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『コード理論大全』(清水響著)を読んで [書評]

 世俗音楽界隈の音楽書を手に取る事の少ない私ではありますが、本書に於ては刊行前から私は注目していた事もあり、今回書評を述べる事とした次第です。


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 刊行前から、リットーミュージックのサイトにて詳密に編集項目を列挙されていたので、その箇条書きから著者の言わんとする事は伝わって来ますし、何より、機能和声と非機能和声(旋法和声など)の差異を明確に縷述せんとする旨が緊々と伝わって来たので「これはもう、買わねばなるまいな」という気にさせて呉れた物でありました。

 結論から先に述べておきますが、本書の根幹でもある特徴的な事は次の様に挙げる事ができるでしょう。

 例えば、通り一遍のジャズ/ポピュラー界隈の音楽書が触れそうで触れずに齟齬となる部分や、あまりに体系に靡きすぎる例示についつい尻込みしがちだった読者の不安を払拭させて呉れるのが本書の最大の特徴でもあり且つ必読書になりうる1冊であろうと思われ、内容に於ては私自身充分に満足しうる物でした。

 税抜き価格で2800円はあまりに安い位であり、内容の詳密さに加え、その確かな文章量は、同社から刊行されている納浩一著『ジャズ・スタンダード・セオリー』の5〜6倍はあるでしょう。

 遉に、B5変版とA5版での文章量を同一視はできませんが、B5サイズというのは多くの音楽書に於て譜例の大きさと文字量のバランスを取りやすい絶妙なサイズだと思うので、そのサイズにて語られる文章量には納得させられる物でありまして、読書の苦手な方でも平易な文体から読み疲れする事はないと思われます。

『ジャズ・スタンダード・セオリー』はジャズを俯瞰し乍ら書かれておりCD付録となる物でありますが、その内容自体にはあまり多くの事は触れられていない事もあり、あらためてコチラの『コード理論大全』の方があらゆる側面から拏攫して語られる所に溜飲が下る思いにさせて呉れる事でありましょう。

『コード理論大全』と謳いつつも音楽全般を俯瞰して一切の無駄の無いほどに研ぎ澄まされた文章にて端的に語られている点は、読者が早く結論を知りたいという衝動に駆られる事を蹂躙する事なく熟慮された文章であり、とても読みやすいのではないかと思います。

 但し、初学者がこの本からジャズ/ポピュラー音楽界隈の理論のイロハから学ぼうとすると面食らう事でしょう。ジャズ/ポピュラー音楽界隈に於て一定以上の音楽的素養のある人が必読となる本であります。それでも本書は比較的敷居の低い所から語られているとは思いますが。


 例えば、私のブログを初学者の方がお読みになった時、機能和声に於ける副十三の和音の取り扱いに際してDm7(9、11、13)という和音を紹介した場合、マイナー・コードに於て長十三度が付加されるそれが、機能和声原理主義的な頭でっかちの考えですとその13th音はアヴォイドであり是認したくは無いと思われるでしょうが、本書では機能和声と非機能和声の世界観を順序立てて説明している為、マイナー・コードでの13thの取り扱いひとつを取っても、その在り方の「多義性」または「一義的」な方面での解釈は腑に落ちる事が多いのではないでしょうか。


 本書を読み進む上で必要な前提は次の様に表す事ができるでしょう。

◆機能和声でのドミナントの取扱い(副次ドミナントを含)
◆トライトーン・サブスティテューション(三全音代理)について
◆偽終止、変進行、弱進行および転調の振る舞い方
◆非機能和声(旋法和声)の振る舞い方

という状況にて、同じ和音構成音であっても、その構成音は機能的/非機能的という状況で取扱いが変わるという事を詳らかにしている所は他の音楽書には見られない程に親切な内容であると思いますし、巷間広く見られる事がある様にジャズ理論の内の瑣末な側面の理解に甘いが為に、始原的な機能和声方面の理論に打ち負かされてしまいかねない局面など音楽的な議論の応酬では能く見られがちですが、こうした状況でいずれの状況も欠いてしまっている事は、異なる音楽的状況を同じ土俵で議論を交わそうとしてしまっている点にあります。

