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和音表記「dimM7」=ディミニッシュ・メジャー7thとは!? [楽理]

 扨て、前回のジャズ・アレンジに於ける譜例中にも用いた和音表記のひとつである「dimM7」というモノがありまして、これは私が以前から指摘している様に、ディミニッシュ・メジャー7thの類というのはオルタード・テンションを包含するドミナント7thコードの「断片」の姿だという事が往々にしてあるという見立ての事なのですが、決してそればかりではないという事もあらためて語っておこうかと思います。

 コード・サフィックスの側から対照させれば表記的には他にも、

dim△7
dim maj7

という表記の可能性があろうかと思います。

 但し、「△」というサフィックスを主に書いてしまうと、Googleの検索の方でうまく引っかからない事もあろうかと思ったので、タイトルでは「dimM7」というサフィックスにしたという訳です。

 余談ではありますが、コード表記に用いられるサフィックスに「△」が用いられる様に至ったのは、19世紀英国のジョージ・フレンチ・フラワーズを基にした援用であり、フラワーズは当時、長和音に限らず硬減和音までをもサフィックスとして体系化しておりました。

 硬減和音とは和音体系の側から対照させると《長三和音の第5音が半音低く変化》したものと括られますが、元々の出自として正確なのは《減三和音の第3音が半音高く変化》したものが硬減三和音の出自であります。

 とはいえ、《完全和音(普遍和音とも)= [長三和音・短三和音] 以外は総じて変化三和音なのであるのだから、変化和音である減三和音の第3音が半音高く変化したと言ってもそもそもその減三和音は何処から変化してきたのだ!?》と疑問を抱かれる人も居られるかもしれません。

 減三和音というのは、臨時的な変化を採らずとも全音階的に生ずる物です。つまり、何某かの完全和音から変化を遂げた形なのではなく、自然体が減三和音という姿です。即ちその姿とは長音階のⅦ度上の和音であり、短音階のⅱ度上で生ずる和音の姿であります。

 フリギアというのは、その旋法の第7音を上行導音として変化する事を許されなかった歴史がありますが、短音階が増二度の揺さぶりを持った新たなる音階としてジプシー音階が誕生した時、フリギアの禁忌の様に制限が加えられる事はなかったのです。これには大家F.リストの存在が大きく影響したのでしょうが、仮に [a] 音を主音とするジプシー音階を形成すると、第4音は自ずと [dis] となります。つまり、フリギアの第7音が半音上がった上行導音に等しくなり、その次点に第7音 [g] が上行導音を採り [gis] となる事でフリギアの形がフリギアではなくなった訳です。

 こうして和声的短音階のⅳ度が半音高く採られたジプシー音階のⅱ度上の和音は [h・dis・f] という事になります。これが硬減三和音の正しい出自です。ルイ/トゥイレ『和声学』にきちんと明記されておりますのご興味を抱かれた方は目を通される事をおすすめします。

 この理由は、西洋音楽がフリギアの第7音の上方可動的変化(ムシカ・フィクタ)として上行導音を認めなかった所に新たなる「ジプシー音階」という存在までを包括的に理論体系に組み込まれる事に加え当時の半音階主義(クロマティシズム)の発展に伴い、ジプシー音階のⅡ度上の和音の第3音が和声的短音階のⅡ度上の和音=減三和音の第3音が半音高く変化したものとして解釈されたのがトゥイレ/ルイの和声法の体系化によるものでした。

 ホ音= [e] をフィナリスとして存在するEフリジアンに於て [dis] という可動的変化を避けて来た西洋音楽界は増二度の組み込みも避けていたのでありますが、和声と旋法(非グレゴリアン・モードの活用)の発達に伴い [dis] を平然と生ずるAハンガリアン・マイナー・スケールのⅡ度上の和音というのは現在のコード体系では「B(♭5)」と表記せざるを得ず、硬減和音がジャズ/ポピュラー音楽でのコード体系に組み込まれなかった事からいつしか硬減和音が忘れ去られ、メジャーのコード・サフィックスとしてフラワーズのそれが単純化して援用されたというのが真相なのであります。

 本ブログの後半では非グレゴリアン・モードのひとつであるルーマニアン・メジャー・スケールについても語っておりますが、硬減和音での「♭5」というのは決して長和音上の「♯11」ではないという事もあらためて念頭に置いていただきたい所です。

 そもそも「dimM7」という和音を構成する母体の三和音というのは「減三和音」でありまして、和音の五度音は減五度という狭い音程となる事により、五度音と七度音との音程は自ずと広がる事となります。

 しかも「dimM7」というコード表記は長七度音の付与を示唆しているので、狭い方に変位(=減五度)した和音の第5音から長七度迄の第7音はとても広い音程となり、それは増三度という後掲ex.1で見られる様な状況となります。

