレイであったろうと思います。

 何はともあれ、私がYouTubeの方で本曲のギター・ソロ部分の譜例動画をアップしているのでそちらと並行して解説して行こうと思いますが、譜例動画冒頭を見てもらえれば判る様に、小節番号が73小節目としております。これは、オリジナルのイントロのドラム・リフが入る所からカウントしている小節数であるという点は注意をしていただきたいと思います。

 オリジナルの楽曲冒頭ではヘリコプター音を模したSEがフェードインで入って来るという事もあり正確な拍をカウントしきれませんが、おそらく「8小節」長を採っているかと推測できます。

 つまる所、譜例動画の小節番号に「8」を加えるとより正確な小節番号を表す事が出来るのですが、オリジナルのヘリのSEから拍節構造を見抜くのは困難であろうかと思いますし、ドラムが入る所が9小節目というのも少々唐突な感があるのではないかと私は判断した為、ヘリSEの部分を小節数にカウントしなかったのであります。

 まあ、譜例動画をアップしてからほぼ2年近くが経過し漸く当該動画のブログ記事を書く事となった訳ですが、私自身は当該記事をアップしていたのだとばかり勘違いをしたまま月日が経過してしまいました。その間に、高橋幸宏の3rdソロ・アルバム『ニウロマンティック』収録の「ガラス」での大村憲司によるギター・ソロのブログ記事を書いていた事もあり、それと記憶が混淆煮になってしまい「The Core of Eden」のギター・ソロのブログも披露済みかの様に思い込んでしまっていたのです。

 本記事は2年前にある程度書き進めていた事もあり、当初の記事部分から大幅に加筆している部分もあるのですが、譜例動画をアップした翌朝に私はギックリ腰になった事をあらためて思い出す事に。何せ痛みが厄介だったのでブログ記事アップをすっかり忘れてしまったのでありましょう。そうしてギックリ腰から癒えた私は振り返る事なく先に進めてしまって今日に至るという訳でした。

 そういう訳で本題に入る事としますが、譜例動画の73小節目と表している箇所はコードが「B♭」であるものの、シンセ・パッドは更に上音を与えてメジャー7th相当の [a] を奏しています。




 高橋作品としてはここまで骨太なロック・サウンドを感ずるのは珍しく、それでもシンフォニック・ロック系の様に上音を豊かにするのは好ましい展開であり、大村憲司はそこで「B♭」上での9th音相当の [c] を白玉のビブラートで強調し乍ら自身のソロ本編に繋げて行く展開となるのです。

 大村憲司もハーモニーに呼応する様にテンションを用いる訳ですが、本曲の調(=ニ短調、Key=Dマイナー)の音階固有音基準で見ると、その [c] 音は「下主音」であるので「♭Ⅶ度」という風に主和音(トニック)上で第7音終止という形で進行するという訳です。

 77小節目からギター・ソロ本編となるのですが、[c] 音は執拗な程に白玉でのビブラートを継続させており、78小節目では拍節を叛く様にして、拍の頭を態と叛いた7連符を多用しています。斯様な拍頭を叛いた速い連符というのは、聴衆が意識しづらい拍節感を利用しており、その上で《涙や洟をぐいと拭く》かの様な《てやんでい、しゃら臭え!》とばかりの様な振る舞いが表れているかの様に思います。

 楽曲のそれが非常に抒情的なので、ドミナント・コードを使わずとも属音の位置や主音の位置は明確に表れ、主旋律がその存在を強固にしているという状況ですから、それらの強い調性感は聴衆が脳裡に映じている世界観を利用して、ソロ本人はそれを直視しない様音選びでフレージングをしているという訳です。また、判りやすい拍節構造で卑近な演奏にしたくないという感情の表れでもあろうと推察できるでしょう。

 尚、79小節目3拍目以降に充てられている注釈 '2nd overtone w/amp-feedback' というのは、《アンプのパワーを利用して2次倍音のフィードバックを得よ》ということを意味しているのですが、10フレットを押弦している状況となるので、「10フレット〜ブリッジ間」の弦長の半分となる箇所を軽く触れれば2次倍音は手軽に得られます。

