SSブログ

旋法の暗喩 スモーク・オン・ザ・ウォーターを侮るな [楽理]

 扨て、「和音外音」は和声外音・非和声音とも呼ばれますが、私はそれらの語句の嵌当に於いてどの語句が相応しいのか!? などと一義的に捉えてはおりません。それらは結果的に同じ意味を指す名称であるに過ぎず、他に意図する物などなく言葉が充てられているだけに過ぎないからというのは深読みせずとも理解に及ぶからであります。


 音楽周辺の事を学ぶにあたって、多くの事を覚える事が苦痛でしかない者にしてみればひとつの語句で統一見解とやらにありつきたい物であるかもしれませんが、ひとつの事を多角的に見る事はとても重要な事で、その多角的な見解から生じた僅かな語句の違いに足をすくう様な行為は単なる揚げ足取りに過ぎません。言葉の僅かな違いを見付けられるのであれば、なにゆえ音の僅かな違いをも言葉以上に感じ取らないのか。音楽以上に言葉に拘ってしまうそれは、正に愚かな連中の憫然たる姿のひとつであるとも言えるでしょう。

 なぜなら、多くの事を覚える事が苦痛なので体系的に纏める事を是としてしまう類なので、音楽という多様な性格のものに一義的な捉え方をしてしまう事がそもそも誤った姿勢であるとも言える訳です。長和音を聴いて短和音だと思え! だのと強要されているならまだしも(笑)。


 和音外音は、その名の通りの池内友次郎著『和音外音』(音楽之友社刊)に詳しいのでありますが、同著に倣うと次の様に分類されております。

掛留音(Retard)
倚行音(Appoggiature)
先行音(Anticipation)
刺繍音(Broderie)
経過音(Note de Passage)
逸行音(Echappée)
保続音(Pédale)


 扨て、和音外音というのは非和音構成音なので、そうした音がどのようにして和音構成音という骨格にまとわり付いているのか!? という事が判れば宜しいのでありますが、例えば1・3・5・7度という構成音を持つコードの「和音外音」は2・4・6度の音度となる、というのは前回でも語っていた所です。仮に和音がトライアドの形=1・3・5度の構成音ならば、その和音外音は2・4・6・7度にもなるという訳です。

 極言すれば、和音構成音 + 和音外音 = ダイアトニック(ヘプタトニック)であるのです。ヘプタトニック=7音構成音列というのもキモですが、調性が薫って来る類の音脈というのは某かの教会旋法または短音階の変種(和声的&旋律的短音階)に括られる事になるでしょうが、以前にも語った事のあるナティエ著『音楽記号学』において多数の作曲家に依るトリスタン和音の解釈を今一度思い返すならば、弱勢にある和音外音であろうとも和音の一部というラモーの提唱する言葉が爰に漸く重要性を持つ事となるので、決して一義的に「調性」を判断する事のできない多義的な解釈を生むという事になるのは先にも語った通りであります。


 とはいえ、ディープ・パープルの「Smoke on the Water」のイントロの様なベースの第7音と主音との間をクロマティックに連結するそれを、和音外音とヘプタトニックに更に1音を加える音脈と捉える様に考えてしまうのは馬鹿気た事であります(笑)。茲で現れるベース音(f音とg音を紡ぐfis(=F#)音)のそれは「経過音」なのであります。しかし、今回話題にするのはそんな處ではありません。

 略称(蔑称!?)「スモコン」=スモーク・オン・ウォーター(以下スモコン)とやらは、いわばバンドを初めて遣る時に初心者が合わせやすいという類の知られた曲で、テンポも良い具合に緩く、各奏者の手数も抑えてある曲なのですが、余りに有名になってしまったその曲に、いつしか誰もが卑近に感じる様になってしまい、ド下手が遣る曲の象徴とも捉えられてしまいました。楽理的に見れば追究すべき点は非常に多いにも拘らず、この有り様です(笑)。

 卑近に思えてしまいそれを遠ざけてしまう嫌いがあるのは、ロックという反体制であるカウンター・カルチャーの生き様を己のライフ・スタイルにも投影しようと摸倣するのがロックへの憧憬の姿です。然しそれが余りにも卑近に思えてしまうと、体系に寄り添う事と等しく、ベタに思えてしまうので己への箔附けが多数に埋没する訳ですね。ですから忌避する風潮が生じてしまうのです。ですからいつしか……!?

スモコン→初心者がやる曲→ダサい 

となってしまった訳です(笑)。哀れなスモコン、可哀想で仕方ありません。


 扨て、私が口角泡を飛ばして迄慫慂したいスモコンのそれは、Bパターンに現れる、コードで言うと「C△→A♭△」の部分です。「Smoke on the water〜♪」という節で歌われている部分ですね。

 この曲はト短調(=Gm)なのですから、サブドミナントはCmであってもおかしくはないのですが、同主調のサブドミナント=C△にさりげなくモーダル・インターチェンジを行っている訳でもあります。勿論スモコンはそれ以前にイントロのリフに主音から三全音のD♭△を忍ばせるのが特徴の一つでもありますが、本当の魅力は茲で取り上げるBパターンにあるのです。

 扨て、そのBパターン冒頭C△の後のコード。これは異名同音としてG#△を充てている所も多いですが、主和音Gmに進行する事を思えばG#ではありません。A♭である可きです。

 そういう訳でC△→A♭△と進行する訳ですが、A♭の時にコーラスはF#音でハモっている訳ですね。これは決してA♭から見た短7度音としての音のG♭音ではなく、A♭から増6度音として現れるF#音と解釈するのが最も適確である筈の音なのです。