 増三度という音程は異名同音で言えば完全四度と《物理的に等しい》音程幅となる為(※物理的には同じサイズであっても三度として取扱う事と四度として取扱う事という両者は決定的な違いがある。何となれば、「三全音」という音程サイズが物理的に示している物は増四度と減五度であるものの、全音が3つである以上本質的には四度であるのが三全音であって相応しいとヒンデミットも自著『作曲家の世界』で述べている様に音楽界にはそうした不文律があったりするものです。とはいえ、平均律が優勢となった社会に於てそうした不文律すら排除する為に、熟慮を重ねた方面では「半オクターヴ」と述べる事もあります。斯様な増四度と減五度というのは《音程サイズ》の側から眺めれば物理的に等しいサイズであろうとも、幹音を [ファ・ソ・ラ・シ] と4つで読む事(増四度)と [シ・ド・レ・ミ・ファ] と5つで読む(減五度)という風に、両者の間には決定的な違いがあるという意)、ついつい合理化して解釈してしまいそうですが、覚える事が少ない方がラクだからと言って合理的に《増三度も完全四度も一緒》の様に解釈してしまうと非常に大きな陥穽に嵌る事となります。

 知的好奇心が「恥」的好奇心と変化して、近視眼的理解に則っただけで問いと答をネット上で急いてしまう知恵袋の類の情報には今更乍ら辟易してしまう次第なのでありますが(笑)、そうした皮相的理解から真の知的好奇心とやらが惑わされぬ様にあらためて語っておこうという事もあり、誤解を招かぬ様別の側面もあらためて語る事にしたワケです。

01dimM7.jpg


 先の例で出したex.1の例はBdimM7という風に呼ぶ事ができますが、少なくとも次の様な和音体系からの断片の姿である、という事もお判りいただけるかと思います。それが次のex.2で示しているモノです。


 これらからもお判りになる様に、BdimM7というのは「G7(#9)」や「B♭7(♭9)」などが挙げられるかと思います。これらが全てではなく、他にもあるとは思いますが(※例えば上述のコードを三全音移高して派生的に生ずるコード=「C#7(♭9、13)」「E7(♭9)」etc)、ざっくりと列挙してもこういう風に例を挙げる事ができる譯でして、ex.2の譜例中のグレーで示している音が省略されていれば結果的に「BdimM7」を導く事になるのです。

02dimM7.jpg


 B♭7(♭9)だと第4音を省略して3度堆積が連続しない体としてBdimM7が成立する事となりますが、G7(#9)の場合はルートを省略しただけの、綺麗に3度堆積の連続した姿となる為、こうした世界を鳥瞰する事なく「dimM7が存在し得ない」と断言してしまうのは一体どこのどういう権威を持った者が決め付けているのか非常に殘念な思いであります。

 まあ、そもそもネットの知恵袋という物にどれだけの確度を求めているかは判りませんが、「恥的好奇心」に對しての愉快犯的アピールとそれに呼応する野次馬根性に依る即答性に依って、理解に脆弱な輩群がっているだけの遊びに成り下がっているだけの事で、實に馬鹿馬鹿しいのでありますね。

 尚、下記動画のスティーヴ・スミス、トム・コスター、カイ・エックハルト等に依る「The Perfect Date」での埋込当該箇所のコード進行は Fdim△7 -> E/D であります。同義音程和音としての解釈も多義性を秘めており他の表記としては下記の様に、

Fm△7(♭5) -> E7(on D)
E△(on F)-> E7(on D)
E/F -> E/D

などとする事ができます。因みに上掲オンコード表記でのコードに於けるベースが奏するべき解釈としては、上声部のアヴェイラブル・モード・スケールを準える必要はなく他のモード・スケールを複調的に充てるという意味を含んでおります。

※同義音程和音とは、和音構成音が物理的に同じまたは異名同音を伴いコード表記が全く別種のコードとなる物.シャイエ/シャラン共著『音楽の総理論 上巻』(池内友次郎訳)の65頁の「同義音程」の章を参照.例:「C6とAm7」「Cm6とAm7(♭5)」「Cdim7とCm6(♭5)」など

 尚、余談ではありますが私のブログに於けるオンコード表記でのベースはインプロヴァイズを視野に入れた際に上声部のアヴェイラブル・モード・スケールを準える必要がない物として、スラッシュ・コード(分数コード)表記では上声部のアヴェイラブル・モード・スケールに靡く解釈として徹頭徹尾使い分けております。ベースの遊離的な動きというのはスラッシュ・コードの型よりもオンコード型の方があるとも思っていただいて良いでしょうが、茲まで厳密に使い分けている人は実際にはかなり少ないのではなかろうかとも思います。



