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対旋律というウォーキング・ベースの在り方 [ネタバレ]

 4ビート・ジャズなどではよく耳にするベース・ラインをウォーキング・ベースと呼びますが、リズムは一定であるにも関わらず非常に多様な音を繰り広げていたりするモノです。今回は、ウォーキング・ベースは何故それほどまでに多様なのか!?という所を繙いてみる事に。


 仮に、ジャズという音樂がアウトサイドな音を使う事など無く、ごく普通にダイアトニックな音社会に収まる音使いをする類の物だったとしてそうした仕来りで弾く「ウォーキング・ベース」とやらは、四分音符という一定のリズムで弾かれる「對旋律」であり、その對旋律の音程の跳躍は「順次進行」で埋めていった方が滑らかな動きとなるのです。

 ジャズという物に限らず、元を辿れば對位法音樂もこうした所に「収斂」するのであります。もっと言えば、常に四分音符という律動にメリハリの欠いた一定の旋律も、主旋律とは異なる「別のメロディ」とも捉える事も可能でありましょうし、ジャズという仕来りも嘗ての通摸倣や通奏低音という枠組みにも当て嵌める事のできるモノであり、ジャズという仕来りは突如突然変異で出現したモノでもなく、体系はこうして当て嵌まるモノなのであります。然し乍らジャズが「逸脱」していったのは、調性や和声的方面の呪縛から解かれる様な自由度の高い方向を志向する「逸脱」であり、そうした逸脱した社会でベースは下支えし乍らも自らも逸脱し、實は最も逸脱しているのがベースだったりする事も屢々だったりするのであります。


 ジャズのウォーキング・ベースの語法を獲得していない人というのは概ねベースに縁がない楽器奏者だったりするのですが、そのベース独特の「語法」というのは、ジャズ理論界隈でよく知られる所のモード体系やらコードでのアヴェイラブル・ノートの扱いやら、その手の世界観を習得しただけでは理解に及ばない世界観がありまして、ウォーキング・ベースというのはジャズの中でも最も逸脱した枠組みを知らなくてはならない部分もあり、「對旋律」という音樂を構築する為の原点も同時に理解して始めて成立する「逸脱」社会を構築する重要な役割が与えられているモノなのです。


 「順次進行」というのは、ダイアトニックな仕来りの中では隣接する度数を繋ぐ音程なので、2度音程で連結させればそれを順次進行と呼ぶワケです。「ドレミファソラシド」や「ドシラソファミレド」も順次進行に括られるモノです。


 ジャズのウォーキング・ベースのフレージングというのは全ての音がダイアトニック・スケールや和聲体系から生じるアヴェイラブル・ノートに準えた物だけではなく、強拍を意識しつつも強拍全てにアヴェイラブル・ノートをあてがったフレージングをする譯でもありません。時には2小節や4小節や8小節など「大局的」な見渡しで、外れて行き乍らも着地点を見過ごす事が無いような、共通理解にあるモード・スケール外の音も和声外の音も引用したりします。4拍子を3拍子フレーズで「砕いて」揺さぶりを与えたりすることもしばしばです。その「揺さぶり」というのは、例えばピアニストがハ長調であるにも関わらず黒鍵のグリッサンドを挿入したりするような「揺さぶり」という事にも似た物があるでしょうが、ウォーキング・ベースというのは四分音符という一定のリズムの中で調性・和聲体系からも逸脱する、更にもっと多くの動機で揺さぶる事が重要とされるのでありますが、いつでも外れていればイイという譯ではないというのが最も重要な事であります。

 
 そうしたベースの音は曲の構造にある調性やモードや和聲構成音やらへの「反駁」では決してないのです。ベースから見た世界というのは何らかの「凸凹」が与えられた世界であり、人が歩きやすい様なコースや歩いた事を無い所に道を作って、凸凹を均したり、水たまりが生じていたら「導音」というクサビを与えて地面を掘って流れやすくしたりする様な独立体系的な動機を与えているのがウォーキング・ベースの在り方のひとつでもあり、音樂から見たらコード体系のみばかりで見たアプローチでもなく、モード・スケールのみで準えられる音でもなく、非常に多旋法的で且つ、調性からも併存可能な多調的であり、その独立した様はジャズという枠組みの中で四分音符を刻み乍ら他の脈絡を見付ける對位法的アプローチで新たな世界の導出を目指し乍ら根幹は揺らぐ事のない世界を漂う様なアプローチだと思ってもらえると判りやすいと思います。