 短七であろうが増六であろうが、コーラスがこの音を採っているのは非常に好感が持てる所です。然し、茲での(=A♭△)コード上にて現れる音は決して七度音ではないのが重要であるのです。響きだけを耳にすれば、そこで生じる和声的な世界は恰も「A♭7」のサウンドと同様に聴こえるかもしれません。然し、背後に聳える主音=G音という調性の残り香(余薫)が強烈に感じ取る事は初めて本曲を耳にする人であっても、元々から在る主音の存在=G音を感じ取っている筈です。


 初歩的なモード奏法の心得しかない人がモード想起すると、ノン・ダイアトニックのドミナント7thコードとして理解しかねませんからA♭ミクソリディアンを充ててしまうでしょう(笑)。勿論、このモードを充てても外した感は少ないかもしれません。が、しかし、A♭ミクソリディアン=A♭・B♭・C・D♭・E♭・F・G♭という音列は、本来在っていい筈の余薫など全く無く忘却の彼方に葬り去る嵌当となってしまうのです。

 換言すれば、ソロを取らせる時にここでA♭ミクソリディアンを充ててしまおうものなら、G音の強烈な余薫など微塵も感じ取らせてくれない訳ですから、曲を軽んじた、単なる可も無く不可も無い音を選別しているかの様な音を奏する可能性を孕んだ音列を選択している事になり、実に拙劣な選択である訳です。


 更にもうひとつの悪しき例。これはA♭リディアン・ドミナント7thスケール次の譜例ではA♭△というコードに対してコーラスが短七度音を歌っているとする場合。勿論これだとG音の余薫はなくなりますので、やはり和声的に「G♭音」として見るのは拙劣であるのです。とはいえA♭ミクソリディアンを充てるよりも悪くはないのは、D音の「余薫」を残しているからですね。

 A♭ミクソリディアンを充ててしまうのが「ワースト」という例なのは、G音の余薫は疎か、原調=ト短調にある属音の余薫をも忘却の彼方にしてしまう点。つまり、本曲のイントロでのリフ「減五度」のD♭音を曲の最大の特徴と捉えて拘泥してしまい且つ、G音の余薫も葬り去るという例であります。


 A♭リディアン・ドミナント7thが「ワース」である例は、少なくともト短調の属音の余薫が残るからです。とはいえ、初歩的なモード奏法だと、孰れのモード想起も往々にして起り易い悪例なのであります。この手のモード想起程度しか及ばない人が、原曲のリフも稀薄化させて、こうした解釈で延々ソロを取らせると原曲の雰囲気など微塵も感じさせない音並びしか奏さない、非常に思慮の浅い音のそれに、原曲を深く識る人ほど唾棄したくなる程の遠い脈絡の音を使って来る様に感じてしまう訳であります。

Smoke-on-the-Water01.jpg


 ではどうすれば良いのか!? コーラスの歌う音はG♭音ではなくF#音と解釈する事が最良の方法なのです。F#音はA♭音から数えると6番目の音であり、それは「増六度」なのです。つまり、七度の音が「暗喩」として秘めた存在になる訳です。つまり増六度と主音との間隙に聳えるのは「長七度」しか有り得ない事になり、つまり、増六度・長七度を持つ旋法の想起を念頭に置かなくてはならない選択を強いられる状況にあるのが、スモーク・オン・ザ・ウォーターのBパターンなのです。それが次のGナポリタン・マイナー・スケールの第2音のモード・スケールを想起したものです。

Smoke-on-the-Water02-ba638.jpg


 そうした増六度と長七度が齎す世界観を実感するには次の様な譜例であれば、調号が示す調所属(ト短調)と上声部のその旋律の動きが能く表している様に聴こえる筈でしょう。これは勿論私の単なるアレンジです。

Smoke-on-the-Water03-dbc0b.jpg


 増六度と長七度を実感する好例として以前はジョン・エサリッジに依る「Putting Out The Bish」を引き合いに出した事もあったのでブログ内検索をかけていただければすぐに当該記事を拾ってこれるかと思いますが、あちらの曲想は少々小難しいと思いますので、今回の例の方が遥かに判り易いと思います(笑)。


 ジャズをやっている人が周囲に居られる方に今一度Smoke on the Waterの当該部分にジャズメンはどういうモード想起をするのか訊いてみたらよろしいでしょう。今回出した悪例のモード想起をするジャズメンが居たら即刻見限るべきです。そういう人から学べるものはありません。エセですので、ね。


 とまあ、今回声高に語りたかったのは、背景に感じ取る事の出来る「余薫」。コレというのは、たかだか経過的に登場する経過音と思ってやってしまっている處から強烈な香りを放つ事が往々にしてあるのです。つまり、ジャズ/ポピュラー界隈の人はモード想起をする際、一義的な調性感の捉え方をしない事の方が多く(メジャー・キーのトニック・コード上でもリディアンを充てる事など珍しくもない)、そうした際、モードを多義的に捉えているのであれば、嘯いていれば何でもアリ、という拙劣な状況を生む事もあるという事を知ってもらいたいが故にこうして例に挙げている訳です。

 和音構成音以外に現れる和音外音は、どのようにして存在しているのか!? また、単にモードを嘯いているだけではない支配力のある、経過音の様であって経過音ではない存在など、そうした点をもう少し掘り下げて行ってみようかと思います。