 FdimM7というコードの構成音は「F・A♭・C♭・E」(f・as・ces・e)でありますが、異名同音を視野に入れた「別解釈」でディミニッシュ・メジャー7thを見れば「E△/F」と穿った見立てをする事も可能ではあります。

 そうなるとすると、先のスティーヴ・スミスの「The Perfect Date」は「E/F -> E7/D」と表す方がコード・サフィックス的には綺麗なのではないか!? (※ベースだけが動いている状況)と見る事も可能とも言えますが、各コード上で「異なる」アヴェイラブル・モード・スケールを想定した方が本曲では多彩なモードでのインプロヴァイズを視野に入れる事ができ(アッパーが動かない処理でベースだけが動くという複調を視野に入れたとしてもインプロヴァイザーが単一のモード処理を施した場合卑近なモード選択にしかなり得ない)、本曲ではコード表記としてシンプルな表記で済む方を選択するよりも「Fdim△7 -> E/D」と表記した方が熟慮された表記になると言えるのです。

 こういう例からも判る様に、C♭音からB♭音というのは長七度音程であり、それの転回音程=短二度を複音程へ還元すれば自ずと短九度音程を生じ、B音(ドイツ音名=H音)からA#音というのも長七度音程なのであり、こういう事実を生じている一例までをも否定してしまう連中とやらは一体どういう所を学んでいればdimM7という体系は存在し得ないなどと言えるのか。また、こうした馬鹿げたやり取りを運営側が易々と烙印を付けてしまっている事も問題である。まさにネットの「集合恥」、此処に極まれりである。

 加えて、ジャック・シャイエは自著『音楽分析』94ページにて、dimM7での長七度を「減八度」の萌芽として解釈しており、《この和声は20世紀のものか!?》という示唆めいた表現で参考程度に取り上げておりますが、長七度ではなく減八度という解釈も確かに深く首肯し得る物です。

 なぜなら、上方倍音列だけを抜萃しても明白ですが、倍音列の16次倍音までを念頭に入れると、根音(基音)は [1・2・4・8・16] という事になり、此処に純正完全五度由来の [3・6・12] も内含されます。これらは少なくとも16次倍音までの相貌が内含させる「完全五度音程」由来となる相貌なのであり、これらの完全音程には非常に強固な因果関係を持っています。特に、 [3・6・12] を新たなる [1・2・4] として聴くと属七の体が強化されます。

※斯様に、基となる第3・6・12次倍音を新たなオクターヴ相貌 [1・2・4] という基準で捉える事を「3リミット」という風に呼ばれます。この新たなる基準が「5」「7」「11」などという風に成る時は、それぞれ「5リミット」「7リミット」「11リミット」という風にも呼ばれます。

 《七度相当は》12次倍音から見た21次倍音が自然七度ですが、これに類する22次倍音は [12:22] = [6:11] という事になり、実質的に11次倍音の因果関係は3次倍音から見た自然七度よりも近親性が近くなります。これは [6] から見た短七度より四分音高い音でもあり、同様に [6] から見た [23] は長七度よりも八分音ほど高い音が現れ、これらの微分音が十二等分平均律上で《均され》た時、実質的に「減八度」の呼び込みとして作用するのであり、減八度という因果関係がどういう示唆と含意を持っているのか!? という事はあらためて理解を深めてほしい所です。

 本曲に於ける「FdimM7」については、本記事最後の方で大幅に加筆しておりますので、興味のある方はあらためてお読みいただければ幸いです。

 端的に言えば、ドミナント7thコード上で長七度音は、そのコードが内含する三全音の半音上に相当する音なので《調的な意味》からはアボイドなのですが、新しいジャズ解釈はもとよりプロコフィエフとてドミナント7thコードを基準とした時の長七度相当或いは減八度相当の音は使われます。バリー・ハリス然り。こうした事実も念頭に置かれると良いでしょう。

 他方、dimM7という和音体系が生ずるのは、こうしたオルタード・テンションを包含するドミナント7thコードばかりではなく、複調を視野に入れた世界で生ずる事もあります。

 例えば、一般的なチャーチ・モードのひとつロクリアンという旋法は「ヒポフリギア」としての体であるので、フリジアンが変格化した旋法がロクリアンである、という理解は教会旋法を学ぶ上で大・大・大前提の知識なのでありますが、旋法面がもっと多様に変化すると、ロクリアンそのものも更に「嘯く」様になります。

