SSブログ

不完全和音について──ジャズ/ブルースの6度 [楽理]

 扨て、13度音までを堆積する和音の重畳しいそれは「不完全和音」という形にて形成すれば和音としては幾分重厚さの影を潜めて淡く響く様にする事もできますが、世俗音楽界隈にて「不完全和音」という名称に拘っている方面は恐らく無いでありましょう。通常、和音が上方に3度累積を求めて堆積して行く際、7度を抜かして9度や11度があるといった風には形成しないのが西洋音楽での和音体系としての型です。その上で3度堆積の一部の3度音程がスポイルされている状況の和音を「不完全和音」と体系づけるのです。そうした件を鑑みた場合、世俗音楽界隈でのコード種である「●add9」というのは7th音の無い不完全和音という風に括られる物でありますし、「●m7(11)」というのも9th音の無い不完全和音状態である訳です。「●7 (9、13)」という類のコード種も、11度音の無い不完全和音として括られる物です。


 パワー・コードは五度音程を採っている時は或る意味では「空虚五度」とも言える状況ではありますが、パワー・コードを弾いていたとしても他の旋律が3度を補っている状況のアンサンブルの方が多いでしょうから、西洋音楽界隈での「空虚五度」とはまた違いますし、基底に備わる普遍和音が「空虚」となった不完全和音というのは、そういう意味では「Ⅱm7/Ⅴ」或いは「Ⅳ6/Ⅴ」の型で能く見受けられる様な物も最低音から探ればその様に解釈する事も可能でしょう。

 13度の和音が現われる場合(不完全和音ではない)、その際ダイアトニック・トータル(=全音階の総合=総和音)状態であるが故に、進行というものは閉塞させてワン・コード感に転ずる様な状況を作る事にも貢献するでしょうが、各声部のリフ形成に変化が求められるでしょうし、線の在り方を問われるのか、それともピアノやらが和音を稼ぐ事に他のパートが甘受するのか!?という色んな策があるでしょうが、少なくとも、13thコードが存在し得る為のリフ形成というのは基底和音ばかりに拘ったフレージングをする様では目も当てられません。


副十三の和音

 13thコードをそれほど進行の閉塞感もなくスンナリと溶け込ませる事に貢献するのは、11度を抜いた「●7(9、13)」というタイプの型が和声的な相性が良いのであります。

 何故なら、五度和音(根音・5th・9th・13th)に対して《3rd・7th》というもう1組の「別系統」の五度音程が組み合わさり、それが根音を2度で暈滃する(=すなわち七度音を附与する)状態であるため、五度音程の重畳の明澄感に僅かに二度がぶら下がっている様な状況である為、和声的には疎外感の少ない暈滃とある程度重畳しい響きとなる訳です。

 「もう1組の五度音程」が何故別系統であるかというと、3・7という間に11が入れば、「3・7・11・R・5・9・13」という風に綺麗に五度の重畳が見られる訳ですが、「11」が無い事で寸断する訳です。或る意味では裁ち切る場所があるからこそ、進行の閉塞感を伴わせない響きを得られるとも言えるでしょう。


 とはいえ、ジョージ・ラッセルですら「美しい」といった、下属音上で生ずる副十三即ち、「●△7(9、♯11、13)」という物を見ても進行の閉塞感を伴わないのは音響的に整って響くからでありますが、基底和音に対して短二度上方に備わる音が皆無ですから、このコードはアヴォイドが無い訳です。リディアン・トータルと同様に、ドリアン・トータルも同様なのです。

 但し、界隈ではドリアンの6度をアヴォイドとする所があるので、マイナー13thとしても用いない(※マイナー・メジャー7thコードを基底としている時の13thは有り)とする所もある訳ですが、先に述べた様に、トライトーンの包含云々でアヴォイドというのは実際には古い考えでもあります。無論、易々とドミナント感を演出する様なフレージングしか出来ない様な人がアヴォイドを易々と使ってはいけません(笑)。