 ウォーキング・ベースを習得する上でスケールからアウトする事なく「順次進行」してしまえば先述した様に「ドレミファソラシド」やら「ドシラソファミレド」という風に愚行を繰り広げてしまうかもしれませんが(笑)、こうしたダイアトニックな仕来りの中での隣接した音程に依るフレージングは本当は基本的な對旋律の書き方のひとつではありますが、強拍と弱拍を念頭に置いた上で、強拍は少なくとも和音構成音に「着地点」を図るというのは、ルネサンス期の頃であろうがジャズの世界であろうがほぼ同じです。

 「對位法」となると對旋律の音程の置き方も厳格化してきますが、ジャズでのウォーキング・ベースに於いて重要な点は、次の様な仕組みをも逸脱する所が最大の特徴です。

●調所属(調性・モードを含む)の逸脱
●和聲構成音の逸脱
●半音の楔を挿入
●ダブル・クロマティックに依る演出


 最初の2つの「逸脱」など、モード奏法とやらを獲得する際にはそれに準じて獲得する奏法でして、調所属を瞬時に察知して自身の弾くモードを想起すると共に、和聲体系も習得して非和聲音でもダイアトニック・スケールにも及ばない音を感じつつ、通常はノン・ダイアトニックな仕来りに於いても獲得している大前提となるジャズの事前知識ですが、アウトサイドなジャズの語法にはこうした所からの逸脱が求められ、ウォーキング・ベースというのは對旋律的な律動から、調性的にも和聲的にも斜に構えて視野に入れており、それらを多角的に見据え乍ら逸脱を視野に入れて変化に富む揺さぶりというのは、ジャズの語法に於いて最も對位法的手法であるのです。この對位法的解釈も對位法がひとつの調性や旋法の嘯き程度に収まる所の初歩的な對位法ではなく、多調的な對位法を視野に入れた時のアプローチに似るという意味なので、紋切り型の理解でウォーキング・ベースは對位法なのだと理解される事なく「對旋律」の在り方をよく理解した上で多調的空間をも理解してウォーキング・ベースとやらを今一度全貌を鳥瞰するかの様に見渡してもらいたいモノです(余談ですが、私はオリヴィエ・メシアンに敬意を表する上で《鳥》にまつわる語句を多用する事があるのでご注意を)。


 決して間違いではなくとも、誰もが小恥ずかしくてやらない「ドレミファソラシド」型のフレーズである「順次進行」という物を挙げてみますが、これをウォーキング・ベースとした場合は、四分音符を綺麗に刻み乍らも全てが順次進行という隣接した音程間隔で構成されたモノではなく、ある音形で漸くモードを示唆する音形になったり、想起するモードへピントが徐々に合って行くかのように外した音社会から寄り添う様な色んなアプローチがあるのですが、リズムそのものは一定のリズムを刻もうとも、音樂となるとこうしてあらゆる方面から揺さぶりを与えられ乍ら色んな色彩を生ずる様になるのです。

 異なる和聲への連結をなるべくスムーズな音程で連結し、そこで「順次進行」=二度音程が選択されるという事が、ジャズだけではない通常の「順次進行」の理解であります。

 仮に3度で連結させてしまえば、和音体系は3度堆積型が使われている事が殆どなので、こうした音程の選択だとコード音を準えているだけに等しくなってしまいます。ダイアトニック・スケールから外れぬようにモードを準えているだけの音選びもウォーキング・ベースのフレージングとしては歓迎されないモノです。

 但し、調性が希薄な音空間で突如4ビート・ジャズとしての形態が楽節の変化として与えられる様な時、希薄な音世界から「敢えて」順次進行という「ツカミ」をオーディエンスにアピールする事で「ドシラソファミレド」的の下行形順次進行を耳にする事もあるかと思います。これは、メリハリを与える為の動機で「これからウォーキング始めますよー」というアピールで使っているワケですね。

