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同位和音 [楽理]

 同位和音とは、根音を共有する長和音と短和音の事を意味する事であり、例えばC△とCm(C durとc moll)が同居する状況の事を指しております。


 「凖固有和音」という言葉を耳にした人もおられるかと思いますが、凖固有和音というのは同主調の組織を同列に並べた時の長調にはない短調側の和音を結果的に拝借する事ですが、同位和音というのは同主調の長・短の和音を拝借し合うのではなく「併存」という処が大きな違いです。

 つまり、C△とCmが同居し合えば、ジャズ/ポピュラー音楽界隈では「C7(#9) omit7」と便宜的に見る事も出来るでしょう。しかしこの所謂ジミヘン・コード(※ジミ・ヘンドリクスが『Purple Haze』で使用)とも呼ばれる「シャープ・ナインス」とも呼ばれるそれは、近年ではデイヴ・スチュワートが『曲作りのための音楽理論』(リットーミュージック刊)でも指摘している通り、実際には9度音が半音上がったオルタレーションではなく、10度音が半音下がったオルタレーションであるため、本来なら「♭10」と呼ぶべきものなのです。

 ジャズ/ポピュラー界隈では能く遭遇する「♯9」の表記で、それこそデイヴ・スチュワート以外ではそうそう目にする事のない「♭10」という理解は、デイヴ・スチュワート本人が純然たるジャズ系ミュージシャンでも無い人なので相容れない表現だと切り捨ててしまう人も居るかもしれません。それこそジャズ/ポピュラー界隈で頻繁に遭遇するミュージシャン個人の独得な表現の一つとしてザックリと理解している方もおられるかもしれません。

 そもそも「#9」というものは、長音程組織から生ずる音組織が、短音程組織の短音程を欲しがるという動機に由来する物で、細かい事を謂うと同主調ではなく、長音階の主音を基準にした時のフラット・サブメディアントつまり長3度下の音脈を欲しがって得るもので(正確には下属調短調の音脈)、元の長音階に無かった音を生じさせるそれはには同主短調から由来する音とほぼ同じに見えるかもしれませんが、実際には微妙に違うのです。


 以前にも長音程と短音程の違いは触れましたが、例えばC音を基準とした時に長音程とやらを羅列するに相応しいのはハ長調での長音階です。

 全ての短音程というのはフリジアンを見立てればすぐに取り出せます。短二度・短三度・短六度・短七度はフリジアンを発端とする音列が全て有しています。しかしCメジャー・スケールとEフリジアンでは根音を共有している訳ではないので、Cメジャー・スケールとCフリジアンが長音程と短音程の全てを併存している状況となるのです。奇しくもCフリジアンというのは変イ長調(=A♭)から得られる旋法であり、変イ長調の平行短調がヘ短調(=Fm)である事を思えば、長和音の中にて短音程の音脈を引き込んで用いる事が、こうした音脈に由来する物なのだという事という理解に及べば良いのです。

 こんな事を細かく考えるまでもなくジャズの現場ではこうした音脈は既に使っている事でしょう。しかしこうした楽理的背景を知らずに、きちんと体系化されていない皮相浅薄な楽理の知識を根拠にしてしまっていると、己が普段使っている音脈のそれが事実を捉えてはいない物なのです。下属調短調の音脈を結果的に使っているのであれば、それはフーゴー・リーマンの謂う下方倍音列の音脈を辿っている事と等しいのに、いざフーゴー・リーマンが振動する訳もない架空の振動比が実際に振動すると強弁してしまった事で、音脈そのものが疑われてしまったという事で下方倍音列を嗤笑し、下方倍音列などオカルトなどと云いだす連中が産出されてしまうのは実に嘆かわしいのであります。

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 下方倍音列が本当にオカルトなのでしたら、西洋音楽界にてオスカー・ザラがミクストゥール・トラウトニウムにて下方倍音列がオシレーター発振する様に作った事も否定するのでしょうか?(笑)。ザラが得たかったのは上方と無関係な音組織で得られるドローンやクラスターの要素を利用しているのは明白でしょう。それとて音律とは全く無秩序なドローンやクラスターとしてではなく、下方倍音列を採用していたというのが実に興味深い所です。