 次のex.3の例ではロクリアンの体系から開始されつつも、第6・7音ではエニグマティック・スケールの断片が見えて来るような、少なくとも2つの旋法が混ざっているような状況になっていると思います。こうした体系を生ずる場合、B音(ドイツ音名=H)から音程を数えると、A#音というのはやはり長七度であり、ロ音から3度堆積をして得られる三和音は減三和音であり、減五度を内包し、増二度音程を包含する音列としてヘプタトニックが現れるものの、テトラコルドの組成においては二組のテトラコルドでは持て余す様になるため、少なくとも3組以上のテトラコルドを想起する事となるので「複調」が視野にはいる体系での断片としてヘプタトニック音列が現れている例なのであります。
03dimM7.jpg

 発現状況がどうあれ、こうした場合でも減五度を生ずる体系で長七度を発生する体系など、少し広く見渡せば存在する体系だという事を理解する必要があります。小学生の理解程度で充分な音楽的な理解で満足するのであれば、この様な理解に及ぶ必要はないかもしれませんが、それならばいちいちネットを汚す様な愚行を繰り広げてまで語る事ではありません(笑)。それにしてもFools Never Learnとはよく言った物ですね。


※誤解のないように加筆しておきますが、前回・前々回でのブログ記事中で用いているサンプル曲での「D♭dimM7」で、私は「増六度」をも用いた音使いをしておりますが、その音使いの現實と今回例に挙げたdimM7で生ずる減五度と長七度の間の例は異なります。

増六度を生じさせる場合というのは、それは「恰も」増六度の音であり他調(他のモード)由来の音を意味しますので今回の例とは混同しない様ご理解いただきたいと思います。

前回・前々回で用いている私のdimM7上での増六度の呼び込みは、モード体系に収まる「調和」の為のアプローチではなく、別の調(モード)由来の音を使っての「揺さぶり」の為の音でありまして、減三和音をベースとした和音体系ならば「減七」が登場してもおかしくは無い体系で生ずる五度と七度の増三度という音程を「砕く」ためのアプローチなのであるので、今回の例と混同されぬようお願いします。


2022年11月12日追記

 和音構成音として [f・as・ces・e] を生ずるモード・スケールなど存在するのだろうか!? と疑問を抱かれる人も少なくないかもしれません。

 なぜなら、[as・ces] という音を異名同音で解釈するならば [gis・h] となる訳ですから、そこに [e] が加わる事で「E△」というEメジャー・トライアドを直ぐに引っ張って来る事が可能であると。とはいえこうした単純な見立てというのは、調性として楽曲を解釈する上でも非常に卑近な見渡しが可能であるという状況ならばこうした解釈に立脚させるという事も有り得るとは思いますが、私は本曲の調性的な薫りは単純ではないと踏んでいます。

 加えて、私はすぐにひらめくモード・スケールを脳裡に浮かべるので [as・ces] を [gis・h] とは認めないのであります。それが次の様な「B♭ルーマニアン・メジャー・スケール」の第4モードという事になります。

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 ルーマニアン・メジャー・スケールに於ては私のブログでも過去に高中正義の「Blue Lagoon」の件で取扱った事があるので、興味のある方はブログ内検索をかけていただければ更にお判りいただけるかと思いますが、B♭ルーマニアン・メジャーというモード・スケールを念頭に置くというのは、それこそ誰もが「E△」= [E・G♯・B] という和音構成音を浮かべやすいであろうという音組織に対して《三全音で対峙》する関係でもあるので、ジャズ・インプロヴァイジングとしてクロマティシズムを強化する上でも非常に見渡しの良いモード・スケールというのがB♭ルーマニアン・メジャーなのです。

 ルーマニアン・メジャー・スケール自体が広く知られていないからこそ多くの人が本曲の様な例に遭遇すると「E△」の包含を見付けてしまうだけで、何ら難しく捉える必要はありません。ルーマニアン・メジャーはディミニッシュの包含があるにも拘らず、それを如何にも卑近な《ディミニッシュ然》たる情緒として薫らせない旋法であると捉えていただいた方が手っ取り早いかと思います。

 また、ルーマニアン・メジャー・スケールの取扱いが比較的容易になるとすれば、解釈を「リディアン・ドミナント♭2nd・スケール」という風に解釈すると、メロディック・マイナー・モードをも変応可能な様に扱える事でしょう。

 まあしかし、《おまえ、E△弾いててよ。俺らB♭ルーマニアン・メジャー弾くから》という様な状況は、同義音程を巧みに使った「複調」として捉えられるシーンでもあり、「E△」を任されていた者が気を利かせてEリディアンやEミクソリディアンのフレージングを忍ばせれば、これもまた立派な複調な訳です。ただこの場合、全体としてはそこに「B♭」音が介入して来る様にしか聴こえないかもしれませんが(笑)。

