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非音階固有音という「滲み」 [楽理]

 判り易い投影法の一つの鏡像の姿に、ミクソリディアンとその対象形となるエオリアンを生じさせる物があります。とはいえチャーチ・モードに依る投影の姿とは以前にも挙げた次の例の様な連関性があるので再掲する事にしましょう。
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 これまで引き続き語っているチック・コリア・エレクトリック・バンド「King Cockroach」の当該箇所Fm9はドリアンとして基から想起している物です。F音を基準に投影法の滲みを作る事が出来ないのは、ドリアンという旋法が、上行形も下行形も対称形であるからであります。この「滲み」とは、原形となるフレーズやモチーフに対して「揺さぶり」を掛ける事であります。










 加えて、そのフレーズの揺さぶりが必要とする最大の特徴は、元のフレージングからの「変形」を試みるものとしての揺さぶりなのであって、そこから「滲み」が生ずるという言葉が意味するのは、基に坐していた本来の旋法の組織が有していた音階固有音に対して「非音階固有音」という音脈を欲する為に用いる手法である、という風に理解していただきたい訳です。

 単純に音階固有音を遵守するだけで良いのならば、それはジャズである必要は全くありません(笑)。ジャズというのは長旋法からのブルー音度(ブルー3・5・7度)を作り、且つ、そのオルタレーションという変化に馴れる事で、今度は長旋法と短旋法を具有する世界観を和音に取込みました。和音の体の為に取り込んだ組織な訳ですから、長和音上にて短旋法の短二度・短三度と使いつつ、基からある長和音上の第3音の長三度を用いるという混淆とした世界観が生じ、本来ならば短旋法の短三度は長和音上では短十度扱いである筈なのに、増九度扱いした方が手っ取り早い為、和音の為に手軽に具有させた事を重視しているというのは以前から語っている通りです。


 つまり、非音階固有音の為に必要な「見渡し」というものが、もう少し多岐に渡る技術が適用できないものか!?と試行錯誤したのがバップ以降のジャズであります。


 扨て、投影法の続きを語る事としますが、一番判り易いのがミクソリディアンの投影としてエオリアン(またはその逆)を生むという構造が最も判り易いと思うので今一度語る事にしましょう。チック・コリア・エレクトリック・バンドの「King Cockroach」の当該例を参考にし乍ら。


 「King Cockroach」での当該箇所での和音はFm9が背景に奏されている物です。茲で「通常の嘯き」を想起するとなると、Fm9に充てるモード・スケールはFエオリアン(=ナチュラル・マイナー・スケール)では決して無く(笑)、通常の嘯きというのが大前提なのでFドリアンを充てる事が所謂ジャズ的な嘯きなのであります。初歩的アプローチですけどね。

 母体がドリアンというモードである以上、ドリアンというのは音程関係が上行形および下行形どちらも同じ対称形であると述べたのは前述の通りです。つまり、ドリアン・モードから「投影法」という物を用いようとしても対称形であるため投影法は無意味となり閉塞してしまいます。ですから、まずは次の譜例ex.1という赤枠内の一番中央の「Fドリアン」のF音を主音と数えて5度上のC音を基準に採って投影法というのを見てみましょう。

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 すると、FドリアンのF音から5度上にはCエオリアン(譜例ex.1の最下段)を生じている訳ですが、このCエオリアンの投影となる対称形はCミクソリディアン(譜例ex.1の最上段)となる訳です。


 茲で改めて念を押しておきたいのは、FドリアンはCエオリアンを包含しているのは勿論ですが、Cエオリアンの投影がCミクソリディアンだからと言って、Fドリアンの組織にて愚直なまでにCミクソリディアンを充ててしまうのは単なる愚挙に過ぎません(笑)。投影法というのは先述した様に、基にある原組織から生ずる音形に対して「揺さぶり」を掛けて音形に変化を与えるのです。つまり、Fドリアン内にてCミクソリディアンから生ずる典型的な音の差異は「C - D - E - F音」というテトラコルドに特徴が現れる訳です。

 例えばFドリアン上にて4音を使った簡単なモチーフがあったとします。それが「C - D - E♭ - F音」だったとしましょう。この4音列の音形を奏でた後にCミクソリディアンの断片である「C - D - E - F音」を弾くと、E♭音がE音という変化が起っているのは明白です。即ち、先行する音形から変化が生じ、E音という、Fドリアンから見た非音階固有音という音脈に依って揺さぶりが掛かった変化となっているのは明白であります。

