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「riot in Lagos」(坂本龍一)にみる微分音活用例 [楽理]

 坂本龍一の微分音活用に関する話題をあらためて語る事に。前回も「iconic storage」を取り上げたので記憶に新しい所だと思いますが、その時に「riot in Lagos」も一緒に取り上げなかった理由は微分音の取扱い方が異なるからであります。「微分音」を取扱っている楽曲ならば総じて何もかもが同じ所に収斂する訳ではありません。



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 12等分平均律(=12EDO)という半音階を用いる体系とて、多くの転調を辷り込ませつつも特定の調のトニックを強く向く曲調もあれば、原調など気にせずに赴いた先が帰着点とする曲もあれば、半音階を駆使している訳でもないのに旋法的な世界観とか、或いは十二音技法だのと色々と性格が違う様に、微分音であろうとも異なる世界観を備えているものです。

 微分音という体系が一般的に周知されていない所で私が慮る事のないままに単に好事家だけを食い付かせるだけの情報を十把一絡げにして提供しまった場合、元来の微分音が持っている魅力をも希釈させてしまいかねないという事に加え一挙に多くを語る事でまるで私が「慫慂」するかの様にレコメンドしたりするのも気が引けてしまいかねないでありましょう。手順を踏まえた上で分別し乍ら深く語って行こうという私の狙いをあらためてご理解いただければ幸いです。


 微分音。嘗ての私のブログで扱った「にんじゃりばんばん」の終止部SEにすらも微分音程を感じ取ろうとしてまで取り上げた物でしたが、今やジェイコブ・コリアーという天才が現われる様になり誰の目(耳)にも明らかな微分音が巷間広く聴かれる様になりました。

 またそれが全く奇異に聴こえず聴き手を心酔させる様なハーモニーを形成しているのですから脱帽です。こうした周知を鑑みて、今こそテクノジャンルに在った微分音使用例を新たに語る必要があると盻んで今回坂本龍一の「riot in Lagos」を語る訳です。


 前回の「iconic storage」関連の解説に於てだいぶ微分音関連の話題に関しては「免疫」が出来たのではないかと思いますが、「riot in Lagos」の場合はワンコードの解釈が可能な曲である為、ひとつの中心音を強固に向いている類の曲という風に括る事ができます。その強固な中心音に肖り乍ら、曲中では随所に「イントネーション」的に変じさせるという訳です。つまり音楽的な「訛り」が随所に装飾として現われるので、このイントネーション的な装飾というのは「iconic storage」で現われたクォータートーナル7thなどの音脈とは丸っきり異なる物です。「riot in Lagos」の方が標榜する調性感という意味に於てこちらの方が強く、調性感としてもより強く現われている訳です。

 唯、「iconic storage」を語った様に、微分音というそれをあらためて呈示させられて初めて手許の坂本龍一作品のそれが微分音だという事を気付いた人も少なくはないと思います。私のブログを読まなければ12EDOの作品だと思っている方も決して少なくはない筈です。事前知識として或る意味で危険な点は、「riot in Lagos」に関して坂本龍一が「調子外れな音の心地よさ」という風にして語っていたその言葉を、読み手が「偶発的な微分音」という風に曲解してしまってはいけないという所にあります。

 読み手の多くを遠ざけてしまいかねないほどの専門的な知識で微分音の存在を坂本龍一自ら語っていれば読み手の臆説が蔓延る様な事はないのでしょうが、私は坂本龍一の躊躇いの無いそうした「篩い分け」というのは好ましい姿勢であります。判る人に判れば「ベター」であり、判らない人がそれなりに吟味してもそれはそれで「可」なのであります。況してや坂本龍一は音楽のみならず社会的な側面でも彼の思想を是認しない側にある人々からはペダンティックに思われてしまう事がある位ですから、事前知識が殆ど無い人々に向けて「微分音」を慫慂するかの様に自ら披露してしまえば、敵対視する様な側からは「音痴な材料」としてエサを呉れて遣る様なモノでしょうから、余計な雑言すら呼び込んでしまいかねず水を差す事にもなりかねない訳です。

 そういう意味でも、多くを語らず静かに微分音が醸成されるような世の中を俟っているという風に映る姿勢は実に粋な姿勢だと思う訳です。アルバム・リリースから既にほぼ40年経とうとしている訳ですからね。


 思えば「riot in Lagos」は、収録されるアルバム『B-2 UNIT』発売後から直ぐにテレビ朝日系列の長寿番組のひとつである小林克也が務める『ベストヒットUSA』の番組内のBGMにも使われていたのでありまして、YMOおよび坂本龍一ファン以外のある程度音楽に縁のある人々の間では知られた曲だと思います。何の触れ込みも無ければ、鮮やかに研ぎ澄まされた楽音の前によもやそれを日本人が作ったとは思わせない程の質感を具備しているのも興味深い所であります。


 原曲に用いられる巧緻な微分音導入の実際をあらためて体現しても尚、微分音を題材にする当初のブログ記事に於て詳密に語るのは時期尚早であると考えたという理由は前述の通り。多くの人は、それらの微分音を「調子外れ」だと認識しようとも、それがどのような変化記号などで表わされる物なのかという事を知る人も少ない事でしょう。

 今でこそWikipediaで断片的な情報を集めて来れる物ですが、身の回りの楽曲に微分音が使用されている楽曲を探り出す作業自体骨が折れる作業に違いない事でありましょう。そうした所に加えて、私個人がどれほど微分音を題材にして語りたい欲求を抱こうとも、その内容を詳密に明示する為のフォントが当時は非常に少なかったので話題に取り上げるのも躊躇していたのも大きな理由でありました。

 四分音(半音の半分)記号程度ならばかねてよりFinaleなどでも標準フォントに含まれているので表記は可能なのですが、いかんせん「riot in Lagos」に用いられている微分音は多岐に亘るので四分音=24TETのみで到底賄えきれる物ではないので、機が熟したら語ろうという思惑が今に至るという訳であります。私がYouTubeの方でアップしている「riot in Lagos」の譜例動画の注釈に用いている下記の微分音記号を確認していただくと、それらの表記がどれほど多岐に亘っているかがあらためてお判りいただける事でありましょう。




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 無論、微分音表記という側面だけを追求するのであるならばヘルムホルツの『音感覚論』以降に見られるアレクサンダー・J・エリスに依る表記法を用いるという方法を採る事も可能ではありましたが、エリスの体系では、特定の微小音程の場合には複数の記号を水平にジョイントさせ乍ら用いなければ表現出来ない物もあり、なるべくなら一つの変化記号で視覚的に峻別するに容易い平易な記号として1つの体系で済ませられる類のフォントが無かったという意味である訳です。そうした配慮をお座なりにしてスラッシュ記号に似た様な記号を水平方向に複数ジョイントさせたり他にも色々な連結の表記体系を用いると、音符間が広がってしまう訳です。

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 例えばある特定の音符が八分音符の連桁での連結となっている時に弱勢部(連桁の後続音)に複数の変化記号のジョイントを強いられる場合、それが2つ程度ならまだしも、かなり多くのジョイントが必要となる場合は自ずと連桁が広がってしまうという訳です。勿論、こうした複数の変化記号をジョイントさせて使うという作曲者は少なからず存在するので、場合に依っては十分音(60TET)に於てエリス流の表記を用いたりするシーンもあったりする訳ですが、今回私はひとつの変化記号で済ませられるフォントを用いて表現する事にしたのであります。


 嘗てTwitterの方で呟いた「riot in Lagosの八分音&四分音使用うんぬん」に関してですが、このツイートでもお判りになる様に八分音を用いるならばそれに内含する四分音変化記号も視野に入るのは当然なのでありますが、「riot in Lagos」という曲に用いられる微分音を精確に表わすと十六分音(96TET)と五分音(30TET)が用いられており、十六分音に内含される八分音と四分音も当然の様に用いられているのが実際なのであります。

 尚、後述しますが坂本龍一は初期のアルバム作品から微分音は積極的に用いており、1stアルバム『千のナイフ』収録の「Das Neue Japanische Elektronische Volkslied」のイントロなどは典型的な例ですし、後述する「Slat Dance」然り、後年の「夜のガスパール」「Exhibition」などでも耳にする事が可能です。









 余談ではありますが「TET」=Tone Equal Temperament という意味でありまして、他には「ET」とか「EDO」という風にも表わされたりする物です。これに類する物として「CET」=cents equal Temperament という呼称もあります。12TET は100cents equal temperament とも謂えますし、7TETという通常ならば1200を7で割り切れない様な体系でも各単位微分音の精確な音程を意味する物としても使われます。

 然し乍ら「CET」という呼称のそれが最もその存在を発揮するのは、音律体系がオクターヴ関係を無視した螺旋音律などの直線平均律法(=linear temperament)で形成されている状況を表わす時に使われる物なので、12TETという「割り切れる」様な音律体系で態々100CETとする事は無いのです。但し12音を標榜した「不等分古典音律」との比較として12TETを比較する時、それが「100CET」であるという表記は為されたりもする物です。そうした例外的な使用の前に何に重きを置いた表記であるのか!? というと、各単位微分音間の音程が精確に等しい事を示しつつ場合に依ってはオクターヴをも叛いた時でも体系を指し示す事が可能という尺度である為、取扱いには配慮した上で用いていただきたい物でもありますし同時に解釈する側としても重要視すべき点をあらためて慮っていただきたいと思う所です。

 通常我々が能く用いる半音階は「12TET」であるので、あらためて先の使用例(=96&30TET)を鑑みれば、どれほど細かい物か!? という事があらためてお判りになるかと思います。況してやコンピュータ上でそれらを何気なく取扱えるように管理したとしても、Finaleで記譜するにも手を焼いてしまいますし、何より十六分音を易々と表記できるフォントはそうそうお目にかかれないという事もあって断念していたのであります。

