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ようやく見つけた渡辺香津美の1985年ライヴ音源 [楽理]

 私がTwitterで呟いていた事もある渡辺香津美のライヴの事ですが、その時のライヴはゲストに峰厚介が招かれた時の「Inner Wind」の演奏内容は今猶忘れる事が出来ぬほど徹頭徹尾脳裏に焼き付けていると豪語していた内容でした。

 私はこのライヴをエアチェックして、ソニーのセラミック筐体のMetal Masterに録音したと思います。放送時間が長かったのもあって46分テープを4本用意するか、90分テープを2本用意してエアチェックに挑むかと散々苦悩していた物です。

 なにせ私の当時のオーディオ機器選択として抱いていたモットーのひとつに、カセットデッキはアジマスが狂いやすいオートリバース機は避けて片道再生のデッキを選択するという事が第一のモットーでありました。

 アジマスが狂うと概して高周波数帯域がこもって聴こえる様になります。テープの走行方向に対して再生ヘッドが平行になっていれば問題ないのですが、これが僅かに角度がずれてしまうだけで再生音に影響を与えてしまうという訳です。

 そうしたモットーを前提に長時間番組をエアチェックしようとすると、磁性体が厚く録音情報量が最も期待出来る46分テープを使用した場合、必ず23分毎にテープを入れ替える必要性が生じてしまい、それが楽曲演奏中であった場合は少なくともデッキを複数台用意しなくてはならないという問題に直面する事になります。

 23分毎のカセットテープ裏返しは現実的ではなくなるので結果的には90分テープを選択する必要性が生じてしまいます。60分テープでも良かろうにと思うかもしれませんが、ジャズ系統の音楽の場合概して演奏時間が長くなるので、60分テープにした所でカセットの入れ替えの煩わしさと演奏途中で30分が訪れてしまう可能性が高いので、90分テープを3巻用意してエアチェックに挑んだという訳です。

 私がそこまで血眼になって渡辺香津美に躍起になっていた理由は他でもなく、アルバム『Mobo』以降少なくとも『Spice of Life』期は氏の最も脂の乗った時期では無かったか!?と思う事頻りでありまして、スタインバーガーのトランストレム(=トレモロアーム)を駆使してMXRのピッチ・トランスポーザーも駆使しつつRolandのGRピックアップを取り付けAKAIのS-612とYAMAHAのTX7を駆使したギター・シンセも披露してアムクロンのクリアなパワー・アンプを介して出て来るその音と世界観に心酔していたが故の欲求がそうさせたのであります。

 当時の私など、シンセ類の知識はYMOでだいぶ鍛えられていたとは雖もそこはベース弾きの悲しい性(=脆弱な知識)。

《S-612にベースを突っ込めばDXベースの音が出せるんだ》

と思ってしまっていた位の愚かな発想を抱いていた程。人生初のCDプレイヤーを購入した85年の初夏。その数ヶ月後には16万8000円を貯めて本当にS-612を入手しようとしていた位。

 つまり、私の頭の中ではS-612がオーディオ to MIDIのインターフェースとして作用するかの様に誤解していたという訳です。その上でS-612がインターフェースとして介在させた上でTX7をMIDIアウトで出力させればDXベース・サウンドが出せるのだとばかり思っていた訳ですから、なんともまぁお目出度い莫迦と言いましょうか(笑)。それに気付くのは、当該タイトルのライヴ日時である1985年11月29日から更に半年位は要したでありましょうか(笑)。

 扨て前述の渡辺香津美のライヴですが、私の記憶はすっかり変質してしまっており、生中継ライヴ&会場はNHK-FM(=渋谷)だとばかり思っていたのであります。よもやそれがFM東京(現TOKYO-FM)の当時の新局舎オープン記念のライヴだったという事をすっかり忘れてしまっていたのです。

 この頃は渡辺香津美のソロ・アルバム『Mobo Splash』の発売直後だったと思われ、同アルバム収録曲の「十六夜」「Synapse」には心酔したものでした。

MOBO_Splash.jpg


 何しろ周到にエアチェックに挑んで録音した大事なカセット・テープも、その10年後の私の結婚時の転居に依ってカセット・テープを失う事になってしまったので、脳裏にこびり付けた演奏部分の記憶しか手繰り寄せる事が出来ず、結婚時の転居前に初代MDウォークマンのMDにダビングしてカーオーディオでMDを堪能していた95年辺りの車内でのMD再生を最後に、結婚で車を買い替えた事もあってコチラのMDも紛失したという事が重なってしまい、いよいよ自分の記憶だけが頼りとなってしまっていた訳でした。

 何しろFM東京をNHK-FMとも変質させてしまっていた私の記憶ですから、客観的に勘案すれば信用に値しない程の脆い記憶です(笑)。そんな与太話に親身にお付き合いいただける方もそうそう居ない事ではありましょう。唯、演奏部分の各奏者の内容については採譜可能な程には焼き付けていたのは事実です。

 とはいえ採譜まで実行しなかったのは、Finaleで採譜する事の作業工数の煩わしさに起因する物で、態々面倒な採譜を実行するまでもなく音の記憶のそれだけは変質しようがないという自負から行わなかっただけの事で、死ぬまでには採譜しておきたいと思っていたのでありました。そうした具現化をいつしか実現したいという思いを抱く理由は、その時のライヴが非常に良い演奏内容であったのが最大の理由です。

 私が今回取り上げる当該ライヴの楽曲は「Inner Wind」です。先述の通り、ゲストは峰厚介で本来ならギターがリードを採る所を峰厚介のテナー・サックスに取って代わっての演奏という所が大きな特徴です。

 「Inner Wind」は香津美の初期作品のひとつの代表曲でもあり古くはアルバム『Olive's Step』に収録されていた物で、つのだ☆ひろ、後藤次利、坂本龍一という実に珍しい顔ぶれでありました。静謐なるアコースティック・ピアノとアープ・オデッセイと思しき攻撃的なシンセのバランスが絶妙でした。