 つまり、投影法の一番重要な点は原形組織を利用して変化させ「滲ませる」、という手法に依って新たな情緒を得ようとする物なのです。奇しくもこれは対位法をヒントにしている手法でもあるのです。


 所謂ジャズ的アプローチの類で、マイナー7th系のコード上でメロディック・マイナーが充てられたアプローチを耳にした事は少なくないかと思います。仮にFm7というコードに対してFメロディック・マイナーを充てると第7音は和音のE♭音とFメロディック・マイナー・スケールのE音がぶつかってしまうにも拘らず、です。

 その正体とやらは、本当はメロディック・マイナーを充てているのではなく、投影法に依って複数のモードが混合(ハイブリッド)状態となっている事の現れなのです。

 例えば、Fm7というコード上で、F音という主音から「F - G - A♭ - B♭音」という4音を奏した後に、投影法で得られるCミクソリディアンの「C - D - E - F音」という4音を連結させれば、これはFメロディック・マイナー・スケールに見える筈です。つまり、和音で奏されているE♭音とE音がぶつかる筈なのに、それを臆する事なく弾いてフレージングに揺さぶりをかけ乍ら不自然ではなく溶け込ませる為には、原形組織の少なくともFドリアンに於けるE♭音周辺のフレージングを先行に用いて、後続のモチーフに変化を与えているから美しいアプローチとなる訳です。


 この様に、エオリアンとミクソリディアンの鏡像関係というのは非常に判り易く親和性が高い物でもあるため扱いやすいのですが、冒頭から何遍も語っている様に、ドリアンではドリアンを主音とする所からは投影が得られないので、投影が得られ易い方向(音度)を探す訳です。その最も手っ取り早いのが、ドリアンを主音と数えた時から5度上にあるエオリアンを基準に投影を得るというのが最も手近な音脈となる訳です。つまり、この投影を得る為の基準は「分水嶺」でもある訳ですね。ですから、その分水嶺を示した縦軸の破線を譜例に充てているのであります。


 と、同時に、譜例ex.1では分水嶺とやらの破線はもう一つ示しています。Fドリアンから数えた時の5度上よりも手前の4度上のB♭音にB♭ミクソリディアンがあります。換言すればミクソリディアンとエオリアンが夫々投影関係にある以上、B♭ミクソリディアンの投影としてB♭エオリアンを生ずる訳です。

 つまり、エオリアンとミクソリディアンという組の「分水嶺」がFドリアンの4・5度上として全音違いで現れるという訳です。この全音違いで生じている事を、メロディック・マイナー・モードでのIV・V度からの揺さぶりから得られる物として、メロディック・マイナー・モードとこれらの投影法によるポリ・モードの行き交いを巧みに演出している人達など実は沢山おりますが、最たる使用者はマイケル・ブレッカーに他ありません。

 4拍子という拍子構造に於て先行する和音に後続和音側の世界でのモチーフを2拍分のアンティシペーション(先取音)として時間的に「滲み」を醸す最たるプレイヤーがパット・メセニー。そのメセニーのモチーフの採り方というのも、このような投影法にも則したアプローチがあるので、所謂「アウトサイド」という音階固有音の外にある非音階固有音への音脈という物を、ジャズの専門誌ですら漠然と語っているだけですから現今のジャズはホトホト終わっていると実感させられます。

 言葉は悪いけれども、三途の川に片足どころか肩までドップリ浸かっている様な人達に今でもおんぶに抱っこなのはジャズの世界ばかりではありませんが、ジャズを奏する連中が「漠然」と音楽を捉えてしまう様では世も末です。バークリーやジュリアードやら、そんな名門校の扉を叩いた者は真砂の数程居るのに、ジャズ界隈の理論とやらは昔から語られている所の焼直しにしか過ぎず(笑)、差異感を演出する為に嵌当される語句に聞き慣れない語句や横文字が充てられるのが関の山となっているのは本当にお笑い種です。


 扨て、話を本題に戻しましょう。先の譜例ex.1での中央段に位置する原形のFドリアンには5度上から生ずる分水嶺という基準の直前に、もう1つの分水嶺があるというのは先述した通りです。アプローチを採るにあたってはどちらの分水嶺を選ぼうと、それはプレイヤーが選択するもので孰れを選択しても構わないのであります。如何なる分水嶺の組織を選ぼうとも、「先行するモチーフからの変形」という唄心を身に着けない限り、これを文章や譜例を以てして説明しても無意味な事です。先行するモチーフの採り方こそが凡てですから、そのモチーフを壮大なオルタレーション的変化、として変形させる様に用いなければ意味が無いので、これは個人の資質がモノを言う訳であります。

