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「La Rosa」に見るチョット不思議なコード [楽理]

 今回話題にするのは、カタカナ・ネーミング時代の高橋ユキヒロの1stソロ・アルバム収録『Saravah!』収録の「La Rosa」に用いられているコードの魅力と、そこに生まれる高次なインター・プレイを例示していこうかと思います。
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 扨て、本曲「La Rosa」の作曲者はサディスティック・ミカ・バンドのリーダーでもあった故加藤和彦のものでありまして、少々ジャジー&AOR風味なコード進行が絶妙の本曲は、アルバム『サラヴァ!』収録曲の中でも私の周辺では非常に人気の高いひとつでもあります。

 時代背景として見れば、YMOが結成した直後にリリースされたアルバムでありまして、参加人脈も細野晴臣、坂本龍一という名前を見付ける事が出来、中でもアルバムの総合プロデュースとして"Co-produced & Professed by Ryuichi Sakamoto"というクレジットが見られる所から、「教授」というネーミングはこの頃に既にあった事が判り、その後広く人口に膾炙される事となる呼び名の示唆が見られる訳です。

 処が、楽曲単位のクレジットを見ると「C'est si bon」と「La Rosa」の2曲以外は坂本龍一編曲となっているにも拘らず前述の2曲には明記されていない。しかし能々アルバムの総合クレジットに目を通してみるとBrass, Strings & Keyboards Arr: Ryuichi Sakamoto となっており、後述する事となる非常に特徴的なコードのそれとアンティシペーションのメリハリは、やはり坂本龍一の手に依る物だろうと深く首肯させられる点があるのです。

 更にそうした妙味に加えて今回は、本曲に参加するギタリスト松木恒秀のインタープレイのそれが絶妙で、特に半音階アプローチとしての「剝離の仕方」というのはギタリストとは到底思えない、それこそジャズのベーシストの視点の様な高次な楽理的側面を見せて呉れる物でもあるので、これらの件を今回は詳らかに述べておこうと企図する訳であります。


 因みに松木恒秀の奏するギターは明記されてはいないものの、おそらくギブソンのES-350ではないかと思います(もしかするとES-175の可能性も)。能く「日本のエリック・ゲイル」などとも言われたりもしますが、私自身としては確かにエリック・ゲイルにも似ていると思いますが最も近しいのはフィル・アップチャーチじゃないかなぁとも思ったりしています。この松木恒秀の弟子だったのが和田アキラ。グレコのギターの指板をクローズ・アップした速弾きフレーズに依るCMを記憶している方も居られる事でしょう。そういう人脈から和田アキラも今作に数曲参加しているのでありますね。

 初期のCD盤では「Sunset」でのギター・ソロの終盤でバックのクレッシェンドして来るシンセ・ストリングスと一緒になって潰れてしまうのですが、21世紀リマスタリング(※2005年小池光男マスタリング)ではアナログ時代の頃の様に分離感がキッチリしているので、旧CDをお持ちの方はリマスター盤をお聴きになる事をお奨めします。


 扨て漸く本題を掘り下げる事にしますが、今回私はハモンド・オルガン・ソロから半音移調するAテーマ迄の部分のデモをコード解説用に作ってみたのでそちらを聴いて貰う事としますが、本デモは総べてのパートの完全コピーではないものの和声感に於て強い違和を抱く方は居られないかと思いますので、一応和声面に関してはきちんと採譜しておりますのでご承知おきを。

 それではデモと併行して解説していくのでハモンド・オルガン・ソロの部分のコード進行を取り敢えず各小節1段落にして次の様に列挙しておきます。後掲に図示してある小節線で割り振ったコード進行も併せて確認してみて下さい。それらを踏まえた上で解説に移ります。



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Gm7(9、11)
F△7 (on A)
Fm7 -> B♭7 (on D)
E♭△9
E♭m9 -> Fm7 (on A♭)
D♭△7
C#m6(9)
F#m9
Fm9
E♭m9
E♭△ / F -> E7
E♭m7(9、11) -> A♭7(♭9、#11、13)