 その後も坂本龍一の参加の『KYLYN Live』でも収録されておりブリッジ部のコードやハーモニック・リズムにアレンジの変化が見られるのですが、名曲のひとつに挙げられる本曲をなかなか他に耳にする機会がなかったので、85年のエアチェック時に「Inner Wind」が流れて来た時には実に嬉しかった物でした。

 しかもブリッジ部のコードは更にアレンジを変えて来たので、これがある意味完成形なのだろうなという事を匂わせる程に、アレンジの変化の妙味に加え演奏の良さの前には兎にも角にも満足した物で、その後もダビングして幾度と無く耳にした物でした。演奏面に関しては記憶が変質しない程に徹頭徹尾採譜可能なほどに耳にしたという理由はまさに茲にある訳ですが、紛失した時は落膽した物です。

 この時期の渡辺香津美は、アルバム『Mobo』以降『Mobo倶楽部』ライヴ・アルバム『桜花爛漫』『Mobo Splash』というアルバム・リリースを経ていた頃でして、特に故村上'ポン太'秀一とグレッグ・リーとの3人で繰り広げられる素晴らしい演奏は、強烈な程に度肝を抜いていたのでありました。

 グレッグ・リーは黒の70年代JBにフォデラのアンソニー・ジャクソン・モデルの6弦をも多用していた頃でもあり、この時の香津美のユニットは「Mobo Ⅲ」(モボサン)と呼ばれるユニットでして、TVメディアでは特に深夜のフジテレビでの渡辺徹がホストを務める『­いきなりフライデーナイト』の前身となる番組(※番組タイトルは失念「〇〇倶楽部」だった様な……※恐らく『面白予約ショウ』)には不定期乍ら年に1・2回のペースでMobo Ⅲを観る事が出来たものです。

­ 村上秀一のドラム・セットはいつも度肝を抜かせていた物で、オール・ロート・タムのキットで後にレベッカの小田原豊に真似されて嘆息していたり、ハイハットは5インチほどしかないリン・チャイムをハットにしていたりなど枚挙に遑が無い程でした。

 グレッグ・リーのエキップメントとなるとTVメディア出演でのMobo Ⅲでの殆どは70年代JBでしたが、同時期の『ミュージック・フェア』で日野皓正のバックで「New York Times」を演奏していた時には先述のフォデラの6弦でスラップをしながらコードを弾いていたりした物です。

 渡辺香津美のエキップメントとなると、メイン・ギターはスタインバーガーでGRコントローラー装備。S-612とTX7がギター・シンセ用音源として活躍していた物でした。

S-612_MD280_AKAI.jpg


 TX7はそのコンパクトな筐体とは裏腹に音源としては十分にDX7と同等の物だったので、物理的な鍵盤は不要であろうギタリストにとって、物理的にも重量のあるDX7を運搬するよりも遥かに軽いTX7を用いるのは得策であったろうかと思います。

TX7_YAMAHA.jpg


 無論、鍵盤奏者から見たTX7のメリットとしては他に重要な要素があった物でして、例えばオーバーハイムのSEMの拡張パネルが発音数を稼いで動作した様に、TX7はDX7と相互にMIDIイン&アウトでカスケード接続する事でボイス・アロケーションに依り発音数を倍に稼ぐ事を可能にするというのが最大の特徴とした拡張音源なのでありましたが、

《DX5(50万円)やTX816(80万円前後)は価格的にチョットね》

という人にとってはDX7の発音数を稼ぐには適度な選択肢であったという物でした。

 但し、DXエレピの流行が86年辺りには早くも廃れ始め、サンプリング・ピアノ(独特の軽い感じ)とストリング・パッドを混ぜた音が流行り始め、翌87年にはD-50のパッドが俄かに注目を浴びる様に変化して行く様になり、サンプリング・ピアノとパッド系をも充実させるその後のM1の流行を匂わせる音色面の嗜好の変化の萌芽が感じ取られる様に社会的に変化を遂げ、DXエレピのそれの必然性が薄れる頃にDX7Ⅱが発表されると、独特のデチューン・サウンドは発音数の少ないベース用音色にメリットが増大し、DXサウンドの変遷が訪れたのも事実でした。

 DX7での音色エディットは雑誌でもかなりの頁を割くほど充実した内容でしたが、多彩な音色編集よりも、マルチ・エフェクトの低価格化によってコーラスやリバーブの重要性が広く彌漫する様になったのもDXの偏向的な人気にブレーキがかかる一端となっていたのも事実でありました。

 ヤマハはその辺りも抜かりはなく、マルチ・エフェクターとして REV7/REV5という製品は固より、ラック・マウント型マルチ・エフェクター・ブームの火付け役となったSPXシリーズをリリースしていたのでありました。SPXシリーズもSPX900が出る頃にはKORGのA3の方に人気が移って行った様に思えるのですが、KORGのM1の成功が寄与していたのも影響していたのでしょう。

 ヤマハもフロッピー・ディスク・ドライヴを搭載したV50をリリースする頃になると、シンセ人気の実際はM1に完全に覇権を奪われていたもののチップにモトローラ製が使われ始める様になり、その後のCBX-01でMOTUのDigital Performerとの連携でSCSI接続でMac用のオーディオ入出力を可能にしたハードを製作できたのはモトローラとの契約(SY85までモトローラ社製チップを使用)があったが故の事でもありましょう。

 まあ、そうしたアナログからデジタルへと音楽社会が足を踏み出そうとする変遷期が85年辺りの状況だったのでありまして、シンセサイザーやエフェクト類に目を向けても「デジアナ」が混在していた時代でありました。音楽的にもこれらの機器は「ほどよく」ミックスされていた物は数少ない物でして、多くの音楽ジャンルでもデジタルの「侵食」は受けておりました。