 リディアン・クロマティック・コンセプト(以下LCC)信奉者的な解釈で本曲を捉えようとした場合、おそらくは「FdimM7」を「E△/F」という風に解釈するでしょう。その上でアッパー部に生じた「E△」を属三和音と解釈しつつ、リディアンの位置が [d] にあると解釈する事でしょう。

 私の解釈はシンプルです。先の譜例に示す1番はB♭ルーマニアン・メジャーの第4モードなのでありまして、このモードからもお判りの様に [f・as・ces・e] の4音を「2・4・6・8番目」の音として確認する事ができます。

 ルーマニアン・メジャー・スケールの各音程は、コンビネーション・オブ・ディミニッシュ・スケールの断片の様に「半音・全音・半音…」という対称性のある音程構造を持つヘプタトニック・スケールでもあります。

 ルーマニアン・メジャーの音梯列を下行形の対称構造となる鏡像音程化させると、2番に見られる様なF♯ハンガリアン・メジャー・スケールの第7モードを導く事も可能となります。このモード・スケールをG♭音からの物として異名同音に変換したものが3番に示した物となります。

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 扨て、多くの人は [f・as・ces・e] という音よりも [f・gis・h・e] という風に「E△」という長三和音と [f] 音という構造を見てしまおうとすると思います。正直なところ、こうした解釈は非常に卑近であるのですが、その様な解釈の場合はおそらく4番の様にAハーモニック・マイナー・スケールの第5モードや5番の様なAハーモニック・メジャー・スケールの第5モードを見立てる事でしょう。

 こうした卑近な側の解釈が跋扈する理由というのは、取扱いがしやすいという所にあります。長三和音に対してアイオニアン・モードのみならず、リディアンやミクソリディアンを充てて調性を「嘯く」事に貢献するからでもあり、これは短三和音でのエオリアンをドリアンやフリジアンで嘯くのも同様の「変応」が容易であるからに過ぎません。LCCというのはこうした変応させる方策の一側面に過ぎません。

 先の4・5番の様なモード・スケールを想起する者が、もう少し気を利かせて6番のEルーマニアン・メジャー・スケールまで手を伸ばす事が出来れば、コチラの世界感に寄り添う事ができるであろうにと思わんばかりなのですが、「コチラ」という言葉が意味するのは実はスティーヴ・スミス等も「コチラ」なのでありまして、LCCの人達は「アチラ」なのです(笑)。奇しくもバークリー出の精鋭達(カイ・エックハルト等)がLCCよりも他のコンセプトでインプロヴァイジングを採っているのは実に象徴的でもあります。

 加えて、三全音移高させたルーマニアン・メジャーが近似させるというのも興味深い物であり、奏者は [f・as・ces・e] に対してB♭ルーマニアン・メジャーを想起する他にもEルーマニアン・メジャーをスーパーインポーズさせて [f・gis・h・e] を見る事ができるのですから、ルーマニアン・メジャーの三全音複調でも興味深いアプローチを施す可能性を示している点にも注目して欲しい部分です。

 何はともあれ、斯様にして綺麗な3度堆積として [f・as・ces・e] の4音を充填する音組織が存在する以上、「E△/F」という見立ての方を主眼として見る事が出来なくなるという訳です。普段から「Eメジャー・トライアド」など使い慣れているでしょうに、少々小難しい響きとなると得てしてこういう音楽社会観念を引き連れて来てしまう物です。


 扨て、卑近な世界観の陥穽となる側面も語っておこうと思いますが、それはLCCを前提にする事で「ルーマニアン・メジャー」など一切眼中に入れずにLCCを強弁してしまおうともするものです。

 連中の盲信からすれば「E△/F」という見立ての上で《リディアン族》に括られるジョージ・ラッセルの例示するスケールを充てて、場合によっては「D Auxiliary Diminished Blues Scale」を充てる人も居られるとは思います。

 その場合、前掲の例示される音階群の4番であるAハーモニック・マイナーの第4モードやAハーモニック・メジャーの第5モードを想起して「E△」をリディアン何某しにとっての「2番目のスケール・ディグリー」に見立てる様にして [d] 音に位置する所に「リディアン族」とも呼べるスケールを嵌当するというのがLCCというコンセプトであります。

 そこに、ジョージ・ラッセルが持ち込む「D Auxiliary Diminished Blues Scale」というスケールを充てる事も可能ではありますが、このスケールは単に「Dコンビネーション・オブ・ディミニッシュ・スケール」でもあり、メシアンの移調の限られた旋法(MLT)の第2旋法と同様のものでしかなく、特にメシアンのMLTというのは協和の根源となる長三和音を標榜する音程比 [4:5:6] の何れかの音程比の断片が包含される様に音梯列が形成されているのであり、そこに協和が砕かれる不協和な音が随伴するものです。