 弦長の1/2というのは必ずしもそれがフレット上に現れる訳ではなく、陰影分割側のブリッジ側に現れます。エディ・ヴァン・ヘイレンがよくやっていた様なハーモニクス奏法でもありますが、注意すべき点は倍音を鳴らした時に基音が死なない事です。概ね押弦でゆっくりとしたビブラートを継続していれば、死にかけた基音の振動も復活させる事は可能ですが、アンプのパワーに頼ると振動回復までの時間が短く済むので、アンプのパワーを必要とする注釈を用いたという訳です。

 82小節目での2拍目弱勢でのクレッシェンドはボリューム・ノブによる「ヴァイオリン奏法」でありましょう。それにしても当該小節の1〜2拍でのギターの連桁の充て方としては一般的な記譜ルールからすると非常に不自然な連桁の書き方なのですが、《ギタリストが有している拍節感》という物を私が解釈して充てています。1拍目で八分休符が現れ、演奏がそれに準則しているのは当然であるものの弱勢から連桁を繋げている理由は、フレーズの構造(メトリック・ストラクチャー)の主体が茲に表す事で、弱勢部分をつい音価が短めであったり弱めた感じが出ない様な注意喚起による物と解釈していただくと判りやすいかもしれません。

 そうして小節を進めて88小節目1拍目の下行グリッサンドにはあらためて注意をしてもらいたい部分です。このグリッサンドは決して曖昧な下行幅とはせずに、明確に5フレット下行を採る必要があります。

 89小節目1拍目の5連符 [2:3] の逆付点の型は明確な5連符です。拍の強勢を叛いた本曲のソロとしての形をあらためて強調します。

 同小節3拍目の7連符は [2:5] の形であり、こちらも拍頭を叛く感じが能く出ておりますが、7連符などに慣れない人は《一呼吸置いて》弾く様な感じをイメージする方が、連符を愚直に捉えるよりも容易かもしれません。

 唯、それにしても大村憲司のこれらの拍頭を叛いた連符の数々にはあらためて恐懼の念に堪えません。これらの連符は、単に私が音数が楽譜上で充填させて合理化を図った物なのではなく、可能な限りオリジナルの拍節感を忠実に捉えて採譜した物です。

 それらが通常はなかなか使わない様な連符に当て嵌まる様にプレイされているという事は、矢張り本人がそうした拍節感を意識しているが故のプレイでありましょう。こうした拍節の多彩さは、他のテクニックに秀でたギタリストを国際的に見渡してもそうそうお目にかかる事はありません。拍節感の多彩さで言えば、ウリ・ジョン・ロート、フランク・ザッパ、ジョー・サトリアーニ等にも似る多彩さがあります。リズム面からも相当懐が深かったのでありましょう。

 扨て、同小節4拍目は頭抜きの5連符 [1:4] の型である事に注意していて欲しいと思います。本箇所の5連符と前拍での7連符の音数を単にパルス列で見た時、[7+5] という音の数のそれが恰も6連符×2の12個の音の様に解釈してあろうことか6連符に均してしまおうとする人も居られるかもしれませんが、本箇所での2拍を6連符×2と解釈してしまう事と、7連符と5連符を弾き分ける事との間には雲泥の差があります。

 7連符が生じているという事は明らかにスピードが増しているので5連符のそれよりも速い事は直ぐに判る事でしょう。然し乍ら本箇所での2拍を6連符×2としてしまうと、過程に休符を生じさせても一定のスピードになってしまう訳ですね。こうした明確な差があるという事を感じ取り決して均さない様に解釈されたいと思います。フレーズ面から見ても、こうした乙張りのあるプレイは相当に素晴らしい物なのですから。

 90小節目での怒涛のフレーズのそれは最早ランディー・ローズの様なソロでもあります。1拍目の32分3連は実質的に、先行する32分音符のプリングから端を発した16分音符のタイム感を運指で細かく分ける感じで弾く様なイメージなので、プリングやハンマリング・オンが混ざるフレーズならばこれ位の音価が生じるのは珍しくありません。フィンガリングを [人→中→薬→小] というハンマリング・オンの連続するレガートならば64分音符で繋げる事も容易な筈です。

 楽譜が示す音価の細やかさのそれが、まるで読み手を譜面(ふづら)が脅しにかかる様に思えてしまう様な畏怖が速い歴時には宿る事もありますが、それに惑わされない様に読んでいただきたいと思います。