 過去には私自身誤解していた事もあって、オンド・マルトノの響線に下方倍音列を採用していたという事を書いたブログ記事等あったと思いますが、それは私の実際の推測の域を出ない誤解に依る物で注意して欲しいと思います。過去には響線に下方倍音列を意図して響線を張った人がいるかもしれませんが実際にその記録を知った事はないので、これまでオンド・マルトノの響線に於て下方倍音列を語っていた物は私の推測として理解をあらためて欲しいとは思いますが、ミクストゥール・トラウトニウムにて下方倍音列を実際に採用していた事と過去の私のオンド・マルトノについてのそれとは混同されぬ様お願いしたい所です。


 それとは全く異なり、下属調短調という情感を欲しがるのが偶々下方倍音列の音脈だという風にシンプルに考えればそうした理解を相容れる人も少なくはないかと思います。下属調短調という状況というのは、サブドミナント・マイナーとして使う事など西洋音楽にもあります。中には偽終止であるⅤ→Ⅳのひとつの物としてジャズ/ポピュラー形式で表記すれば「V7→♭Ⅵ」(※ローマ数字はⅣでなく♭Ⅵである事に注意)という物で、偽終止の一つとしてこれを捉えた解釈をしている理論書もありますし、この状態を「一時転調」と解釈する理論書もまた別にありますし、「Ⅴ→Ⅳ」そのものが転調という風に解釈する理論書もまたまた別にあったりするもので、こうした終止に関する側面だけを比較考察するだけでも音楽というのは、多くの解釈があり一義的ではない事を知ってもらいたい訳です。私がどこかで耳にした「夕焼けこやけ」の行政放送の音楽は、終止の際に「D→S→T」となっているものがあります。「Ⅴ→♭Ⅵ→Ⅰ」という進行でアレンジされている物です。

 こうした状況すら相容れない、という人は流石に少ないでしょう。下属調短調やサブドミナント・マイナーという言葉や状況がある事を是としても、下方倍音列は相容れないというのはそれはあまりにもご都合主義であると謂わざるを得ません。

 更に言えば小倉百人一首を吟じる時にもD→S進行というのは出て来る様に感じられます。百人一首を吟じる際に調性が与えられているかどうか、実際の処私は深部まで把握しておりません。然し乍ら一旦句を詠まれると、それは単旋律であるにも拘らず私の脳裡にはどうしても次の様に和声的及び進行感を映じて聴いてしまっております。因みにⅤで終るのを半終止と呼びます。T→Sという進行での多くは通常「Ⅴ→Ⅵ」と解釈する物が多いです。「Ⅴ→Ⅳ」というのは更に異端なのですが、これは私がこの所語って来ているのでお判りでありましょう。

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 機能和声社会における和音連結というのは通常、共通音を連結させつつ先行する和音のそれを上音に取り込む事で進行感が増すものであるという事はお判りだと思いますが、旋法的な社会ではそうした共通音の連結とは異なる進行が出てきます。五度下方進行よりも平行進行なども出て来ますし、3度累積に依って5度音の共鳴を得る類のとは全く別の5度・4度・2度和音という様な活用も見られる様になります。

 松本民之助は自著『作曲技法』に於て日本旋法のそれは「五度和音」という風に説明しております。五度音程の転回として四度和音と認識して曲を作る事も勿論あります。これらは総じて等音程で無くても構わないのですが、不等四度・五度の累積のどこかでトリトヌスを作る事で属和音の断片となるのを避ける為には等音程である程度堆積させて行く方が、それまでの調的な体系から逃れ易いというメリットもありますし、三度音程累積に依る和音での「和音外音」というのは通常、和音構成音の間隙に「ひとつ」あるのみですが(和音構成音が1・3・5・7度なら和音外音は2・4・6度という風に)、四度・五度和音の場合は和音外音が増大するという事になり、テトラコルド組成に自由度が増して来るというメリットも出て来ます。

 無論、五度和音の場合は和音外音の豊富さを使う所で三度体系の情感に補足され易くもなる為、四度和音にして更に不協和度や従来の調性に拠らない響きを得ようとして用いるのは明々白々です。更に、四度和音の累積に依って複数得られる音程を転回すれば軈ては二度音程として凝聚する事となり、結果的には二度和音の堆積という風にも見る事ができる訳です。雅楽に笙が用いられる(二度音程の凝聚でありトーン・クラスターとしても充分)のも偶然ではないでしょう。

