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同位和音(2) [楽理]

 扨て、同位和音から得た先の幹音以外の4つの派生音、それらは先述した様に四度音程累積で表す事ができます。つまり、ハ長調/イ短調という音組織とは異なる音を中心として(それは派生音にある)坐しているのです。
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 そこから完全四度等音程という解釈を導けば、等音程の基軸は変ニ音(=D♭)音から下方に四度累積を進めた等音程が生じているという事になります。奇しくもその四度音程の累積とやらは下方に四度を辿る事になるので、今回の4音のそれらの基底音はB♭音を示す事になります。このB♭音からの四度和音として見渡した場合、B♭音には完全五度音の無い4度和音として四声を積む事になるのが興味深い点でもあります。

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 先の記事ではYMOの「Nice Age」の硬減七の分散和音も引き合いに出していたので同様に坂本龍一繋がりとして、坂本龍一のソロ・アルバム『千のナイフ』収録の「Thousand Knives」の冒頭の4度和音は、まさに5度抜きの四度等音程和音の平行で進むものです。四度和音をパラレル・モーションさせる事で「旋法的」和声感に更に揺さぶりをかけているという意図が読み取れます。また本人談に拠ると同曲の所謂Cテーマ(結尾に8音音階が現れる)は、ハービー・ハンコックの「Speak Like A Child」にインスパイアされているとの事で驚くばかりです。

 それを思えば、ハービー・ハンコックの『処女航海』収録の「Maiden Voyage」とて四度和音を其処彼処に感じるマイナー11th系統のそれです。但し土俗感は少なく、ジャズ風に寄り添ったハーモニーであるのは間違いありません。ハービー・ハンコックの特徴的なアプローチなどは孰れミシェル・ンデゲオチェロと共に語る予定があるので、まだいつになるかは判りませんが一応用意はしているので、話題がうまい事連結する様な時にトニー・ウィリアムスの事も兼ねて語る事になると思いますので念頭に置いていただければと思います。


 また、この四度等音程はもしそこにF音を四度音程の中に組み入れるとペンタトニックを形成する事になります。F音を組み入れる事なく先の派生音4つを完全四度等音程として眺めていれば、それらを転回すれば二度音程の房を形成する途中の断片を見る事が出来るかと思いますが、機能和声的な進行を伴わない所謂「旋法的」な情緒というのは、五度下行進行よりも三度や二度の進行の方が生じ易い(五度の転回の四度も然りで、それは既知の機能和声的な動きに補足される様な脈を生む)のです。

 つまり、それら派生音4音が旋法的なペンタトニックの断片とした時、その旋法性と基からある同位和音を見据えた時の中心であるC音から五度下方にある下属音=F音が、機能的な社会と旋法的社会の窓口という風になっているのが理解できるかと思います。つまり、C音からの下方五度が旋法性の入口としての物ですが、下属音として強固に使ってしまったりすると、従来のカデンツを経由する事となる為取扱いに配慮しなくてはならないのです。


 しかし下属音の取扱いに慎重になる以前に、同位和音で得た準音階固有音つまり同主調の別の側の音組織として得られる音階にある音に注意を向けねばならないのは当然なのですが、そこでもっと多様な世界に拡大していくのは概ね倍音由来の色彩を利用して拡大する物です。つまり、同位和音の凖固有和音の方の長和音をドミナント7thとして嵌当するという事です。

 そこに充てるドミナント7thは少なくとも長9度と増11度を持つという構造である可きなのです。何故ならこれは上方倍音由来の導出であり、この和音を「ダイアトニック・コード」として持つ音組織がメロディック・マイナー上のⅣ度の和音という風になるのです。つまり、同位和音で得られる全ての長和音に対して、メロディック・マイナー・モード内のⅣ度上の和音として見立てる事が、旋法性の音脈の世界に上方倍音列(高次な)の音脈を更に足した音脈を得る事となるのです。

 つまり次の譜例の様に4種のメロディック・マイナーを形成する事が可能です。特に最下段の譜例Gメロディック・マイナー・スケールというのは、例えばハ短調(=Cm)でのトニック上(Cm某し)という和音上にてGメロディック・マイナーを充てても「増四度」がブルージィーに嵌当される様に振舞う為、知らず識らずの内に使っている人も少なくはないでしょう。

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 勿論これらのメロディック・マイナー・モードを想起するのは誤りでもなく、寧ろ「映じ易い」音脈であるのです。同位和音で得られなかったブルー五度もしくは#11thの音を此方の音脈では得られるのですから、此方を有り難がる人は少なくないでしょう。寧ろ多いと思います。然し、私の判断では、こちらの増十一度に向いてしまう音脈というのはまだまだ「卑近」なレベルなのです。少なくともジャズに於ては。