 扨て、本小節4拍目弱勢ではチョーキング・アップでタイで結ばれた白玉こそが咆哮する本ソロの高潮点でもありますが、注意していただきたいのは1弦をチョーキング・アップし乍ら重音で2弦15フレットで [d] よりも50セント高い微分音(四分音)を出している所にあります。

 この四分音は非常に正確で、主音よりも50セント高く採られている素晴らしい微分音の制御でありますが、1弦をチョーキング・アップし乍ら2弦も遅れてチョーキング・アップというダブル・ノート・チョーキングではないでしょう。恐らく、2弦を押弦している陰影分割側(即ち [押弦〜ナット間] )の弦長を右手でベンディングさせている物だと思われます。

 そこで愚直に右手で弦をつまみ上げる必要もなく、ライトハンドでのタッピングの様に優しく弦に触れ乍ら、僅かにネックの横側に向けて弦をベンドさせれば最も容易に奏する事が出来る筈です。

 斯様な右手を使ったベンディングは往々にして、トレモロアームを装備していないギターでトリルを左手で繰り返し乍ら右手でテールピース側の弦を押し込んだり、陰影分割側の弦を引っ張る時に用いられる事が多いプレイなのでありますが、本曲の微分音の箇所にて態々ダブル・ノート・チョーキングで実践しようと企図してしまう人は敢えて難しい事をやろうとしているか、ギター技術に対する器楽的素養が浅い事をあらためて思い知らされるのではなかろうかと思います。

 尚、次に挙げる曲はナイトフライトの同名1stアルバム『Niteflyte』収録の「Tryin' To Find」でのギター・ソロの右手ベンディングを用いているトリルのプレイです。恐らくギターは、サンディー・トレノでありましょう。余談ですがアルト・サキソフォンはデヴィッド・サンボーン、ドラムはスティーヴ・フェローン、ベースは十中八九ラモント・ジョンソンであります。参考になろうかと思います。




 この四分音は、音階固有音から見れば主音より50セント高い音なのである所にあらためて注意を払う必要があるのですが、本ソロに於ては当該四分音と88小節目3拍目でのブルー五度 [as] =A♭オン以外は全てDナチュラル・マイナー・スケールで奏されており、ダイアトニック感が際立つ状況であるにも拘らず斯様にも《歌い上げる》咆哮するソロのフレージングの巧緻さにはあらためて畏れ多いプレイだと思わされます。

 一般的に、ジャズに類する素養のある人がマイナー・キーでソロを執る場合ドリアンに嘯いたフレージングを選択する事が多いのですが、本曲は「♭Ⅵ度」である「B♭」が現れる事により、それがDドリアンを遠ざける要素のひとつと成り得てしまいます。

 無論、「B♭」以外のコード─特にドミナントおよびトニック・コード上─にてDドリアンを奏して調を巧みに謾く事は可能ではあります。然し乍らそうした場合、結果的に「B♭」が現れる前段階に置いて少なくとも [Ⅰ] から [♭Ⅵ] への過程で [Ⅰ→♮Ⅶ→♭Ⅶ→♮Ⅵ] という流れを作らないと、Dナチュラル・マイナーが非常に大きく幅を利かせている状況で唐突なDドリアンというモード・チェンジは露骨な程に変な印象を抱かせてしまいかねません。

 そういう意味でもDドリアンを本曲では非常に使いにくい状況である訳です。また、モード・チェンジを駆使して先の様に「♭Ⅵ」への流れを作ったとしても、全音階的な歌心は消えて半音階的なジャズ風なクロマティシズムに溢れたフレーズになってしまうので、本曲のシンフォ系ロックの様な情緒で唐突にダブルクロマティックを利かせたフレーズは少々異和を抱きかねません。

 そうした点から勘案しても、本ソロの線運びは非常に素晴らしい物であり、ほぼダイアトニックで茲まで歌い上げる事を「ソロ」でやってのけてしまうのは、作曲者の高橋ユキヒロとて想像を超えた演奏だと思わせたのではなかろうかと思います。作曲者をも凌駕してしまえる様な線運びがソロで出せてしまうという懐の深さ。あらためて大村憲司の腕に驚かされる訳です。