 先の小倉百人一首の譜例中の小さな音符は、更に脳裡に映ずる節廻しを指しているものなので、人に依っては色々な節廻しや調性感を映じているかもしれませんが、こういう所からも旋法性やらを感じ取っていただければと思い例に挙げてみた訳です。


 そういう訳で下方五度音程や四度和音、または旋法性や変格(Plagal)的要素が、上音倍音列とは異なる情緒であるという事を説明する為に、同位和音という物を少し掘り下げる事にしましょう。

 ハ長調/イ短調という平行調間で生ずる主和音と属和音から得られる同位和音の全てを列挙する事にします。そうするとハ長調からは「CとG」、イ短調からは「AmとE」が得られる事となり、その2組に対して同主調側である長・短の和音それぞれを与える事になります。短調側にも属和音として導音に変化した音として第3音が変化した長和音として充てるべきでは!? と疑問を抱く人もいるかもしれませんが、それだと同主調同士の和音と併存した時同じ和音が同居するだけでそれを「同位和音」とは呼ばなくなってしまいます。同位和音を形成する為に同主調の長・短それぞれの和音を導出しているので、その辺りを柔軟に考えてもらわないといけません。

 そういう訳で8種の和音を抜萃出来る事となり、それが次の譜例の様になる訳です。

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 これらから多くの音脈を感じ取るのは明白ですが、孰れにしても元は単なる一つの幹音の組織から得ている音脈であるという事にあらためて驚きを禁じ得ないものでして、そこから導出される同位和音の脈絡というのは実に奥深い物が感じられるのです。


 同位和音を得た事で、幹音から派生した音が4音生じます。これらを異名同音的に羅列すると、先図版の鍵盤にあてがった音の分布の様に見る事が出来るのです。


 この様な相関関係、すなわち短音程全てを持ち込む事は、同位和音として一つの平行調同士の主和音+属和音から得られる和音の同位和音を用いて得られる音脈だという事があらためて判るのです。


 ジャズ界ではこうした短音程の全てを持ち込みつつ、派生音の全てを属和音上の「色彩」として使った訳です。但し増11度は転回すれば増4度として表されますが、これは実際にはブルー5度由来の音なので、正確には増四度由来ではないのです。然し乍ら3度累積構造の和音表記から11th音を積んでいく事で11度音がオルターレーション(この場合半音上がる)として使用する事が、基底に備わる長和音の響きを損わず表記上にも都合が良いので、増11度として認識される様になっているだけに過ぎない事なのです。

 加えて、ジャズの実際では本位11度音を駆使したフレーズを奏する事で多様な演出をする事が出来る為、これに気付いているジャズメンはきちんと本位11度を奏します。但しこれを和音的解釈する場合、本位11度音を基底和音の響きを損うアヴォイド・ノートとして定義している側面がある為、本位11度音を和音体系の為に特別な例として捉えているケースが殆どで、♭5がブルー5度由来である以上、本位11度とブルー5度はオルタレーションどころか、別の音度由来である為同居が可能であるのです。


 「同居」というのは併存を意味している事です。例えばジャズ/ポピュラー界隈でのオルタード・テンション・ノートの内、「♭9・♯9」というのは和音的に併存させる事はありません。無論本位9度とてそれらに同居する様な事はありません。少なくとも「♯9」が9度由来の音だと思っている限りは併存する事は無理でしょう。しかし、実際には「♭10」であるから他の9度と相容れるケースはっても可笑しくはないのです。概ね本位九度か短九度のどちらかと♭10は併存する事になるでしょうが、「♭10」が三度由来であるならば長三度と併存出来ないのでは!? と疑問を抱く人が居るかもしれません。茲がジャズ/ポピュラー界隈の人達の凝り固まった側面の一つでもあるのです。何のための「同位和音」なのか!? 和音を一つの体として見ると、確かに一義的な捉え方として調所属やモード・スケールの嵌当を見分け易くはなります。

 しかし、同位和音というのは元々複調由来の見渡しで生じている由来なのです。それで同主調の音脈を使っている事実に何等変わりがないのであります。同位和音という状況を見抜けない事は、上方の倍音の響きに均されてしまった事に依る誤った体系化が招いた音楽観なのです。