 以前にも述べている様に、トライトーンが複音程に引き延ばされる副十三の和音というのはリディアン・トータルとドリアン・トータルしか無いのです。

 オクターヴ同一性とやらを視野に入れれば、トライトーンが単音程だろうと複音程だろうと、アヴォイドを使わぬ方向にて準えた方が多くのケースでは巧くやり過ごせる事でありましょう。然し乍ら、オクターヴの同一性というのは、低次の整数比が隣接した音程比として現われている状況と見做す事が前提なのであって、オイラーが発見している様に、実際は2:3の音程比よりも1:3の音程比の方がうなりが少ない明澄感の高い音程比を形成するので、前提が崩壊する訳です。


 すると、複音程というのは多くの音脈の影響を受ける訳でもあるので、間口を広く構えて多くの音脈を吸い込む様な物かの様に考える事もできる訳です。

 すると、三全音が単なる三全音ではなく、色彩的&音響的にだけ振る舞い下方五度進行の稀薄なドミナント7thコード、或いはドミナント7thコードとしては体系化されていない三全音を含む副和音の類などを視野に入れ乍ら用いる事も可能となる訳です。勿論気をつけなければならないのは、ドミナント感を易々と映じ易いフレージングをしてしまわない事に尽きる訳ですが。


協和の夜明け

 アヴォイド・ノートが何たるや!?という事を今一度振り返れば、アヴォイド・ノートたる音を包含しつつも和声的に用いられる稀な例というのは存在します。

 ♭6th付加のコードは最たる物です。それは実際には♭6thたる音が根音となる和音の第3転回形なのではないか!?という声もある訳ですが、この様なレア・ケースなコードを見るのはSDのアルバム『Aja(彩)』収録の「Deacon Blues」のイントロが顕著でありますが、短二度を不協和と捉える限り、基底和音に対して短二度が形成される音をアヴォイドとするならば♭6thの付加は実際にはアヴォイドという事になるでしょう。




 併し、体系的にはこれを是認している所もあり、如何にしてコード体系が曖昧であり「多勢に無勢」という側面もあるのかという事がお判りになります。その手のレア・ケースの和音種でしたらマーク・レヴィンが「The Jazz Theory」にて取り上げておりますし、山下邦彦がゲイリー・バートンにインタビューした時の遣り取りに依れば、ゲイリー・バートン曰く「そのコードを敢えて表現するならばエオリアン・マイナーと言えば通じるのではないか」という私見を述べたという例もあります。

 ジャズの世界に於いても既知のコード体系に雁字搦めになったコード種を用いている訳ではないという事です。見かけ上短七度と長七度が混在している例などもある訳なので、アヴォイドとは、鋭く強い不協和音程たる短二度形成が基底と共に形成されてしまう事であるという風にきっちりと語っている近藤秀秋著『音楽の原理』というのはあらためて、協和/不協和を非常に深く捉えているが故の内容である事をあらためて思い知らされるのであります。


楽曲使用例として

 例えば、私が早々とYouTubeにアップロードしていた次のデモ演奏でのベースで弾かれるフレーズというのは、コード進行的にはキーがE♭で《Ⅰ△→♭Ⅶ→♭Ⅵ→Ⅴ/Ⅱ》という風になっているのと同様なのです。



IMG_3403-a5f15.JPG


 コード・サフィックスは今敢えて載せませんでしたが、コード進行の大まかな体系というのを伝えたいが故に、度数の側を明確に書いておけば充分だろうという考えから省略したのです。

 アース・ウィンド&ファイアーのアルバム『黙示録』収録の「In The Stone」の進行と大きな意味では同じです。また「♭Ⅵ→♭Ⅶ→Ⅰ△」という風に逆行すると、SDのアルバム『Countdown to Ecstasy』収録の「King of the World」のイントロと同様という風にもなる訳ですが、曲調というのは全く異なる物になるのですから不思議な物です。

In the Stone




King of the World





 私が用意したデモは8/8という拍子で捉えている為、多くの人は一つのコード・チェンジを2小節として聴きたいかもしれませんが、その辺りはご勘弁を。

 最初の1小節目の《E♭△7(9、13)》のコード・ヴォイシングを見てもらえればお判りですが、左手は5th音を暈滃させる様に6th(=13th)をぶつけています。混濁の度を強めるのではないかと思われるでしょうが、[E♭ - B♭] [G - D] という2組の五度音程に対して上下に二度音程となる [C - F]を充てているのです。これらの音程が明澄感を保たせているのであります。


