SSブログ

6thコードの真の取扱い方 [楽理]

 扨て、これまではドミナント7thコードの「多義的」な部分を語って来た上での2014年度の音楽関連書籍の書評となった訳ですが、話題は逸れたとは雖も、其処彼処に音楽関連書籍の書評に相応しいコメントを付したと思うので、読み手の方の興味が殺がれる事の無い様に配慮した積りでありました。そこで今一度ドミナント7thコードという物を語って行こうかと思います。

 6thコードの取扱いについて手短かにアクセスしたい方はこちらにアクセスしていただき、更にリンク先記事の偽終止の件をもお読みになる事を推奨します。



 ドミナント7thコードとは、長音階および短音階の音階固有音(※短調の場合自然短音階=エオリア調組織以外の導音を伴う短音階の種)の内の5度音に相当する上属音を根音とする三度累積構造の四声体という七の和音として構築される物で、それを「属七の和音」と呼ぶのでありますが、機能和声の枠組みではこうした「一義的」とも呼べる捉え方がされるものです。そもそも機能和声の初期での短調の仕来りは属和音の後の主和音は長和音に変化するものでしたが(笑)。




 ドミナントという言葉は「支配的な」という意味がありますが、オクターヴという絶対的な音程から「支配的」と呼ばれるその音程で割譲してみると、上に完全五度を形成するものと主音から下に完全五度を形成する2種が生まれる事になります。

参考:プロシード英和辞典〈支配する、威圧する〉 アドバンスト フェイバリット英和辞典〈支配的な、最有力な、権力を握った、優勢な、主要な〉 研究社新英和大辞典〈支配的な、最も有力な、(最も)優勢な〉※詳細な音楽用語例有り 研究社リーダーズ英和辞典〈支配的な、最も有力な、優勢な、優位を占めている、顕著な、主要な〉 オーレックス英和辞典〈支配的な、優勢な、権力[権勢]のある、最有力な〉 Oxford Advanced Learner's Dictionary〈most important, powerful or prominent; dominating: the dominant personality in a group〉

 もちろんこの絶対的なオクターヴという音程を支配的な音程が割譲し合うそれは、絶対完全音程を砕いて2つの完全音程が生まれたと見る事が出来、主音から上方五度に形成するものを上屬音、主音から下方五度に形成する音を下属音と命名される事になり、それが現在ではドミナントとサブドミナントと謂れているのでありますね。

 ですから完全音程というのは、単音程の最果てである(完全)8度音程とそれの転回である1度と完全五度と完全四度にしか適用されないのです。無論、純正完全音程に依る五度以外の完全五度は本当は不完全である筈で、そうした不完全な状況と純正な音程との意味の乖離からそれを「長五度」と呼んだりして揶揄するケースも稀にあったり、果ては精度を欠いた音楽理論関連の話題にて特に旧い物の中に稀に見る事があったりしますが、純正音程でなくとも平均律や中全音律、ピタゴリアンでも完全五度というのは純正音程を指すものではなく、その音律に則って生じている五度音程の事であるというのはあらためて念を押しておきたい部分でもあります。
(※仮に、純正な音程ではない不完全な五度音程を厳密に区別したいのであれば、それが特に十二等分平均律での「完全五度」は不完全な五度であり、厳密には不完全な近傍値である減音程の類にすぎないものの、これらの音律を語る世界において「不完全五度」という名称は既に他の体系にて、"small fifth" (27/40)や、その近傍値を表す体系で使われていて、それらは本来なら明確に区別するために「小五度」と語句を充てるのが精確であると思われるが、こうした謬見とまでは言えない例が実際には多くあるため、凡ゆる方面に配慮し、こうして注釈を併記する事にしております。)

 ドッペルドミナントつまりドミナントへのドミナントという言わばセカンダリー・ドミナントというのも実際には存在します。つまり属音上ではない「他調の拝借」行為とも見られる長三和音+短七度音が付与されるタイプの和音は属音を根音とする以外にも生まれる様になります。つまり、ドミナント上に生ずる長三和音+短七度音の和音だけがドミナント7thコードと呼ぶものではないという事が生じますが、これはドミナント7thコードが自身の和音の性格を変更した物ではなく、あくまでもセカンダリー・ドミナントという体系は、ドミナント7thコードが包含するトリトヌス(=トライトーン)を最大限活用して和音進行の転がり勾配を附けているものであり、「長三和音+短七度音」の和音が持つ多義性とは少し違った見方の多義性であります。