ジャズ・アレンジに依るアウトサイド・フレージングを試みる


 扨て、ジャズ・アレンジでのベースの下行フレーズは譜例1・2小節では [d - cis - h - a - g - f - e - es] という風になっており、2小節目の最後で [d] に帰着するのかと思いきや、その期待を裏切る様にしてフレージングしており、直前の [e] までの下行フレーズのそれはDメロディック・マイナーをも思わせる様なフレージングになっています。然し乍らこれはメロディック・マイナーに基づく脈絡ではありません。




 オリジナルに於ける当該箇所のコードは「Dm」であります。今回はそれを「Dm9」に置き換えた上でのスーパーインポーズである訳ですが、コードだけを取ってみればジャズ・アレンジをどれだけ施そうとも上音の上積みを稼いだだけでは強固な調整の呪縛を払拭するまでには至らない訳であります。そのスーパーインポーズという脈絡については順を追って詳しく語ります。

 扨て、本曲の調性感を非常に色濃く反映しているコード進行であるのは、♭Ⅵ度=「B♭音」が現れるからであります。この存在感が強いので属音 [a] への下行導音として強く働き、主音の位置は固より属音の方角を見失わない位の強い《調性の香り》を増しているという訳です。

 属音の方角があまりにも判りやすい為に、短調の楽曲に於てはあざといばかりの短調の香りを引き出すのを避ける様にしてドリアンで嘯く事も多い物です。無論、「♭Ⅵ度」という短調下中音が現れてしまえば、その箇所でドリアンを強行してしまうのは元の姿の響きを可笑しな物にしてしまう訳ですので結局の所は適宜モード・チェンジが必要とされる事となります。

 また、♭Ⅵ度が茲まで強固に響く楽曲の場合、短調下中音が生じない他のコードでどれだけドリアンでフレージングを遊んでいたとしても、短調下中音の箇所の歴時が長く際立つ為に、それまでの嘯きの方を胡散臭くしてしまう様に聴こえてしまいかねないのです。

 そうした強い調性感に左右されずに極力アウトサイドに徹したスーパーインポーズはどの様にして行えばより良いアウトサイド感を得られるのか!? という一例として今回はこうしたフレージングを施しているのですが、脈絡としては次の通りになります。

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 ウォーキング・ベースの下行形から生ずるそれは《属音を基とする上方倍音列》の拔萃なのであります。つまり今回の場合、ニ短調の属音 [a] を新たなる基音として上方倍音列を得るという脈絡経路を下行形に排列を変えた物と言えるのです。原調の主音 [d] から見た [a] は上方倍音列から勘案すると整数比 [3] の脈絡であり、[3] を新たな基準とした時の新たなる3次倍音は [9] となる訳です。

 同様にして [3] から見た5次倍音は自ずと [15] となる訳でありまして、[1] = [d] から見た時の [15] は [cis] を得る。こういう脈絡である訳です。

 上方倍音列として排列し直す時に生ずる [f] 音というのは原調での [f] と共通音となってしまいますが、実際には [3] から見た時の13次倍音の脈絡なので、実際には四分音的な判断でそれを半音階に均し [fis] に採るという事を選択しても状況次第では大丈夫です。唯、本曲では短調という姿をそのままにスーパーインポーズを施すので、そこを [f] に均したという訳です。

 原調から見た時の [3] という音程比をハリー・パーチ流に喩えるならば《オートーナリティ》の脈絡となります。無論、パーチのそれは旧くは対位法、その後のエッティンゲンに依る和声二元論、シェンカー理論で有名なハインリヒ・シェンカー、ヘンリー・カウエルのポリコード等の援用による発展での理論展開なのであり、これらがジャズ・イディオムとして用いられる時、往々にして《ミラー・モード》という鏡像音程として括られる様になります。

 そうしたミラー・モード論が強化される様になったのは後のパーシケッティが貢献しているのですが、先鋭的なジャズ理論が総じて西洋音楽に立脚している事をジャズや通俗的な音楽理論しか知らない者には皮肉な現実であろうかと思います。

 次に示す譜例は、下行形がDメロディック・マイナー(※茲でのメロディック・マイナーと呼んでいるのはあくまで暫定的な位置付けに過ぎない)であり、上行形が下行形の鏡像音程による物です。上行形は同時に、Cメロディック・マイナーの第2音モードとなる訳ですが、原調ニ短調から見れば上行形のそれは Ⅱ→♭Ⅱ、♭Ⅵ→♮Ⅵ という風に変じている状況でもあるのですが、原調を叛くという状況からは上行・下行形どちらの音脈で生ずる音階外の音を使用する事が可能です。