 然し乍ら機能和声の方面は長調を中心に厳格で一義的な解釈を是とする事で方法論が構築されているのであるので、その厳格的な決まり事の堅牢さに、曖昧模糊とする脆弱な方面は屈伏せざるを得ない様な状況にすら遭遇する事は珍しくはないでしょう。

 処が、音楽における、それらが示して呉れる「両義的」な見解を、著者は両論併記で示すのではなく、順序立ててどちらも是認可能の様に、局面の違いを明確にし乍ら縷述するので読み手からすれば読みやすい事この上ない事でありましょう。

 三全音代理という状況を例にしても、通常ならば「裏コード」という俗称を利用すれば通ぶった語句となり、言葉のそれ其の物がバズ・ワードたるパワーを有して、その実大した意味を伴っていないのに、読み手が「通」ぶる事ができつつ自尊心をくすぐるだけの身も実もない語句に大抵は騙されそうになりますが、本書では裏コードなどという通俗的な言葉を使わず「サブスティテューション」という言葉を充てつつ「subⅤ7」という表記を充てているので、非常に好感が持てます。

 副次ドミナントについても、ドッペル・ドミナントは西洋音楽界隈では通常「Ⅴ度のⅤ」という風にも語られたり、所謂「島岡和声」の和音記号では「何度の音が変化したドミナント7thコードなのか?」という事を峻別できたりする特殊な和音記号が付与されたりする物ではありますが、本書では「何度由来のドミナント7thコードなのか?」という事をきちんと明示しているので、深く理解におよぶであろうと思います。

 また譜例の一部には四声体書法で書かれている物もある為、横の線の流れという物が非常によく判るのではないかと思います。殊にコード・シンボルだけに慣れてしまうと横の線の繋がりが疎かになりかねないので、こうした四声体書法がちりばめられている点も非常に好感が持てる処です。

 加えて、マイナー・コードでの13th音というテンション・ノートという1点だけを比較考察するだけでも本書の良さが際立っている事は次の様に喩えるとあらためて理解できる事でしょう。

 例えば長調のⅡ度を根音とするDm7のテンションや13th音を取扱う際、259頁最下段では、トライトーンを包含するのでアヴォイドと解釈するのは、それが「長調」での振る舞いの為であるからであります。

 然し乍ら302頁では、13th音を使用可能のテンションとしているのは、それが「ドリアン・モード」での振る舞いだという事で語られている訳です。


 こうした「金言」は他にもあります。プライマリー・ドミナントとセカンダリー・ドミナントにおけるテンション・コードの取扱いに対して付言される言葉には、そのさりげなさに驚くばかりでして、非常に価値の高い重みのある言葉ですのでオルタード・テンションを用いる事の是々非々と共に、進行過程で生ずる部分転調やモーダル・インターチェンジにおける振る舞いは詳らかに理解できる事でありましょう。特に279頁での文章は、あらためて読み手に訴えかけて呉れる思慮深い言葉であります。


 扨て、私が本書に於て1点だけ注意すべき部分と指摘したいのは222頁に於けるCdim7コードでの減七度を「長六度」と置換して読む部分であります。

 これは著者に責任があるとは思っておりませんし、著者が例示する譜例はCdim7に括弧を括って同義音程和音としてのCm6(♭5)を載せているのでありますから、この譜例を熟読すればCm6(♭5)に長七度がアヴェイラブル・ノートとして長七度が付与される状況をきちんと読み取れる事でしょうが、多くの読者は著者が予想する以上に皮相的で愚考を伴っていたりするので、この頁の論述を見るに