 この様にパッと一瞥する限りでは、細野晴臣のプレイは意外にも3度ベースが多いという事が判ります。その3度ベースが後続和音に対して順次進行(半・全音の音程)ではない所にあらためて注視すべきでありましょう。

 まず注意して欲しい部分は4小節目「E♭△9」。茲は小節線で図示した方に併記しておりますが、E♭ハーモニック・メジャーを想起しておく必要があります。これは勿論原曲がそうしたアプローチを採る為であります。ですから「C♭音」が和音外音として存在する事を示唆しているのです。これはスティーリー・ダンの「緑のイヤリング」のギター・ソロに入る前のブリッジ・テーマやウォルター・ベッカーの「Three Picture Deal」にも用いられる、所謂西洋音楽界での「モルドゥア」であります。

 厄介なのは次に挙げる7小節目の「C#6 (9)」。これは便宜的に表記しております。6thコードの6度音が後続和音に対して順次上行をする限定進行音である(且つ弱進行)という説明はこれまで何度もしておりますが、その様なルールに基づくと今回の6th音は少なくともドイツ音名:hかhis(英名:B or B#)に行かなければなりません。しかし後続和音「Fm9」にはそうした音が用意されて居りません。コレは如何なモノか!? という事を先ずは詳らかに解説する事にしましょう。

 後続和音に配慮するならば、この「C#6 (9)」という和音表記は「A#m7(♭5)(11)」である可きです。ハーフ・ディミニッシュを母体とする和音の場合、それがメロディック・マイナー・モード上で生ずる「導七」=ハーフ・ディミニッシュ・コードであると、9度音は長九度となるのでアヴォイドとならない物です。但し、茲ではメロディック・マイナーの示唆は無いので9度音は短九度であるべきモードを想起してイイ筈で、和声的にはアヴォイドとなる短九度をオミットして本位11度音を付与しているという状況として考える事が最も適切であるのですが、導七を母体とする和音表記では本位11度まで積み上げて利用する際、長九度音が併存されている事が望ましい状況であるので、ここでは単に「導七 + 本位11度」とは捉えずに、既知のコード表記体系にある6th add 9th型の和音表記として便宜的に扱っているのです。限定進行音のそれを考えると非常に心苦しいのですが、同義音程側の和音の在り方も閉塞している状況なので苦渋の選択としている訳です。後続和音に対して明確に下方五度進行をしているのに6thコード表記というのも実にもどかしい断腸の思いです(笑)。


 その後の12小節目のE♭/F -> E9の部分というのはこのブリッジ部に於て個人的には最も好む進行であります。その後の「E♭m7(9、11) -> A♭7(♭9、#11、13)」という進行でブリッジを結んでいるの絶妙な進行であります。とはいえオルタード・テンションをふんだんに使ったツー・ファイヴ進行に過ぎませんが、時折顔を出す弱進行が下方五度進行とモーダル・インターチェンジのややもすると卑近な感を中和してくれているのが良い塩梅となっているのでしょう。


 扨て次は「A’(ダッシュ)」部なのですが、Aテーマが半音高く「移調」されているのはお気付きでありましょう。曲開始部の原調から半音高く推移している訳ですが、Aテーマ総べてのコードが半音高く移調しているだけと思ったら大間違いでして、この辺は、単に移調しただけの世界観とは異なる和声感覚を持つ坂本龍一のアレンジ能力の非凡な側面を見る事が出来る物です。特にそうした細かな配慮を2点見付ける事ができます。まずはA’のコード進行を列挙しておきましょう。


D♭△7
G#m9
C#7
F#△7
F#m△9
B♭7(#9、13)
E♭m9 -> Dm7(9、#11、13)=E△/Dm7 ※原調部はB△/C#7=C#7(9、11、13)
D♭△7