 本曲の様な調性感が強く際立つ楽曲に於てアウトサイドなウォーキング・ベースでフレージングを企図する場合、調性に準則し過ぎてしまえばウォーキング・ベースである必要もなくラグタイム・ピアノの様に更に音価を半分にして和音の根音・第5音をえっちらおっちら弾く様な状況に寄りかねないので、《音階外の音を使い乍ら唐突な音脈はある程度調性におもねる》という工夫が必要となるでしょう。

 どれだけアウトサイドを企図しようとも、伴奏のコードのそれが非常に調性を強く薫らせている状況で、そこに乗っかる事となるソロ・フレーズは如何にしてソロそのもののフレーズの牽引力を強行できるか!? という風に捉えると判りやすいかと思います。

 調性が強く意識されるのは、コードの主音と第5音が基本的なものでありますが、和音構成音全てが調性という名の磁場を生んでいるのは間違いありません。但し、それらに阿り過ぎると愚直なフレージングになる事は明白です。アヴェイラブル・モード・スケールを可能な限り詰め込んで羅列しただけではフレージングとは到底呼べない訳であり、その《羅列》を跳越したいが故のアウトサイドの試みである訳です。

 コード「Dm9」の第5音= [a] に阿るにしても、この上方倍音列を脈絡にスーパーインポーズする時、その [a] は「Dm9」の根音を [1] とした時の [3] である訳ですが、この [3] から生ずる上方倍音列の音脈のみを用いるのではなく、原調の全音階にも準え乍ら用いるという訳です。

 例示した [39] という数字には《そんな高次な倍音を脈絡に使う訳がない》と懐疑的に思われるかもしれませんが、[3] にとって [39] は13次倍音なのであり、然程遠い脈絡なのではありません。同様に [21] も [3] から見れば自然七度 [3×7=21] であるので決して遠い脈絡なのでもありません。

 アコースティック・ベースはフレットレスである為、《倍音の根拠を強く主張するならば、それこそ微分音を使えば好いのではないか!?》と思う方も居られるかもしれませんが、原調の薫りが強い状況なので、半音階で調性を暈す方が微分音を使うよりもベターであると思います。斯様な調性感の強い状況での微分音は往々にして音痴に聴こえてしまいます。私自身、ここぞとばかりに微分音を使いたいのは山々ですが、遉にそれは回避しているという訳です。

 言わなければ微分音を使っている事すら気付かない人が少なくはないでありましょうが、脈絡すら見出せなかった人にこちらが手の内を明かした途端にやいのやいのと言い出し、あろう事か罵詈雑言を浴びせ掛けられかねないのは屡々見受けられる光景でもあります。

 調性を叛くにはどうすれば好いのか!? という事よりも、原調に靡かない為にはどうすれば好いのか!? と捉えると判りやすいかもしれません。

 フレーズの牽引力というのは、その強さが時として和音構成音やアヴェイラブル・モード・スケールの呪縛から解ける事があります。対位法は古くからそうした呪縛から解かれて旋律が変応して行く(定旋律で属音が現れない時、対旋律が変応する=原調に留まらない)物であったりします。

 こうした歴史的事実を組み入れ乍らシェンカー、ヘンリー・カウエル、パーチ等は自説を補強して行っていたのですが、ジャズ・インプロヴァイズでも多く見受けられるマイナー・キーをドリアンで嘯くそれも実は西洋音楽の対位法の援用に基づいていたりするのです。

 今回の様に、属音 [a] 音から得られる上方倍音列というのを半音階的に均した場合、Aリディアン・ドミナントか、その第6音を半音低めたEナポリタン・メジャーの第4モードを視野に入れる事ができます。同時に、それらを三全音移高させたE♭リディアン・ドミナント或いはB♭ナポリタン・メジャーの第4モードも併存させて用いる事も可能であり、アプローチとしてはこれらが全てではない物の、ある程度原調に準則しながらアウトサイドさせる事は可能なのです。

