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『THE BEATO BOOK 2.0』を自家製本す [書評]

 今回の話題はリック・ビアト氏の著書『THE BEATO BOOK 2.0』を取り上げる事に。YouTubeでは夙に話題のひとりでもあるビアトさんの繰り広げる音楽理論の話題は兎にも角にも多岐に亘っており、それが機能和声の範疇には収まらない物なので興味を惹き付けて已まぬ方でもあり、私自身、ビアトさんのバイトーナル(複調)関連やホールズワースを題材など氏の論考に疑念を抱く事などなくその確かなる論考にいつも深く首肯している一人であります。とはいえ私の音楽ネタはビアトさんを元にしているのではないのですが、ある程度音楽の高次な部分に触れようとすると、その志向性は同じ方向を向く所があるので共通する様な物を感じてしまうのであり、同時にシンパシーを感ずる物でもあります。


 そんな興味を惹き付けて已まない氏が、自身のホームページにて有料頒布しておられる『THE BEATO BOOK 2.0』について語ろうかと思い立った訳でして、決して価格は安くはない物の、その価値は余りある程の内容なのでこうしてレコメンドするに至ったのであります。


 YouTubeにてビアトさんの内容に一度でも触れた方はお判りかと思いますが、音楽的素養の浅い方は躓く事になるでしょう。氏の語る内容を総じて理解する為には、最低限のスキルとして機能和声方面の楽理的側面は充分に理解しており且つ器楽的素養として25000時間超の修練を積んでいるという方でないと取りこぼすであろうかと思います。何故25000時間超なのかというと、楽器習得の為に必要な素養というのはソツなくこなせるレベルが1万時間超で、25000時間というレベルは凡庸さが抜けて来て個性が好い方向に働く所である辺りであろうかと私の基準からはそう思うのでありまして、最低限のレベルとしてこの辺り位は習熟に至っていないと思弁的な理解で済ませるには荷が重過ぎるのではないかと思うのです。あくまでもこれは「目安」ですので杓子定規に当て嵌め過ぎるのもどうかとは思いますが、非効率的な修練を積んでいる方でも25000時間というのは多くの疏外要因を均して呉れている物ですので、この辺り位修練を積んでいると最低限でもある程度のレベルに達しているという事が往々にして判る物なのです。飲み込みの早い人であればこの辺りでも相当な研鑽を積んだレベルに達している事でしょうが、一定以上のレベルをクリアしている事には違いはありません。時間を稼いでさえいれば好いという物でもありませんが、非効率的な修練を積むだけで25000時間を費やしていてたとすれば、体に不調が起きたり色んな状況に疏外要因が生じてしまい、そこに至るまでに向き合う事を敬遠しているかと思います。そういう意味でも25000時間前後というのはある程度の目安にはなる訳です。


 扨て『ビアト・ブック2.0』は49米ドル。ジャズ/ポピュラー音楽界隈の音楽書籍となると概して2000円以上の値が付くと「高い」などと揶揄されてしまいかねない物であり、音楽的素養の浅い人ほど尻込みして投資を惜しむ傾向にあるので、それを鑑みれば高い部類に入るのは疑いのない所であります。とはいえこれだけは述べておきましょう。例えば、デイヴ・スチュワートの『ポピュラー・ミュージックのための楽典』或いは『曲作りのための音楽理論』をお読みになった方で、こういう音楽的語法が学びたかったのだという考えに至った方なら手放しでお薦めできますし、同時にその投資が無駄になったと思う事などは無いでありましょう。それくらいの価値は充分備えているのは断言できます。


 『ビアト・ブック2.0』は大別して5つのチャプターに別けられます。チャプター1で楽理的側面が一気に進められます。チャプター4&5は楽理面の応用となるのでありますが、まあ、チャプター1、4&5を読めば、アウトサイドなウォーキング・ベースのフレージングにも応用が利きますし、何よりチャプター4以降で語られるクロマティシズムへの論述は、茲迄平易に語られているのが素晴らしいと思いますし、応用範囲の広い説明になっていてお薦めできます。


 扨て、チャプター2&3というのは、殆どがギターの指板の図版となっているのですが、これが461頁の半分近くを占めております。ギターを遣らぬ者からすれば実に冗漫な程に豊富な図版でありますが、機能和声以外の非チャーチ・モードや複調をも視野に入れつつのアヴェイラブル・ノートを俯瞰した指板を充てており、ストレッチ構造も視野に入っているので得られる物が多いと思います。チャプター2&3での指板の図版の殆どはカラーで図示されているので、より一層解り易くなっているかと思います。