 十六分音と五分音は200セント周期毎に遭遇するも(※全音を等分するのであるから当然)、オクターヴ回帰を前提とせずに互いの音律の音梯数をリニアに並存させた場合、最小公倍数 [16, 5] =80となり、複音程である完全十五度を80等分すれば30セントを得る事になり、決して全音音程を等分割する値とはならぬ埒外の音程を呼び込む事になり、同様にして2400セントを5等分すれば480セントという単位微分音をも得る事になります。

 加えて、音律の音梯数をそのままリニアに適用してWolfram|Alpha日本語版などで次の様に→ [LCM 16,5] という風に入力すれば「480」と解を得られる様に、リニアに当てはめた時の最小公倍数は480TETとなる訳でもあり、これは1オクターヴを2.5分割、2オクターヴを5等分しているという状況でもあり、更には480セントの音程位置が十六分音と五分音それぞれの音梯数から導いた値を互いの交点として遭遇できるという「場所」である事も示唆めいた物を観ずる物であります。

 このような状況で遭遇する交点は螺旋律という一定の音程幅で交差する物であり斯様な音律体系を螺旋音律と呼ぶ訳ですが、単オクターヴを繰り返す螺旋構造の場合一般的に螺旋音律とは呼ばず単オクターヴを跳越する等音程構造を繰り返す構造を螺旋音律と呼ばれます。

 480セントは2オクターヴで「閉じる」構造ではある物の、これは単オクターヴで閉じる物ではなく多オクターヴで閉じる構造の為、螺旋音律のひとつに括られる訳です。また螺旋音律の中にはどうやってもオクターヴ回帰しない物もありまして(極めて純正音程に近似する音程としては存在する)、純正完全五度音程の重畳も実際には螺旋律であるためオクターヴ回帰しようとしてもコンマが生ずる訳です。近傍に近付く事はあっても完全音程として回帰しないのが純正完全五度の重畳という点が何とも心憎い所であります(※480セントを単位微分音とする場合、2オクターヴ・ペンタフォニック=完全十五度五等分律という480cents equal temperamentをも想起する事が可能)。

 我々が楽典で目にする「五度圏」の円環は、閉じたオクターヴという状況としての前提が存在する事自体不文律となっている所があります。無論、十二等分平均律前提で語っている以上閉じたオクターヴを前提とするのは至極当然なのでもありますが、他の多くの等分平均律は恰も閉じたオクターヴを前提としている様に錯誤されている人もありますが、トルコ音楽の53等分平均律とて1200セントで閉じている訳ではなく、絶対完全八度よりも広い状態から53等分されている訳でありますし、他の等分平均律の多くもオクターヴが絶対完全八度ではないその近傍を採る物が殆どであり、その近傍である事を好い事に、閉じたオクターヴに置換してさら丸め込まれた解釈をされている事があるので、そういう側面も念頭に置いていただきたいと思います。

 扨て、480セントという音程は完全四度音程(500セント)より稍低い不完全な四度音程となります。純正完全四度=4/3=498.044999よりも低く近傍値として表わす事が可能な純正音程比としては85次倍音=85/16(491.269123)や33/25(480.645155)、29/22(478.259251)なども在り、より純正な音程比となると七由来の七の四度=septimal fourth=21/16(470.780907)を挙げざるを得ないものの、これらの近傍は純正比の近傍でしかなく純正完全音程ではありません。こうした不完全な四度という物は現今の十二平均律に依るピアノ調律の視点で見れば縁遠い「外れた」音ではある物の、実際にはそれほど縁遠い音では無いのも是亦事実なのであります。

 
 専門家でない限り微分音という音律を知識として宿している方は少ないのが実際ですし、そうした体系としての「素材」で着眼すれば目新しく映るかもしれませんが実際にはその発祥は非常に旧く遡れる体系であります。然し乍ら太古から脈々と受け継がれて来た西洋音楽というのは嘗て支配的に存在していた宗教的な背景と共に、一義的で平易な体系こそが是認されて来た事もあって微分音体系というのは育たぬ事となった訳です。

 無論、微分音体系は別の土壌で醸成され、大局的に見れば二分化された体系が長い年月を経て旧来の体系の研究が進んだ現代社会に於て新たなる「伝統の異化」へと発展を遂げるのであります。ここで謂う「別の土壌」というのは、ギリシャから分化した西洋音楽体系とは別のアラブ、中東、ペルシャ地域の事を意味しています。古き物から新しきを得るというまさに温故知新を表わしているのが現今社会に於ける微分音導入の事実であると言って差支えありません。全く新しい微分音体系というのは嘗てのケルン学派に依るシュトックハウゼンの『習作』であったと言っても過言ではないでしょう。

 抑も西洋音楽は古代ギリシャ時代から脈々と受け継がれて来た体系に則っているのでありますが、歴史の中では確かに存在したにも拘らずそれが見過ごされでしまい現今社会での研究に依って新たに息を吹き返す様な体系もあったりします。

 四分音で音程を分割するテトラコルド体系に於て多くの人々が肖る旧知の体系はハルモニア論からの物となる訳でありますが、それとは異なるアリストクセノスが整備したハルモニア原論の方ではその微小音程を取扱う側の体系をもっと細かく整備した物であった訳です。「ハルモニア論」と「ハルモニア原論」という違いを念頭に置いていただければ幸いです。

 端的に言うとハルモニア原論では三分音、四分音、五分音、3単位八分音が取扱われていたのでありまして、これらの音程を駆使して4音列であるテトラコルドを形成した時には純正完全四度=498.044999セントを跳越して510セントを採る様にして形成されるテトラコルドとして体系が整備されていたのでもありますから、旧い体系に学ぶという事の重要性をあらためて実感する事になると痛感する物です。何れこうした体系を語る時にもあらためて用いる例示として今回挙げておきましょう。

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 尚、ハルモニア原論に於けるアリストクセノスのテトラコルドを深く理解できるお薦めの論文が、カスリーン・シュレジンジャー氏に依るJSTORの論文ですのでご参考まで。


 斯様な微分音体系の例からあらためて理解しておきたい重要な点をあらためて挙げておきますと、微分音を用いるに際し、それを単に「飛び道具」的に、まるで降って湧いた様な音痴な音を使おうと企図しているのではなく、先蹤を拝戴しつつ現代へと昇華させている物であるという事を踏まえる必要があります。微分音を用いる人総てが共通の体系および共通理解の下で用いているとまでは極言しません。ただ、闇雲に12TETから外れた微小音程なら何でも使って好いという姿勢で臨んでいる訳では決して無いという事を理解しておく必要があるという意味なのです。


 音程の協和性という側面から生じて来ている体系(低次の整数比こそが真理という物)に準則し乍らも、「滲んだ音の風景」とも表現しうる世界観の応用である事を大前提として受け止めておく必要があるという点にあります。協和を標榜するという事は低次の整数比として響く音を優勢的に聴く訳である為そうした音に分があるのは間違いありませんが、低次の整数比ではなくとも整数比の音程比であるのならばそれは純正音程比には間違いない事であるので、協和性が低かろうとも優位性の低い協和の姿である事は間違いはないのです(シャイエは不協和音程を「過渡的協和音」と呼ぶ)。このような「滲み」が生ずる微分音が用いられる所の音程も、基は純正音程比という音脈から生じているのであります。

 とはいえ西洋音楽の(=ハルモニア論)体系とて理論的な側面となると途端に数理の一義的な体系のそれに靡きつつも、中世の実際としては特段純正長三度が用いられていた訳ではなくピタゴリアンの長三度が広く好まれていた訳であります。

 いざ音楽を思弁的に語る時には数理の面での低次の整数比を是認しつつも実際は異なる体系の楽音が横行していた訳ですから、協和が絶大的な地位を得てはいようとも実際にはその時点で協和は不協和に屈伏している事に等しかった訳でもあります。加えて、地動説が有力だった時代に於ては天文学などの他の分野の新たな発見と進化に伴い断章取義としていた側面もあります。天体と音階の数を恣意的に持ち来されたりするのも然り。音楽を単に数理的にしか眺めなければ斯様な実際はなかなか見えにくい物でもあるので注意が必要です。ムシカフィクタに依って生ずる可動的な臨時的な上行導音とて「より狭い」半音で奏されているというのも古くから採られていた方策です。


 また、先の様な微分音が活用される状況にてもうひとつ留意しておいて欲しい前提知識として所謂「全音」という音程の物理的な距離を挙げる事が出来ます。

 今でこそ全音音程は、等分平均律という範疇に収められる状況に多くの人々が寄り添っている為に本来持っている特徴(※音程を堅持してオクターヴに僅か乍らも回帰しない)を失ってしまい判らなくしてしまっておりますが、現今社会で能く耳にする「全音」がいかに耳に馴染もうともそれよりも耳に馴染む「全音」という物を昔の人々は取扱って来た訳です。


 旧くから取扱われて来た「全音」という音程は旧くはトノスと呼ばれ、振動比9/8 ≒ 204セントとして得られる物でした。中世に於ても「2トノス」という「トノス×2」というほぼ408セントの長三度こそが「現実には」純正長三度よりも好んで用いられていたというのが事実であった訳です。その理由は、音律の体系のひとつである「純正律」は和音を奏でる時に初めてゆらぎ(うなり)のない響きが得られる物であるので、線的に用いるだけでは窳(いびつ)で不揃いな横の線を生じてしまうだけなのです。

 なかなかこうした側面を相容れない方もおられると思うのですが、「2全音+1半音=完全四度」と「3全音+1半音=完全五度」という状況での各全音・半音それぞれが等しい音程である所が「窳」ではないという事があらためて判ります。