 ニ短調(Key=Dm)の属音 [a] 音を基に上方倍音列を形成した時、[a] 音から見た第13次倍音に相当する音を [fis] の方に丸め込んだ場合、当然ではありますが原調ニ短調での主音 [d] 音から見て恰も《長三度》を形成する事となるので、通常ならば及び腰になりかねず使いこなすには相当な覚悟が必要と思われるかもしれません。

 然し乍ら、線的にその脈絡形成の方が牽引力の高さを持っている時、突拍子も無い音には聴こえません。アラン・ホールズワースがUK「Nevermore」のギター・ソロの下記埋込当該箇所では、Fm11上で [a] 音が使われているのがお判りかと思います。同主調同士のそれを《マルチ・オクターヴ》として組み合わせれば決して唐突な物とはならないのです。







 マルチ・オクターヴは音階の主音と完全八度で回帰する主音を更なる複音程に引き延ばす事で、基となる音階には無かった音を材料音とする物ですが、次に示すそれもマルチ・オクターヴに括られる物であり、これは [g] 音を複音程に引き伸ばし(完全十五度)、テトラコルド(4音列)の音程は [1-2-3] 半音という風にして形成され、互いのテトラコルドが全音ディスジャンクトとなっている物です。

G_Supratonic_scale.jpg


 結果的にこのマルチ・オクターヴ音階はGスープラトニック・スケールであり、12半音全てを含むのですが、半音階とは異なる様に音階の情緒を持っているという特徴があります。

 無論、茲でスープラトニック・スケールという《半音階を網羅》した音階を引き合いに出してしまえば、ニ短調の属音 [a] 音基準の上方倍音列を引っ張り出す以前にこれだけで十分であろうに!? と疑問を抱く方も居られるかもしれませんので、その辺りをあらためて語っておきましょう。

 ニ短調の属音 [a] 音基準に上方倍音列の脈絡を採るにしても、その上行性を仄めかす事を避けて私は下行形を用いているという点に注意していただきたいという事に加え、ニ短調の属音 [a] 音が主音 [d] 音を [1] とした時の [3] であるという脈絡が有り得る様に、原調の主音が抑も [3] という風に音楽的に好い意味での曲解が為されるという事実も同時に知って欲しいという点にも注意していただきたいのです。これは対位法の歴史から始まりジャズでも援用されている脈絡です。

 原調であるニ短調 [d] 音は [1] であるにも拘らず、それが [3] だとしたら!? つまり下屬音 [g] を [1] に見立てるのと同様であります。こうした脈絡は、対位法での定旋律・対旋律の採り方の例から始まり、ジャズでもモードで嘯く時まで脈々と続いて援用されている物です。

 上方にある五度(属音)の脈絡は上方倍音列に任せ、下方にある五度(下属音)の脈絡は、調性を暈す事と半音階を駆使しつつも原調を全方位で叛いてまでクロマティシズムを実行させるのではなく、伴奏のコードにある程度準則し乍らアウトサイドを試みるという状況に対して下属音の脈絡に「半音階」の為の牽引力を持たせようとしている結果なのです。

 スープラトニック・スケールとは先述の様に半音階を網羅しますが、半音階なのではなく音階的な情緒を持たせて結果的に半音階を得られる物なので、状況的には《半音階的全音階》の延長に近しい事となります。スープラトニックである事と半音階の断片である事を駆使し乍ら、今回のジャズ・アレンジでのトランペットとベースはフレージングさせている訳です。ベースの方が半音階に寄せた物であるものの、脈絡の経路はスープラトニックであるのです。他方、トランペットが半音階的全音階の様な情緒に近付けているという訳です。

 少しの経験があれば、スープラトニックを用いてフレージングする事など容易であり、私はこうしたデモを作ろうと企図した瞬間に浮かんでいるフレーズなのです。

 ですので「インプロヴァイズ」と私は位置付けているのでありますが、このインプロヴァイジングで得られたフレーズをそのままオリジナルの伴奏に対してハモンド・オルガンで態々使いまわしている理由は、ジャズ的アンサンブルのそれに音楽的な心理が左右されない様に使い回しているだけに過ぎないのです。基となっている私の着想そのものはインプロヴァイズに依るフレーズである所にはあらためて注意していただきたいと思いますし、強調したい部分でもあります。