 例えば、禁則に縛られた西洋音楽での調性社会に遵守した古典的な和声学ならば、限定進行音という局面があれば、その音の後続への行き先は判る訳ですから、個人の資質など無関係に和声学の体系だけを学べば和声学とやらを学ぶ事は出来ます。処が、それを学んだからと言ってモーツァルトをも跳越する程多くの線がオアシスの様に涌き上がる様な人なんていうのはおそらく100万人に1人居るか居ないかじゃないでしょうか!?(笑)。

 ジャズの世界に於てパーシケッティの投影法を利用するという事が100万人に1人程の才能に等しいなどとは申しません。そんな確率が表す程の次元の事ではなく遥かに簡単な事です。併しただひとつ重要な点は、投影法では先行する原形のモチーフの採り方こそが凡てであり、そこから変形させる事が最も重要なので、一義的な答や体系など無いのです。ですから、このモチーフの採り方にチンプンカンプンな人は、投影法を幾ら学んでも徒労に終わるのです。

 投影法のそんな側面を勘案すれば、チック・コリアが投影法にて生じた原形と、原形とは異なる投影側のモードというそれらを混淆とさせて同じまな板の上に乗っけて、「硬減和音」という分子構造でそれらの音群から掠めとっていた、というアプローチであるというのがあらためてお判りになるかと思います。

 更に言えば、投影法で生じた「陰・陽」という対の関係の双方を「折衷」させる為に、硬減和音の持つ三全音構造と、減三和音の第3音が半音上がるという言わば見掛け上長三度である同義音程を如何にして掠めとらせるか!?という所が重要となる訳であります。


 加えて、ドリアンの五度上に存するエオリアンは、互いに短旋法系統に属する近似的な旋法であります。つまり、旋法(≒音階)よりも更に細分化した「テトラコルド」組織で見れば互いの旋法の開始音を同一にした時の「移旋」にした時は、そのテトラコルド組織の近似性が一層強く現れる筈です。短調組織の「ミ・ファ・ソ・ラ」(*つまりジャズ/ポピュラー表記に依る短調でのV・♭VI・♭VII・I という動き)が近似的な他の短旋法の類に移旋すると「ミ・ファ#・ソ・ラ」(=V・VI・♭VII・I)という風に変化する事もあり得る、という事を意味しているのであります。


 このFドリアンという旋法に「滲み」を発生させようとも、それはドリアンをエオリアンとして嘯くか、または下行形にてフリジアンを醸し出す位しか方法はありません。然し乍らFm9という和音の本位九度の存在は通常ならばフリジアンという脈をそのまま当て嵌める事は短九度と長九度がぶつかり合って無駄骨となってしまいます。

 処が、チック・コリアはFm9上にて短九度の発生も増四度の発生も臆する事なく「スーパー・インポーズ」させております。これは基に存在する原形から半音変位としたものではなく「併存」となっている所が最大の特徴であるのでスーパー・インポーズな訳であります。強制的な嵌当・併存という事に等しい訳です。

 余談ですが、スーパー・インポーズという呼称は浅薄な方の多くが理解し辛くて忌避する、『ブルーノートと調性』(濱瀬元彦著)にも使われておりますが、元々はアルノルト・シェーンベルクの英訳『Theory of Harmony』(原著『Harmonielehre』)にて使われている独得の表現であります。余談ですが、このシェーンベルクの著書に該当する国内著書は山根銀二著の『和声学 第一巻』であるのですが残念乍らこちらは完訳となっておりませんので注意されたし。加えて上田昭訳の『和声法』とは全く違うので注意が必要です。


 とまあ、そういう訳で、投影法に依る「エオリアン+ミクソリディアン」の組織がどういう風に存在するのか!?という事はお判りいただけたかと思います。それらの音脈を使うには、原形となるフレージングと原形が持っている旋法的な情緒の余薫を活かして、後続の音形を変形させて用いて「滲ませる」事が肝要なのであります。とはいえ先行するモチーフは音階固有音から始めるという物では決してありません。それは後述する事に。