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Mourning Callをよろしく [回想日記]

還暦を迎えずに逝去されるのは些か残念で他なりませんな。忌野清志郎氏が逝去、というニュースが飛び込んで参りました。

まあ、楽理的な面で言えばRCからは影響を受けていないとも言える左近治でありますが、私が人生初めてのウォークマン(=ウォークマンII)を手にした時のカセットにはRCサクセションの「PLEASE」が有ったコトは間違いなく、しかも、当時の連中と音合わせする時など、TENSAWやCharさんの「Shinin' You Shinin' Day」、CCRやらキンクスやRC、とまあ、バンド的には非常におさまりやすく、全く無関係だったワケではないのであります。スタンリー・クラークに心酔していた私が、当時の連中と音出す、となると途端にジャンルが変容してしまうモノでありました(笑)。ただ、忌野清志郎という、ドアーズやピストルズや頭脳警察など、チョットばっかしどっかのヒエラルキーの小脳に呼応してしまうようなスタンスとは別のパンクス的スタンスを好んでいたのかもしれません。ご冥福をお祈り致します。


「ブログタイトルにしてるRCの曲名とは実際にはスペル違うだろ!?」

とまあ、イチャモン付けられるかもしれませんが、「追悼=mourning」という所と朝のモーニングを引っ掛けているという、ま、無粋ではございましょうが、一応述べておきますね。

とまあ、故忌野清志郎氏をあらためて振り返るとですね、ほぼ30年前の記憶が蘇って来るワケですから、私自身、人生はおそらく折り返しているでしょうから隔世の感とともに、自分の年の重ね方というものを感慨深く思ってしまうワケでありますよ。

ラジオが小型化するだけでも凄かった時代。トランジスタ・ラジオという名称など非常にポピュラー。そんな時代にポツンとウォークマンがあったワケですから、ラジオとウォークマンというものが音楽界においてどういう影響を与えていたのか推して知るべし。ホルガー・チューカイの「Persian Love」だって、ありとあらゆるFM放送からの素材を使って作られておりますな。

今だってラジオというメディアは健在。どういうメディアを用いて忌野清志郎の逝去という情報を得るにしろ、影響力のあったひとりの人物の死を目の当たりにしても、現実には自身の健康というものにかき消されて、他人事のように思ってしまう人の方が多いのではないかと思います。


ジョン・レノンが暗殺されました。ちょうどあの頃RCはパワフルに世に放たれていたワケですよ。


自分が体を患ってみて初めて「健康」を知る。みんな自分可愛さに豚インフル心配してますけどね、どこのメディアもたった生後四ヶ月の乳児の安否を心配するどころか「豚インフル上陸!」というような、さも招かれざる客かのように扱われているだけの情報というのは、身勝手極まりないモンですな。

てめえの子供がいざ豚インフルになったら、とっとと隔離するより我が子の心配をするであろう、そういう側面の「配慮」を欠いた報道ばかり。乳児となれば母の母乳による免疫が作用するはずでしょうが、そんな免疫も飛び越えて感染してしまうのが豚インフルではない型のインフルエンザだった、と。

最近の母親は母乳与えていないのだろうか?と豚インフルであろうとなかろうと、豚インフルじゃなけりゃ知ったこっちゃねえとばかりに手のひら返しするようじゃ、感染疑いのある人間の年齢やら性別やら報道する意味がどこにあるのだろう?と思ってしまうワケでありますよ。


こんな世界で清志郎氏は逝去されていったワケでして。ある意味こんな世の中から「逃げるんだげるんだ」していったのかもしれませんが、ご家族の事を思えば悔やむべきことなど沢山あるでしょうし、まさに考えさせる時にお亡くなりになられてしまったなと痛感してしまうんですな。


他人のコトなどいくらでも色眼鏡で見てしまうというのが殆どの人に共通することなのに、そんな変化球持ってるクセして、いざ自分の身に危険が及ぶとあらば、まあ素直に直球受け入れて穿った見方どころか迂回して配慮の心すら健忘の彼方と来たモンだ、と。

マージン少ない輩が増えておりますからね、配慮と変化球の使い分けも判らず迷走する、と(笑)。音楽の根幹を知るにも似たようなコトで結局迷走してしまうだけにすぎないワケですよ。本質を見抜くことができないのならそこで終いにするんじゃなくて、そこまでで培ったモノからマージンを会得してナンボだぞ、と。この余白に埋まる時こそが糧となるんですが、世の中急ぎすぎているんですかねー。死に急ぐことだけは拒絶するクセに(笑)。

だからこそ風化させずに配慮の気持ちは必要なんだぞ、と言いたいワケなんですな、コレが。