SSブログ

ミック・カーンの微分音演奏表記に伴う諸問題 [楽理]

 茲最近は書評に伴う微分音の話題もあった事に伴いまして、今回はJAPANのベーシスト、ミック・カーン(Mick Karn)の演奏例について語る事に。


  今回例示する曲は、カーンの1stソロ・アルバム『Titles』収録の「Tribal Dawn」でありまして、Walのフレットレス・ベースを奏するカーンを象徴するこの曲は、冒頭の高速&リープ音程に依るポルタメントが非常に特徴的であり、調性感の捉えにくい彼独特のモーダルな曲想感が活きている代表的な曲でもあると思うのですが、調性感の捉えにくいという曲の性格が先立ってしまう為か、実際には微分音を用いた演奏の方があまりにも着目されていない側面を嘆息し、今回取り上げる事にした訳です。

MickKarn_Titles-f54ef.jpg


 カーンはキプロスの出身でもある為、おそらくやターキッシュ・マカームの体得に於ては相当なる薫育を享けたと思われるのでありまして、且つターキッシュ・マカームとは異なるペルシャ系統の四分音系統の音の取り方も交えていると思われる為、その辺りを少々深く掘り下げて語る事にした訳です。


 中東関連の微分音については以前にも語った事がありますが、顕著な処ではティグラン・ハマシアンのインタビューに伴う記事を挙げる事ができるかと思います。今一度参考にしていただきたいのはターキッシュ・マカームという「九分音」という物と、それとは異なる体系のペルシャ地方由来の微分音のひとつの体系である四分音であります。

 前者のターキッシュ・マカームはそもそも、53等分平均律に含まれる、太古のピタゴラス音律由来の「大全音」という純正音程(9/8 ≒ 203.91セント)を9等分する事で得られる物です。これに伴う各種の微小音程変化記号は嬰変それぞれ1・4・5・8単位九分音の表記が充てられる様になったという物です。但しこうした表記体系が整備されたのはまだ80年足らずの事で、西洋音楽界隈に倣う形の表記はトルコのみならず周辺の中東地域でも同様であります。また、その際表記体系には加えられなかった3単位微分音=エクシク・バキエという微小音程があるという事も以前にも触れておきましたが、この辺りもあらためて念頭に置いていただけると助かります。

1536DC75-0308-48A4-B7ED-1A35DCD45DF9.jpeg


 扨て、トルコ以外での中東地域の音律というのは旧くからトルコのマカームの影響を受けているのでありまして、その後独自の変化を遂げてターキッシュ・マカームにはない四分音や五分音、またはそれらを近傍値と採る微分音体系が生じた歴史があり、基本的に中東地域に於ける微分音の採り方に共通して言えるのは「コンマ」の採り方に鋭敏である事です。このコンマとは、所謂シントニック・コンマに起因する物ですが、これを僅かに大きく採れば1単位八分音=25セントにもなる訳であります。加えて、元来ターキッシュ・マカームとして体得した九分音由来の単位微分音から生ずる近傍値を用いる事で、非ターキッシュ・マカームとして奏する事が可能なのでもありまして、これらをひとまとめに取り扱う状況が生じている例を耳にする事が可能な曲のひとつとして、今回の「Tribal Dawn」を取り上げているのであります。

FE425693-E864-4DD7-9686-759D7AABA138.jpeg


 そういう訳で、今回YouTubeにアップした「Tribal Dawn」のデモ曲の譜例を確認し乍ら語る事にしますが、まずはアウフタクトで入る高速ポルタメント部分から語る事にしましょう。





 結論から言ってカーンが奏する、このアウフタクト部分での顕著な高速ポルタメントで生じている微分音の箇所は何れも某しかの音律体系に完全に一致する物ではなく、フレージングされる音はあくまでも標榜する音に過ぎず、任意の音律に対して完全にピッチの合う一義的な音高として一致させている物ではありません。私の採譜した当該箇所も、原曲オリジナルのパーカス類が初めて入ってくる箇所を採譜した物であります。

 なぜ一致させていないのか!? という点は別問題として措きますが、とりあえず念頭に置いておきたいのは、ポルタメント部のそれは低い方が「C♯」、高い方が「高めのE」という風に思っていただいてポルタメントをすればよろしいかと思います。無論「高めのE」は、E音を更に突き抜けて「高めのF」を奏している部分もありますし、低い方の音は「低めのD」を採る時もありますので、ポルタメントの振れ幅としては必ずしも一定はしていないものの、その都度弾かれる音は半音階以外には、ターキッシュ・マカーム由来の九分音程に治る所を近傍としてフレージングをしている、という事を言いたいのであります。


 そうした微分音を採るのが必ずしもターキッシュ・マカームの九分音でもないのは、私が採譜した当該箇所では「明確に」F音よりも50セント(=クォーター・シャープ/セミ・シャープとも)から入って来るからであります。

 他にも、クォーター・フラット(セミ・フラットとも)で奏される箇所があるので、これらの四分音由来の音が混淆とする事を踏まえるとターキッシュ・マカーム系統の微分音変化記号だけでは済まされない事になります。據って、これらの変化記号をどうにか一つの変化記号体系で収める事はできないものだろうかと思案した時に行き着いたのが、ヘルムホルツ/エリスの微分音変化記号体系だったという訳です。