 抑も不等分音律は、5度か3度のいずれかをより慮る事で得られる物であります。そこでオクターヴだけを慮り、各半音を総じて均一にしたのが十二等分平均律なのであります。総ての音程を慮らぬ妥協の産物だのと揶揄されますが、オクターヴという絶対完全八度をきちんと標榜する音律というのは少ない物です。多くの音律というのは本当はオクターヴを上下いずれかに僅かに振れている物です。即ち、絶対完全八度という純正音程ではない近傍の音程に過ぎないという訳です。余談ではありますが、十二等分平均律=12EDOのオクターヴは絶対完全八度を採ります。

 参考までに、ミーントーンのオクターヴ回帰は1201.70セントです。ヘルムホルツの場合だと1200.07セントという風に。1200セントという単位も元はA.J.エリスが用いた物でヘルムホルツの『音感覚論』の英訳版付記(1875)や『諸民族の音階(On the Musical Scales of Various Nations)』(1885)で用いられる様になった単位であり、その実際は絶対完全八度=301.03サヴァールを判り易い値「300」と捉える事に依って絶対完全八度を1200セントと考えよという指標である訳です。

 多くの論文や著書に見られる誤りとして能く見かける物は、過去の不等分平均律のそれらの実際はオクターヴが1200セントでは無いのにそれを1200セントで合致しているという前提で援用してしまうケース。加えて、サヴァール値が齎すオクターヴは「301.03セント×4が真のオクターヴ」とばかりに1200セントこそがズレてしまっていると誤解してしまう類の誤謬。もうひとつは、ピアノ調律の実際として起こるストレッチ・チューン。これは完全に合わせてしまうと共鳴してしまうので、それを避けて敢えて僅かにずらすという状況をオクターヴの現実として持ち来してしまう誤謬がありますが、何れも誤って解釈されている物です。等分平均律が標榜するオクターヴというのは「振動数=2」であり、これを標榜するのが等分平均律です。音律に関する論文や書籍を読む際には、こうした前提部分が誤りとなっているのが多くあるので注意深く読まれた方が賢明です。


 扨て、仮に純正長三度にトコトン配慮するとするならばピタゴリアン律とはシントニック・コンマとしてのずれを生ずる(408セントと386セント)訳ですから、茲から更に1トノスを採って「三全音」を作れば自ずと狭い三全音を生ずるのは明々白々でありましょう。こうなると [fis] はより低くなってしまう訳です。

 況してや和声体系が整備される以前の西洋音楽体系は平行五度オルガヌムで唄われていた事を思えば、連続五度が頻出する状況だった訳です。五度音程は重視されていた事は疑いの余地は無いでしょう。況してや和声体系が整備される前の旋律の採り方というのは複調を生ずる事など珍しくもなかったのですから(主調と属調の併存は特に頻出する)、主調から見た時の属調の導音=三全音をも意識する事は多発した事でしょう。

 この導音の採り方というのはやはり不等分律での広めの半音よりも狭い半音で唄われたであろう事も明々白々の事であります。つまり、垂直レベルで生ずる「和声的状況」は、横の線としての音程の採り方で生じた結果に過ぎず、純正長三度を明示的に標榜する事はしなかったであろうと思う訳です。和声体系が整備され机上の論として長三和音という「完全和音」が聴かせるうなりのない和音が生ずるだけに過ぎず、これは純正完全五度が下支えするからこその純正長三度の響きでもあるという事を念頭に置く必要がある訳です。

 そういう意味では、時代を遡って旧い音楽作品を現代に再現する際に闇雲に長三度を純正長三度で採るという近視眼的発想に到ってもいけない訳です。

 門外漢の好事家が字義と学問的(数理)な見地から一義的な体系として錯誤され易い「純正」という音程比という物は、実際にはそれを標榜しつつも可変的に弄られていたのが実際なので、旧い時代は総てが純正長三度などと頓珍漢な理解に及ばない様に御願いしたい所です。


 扨々、トノスというのは「(リンマ×2)+コンマ」という構造になっているのも大きな特徴です。1つのコンマは振動比256/243=90.224995セントという構造になっているのです。この1リンマが「半音」なのであります。ですので、増四度は「(完全四度=4/3)+1リンマ=588.269994セント」となります。他方、減五度は「完全五度(701.955)−1リンマ=611.73005(≒612)セントとなるとなる訳で、ピタゴラス律を基にした場合の増四度と減五度の違いがあらためてお判りになる事でしょう。

 しかし、増四度を3つの全音=三全音として解釈すると3つのトノスは204×3ですから先の減五度と同じになってしまいます。抑も三全音が「全音階」的に存在する根拠として成立するには、その音程幅は「ファ─シ」として存在すべき状況であり、ドを中心として「ド─ファ♯」を見ようとする時と、ソを中心としつつ「ド─ファ♯」を見ようとする時とでは状況が全く異なるという所も注意が必要なのです。

 念の為申しておきますが、能くある「ファ♯とソ♭はどっちが高い!?」論争がありますが、結論から言えば前提として採用するのが調域または音律次第で何れをも恣意的に高くする事が出来るので一義的な答はありません。調域として前提を狭めた上で勘案すれば、主調となるハ長調から見た時、嬰ヘ長調と変ト長調夫々の主音がハ音に近いのは「変ト長調」という事になりますが。

 音律をひとつに的を絞った前提で [fis] と [ges] のどちらが高いか!? という事ならばどちらかを高いという答を導く事ができるものの、それも決して一義的ではありません。

 何故なら先述の様に、増四度=三全音であるとするならば3トノスともなるので、3トノスの音程は「611.73005セント」となります。とはいえ全音階体系を規準として見立てた場合3トノスが生ずるのは「ファ ─ シ」であるべきなので、この3トノスはドの音を中心に見立てた音律で俯瞰すべきではなくソの音を中心に見た時のト長調での [c - fis] として見る事がなければハ調から恣意的に見た [c - fis] という風に一義的に見立てる事は決して出来ないのです。

 対位法社会ならば主調と属調が併存する状況が多発したでありましょうからハ調を主調とする規準からでも [fis] が頻出した事でしょう。その全音音程の採り方或いは、[g] への導音の採り方を鑑みれば [fis] が612セントにあった事は疑いのない所でありましょう。

 更に次の様に附言するとしましょう。純正完全五度螺旋(=実質的には五度圏)となる音律で生ずる嬰ヘ [fis] と変ト [ges] の2音は実際にどういう音梯位置にあるのか!? という事を探る場合に於てそれらを転回位置に還元すると、嬰ヘ=742.5Hz 変ト=732.506223Hzとなり、物理的には嬰ヘ(F♯)>変ト(G♭)という風に位置するのでありますから言わずもがな音高が高い方は嬰への方なのである訳です。そうすると、調的因果関係で見た場合嬰ヘ長調よりも変ト長調の方がハ長調に近い事になります。

 調号として嬰・変の数を経るのは嬰ヘ長調・変ト長調ともに6つのステップを踏むものの、ハ長調に近い調域は変ト長調というのが意外な所であります。ト長調で「嬰ヘ音」は直ぐに生ずるにも拘らず。つまり、調域として見立てた時と音律の種類によっても [fis・ges] の絶対位置は変わる物なのです。

 増四度を完全四度から見れば次の音度ではなく同度から変位した状況であります。それは完全五度と減五度とでも同様ですので決して異度由来の音程では無いのです。即ち増四度は長三度から異度由来であろうともその狭間にある完全音程(=完全四度)の地位を無視してトノスを充てる必要などなく、完全音程たる完全四度からリンマ(=90セント)を採る必要がある訳です。同様に、完全五度から減五度はリンマ分低める必要があるという訳です。

 即ち、主音から増四度を見渡そうとする「恣意的な」見立ての場合、下属音として存在する完全四度の位置を無視して上中音の位置からトノスを採るのはアンフェアな見立てであると言えるのです。下属音からリンマを採る必要があるのはそういう事です。

 不等分音律が存在していた時代の微分音オルガン(純正調オルガンなど)でも、ヘルムホルツのオルガンは固よりその後のヴィシネグラツキー等のオルガンの鍵盤配置もF♯はG♭よりも高位にありますが、一部のオルガン製作者の中には音名としてそれらを互いに入れ替えて表象的な排列を整える為にG♭としての表記を高位に置いていたりするケースもあります。こうした歴史からも一般的にはF♯がG♭よりも高い物であると謂われる物の、それは恣意的な規準と見立てが関わっているという事を念頭に置いていただければ助かります。

 尚、アロイス・ハーバの『Harmonielehre Praktischer Teil』では次の様に異名同音が採られており、[fis] は [ges] よりも低かったり、[ces] は [his] よりも低かったり、[fes] と [eis] などもこれらを譜面に配置していけば自ずとお判りになりますが、音名嵌当用のアルファベット出現順に7つの幹音が充てられる音を基に単純に嬰変を分岐しているだけではないというのがお判りになる事でしょう。
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 幹音のアルファベット出現順に異名同音が生ずるのであるならば [fes] よりも前に [eis] が現われる筈はないでしょうが、実際にはそうではないという事です。楽譜上では窳に見えるという事にもなります。この異名同音に依る音名の列びはベン・ジョンストンも同様です。

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 これらの件をあらためて勘案すると「異名同音」という物が実際には全く違う「異度」由来の音なのである事があらためて判ります。ピアノの鍵盤であろうとギターのフレットであろうとそれらの楽器に準えれば異名同音というのは同じポジションであるにも拘らず。