 とはいえドミナント7thコードというのは和音の捉え方としての一義的な考え方としては、

「Iに解決するための属音上に生ずる七の和音」

というものと

単なる「長三和音+短七度音」

という構造の二通りがあるという事を念頭に置く必要があり、特に前者の一義的な理解にばかりに拘泥してしまうと考え方も硬直化しかねません。

 ドッペルドミナントという考えも「Vに対するドミナント」なので他調の拝借をする事でその進行そのものは和音の性格をそのまま使っているものであり、同様にドミナント7thコードに包含するトリトヌスの異名同音を代理和音として(=通称:裏コード)使うそれも、多義的な考えではなく、一義的なドミナント7thコードの解釈に基づく考えに則って生じているだけの事であります。


 その一方で、ドミナント7thコードとは長調&短調共に属音上に生ずる和音の事のみを指すのではないか!?と思っている人も少なくないかと思いますが、「ドミナント7thコード」という名称は、属音を根音とする和音の意味以外に、長三和音(メジャー・トライアド)に短七度音を付与する物としての体もあるので、属音以外に現れるセカンダリー・ドミナント或いは臨時的に発生した「長三和音+短七度音」の和音はドミナント7thコードではない、とするのは誤りです。ドミナント7thコードという名称が既にそうした「一義的」な側面を超越しているとも言えるかもしれません。ただそのような名称に対して難癖を付けるかの様に言葉尻を捉えてしまっても宜しくはないとは思うのですが、今回語る一義的 or 多義的というのはそんなちっぽけな点ではありません。


 これまで語っていたドミナント7thコードの「多義性」とは、四度進行をしない、つまり動的な進行のないドミナント7thコードの事を語っていた訳でした。

 四度進行或いは同義音程を持つ和音に異名同音的な進行(エンハーモニック・トランスフォーメーション)をするという進行以外の「静的」な振る舞い、これこそが多義的なドミナント7thコードの振る舞いなのです。

 
 その多義的な振る舞いというのは、メジャー3rdの響きを具え乍ら七度は長七度を許さず、短七度から根音に進む、というような「全音」の順次的な線を醸すか、若しくは長六度と短七度の「半音」というこれも順次的な線を伴いますが、前者と後者の振る舞いが共通するのは根音 or 6度の音を強調しようとする振る舞いではなく、「七度」あっての世界観が強調されている事で醸し出されている音の情感が、背景のメジャー・トライアドと組み合わせになっているという状況なのです。

 更に、メジャー3rd音を醸し乍ら、3度の音は更に半音下がった音が同時に発生する世界を許容する。つまり本来なら短十度扱いである筈の音は、オルタード・テンションとして括られる「#9th」というイントネーションを時たま生ずる情感がごくごく自然にやり取りされる、というのが特徴なのであります。こうした世界観でG7一発という状況だとブルース的解釈ならばこれは「Gメジャー・キーであり乍らのGミクソリディアン」つまり変格旋法が起こっている世界観を意味するものなのですね。


 G7が四度進行の解決の為に存在するだけの一義的な役割としてしか理解しなかったとしたら、調所属が何にあるかも判らぬ単なる和音だけを聴かされる状況で鳴らされるG7という和音がC7へ行ってD7を経由してG7に戻る!(←ドミナント7thコードという和音が総じて何らかの和音に解決する為の音としてしか聞こえなかった場合、ドミナント7thコードに「戻る」というべクトルが働かなくなるという隠喩で「戻る!」という言葉を使っています)という進行に何の調性を薫らせるものなのか!?という疑問が生じます。

 こうしたブルース/ジャズ的な語法に慣れていない人でも実際に先の和音進行を聴けば、そこに和音だけしか奏されておらずとも中心音としてどうあるべきか!?という音を脳裡に映じて調性感を伴わせるものなのです。しかしこの進行に於ては機能和声で言うような厳格な仕来りなど無いのです。こうした例の様な多義的ドミナント7thコードというのは、機能和声方面での近親調(属調や下属調など)に進もうとするよりも、二度や三度の平行進行が強く情緒の挙動が起こるのも特徴の一つともいえます。