 例えば、同位和音であるならば両者の調性に依って得られる7度音が「短七度と長七度」が併存しているケースも孰れは視野に入る事になります。にも拘らず、ジャズ界の狭い考えだと、コード体系ありきで考えてしまう嫌いがある為、短七度と長七度が併存する一義的なモードとなると、自身が相当深い所まで楽理的知識を会得しない限りは、基底和音の響きを損わない程度の体系に収まった解釈として耳も一緒に均されるので、音楽観が既知の狭い体系に歪曲させられてしまい、自身の感覚の外にある体系を是としなくなってしまう様になるのです。

 しかも、ジャズは音楽面に於いて殆どと言っていい程成長しておりません(笑)。体系ばかりが整備化され、その体系はジャズ的な「唄心」が無くとも体系に準えてそれに則ってそうするだけでジャズを演じる事ができる方法論ばかりが整備化されました。その体系を利用するだけで良いという皮相的なジャズが蔓延ってしまい、体系をほんの少しでも覚えればジャズっぽい音を得られる事が、体系をほんの少し理解した程度のパンクスの兄ちゃんにも可能になってしまった状況に於て、ジャズとやらが増々発展しなくなっている状況に歎息するのは言わずもがなです。

 ◯○のコードの所ではオルタード・スケールが合うから使うだの、楽理的背景を知らずに用いる。マイク・スターンだってジョン・スコフィールドだって、背景のコードに♯9thか♭9thを使っている様な状況で、スケール・ライクに♭9と#9を順次進行的に使う事など多々有ります。例えば背景に♯9を用いたコードがあったとしましょう。♭9を和音として#9と併用しないとはいえ、何故横の線で♭9を使うの!?という事に疑問を抱く人は居ないでしょうかね。

 どんな局所的な状況であっても、「和声的」(※和音という意味ではない)には横の線で♭9thを使っている状況だとしても#9と♭9が併存した状況に変りはないのです。然し和音としてそれらを併存させる事は先ずない(本当は少ない乍らもあるが)。それは何故か!? 解釈がその辺の体系と異なるから使っているのでしょうが、体系に肖るだけの多くの連中は便利だから使っているだけに過ぎないでしょう(笑)。感覚が要求した物ではない。教科書ガイドに答がそう載っていたから使っているだけの様な輩の「乍らプレイ」でしか無いでしょう。


 ジャズ界に於ける、オルタード・スケールを「使ってしまった」という状況を、私は「卑近なアプローチ」としてしか判断していません。仮にそれがどんな名うてのプレイヤーであったとしても、です。


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 結果的に同位和音を包含する構造となっているのは、例えばイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の「Nice Age」のイントロの硬減七和音(根音・長三度・減五度・短七度)分散和音フレーズも、先述の様な平行調の長・短双方の同位和音の音脈を掠めた物とも捉える事ができますし、緊急地震速報で一度有名になった伊福部昭の息子さんである伊福部達の作った所謂「シャープ9th」の分散和音(根音・長三度・完全五度・短七度・増九度)のそれも結果的には同位和音の音脈を利用した物と考える事が可能です。緊急地震速報については『ゴジラ音楽と緊急地震速報』筒井信介著ヤマハミュージックメディア刊に詳しいのでご参照あれ。但しそちらの著書では減七の和音の和音記号を「dim」としており、尚且つ減七度の同義音程である長六度由来で表記している処があるので注意されたし。話を本題に戻します。


 とはいえ両方の曲の作者の意図は亦別の所の発想で曲を捉えている可能性もありますが、多義的に解釈すればこれらの様に見立てる事は可能だという事でもあります。即ち、同位和音に依る音脈とは色んな所に存在し、高次に不協和に鳴る音として使う事もあれば、同主調の音脈としてそれこそピカルディ終止の様な例とてある様に色んな所に同主調の音脈はあるものです。そうした所から音脈が発展している事を思えば、複雑な音でも音脈のヒントは存在する訳です。耳が習熟される程その高次な音脈への理解は増すものだと考えます。


 音楽というのは習熟度を高める程機能的な枠組みよりも奇を衒う類の響きへの理解を深めます。私が此処の所機能性から少々外れた所のドミナント和音の多義的な解釈などに力瘤を蓄えて語っている所はそうした所に狙いがあるからです。音楽的な習熟度がいつ高まっているのかという事には無自覚であっても、下属調短調への音脈というものをスンナリと受け入れられるという事は、多くの人がオカルト扱いして避ける表現である下方倍音列と同じ音脈を既に相容れているというのが実際なのです。