 音楽社会がまだ不等分音律だった時というのはそうした差異を取扱っていたのでありますし、嘗てマーラーが等分平均律に移り変わる社会に嘆息した話も有名です。そうした僅かな差異を現今社会では均一化する事で、音楽はざっくりと大目に見られているという状況こそが12TETに耳馴れた(均された)感覚なのであり、それは時として微小音程も脳内で均して耳に届いてしまう事もある訳です。

 また、テトラコルドに関して附言しておくと、テトラコルドというのは必ずしも4音列の事を指すばかりではなく四度「音程」列の事を指す両義的な側面を持っている言葉である事には充分留意されたい所です。なぜならば琉球音階を採ってみれば瞭然でありますが、[ド - ファ] [ソ - ド] の各テトラコルドを2組拔萃させた所で各テトラコルドに4音も充たされないのは自ずとお判りになるでありましょう。これこそがテトラコルドという名称は必ずしも4音列の事を指し示すばかりではない四度音程列を指す証拠でもある訳です。

 とはいえ琉球音階はペンタコルド系琉球音階もある為テトラコルド琉球音階のみの側面から対照させる事は避けなくてはならないのですが、いずれの体系でも微分音的に低く採られる音があったのは事実なので下記に山口庄司の企業論文『四和声理論 ─べき倍音列の日本伝統音階比較による和声根拠の研究─』(アカデミアミュージック)にある譜例を参照していただく事に。


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 先の琉球音階(※テトラコルド系)の尺音─工音(いわば [シ - ド])間は嘗て、半音ではなく150セントの近傍となる物で、同様に老音─四音(いわば [ミ - ファ])間も150セントの近傍であったとされております。同時に乙音─四音(いわば [レ - ファ])間は前述の老音─四音の補充音程となる事に依って結果的に乙音─老音(いわば [レ - ミ])間も150セントの近傍を採る事になります。

 こうした微小音程の差異は日本に西洋音楽が入って来てから均されてしまった背景があり、坂本龍一作品である「iconic storage」にて微分音が導入されている事を記事にした中で都節音階を追記した物でしたが、主音に靡いてしまう事なく主音に非常に近い所に存在する「異度」由来の音として微分音を生じていた事を思えば、こうした音脈を採り入れる事は決して突飛な事でもないのであります。琉球音階に関して今回は詳述しませんが、ペンタコルドおよびテトラコルドの解釈ができるのであります。とはいえ前提は閉じたオクターヴというのが前提であります。


 扨て、ハルモニア原論に基づく社会にてテトラコルドを組み合わせればオクターヴを跳越してコンマ分はみ出してしまいます。その内訳は下記の通り。

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 1組のテトラコルドとなる510セント + もう1組のテトラコルド=510セント + ディスジャンクト(各テトラコルド間の全音音程の204セント)≒ 1224セント

 1200セントが1オクターヴである以上、はみ出た分となる余剰分となるピタゴラス・コンマ [531441/524288](≒23.460セント)が現実として生じます。西洋音楽界隈はこれを均す為に色々と工夫を凝らして不等分音律→等分音律という物を得て来た訳ですが、そんな歴史を経て来たにも拘らず、長三度音程では特に顕著でありますが、純正律として楽理の基本とする思弁的な純正長三度よりもピタゴラス律における「4リンマ+2コンマ」の方が好まれて使用されていたのが実際なのであり、ピタゴラス律に備わっているハルモニア原論としての一部のそれが巧みに生きていた訳でもあります。

 純正完全五度を累積させれば、行き着く先はオクターヴ回帰とは「ほど遠く」、実際にはピタゴラス・コンマとしてオクターヴからズレるのはチューニング(調律)を覚える時から知らされる物なのでご存知の方も多いとは思いますが、換言すればピタゴラス・コンマに収まる微小音程を均す事が多くの人々が受容して来た事実であるとも謂える訳です。ですのでこれを逆手に取ればピタゴラス・コンマほどのズレは異度由来ではなく同度由来のイントネーションとして許容し得るという風に解釈も可能という事になるのです。

 とはいえそれはピタゴラス・コンマほどズレるチューニングを許容するという意味では決してありません(笑)。測量に喩えてみるとすれば、《真っ直ぐ歩いていた筈の道を1km先で計測してみたら片側に23ミリほどズレてしまった》みたいな物であり(※このズレ幅はピタゴラス・コンマでのそれを精確に喩えた物ではありません.土地価格が高騰する場所でズレを許容しよう物ならトンデモない事態を招く事に)、それくらいのズレを道中で実感する事は難しいのが殆どなので大概は許容してしまう事でしょうという意味なのです。ズレた所へ瞬間移動すれば誰もがそのズレを認識する事は可能でありましょう。


 能々体系を思い返すと完全音程となるオクターヴと同度は「絶対完全音程」と呼ばれます。翻って完全五度と完全四度の完全音程に「絶対」の名が冠されないのは、母体となる基の音程と等しい音程を累乗させた場合では完全音程とは成らずに不協和音程を生むからです(完全五度+完全五度=長九度=不協和音程(※過渡的協和音程とも)|完全四度+完全四度=短七度=不協和音程)。

 更に言えば、完全八度+完全五度は完全十二度(※tritave, over tonal fifthとも呼ばれる)として協和的に組み入れられるも、完全八度+完全四度というのは不遇の目に遭い、ハルモニア原論という特殊なカテゴリーにて異種のテトラコルドが構築されたというのも音楽史に於ける確かな史実および事実なのであります。

 非常に強固な協和性を持つ絶対完全音程と完全音程であるにも拘らず、そうした強固な音程を和音としてではなく線的な運びで以てして標榜する所の相貌=完全音程を採るという状況の実際は、複合音(※和音含)を聴取する時の協和具合よりも許容して聴かれる事があらためて判ります。ですので、完全五度を幾多も累積してピタゴラス・コンマが生じてしまうのを「否認 or 是認の基準点」とばかりに措かれたのは謂うまでもありません。幼少のW. A. モーツァルトが半音の半分ほどずれた音の狂いを指摘したと伝わっているそれにはコンマの差ほどのチューニングのズレの含意があるとは思いますが、調弦そのものがコンマほどの差があったのではなかろうかと推察するに容易い言い伝えでありましょう。弦楽器を奏する者が特定の音をコンマほどズレて弾いたら突如その違いなど誰もが認識するでありましょう。


 処が、アフリカ音楽というのは部族によって様々ではあるものの、平行四度オルガヌムを採る部族の存在があったという事実が特に瞠目に価する物であります(※諸説あり)。

 上声部に対する下声部が完全四度を保ち乍ら平行四度オルガヌムを唄うという事は、主旋律である上声部を原調とした場合属調を併存させて複調的に唄っている事と同じなのであります。フーガの場合、両声部の前後にて三全音が生じない様に変応を生ずるので可変的に変化が生じますが、アフリカ音楽の場合は下声部が原調の下属音を唄う時はそれがやや高められた(※微分音で)という風にガンサー・シューラーは述べております。

 こうした多くの用例を挙げる事に依り、漸く本題となる「riot in Lagos」のAテーマのメロディーがなにゆえ平行四度なのか!? という含意がお判りいただけるでありましょう。

 その前に誤解をしないでいただきたい点のひとつとして「riot in Lagos」の平行四度と、先述のシューラーに依る《下属音を高めに採る》という点には両者は違いがあり、そうしたシューラーの語る部分にまで「riot in Lagos」のAテーマでは用いていないという事。とはいえ「riot in Lagos」の微分音はもっと多様なのであり、「高め」「低め」と採る微分音は下属音にだけイントネーションを付ける類の限定的なイントネーションとは全く異なりふんだんに使われているのが実際なのであり、Aテーマの1拍6連符のアウフクタクト(弱起)で始まる二声の主旋律だけを見ても「高め」の微分音で奏されております。

 Aテーマの二声のメロディー部は、通常よりも22セント夫々高く採って奏されております。私が表わす表記ではそれを「1単位十分音」高い嬰種記号を用いますが、22セントと聴くと音程比「81:80」のシントニック・コンマ(21.506289セント)の近傍が即座に視野に入って来ますが、シントニック・コンマを標榜しつつも、それよりも僅かに低い所を採って奏されている様です。ですので私はこれを「1単位十分音」=60TETの近傍として解釈しているのであります。因みにAテーマの平行四度は、Bテーマに行く直前のブリッジでは下声部が1オクターヴ移高となる為、その部分は完全五度平行ハーモニーを得てBテーマの細かな微分音にさしかかるという訳であります。

 シンセサイザーならば3オシレータを用いて「1st OSC」のピッチを±0(=半音単位)、2nd OSCのピッチを-5半音ステップ、3rd OSCのピッチを-12半音ステップとしておき、Bテーマ直前のブリッジ部にて「2nd OSC」のピッチを+7半音ステップとすれば好いという訳です。

 坂本龍一の先のアウフタクトの6連符部分のプレイ面だけを聴いても、その6連符が機械仕込みの様な平滑な物ではなく西洋音楽の薫陶を享けた事に依る好い意味での「窳(いびつ)」さが際立っております。バロックという言葉には抑も「窳」という意味があり、西洋音楽のリズムのいびつさやノート・イネガル、アクサクのリズムという重要な人間味のある不均等さが、ああいう電子音楽の権化の様な音楽から滲み出ている折衷感が実に素晴らしいと思えます。


 扨てシントニック・コンマの近傍たる1単位十分音というと、ロバート・ホルフォード・マクドウェル・ボザンケー(Robert Holford Mcdowell Bosanquet)や比較的新しい所ではBPスケール(Bohlen-Pierce scale)研究でも有名なエレーヌ・ウォーカーが用いている様でありますが、ボザンケーの表記法は次の様に実に解り易い体系となっております。また1単位五分音となるとクリスティアン・ウォルフの「Summer」では符頭にヒゲが生えた様な表記を確認する事が出来ます。概してアレクサンダー・J・エリスを拝戴する様な前掲の表記であります。