 処で、私がこのデモ曲で解説したいのは3〜4小節目にて時折弾かれるアウトサイドなフレーズなので、それらをきちんと説明したいと思うのですが、譜例3小節の6拍目のG♭音は当初YouTubeにアップしていた譜例の方ではGとなっていたのを訂正しておきました。

 とはいえ、C♭を根音とするC♭△7(9、♯11、13)の増十一度=Fである可きなのに、なぜ私はそこで本位十一度たるナチュラル11thを強行しているのかと言うと、このF♭音は直後のE♭音の下行導音たる役割で採っており、加えてこれがフレットレス・ベースならばF♭音は中立音程で採ろうと企図している物です。その際(微小音程を企図する時)記譜上のF♭音はF♭より50セント低い音或いはFより66セント程低い音で「訛らそう」としている物です。

 とはいえフレッテッドに於てそれを演出するのではなく、単なるE♭に対して下行導音をF♭として強行させる場合、単音程に転回した時の [E♭ - F♭ - F] という犇めき合いは、これらの集積した音が「下行」への動力を強めるのもあり、私はさらに暈滃させているという狙った音なのです。

 リディアン系統の響きを本位11度の音が経過的に遣って来て、さもミス・トーンの様にも映るかもしれませんが、実際にはE♭への下行導音的にフレーズさせているので、これがリディアンではなくC♭メジャーを強行させていても然程変には聴こえないと思います。その上で後続の8拍目ではリディアンたる音使いでメリハリを付けている訳です。


微小音程からの回答

 では、中立音程を用いてどれほどメリットがあるのか!?と思われるかもしれません。12等分平均律の耳から聴けば間違いなく「音痴」な音なのですから。然し乍ら、少なくとも半音階に対して鋭敏な聴き方を体得する様になると不思議と微小音程の捉え方にも鋭敏になる物です。それは、音痴な音に寛容になるのではなく鋭敏になっているが故の狙いなのです。

 感覚が鈍磨している訳ではないのです。おそらく大概の人は、短二度やらも鋭い不協和だからこそ微小音程とて音痴でつまらぬ音だろうと捉えてしまう事でしょう。では先に挙げた24EDOのサンプルはどの様な物でしたでしょうか。先の四分音を用いたコード進行は譜例としては次の様になります。
IMG_3405-f2bbd.JPG



 集積した音符が見せる譜面〈ふづら〉からは感じが異なるのが微分音の柔和な作用の面白い所です。短二度という音程が如何に「鋭い」不協和なのかがあらためて能く判ると思います。

 こうした事に託つけて次のサンプルでは冒頭にて四分音を用いつつ、初音ミクが唄う最初の音はデフォルトで1単位六分音低い事に乗じてこのようなデモ曲を作った訳です。恐らくは微小音程に対する「音痴」な感じは稀薄で、妙に虚ろな観を備えている様に聴こえる様でしたら作り手の側としても一安心です。唄メロ部の最初のコードは、Am9 (♭5) というハーフ・ディミニッシュトadd 9 でもある訳ですが、中立13度を附与しているのは9度音と13度音との和声的な親和性を考慮しての事です。



 微小音程の「着地感」という物はなんとなくお判りいただけたかと思いますが、少なくとも四分音(=クォーター・トーン)を用いてその着地感を巧妙に聴かせている顕著な例が、マイケル・ブレッカーが奏するマイク・マイニエリの「I'm Sorry」では以前にもブログで取り上げたのでお判りかと思いますが、マイニエリのソロ・アルバムであるスタジオ版およびブルー・モントルーのライブのプレイ何れも同様の四分音でプレイしているので、あらためて耳にしてみて欲しいと思います。