 つまり、こうした多義的なドミナント7thコードの振る舞いは所謂ブルース/ジャズが重用して来た響きであり、長和音という基底和音の余薫を利用し乍ら「7度音周辺」の音を使って線的情緒を活用していくのですが、この7度音は根音にぶら下がろうとする挙動ばかりではなく寧ろ、6度方面に移ろいを見せたりし乍ら7度音として独立して「硬く」響かせようと振舞うものです。つまり6度を強調しようとする事で7度音と「和声的共存」が起こると6度は13度音としての挙動が生まれる事を意味します。



 西洋音楽での和声学では13度音がメジャー・トライアドに対して突発的に13度音が生まれる事はありません。1・3・5度から13度音が生ずるには7・9・11度音もそこに在って然るべき、という考えから和音の累積は起こる訳です。では同義音程となる付加六度は何を意味するのか!?という事なのですが、例えばそれは下属和音で考える事であったのですが、つまりハ長調という調域にてF6というコードの付加6度音は何を意味するのか?という事を意味する物であって、この6度音=d音(ニ音)が後続和音に向けてe音に進む為の動作だという事はメジャー6th和音としての真の振る舞いである事を識るのが肝要です。つまり、後続和音が何であれ、f音から見た時の7度方向に6度音が進む為の音の出来《しゅつらい》を暗に示しているのが6thコードなのです。

 
 ですから、ハ調域で在り乍ら突如E♭6とかA♭6とか在った場合、前者の6thコードでのC音は後続和音のdes および d音に須く「行かねばならない」表記でありまして、仮に「E♭6→F7」という進行でしたら先行和音はE♭6である必要が無いのです。何故なら後続和音のF7にdes音もd音も付与されていない和音なのですから、そうしたらE♭6の表記はCm7で充分なのであります。A♭6も同様で、この6th音がA♭から見た七度方向に後続和音に対して進むべき「道標」なのですから、後続和音がgesおよびgという音を和音として包含していなければ6th音の表記をするよりも同義音程和音の方を表記するべきなのです。6th和音の表記を無頓着に使う人がおりますが、付加六度の振る舞いは実は機能的には自由度はあるものの、その6th音が後続和音に動くそれは一義的に捉える必要があるので要注意なのです。


 6thコードのそうした理解を前提にすれば、少し以前にも語ったチック・コリア・エレクトリック・バンドの2ndアルバム『Light Years』収録の「Flamingo」のコード進行をあらためて確認すれば自ずと理解が深まる事でしょう(※「Flamingo」内で使われるコードは特殊で重要な用法と表記が為されているので、興味のある方はブログ内検索にて「チック・コリア Flamingo」と入力してもらえれば、私の当該記事を幾つか拾って来れます)
Flamingo_ChickCoreaEKB.jpg






11LightYears.jpg


 つまり、コード譜例に見られる4小節目3・4拍目の和音「B♭6」に自ずと注目せざるを得なくなる訳ですが、B♭6というコードは、この和音を形成する同義音程和音となる「Gm7」と構成音自体は変わりはありません。大抵の教え方としては基底音=ベース音がG音かB♭音でコード表記が変わる、という程度にしか教わらないはずです。私がチック・コリア本人に確認した訳でありませんが、チックの狙いは単なるGm7(on B♭)という風に3度ベースにしたいのではなく、その3度ベース表記が単に6thコード表記を誘発するものでもなく、

B♭音から見た7度音つまり、「A音かA♭音」が、B♭6というコードの6th音が何等かの後続和音の構成音であるA or A♭音に進む為の表記

 であるが故の配慮なのです。このコード進行は一応4小節循環形式になっているので、B♭6は一旦トニックのDm7に戻ります。つまり、Dm7が「A音」を包含しているというのはお判りですね!?つまり、後続和音がA音かA♭音を持っていないコードに進んでいる場合は、B♭6という表記は通用しないのです。

 仮にB♭6からCm7へ進むとしたら、B♭6というコード表記そのものが無智な表記だという事を表しているのです。なぜならCm7には先行和音B♭6から見た7度方向の音「A音 or A♭音」を包含する和音ではないからです。どうしても後続和音のCm7を変えられないのであれば、先行和音であったB♭6は初めてGm7 (on B♭)という表記に収まって然るべき表記なのです。しかし、6thコードの本当の意味を知らない者からすれば