 「原調部〜」と注釈を振っている部分が、原調を単に移調させている訳ではない和音であるという事を示しますがこれはあらためて後述するので先ず語っておきたい箇所は「F#m△9」の部分であります。

 「F#m△9」和音の基本形はあらためて述べる事でもありませんが、第5音を中心とした時に上下にある各構成音は上下に夫々等しい音程として対称的な構造となっている和音であります。「F#m△9」の第5音は「C#」です。上下に長三度音程は「E#音とA♭音」上下に完全五度音程は「G#音とF#音」という風に。

 こうした対称性を伴っている素材を楽曲の音脈として用いる事は、下方倍音列の音脈の断片を使う事にも等しい訳です。下方倍音列は一瞥しただけでは、その構造が実際には存在し得ない思弁的世界観なのですが、実音として存在せずとも思弁的な世界観で音脈を探るという事は何の誹りも受ける事ではありません。下方倍音列の概念をオカルトだのと決め付けさせない為にも何れはヴァンサン・ダンディの『和声法講義』やディエニの『生きている和声』を引き合いに出して語る事があると思いますが、孰れにしてもマイナー・メジャー9thという等音程構造という対称的である構造を頭の片隅に置いていて貰えればコレ幸いです。

 扨て、「F#m△9」の後続和音は「B♭7(#9、13)」である為、もしも後続和音に対して明確な(=機能和声的な)進行として成立させたいのであれば和音構成音を鑑みれば「F#m△9」のルートの半音下であるF音を仮想的に想起して下方五度進行をしているという見立ても立てる事も可能とは言えますが、こうした見立ては機能和声的な進行に馴れてしまっている事によって「F#m△9」という和音構成音の前に、ドミナント7thコードのオルタード・テンションの型となる断片を見付けてしまう悪癖と為すので注意が必要なのです。

 そうするとF7に♭9と#9音が併存する様な和音を見立てて♭13音が附与されているオルタード・テンションに見えなくもないです。しかし同度(=この場合は♭9thと#9th)由来の音が併存するのは3度堆積和音の単体の和音では許される物ではありませんから実際にはそうした和音として見立てる事が無謀であるのは、ある程度ジャズ/ポピュラー音楽界隈のコード表記のルールを知っていれば判る事です。しかし、基の和音が「F#m△7」だったとしたらどうでしょう!?

 その場合、半音下の音に仮想的にルートを見出して想起した場合、同度由来の併存する音が登場しなくなってしまう為、「F7(♭9、♭13)」の断片として想起する可能性が高くなるのです。

 無論上記2種類のF7由来の和音を仮想的に見立てた所で、F7由来の短七度音=E♭音は元の「F#m△9」には無い音なのだから、そこ迄疑念を抱かなくても良いのでは!? と思うかもしれません。然し乍ら敢えて言いたいのは、機能和声的感覚が蔓延っている連中は、在りもしない音を手繰り寄せて既知の体系にそぐう和音として想起してしまう物であります。つい先日私が山下達郎の「土曜日の恋人」のコード進行など、ひとたびググってみれば私以外の所で検索でヒットする所のコード想起が如何に馬鹿げた所を想起しているかがお判りになるかと思います。それは嘗てのカーディガンズの「Carnival」のコード進行をググって見るもよし(笑)。


 ですからマイナー・メジャー9thというコードは、その構成音からは仮想的に半音下にルート音を持つドミナント7thコードを見付けて了う可能性が高いのでここに注意をしなくてはならない訳です。「La Rosa」の当該部分に目を向ければ「F#m△9」をF7某《なにがし》由来のコードだとひとたび想起してしまうと後続和音B♭7(#9、13)と明確な下方五度進行を作る様に見えてしまう為、こうした例が誤りを事実だと誤認してしまいかねない訳です。そうした下方五度進行の牽引力を避けているからこそ「La Rosa」の当該箇所はマイナー・メジャー9thなのです。それは移調前の原調でも然りです。