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 ボザンケーの十分音表記は確かに端的で解り易いですが、微小音程がより細かい音の変化記号はどうしても前後の音符との間に比較的大きな間隙を生じてしまいます。この点だけが難点であり、本記事冒頭でも述べていたのはこういう側面を勘案した上で他の微分音表記を用いる事とした訳です。

 そうした微分音の役割を担っているのがBテーマでの四分音、五分音、八分音、十六分音の微分音を駆使する主旋律&追行句と伴奏部分に於て拘り抜いている点は後述致します。


 扨て、坂本龍一が二声に依る平行四度ハーモニーを用いるのは『B-2 UNIT』以降のアルバム『左うでの夢』収録の「Slat Dance」の本テーマのLFOが施されたメロディーでも顕著な物でもありますが、本曲も亦微分音が積極的に用いられている曲でもあります。本テーマが現われる前の3拍子に聴かせてしまう前奏部に於てクランチ・ギターの様に聴かせる三声に依るパッド音は、両外声がそれぞれ上に1単位八分音、下に1単位十六分音低く採られた737セントの音程となり謂わば真の「増五度」を聴く事が出来ます。内声は最高音に随伴して1単位四分音高い音が半音下がって行く(100セント)という状況を次の当該部分でお判りいただけるかと思います。ヴィシネグラツキー流に言えばそれは 'major 5th'(=「長五度」) 若しくはジョンストン風に呼べば 'subminor sixth'(※ヴィシネグラツキーは他にも 'Fifth-Sixth' とも呼ぶ事を併記)とも呼べる音程であります。

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 対位法では四度を不協和音程と位置付けるので和声的書法から俯瞰する事が肝要となります。そのうえで二声に依る平行四度を維持して全音階を標榜せずに半音階を包含した社会観で旋律形成を企図した場合、調的な状況を強く暗示する音程関係となる音が前後にある時と調的な状況から最も遠ざかる不協和な音程関係が生ずる両義的な構造が生じます。

 半音階的志向を平行四度オルガヌムを一旦措き、単声部だけで旋律を作る為に調性に基づいた音組織に則ってさえいれば固有のメロディーを生ずるだけに過ぎませんが、複数の声部からなる場合は逐次生ずるハーモニーにて調的に優位=協和的、調的に劣位=不協和的な状況を生ずる様になるという意味なのです。

 その不協和の最たる物が「対斜」(三全音)なのであり、これを避ける為に一時的に音組織には無い臨時的な変化が作られる訳です。この「変応」という物は、調性の音組織に準則しようとする物ではなく、その瞬間での音程の協和性に靡く物として理解する方が解り易いでしょう。特にジャズ/ポピュラー音楽が前提となっている多くの人々は、単なるモード・チェンジと捉える事が出来ないジレンマに陥りかねないので、特に注意が必要な理解であるといっても過言ではありません。

 長調の音組織で例えるならば、二声のいずれかに長調音組織内の三全音を担う下属音(Ⅳ)および導音(Ⅶ)が生じた後に続く音がそれらの先行音に対して三全音を形成してしまうと「対斜」を生ずるので、対位法の歴史はこれを適宜変化させて「変応」という風にして取扱った訳であります。変応は局所的に見ればノン・ダイアトニックの音を生ずる事になるのは自明であり、時には調性を一義的に見る事が出来ないのでアヴェイラブル・モード・スケールからも逸脱する音を生ずる事もあります。


 そういう意味で、長調の音組織に含まれる三全音はⅣ度とⅦ度の音が現われた時に注意を要するのであるのです。以前にもボリス・ブラッハーの言を引用して〈ドリアとリディアそれぞれの第4&6音を半音低く変ずる〉という状況が起こるという事を想起してもらいましょう。それは言い換えれば、これらの音が省かれて旋律が形成されている時というのは対斜は生じない事になるのでアンヘミトニック(無半音五音音階)を選択する事にもなるので、結果的に「ヨナ抜き」と称される広義のペンタトニックという音組織の特徴があらためてお判りいただける事でありましょう。

 裏を返せば坂本龍一はアンヘミトニックという音組織に対して「自在に」半音を附与させているとも見る事が出来るでしょう。それは、[c - g - d - a - e] というアンヘミトニックに対して [f・h] を附与した場合には単にハ長調およびイ短調の音組織を得るに過ぎませんが、先のアンヘミトニックに対して附与させる半音が [f・h] ばかりを見ない音の選択として見れば、「自在」の意味がお判りいただけるかと思います。


 他方、短調音組織に於ては平行長調のⅣ度とⅦ度はそのまま平行短調のⅡ度とⅥ度に置き換わるのであります。巷間能く呼ばれる「ヨナ抜き(四七抜き)音階」が長調音組織のⅣ・Ⅶ度を省略した節回しを表わすのと同様に、その平行短調の音組織がii・iv度に置き換わり、短調では「ニロ抜き(二六抜き)音階」と呼ばれるそれらの構造は、全音階音組織というヘミトニックから三全音を省いてアンヘミトニックという事を指しているのであります。但し忘れてはならないのは、アンヘミトニックというペンタトニックの各音はどれもがフィナリスと成り得る物ではありまして、和声などの伴奏がなくとも暗々裡にカデンツを映ずる事が出来る物ではありますが、アンヘミトニックが形成するフレーズからはどうしても不足してしまう音を和声(伴奏)で補足する時に、線的形成の上では用いられなかった「半音」、即ち三全音として用いられる下属音と導音の2音が「和声的に」附与される事があります。

 こういう風に楽曲を構築した際に、伴奏部分を一切無くしても主旋律だけの節回しだけでアンヘミトニックの情感が維持されている体系であるのか、それとも和声の捕足を伴わなければカデンツを映ずる事が困難になってしまうだけの貧弱な線的構造の楽曲でないかという事を見抜く必要があります。云う迄もありませんが、和声の捕足無しにアンヘミトニックの情感がその線的牽引力すら希薄に聴こえさせてしまうだけの線的構造というのは、一般的にアンヘミトニックとして括られる楽曲とは区別して語る必要があります。概してこういう楽曲は同度進行が多く結果的にアンヘミトニックと成しているだけの体でしかない節回しなのであり、区別して取扱う必要があると言いたい訳です。

 加えて、短調のv度上の和音の第3音が上行導音の為に半音高く変化すると、短調のvii度もiv度と三全音を作る事になるので、三全音は多く生ずる事になります(※イ短調を基準とした場合、[f・h] の三全音の1組が別に存在する)。

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 例えば上声部が短調の属音→下中音「v→♭vi」という風に進行する際(※この場合は偽終止的〈プラガル〉進行=本来ならば♭viは後続への下行導音であるがその逆を採る為)、それと併せて下声部では短調上主音→短調上中音「ii→♭iii」と並進行する事になる訳ですから、上声部の後続音=「♭vi」と下声部の先行音「ii」とでは減五度の対斜を生ずる訳です。

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 対位法の世界ではこうした先行音と後続音とで生ずる対斜を避ける為に変応という風にして音を可動的に変化させるのでありますが、その背景として対位法というのは各声部が持つ旋法の性格を強く打ち出す状況が幾重にも重なる事で容易に複調の状態を作る事にあるのが特徴的な側面であり、和声法のそれが和声的な「鎧」を纏って終止音と属音を明確化させて調性を一義的に捉えようとする世界観のそれと異なるのはあらためて念頭に置いておきたい部分です。無論、対位法と和声法を併存させた上で新たなるハーモニーが生じて近現代の和声観が生じた事も忘れてはならない点であります。


 扨て、漸く本題の「riot in Lagos」について語る事になりますが、本曲で用いられる微分音はギターのオブリガートを除けばBテーマで聴かれるのが顕著な点であるという所です。



 抑もAテーマとBテーマの双方に共通する16分音符のシークエンスは微分音は用いられておらず12等分平均律(12EDO)で形成されているので、Bテーマでは12EDOとは異なる微分音が併存するという事となるので多様な響きを耳にする事になるのであります。

 尚、注意してもらいたい部分がベース・パートであります。私が譜例動画で用いている複付点の二重付点四分休符の後の属音 [c] で書いている音は原曲とは違います。原曲の当該箇所は短調シャープ・サブメディアント(=♮6th)の [d] であるという点が重要であります。これは私が、アンヘミトニックの上で坂本龍一の標榜する微分音体系を鳴らすとどうなるのだろう!? という実験なのである為、原曲をトコトン忠実に耳にされたいという方との解釈とは異なった改変を施しているのでその辺りはご注意いただきたいと思います。ですので態々16分音符にリズムを変えてまでベースを変えているのです。音符で16分音符として連桁で繋がれるのではなく「旗」としての形であからさまに属音を見せていれば、「嗚呼、原曲とは違う解釈なのだな」という事が峻別出来る筈でしょうからこうした原曲とは異なる喚起になるであろうという意図で譜例動画を作っております。

 また、これらの差異を全く感じ取れずに他者のアイデアをかき集めて自分のモノにしてしまおうとする不届き者も居るので、そういう輩が気付かずにこの「属音」の部分までパクってしまえば罠にかかったのと同様で、断章取義を越えて剽窃する傾向が強く表われるタイプの人間を炙り出す事にもなるので私は敢えて変えているのであります。