 そうした時代の流れを受けている中でギタリストがサンプラーやFM音源をギター・シンセとして駆使しているだけでも十分にデジタルな状況でもある訳ですが、当時流行していたFMシンセのそれらと比ぶれば、如何にも「デジデジ」な音ではなく、程よくオーソドックスな音の方にバランスが取れているのではなかろうかと思います。

 扨て1985年。この年はFM横浜が開局する時でもあり、開局数ヶ月前からテスト放送を行なっていた物でもあり、神奈川県以外の近傍地でもかなりの話題となっていた時でして、電波受信の利得は物理的に近い事もあるのでFM東京よりも状況が良かったのも事実。

 月〜金の朝8時の番組は車内でも能くFM東京を耳にしていた物で、デイヴ・ヴァレンティンのアルバム『Land of the Third Eye』収録の「Astro-March」でマーカス・ミラーの「チョッパー」を堪能していた頃ではありましたが、毎週日曜日のFM東京でのレギュラー番組でもあった渡辺香津美の冠番組「ロンサム・キャット」の放送も既に終了していた事もあって私のFM東京聴取は段々と減少していたのも事実でありました。スポンサーのCMが多かったので本編が薄くなるというのも特徴的でしたでしょうか。

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 それに併せてNHK-FMのクロスオーバー・イレブンを除けばFM東京の放送番組を堪能するのは減っていた時期でもあったので、私の記憶が変質してしまっていた事に拍車をかけていたのではなかろうかと思います。

 斯様な状況で私のFM東京のラジオ聴取が減っていた事もあり私の当時の記憶は

《85年か86年の11月辺りに「NHK-FM」で渡辺香津美の石田長生・山岸潤史・峰厚介等をゲストに招いたライヴってやってなかったっけ!?》

という風にまで変質してしまっていた事で、すっかり「FM東京」のライヴという事すら忘却の彼方となってしまっていたという訳です。

 FM東京でのCM放送をトコトン嫌悪していた事が、当時のNHK-FMでは番組観覧希望者は往復葉書を送って整理券の当選を俟つという、不定期乍らも能く放送されていた「セッション◯◯」と記憶がゴッチャになってしまったという訳です。

 そこまで変質してしまった私の記憶ですから、当時を振り返ろうとすると真っ先に思い浮かべるのは「NHK-FM」「85年か86年の11月」「渡辺香津美のライヴ」ですから、FM東京を引っ張って来れるワケもなく(笑)、現在ではYouTubeがこれほど普及したのだから、日本のどこかにこうした記録をアップして下さっている方はいらっしゃるであろうと思ってもなかなか見つからなかったのは至極当然なワケですね。私の記憶が間違っているのですから。

 それまでも当時の記憶を振り絞りたくて図書館に行ったついでには朝日新聞の縮刷版に目を通して85・86年の11月の番組欄に目を通していた事もあったのですけれどもね。

 なにせ「NHK-FM」だと信じて已まなかった私の記憶がどれほど正確な情報を手繰り寄せる事にジャマをしようにも、司書の様に広く目を向けて探索こそすれば「FM東京」の欄に当該の渡辺香津美の欄を見つける事が出来た事でしょうにねえ。視野の狭さと自身の記憶への謬った固執というのは茲まで視野を狭める物かと今では驚いているのですが、まあなんにせよ「ニアミス」まで起こしても当番組に辿り着けない私の記憶とやらは本当に厄介な物だった訳です。

 辿り着くべき番組のタイトルはFM東京『KAZUMIサウンド・アンソロジー』という物。次の画像で赤くハイライトさせている番組欄で確認する事ができます(※画像は1985年11月29日付朝日新聞縮刷版)

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 同日付の社会面を見るとそこには白洲次郎訃報の記事がある事を確認できます。世界を股にかけた希代の伊達男とも称され、通産官僚の祖とも言えますが21世紀に入ってからの省庁改編以降経産省やその外郭団体が政界で跋扈する様になってからはだいぶ脚色される様になり、やたらと美化された描写が為されておりました。

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 21世紀に入って過剰な経産官僚礼賛に乗っかった白洲次郎がチラホラと話題になっていた頃、明石家さんまも白洲次郎の生き方を《カッコええなあ》などと評していたりしてNHKでも伊勢谷友介演じるスペシャル・ドラマ化という触れ込みを伴って製作されるほどでしたが、白洲が徴兵を免れた事は有耶無耶に描写(当時は金を積むと徴兵を免れる事ができたシステムがあった)されており唾棄したくなるほど滑稽なものでした。

 同ドラマのサウンドトラックは大友良英が手掛け、フレッド・フリスを起用した事により私は忸怩たる思いで食い付かざるを得なかった訳ですね。白洲次郎という人物は大嫌いなのですが(笑)。過去のブログ記事でも取り上げた事があるので参考まで。

https://tawauwagotsakonosamu.blog.ss-blog.jp/2013-08-23


 そういう訳で1985年11月29日の渡辺香津美FM東京新局舎ライヴでの「Inner Wind」を語る事にしますが、このライヴ・テイクでの楽曲冒頭でのギターのみのカデンツァ部分を「8小節」とカウントするならば、その後に続くイントロから楽曲終止部のカデンツァを1小節として採ると合計238小節を数える事が出来るという、まあまあ長尺の小節数を誇っております。

 ギター以外の演奏面で注目すべきは98小節目でのグレッグ・リーによる32分音符のインタープレイは圧巻でして、遉タキオン出身なだけあるというプレイ。しかも32分音符を半拍ずつ割った4音のグループとして分析してみると、各グループでの音形での3&4音目が少しだけイネガル入っているので歪つな感じで聴こえるのが心憎いのです。この歪つな感じが同様に繰り返されているので単純に平滑な32分音符ではないのだな、という事を実感する事の出来る素晴らしいプレイであります。

 ギター・シンセでのソロの後のギター・ソロ本編は147小節から開始され、このソロが210小節まで続き、4小節のブリッジを挟んで215小節目アウトロから終止部の238小節まで続くという状況になります。