 但し一つだけ採用すべき点があります。マイナー・メジャー9thの半音下或いはその半音下と三全音関係にある音度のドミナント7thコードを想起する事に依って、その仮想的なドミナント7thから次の後続和音へと「フレージング」的なアプローチを採るのは是としても良いのです。決して「和声的に使わなければ」の話ですので茲が注意点です。

 畢竟するに、ドミナント7thを想起するにしても基の和音を疏外する事の無い様に横の線としてフレージングすれば良いのです。しかし茲でのフレージングに注意しなくてはならないのは、ドミナント7thコードを仮想的に想起したからと云って、卑近なミクソリディアンやオルタードを想起してはいけないのです(コレ重要)。ルート・ポジションからモード・スケールに則って上行形を作ろうとする際のカウンター・ラインとなるフレーズを下行形として創出する術を知らない限り、マイナー・メジャー9thコードの半音下或いはその半音下と三全音関係にあるドミナント7thを想起するのはやめておいた方が無難なのです。おそらく多くの方はこうしたカウンター・ラインを創出する方法論など知らない事でしょう。


 私が時偶使う「半音階的な剝離」とは、こうしたカウンター・ラインの事を指します。アウトサイドなウォーキング・ベース・ラインの創出を知らない限りは先ずアプローチするのは無理でしょう。そのアウトサイドとやらもアウトありきではなく、アンサンブル内のあるフレーズやモード・スケール音に対してのカウンター・ラインを創出する事ですから、一義的にスケールを想念していただけでは、スケールの音ばかりは持て余すのでテトラコルドを想起し、そのテトラコルドの型を色々と使いこなし乍ら半音階を操作する様にしてフレージングするのが最も良い手段であるのです。そうしたカウンター・ラインとなるアプローチが表れているのが、「La Rosa」の曲冒頭部のAパターン(原調)のマイナー・メジャー9th、つまり今回例示している「F#m△9」より半音低い当該部分である訳ですから、その当該部の最初のAテーマでの松木恒秀のギターに依る1拍3連→2拍3連でのオブリガートが巧みな「剝離」なのです。

 そのオブリガートは要所々々でクォーター・チョーキングを噛ましているので中立音程も入っている訳ですが、今回は微分音である四分音の見渡しはやめておき、そのオブリガートをダブル・クロマティック・アプローチとして、それに対してクォーター・チョーキングというイントネーションを微妙に震わせたアプローチとして見立てる事にしましょう。茲での松木恒秀のアプローチを採るマイナー・メジャー9thコードは原調部である0:32〜の所ですからコード進行は先述の解説部と半音低くなる訳ですから「Fm△9 -> A7(#9、13)」となる訳です。このFm△9に於て松木恒秀はC音を2回アタマ抜き1拍3連で弾いた後に前打音でFm△9の和音外音である増6度のD#音 -> 直後E音とした後に茲からE -> D# -> D -> C#音という風にC#音は後続和音の第3音に着地しているというアプローチなのが判ります。

 このアプローチはFm△9の半音下のE、或いはe音と三全音関係にあるB♭由来のドミナント7thコードを仮想的に想起して於て先のクロマティック・アプローチを置換してみると、Fm△9の増六度であるD#はE7の長七度と見る事も可能ですが、この場合音名はE♭と変換する必要があり、「減八度」と解釈するに必要な音です。ドミナント7thコード上で「減八度」のアプローチとはあまり耳にしないかもしれませんが、対位法とは言わずともカウンター・ラインを創出する場合、特にジャズ・ベーシストは減八度の音脈を体得している物です。ドミナント7thコード上での減八度ですからその「和音外音」に対して次の半音下の音は和音構成音となる「短七度」が待ち構えているのです。