 フレーズが調性を越える程の主張を持っている時というのは概してフレーズのそれが、

《対称的音程構造》
《半オクターヴを有する》
《リープ(非常に大きな音程)跳躍を有する》

という状況が導きやすい材料と成り得ます。

 原調をなるべく《暈す》という事を念頭に置いた上で、属音上での倍音列を考慮に入れたり、三全音調域を併存させて念頭に置くのは勿論、鏡像形にしても次の様に

Dm = G
F = Em
C = Am
B♭ = Bm

という風に解釈する事も可能です。何故ならこれは、[d] 音を中心にしたネガティヴ・ハーモニーとも同様となるからです。

 五度圏での [d] 音を中心にして単位音程を「1V」としてみましょう。そうすると次の様に、

Dm = {0,1,-3} / G = [0,-1,3}
F = {-3,-2.1} / Em = {3,2,-1}
C = {-2,2,-1} / Am = {2-2,1}
Bb = {-4,-3,0} / Bm {4,3,0}

上掲和音構成音である各音は、[d] 音を中心とする《相対的音程》の幅は同等である為、斯様にネガティヴ・ハーモニーと同様の脈絡を得る事となります。同時に、

G -> D♭ or C♯
Em -> B♭m
Am -> E♭m
Bm -> Fm

という三全音違いの脈絡を併存させている訳でもあるので、原調の音組織に寄らせ乍ら融合させているという訳です。

 斯様な仕組みが念頭に置かれていれば、譜例で示しているインプロヴァイズでのフレージングがどういう脈絡で生じているかが判ると思います。

 特に「B♭」部分でのトランペットの冒頭の [cis] というのは、ネガティヴ・ハーモニーに於ける「Bm」での「♮Ⅱ度」であり、三全音調域側の「Fm」をFエオリアンにした時の [des] の異名同音の脈絡とも成るという訳です。

 因みに2小節目のピアノ・パートでの冒頭2拍3連での [es・c・f・as・c] というのはコモン・トーンを1つ有し乍らの倚和音をぶつけたアプローチです。2小節目後続和音はピアノのヴォイシングだけを見れば「C△7(on D)」の様にも見えますが、これは主音上の十三度の和音です。つまり、マイナー13thコードの断片に過ぎず、そのヴォイシングに対して元の音のコモン・トーンを1つだけ和音構成音に準則させ乍ら外した音を倚和音として使っているのです。

 基本的にピアノは、原曲の「Dm -> F -> C -> B♭」というコードに準則し乍ら上音を積んでいるに過ぎず、大枠は「Dm9 -> F△9 -> C7 -> B♭△9」としているだけです。それをどの様に原調に靡き乍ら叛いて調性感を暈すのか!? というテーマを掲げてアプローチしているに過ぎません。言葉の上では撞着する様に思えるかもしれませんが、セリエル(十二音技法)を用いて調性を無くして均齊社会を目指すという物ではないので、斯様な調性へ靡く事と嘯く事は併立してアプローチを採る事が可能なのです。

 トランペットのフレーズが、その後のオリジナルの伴奏でハモンド・オルガンとして奏される物も、決してそれがオリジナルのコード進行上でも突拍子も無い脈絡ではないという事を示す為に動画でも用いている訳です。この時点でインプロヴァイズ・フレーズの引用はインプロヴィゼーションではなくなる訳ですが、引用しても尚突拍子も無い異和ではない事を示しているという訳です。

 勿論、ダイアトニックな音のみを羅列すれば概ね「外れる」事はないでしょうが、それとは正反対の目的で調性を捉えているアプローチだという事をあらためて念頭に置いて確認していただければ幸いです。

 オリジナルのコード部分は踏襲しつつもそこからどのようにアウトサイドさせるか!? という点を着目して判断していただければと思います。いずれにしても、ダイアトニックを叛くという事はクロマティックに寄る事となるものの、単に半音階の羅列となってしまってはいけない訳です。とはいえ、増一度および短二度が連続するダブルクロマティックという半音階の断片という姿も時にはフレージングのひとつの要素として使われる事もある訳です。それが、半音階に寄りつつも調性に靡いている状況と言えるでしょう。何れにしても、アプローチそのものに相応の根拠があれば斯様に仕立て上げる事ができるという訳です。

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