 亦、ダブル・クロマティックの類などで上行形よりも下行形が圧倒的に多いのは、物理的な周波数(=振動数)が少ない方へ「着地」する感じが安定感を呼ぶからでありますね。周波数の高い方へ更に進むと加速感が生ずる様に、加速感のある方は誰もがイメージし得る完全音程の類で得られやすい方向へ進行するという「導音」の与え方であり、下行導音の類はノン・ダイアトニックやらの方から「回り込んで」来るかの様にしてあげると変幻な描写になるのです。それをダブル(または其れ以上)の音程を連結させて行くのもダブル・クロマティックの類として歓迎されるモノであります。


 それと、ウォーキング・ベースという對旋律の与え方として寛容的な部分なのは、周囲の調性やモードや和聲体系から外れようとも、次へ進行する和音への足掛かりとして半音上下(概ね上からのアプローチ)としての「半音」という楔の与え方や、三全音のアプローチなど、或いはある一定の音形をディミニッシュやオーギュメントの等音程へ平行に旋律を与えて着地するやり方など様々なのですが、この寛容的な部分というのは前述の通り、調的、モード、和聲的枠組みから外れる事は屢々であります。

 喩えて言うならば、直立している時後ろから「膝カックン!」をやられたのが「半音の楔」だと思ってもらえれば良いでしょう。

 Key=C△に於いてG7 -> Cという進行に於いて、ベースがG7の所で、G音というルートを刻む事なく四分音符の4拍子でB -> F -> B♭ -> D♭と進んでC音に着地というのもアリなのです(コレばかりが答ではありません)。


 もっと言うならば、「膝カックン」という半音の楔の与え方というのは、アヴェイラブル・ノートに捕われる事なく、もう少し自由度の高い音空間を操るのが、ジャズに於けるベース・パートの柔軟な部分であり、多旋法的なアプローチが多調的空間の對位法にも投影可能な物なのであります。こうした部分を知ると、一般的にはなかなか理解される事のない体系の理論的側面が視野に入る事もあり、こうした理解の下地が備わっていると私のよく語っている側面の世界観とやらが縁遠いモノでもないという事を感じ取ってもらえる筈だと思います。


 それでも、『ウォーキング・ベースを對位法と考えるのは早計ではないか!?』と思われる人が居るでしょう。極論過ぎるとは思いますが、對旋律としての在り方として、やはり理に適っている部分は大いにあるのです。こうした對旋律の在り方として信憑性を得たい方は、ポピュラー界隈でも目を通しやすい類の本の中に書かれている事でもあるので、興味のある方は今一度目を通される事をオススメします。如何にしてウォーキング・ベースが對位法的手法なのかがお判りになるかと思います。

 例えば、デイブ・スチュワート著「曲作りのための音楽理論」151頁、アンドレ・オデール著「音楽の形式」23〜24頁、リットーミュージック「最新音楽用語事典」21頁《ウォーキング・ベース》と捉えると判りやすいと思いますが、ジャズの4ビートに於けるベースの扱いというのはとりわけメロディと呼ぶには相応しくないけれども独立してい乍らアンサンブルを支えて、脈絡が希薄な音を使い乍らも収斂する先には意図を感じるという、實に独立体系の様にも見える声部であるという事も今一度あらためて理解しておいて欲しいモノです。リットーミュージックの「最新音楽用語事典」の例は、これはあくまでポピュラー体系での理解という事で態々その手の著書を拾って来ただけの事で、對位法の本質的理解では「順次進行」に関する部分が腑に落ちる理解になるだけで出しただけの事でどこまで役立つかはアレなんですが、一應出しておきました(笑)。これら各々の本一冊だけで對位法を学ぶという事は無理です。
 

 かのシェーンベルクの言葉を借りるならば、アルノルト・シェーンベルク著「作曲の基礎技法」第12章-5項《バスは第2のメロディーである》、というのも實に重く響く言葉でありますし、對位法を学ぶ上で調性内にどっぷり浸る事が4ビート・ジャズにすぐ転化できるモノではないものの「四分音符對旋律」の在り方というのは、敢えて調性内を司る順次進行の在り方と動きについて「歩き方」の基本を学べる事に等しくもあり、「通摸倣」「通奏低音」「オルガヌム」という所に知識の礎を持たなくてはならない事もあるとあらためて思える事しきりですが、ジャズを学ぶに当たってそれらの理解は直接関与せずとも蔑ろにしてしまってはいけない理解だと痛切に感じます。