 そうするとFm△9の(D#)-> E -> D# -> D -> C#というアプローチは(E♭)-> E -> E♭ -> D -> C#という風に推移させているフレージングだという事が判り、ドミナント7thコードでの「減八度」を用いるアプローチの良い応用例にもなる訳です。勿論本曲はマイナー・メジャー9thコードでこのダブル・クロマティック・フレーズな訳ですからそれを念頭に置いた上で、別のシーンのドミナント7thコードで応用すべし、という事を示唆する説明をしているのです。この半音階の剝離はマイナー・メジャー9thコードを直視して増六度を想起した物ではなく、マイナー・メジャー9thコードの構成音を持つドミナント7thコードを仮想的に想起した上でのアプローチだと私は考えているのです。それがどちらであっても高次なアプローチですが、単にクロマティックなフレージングではないという所だけは念頭に置いて貰いたい所です。


 扨て、本曲「La Rosa」でのマイナー・メジャー9thコード出現部分は明確な和音外音のメロディを唄います。移調後の「F#m△9」で言えば「いつか見た夢のように」の「よ」の音はB♭音であり、F#m△9からすると減四度という長三度の異名同音となってしまう音を忌憚無く唄っている事になるのですが、実はこのB♭音を唄う際、バックはF#m△9の和音としては響かせずボーカルのB♭音を、後続の和音であるB♭7(#9、13)のルートのアンティシペーション(=先取音)として計算されたアンサンブルを保っているのです。

 当該マイナー・メジャー9thコード部は原調の方でもアンティシペーションが入る所ではマイナー・メジャー9thが作用しない様に音を切りますから、この辺りの坂本龍一のアレンジの緻密さはやはり流石というか、和声感を敏感に感じ取っているからこそ惰性を許さないのでありましょう。その「惰性」とやらはボーカルという主旋律である「横の」牽引力が持ってしまっている物です。つまり、先述の様にこのマイナー・メジャー9thの半音下の音に仮想的なドミナント7thとしてのルートを見出してしまうと、そのアンティシペーションは恰も本位11度音という経過音に見えてしまうのです。そうすると経過音に見えてしまいかねない方を能く在るシーンとして誤解してしまい、マイナー・メジャー9thというコードの希少性に耐え切れず和音体系の多数の力に稚拙な和声感が負けてしまうと、在りもしない音を根拠にドミナント7thコードの断片として想起しかねない危険性がこうしてあらためて露わになるのです。


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 加えて減八度というカウンター・ラインの「剝離」が意味する物を、用例を変えて挙げる事にしましょう。それがスティーリー・ダン(以下SD)のアルバム『Aja』収録の「Black Cow」です。楽節で言うとA’(ダッシュ)テーマとして生ずる部分なのですが、それの歌詞2番に相当する所、「talk it out 'til daylight」の「daylight」からの2小節間に亙って存在する「Bm7 (on E)」で生ずるブラス隊のアレンジ部です(CDタイム2:10〜)。

 ブラス・セクション上声部は四分音符定旋律上行形で「ロ・嬰ハ・ニ・ミ・嬰ト・ロ・嬰ト(A△7の長七に解決)」と奏する旋律に対して下声部は反行形の定旋律で「ロ・変ロ・イ・嬰ヘ・ホ・ホ・イ(A△7の根音に解決」という風というカウンター・ラインを生じております。この下声部の反行形が何故カウンターなのか!? というと、「変ロ」=B♭音が4拍目に表れている状況なのですが、この音は当然の如く和音外音であるのですがBm7(on E)という音から見てもかなり縁遠い音であるのは間違いのない所ですが、これが「減八度」の音脈として生ずるカウンター・ラインとしての対旋律の実際の一例です。

 仮に先の変ロ音を、Bm7 (on E)の基底音「E音」から見立てた場合それは、「ロ・変ロ・イ」という動きが「完全五度→増四度・完全四度」に見えてしまうので、ついつい変ロを嬰イという異名同音で記譜してみたくもなるかもしれませんが、茲は変ロ音であるのが相応しい、減八度由来のカウンター・ラインであるべき音なのです。