 山下邦彦氏は自著『坂本龍一の音楽』p.314に於て『/04 オフィシャル・スコアブック』での対談を引用しておりますが、山下が茲で言及しているのは、Aテーマの主旋律は短調メディアント=♭6th を用いるのにベースでは短調シャープ・サブメディアント=♮6th を用いる部分を《坂本さんを坂本さんたらしめている、ひとつの象徴》だと述べている所が何とも滑稽で失笑が漏れてしまいかねない(※藝大の修士号を眼前にして)のですが、何故笑いそうになるのかというと、対位法の変応を知っていればこうした併存は起こり得るからであります。つまりインタビュアーとしての山下は対位法への理解という下地が無いので臆面も無く訊いてしまう所が滑稽であり、坂本龍一自身も速やかにその対位法的に生じた複調的な旋法のそれよりも微分音でズレている上声部のそれに話題を移そうと呼び水を出しているかの様な文章に読める所がとても滑稽であるという物。

 しかもそこまでして坂本龍一自身が核心に迫ろうとするも、インタビュアーが12EDOの範囲で複調的な併存を強調して来るので坂本龍一が微分音のそれを引っ込めてしまっている様にも読めてしまうので、作者本人の意図を引き出せない残念なインタビューとなっているのは否めません。つまり、複調的に生ずる♭6thと♮6thが併存する事に驚嘆する山下のそれを余所に坂本は何気なく微分音の話題に振ろうと誘いの手を差し伸べているにも拘らず本曲の核心部分となる微分音の話題に乗って来ない。これだと、坂本龍一自身がインタビュアーに要求されていないにも拘らずに微分音を話題を慫慂するかの様にして謙りもせずに語る事になりかねません。

 核心部分に触れないインタビュアーは高が知れるので坂本龍一は決して驕る事も無ければ安売りする事もせずに、それ以上多くを語ろうとしなくなってしまって「実は微分音も含んでいるんだよ……」という僅かな爪痕が残るだけの実に残念な対談になってしまっているのであります。嘗て酒井健治が『White Out』という楽曲を発表した後に武蔵野音大のインタビュアーがきちんと微分音を感じ取った上で微分音に関して本人に問うていた事と比較すると、音楽の核心部分を語るには相応の素養が要求されるのであり、あらためてそのインタビュアーのレベルの差を感じ取った物です。

 山下は続いて、同著p.316にて自身の解釈とする「riot in Lagos」の採譜した譜例を載せる物の、茲で再度指摘している上声部(主旋律)が生ずる短調下中音(♭6th)とベースが次小節で奏する事となる短調シャープ・サブメディアント(♮6th)の併存というのは、こうした複調状態という線的な逡巡というのは対位法の世界では何も珍しい事ではなく、この譜例が示しているので好い所はアウフタクトで入る1拍6連符のフレーズの明示化している事に過ぎない訳です。この1拍6連というのも坂本龍一は遉に西洋音楽の薫陶を受けて来ているので平滑な1拍6連では弾かずに「いびつ」に弾いている所をあらためて注目しなくてはならない所であります。オリジナル・アルバムに限らずYMOの武道館ライヴ、その後の「/04」以降のピアノ・アレンジ版や HASYMO や Yellow Magic Orchestra 名義でのライブのそれでも坂本は「いびつ」に1拍6連を弾いております。

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 その「いびつさ」を判り易く喩えるにしても色んなバリエーションがありまして、例えば次の例「1」の1拍7連の歴時で見ると、最初のパルスが倍の歴時となり残りの5音が16分7連のパルスとなる様に、平滑な6音ではない訳です。同様にして次の例「2」も本来ならば3・4音目のパルスが倍の歴時を持つ事で6音を保った物となっており、これも6音という単位で聴けば「いびつ」な状況で平滑な6音ではない訳です。更に次の例となる「3」を見れば、1拍5連の3音目のパルスは視覚的には中央に位置するも、物理的な時間軸で見れば八分音符の2音目とは異なる時間軸に存在する事になります。1拍5連と併存する様に八分音符の2音目が奏された時、3〜5音目がもつれ合う様にして聴こえる訳ですから、6音全体としては5連符に揺さぶりがかかった様な音に聴こえる筈です。また、1拍5連符に対してスコッチ・スナップが附与された様な状況として揺さぶりがかかる「いびつ」な状況も考えられるでありましょう。

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 これらの譜例は坂本龍一の実演を精確に表わした物では決してありませんが、こういう感じを意識し乍ら弾く事で、西洋音楽で培われた「いびつさ」をあらためて知る事が出来るかと思います。しつこい様ですが、バロックという言葉の意味はその様式の他に「窳」=歪つ(いびつ)という意味があり、拍子(拍節構造)も呼吸や脈搏感に依ってゆさぶる事もあれば、ノート・イネガルの様にしてわざといびつに弾く事もありますし、そのいびつさを感覚的に落とし込む事が重要とされる物でもあります。坂本龍一の場合、多くのいびつさを兼ね揃えて表現しているので1拍6連として単に表わす事が出来ない程多彩な揺さぶりをかけているので、アウフタクトで表わされる1拍6連の実際は、もっと多様な6音なのだと認識した方が宜しいかと思われます。換言すれば、先の様な譜例をイメージしつつ6音をいびつに弾く様なイメージを以てすれば、クォンタイズされた様な1拍6連を避けて奏する事が可能という意味でもあります。

 注意点を明示した所であらためて譜例動画を確認する事にしましょう。ベース・パートをアンヘミトニックにしている以外は原曲を踏襲しているので、譜例動画先頭小節の最上段に附与される小さい数字は原曲冒頭からの小節数に該当する部分の拔萃という事を意味しています。つまり譜例動画の冒頭小節は原曲29小節目からの拔萃という事を意味している物です。29小節目最初に現われる微分音は誰もが耳を傾けるであろう 'Synth 1&2' のパートではなく、'Synth Brass2' の方なので注意が必要です。注意喚起が示す様に16分のシングル・タップ・ディレイが施されているのが特徴で、'Synth Brass2' の1拍目上声部は [e] より1単位五分音高い(+40セント)音を示す変化記号で、同時に下声部は [c] より1単位八分音(−25セント)低い事を示す変化記号となります。

 この、耳に付きにくかろうパートが初出となる微分音でありまして、そうしてBテーマの本編となる 'Synth 1&2' が愈々登場する訳です。このBテーマ部分を坂本龍一は「調子外れ」という風に謙っているものの、この核心部分を山下邦彦は掘り下げる事なく話を進めてしまうのですから、彼とて西洋音楽の和声方面の造詣は決して浅くは無い筈なのですが耳が12EDOの域に収まってしまっているとこういう重要な微分音変化も瑣末事に感じて脳内で補正を掛けてしまうのかもしれません。

 因みに、五分音というのは耳馴れない物ですがアロイス・ハーバの作品にも存在しており、これを私は長らく埒外としてしまっていた物で、気付いたのは数年前の事です。近年NEOSからもCDが発売されたにも拘らず。私の脳裡にはブライアン・ファーニホウが「Unity Capsule」でのフルートが用いる31音階用(=五分音として)のクランク状の上行用の変化記号(無矢印と矢印つきの物)が即座に浮かんでしまって己の知識不足からハーバの作品に五分音は無いなどとTwitterでツイートした事もあった物ですが、いかんせんファーニホウのイメージが強すぎた事が今回ばかりは功を奏したとばかりに五分音を語る機会を得て胸を撫で下ろしております。その後、先述のクリスティアン・ウォルフの五分音表記の知識を得る様になったのが私の経験だったという事であります。

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 次は29小節目の 'Synth 1' パートの2拍目に注目してみましょう。拍頭下声部は [fis] より3単位十分音低い音、拍頭上声部が幹音 [c] より1単位十二分音低い音という事を示しております。最近ではSMuFL準拠のフォントとなる Bravura を Steinberg が開発した事に依ってフォント・グリフは非常に充実し、微分音記号も併せて充実する事になった物ですが、五分音や十分音を表わすフォントが揃っていない(※過去の誰かの作品の表記法として限定すれば表わす事は可能)ので kh font を使う事にした訳です。何より kh font は五分音、十分音は固より三分音、六分音、八分音、十二分音、十六分音、二十四分音までに対応しているので、一つのフォント・デザインで表わす事も出来るので非常に重宝するフォントなのであります。

 本題に戻り、29小節目2拍目弱勢の下声部は [as] より1単位八分音低い音となります。上声部は12EDOでの [es] と同様なので特に述べる必要はないでしょう。29小節目3拍目にある四分音符上声部は [fis] より1単位八分音低い音を示す物となります。同小節4拍目拍頭上声部は [es] より1単位八分音高い音となり、下声部は [g] より1単位十二分音高い音を示します。なお、'Synth 2' パートに於ける29小節目4拍目弱勢上声部は [c] より1単位四分音低い音を示す事になります。


 茲で譜例動画の1小節を見る事になりましたが、Aテーマと共通する16分シークエンスは扨措き、微分音がこれだけ積極的に用いられていると最早ヘ短調なのかヘ長調なのか、將又「Fのブルース」なのか皆目見当が付けられないと思います。唯、これだけは言えるのは概して本曲は「ヘ短調」を標榜する様に聴く事が可能となる共通認識として誰もが抱いているとは思いますが、決して短調とは言えぬ音が周到に現われている事があらためてお判りになるかと思います。それは、ヘ短調がFドリアンという両義性があるという事すらも超越している事実であるので、これをどの様にして咀嚼して考えれば好いのか!? という事を次に示してみます。


 長調・短調が混在する様な音楽的世界観は現今社会に於て特に珍しい物でもありません。バルトークを筆頭に挙げる事もできますが、ブルースというのも非常に端的に示す例でもあり、ドミナント7thコードに♯9th音が乗った俗称「シャープ・ナインス」とて、長・短の両義性を孕んでいるコードのひとつとも言えますし、ジャズ理論など知らぬ者でもジミ・ヘンドリックスの「Purple Haze」を聴けば瞭然でありましょう。