 先述した様に、増十一度ではなく本位十一度のまま堪えて、その上で「減五度」というオルタレーションを「併存」させたり、恰も増九度と本位9度が同居している様な和音という世界観やら、恰も短七度と長七度が併存している様な世界観の演出の方がジャズでは更に多様な世界観なのです。然し乍ら、そうした演奏例が少ない乍ら遭遇しても殆どの人は説明を付けられずにいるのではないでしょうか。加えて、私がマイケル・ブレッカーの演奏「I'm Sorry」での四分音を使ったオルタレーション7度を例に挙げたのも、実はこうしたオルタレーションの真なる動機の源泉を挙げたかったが故の意図なのです。

 
 処が、現今のジャズ/ポピュラー界隈の音楽理論など、私の様な論述の様な事など先ず語っていない事でしょう。殆どが過去の使い果たしている体系に誤謬に近しい目新しい語句を嵌当している位が関の山ではないでしょうか。それはジャズという短い歴史の音楽史ばかりに近視眼的理解に及んでしまっている為、正当な音楽的背景を知らないからこそ使いこなせていないので発展が鈍化している訳です。何故80歳にも及んだジャズの巨人達に続く若手が出現しないのか!? それは過去を超えられないからであるのは明白です。卑近で陳腐。新しいアプローチが殆どと言っていい程に無い。概ね手数の差位でしかないでしょう。では、今回メロディック・マイナーを得た事について次の様に纏めてみる事にしましょう。一部は図版の方にも併記してあります。



 同位和音を想起する事で幹音から変化した派生音を抜萃する事ができる為、それらを異名同音変換すると変二音(独名:des 英名D♭)から下方へ四度等音程として整列させる事が可能となる。

 4つの派生音はC音を基準とした時の短音程の組織を呼ぶ事を意味し、この因果関係はCフリジアンの音脈を同位和音が引き連れた事になる。

 Cフリジアンを生ずる調性格はA♭音を主音とする変イ長調である。この音脈は奇しくもフーゴー・リーマンの下方倍音列で得られる時の音脈だが、下方倍音列を視野に入れずとも自ずとそちらの音脈を辿る様になる事に注目。


 同位和音で得られた4種の長和音を旋律的短音階(メロディック・マイナー・スケール)のⅣ度上に作られる属十一の和音と見做す事で4種の旋律的短音階から、4種の同位和音では得られなかった派生音fis音(英名:F#)を得る事が出来る。

 旋律的短音階を全音階(ダイアトニック)的モードとした際のⅣ度上に作られるダイアトニック・コードの属十一の和音とは長9度と増11度音を附与するドミナント7thコードとなる。この和音は上方倍音列に合致する為、同位和音との共通和音が基底の長和音だけに依拠した物ではなく、同位和音の表れが倍音に由来しない物である所に、倍音由来の欲求を更に付与した次の段階の欲求である事を意味する。

 同位和音だけの欲求は全体を俯瞰した時に本位11度を生み、次の段階では三全音となる増11度を生む欲求となる。しかし半音変位(オルタレーション)の欲求は倍音由来で11度音を上げる事よりも、基の音組織の3・5・7度が半音下がるオルタレーションで得られる事で三全音となる減5度の音は得られるので、安易に上方倍音列の動機に頼ってしまうと、同位和音が持っていた旋法的な響き(主音の下方五度の音脈)を薄めてしまう事になる。



 同位和音で得られる長和音をメロディック・マイナー・モードのⅣ度上の和音に当て嵌める(これは倍音由来なので正当な当て嵌めとなる)。つまりは、リディアン・ドミナント7th(別名リディアン♭7th)を充てている事と同義でありまして、多様なリディアンを充てているのは、リディアン属として近似性のある音並びを導出するジョージ・ラッセルの提唱したリディアン・クロマティック・コンセプトのそれと同じ状況も視野に入るのです。それ以外に同位和音で得られる事の旋法性の情感をマスターすれば、リディアン・クロマティック・コンセプトよりも遥かに多様な世界を掌握する事が可能となる訳ですが、下準備にも乏しく和声的感覚の習熟に足りぬ物は直ぐに使えそうなインスタントな物を欲するのが常です。つまり、リディアン・クロマティック・コンセプト自体が従来の単なる同位和音から得られる事の連関で導出されるだけの事を仰々しく書いているだけに過ぎず、ジャズ的語法に乏しい者はインスタントなリディアン・クロマティック・コンセプトをさぞかし有り難がるものでしょう。

 しかも日本版には武満徹との対談を有難く掲載していて、武満徹とて無闇に断罪しない様に配慮して(ある程度西洋音楽の方に深く踏み込めば、どういう事をジョージ・ラッセルが謂わんとする事が判る所を察して遣っている)いるのですが、傍から見れば武満徹が利用されているとも謂えるでしょう。リディアン・クロマティック・コンセプトを武満徹が利用するとも読み取れる一文のそれに深く首肯したり論う者が居るならば、私のこのブログ記事の先述した事を思い返していただきたい。下方倍音列であろうとなかろうと、この音脈は誰もが相容れる事の出来る音脈だ、と。

