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年忘れ企画! 2006年のリリース曲を振り返る! [回想日記]

振り返るのに「年忘れ」!?
う~ん、我ながら無責任極まりないタイトルネーミングセンスに悦びを隠し切れません(笑)。

2006年はサッカー日本代表のドイツでの活躍を願って、ドイツ語タイトルの坂本龍一の楽曲を用いてスタートしようと祈りを込めたものですが、あえなく日本代表は敗れ去りました(笑)。

まあ、あの面子でああいう結果なら真摯に受け止めねばならないでしょうな。一喜一憂するだけの通り雨のような似非サッカーファンはすっかり淘汰されたでしょうから、心底好きな人には返って今くらいがじっくりサッカーを見れるのかもしれません。まあサッカーに限らずどんなジャンルでもそうですけどね。音楽もまた然り。

2006年全体は主にYMO関連というか坂本龍一作品が比較的多かったですかねー。私、YMOはリアルタイムで聴いてはおりましたが、それほど好きではありません(笑)。YMOのお三方がYMO活動期に残したソロ作品の方が好きです(笑)。

四半世紀以上経過した今、自分がどれだけ分析して昇華できるのか試してみたかったんですね。YMO関連の作品で。YMOというのはシンセの音作りよりもエフェクトを重視している要素が非常に強いので、自分自身でそれを再現するためにもう一度おさらいしてみたくなったのが正直な所ですか。

今年やっていて左近治が少しヒネリを効かせたのが「F03」という無料着うたで、この曲に使ったドラムのグルーヴは少々工夫が凝らしてありやす(笑)。

この曲のドラムのグルーヴは明治安田生命のCMでオンエアされていた相武紗季が叩くドラムのグルーヴを抽出して、グルーヴの一部をほんの一部の拍部分にクォンタイズさせたのです。

相武紗季のグルーヴ。拍単位のタイム感は良いと思います。他の部分はかなり揺れています(笑)。で、キックがペダルの反動に負けて2打目が弱い感じがオツなのですな、コレが。それを取り戻そうとするテンポの揺れ具合も堪らない。なかなか得られないタイミングです。

誤解して欲しくはないのですが、決して愚弄しているわけではなく、拍単位のタイム感は結構イイと思います、ホントに。唯、他が結構揺れているというか。軸はそんなにブレていないというか。

まあ、あのボンゾ(知らない人はいないと思いますが念のため、ツェッペリンのドラマーですね)でも相武紗季ちゃんくらい揺れてる曲もあるし(笑)、ボンゾと比較すればファンの方にお叱りを受けることはないでしょうかね!?

左近治が心の底から好きなドラマーは、リッチー・モラレスとヴィニー・カリウタなんですが、カリウタ師匠はさておき、リッチー・モラレスやボンゾも実は相武紗季ちゃんのような揺れはあるんですよ、コレが。ポール・ハンフリーやケンウッド・デナードはもっと大きく揺れるかも(笑)。

でもですね、相武紗季グルーヴの元のCMの方は8ビートのbpmは170以上。これをそのままbpm100前後の一般的なテンポに置き換えても、あんまり面白さは出ないんです。

大きく揺れたグルーヴ・ファイルは、もっと細かい音符にタイムスケーリングをしてやってから反映させるともっと面白い効果が出るんですね。

例えるなら16分音符や32分音符のオカズなどに反映させたり。こういう方がより「リアル感」というか人間的な彩りを機械的なグリッドに沿ったドラムに与えることができるんです。音価が細分化すればするほど、実は人間は結構曖昧になったりするので。

前ノリ感を出したい時に32分33連符でクォンタイズしちゃったりとか。テンポによっては64分61連符とか。こーゆーのも併せ技で反映させると打ち込みドラムがさらに面白くなるんですよ。

グルーヴ・クォンタイズを採用したソフトは確かCubaseが最初だったような記憶が。記憶が正しければかれこれ13~14年くらい前のような。

ドラムは場合によってはトップとボトムで同じ楽器を違うマイクで録音したりすることがあるので、こういう時の位相合わせや打ち消しあわないようにするためにサンプル補正や音量加減など。まあ、相殺することなく音を把握できていれば遅延を僅かに与えてやることも重要ですが、アンサンブル全てにおいてそれぞれがサンプルレベルくらいまでキッカリジャストのタイミングって私は嫌いなので、機械的なノリを演出させるような曲でもサンプルレベルではずらせちゃいます。私は。

こういう時こそハイ・サンプルレートは非常に緻密に編集できるので、それらを念頭においてミックスするというかそれが本能みたいなもので、遊び感覚でグルーヴ編集にそういったイタズラをするわけであります(笑)。作っている側も楽しみたいですしね(笑)。

こういう制作をストレスなく出来るのも使い慣れた環境や使い慣れたソフト達のお陰でもあるんですが、色んな環境を味わってきた経験があると環境が変わってもしばらくすれば昇華できるのでありますが、右も左も分からないレベルからいきなり何でも有り系の環境やソフト達で音楽をやろうとする今の世代の人達は、便利さの反面大変だろうなあーと思うのであります。

それこそイク族に突然文明の利器を与えてしまった弊害にすら投影できてしまうかもしれません。便利であるはずなのに順応できずに、結局は理性すら失って自己の欲望を優先させてしまうという悲劇的なアレですな。

今の学校教育も、夏休みの宿題はパワーポイントで絵日記作ったりホームページやブログだのと、小学生でこういう時代なワケですが、順応できない子はどうなんですかね!?本当は知りたいはずなのに、携帯しか使えずにいざ携帯をどれだけ使いこなすかと言えば出会い系だの、異性方面でしか利用していなかったり(笑)。

利便性というのは客観的に見た時初めて気付くもので、利便性に操られてしまっている段階であれば、客観的に見ると実はその人にとって不要ではないかと思えることも多々有り(笑)。

幼稚な発想をする輩はそういうもどかしさをコントロールできなくなるとイジメが発生したりギスギスした感じになっているのだろうなーと他人事にように傍観している左近治であります(笑)。苦労の泪を歓びの泪に変えさせる教育やしつけ。子供のころは散々うざったい思いをしたのではないでしょうかね(笑)。

排便している時に紙が無くても自分手を使って拭こうとする人はそうそういないでしょうから、まずは自分で考えて経験しろ、ということですな。

他人のグルーヴを自分のモノにするということはすなわち、社会の潮流にグルーヴしながら会得することでありますな。

さあ明日もグルーヴグルーヴ、と。