 コンディミという「分子構造」が協和という世界が持つ「レセプター」にどの様にして捕捉されるのか!? という状況こそが、音階を形成する互いの音が対称構造を成している訳で、対称的な状況は単に結果でしかないのです。

 例えば「上属音」という音は、主音の上方五度の位置に存在する物で、主音と上属音が作る音程は、協和的な側面からは《半分》に砕かれ「上中音」を生みました。

 協和という側面では中庸を採ったものの、数学的な側面からは非対称に砕かれている(長三度/短三度)訳です。但し、非対称に砕かれた構造も何らかの対称構造で更に分割が可能であり、「協和」は何某かの対称構造によって形成されている、という風にして協和と不協和からの対称構造を体系化したのがメシアンのMLTと言える訳です。

 然し乍らジョージ・ラッセルの場合は、過去の知られすぎた体系の威を借りているにも拘らず、自分の色を落としたいがために独自の呼称を充てているに過ぎない断章取義でしかなく、コンディミの根源すらも深く理解していないと言えるものに過ぎないのです。


 そもそもコンビネーション・オブ・ディミニッシュ・スケール(以下コンディミ)が何故生まれたのか!? という事を知っていれば、結局は同じ音階にも拘らず自説の独自性を主張したいが為だけにやたらと変な名前をこじつけてしまう必要はなかろうにと思うのですが、「コンディミ」がなぜコンビネーションなのかすら知らない人も多いかと思うので、あらためてコンディミの重要性を語っておきましょう。

 コンビネーションされる前の「単体」のディミニッシュというのは、《減七和音の四声体》の事を意味します。つまり和音構成音として4音ある状態が単体というもの。この単体を「甲」とした時、「乙」と呼ぶべきもう1組のディミニッシュが4音生じさせてしまう事で計8音という音組織を生ずる。

 それは、減七和音たる「甲」という4音が何某かの《短属九の断片》であるとした場合、想定される《短属九の根音》の存在に目を向ける事ができる訳です。その減七和音は4種類の短属九の断片という可能性がある。すなわち、減七という和音構成音4音の他に、その減七が何某かの短属九の断片であるというから、減七の下部付加音として更に4音を引き連れる。結果的に8音を生じたコンビネーションは、《非常に強大な協和》である完全八度(オクターヴ)や完全五度をも等比数列的に砕いている状況として成立する。つまり、強大な協和に対して等音程・等比数列的な音程で組織されている。

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 これがコンディミの源泉であり、A・イーグルフィールド・ハルが『近代和声の説明と応用』で例示する ‘Generator’ とはまさにこうした《新たなる音脈の呼び込み》を示しているものなのです。

 扨て、前掲の ‘Generator’ で例示したアッパー部の4音は、最初に「Bdim7」というコードの和音構成音は4音あります。[h・d・f・as] という4音ですが、これらの音が《何某かの短属九からの断片》であると仮定した場合、1つは「G7(♭9)」を導きますが、他に3種類の可能性もある訳です。「Ddim7・Fdim7・A♭dim7」という風に。

 譜例上ではそれら4種の減七が全く別のコードとして表されるものの、物理的には最初の減七の根音が異名同音で移高している [h→ces] という風に積まれているに過ぎず、同様に [d→eses] [f→geses] という風に積まれているだけの事です。ピアノの鍵盤やギターのフレットの位置から見れば、これらの減七は全く同じものです。

 ‘Generator’ というのは、それらの物理的(異名同音)的に等しい四声体の減七に対して短属九を形成する為の根音が下部付加音的に「G7(♭9)」「B♭7(♭9)」「D♭7(♭9)」「F♭7(♭9)」という風に見せる事となった、という事です。茲で加わった新たな4音 [g・b・des・fes] というのが《2組目の減七》なのです。これらは、図示される7〜10番の譜例で確認できるものです。

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 つまり、1組目となる減七の和音構成音が4音である以上、2組目となる下部付加音をそれぞれ抜萃してみたら新たなる4音が持ち来たされた。新たなる4音も減七。これらのコンビネーションの減七を並べた時に見せる音階が「コンビネーション・オブ・ディミニッシュ・スケール」という前提を知らない者があまりに多すぎるのが残念な部分でもあります。

 コンディミというのは、大いなる強大な協和を砕きにかかって来る音階だと思えば好いでしょう。砕くにしても、砕いた後にガラスの破片の様にバラバラにしてしまうのではなく、半音 or 全音 or セスクイトーン(1全音半)という「粒子」に砕かれる様に作用するのであり、協和音程が砕かれる為には等音程・対称構造・等比数列・鏡像音程の作用が伴うものなのです。