 YouTubeにアップされている音源は大変貴重な物ではあるのですが、エアチェック時のテープ・スピードに起因するのか、録音時と再生スピードが異なるのでしょう。アップロードされている音源は37セント程高いのです。これを補正してあげないと、動画での◯◯分◯◯秒と指定したとしても、37セントというのはあまりに高い為、聴いていて気が狂いそうになるのです(笑)。

 ですので楽曲の指定は小節数を明示しつつ、どうしても明確にしたい時は忸怩たる思いで再生則度の速い動画での時間表示指定で解説を語って行こうとは思っております(笑)。

 テープ・スピードというのは世界標準の規格(IEC)として整備されていたので、JIS規格はこの「近傍」としてJIS規格を整備していたのです。4.76cm/秒と4.7625cm/秒という違い。後者がIECとなります。

 テープ記録は、物理的な速度が速い方が多くの情報量を記録する事になるので音質向上が見込まれます。オーディオ観賞用ではなく演奏記録が目的であったカセット・テープ型のマルチ・トラック・レコーダー(以下MTR)は片面再生のみという事が基本設計であり、ヤマハのCMXのテープ・スピードは4.8cm/秒でありました。

 MTRの場合バリピッチの設定範囲が広かったという記憶があり、バンド仲間に渡すテープのテープスピードを使用者毎に再生速度を変え乍ら録音した記憶もあります。この辺りの緻密な作業は他のメンバーからも支持されていた様で、演奏とは無縁のシーンである友人所有のカーステのデッキの再生スピードを合わせてやったりという事も頼まれた物でした(笑)。

4.6886<4.76 (JIS)<4.7625 (IEC)<4.8314 (cm/秒)

※JIS規格を「0」の基準を見立てた場合、JIS規格からの相対音程は -26.1652セント>0(JIS)>+0.90902セント(IEC)>+22.7757セント となります.

 因みに、JIS規格から見てIEC規格はどれ位テープ速度が速まるのか!? というと音高として4.3227セント高くなります。スキスマの半分ほど。1セントに満たない数値ですら調弦をやる人なら看過できない数値でこの大きさは優に許容範囲を超えております。カセット・テープの場合1/16セント未満(<0.0625セント)に収まるなら私の許容範囲です。

 そうした私の許容範囲をテープ・スピードに換算すると4.7601718cm/秒という事になります。テープの物理的な長さから調整にかかろうとする人だと、こうした細かな調整は不可能でしょう。物理的な長さとしてあまりにも僅かで許容範囲に押し込めたいでしょうが、ピッチの世界で判別しないとこうした誤差を埋没させる事になるのです。

 JISおよびIEC規格も、再生速度の工業規格として±1.5%以内というのを決めておりました。勿論これは想定される気温・湿度・気圧下での工場出荷の理想値であるので、気温の変動を受けやすい部品で冬季には再生速度がより速く、夏季にはより遅くなる事もありました。但し、録音時期と再生時期がほぼ同一である場合再生速度の差が出にくいので実感されにくいという実態がありました。

 仮にJIS規格から±1.5%の誤差の上限/下限値を基準ピッチ=440Hzに当てはめるとどういう風に周波数が推移するのかというと、433.4975369〜446.6Hzという事になり、

4.76cm/秒が1.5%増加となると 4.76×1.015=4.8314cm/秒
4.76cm/秒が1.5%減少となると 4.76÷1.015=4.68965517cm/秒

と変化する事となるという訳ですが、これらの変化量はあくまで工場出荷時の許容範囲内であるにすぎません。

 実際には使用者の環境で温度差が大きければ大きいほど、上述以上の変動を受ける事となります。工場出荷時の許容範囲内の数値にしても、433.4975369〜446.6Hzを440Hzからのピッチ変化量としてセント数に置き換えると、

-25.7756730755〜+25.775672892セント

という訳ですから、上限/下限値ともにコンマ(=ピタゴラス・コンマ)を大きく上回り四分音を超えている訳ですから、理論上限値で録音した物を理論下限値の状況で再生した場合は、同一機器であっても50セント以上低く再生される訳ですね。

 実際にはこれよりも大きい差で現れており、更にはメーカーもモデルも全く異なる機器の間で偶々相対値が大きくなってしまう様な状況だと、半音(=100セント)以上異なっていたりする事も屡々ありました。特に友人・知人の間でのカセット録音のそれはアテにならない程誤差は大きい物でした。ですので、私がバンドをやっていたメンバー間には必ずA音=440Hzを録音して渡しておりました。


 まあ、DTPが普及する以前の電産写植の時代でも1ミリの幅に11本の線を描く事ができたりカッターで切り込みを入れられるというのが基本的技術だったという時代があったとしても、先のテープのそれはお手上げでしょう。音の方から調整にかからないといけないという訳です。

 即ち、較正信号(440Hzのキャリブレーション)を録音した上でテープ速度の増減で「うなり」を捉えるかチューニング・メーターを用意するかの世界になって来るという訳で、調律師的な世界観で調整しないと、楽器を取扱う人の許容範囲には収まってくれないのです。

 器楽的経験があってもチューニングに関しては非常に緩くて甘い感覚を持つ人が非常に多いので私がこうして繰り広げている世界観が「音楽的」で厳格なチューニングと思っていただければと思います。

 但し、参照用の動画のバリピッチが見込めない状況としては、私の指定する小節番号が当該動画の実時間として示した方が演奏箇所が伝わりやすいであろうとは思うので、以降私が明示する本曲の小節数および時間は、アップロードされている動画上での数字を示す事となるのでご注意下さい。