「Gm7 (on B♭)はB♭6だろ!? バカじゃねーのコイツ。」

という風にしか理解が及ばなくなる為、そういう事をきちんと知っておかないと後々色んな所で恥をかくことになりかねないので注意が必要なのです。とはいえ、こうした6thコードの重要な部分、おそらく現今のジャズ/ポピュラー界隈の理論書は教えていない事でありましょう(嗤笑)。

 B♭6というコードは、6th音が7度方面に進む為に「誘っている」道なのであります。サッカーではありませんが、此処に少しスペース空けておけば相手は使おうとするだろ! みたいに考えれば良いのです。B♭6は、自身の7度方面を後続和音の為(=和音外音)に次の音が使える様に敢えてスペースを使わせようとして、そこに間隙《かんげき》を縫う様にして音脈を実際に使う訳でして、態々音自身は6thという緋毛氈(=レッドカーペット)を自身の為に用意をしている様なモノですね。「次に進むべきはコチラですよ〜」みたいに。


 そのような前提の理解があれば、6度と13度が突発的に現れる状況というのは「不自然」である事を覚えますが、ブルース/ジャズの場合は和音が「素直な響き」に溶け込んで行く様な進行ではなく逐次響きの硬さを要求しているので、その都度生じる和音はまるで、孔雀の羽根や玉虫色の様な色彩を伴った和音にすら思えるかもしれません。この「和音の仰々しさ」があって然るべきなのがジャズなのであるので、ジャズとはそういうものなのだと区別して考えればいいのです。属和音の進行も一義的ではない。ただし、メジャー6thの充て方だけはきちんと覚える必要がありますが、これを教えているジャズ/ポピュラー系の本は私の知る限りでは無いのが残念です。

 とはいえ13度音の出来というのは例外もあります。つまり11度音が無いのに長属九に付加六というつまりジャズ/ポピュラー形式のコード表記ならば「○7(9、13)」という型。これはラヴェルが多用した事でも知られている様に、11度音の累積を待つ事のない用法もあるというのも西洋音楽方面からの歴史としては知っておく必要がある物です。


 西洋音楽の機能和声というのは通常四声で遣り取りされるので、五声体の和音を取り扱う際は、結合差音の重複が起こり易い和音の5度音を省略するという慣例があります。この「五度音」は差音としての重複も起こり得る、和声的明澄度を「濃縮還元」するかのようにするので省略される訳ですが、それ故限定進行音としての束縛が無いので省略される訳です。とはいえ何時でも省略していいというものではなく、六声体も扱う様になればそれこそ上と下との「ポリ・コード」的性格の為に使われる事もあるので、総じて省略して良いという物でもありません。

 仮にエレクトリック・ベースで四声体の和音を奏すると企図した場合、特に九の和音を奏する場合は、それが属九であろうがメジャー9th系であろうがマイナー9th系であろうが、5度音を省略して奏する事が和音の明澄度が上がるのはすぐにお判りになる事でしょう。その省略する5度音がハーフ・ディミニッシュト9th(=ハーフ・ディミニッシュ+長九度=マイナー9thフラッテッド5th)での5度音で無い限りは能く判る事でありましょう。


 五声体以上、つまり九度以上を積み上げた体であるにも拘らず7度音が省略される事も稀にあります。

 これは実は7度を多用するジャズに於ても「稀に」生じます。概ね7度省略が起こるのはオルタード・テンションを用いる時の取り扱いの時が多いのですが、こうした「7度」の省略は、ジャズ方面では和声的な響きとして7度音が暑苦しいだけであり、局所的なモード示唆のために7度音をコード上に付与しているというケースが殆どです。

 つまり、G7(♭9、#11)という和音表記において7度音を省略して弾くという事は、実際に響いている「和声的」な響きに於てg、h、d、as、cisとして弾かれてf音が省略されている訳ですが、モード解釈の為に7度音が配されるという事はあるのです。機能和声的な枠組みではG7系の和音が出現している以上、それ以前の調的な示唆が在りますが、ジャズの場合というのはあらゆる局所的な調所属変更の解釈で生ずるので、G7系のドミナント7thコードがハ長調由来の物ではない「多義的」な属七の和音の類と考える事が必要になってくるので、「Gミクソリディアン」ばかりを想起していられないモード想起が生ずるのです。