 チャプター1で先ず興味を惹き付けられるのが「ダブル・ハーモニック・メジャー・スケール」のモードであります。琉球音階の主音と属音に夫々下行導音を附与した状態であり、別名「ジプシー・メジャー・スケール or ダブル・ハーモニック・スケール」とも呼ばれる特殊なスケールの紹介であります。

 このモードのⅣ度をフィナリスと採るモード・スケールが「ハンガリアン・マイナー・スケール」でもあり特殊なモード・スケールの紹介となる訳であります。

 ヘプタトニックであるにも拘らず4つの半音と2つの増二度を持つ音階な訳ですから特殊な構造である事には違いありませんが、このモードのⅢ度上に現われる「マイナー・ディミニッシュト・セブンス」というコードの充て方は瞠目すべき物で、あらためて成る程と深く首肯させて呉れる物です。

 Cダブル・ハーモニック・メジャー・モードを形成した場合のⅢ度上の「七の和音」は [e・g・h・des] となるのは自明であります。とはいえ [des] ≠ [cis] な訳ですから異名同音として「Em6」とは決して強弁出来ない訳です。ですから「Em♭♭7」である訳ですね。つまり、このコード・サフィックスの和音外音は「♭6th」= [c] を示唆する状況であるという事を、コード表記の面からも想起している非常に配慮された表記となっている事があらためて理解できる訳です。こうした細かな配慮は遉だと思わせる所です。

 コード表記についても「ディミニッシュト・メジャー7th」も紹介されておりますし、[c・fis・g] や [c・f・ges] のコードにも夫々コード・サフィックスが附与されているので、こうした興味を惹き付けて已まない物は是非とも本書を手に取って(買って)熟読してもらいたい所です。坂本龍一は [c・fis・g] というコードを「sus4+] という西洋音楽流の表記で書いていたという紹介を嘗て山下邦彦が自著『坂本龍一の音楽』にて紹介していたと思いますが、確かに旧くは諸井三郎が紹介する変化三和音に於て「根音・重増三度・完全五度」に相当する三和音は無いので、こうした所の表記にまで詳らかにされているのはあらためて驚く事頻りです。

 また、ビアト氏はパーシケッティの姿勢とは異なり、変化三和音群に於て「短増三和音」の存在を認めているのがあらためて判ります。短増三和音はその名の通り「根音・短三度・増五度」という風に、一部ではマイナー・オーギュメンテッド・トライアドとも呼ばれる物でありますが、パーシケッティは短三和音に短六度が付与される和音を紹介する立場にある訳ですね。基底和音の短三度に加えて増五度となる増音程よりも短旋法的な短音程となる短六度を附与する立場を採っての事ではあるかと思いますが、こうした所からも判る様に、パーシケッティ『Twentieth-Century Harmony』よりも遥かに新しい解釈を伴って、パーシケッティよりも解り易いと思っていただいても差支えないでしょう。それ位本書は能く出来ているという事をあらためて強調しておきたい物です。


 加えて、ダイアトニック的に四度和音(=Quartal)を堆積させる際、その四度音程は完全四度と増四度のふたつが生ずる事になる訳ですが、こうした四度和音の表記の差異をきちんと説明して新たなるコード表記として体系化させている所は見事でありまして、これは新たなる市民権を得る様になるだろうなと深く首肯した所です。これは本書のEx.25で紹介されているのでありますが、その直前の例Ex.24では、sus4コードを転回する事で得られる「同義音程和音」までも網羅して書かれているのでありますから畏れ入るばかりです。こうした同義音程和音までも載せているのは素晴らしいと言わざるを得ません。


 私が個人的にビアト氏の著述に期待していたのは、ペレアス和音やマルセル・ビッチュが自著『調性和声概要』にて紹介する「メジャー7th(♯9)」のコードの取扱いでありました。これらの西洋音楽の近現代の響きのコードはスクリャービンらのそれらと異なる倍音組織の音脈でもあるので中々体系化されていない所でしたがビアト氏はきっちりと整備しており、これらのコードは当たり前の様に本書で取扱われております。特にメジャー7th上での増九度は「リディアン♯9」として取扱われておりますし、それの含意は「長七度・増九度・増十一度」である事が明白である訳です。スクリャービンの楽派(後のシリンガー、スロニムスキー)だと増九度の体系整備がお座なりになっていたので、舊來のバークリー体系では長らくお座なりとされていた部分でもあったでしょうが、こうしてビアト氏の様な方が整備しているのは非常に有り難い事であり、ジャズ/ポピュラー音楽界隈の新たなる「先蹤」として拝戴すべき刊行物となるのは間違いないと思われます。