 前述の「粒子」が意味するのは、オクターヴという強大な協和音程を、少なくとも対照的な「半音・全音・半音…」という排列で以て《砕きにかかる》事であり、この強大な音程を砕きにかかる事で得られる最大限のメリットは《音程要素》を露わにするという所にあるのです。

 例えば四和音の音程要素は6種類あります。[根音・第3音] [第3音・第5音] [第5音・第7音] [根音・第7音] [根音・第5音] [第3音・第7音] という風に。

 これらの音程要素が「音階」としてシステマティックかつシンメトリックに排列された時、強大な力はシンメトリックな線的要素となって変化する訳で、協和的な力関係が不協和な力関係へと振れる事となる訳です。アラン・ホールズワースを思い出してみて下さい。どれほど「砕き」にかかっているかを。

 つまり、ホールズワースは協和的な音程に対する、和音構成音とは異なる音程要素を得たいが故のアウトサイドなアプローチである訳です。音程要素を多く得たい場合は少なくとも強大な力を持つ音程の等分割あるいは対称的な排列構造で分割する必要があり、微分音を視野に入れさえしなければ概ね半音階からの対称構造というのはどういう所へ収斂するかがお判りになる事でしょう。あらためて、音程要素をより多く得たいが為の方策であるという事も念頭に置いて欲しい所です。コンディミとやらを侮り過ぎないように。

 また、コンディミに類似するヘプタトニックのひとつであるルーマニアン・メジャー・スケールが西洋音楽では知られてはおりますが、ジャズ周辺ではまだまだ広く知られてはおらず、こうした理論体系からの及び腰がジャズの発展を蔑ろにしてしまっている側面もあると言えるでしょう。

 紙テープに [c] から順に幹音に対して嬰種の派生音を使って [h] までの12音を書くとしましょう。[c・cis・d・dis・e・f・fis・g・gis・a・ais・h・c] という風に。加えて、この音列に [c] から3半音ずつ赤く示してみる事にしましょう。

 次にこの紙テープの裏側である [c] の真裏部分に [his・cis・cisis・dis・disis・eis・fis・fisis・gis・gisis・ais・aisis・his] という風にして、こちらは [cis] から3半音ずつ赤く示してみる事にしましょう。

 そうしてその紙テープをメビウスの輪の様に半分ひねって輪っかを綴じてみましょう。減七の異名同音が半音階という世界を紡いでいるという事の意味がお判りいただけるかと思います。「コンディミ」というのはこうした世界観を掠め取っているのだという事を認識していただけると思います。

 コンディミとは畢竟するに、協和という強大な力を持つ概念を如何にして綺麗に砕く事ができるのか!? という音梯形成だと思っていただければ良いでしょう。ですから、そうした対称性のある構造が功を奏して、リディアンが相応しい状況でも《偶々》おかしくはない様に整合性を保つ様にしてコンディミが合うという状況をジョージ・ラッセルは別の呼称を充ててさもオリジナルの様に強弁しているだけの事なのです。

 学ぶ側からすれば覚える事が少ない方が楽なのですが、物事を覚えたりする事に楽や合理性ばかりを求めているだけでは自分の血肉とならない物です。だからこそ物事の根源的な側面をも重視した上で凡ゆる側面から対照させて行く事が必要となるのです。


 扨て、次に示す譜例の上声部の四声体は、これまでの減七とは異なり「マイナー6th(♭5)」という風に《同義音程へ置換》した物です。下部付加音は、これまでの説明の通り《短属九という形で想起され得る根音》が示されている物です。

 ひとまず、あまり遭遇する事のないこれらの四声体である11番の「Bm6(♭5)」に注目する事にしましょう。

 この「Bm6(♭5)」は「Bdim7」の読み替えであり、正式には同義音程和音という体系に括られる物です。譜例では明示こそしてはおりませんが、コードが「6th」を名乗っているので、七度音が音組織として暗に存在する事がお判りになろうかと思います。その七度音が短七度 or 長七度なのかは確定できないものの、少なくとも減七度ではない訳です。そこには長六度として音が存在するのですから、短七度 or 長七度の音組織が視野に入るという事です。

 付加六の和音は音階のⅣ度上にある事を「Ⅳ6→Ⅰ」を機能和声では習いますが、茲での「マイナー6th(♭5)」というコードは、短音階のⅡ度上に生ずる物として措定する事にします。そうなると、「Ⅱm6(♭5)」での6th音は自ずと音階の「♮Ⅶ」という事を意味します。

 そうなると、「Ⅱm6(♭5)」というコードから暗に示される七度音というのは「♮Ⅶ度」の次の音度となるのは自明ですから、《Ⅱ度上のマイナー6th(♭5)」が暗に示す七度音の存在=♭7th》という事になるのです。