 ですので、冒頭の「+50」で示されるクォーター・シャープは、通常の四分音体系で用いられる記号とは若干異なる表記となるのは、ヘルムホルツ/エリス体系に依る物だからなのであります。


 ヘルムホルツ/エリスの微分音体系によるクォーター・シャープとクォーター・フラットは厳密な四分音ではなく、ほんの僅かに四分音よりもイントネーションが付きます。とはいえ、体系がコンマを重視した純正音程由来からの物である事を踏まえて多くの附則的な変化の対応は実に豊かでありまして、今回はある程度能く知られた四分音記号とターキッシュ・マカームを併存させるのではなくヘルムホルツ/エリスの体系を用いたのであります。


 この選択がメリットとなるのは、ターキッシュ・マカームで用いられる5単位九分音での嬰変記号は、一般的な半音階での嬰変変化記号と同一となる為、九分音で統一されていない体系では却って混乱を来します。こうしたデメリットを鑑みれば、やはりヘルムホルツ/エリスの体系の方がベターであろうという事で今回採用した訳であります。


 扨て、今一度譜例に戻って冒頭のアウフタクトの高速ポルタメント部を語る事にしますが、私が指定しているのはA弦であります。YouTubeで他のアマチュアの方の演奏ではD弦を用いて演奏している様ですが、私は敢えてA弦を指定させていただきました。ポルタメントの物理的な距離を狭く採れるという事が、より広い近傍の微分音を奏する時にも有利であろうという判断から敢えてこの様に指定しました。

 尚、高速ポルタメント中のスラーを破線スラーにて書いているのは、スラー過程の音程がある程度曖昧であっても良いという解釈での破線スラーなので、この様に用いている訳です。

 また、高速ポルタメント過程での微分音変化記号に対してセント数表記をしておりますが、それらの微小嬰変の登場毎に付与しては仰々しくなってしまう為、特定の微分変化記号が現れた時に付記しているのであります。そういう事を踏まえて、1小節目1拍目でFクォーター・フラットの次にDクォーター・フラットが出てくる時に「simile」と斜体なしにて充てているのは、「先行のクォーター・フラットと同一の変化記号ですよ」という注意喚起の為の付与なのであります。ですので、2小節目の「スウィング」をしている過程で生ずるBクォーター・フラットではセント数の付与はしていないのは、「一度現れたら、もう判るから書かないよ」という事でもある訳です。大抵の楽譜でも「同一のあり方」というのは概して同じだと思います。


 敢えて茲は強調しておきたい所ですが、「Tribal Dawn」のこの特徴的なベース・リフに有って、この2小節目のBクォーター・フラットは最も重要な音だと私は捉えております。半音階に耳慣れてしまっている方なら、おそらくこの音を「B♮音」と捉えてしまっている方が居られるかもしれません。茲は兎に角耳を注力して聴き取っていただきたい所であります。ある意味でカーンから試されているとも言えるでしょう。

 というか、フレットレス・ベースでなければ、採譜をしている時に茲が半音階と合致しない音だという事は明確に判るでしょうし、況してやフレットレス・ベースならば半音階のポジションとも合致しないのですから、それが微分音だという事に気付けないという事は無い筈なのです。

 それでいて茲を「B♮音」だと捉えてしまう人は、楽音を眼前にしてきちんと比較して採譜しておらず、自身のラウンドロビンしてしまう脳を盲信してしまって音を採ってしまった悲しき人であると言わざるを得ないでありましょう。


 3小節目は完全五度のダブルストップが顕著な所ですが、ダブルストップの同度進行となる2つ目は僅かに歴時を長く採るので、2拍目にタイで及ばせている書き方としている理由です。2拍目弱勢のF♯音はバルトーク・ピチカート記号を充ててプラッキング音を表現しております。


 3小節目4拍目弱勢のE♮音からスラーが付与されて4小節目1拍目拍頭は、E♭音よりも22セント、つまり1コンマ低く採ってくれという表記で、これもヘルムホルツ/エリスの体系による物であります。4小節目2拍目はマルカートを充ててスラップのサムピングを示しており、そこでハンマリングで「強く押弦」した直後にA弦1フレットのB♭音が僅かな音価で付与されてくれればそれで良いのです(笑)。このハンマリングも、音程的な意味では曖昧にそうして良いので破線スラーを充てたという訳であります。


 という訳で、今回の微分音表記の意図をあらためてお判りいただけたかと思いますが、悲哀なる側面として、「Tribal Dawn」に対して微分音が使われている曲だと認識されている方が非常に少ないというのがポイントでありましょうか。フレットレス・ベースを語る上では結構取り上げられる好例であるにも関わらず、微分音の部分が全く棄却されてしまっているというのが悲しい所でしょうか。半音階に均して譜例にする必要など毛頭ありませんし、こういう所がジャズ/ポピュラー音楽界隈を取り扱う雑誌の必要な所なのではないかと思う事頻りです。