カデンツァ(イントロ)8小節 31:25〜




 イントロのカデンツァ部は、フェルマータを用いた解釈によっては4小節の尺として見立てる事も可能なのでありますが、ジャズやポピュラー音楽ではフェルマータよりもカデンツァで書かれる楽譜の方が実態に則す(フェルマータは先行する拍節構造の残り香をイメージした呼吸感に基づく)もので、呼吸感よりもカウントを明確に意識する音楽分野ではフェルマータのそれが各人各様の解釈としてしまう事があるので、齟齬の生じる事を避けた8小節と解釈しております。

 カデンツァの正当なる位置づけは「拍子構造を無視した小節線の不要な小節」として楽譜に表されるものなので、それが「8小節」というのは撞着する表現でありますが、「拍節構造が32拍分に相当するカデンツァ」としてお読みいただければ幸いです。

イントロ4+8小節 32:04〜




 ギターのアルペジオが4小節続いた後にドラムとベースが入って来ます。このイントロ部は合計12小節となりますが、このイントロ部の特徴的な点は、2コード・パターンの後続のコード「G♯m9(♭13)」が使われる所にあります。

 上述のコードは、その和音構成音に7thおよび9th音さえなければ「G♯m(♭6)」と表す事が可能なのでありますが、短調下中音=♭6th音がコードとして用いられるという事が最たる特徴となります。つまり [e] の音が入っているという事になり、トニック・マイナー上で明確に「♭Ⅵ度」
の音が使われるという事を意味します。

 そうした表記を嫌うならば「E△9(♯11)/G♯」でも良いのですが、トニック・マイナー・コード上で「♭Ⅵ度」を明示的に使う響きとして耳にする事ができる為、「G♯m9(♭13)」という表記を選択しております。

 本コードはAテーマでも用いられるのですが、KYLYNのライヴでのAテーマでは「G♯m9」として [e] 音を避けて奏されている事からもあらためて当該部のコードが「G♯m何某」である事が明白となるという訳です。

Aテーマ5小節 32:26〜





 Aテーマもコード進行そのものはイントロと「ほぼ」同じなのでありますが、2コード・パターンの先行和音が「E△7(on F♯)」という事で、メジャー7thのⅡ度ベースの型へと僅かに変化しております。

 このテーマ部の小節数は変則的で、5小節という長さになっております。先行4小節が実質的なテーマ部で残る1小節がAテーマのフィギュレーション(=変形)に伴う追加となっている形です。

Bテーマ6小節 32;38〜




 Bテーマのコード進行は実に興味深いコード進行が多く、1976年という時代を勘案してもこのコード進行の先進性は今猶失われる事は無いでしょう。

 Bテーマ1小節目は「C△7(on D)-> F△7(on G)」というⅡ度ベースのメジャー7thの連続ですが、ハ調域での「Ⅰ on Ⅱ」と「Ⅳ on Ⅴ」の型となっている訳です。Aテーマが嬰ト短調(=G♯m)だった事を思えば減四度転調となった訳ですが、嬰ト短調の平行長調がロ長調(=B)という事を思えば、調域そのものは半音上がった転調という事になる訳です。

 旋律形成が巧みなので調域が単に半音上昇した様には感じられぬ程に自然なのですが、線運びが巧みなのでそれに随伴する和音がノン・ダイアトニック的に装飾されているのですが、そのノン・ダイアトニック加減に違和が無いというのは絶妙な和声付けと言えるでしょう。

 「C△7(on D)というコードは見方によっては [d] を根音とする「Dm13」というコードという副十三和音の省略形と見做す事が可能であり、同様に「F△7(on G)」も [g] を根音とする「G13」という属十三和音の省略形と見做す事が可能なのです。

 それぞれのコードの単体としては三全音の包含が無いものの、2つのコードで三全音を補っている状況と考えれば、これら2つのコードで「ドミナント」という解釈を採る事も可能ですが、コード単体としては夫々が機能を暈滃している為、強固なドミナント感は得られる事はありません。それを好い事に、後続小節となるBテーマ2小節目では実質的に「転調」して「G△/A△」へと進行するのです。

 この「G△/A△」というコードをポリコード表記としない場合は [a] を根音とする「A11」=「A7(9、11)」とも解釈可能であります。和音構成音からお判りの通り、仮にドミナント7thコードを基とする表記を選択した所で「♮11th」を包含するのですから、機能和声的に準則させる必要は無い訳です。

 そこに加えて「G△/A△」というポリコード表記を選択しているのは、上下其々の和音に対して「Aリディアン・ドミナント7th」「Gリディアン・ドミナント7th」という風に同一のモード・スケールを与えたりする事で、単一の調性として俯瞰する事なく複調を孕んだ自由度の高い状況としてのコード表記の意味合いを持たせているのです。

 こうした方法論が成立する理由は、先行和音もドミナント感を暈滃している状況である所に加えて、更に後続和音も実質的なドミナント7thコードは主音を先取り(アンティシペーション)している状況に対して調性に準則する線運びをする必要は無いと解釈する事が可能であるからです。

 調性に準則しないという事は半音階を視野に入れても良いのですから、「A11」を実質的に半オクターヴ移高させて「D♯11」または「E♭11」を想定したり「C♯△/D♯△」「D♭△/E♭△」を見立てても何ら問題は無いのです。但し、こうした派手なアプローチをするよりも先に遵守しなくてはならないのは、このコードに備わる強固な旋律(メロディー)がある場面であるという事。

 仮にこのBパターンのコード進行でインプロヴァイズが執られる状況があるとすれば、前述の様な拡張的なプランを想起して奏すれば良いのです。こうした拡張的な判断が常に視野に入って入れば、ジャズの深淵を更に追究する事が可能であろうかと思います。

 Bパターン2小節目の後続和音は「A7(13)」です。明確なドミナント・モーションを期待する為のコードである為、それまでの先行和音が薫らせて来たコードとは異なって下方五度進行およびその三全音代理(トライトーン・サブスティテューション)が後続和音の進行先が見えて来る状況となります。