「ほら見た事か。減七の和音に長七度が更に付与されてもイイんだ!」

などという風に、最も錯誤に陥りやすい部分であるので、ここばかりは注意が必要とされる部分だと思ったわけです。

 無論、著者は「マイナー6th(♭5)に長七度音はアヴェイラブル・テンション」であるという事を説明しているのですから、譜例にも文章にもきちんと目を通せばよもや「減七の和音に長七度を付与しても可能」などという風には理解しない筈ですが、それでも莫迦どもは、この平易な文章から逆に、多くの実態として生ずる減七を括弧で充てられる同義音程和音のそれを深読みせずに錯誤してしまうだろうと私は感じたので、この頁ばかりは読み手は留意して読む必要があるかと思います。


 近年では、マイナー6th(♭5)コードを著書で明示したのは、濱瀬元彦著『チャーリー・パーカーの技法』でありましたが、最も有名な例としては高中正義の「Blue Lagoon」でのイントロにて「Edim7 -> E△7」の2コードとして知られるそれでしょう。Edim7上でD♯音のメロディーが生ずるので、これは本来ならばコード表記が「Em6(♭5)」上でのD♯音であるべきなのですが、多くの市販される楽譜も「Edim7 or Edim」表記という「悪しき」実際があるのです。そういう例がある事も手伝って、先蹤を傷つける様な事をしない様におそらく著者は言葉を周到に選んだ上でこのような柔和な表現になって譜例で明示するしかなかったのではないかと推察します。

 これらに加えて特筆すべきは、コンパウンド・コードに於ける体系の明示化でありましょう。例えばマーク・レヴィンの著書でも取り上げられる所謂分数コードである「スラッシュ・コード」という名称は先蹤を拝戴した物でありましょうし読み手の混乱を避ける為の配慮でありましょう。それに加えてオン・コードのそれの体系化は非常に特徴的な分類で目を瞠ります。

 加えてハイブリッド・コードおよびポリ・コードの取扱いに於ける斜線と括線の使い分けはあらためて頌讃して已まぬ分類であると言えるでしょう。界隈ではこれらと異なる語句を用いる事も勿論あるでしょうが、方々に配慮された分類となっているかと思われますし、ポリ・コードのこうした分類がその後のバイトーナルおよびポリトーナル・コードを視野に入れる物でもあるのは、文中にある西洋音楽界隈への言及が示唆しております。

 ここで、マーク・レヴィンの名が出てきたのであらためて語っておきますが、例えばマーク・レヴィンはメロディック・マイナー・モードのⅤ度のスケールを今後の課題の様にして取り上げて明示的な分類は避けておりましたが、本書ではきっちり分類して取り上げております。

 無論、メロディック・マイナーに限らず、和音から眺めたアヴェイラブル・ノートという着眼点は首尾一貫して用法も含めて丁寧に語られておりますし、これまでのジャズ界隈がついつい疑問としてしまうような点を詳らかに取り上げているのは素晴らしいと思います。但し、その平易な文体は、横組みである事で視覚的な惰性で弾みが付きすぎて読み飛ばしてしまう人も少なくないかもしれません。

 視覚的な惰性をつけにくくする要素は概して縦組みの本だと思うのですが、こればかりはどうしようもありません。読み手が読みやすさに胡座をかいてしまって肝心な部分を読み飛ばしてしまう様な事を避けるしか手立てはありません。


 アヴォイド・ノートのひとつの要素となる短二度(短九度)や6thコードの限定進行音については近藤秀秋著『音楽の原理』(アルテスパブリッシング刊)や西洋音楽の和声学のそれの様には語ってはおりません。これは抜け落ちているという訳ではなく、転調を視野に入れた時のノン・ダイアトニック・コードやモーダルな状況における6thコードへの言及がヒントになるかと思います。

 また、明示的な下方五度進行を採らないドミナント7thコードや、等音程ステップでの和音進行のそれらはニコラス・スロニムスキーやコルトレーン・チェンジも視野に入る事がそれらとは少々呼び方を変えた方面から詳らかに取り上げられているので、ジャズ的な部分で見てもかなりの面で多角的に網羅している内容ですので、ジャズ/ポピュラー音楽界隈に於て新たな必読書が出現したのは疑いのないところであります。私は強くお勧めします。