 つまり「Bm6(♭5)」は、その和音構成音と下部付加音以外に「♭7th」の存在を音組織にあるべき音として引き連れて来る事となります。[h・d・f・gis] に [a] が加わるという状況です。これら5音に対して [g・b・des・fes] も使えるという風にして9音音階を導く訳です。但し、下部付加音にあった [des・fes] を「Bm6(♭5)」に持ち来す場合、それらを [cis・e] という風に異名同音に置換する必要があるでしょう。

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 上掲9音音階は前半こそ「全音・半音・全音・半音…」という対称性を持ちますが、後半は半音音程を繰り返しているという、コンディミと半音階の折衷となる様な音並びです。この9音音階は [h] 音を基準に導出しておりますが、下部付加音として想起し得る [g] 音をモーダル・トニックとしての中心音を見れば、[gis] は実質的に [g] から見たオルタード・テンション「♭9th」の異名同音、[b] が実質的に [g] から見た「♯9th」の異名同音であり、そこに「♯11th」というオルタード・テンションがある様に見えますが、この9音音階はあくまで [h] をモーダル・トニックとして見立てる必要があります。

 その上で、[h] から見た減八度 [b] が存在していて、これは長七度ではない減八度の呼び込みであるというのが重要な理解なのです。

 減八度の誘いというのは、半音階の拡大解釈として非常に重要な因果関係でもあり、この減八度は微分音を視野に入れた時の、半音よりも狭い音程としての減八度としても作用する因果関係でもあるのです。

 
 尚、9音音階の導出はあくまで《下部付加音として生ずる減七の4音》を持ち来した拡大解釈に過ぎません。単に「Bm6(♭5)」が短音階のⅡ度上の和音および七度音の存在を想起すると、そこには《Bdim7の姿の時に加わっていた下部付加音 [g] 音》が「Bm6(♭5)」として同義音程和音へ置換させた時の「6th」音= [gis] という同度由来の音が併存する音階を想起する事となり、それは実質的に [a] 音をモーダル・トニックとする時のエオリアンの持つ下主音(=♭Ⅶ)と導音(=♮Ⅶ)が併存する8音音階を導く事になり、この音列のモーダル・トニックを [c] に見立てた場合は「Cメジャー・ビバップ・スケール」という事でもあり、結果的に次の譜例に見られる15番の音階を見立てる事になるのです。

 今一度思い出していただく事にしましょう。これらの非和声音の導出の基として成していたのは減七だったという事を。その減七から短属九の下部付加音を想起するのは第一として、その下部付加音が結果的にセスクイトーン(=1全音半)移高させた音も同様に導き出せる事に等しい。すると、基の減七=「Bdim7」から「G7(♭9)」へと導き、「G7(♭9)」は他にも♭10th相当(♯9thの異名同音)を導き、♭5th(♯11thの異名同音)、♭♭7th(♮13thの異名同音)を導いて来たという訳です。

 更にはメジャー・ビバップの方の音脈を選択すれば本位四度を導いて来るのでありまして、結果的に「Bdim7」や「G7(♭9)」という和音構成音の提示だけではスンナリと導いて来れない音脈を同義音程和音という解釈から半音階を様々な方向から穿って見て活用するという訳です。そうした世界観に最も近しくなるのがルーマニアン・メジャーの活用という事を意味しているのです。

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 今回あらためてA・イーグルフィールド・ハルの 'Generator' についても掘り下げましたが、ドミナント♯9thというコードの大半は、実際には「♭10th」という根拠があらためて示された事でしょう。「♭10th」という第一の是認の理由は、同位和音に伴うものです。

 同位和音とは同主調同士の複調の状態で、多くの場合それぞれの同度同士となるポリコードを示すもので「Im/I△」などという状況から生じている事を松本民之助やバルトーク、レンドヴァイ等から学び取る事ができますが、その他にも、こうした 'Generator' という新たなる減七の音脈の導出から、下部付加音で [g] の他に [b] (=英名:B♭)を引っ張って来た様に、茲でも「♭10th」という因果関係をあらためて強調する事となるのです。デイヴ・スチュワートはこうした裏側を著書で詳細に述べていないだけの事で、実質的に「♭10th」だと断言する理由が今回あらためてお判りいただけたかとも思います。

 グレゴリアン・モード主体の視点だと、どうしても調性を直視しがちになりかねません。それでもジャズは狭い世界観の中でどうにかこうにか半音階の音脈を手繰り寄せて来た歴史があるのですが、もう少し視点を変えてみれば別のアプローチとして輝きを取り戻すであろうに、という提示が今回の追記という訳です。