 Bパターン3小節目のコードは結果的に2度下行しての弱進行を採り、コードは「Gaug△9(on B)」に進む事になりました。

 この偽終止には、先行和音「A7(13)」が仄めかしていた「D何某」とは裏腹にホ短調(Key=Em)の調域への転調が同時に起こっております。つまるところ「Gaug△9(on B)」というコードはホ短調の♭Ⅲ度上の増和音であり、西洋音楽で言う所の「短調のⅢ度」というダイアトニック・コードなのです。

 そういう状況をも勘案すると「A7(13)」からの脈絡の薄い調域へ進行しているのですが、唐突感が少ないのは線的な牽引力の存在があるからです。この線の良さが引っ張るので、少々の脈絡の薄い調域に転じようとも和声の側が巧い事ノン・ダイアトニックに装飾されている様に聴こえる訳です。

 そうしてBパターン3小節目後続和音は「B69」へと進みます。これはホ短調の「V度」と見立てる事が可能ですが、7th音を回避している事により三全音の包含がなくなり調的な牽引力は柔和な状況になり、明確な下方五度進行およびその三全音代理の期待感を弱めている事になります。

 機能和声的な進行感が希薄になるであろうという見立ての通りBパターン4小節目のコードは「C△9」へと進み、転調感の方が露わになるという事です。ジャズ系統のコード進行というのはこうした局所的な転調感による揺さぶりこそが醍醐味のひとつでもあるので、大胆で脈絡の希薄な遠隔調へと転調が施されようともジャズに一旦耳慣れた人が聴けばこうした状況すら平時の世界観と思える事でしょう。

 唯、私の伝えたいのは、ジャズにも縁遠い人がコード進行の妙味という興味に駈られて、少々難しい世界観でも堪能できる様に咀嚼して説明した方が、より魅力が広く伝わるであろうと思っているのでこうした説明をしているのであります。

 Bテーマ5小節目のコードは「A♭△7」となり、茲ではシンセ2のパートの単旋律がA♭リディアンを奏している事から、調域は変ホ長調(Key=E♭)を示唆する事になります。

 Bテーマ6小節目のコードは「C7/D♭」という♭Ⅱ度をベースに置くタイプの物で、上声部が属七を維持しているので、ペレアス和音よりもストラヴィンスキー風とも言えます。

 また、西洋音楽界ではその後クシェネクの1928年の作品としてピアノ・ソナタ第2番作品59第1楽章の冒頭に於て、低音部「E♭7」高音部「D7」に相応しいポリコード(バイトーナル・コード)を使用した作品が発表されております。




 上声部に七度音の付与が無いタイプの♭Ⅱ度ベースの型となればペレアス和音の断片としても想起する事が出来たり、他にも「D♭dim△7」という同義音程和音を見出す事が可能ともなります。

 上述の様にディミニッシュ・メジャー7thを想起した場合には「シャープ9th(ドミナント・シャープ9th)」コードの断片を見立てる事が可能となるので、最も調的に寄り添う型となりますが、本曲の様に上声部が属七の♭Ⅱ度型のコードの実際としては、短調の「Ⅴ7 on ♭Ⅵ」の読み替えの可能性が高く、複調的な意図を持った例としてはジャズ系統では殆どありません。

 強いて挙げれば、クインシー・ジョーンズのアルバム『Smackwater Jack』収録の有名な「Ironside」の代表的なコードは終止和音にも用いられておりますが、この当該箇所の和音は「D9上のC♯△」となる物で、この曲に最も近しいのは坂本龍一の「Elastic Dummy」のイントロだと思います。







 とはいえ♭Ⅱ度ベースを用いた楽曲は探せば色々ある物で、私が知る限りでは次の通りチック・コリア・エレクトリック・バンドの1stアルバム収録の「City Gate」イントロ冒頭の「C7(♯11)/D♭」および終止和音の「C5/D♭」は顕著な例でありましょう。




 下記の譜例動画での終止和音では「C5/D♭」と載せておらず「D♭△7」のままにしているのは、このブログ記事での説明を待っての事で、譜例動画をアップロードしてからほぼ2年経過している事にあらためて私の遅筆ぶりに自分でも驚いているのですが、その辺りの意図というのはご容赦いただきたいと思います。まあ、譜面を読めば伝わるだろうという意図だった訳であります。





 次の例は、ティーリー・ダンのアルバム『Two Against Nature』収録の「Almost Gothic」での「D7/E♭」で、下記動画の埋込当該箇所にて聴かれるものです。




 下部付加音とする分数コードの上声部にオルタード・テンションを纏ったドミナント7thコードが長七度忒いで生じている例として、次のカル・ジェイダーの「Corine」での埋込当該箇所を挙げる事ができます。コードは「F♯7(13)/G」という特徴的なもので、本アルバムはジョージ・デュークが変名で参加しての楽曲提供であります。




 下記譜例動画では8小節目となる埋込当該部分です。




 また、後年に同曲に歌詞を付けたバージョンをフローラ・プリムが歌っていたりしたものです。




 他にもマイケル・フランクスのアルバム『Time Together』収録の「Summer in New York」の「B△/C△」は下記動画の埋込当該箇所で聴く事が可能です。




 次の例は、ジョージ・デュークのアルバム『Faces in Reflection』収録の「Faces in Reflection No. 1」での「D△/E♭△」という長七度忒いのポリコードの例で、下記動画埋込当該箇所で聴く事が出来ます。




 ♭Ⅱ度ベースや長七度違いのポリコード使用例を確認しましたが、これまでの楽曲構成部分が判る物として、YouTubeでの私のチャンネルで「Inner Wind」の譜例動画を見る事が出来るので併せてご確認いただければ幸いです。この譜例動画のアレンジはKYLYN Liveを踏襲したアレンジとなっているので、今回のアレンジではブリッジ部が大きく異なるので注意が必要です。