 先のデイヴ・スチュワートの著書にもありますが、和声ありきの對位法ではなく、複数の旋律が絡んだ結果に伴うハーモニーが和声発展の始まりという事を認識しなくてはなりません。全てを近視眼的に捉えてしまい果てはジャズを對位法音楽だと片付ける様な理解に及ぶ馬鹿がいるとしたら飛んだお笑い種であります(笑)。西洋音楽の歴史からもジャズの歴史からも侮蔑される様な
 

 ベースの方から音樂に揺さぶりを与えられると、「ココに体が戻ってくるであろう」という音を想起可能な所がモード・スケール上のアヴェイラブル・ノートであり、和聲を構成する音の一部であれば良いという事でもあり、和聲を構成する一部の音に収まる事が客観的に想起が可能な状態であればベースは根音を弾く必要もなく、次の揺さぶりの為に強拍では和音構成音に「着地」する事をケア出来ていれば、ベースのフレージングとしては結構「揺さぶり」が出て来るようになり、愚直な迄にモード・スケールや和音構成音を準えただけの様な音選びにはなくなる筈であります。



 ウォーキング・ベースで重要なのは、モード・スケールや和音の構成音を意識し過ぎるがあまり、弱拍での「遊び」感覚が少なくなり、共鳴的な音程跳躍を選びがちになってしまう事を極力避けた方がイイのであります。この「避けるべき」というのは理由があります。

 基本的にジャズといえども「調所属」が目まぐるしく変化しているだけの事で、局所的には何らかの調所属に依る牽引力が生じて、その牽引力で生じている音並びの体系を選ぶ事に等しいので、とてもテンポをゆっくり弾いていったとしたら、調所属というのは非常に明確に映る筈です。ところが調所属という落ち着きを得る前に「嘯き」がやって来るので、脳はほんの少し逡巡していて、なかなか直視してくれない様をどこか心地良く感じている所もあるのです。「果てしなく次がありそうな予感」という愉しみを脳に与えてくれているワケですね。

 ですので、局所的にでもモードに準えてしまえば外れる事はないのですが、そこを外れた音から入って来る、というやり方もあるのです。調的にも和聲的にも全く脈絡の無さそうな音から入って来る事もあるのです。

 ウォーキング・ベースのフレーズが常にモードや和聲的な音に準えているのであれば、四分音符の律動を与えずとも白玉でやっちゃった方がよっぽど腰を据えて聴こえる場合だってあるでしょう。それとは違う「對旋律」という与え方の妙味がジャズでのウォーキング・ベースの最たる部分でありまして、モードや和聲的体系にすぐ準える様な音選びになってしまうフレージングに陥りやすいのは、音程跳躍に「協和的」な音運びをしてしまう事で生じる「調的呪縛」亦は「和聲的呪縛」に捕われてしまう事が大半なのです。

 こういう事で最も避けなくてはならないのは、なるべく協和的な音で連結させない事が重要なのです。例えば「完全音程」。これは「完全八度、完全五度、完全四度」(完全一度もありますが後述)という音程を挙げなくてはなりませんが、通常のベースラインでしたら、これらの音程、非常によく使う音程跳躍だと思いますが、ウォーキング・ベースに依る一定の律動の對旋律という側面から見た場合、協和的音程は逆に余りに際立ち過ぎて愚直過ぎるのです。

 「愚直なまでに際立つ」という表現にしたのは、クラシック音樂に於ける連続五度や連続八度などでも同様に、それらの音程が「際立ち過ぎるから」避けているのですね。ジャズとて、協和的な音程はこうして「際立つ」モノなのです。「長三度」ですらジャズのウォーキングでは際立つ位です。


 重要なのは、そうした協和的な音程を「砕く」事、なのです。いわば、「協和的」と書かれているレンガブロックに對して、半音でも良いから「削る」だけでもイイのです。この「削る」という事が、先の「膝カックン」と同様の「半音の楔」と述べている事なのです。