 メロディック・マイナーの嵌当も倍音由来に依る物です。相容れるに充分な音脈です。処がジャズというのは局所的な調所属に対して適宜に対応しなくてはいけなくなった為に、考えそのものも多義的ではなく、柔軟性もなくしてしまったと謂わざるを得ないでしょう。


 亦、同位和音というのは実際には複調状態であるのです。特定のモードやそのモード・スケールやら、歩を進めると見知らぬ和音などが漸次表れて来る様な状況でも一義的に某かのスケールや和音という風に体系を「暗記」してしまい柔軟な解釈ができずに泥沼に嵌っている様では手に負えないのです。

 ペレアスの和音なんていうのは長七度離れた2組の長和音から生ずる訳ですが、よもやこれを長和音上に生ずる長七度・増九度、増十一度などと判断する様では愚の骨頂であり、マーク・レヴィンなどはペレアスの和音ですら「同度由来」の解釈なのは滑稽で、読み手の此方の方が赤面してしまう程で、鉄面皮も甚だしい表現を繰り広げているのだから誠に畏れ入るばかり(嗤)。ジャズという「狭い」音楽社会だけに没頭してしまい、其処ばかりに拘泥して行き着いた音楽観の歪曲した成熟がこうした状況に陥るのだと痛感すると共に理解に苦しむ事頻りなのです。トライアド同士の分数コードの構造なら嘸かし判り易いでしょうに。

 ジャズ界隈のそうした悲哀なる側面を目の当たりにして来たからこそ私はシンプルな理解に及ぶポリ・コードの類で表記して来た訳です。和音とて本当ならば長和音と短和音だけが正当な姿であって、増和音や減和音などというのはそれらのオルタレーションに過ぎないのが本当の姿なのです。ですから、先述の完全四度等音程に依る四度和音のそれには和音の存在の為に必要な完全音程(=完全五度)が無いのですから、機能的に稀釈な状況であると共に機能和声的にはアブストラクトな性質を持っている和音という風になるので、そういう意味もあって繰返し述べるとすると少なくとも機能和声社会での和音は完全音程を持っていて、その基本形が3度音程で構成されている事が機能を語る前提になり得る訳なのです。ですから私はそうした単なるオルタレーションであるという背景をも知らずに、図鑑サイズやタウンページ程もあるコード一覧表を有り難がって手に取る愚か者対して歎息が止む事は無いのが残念なのです。

 それを痣ける様に、少し前に硬減和音・二重減和音なども含めたオルタレーション和音の一覧を披露した訳ですね。それには、和音の名称やら音楽的な呼称にばかり拘泥する前にもっと体得すべき事があるだろうという意図もあった事は事実です。

 然し乍らもっと悲哀な側面は、楽理的な側面をこれから理解する者にとっての多くが、音楽面とは全く異なる次元の、「優しさ」を以て接しないと理解力が伴わせる事が出来ないという人がとても多いという状況であります。優しい人であったら見知らぬ人にでもホイホイ付いていってイイですよ、なんて幼い時からでも教わりはしなかったでしょうに、苦労の果てにある報酬(=喜び)を感じていないからこそ、苦労=苦痛というトラウマとして感じてしまっているからでしょうな。そうした理由から己にとって平易で、しかも周囲を見渡しても異端ではない物を選んで、教わる時には優しく接して貰い乍ら、誉める点などないのに誉めないと伸びないとタイプと自分自身から宣う様な者が生産されてしまっている様では終いです。

 そういう社会の構図を感じ取る私だからこそ、私自身嫌がらせを受けつつもそれに屈服する事なく、このように計画立ててブログを書いているという訳です。底意地が悪い風に見える時もあるでしょうし、態と私からその様に自身を言う時もありますが、一応は「謙り」という側面を見せている事もあるというのはお判り下さいね。


 前にも述べた様に、ジャズメンの多くは自身の音楽観だけを頼りにしてのし上がって来た人達が多いので、自身の立ち居振る舞いに対して一定以上の自負があるので接し方ひとつにも難しい部分はあるかもしれません。加えてジャズ以外の音楽の史実的知識や体系に精通している人は実際には少ない方で、更にはジャズという世界での共通言語である体系は理解していても、それ以外の事にまで手が伸びそうな所は概ね己の勝手な解釈や語句の嵌当が目立つものでタチが悪かったりします。こういう所に充分に注意した上で、同位和音及び複調をきちんと体得しなくてはならない筈なのです。それでもまだ卑近な世界観を学びたいというのなら私のブログを読んでも徒労に終わる事でしょう。

 そういう訳で、次は等音程やらに関して語る事に。