 ブリッジ部はオリジナルのそれやKYLYN Liveのそれともコードを大きく変えて来ているのが特徴で、次のリズム譜で確認する事が可能です。

Inner-Wind-1985-Bridge.jpg


 ブリッジの4小節に於ける基本的なコードは次の様に、

Fsus4 -> Fsus4/E♭ -> G♭(♭5)/ B♭がブリッジの4小節目を除く各小節1〜2拍目で使われる状況となっています。これらのコード進行に於て各2拍目で現れる「G♭(♭5)/ B♭」の上声部は硬減三和音の型で表さざるを得ませんでした。

 恐らく、ハーモニーが潤沢な状況でしたら「G♭△(♯11)/ B♭」という意図があるのかもしれませんが、何れにしてもこのブリッジでのsus4コード以外は「omit 5」を貫いているので、「G♭(♭5)/ B♭」の5度音(減五度)は実質的には「♯11th」として想起した方が宜しいかと思います。コード表記を簡便的にする為だけの策として理解していただきたいと思います。

 ブリッジ4小節目でのコード進行は次の様に、

B△7(♯9、♯11)omit 5 -> A♭△7(13)omit 5 -> E△7(♯11)omit 5

となっており、各コードは「omit 5」が貫かれておりますが、最も目を瞠るのが「B△7(♯9、♯11)omit 5」での「♯9th」音でありましょう。

 メジャー7thコード上の「♯9th」というのは滅多にお目にかかれないだけに過ぎず、実際にはきちんと体系化されております。とはいえその体系化はジャズ・フィールドではなく西洋音楽での事ではありますが、西洋音楽が基になっているという事は安心してジャズ・フィールドでも援用する事が出来るという風に思っていただきたいと思います。

 このメジャー7thコード上の「♯9th」型はマルセル・ビッチュが自著『調性和声概要』で取り上げている物なので、出自としては間違いのない折り紙つきの和声となります。

 ペレアス和音の断片とも見做す事が可能となるのですが、いずれにせよ「♭Ⅱ度」ベースの型としても見立てる事が可能なので、先に挙げた例の意図があらためて茲でお判りいただけるかと思います。


ブリッジ4小節 32:53〜




 本ブリッジ部ではギター・シンセであるGRによるきらびやかなエレピ系のシンセ音がミックスされます。音色キャラクターから推察するに、おそらくTX7でありましょう。

 思うに1985年と言えばDXサウンドが席巻していた頃でもあり、当時の渡辺香津美はギターをクリーン音と歪み音のパラレル出力に加え、GR用のボリューム・ペダルを用いていたかと思います。

Aテーマ2nd 5小節 33:03〜




 Aテーマの2番からは峰厚介がリードを採り、渡辺香津美は明確に「G♯m9(♭13)」での「♭13th」音を奏しています。サックスを加える事でハーモニーに厚みが出ているので、本ライヴ・テイクの良さがあらためて判ります。

Bテーマ2nd 6小節 33:15〜




 Bテーマ2番でも同様に、渡辺香津美がバックに徹してハーモニーを稼いでいるので、非常に楽曲が豊かになっております。

ブリッジ2nd 4小節 33:30〜




 ブリッジ2番は峰厚介も渡辺香津美も同様のフレーズですので、トリオのアンサンブルと同様のハーモニーではあります。

Cテーマ 8小節 33:41〜




 このCテーマは次の様に、2小節ずつコードが変わります。
C♯13 -> A13 -> B13 -> G13

 これら属十三のコードは最初の「C♯13」から「G13」で綴じる構造である為、三全音進行の中で二全音下行および全音上行進行を採って半音階的状況に揺さぶりをかけたコード進行と解釈する事が可能です。

 三全音で循環する進行であるからこそ、各コードでは「♯4th」を明示するリディアン・ドミナント7thなどの類よりも「♮4th」を明示するミクソリディアン系統の方が馴染むという訳です。綴じる行き先が三全音を自ずと明示している為で、インプロヴァイズはやり易いと思います。

 とはいえこれらの過程で「♯4th」を明示しても、想起したモード・スケールでインプロヴァイズを執っても何ら誹りを受ける必要はない選択でもあります。

 この属十三の循環コードは、オリジナル(『Olive’s Step』収録のもの)では坂本龍一が頗る良いプレイをしており、MPS期のジョージ・デュークを思わせる音に仕上がっている事をあらためて思い出してしまいます。あの世界観は相当素晴らしいです。




 念の為、オリジナルの当該ブリッジ箇所のコード進行は属十三和音の循環ではあるものの11th音を回避したヴォイシングを坂本龍一がプレイしている事によりコード進行は次の様に、

C♯7(9、13)-> A7(9、13)-> B7(9、13)-> G7(9、13)

という風になっております。ローズのヴォイシングそのものはジョー・ザヴィヌルっぽく、アープ・オデッセイのそれにジョージ・デュークを思わせる様な感じです。とはいえジョージ・デュークの特徴的なアープ・オデッセイのリードは2oct上の音をアタックのみに混ぜて「カラッ」とした音に仕上げるのが特徴なのですが、そうした2oct上のアタッキーな音を混ぜる事がなくとも一聴してアープ・オデッセイのそれと判る音の前にはついついジョージ・デュークを投影してしまうという意味ですのでご理解のほどを。

峰厚介サックス・ソロ48小節 34:01〜




 一連の13thコードの4コード循環で33小節目から渡辺香津美のバッキングが、ギターの音からS612のマリンバでの単音フレーズに変化します。実際にはこの4小節前でTX7と思しきボリューム・ペダルを上げたエレピ風の音が混ざっている箇所があるのですが、マリンバのバッキングに入る前にアンサンブルにバリエーションを施したのかもしれません。

 圧巻なのは40小節目(※下記埋込当該箇所)に於てグレッグ・リーの2フィンガーに依る32分音符フレーズ。3拍目八分裏から4拍目八分裏にかけて弾ききっておりますが、若干イネガルが入っている事は恐懼の念に堪えません。32分音符の3&4および7&8番目の音がハネているのです。四半拍5連の [3:2] 位の跳ね方です。