 協和的音程の中でも「完全音程」等の類は、等音程で揺さぶりを与えてやると中和しますので、例えば完全五度跳躍をしたいと思ってもソコをグッとこらえて「増四度」を選んでから五度の音へ行ったり、五度の音へ行く前に「増四度」を更に半分に砕いて「短三度」にしてみてから、他の音へ行ってみたりするというのもありなのです。例えばそれがCメジャー7thコード上だとしてみると、CからGヘ行こうとするのを先ずはグッと堪えてF#へ行って、E♭へ行ってみる、と。このE♭は「E音」に對して「膝カックン」の音であるのですが、メジャー7th上から見た#9thという音ではありませんし、アヴォイドでありますが「使える」音なのです。但し、CM7上の1拍目の拍頭でE♭音を使ってしまったらコレはチョット流石に外し過ぎてダメな例になりますが、脈絡のつなぎ方次第では許容されるモノなのです。こういう意味ではE♭音を呼び込むのは、モードから見ても和音から見ても想定外の音なのですが、こういう風に与える事もアリなのです。


 どうしてもフレージングにネタが付きて、ついつい同じ音を繰り返そうとしてしまう時、これは「完全一度」の状況ですね。こういう時は私は「転回」します。同じ音を繰り返すならオクターヴに逃げる。でも、その跳躍の志向性があれば短九度への揺さぶりを視野に入れる事が可能になるとも言えます。この短九度やスケール的にも和聲的にもアウトサイドな音であっても、弱拍に落とす様にするワケですが、フレージングの迷いが必ずしも弱拍にある譯でもありません(笑)。どうしても完全一度にならざるを得ない時は、「異弦同音」として違う弦でポジションを変えて、自分のフィンガリングそのものに揺さぶりを与える事も必要かもしれません(笑)。でも、こうした「逃げ」は希代の做品にもあったりしますので、結局は似た様なフレージングにならない様に揺さぶりを与え続けられれば良いのです。

 ウォーキング・ベースのフレージングの場合、コード・チェンジが多い曲ほど選択肢が多くなるので、ネタは枯渇しにくいのです。ネタが枯渇しやすいのはモード、コード双方の一発系のパターンですね。こういう一発系の場合、自分が常に「ディグリー:I」と思い込んでいてはネタは間違い無く枯渇します。

 例えばImM9系つまりメロディック・マイナー・モード一発になったとしましょうか。これでメロディック・マイナー・スケールの音を準えているだけでは大馬鹿者です(笑)。但し、他の奏者も共通理解に依ってImM9のコードやらメロディック・マイナーを弾くのですから、これに對してゆさぶりを与えるには、弱拍で揺さぶりを与えるために、自身は恰も進行して♭IIIaug系のフレージングを入れてみたり、IV7やV7の進行を入れてみたりして揺さぶりを与える事ですね(方法はコレばかりではありません)。

 「モード一発」という体系に於いては、ベースのみならず奏者ひとりひとりの誰もが常に「ディグリー:1度」を見据えている必要はないのです。モードで捉える場合の自由度の高い「鳥瞰」するかのような見渡しというのはコード一発の体系よりも広く捉える事ができるのです。こうした広い見渡しで同じモード内で見渡すだけではなく、共通するテトラコルドを用い乍ら別のモードを想起したりする事も可能なのです。

 また、モード体系の場合、例えばDドリアン・モード一発という状況に於いてそれをDマイナーをトニックとして捉え、トニックはDmM9でもあるという世界観を意識した時、長九度を生ずるDとAをルートとする各5th音へ重力を与えるかのような半音の楔を与える事もとても重要な意味を持ちます。

 例えばDmM9の5th音はA音ですが、A音に對して半音の楔を打って、やたらとA音を強調する様なやり方がマイナー・コードを想起し得る時の醍醐味です。これはマイナー・メジャー7thを母体とする場合だけではなく、通常のマイナー7thコードでの5th音への重きを置くフレージングも同様ですが、これについては詳しく後述する事になるのであらためて確認していただきたいと思います。

※Dドリアンというモードを生じさせたら第7音は短七度の音になるのだから、ソコでトニック・マイナーに長七度音が生ずる和音を与えておいてドリアンなんてバカじゃねーの!?という理解に及ぶ様な愚か者にはならないであってほしいと思います。そういう事で書いているのではなく、Dドリアンを想起しているにもかかわらず、長七度音を擁する和音を併存して使わなければいけない状況の事を述べているのです。それが判らなければお読みにならない事をオススメします。