 このアレンジはSD御両人の手に依る物ではなく、トム・スコットのアレンジに依る物ですが、この後SDはブラス隊を三本のサキソフォンに変えて行く様になります。フェイゲンがそれを好んだからとも言われます。そんな豆知識は扨て置き、こうした「減八度」由来のカウンター・ラインの実際を今一度知れば、先の松木恒秀の減八度を視野に入れている筈のアプローチというのが能くお判りになるかと思います。

 
 混同してはいけない所は、原曲のマイナー・メジャー9thは明らかにアンティシペーションとなる音として巧みに回避しており、且つその和音はオルタード・テンションを伴わせたドミナント7th系統の和音由来とする物でもないという点。それに加えて松木恒秀のアプローチは、マイナー・メジャー9thという和音の構成音を他のドミナント7thコード由来という風に仮想的に見立て、ドミナント7thコードに起因するクロマティック・アプローチであるカウンター・ラインとして「剝離」を導出する為の脈として想起している可能性がある点。これらを夫々見抜いておいて損は無いという事です。

 後者の松木恒秀のアプローチでメリットとなるのは、先の移調後の和音で表記すればF#m△9をF7某由来の和音又はそれと三全音関係にあるドミナント7thコード即ちB7某を想起する事も可能となる訳です。そうする事でクロマティック的に「剝離」を導出する為のフレージングは、マイナー・メジャー9thコードを想起して見慣れないモード・スケールを想起しているよりもドミナント7thコードを見立て且つ卑近ではない(ミクソリディアンやオルタードなどの安易な想起を避ける)アプローチを採った方が判り易いであろう、という事でもあります。とはいえそのフレージングとて、基の和声感を大きく疏外する様にフレージングしてはいけないのであります。ここはセンスが問われる所でしょう。それでいて音価が長めの2拍3連でフレージングしていく松木恒秀のそれは、最初の半音下からの前打音から入って、その後上がって下るというメリハリが利いているのは言うまでもありません。


 そんな訳でA’テーマで取上げたい和音のもう一つに「E♭m9 -> Dm7(9、#11、13)」の進行で生ずる「 Dm7(9、#11、13)」と表記してあるコードを解説する事にしましょう。基本的にマイナー・コードの13度音(=転回長六度)というのは「アヴォイド」であるというのは知られて居ります。処が多くの人は「アヴォイド」という物を忌避すべき音だと思い込んでいる人が多いので、その辺の誤解を払拭する上で語らなくてはならない点があります。

 アヴォイド・ノートとは、基底に備わる和音、即ちそれは完全音程を有している三和音の状態の和音という根柢の和音の響きを損う事の無い音というのが由来とする物です。3度累積の形で13度音をダイアトニック・ノートで埋めれば、どの音を根音にしようとも総べての和音は根音こそが違うだけの「全音階の総合」=総和音という状況ではあります。この状況は根柢のトライアドの響きを疏外するだけでなく、何時でも何処でも「属七和音」を包含している(=トリトヌス)を持って了っている為、機能的和声の枠組みでは取扱いを避けられる所があります。

 とはいえ、シーンがモード体系だったり弱進行のシーンに於てはその限りではありません。仮にEフリジアン・トータルとして「ホ・ト・ロ・ニ・ヘ・イ・ハ」の断片である「ホ・ト・ロ・ニ・ヘ」の5音を「コード」として用いる事にしてみましょうか。E音を根音とした時、マイナー・コードを基とするのですがそれに短九度が附与する様な体系など存在しません。処がこれをチック・コリアはG7/Eという形で使います。つまり、E音から見た時の短九度音=F音をブルー五度として使う時の用法。すなわちこの場合G7/Eがブルージィーなコードとして機能するにはBマイナーをトニックとする時のブルー五度を視野に入れた「ダイアトニック・コード」なのであります。