アウトサイドの音脈

 あらためて先のデモの解説に戻りますが、4小節目の《Fm7(on B♭)》にて、私が想起しているのはB♭13に他ありません。とはいえB♭の属十三を単に想起しているというよりも、オルタード・テンションを纏わせたB♭13を想起しつつも、以前にもやったチック・コリアの「King Cockroach」のアプローチと同様のドリアン・トータルでの新たな三全音の脈を用いているのと同様なのですが、このコード《Fm7(on B♭)》のB♭音とF音に対して三全音を作ると [C♭ - F♭]を見出す事が出来る訳です。










 それを《Bm7(onE)》と見るか、《E13》と見た上で、虚構のこのコードには9th音をオルタレーションさせずに対応させて、相当する「G♭=F♯」を忍ばせつつ、7〜8拍目でのアプローチは基のコードに戻っている訳です。





 チック・コリアのアウトサイド・アプローチの解説は下記の通り
当該アプローチはYouTube5:07〜

参考ブログ記事

硬減和音とドミナント7th Flatted 5thの同義的解釈

類似ブログ記事

非音階固有音という「滲み」

硬減和音が掠め取る

13thコードを想起したジャズ・アプローチ

ミクソリディアン♭5thスケール


 通常、ジャズの世界に於ては三全音代理を行なう際、それが例えばハ長調の調域にてG7がありそのドミナント7thをD♭7として代理させた時、実は導音と下属音がすり替わっている事は忘却の彼方にしているのがジャズでもあります。

 その矛盾を巧く中和させるのが、代理として応答させた虚構の調域の9度をオルタレーションさせない様に「堪える」のが賢明なのです。

 その際、三全音代理として想起しうるドミナント7thコードを、メロディック・マイナー・モード上のⅣ度と読み替えると、D♭7での9thをオルタレーションさせずにE♭音が生じたり、虚構のモード側の本位音度が基の三全音代理前の調域と巧みに手を取り合いモードの道を逸れずにアプローチできるのは初歩中の初歩の事であります。

 この読み替えが可能としているのは、メロディック・マイナー・モードのⅣ度上に生ずるドミナント7thコードは、下方五度進行を行なえる事のできない閉塞した(鎮座した)ドミナント7thコードとして捉える事ができるが故の読み替えでもあるのです。


 加えて、《Fm7(on B♭)》というコードを「B♭13」と想起した場合の三全音は「D - G♭」です。この組に対応する三全音代理として読み替える事ととも同等なのです。嬰ニ短調・変ホ短調の脈で強行させる事も可能なのです。

 こうした捉え方は調域さえ合致していればE♭エオリアンと読もうがFロクリアンと読もうがB♭フリジアンと読もうが、奏者の見渡しとして都合の良い所でモード・スケールの基準を見渡すのは自由であり、結果的にはリディアン・クロマティックというのはそうした見渡しを変えているだけで肝心のジョージ・ラッセルが下属音を下属音として捉えない事の意味を理解していない所から始まっているという、たったそれだけの事なのです。武満徹とて高次の上方倍音列の因果性を踏まえて、好意的にジョージ・ラッセルの実行に敬意を表しているだけの事で、武満徹のそれがリディアン・クロマティック・コンセプトのアプローチを採っている訳ではなく、或る意味では武満徹はリディアン・クロマティック・コンセプトの日本語版上梓に際してその立場を利用されてしまっているだけと言えるでしょう。


粉飾のための三全音想起

 三全音代理というもので対象構造を好意的に解釈して、虚構の異度をトライトーンに読み替えを際限なく捉える事も可能です。なぜならそれは、ドミナントをドミナントとして見ない、畢竟するにそれは属音を属音として捉えない事の読み替えでもあるのですから。

 そうすると、三全音代理として想起し得る側のドミナント7th側での「本位音度」は積極的に使っても良いという事を意味しますし、ドミナント7thコード上にて本位十一度を使うという事は、「裏の世界」が実像として見えている時とも読み替える事が出来る訳です。裏の世界で弾みを付けてしまったら「裏」へ転調している事と同じになってしまうのですが、転ずる前に同時に使っているという風に捉えた方が宜しいでしょうか。転調の場合は裏表が結局は明瞭になりますが、転調を施さない様なそれを形容するとすれば裏と表がねじれてリンクし合っているメビウスの輪みたいな物とも考える事が可能でありましょう。