 加えてバイトーナル(複調)、ポリコードも勿論網羅されておりますし、何より説明が全く冗漫ではないので、私の様な冗長ブログを書き連ねる様な行為が改めて愚かである事を思い知らされ、そのシンプルさには不安になりかねない程でありますが、実に平易に述べられているとはいえ、それを見過ごしてしまう様では陥穽にはまりかねないので注意が必要かと思われます。

 例えば「Cディミニッシュ・メジャー7th」というコードの根音以外の和音構成音は [es・ges・h] でありますが、これらの和音構成音を異名同音変換して [dis・fis・h] と読み替えた場合結果的に「B△/C」という同義音程和音を生ずる訳です。これは謂わばペレアス和音の断片的なスラッシュ・コードであるとも謂える訳です。つまり、ビアト氏が冒頭からディミニッシュト・メジャー7thコードの和音体系に挙げつつ、その後に「リディアン♯9」を挙げ、sus4の和音転回から同義音程和音を読み解くその意味は、凡ゆる音の複合体からも「協和的」な音程を見出す事を意味しているのだと思います。ビアト氏の体系化する四度和音の「完全四度+完全四度」の体で根音をC音とした時それは「CQ」でありますが、「E♭Q/CQ」は [es・as・des / c・f・b] でもあり、二度和音の拔萃でもある訳です。同時に、内含する「いくぶん協和的」な和音としての姿はそれらの六声からは幾つもの和音の姿が見えて来る筈であり、こうした和音が機能和声的に用いられないのは明らかである以上、これらの複合体が何某かの調的世界への分水嶺としての足掛かりとして幾つもの道へ行く事も示唆する訳でもあります。二度和音の集積の取り敢えずの最果てが「半音階の総合」である以上、それの断片としての姿として四度和音であったり、或いは十一度度和音の断片であったり、十三度和音の断片であったりとするのは、そうした示唆があっての事であろうと読み取れる訳です。

 私自身、ブログではリディアン・トータルやドリアン・トータルという副十三和音を取り上げておりますが、それらは謂わば「全音階の総合」という総和音の姿であるに過ぎません。とはいえ、そうした全音階の総合たる断片として仮に [c・f・h] を拔萃して来た時、これはハ調域の三全音を包含しつつもC音を根音としている物であり、属和音を標榜する物ではない事は明らかであり、トニックの向こうに見えるドミナント感という茫洋とした姿を見る事が出来る訳であり、これは決して機能和声的ではないモーダルな姿でもある訳です。即ち、モーダルな社会から繙く事の出来る姿を詳らかにしているのがビアト氏の素晴らしい側面なのであり、そうした部分を読み過ごす事の無い様にしてもらいたい訳でもあるのです。ですので、そうした大きな世界観を包括可能な様に、ミクロな部分として従来和音体系の埒外となっていた四度和音の方面も体系化しているのですから実に見事な取り上げ方となっているのであります。


 チャプター4での「Triadic Superimposition」の取扱いは、九・十一・十三の和音が内含するアッパー・ストラクチャー・トライアドを応用する方法を載せている訳ですが、sus4を載せている所は特に注意を払う必要があり、これは先の同義音程和音にも結びつけて考えるとより一層飛躍できる事になるでしょう。但し、Ex.182aで例示される「Gmaj9」というコード表記はおそらく「Cmaj9」の誤りだというのがEx.182bのコード・サフィックスからもお判りになるとは思いますので、注意が必要です。

 更に、チャプター4での「Twelve Tone Triadic Formulas」以降の章は、クロマティシズムの音楽観を身に付けたい方には特に重要な項目となる用例が網羅されており、これらの説明や用例は感服する事頻りです。

 これから飛躍するかの様に、チャプター5での冒頭からはベース・ラインの拡張法が詳述されており、全音階的隣音、半音階的隣音の充て方が説明されているので、ウォーキング・ベース、特にアウトサイドなウォーキング・ベース・ラインを創出する為の方策としても親切な説明となっているので素晴らしい所です。殆どの理論書ではウォーキング・ベースの方策は埒外とする傾向にある中で、こうした所まで説明に及んでいるのはあらためて驚かされる所であり、そのフレージングの為に「五度音」を一旦の極点として見る方法も載せられているのは、ビアト氏が和声法だけではなく対位法も理解されているが故の事であります。また「隣音」という風に私が述べたのは「隣接音」としても好いのですが、おそらくやビアト氏はシェンカー分析も視野に入れているので、本書でも用いられる「neibors」は、シェンカー分析に於て能く用いられる上部・下部隣音として述べておいた方が良いだろうという事で私は敢えて隣接音ではなく「隣音」と今回述べる事にしました。