 扨て、長・短の世界が両義的に存在していると考えた時、旋法から照らし合わせるとどういう関係にあるのか!? という事を見ると腑に落ち易いのではないかと思います。私が「riot in Lagos」を敢えてF音をフィナリスとするアンヘミトニックとして見立て様とした狙いは、この説明の為の物だったのです。それでは次の例を見てもらう事にしましょう。念の為にアンヘミトニックという無半音五音音階という構造が完全五度音程の連鎖であるという事は前回のブログ記事でも詳述したのであらためてご確認いただければ幸いです。

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 先の例の様にF音を中心にアンヘミトニックを見た時、楕円で囲まれた5音の音組織がアンヘミトニックとなり、その中心にF音があるという事はお判りになるかと思います。このF音をフィナリスと採るとして、長・短の世界観を決定付ける [a] と [as] はどういう位置関係にあるのか!? という事を先の図では示しているのです。

 とすると、F音を基本音として見た長三度音 [a] は画像の右方へ完全五度音程を4回累積した2800セントの所にあり、これを転回位置に還元するのが長三度という事になる訳です。

 他方、F音を基本音として見た短三度 [as] は画像の左方へ完全五度を3回累積した2100セントの所にある訳ですが、決して先の [a] との2800セントという物理的な距離と同じ音程で現われる訳ではありません。つまり、「長・短」それぞれの絶対的距離の差は700セント有る事になる訳ですので、これを12EDOの中での長・短の両義性と片付けてしまうのではなく、夫々の絶対的な音程差=700セントの折衷を採るという事を考えた場合、700セントの半分は350セントとなるので、この350セントを [as] の左方へ更に広げる音脈と同時に [a] から左方に350セントを縮めた音程として得られる音脈は、長・短の両義性に加え新たなる四分音音律の体系を纏って来た音脈を得るという事を意味する事になるのです。

 即ち、[as] より350セント高い音はCセミフラット(Bセミシャープ)を呼び込み、[a] より350セント低い音は [fis] より50セント高いFセスクイシャープ(Gセミフラット)という音脈を呼び込む事にも繋げる事が可能となるのです。

 次の表を見ていただく事にしましょう。前述の長・短を受け持つ基本音からの三度音がアンヘミトニックの中心から見た時の「長三度と短三度」の差が700セントであったという事を今一度確認するならば、表のグレーのグループに於ける「1」という単音程から2等分・3等分……という風に分割していって350セントという折衷を採る音脈(表の「2」)を得た事に変わりが無いのであります。

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 それならば、単音程「3〜5」も同様に得られる訳であります。そうすると「1〜5」までの音程からオクターヴの端切れとなる音程も生ずる事となり、オクターヴを2つの音程に分割すれば自ずと片側は部分超過比と為す陰影分割を生ずるのですから「6〜10」という音程をも音脈として生ずる事になるのです。茲で注目していただきたいのが単音程陰影分割のグループの「6」と「10」であります。

 我々が微分音ではなく12等分平均律を視野に入れている時のクロマティシズムの音脈を得る時、半オクターヴ=三全音は固より、短二度という音脈然り、完全四度堆積和音という物は非常に能くマッチするシーンに遭遇するかと思います。完全四度音程というのは上方倍音列の示唆が無い音ですので結果的に上方倍音列の鏡像を見る事にもなる訳ですが、陰影分割として生じた音脈が500セントという完全四度音程と、100セントという短二度音程を生んだ事こそがクロマティシズムを導引する強固な音脈のひとつとして考える事が出来る訳でもあります。500セントを上方倍音列の方とは逆に(※即ち下方=プラガルに)累積して行ったり、ひとつの完全四度音程に対して1つの半音を附与(=ディスジャンクト)する事で半オクターヴ=三全音という音脈を得たりするという因果関係はこういう分割からも自然と見えて来る物なのです。そうした「近しい」因果関係をお判りいただければ、先の一覧表に列挙した中立音程(微分音)として生ずる音脈も総じて「近しく」用いる事の出来る音程なのであります。

 こうした音程分割で用いるべき音程の相貌は「複音程」をも視野に入れて分割するのが重要な想起となります。そうする事でグレーのグループからは14種類の音程を「1」から得た事になるのでありまして、多様な微分音の中でも音脈として強固に使えるグループをまずは1組呼び込んだ事になるのです。

 尚、こうした分割に依る音程の呼び込みは、リゲティのクアジ・エクィディスタント・ハーモニー(疑似等距離和声)を応用した物でもあるので、数多ある微分音の音脈をある程度「調的」に聴かせ乍らも長・短の世界観として曖昧な状況であるならば、こうした音脈を積極的且つ強い牽引力を持っている音程が露になるという事でもあるのです。基はアンヘミトニックの因果関係から導引して来た方法なので、これらの音脈が上下に完全五度ずつ移高した音脈を得る事も可能であるという事も視野に入るのであります。

 これらを踏まえた上であらためて先の一覧表を確認すると、中央のイエローで括ったグループは単音程の母数が「2」の350セントに変わった事で生ずる相関関係となるという事を示しており、同様にグリーンで括ったグループも母数が「3」の175セントに変わった事で生ずる物だという事がお判りになるでありましょう。

 尚、これらの音程は「F音の上方」に隔てて生ずる音程という事を示しており、これらは同様に「F音の下方」へ等しい音程差として生ずる新たなる音脈を用いる事も可能という事でもあるのです。結果的には「F音の上方」として現われる音程を譜例にすると次の様に示す事が可能となるのです。

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 扨て、前掲の一覧表に於て「35〜37」の複音程については触れませんでした。それぞれが「1900・1550・1375」セントとなっている物です。これらを分割したらどうなるか!? という事を確認する事にしてみましょう。なお、これら3種の複音程は、母数に1200セント(=1オクターヴ)が加わった音程であるという事をあらためて注意していただきたいと思います。すると、これらを母数にした時は次の様な単位音程が生ずる事になります。

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 この一覧表での上段の「1900」セントを母数としたグループの3単位五等分音程=1140セントを見てもらう事としましょう。この音程は完全八度より60セント低い音ですが、先にも示した 'Synth Brass2' の1拍目上声部の [e] より1単位五分音高い(+40セント)音という音脈を見事に導引する事となり、その同箇所で生じていた下声部は元の一覧表での「30」の音程だという事があらためてお判りになるかと思います。

 斯様にして、Bテーマで多彩に繰り広げられる数多の微分音ではありますが、坂本龍一自身は常に同一箇所で一定した触れ幅で微小音程を奏しているのではなく、上下にコンマ程度に収まる様な形でランダムに微分音を色々用いている様であります。但し、私が抜萃した小節部分は譜例通りに表わされている様にして微分音が生じており、他の部分でこれと同一箇所が同様の譜例にはならないという所にも注意が必要で、それはあまりに採譜の労劬が伴うので全貌を示す事はしません。唯、その触れ幅という物をお判りいただいた上で、陰影分割の等分割、またはその鏡像という等音程で導引する事が可能な事さえ念頭に置いていれば曲に追従して聴取する事が可能だと思います。本曲を聴くにあたって微分音を意識せずに12EDOに均して聴いている時と微分音に傾聴して対峙すると、また新たな魅力が生まれると思いますので、より深層に触れ乍ら堪能する事が出来る事でしょう。

 私は当初、これらの微分音の「触れ幅」という物を坂本龍一はステップ・シーケンサーで統御しているのでないかと思った事があった物でしたが、統御は坂本自身の「耳」と「感性」に依ってランダムにその情念は揺らいでいる物だと解釈を変えるに至った訳です。確かにシーケンサーで前以て触れ幅を決めておいて16分音符のクロックを矩形波以外に設定した上で、16分音符のパルス毎に任意の範囲でLFOの触れ幅がピッチの微妙な微分音程として発音を可能とするシステムであれば、ある程度容易に統御可能ではありますが、こうしたシステムの場合、発音中にピッチが漸次変化してしまう事にもなるので音価が長いフレーズの箇所では結局ピッチが安定せずに発音されてしまう事となります。

 また、総じて1台のシンセで触れ幅を手動でレコーディングに及んだのかどうかは定かではありませんし、何回かのテイクに分けて特定の触れ幅のシンセを別録りしてオーバーダブしていった方が作業的には効率性が高まるのではないかと色々思案してみましたが、これについては本人或いは関係者にしか判らない事でありましょう。とはいえ、作業効率を高めたレコーディングの策を選択したとしてもかなりの労劬を伴う作業であるのは明白でありまして、これらの細かい微分音を能くも茲まで作り上げたものだと、ほぼ40年経つ事となる本曲には今猶色褪せる事のない魅力が詰まっているのだとあらためて声高に語っておきたい部分でもあります。

 これまでの「riot in Lagos」のライヴ演奏は、微分音の多彩な表現および再現が難しい為か(※シンセのオシレータを任意にずらした分だけが随伴するだけの物となり、これを逐次フレーズのパルス毎に変更するのは非現実的に近い)、ほぼ12EDOでの世界観にローカライズした様に聴かせる物もありますし、ピアノでの「riot in Lagos」はそのローカライズの典型とも言えるでしょう。また、そうする事に依ってスタジオ・オリジナルのそれはあらためて価値が高まる物でもありまして、近年のライヴ・テイクのそれだけに聴き手の方が耳を馴染ませてしまうだけでは本末顛倒だとも言えるので、あらためて「riot in Lagos」の微分音使用には細心の注意を払った上で吟味された方が宜しいのではないかと思います。


