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9・11・13の和音の補足 [楽理]

 扨て、旧来の和声学から学ぶ一つとして前回取り上げていた、九の和音には第四転回形はないという風に付記している事ですが、機能和声社会での旧来からある和声学は四声体で取り扱う事を基本とする為、九の和音となるど自ずと五声体となるので、限定進行音という括りにならない自由な取扱いとなる第5音というのは通常省略される事を前提としているという事を把握しておかないといけない側面であると思います。


 ジャズ/ポピュラー音楽から入る人からすれば、そうした限定的な制限など無く、ほぼ自由な取扱いで和音を駆使しますから(アヴォイド・ノートの取扱いの制限はあるが)、いきなり西洋音楽方面の体系を押し付けられる様でもあり、大半の世俗音楽にある者は、こうした部分と現実の音楽との埋める事のできない実態に矛盾を感じてしまい結果的に自由度の少ない西洋音楽方面を軽んじてしまう嫌いがあるのも理解できなくはない部分であります。

 西洋音楽方面でも「異端」とも呼ぶに相応しい程の和音を取り扱っている物はありまして、例えば物部一郎著『創作和声』(音楽之友社刊)の「合唱和声」の章を読めば、ジャズ/ポピュラー界隈にある者も深く首肯する事でしょう。物部は9の和音に於いても第四転回形を充てておりますし、13の和音でも第六転回形を充てております。

 最も深く首肯すべきは、全音階の総和音と成り得る13の和音の進行(和音連結)に於いてV→VIを取り上げて詳細に語っている所であります。『創作和声』最大の醍醐味のひとつでありましょう。

 以前にも述べたように、アルノルト・シェーンベルクが自著『Harmonielehre』(英訳「Theory of Harmony」和訳「和声学 第1巻」[山根銀二訳「読者の為の飜訳」社]※完訳ではない)にて述べている事、それは、V→IVという偽終止はV→VIの置換であるという重く響く言葉ですね。これこそが機能和声がその後発展する(無調・12音技法の為の発展では決してない)為の用法を端的なまでに語ってくれている訳ですね。

 属七の和音という長三和音+短七度音程の構造を持つそれは、上方倍音列とほぼ同等に扱われるものですからその響きはどしどし高次な倍音に依拠する物として捉えられ、積み上げが発展するのでありますし、これはジャズにてオルタード・テンションが散々もてはやされる事を思えば大いに頷ける側面でもありましょう。

 西洋音楽とて属七が主和音へ解決しない、和音の色彩的な響きを重視して用いられている事も珍しくはないのでありますが、機能和声を厳格に取り扱う所では、こうした側面を教わる事はないでしょう。和声を学ぶ事と音楽の現実を自身の器楽的習熟力というテーブルの上で、己が理解しやすい様に周囲の実在する音楽を曲解したり、理解可能な範囲のものしか聴取できぬ習熟力のままであってはいけないと思う訳です。こうした側面を鑑みれば、ジャズ/ポピュラー音楽界隈にある人達の方がとても柔軟に現実を受け容れている事でしょう。

 因みに、国内刊行されているシェーンベルクの『和声法』(音楽之友社刊)は、先のHarmonielehreの訳本ではなく、別物ですのでその辺りも併せて注意されると良いでしょう。この件に関しては私自身Twitterでも呟いていた事がありましたので、機会があればそちらも参考にしてみてもらえれば幸いです。


 肝心な部分は、多様化する和声的な響きを各自がどのように吟味していくか!?という部分であり、V→Iばかりに拘泥してしまう和声感を生じてしまう様では、ブルースの世界ですらも、それこそ中心音の振る舞い方ひとつで属七和音の振る舞いすら変えてしまう在り方すら相容れない様な感覚を作り上げてしまう様なものです(笑)。よもや「お家のピアノ、古典調律ですか!?」と心配し度くなってしまいます(笑)。

 属七の多義性とは、そういう部分をも意味する物だったので、今一度あらためてそうした多義的な性格の方面をきちんと理解を深めてほしいと思わんばかりです。