 という譯で、文章ばかりではなかなか伝わらない事もあるかと思うので、今回は8小節のコード進行を例に、ウォーキング・ベースのフレージングを題材にし乍ら語るという方向にハナシを持って行こうと思います。

 今回、サンプル曲で用いているコード進行は、今年始めに初音ミクに歌わせた私のオリジナル曲である「君を睥睨」という曲の一部のパターンをジャズ・アレンジにした上で、ベースをウォーキング・ベースに変えてみたというモノです。
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 私自身は深く考える事なくウォーキング・ベースのフレーズを与えただけの事で、他の方からの批判に武装するかの様にケチの付け処すら見当たらないようなアレンジを施すことなく、体の痒い所を思うがままに引っ掻くかのような行為で作っただけの事で、このサンプル曲を作るために過剰に力を入れていないモノであり、ごくフツーにフレージングしている物であります。四分音符という規則的な律動での8小節なので、1小節ずつ音を細かく解説していこうかと思いますが、モード・スケールや和聲体系からも逸脱する音が出て来るので、そうした所への興味と解説に重きを置くという譯でありますので、サンプル曲と譜例を見乍ら確認してほしいと思います。特に注意をして欲しい音符には黄緑で色を変更しております。


 1小節目のB♭M7(on C)というはIV/Vのカタチです。言い換えればリディアン/ミクソリディアンという風に鳥瞰する事も出来るので、上声部のコードに對してB♭リディアンの特性音であるE音を2拍目で使い、このE音が次のB♭m7(on E♭)というベースに對して半音上から下行導音というカタチで「膝カックン」がという半音の楔となっているのがお判りかと思います。

 1小節目3〜4拍目のB♭m7(on E♭)は、一般的なII on Vのカタチではなく、VI on II(亦は平行短調でのIm on IV)と見ていただくと、VI on IIという「II」へのE♭音に對して直前は「♭III」という方向から来た音という風にも捉える事が可能です。

 人に依っては自分自身の音を常にディグリーを「1」と見立てる人も居るので、先のE♭を「1」と見立てた場合、直前のE音はナポリタンな音由来の音、つまり♭IIからの音、という風に見立てる事も可能という事です。

 
 一番最後の「見立て方」というのはリディアン・クロマティック・コンセプトにも見られる、常に自分を方位磁石のN極に見立てた様な見渡しであり、本当はオススメしない見立て方なので、混乱を招かないようにするためにも私は常に調所属が変化する見立てでディグリー表記をしていくのでその辺りも併せて注意していただたいと思います。


 扨て、1小節目4拍目(弱拍)に現れるA音というのは、B♭m7(on E♭)から想起し得るモード・スケールにもコードから見ても脈絡の遠い音であるのは間違いありません。母体のコードは「B♭m7」なのですから、「恰も」長七度の音をマイナー7thコード上で使っている様な事と等しくなります。

 ジャズを演奏する人ならお判りかと思いますが、コードにこうした短七度の音が根差しているにも関わらず、短七度の音には合致しないサブトニックが長七度へ変化する類のマイナー・スケールや他のモードをインポーズする例は非常に多いと思います。但しそれが許容されるのは長七度と元からある短七度を共存させるのではなく、長七度はあくまでも主音への「導音」を強めるための旋法的なフレージングをしないと変になるのです。

 もっと言えば主音への導音という音以外に、主音が半音下がって変化している音という風に「揺さぶりをかけた」音としてフレージングをするのが最も適切な例なのであります。

 何れにしてもこうしたウォーキング・ベースのフレージングの方法論は体系化されているので、「つべこべ細かい事言ってねーで、次の音のルートの半音上から繋げりゃイイんだよ!」という風に聲を挙げる輩もいるかと思いますが、下行導音がキマるのは、ノン・ダイアトニックな音からでありまして、通常の上行導音はダイアトニック・ノートから、という風に区別していくとフレージングに幅が出ると思います。その半音上下のダイアトニックが逆の場合は逆で考えるのも一つの手であります。


 2小節目2拍目の「C♭音」は、長三度音の半音下がった音という扱いです。長三度音を半音下げて揺さぶりをかけていますが、決して#9thの音では無いのです。この半音の与え方は前述の様に主音にも当て嵌めて使う事のできる「半音の揺さぶり」のひとつなのです。その後2小節目3拍目では元のM3rd音に戻り、A♭M7がリディアンという風に見立ててA♭リディアンの特性音であるD音を4拍目で使っているのです。