 ドミナント7thコード系の和音である限り、7度音は「短七度」な訳ですから、近似的なモード示唆が楽になる訳です。この和音が一義的でない以上、Gミクソリディアンという限定的なモード想起ばかりではなく、態と短旋法的な世界の由来からの音を呼び込んでリディアン・ドミナント7thを充てたり、大多数の人はオルタード・スケールを有り難がって充てたりする事でしょう。


 とはいえ7度音を省略する事に依りそうした響きの特性は、下声部に「G△」上声部に三全音離れた「C#△」というポリ・コード(≒バイトーナル・コード)の響きをより一層強く示唆するものとなるので、一つの例としてはそこに和声的にではなく経過的な横の線(=フレーズ)としてf音が両者の和音を「紡ぐ」様に生ずる世界観を俯瞰した、示唆的な「表記と実相」とも言えるのです。この「実相」とは、7度音が附与されるとドミナント7thコード系の和音としての「暑苦しさ」が出てしまう7度音が齎す特性を排除する事で、より一層複調的な響きが見えて来るという意味での「実相」という訳です。


 ジャズは西洋音楽に比べればずっと歴史が浅いので、古い体系の解釈は西洋音楽に収斂させる事になりますが、抑も九度音というのは本来は属和音だけにして認められていなかったという歴史があるのです。勿論「add9」という付加9度ではなく、属七の出来《しゅつらい》の後に九度がある、九度音があるという事は七度もある、という世界観を意味します。

 これは音律が多様化して「均斉化」に近付けられるほど、各音程間に「贔屓」が起こらなくなる(稀釈化)される事によって生じた、上音への(=倍音)への積み上げという情緒が起こった証左でもある訳ですが、例えばハ長調域でのG9という和音のd音とa音(ニ音とイ音)という2つの音程は、純正律ではとても低い音だった訳です。この2つの音を平滑化させようとしたのがピタゴラス音律ですからね。そのピタゴラス音律からより一層均斉的になる事で、重畳しい和音の存在感は増して行ったのですが、それでも九度というのは属和音にしか認められていなかったというのが過去の歴史なのであります。

 加えて、九の和音というのはその転回形に於て、九度音が最下部に来る事はありません(九の和音の第四転回形は無い)。無理矢理にでも九度音をベースにしたいのならばそれは2ndベースという分数コードとしての「別の世界」の姿であり、西洋音楽での機能和声という仕来りで偶成的に訪れた通奏低音という状況でなければそういう解釈にならざるを得ません。

 しかし、ジャズの場合は分数コードという考えもありますし、なによりIIm7/VだのIV/VだのI△/IIだの♭VI/♭VIIだのと、色んな解釈があります(笑)。ですから、そのジャズが西洋音楽での厳格な機能和声を遵守すべし!という誹りを受けてしまう様な似非なジャズメンは、そもそもジャズで取扱って然るべきアウトサイドな音をきちんと使えていないからこそ、音階固有音や調性の重力に負けてしまって結果的に音のべクトルが古典的な西洋音楽の方を向いてしまっていて、取り扱いのヘタな人間が音楽の原理主義的な魅力に負けてしまっているからではないか!?と思うこと頻りなんですね。


 ドミナント7thコード上ではオルタード・テンションが豊富に「選択」可能な状況を生み易いので、半音階的情緒を使いこなすことが出来ます。しかし、ツーファイヴという進行において「V」というドミナント上では半音階の取り扱いが巧みになるクセに、その先行和音である「II」の処が単なるマイナー7th系のコードで半音階を取扱う音脈を持っている人は途端に少なくなるのが現状です。ここが現今のジャズの多くが歎息してしまう部分なのです。ジャズという方法論は体系化されて整備されているにも拘らず、です。


 ドミナント7thコードを除けば他の和音にオルタレーションを齎すテンション・ノートというのは通常の仕来りでは無いので(※♯11th音はそもそも短音程組織を具有する為に持ち込まれる音脈ではない為メジャー・トライアド上で生ずる#11thは厳密にはオルタレーションではありません。♭5thと同義音程として使われてはいるものの出自は全く異なる)、途端に半音階の取り扱いが制限されてしまうと閉塞しまっているだけで、取扱う為の「唄心」が形成されていないからであります。