 

ブリッジII 8小節(サックス・ソロ延長) 36:02〜



 このブリッジⅡでのコード進行はそれまでの属十三の4コード循環と変わりはないものの、ハーモニック・リズムを明確に変えて来ているのでブリッジⅡとして分けて解釈する事にしました。これにより峰厚介のサックス・ソロは合計56小節という事になります。

GRシンセ・ソロ32小節 36:23〜




 S-612のマリンバを使ったGRシンセのソロ。GRはギターの僅かなベンド量に伴う微小音程のトラッキングを無視するクロマティック・モードで演奏していると思われます。

 同時期のアラン・ホールズワースがシンタックスを引っ提げてオーバーハイムのMatrix-12のExpanderを音源にしていた事も思い出されますが、GRコントローラーのMIDIトラッキングもなかなかの精度を誇っていると感じます。

ギター・ソロ64小節 37:43〜




 ディストーションの効いたギター・ソロに転じますが、ソロ冒頭の2音のみ先行でのGRソロでのマリンバの音が混ざっております。直ぐにボリューム・ペダルを絞って事なきを得ますが、嘗て私がエアチェックをしていた音源の方が2音目の音がクリアに録音されておりました。とはいえ、今となっては貴重な音源にこうして遭遇できた事もありミソを付ける様な事はしたくありませんが、非常に能く聴き込んだライヴ・テイクである為、抱いた違和は率直に述べようと思います。

 ソロ36小節目では明確に微分音を使って来ており、私は当時から脳裡に《時間になっちゃうよ〜!!》という言葉を浮かべ乍ら当該箇所のそれに充てて聴いておりましたが、この充てた言葉に沿った形で微分音の変化量を見てみると、




《ジ》Fより+50セント
《カン》Eより-25セント
《ニ》C#〜D♯の長二度チョーキング(「A13」上の♮3rdから♯11th)
《ナッ》E♭より+25セント
《チャ》E♭より+25セント
《ウ》E♭
《ヨ》D
《ー》Dより+50セント

という風に、それらの変化量は八分音を精確に奏しており、偶発的で惰性感のあるチョーキングとして聴いてはいけない箇所です。私自身、古くから微分音の考究のソースとして探っていた為、これについては計算高い意図的な微分音(八分音)と解釈しているので、興味のある方は騙されたと思って当該箇所を数値通りに探ってみて下さい。あらためて渡辺香津美の凄さに驚かされる事でしょう。

 そういえば渡辺香津美はアリア製のフレットレス・ベース&フレッテッド・ギターのダブルネックを演奏する程ピッチ感は非常に剡く良いプレイを繰り広げていた事を思い出しました。アルバム『KYLYN』収録の「Akasaka Moon」でも素晴らしいフレットレス・ベースのプレイを聴かせていた物です。

 惜しむらくはYouTubeの音源が37セント高い事で、オーディオ・ソース自体を37セント下げて確認しない限りはチェック時にて自ずと相対的に37セント上げとしなければなりませんのでご注意下さい。

ブリッジIII 4小節 40:20〜




 長大なソロが終わりを迎え、ブリッジⅢは次に示すコード進行となります。

E△/F♯ -> G△/A -> G♭7sus4/A♭ -> Em7(+5) *[e・g・his・d] -> E△/F♯ -> G△/A -> Cadd9/B♭ -> Em7/A

Inner-Wind-Bridge3.jpg


 上述のコード進行を見ればブリッジⅢのコード進行は1・3小節目のコードは同一ですが、それ以外の2小節目での後続和音「Em7(+5)」は短増七和音である「Emaug7」とも書く事が出来るもので、パーシケッティは自著『20世紀の和声法』にて短増和音をカテゴライズしておりませんが、シェーンベルクは自著『Theory of Harmony』でマイナー・オーギュメンテッド・コードを是認している立場であるという事をあらためて述べておきますので、誤解のなきようご理解いただきたいと思います。

 念の為付言しておくと、シェーンベルクの『Theory of Harmony』の和訳版は上田昭訳の『和声法』『和声法 新版』ではありません。『讀者の爲の飜訳』社刊行の山根銀二訳の『和声学 第1巻』が当該書籍の和訳版なのですが、第1巻上梓のまま未刊となっており短増和音の部分の和訳は載せられていないので是亦注意が必要な点となります。

イントロ2nd 8小節 40:30〜




 ジャズ系統での10分前後の演奏は珍しくはありませんが、長尺もののライヴ演奏に於てテンポが大きく逸る事のない演奏となっているのはあらためて故村上秀一の凄さを感じさせてくれるものです。

Aテーマ3rd 5小節 40:49〜




 峰厚介がテーマをあらためて執り、ハーモニーの充実したアンサンブルとなっております。

Bテーマ3rd 6小節 41;02〜




 同様にハーモニーが充実して渡辺香津美のインタープレイが冴えているので、乙張りの利いたバッキングをあらためて耳にする事が出来ます。

ブリッジ3rd 4小節 41:17〜




 ブリッジの3番。本ライヴ用の新たなるアレンジの物です。

コーダ 41:27〜




 終止和音は「C△7(13)/D」最後にグレッグ・リーが [d] の5度上の [a] を弾いた直後にディミヌエンドを採ってベースは空虚となりギター&GRサウンドでシメとなるのですが、グレッグ・リーの最後の [a] は根音ではないでしょう。茲はⅡ度ベースの型の響きであろうと思います。

 何はともあれ、稀代の素晴らしいライヴ・テイクの楽曲解説にお付き合いいただきありがとうございました。このライヴ音源を手元から喪った私にしてみたら、これくらいの文章に縮めて解説するのは足りない位なのですが(笑)、YouTubeが無ければ天国に行くまで頭の中で鳴らしていたでしょうから、こうしてあらためて遭遇できるのは非常に有難い限りです。

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