 加えて、最初からあらためてビアト氏の音楽観を勘案すると、パーシケッティのそれでも顕著でしたが、フーゴー・リーマンのそれに倣った形で和声体系を準則しつつ応用を利かせて整備されている事があらためて判るので、機能和声を超越した体系がどういう方角を向いて整備すべきかを知っているが故にこうした音楽観が出来上がっているという事をあらためて思い知らされる物であり、ジャズ/ポピュラー音楽界隈での日本国内の刊行物で能く見受けられる様な臆断だけで書き進められてしまい、聞き慣れない横文字も本国で市民権すら得られてもいない様な語句を手前勝手なカタカナ語で言いくるめられてしまうだけの様な似非な理論書とは全く一線を画す物であるという事もあらためて申しておきたい所です。


 PDF書類である『THE BEATO BOOK 2.0』をビアト氏ご本人はリング製本として自家製本されている様ですが、このPDFデータは海外刊行物としては珍しくA4版でデータが作られている為、私も実際に自家製本しようと企図してA4サイズの製本としてデータを持ち込んでキンコーズでくるみ製本をする事に。表紙用のデータIllustratorなどを使って持ち込んでも好いでしょうが、くるみ製本というのはリング製本と違って背表紙が作られる訳ですので、背表紙にタイトルとかを入れたい場合はビアト氏の表題を巧く利用して制作する必要があるかと思います。

 瑣末事ではありますが、ビアト・ブックのPDFでの表表紙の副題は「A CREATIVE APPROACH TO IMPROVISATION FOR GUITAR AND OTHER INSTRUMENTS」となっているのですが、裏表紙の方の副題は「A CREATIVE APPROACH TO JAZZ IMPROVISATION FOR GUITAR AND OTHER INSTRUMENTS」という風に 'JAZZ' が加わっているので、誤植なのだろうか!? と感じてはいるのですが、サブタイトルまで背表紙のデータを作ろうとする場合は、お店のスタッフにその旨を告げて適宜編集してもらうか、ご自身で背表紙用のデータを作って持ち込む必要があるかと思います。

 加えてビアト・ブックの注意点として、ビアト氏自身そのリング製本を施した本は両面印刷として製本されているようですがPDF書類そのものにある「ノンブル」=頁番号は奇数&偶数頁いずれも左下角に印刷されているので、左綴じで製本した場合自ずと奇数ページはノンブルが「ノド」つまり綴じ側に来てしまうのでその辺りは注意が必要です。国内で能く見受ける博論(博士論文)では裏映り(背面の印刷が紙を透けて表から見えてしまう事。特に図版の裏映りは顕著)を避ける為に片面印刷で製本されていたりする物ですが、こうした形式で460頁印刷しようとする場合はA4×460枚が必要となる訳であります。両面印刷なら枚数はその半分で済むのでありますがノンブルの位置は奇数頁がノドに来てしまうという事になるという訳です。

 とはいえ左綴じで印刷したとしてもノドに印刷が差し掛かって見えなくなる様な状態にはならなかったので、その辺りは安心して自家製本におよぶことが可能かと思います。PDFデータは全461頁ある訳ですが、1頁目と461頁目は夫々表表紙と裏表紙である為、これらを除いて内容データとして印刷した方が賢明かと思われます。

 更に、表紙用のデータを作成しようと企図した場合、ご自身がプリンタをお持ちであればその書類を持ち込んでの製本も可能ではあるでしょう。おそらくは本データの460頁弱は背厚として19〜23ミリ位に収まる事となるでしょうが、くるみ製本用のデータを作る場合、A3ノビでも一杯々々の物となりトンボの印刷すら難しい状況であるので、表紙用のデータ作成はご自身でやるよりも持ち込み時にスタッフに任せた方が好いのではなかろうかと思います。A4サイズの刊行物となると国内の音楽書籍ではその多くはATNに能くあるジャズ関連の音楽理論書籍でありますが、概してこうした書籍類と同じ位の大きさになりますので、ある程度の場所を取るので注意が必要かと思われます。
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