 3小節目1拍目ではBM7aug(on C#)という二度ベースであり、ココでのC#音は直前のD音から半音の揺さぶりとしての下行導音で連結されているのがお判りでありましょう。そうして次の2拍目では上声部のルートに「逃げる」ものの、上声部のルートという判りやすい音を使ってしまった為、この先に協和的な音程を作らない方が良いのです。そこで次の3拍目に現れる「E#」という音は、本当はB♭m7(#11)の5th音と異名同音なのですが、音こそは一緒でも旋法的に見立てが異なるので敢えてこうして表しています。
 結論を言えば私はB♭m7(#11)というコードはバイトーナル・コードである為B♭マイナーをピヴォット・コードとする調域とその短三度上の調域から生ずるコードなのですが、私はB♭マイナーをビヴォット・コードとする調域の長二度上を見据えた音使いなのです。つまり、調域から見るとB♭、C、D♭という「塗り潰し」を想起した上での与え方なのです。音としては短和音を母体とする5th音と同等なので、短和音の5th音へ着地点を見出したという見立てもできますが、實はその着地点は別の調由来の異名同音なのでした!というトリックは他にも使いますので後々その意図がお判りになる事でしょう。


 そうして今度は3小節目4拍目にはE♭♭なので=D音と同じなのですが、これは直前のB♭m7(#11)ではアヴォイドではあるものの(恰も長三度と同じ音)、ノン・ダイアトニックの音をE♭音への導音として使っているのです。さらに4小節目4拍目ではA♭ではG#音が現れますが、いずれにしても本来のEM9(13)から想起し得るモードからすればアヴォイドである完全四度に等しい音です。しかし、次のE♭△/D♭△という上声部には変化の乏しい音へのゆさぶりと、下声部D♭△の根音へ結果的に異名同音ではあるものの「四度進行」を当てこすりの様に使っている音です。コードそのものに「四度進行」という明確な進行がないので、ベースで与えているという譯です。


 5小節目の2〜4拍目は最も配慮の足らないフレージングであります。2拍目と4拍目がオクターヴ違いの同じ音である事に加え、それらに挟まれる様に存在する強拍という3拍目のF音は三全音で括られてはいても、結局オクターヴで挟み込んでしまうためにF音の存在は暈けてしまいB音の八度の動きが際立ってしまうというモノです。これは、私がうまく逃げられなかった為です。但し、こういう配慮の利かなさを披露したくないという理由で、武装するかのようにアレンジを更に施してまで公開しようなどと画策するケツの穴の小さい左近治ではありません。八度という連結がどういう風に際立ってしまうのか!?という、結果的に完全音程の際立ちっぷりを披露したいが故の事なのです。言い訳でこうして語っている譯ではなく判ってやっている、という事はお忘れなく。


 6小節目については今回私が最も注意深く説明したい部分です。これら4拍のフレーズは「C7 (9、#11)」の和音から生じる断片的フレーズと見ていただいても構いません。「FmM9」なのに!?と思われる方がいらっしゃるでしょう。そこに大きな意図があります。

 この断片フレーズは元のコードの組成は扨て置き、4拍目のC音に對して旋法的にとても重きが置かれた牽引力を感じると思います。4拍目のC音への力を何故そこまで感じるのか!?という事を先ずは理解して下さい。

 短和音というのは、その和音を構成する完全五度音に音の牽引力が現れます。長和音は主音ですが短和音は5度に重きが行くモノなのです。短和音という組成の在り方で長七度を包含するタイプであると、伍聲体の時は完全五度音を中心とした鏡像音程が生ずるのは以前にも語った通りです。

 この6小節目での私の「遊び」は、大きく分けて2種類の意図があります。ひとつは、短和音は四度和音の断片であり四度和音の集積は軈て二度和音になるという意図。もうひとつは、元々の短和音の5th音への牽引力を他の旋法的なフレージングに依って利用する、という意図であります。


 ここからは「メロディック・マイナー・モード」という世界観も同様に視野に入れなくてはならなくなる為、次回以降にハナシを続ける事とします。