 それでは今一度本曲の解説と移る事にしましょう。今度は30小節目の 'Synth 1' の1拍目拍頭上声部は [es] より1単位十六分音低い音となるので幹音 [e] からは「−112.5セント」低いという事になります。この音脈は先に掲げた2つの一覧表からは端的に引っ張って来れない音程ですが、次の様な相関関係として示す事が可能です。例えば、[f] から下方に完全五度音程を5回累積=700×5セント=3500を採ると [ges] を見る事になります。この相関関係をもっと端的に表わすならば、5つの「Ⅴ(※完全五度を意味するローマ数字)つまり「5Ⅴ」となる音程を [f] から下方に採ると [ges] が生じ、そこから「19」として示した「212.5セント」を鏡像音程として下方に隔てる事で得られる音脈という事になります。

 この微分音変種記号の明示を譜例動画最後の部分で私は記載漏れをしてしまっているので(※本記事冒頭で示した「riot in Lagos」の微分音記号一覧では訂正済)、こうして本文であらためて明示しているのでご容赦下さい。なお同箇所拍頭の下声部は [f] より1単位十二分音=「+16.7」セント高い音を得ている事になり、[f] より上方に「2Ⅴ(=完全五度音程×2)」を採って [g] を導き、そうして「22」で示す「516.67セント」の音脈を得ているという事になるのです。

 同様に30小節目1拍目弱勢の上声部は [e] より1単位十二分音低い音は、[f] より上方に「4Ⅴ」を採る事で [a] を導き、そこから「22」で示す「516.67セント」を下方に鏡像で採った音として現われる物となります。同箇所の下声部では [g] より1単位五分音(+40セント)高い音となり、[f] より下方に「3Ⅴ」を採る事で [as] を得て、そこから「1900セント」を母数とする時に1900セントを5等分の単位音程を得た時の3単位(380cet)五分音程=1140セントという音脈だという事が判ります。

 この機会に念の為に附言しておくと、オクターヴを等分に割譲するというよりも任意の音程を等分割しようとするそれは、概してオクターヴを繰り返さずに超越する事が多々有り、こうした分割で生じた音律は直線平均律法に括られる体系でもあり、そこで生ずる単位音程は 'Cents-equal-temperament' 「CET」という単位で音律の断片としてウィリアム・セサレス等は用いたりしているので参考まで。

 続いて 'Synth 1' の30小節目2拍目拍頭で生ずる上声部は [f] より25セント(1単位八分音)低い音であり、もう概ねお判りかと思いますが、これは [f] より上方に「2Ⅴ」を採って [g] を得た後に、下方に鏡像等音程として「3」の「175セント」を採って得る事の出来る音脈だという事になります。同箇所の下声部は [a] より1単位五分音高く、これは [f] より下方に「1Ⅴ」を採って [b] を得た後に、1900セントを母数とする時の単位音程で現われる3単位(380cet)五分音=1140セントという事になります。

 
 引き続いて 'Synth 2' の30小節目1拍目拍頭から見ていきましょう。上声部は [f] より1単位八分音高い音であり、これは [f] より上方に「2Ⅴ」を採り [g] を導いた後に「3」の「175セント」を下方に採った音であり、同箇所下声部は [c] より1単位十二分音高い音であります。これは、[f] より上方に「2Ⅴ」を採って [g] を導いた後に、上方に「22」の「516.67」セントを採った音脈であるという事が判ります。

 更に 'Synth 2' の30小節目2拍目上声部は [as] より1単位十二分音高い音で、これは [f] より下方に「2Ⅴ」を採り [es] を得た上で、そこから上方に「22」の「516.67セント」を採って得られる音脈となります。下声部同箇所は [f] より1単位八分音低い音であり、これは [f] より上方に「1Ⅴ」の [c] を採り、そこから「13」の「475セント」を上方に採って得られる音となります。

 続いて 'Synth 2' の30小節目3拍目拍頭上声部は [des] より1単位四分音低い音であり、これは [f] より下方に「2Ⅴ」を採って [es] を得た後、下方に「7」の「250セント」を採って得られる音となり、下声部同箇所は [h] より3単位十六分音低い音であります。これは完全なる別のオクターヴ相貌が必要な物であり、従前の「Ⅴ(=完全五度音程)」を累積して得られる物ではありません。見立てとしては「1Ⅴ/4」という想起をする必要があります。つまり、[f] より上方に「1Ⅴ」を採って [c] を導いた後、[f - c] 間をちょうど4等分する見立てが必要となります。つまり、完全五度たる「700÷4セント=175」が単位音程(7単位八分音)となる訳でして、その次に前掲単位音程の表の中央にある「36」を母数に採った時の4等分のCET音程=「387.5セント」を採る事になります。そこで完全五度1単位(175cet)四分音として出来た中立音程は [f - c] 間に4つの音梯として分割された事になりますが、[f] より1単位上方を基準にすると [f] より175セント高い所に基準音がある事になるので、実質的には [g] より1単位八分音低い所が基準と成っている訳です。そこから上方に「387.5セント」を採ると得られる音脈となるのです。

 同様にして 'Synth 2' の30小節目3拍目弱勢上声部は [ces] より1単位十六分音低い音を示し、先の [h] より3単位十六分音低い音とは1単位八分音隔てているだけではある近しい音高となるものの、決して同度由来の変化音としてではなく異度として表記しているので注意をしていただきたい部分です。下声部同箇所では [as] より1単位八分音低い音を生じますが、これは [f] より上方に「1Ⅴ」を採って [c] を導き、そこで「36」(=1550セント)が載っている一覧表のグループでの1550セントの2等分した1単位音程=「775セント」を採る事で得られる音脈という訳であります。

 譜例動画のデモでは31〜32小節目も先行29〜30小節目を繰り返して微分音を用いておりますが、原曲はもっと多様ですので注意して耳にしてもらいたいと思います。その上で譜例動画の32小節目での 'Synth 2' パートで付点四分音符が生ずる部分を補足して語っておきますのであらためて確認をしてみて下さい。32小節目3拍目で生ずる付点四分音符の「長い音価」の奏鳴中にピッチが揺れ動くという事はありません。そうして最後に示す同小節4拍目の上声部は [c] より1単位十六分音高く、これは [f] より下方に「1Ⅴ」を採って [b] を導いた上で「19」で示される「212.5」セントを上方に採る事で得られる音であります。下声部同箇所では [as] より1単位六分音高く、これは [f] より上方に「3Ⅴ」を採り [d] を導いた上で「12」の「633.34セント」を上方に採る事で得られる音脈となります。

 尚、譜例動画のパート 'Synth Vox' の30小節目4拍目での "woin" と示してある音は、原曲もその通りのSEが施されている為であります。更に注意をしていただきたいのは、これは「ウォイン」という発音ではなく「ヴォイン」と呼ぶべき、ドイツ語独特の「ヷーグナー」の「ヷ」やフォルクスヷーゲンの、唇の上下が触れずに唇を吐息で震わせる様な感じの音として私は認識したのでこの様に書いておりますが、"woin" という言葉はドイツ語には無い様なので、他に類似する発音の言葉なのかどうなのかは判然としない為あらためて注意していただきたいと思います。然し乍ら、多くの人々は聴きそびれているかもしれません。私の周囲ではこのSEに気付いていた人々はおりませんでした。ループ再生し乍ら指摘しても認識できない者まで居た位です。


 今回「riot in Lagos」を語る前には同アルバム収録の「iconic storage」を語った事は記憶に新しい事かと思います。恐らくや「riot in Lagos」の耳馴らしの為という意味も含めてB面1曲目に「iconic storage」が存在するのは非常に示唆めいた物があり、それも坂本龍一なりの聴き手への配慮だったのであろうかと思います。「riot in Lagos」の微分音使用のそれを、たかだか2小節程度語るだけでもこれほどの文章を要した位ですので、それと比較すれば「iconic storage」のそれはまだ平易な方であるでしょう(苦笑)。故に、私は順序立てて語る為に「iconic storage」の方から先に語った訳であります。とはいえ、いずれの曲であろうとも微分音が用いられているという事が広く世間に周知されているとは到底思えず、こうした音脈をさりげなく用いていた坂本龍一の功績はあらためて高く評価されるべきであろうかと思うのです。

 加えて、私はかねてからこうした事を述べる為にブログを何年も前から「順序立てて」育んでいるので、本意を語るまでかなりの年月を要する事が多々ある物でもありますが、あらためてYouTubeの譜例動画にて同時期にYMOの「Nice Age」のイントロ部の本テーマ直前のSE部分に於てフランス式連桁を添えたポリメトリック構造の四分音を用いてSEのそれを模して採譜していた事についても思い出していただければ幸いであります。これも私なりの事前準備としての「配慮」だったのであり、知的好奇心をくすぐる為の狙いというのも勿論あります。




 こうした四分音への足慣らしとしてYouTubeの方では小綬鶏(コジュケイ)の消魂しい鳴き声を四分音ピアノに充てて採譜した動画も披露していたので併せてご確認いただければと思います。



 そうして、微分音という音脈の使い方という物をあらためて示す事が出来たと思うのですが、闇雲に12EDOの半音よりも狭い音程を用いるのではなく、どういう脈絡と相関関係で微分音を導引する事が出来るのか!? という方法論のひとつとしての方策は、ジャズ・フィールドでも十二分に活かす事が出来る物なので、イントネーションを付けるという意味だけでも充分に機能する事でありましょう。何故マイケル・ブレッカーが四分音運指を用いてその音脈を用いたのか!? という疑問についても今回の方策であらためてお判りいただけた事でありましょう。12EDOのまま耳が均された方面ばかりで音楽を見つめようとはせずに、あらためて坂本龍一の技法に屈伏して拝戴してみては如何でしょうか。