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文化祭 [回想日記]

扨て、先日左近治は某高校に潜入してきたワケでありますが、私の出身校とは縁もゆかりもない学校ではあるものの、何十年かぶりに学舎に入ると非常に懐かしさを感じるものでありましてついつい学生時代を思い出してしまいました。
まあ、親戚が演奏するってぇんで見に行ったワケですけどね、あんまり口うるさくするのもアレかなぁ、と思いつつ、時たまそのバンドに助言したりだの、これまで何度か手を貸したことがあったもので、それで見に行ったというワケであります。


ホンネを言えば、インフル騒ぎの渦中で学校にはあんまり足を運びたくはなかったんですが(笑)、まあ真っ先に驚いたコトというのは、先生達のほとんどが若く見えるほど私は年を取ってしまったんだな、と(笑)。初めてお会いする先生にも深々と挨拶をされ、敬語まで使われてしまうという立場。隔世の感を覚えます。


私が高校時代の文化祭ライヴというと、左近治はジェフ・ベックの「El Becko」、カシオペアの「ギャラクティック・ファンク」ザ・スクエア(現T-SQUARE)の「Change Your Mind」、渡辺香津美の「Good Vibration」などを演奏したものでありまして(笑)、生徒よりも先生達が喜んでくれるようなラインナップを演奏したモノでありました。


そういう時代と比較して、いわゆるフュージョン系のバンドにはお目にかからなかったモノの、なにより変化しているのはエフェクト類や出音そのものですな。


ライヴでラップトップをエフェクトやら音源として使うのが定着したのはここ5年くらい(5年前でも結構先駆者だったでしょう)だと記憶しているのでありますが、OSの安定性やら色んな要素があって、ライヴで突然音が出なくなった場合のことを考えると、ライヴステージに導入するのは相当神経注がなくてはならなかった部分が、動作が安定してくるようになるとこれだけ恩恵にあずかることができるようになるワケですな。


ラップトップやらエフェクト類が充実してノイズの少ない音、または同期演奏もごく普通に高校生が採り入れている現状を見ると、YMOの時代からココまで変わるモノかと驚きを禁じえなかった左近治であります。


音がきれいなので、演奏面でボロが出やすいという側面もあるワケですが、ドラムっていつの時代においても大変だな、と(笑)。コイツが音決めるようなトコロがあるんで(笑)。

私が今現在の高校生なら、モニター状況やPA再生状況を考えれば、ドラムは割り切ってV-Drumsにして、ベースとギターもラインにさせてしまうと思うんですが、やはりガテンな世界はいつの時代においても好まれるのでありましょう(笑)。


結果的にいつかはどこかで音を増幅して出力せねばならない楽器やシーンが招いてしまうコトでありますが、音質はそのままで音量だけがキレイにリニアに増幅してくれるってぇアンプなど、ギターやベースなど出力ワット数がかなり大きくないと音が歪み出す(ひずみ)閾値が低いものでして、早い時点で歪みだしちゃうんですな。それでも歪みださずに音量がソコソコ稼げるのは、利得が高いからでありまして、すなわちアンプとスピーカーのインピーダンスが低く、且つスピーカーの音圧レベルが高い利得があるからでありまして、これらが低ければ大出力ワット数を誇るアンプでもなかなかリニアに音質を損なわずに音量を増幅するのは難しいってぇモンです。


アンプのクセを知らない&自分の演奏だけに溺れて音をデカくしてしまう→他の楽器も音を上げる→PA再生でボーカルが不明瞭になってくる(PA側の限界に近い)→ドラムはゲートの処理もできずに殆ど生再生に近い(わずかにスネアとキックを鳴らす程度)→全てのオケが喧嘩し合った状態での音量合戦になり、モニターにも影響を及ぼしハウリング


という、こういう状況を結局を生み出してしまうのは今も昔も変わりないんでしょうな。

折角、各プレイヤーの領域で見ればノイズに悩まされることも極力少ない音作りや再生が可能となっているにも関わらず、「交わり方」を知らずに結果的にPAも小規模&低予算なため実力を発揮できずに、その辺の公民館で鳴らしているかのようなカラオケ大会で音だけヘヴィ・ロックやインダストリアル(笑)もどきの音になっちまうってぇのが残念なコトですな。

無論、全部が全部どこの学園祭においてもこういう問題を抱えているワケではないでしょうし、きちんとそれを把握しながら聴かせる演奏をしている人達もいるでしょうけどね。


多少なりともキャパが大きくなるようなハコでライヴをやるようになれば、PA再生の音と、自分自身の領域でモニタリングしている丹精込めて作った自分の音がどういう差異が生じているかという客観性と認識力を身に付けなくてはエフェクト類やらがどんなに進化しようとも変わるワケではなく、ここを無視していけばいつの時代であろうともひどい音になりかねない状況に陥ってしまいます。どんな音であろうとも個性がそれをかき消すほどの魅力を備えた方ならまた別のコトでしょうが(笑)。


とまあ、演奏者側のエキップメント類というのには隔世の感を覚えたモノでありますが、最終的な音の部分では結局のところ今も昔もそれほど変わってねーな(笑)、という印象を抱いた左近治でありまして(笑)、そういう現実を見るとある意味ホッと胸をなでおろすと言いますか(笑)、私自身まだまだ時代に取り残されたワケではないのだなと思ったワケでありました。


ただ、今の時代を生きる若い世代の人の環境は非常に羨ましい限りですけどね(笑)。


昔のサンレコってぇのは、マイクのハウリング防止策として物理的にマイクの移動の距離を稼げないときなどでモニターに送る信号にショート・ディレイかませて送ることで「電気的に」距離を遠ざける方法だとか、ドラムやらのミュート活用法だの、どういうシーンでゲートをかませるのか、という情報が非常に少なくなってDAW中心であるのが残念でなりませんな。まあそれでもライヴの実演部分においてチラッと語っていることが結構重要だったりすることもあるんですが、DAWが普及することによって蔑ろになりかねない客観性というのは今一度再認識する必要があるのではないかな、と思った次第でございます。