 扨て、マイナー・コードでの13度の取扱いではスティーリー・ダンでは♭13度の扱いもある様に、本来3度堆積和音の形であれば基にあるトライアドの響きを疎外しようがしまいが成立しうる物として成立しているのです。処が、属和音でダイアトニック・トータル(=ミクソリディアン・トータル)を遣ると本位11度音を包含する為、後続和音の先取音として呼び込んでしまいかねません。進行感が稀釈化してしまうからです。とはいえ、私のブログでもこれまで散々弱進行や多義的なドミナント7thコードからの後続和音への進行を見て来た様に、音律が熟成(=均齊)してからの和声というのは、機能和声的な方法論よりも寧ろもっと多様性のある進行に推移しているのが現状です。

 併し乍ら調性のコントラストは局面々々に於て進行感を強める牽引力として耳に働きかける必要性も場合に依っては伴うので、態々進行感を強める為に機能和声的な側面に媚びを売るかの様な紋切り型の和音進行とかも出て来る訳であり、そういうシーンを多く遭遇すれば通常ならばアヴォイド・ノートとして理解される和音など使う筈も無いでしょう。ですが、実際には例外など多数ある訳です。

 マイナー・コード殊にそれが四和音という7th音を包含する和音を基底とする場合のコードで3度堆積の場合、7度音が長七度音であるならば13度音は全くアヴォイドではありません。またその際11度音は本位11度であっても増11度であってもどちらでも構いません。マイナー・コードに増11度音はハル(=アーサー・イーグルフィールド・ハル)界隈でも見られる和音ですし、それに13度音が附与されても全く問題はありません。

 マイナー7thコード、すなわちマイナー・トライアド+短七度音の時に13度音(本位13度)を用いる時は、11度音をオミットして9度+13度と使用する方が基底和音の疎外感は少なく済みます。とはいえ後続和音に対して明確な下方五度進行をする状況ならば13度音を使うメリットが少なくなるでしょうし、多くは後続和音への進行が弱進行であったりモード体系であったりする時に13度音を考慮すべきです。

 マイナー7thコードを基底に持ちつつ短九度音を形成している様な状況の場合は、前掲にもある様にこれはチック・コリア・エレクトリック・バンドの2ndアルバム「Light Years」収録の「Flamingo」という用例に学ぶべきです。つまりその短九度音が調性を俯瞰した時のブルー五度として用いられる様に使われるべきです。フリジアン・トータルという形でしたらいつぞやも語ったように、フランツ・リストS.55「不毛なオッサ(枯れたる骨)」で用いているものであります。



 加えて、此等の短和音の活用はアーサー・イーグルフィールド・ハル著の『近代和聲の説明と應用』を読めばもっと詳しく理解できる事でありましょう。ともあれ重要な理解というのは、機能和声の範疇とそれらとは異なる非機能的な世界観とを一即多にしないで呉れよ、という点です。紋切り型に理解してしまう様な人は己の感覚が乏しくて、その感覚が「機能和声的」な方の熟達に甘いレベルの人が多い為、自身の感覚に従順な為に非機能型の世界観を相容れずにきちんと理解しないか、両者の世界観を一即多にしてしまう物でもあります。尤も、和声感覚の熟達に甘い人からすれば、今回の「La Rosa」とて吟味できないとは思うのですが、そうしたレベルにある人はまだまだ感覚を鍛えてから覚えなくてはならないのでもあります。


 これ位詳らかに解説しておけば、前掲の「Dm7(9、#11、13)」という和音はアッパー・ストラクチャー・トライアドとして見れば「E△/Dm7」として見立てる事も出来る和音だという事があらためてお判りいただけるかと思います。但しこの表記は移調後の表記なのですから移調前は半音下にあります。しかし移調前である原調の当該個所はB△/C#7=C#7(9、11、13)」と為して居り、基底音から見た時の11度音はオルタレーションしておらず本位11度音であるという所が重要です。この和音がそっくりそのまま半音上にシフトして移調している訳ではないのです。これがとても重要な所です。このアレンジの妙味は素晴しいと思います。