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ウェイン・ショーターに見る等音程和音 [楽理]

 扨て、今回はウェイン・ショーターに依る「等音程和音」の実例を挙げ乍らその魅力を語る事に。

 私のブログを継続してお読みになられている方なら既にお判りでありましょうが、等音程というのは和音を構成する夫々の音程が等しい事を意味しております。そうした等音程を生ずるという事は、長三和音や短三和音は当て嵌まらないモノとなります。無論、アルノルト・シェーンベルクも取り上げている様に等比音程という音程差を一定の規則性に倣って構成させる物もありますが、今回は、和音を構成する各音程が全て等しい等音程の方を扱う事となります。


 増三和音というのはオクターヴを3分割する長三度音程の等音程に依る和音という事も言えます。長三度音程を「短三度+短二度(半音)」という風に砕いて、これを「等比音程和音」として形成した場合は短三度・半音・短三度・半音・・・という規則性を繰り返して六声のオーギュメンテッドな形を得る体を得ますが、今回はしつこい様ですが「等音程」の方を語るワケですね(笑)。


 減三和音というのは「減七」和音の断片と言えるワケで、短三度等音程の形であり、減三和音はその断片であるとも言えるワケです。2組の増三和音がそれぞれ全音で離れた六声のハイブリッド和音(例:Caug/Daug)の形式は、2組の長三度等音程和音であり長二度等音程和音の体でもありホールトーン・スケール(=全音音階)の総和音という姿でもあるワケですね。


 等音程和音の形として他にもよく用いられるのが完全四度等音程です。勿論これは累積を11回繰り返した場合半音階の総和音となるワケですが、概ね完全四度等音程の断片として3~5声の形として使うのが一般的な例でありましょう。最近ではsus4の一部を共有(=応答)し乍ら別のsus4をハイブリッドにあてがって特異な和音を得るというスタイルも目撃する様になりましたが、完全四度等音程の断片をsus4として捉えたり、半音音程の連続を完全四度音程に「転回」して並び替えて、その隙間に生ずる音を他の調的由来やら全く異なる外因的要素となる手掛かりとしてフレージングをする人も居たりします。


 メシアンに依るトゥーランガリラ交響曲第3楽章の一部には、「結果的に」ピアノが増三和音のハイブリッド和音(それぞれが長二度離れた和音)を奏でる部分がありますが、「結果的に」としているのは私自身がトゥーランガリラ交響曲のスコアを見た事が無く、実際の記譜から確認できる作者の意図が読み取れない事に加えて、ピアノのハイブリッド和音はアンサンブルの一部でしか過ぎず、ピアノの弾いた和音だけを私が増三和音のハイブリッドとして語っているだけなのでその辺りはご容赦願いたいのですが、この和音は奇しくもソフト・マシーンが「M.C.」という曲に於いても同様の和音を聴く事ができるという事を過去にも取り上げた事があるので今一度確認していただきたい所です。


 メシアンというと音楽理論的な部分では、移調の限られた旋法を提示した事でも知られる為、クラシック音楽に疎い人でもその名を聞いた事くらいはあるでしょう。メシアンの提唱する和声的&旋法的な側面の共通する言及というのは、必ずしや長三和音という安定した体若しくは長音階の断片を旋法に含有させる事が共通項でありまして、徒に等比数列的で幾何学的な音階を作っているワケではなく、長三和音の包含、あるいは長音階の断片の含有という事が主眼に置かれた理論だという事を先ずは理解しておかねばなりません。

 長音階の断片という理解は、例えば全音音階とて、連続する3つの音が某かの長音階の断片が組み合わさったモノ、という風に理解できるワケですね。それこそ「ドレミ」はハ長調由来で「ファ#ソ#ラ#」はロ長調の断片かもしれないし異名同音の変ト長調の断片かもしれない、という複調を意味する音の集合とも理解可能な物であり、抑も全音音階というのはスケールライクに全てが全音の並びの音階として形成された物ではなく、複調・多調に依る対位法で生じた夫々の調の「断片」から生じた物である、という理解が先にないと、メシアンに依る移調の限られた旋法の理解もその先が及ばなくなってしまうので注意が必要です。このような長三和音と長音階の断片を含むという注釈は日本語のウィキペディアでも触れられていない事なので、この部分に於いてどちらを信用するかは読み手の方々にお任せしますが、移調の限られた旋法に於ける初歩的な理解はこーゆーコトなんだぞ、という事をまずは理解していただきたい所であります。私の言っている事が眉唾だと思うのであれば罵っていただいても構いませんが、ネタの宝庫とばかりに利用されるのは御免です(笑)。


 扨て、等音程やら移調の限られた旋法など、そうしたシンメトリカルな構造として括る事の出来る例を出したワケですが、先のブログでも語った様に、和声空間が調的な世界を飛び越えた時のハイパーな輝きを伴う時というのは、シンメトリカルな構造に遭遇しやすくなるのはもはや必然と言っても過言ではありません。

 
 調的な世界を今一度語ると、例えばトニック・サブドミナント・ドミナントという3つの機能がありますね。これらが「進行」する際、こうした調的なシステムに於けるコード進行の理論的な説明では、例えば和音の根音以外の構成音の事は「倍音」「上音」として説明されている事が多いですね。それを踏まえた上で例えばトニックからサブドミナントに進む時はどういう事かというと、次の和音に進行する際、前の和音の根音を「含有」しつつ、倍音を変化させるのがコード進行なのですね。「ドミソ」というトニックからのサブドミナントは、トニックでの「ド」を含有しつつ「ミソ」は「ファラ」に変化するワケですね。これはサブドミナントからドミナント、ドミナントからトニックという動きでもやはり同様なのです。この調的なシステムについてもう少しきちんと学びたい人はレンドヴァイ著「バルトークの作曲技法」の52頁註15によ~く目を通して理解してみて下さいね。この著書は何もハイパーな世界観だけを語っているワケではありませんからね。きちんとした傍証があった上での理論書だという事を今一度確認してみて下さい。


 フランツ・リストの「枯れたる骨(不毛なオッサ)」(S.55)では、フリジアンの総和音という、ヘプタトニックでの音全てを和音に使うという例がありましたが、フリジアンというのは平行短調の変化前の姿としても形容できる為、ドミナント「属」を形成し得るグループの一つですので、ドミナント的性格が現れる所での「総和音」というのはかなり稀な例だと私は思うのであります。



 ダイアトニックの総合、つまりヘプタトニックの総和音という事は、通常の調的社会システムにおいてトニックもサブドミナントもドミナントも一緒に併存している状況という事を意味します。


 私が予々、ダイアトニックなシステムの中で和音の構成音が「七声」を得るのはサブドミナントの場合である、という風に言っているのは、喩えるならばトニックとドミナントは生卵を立てた時の頭と底の関係の様なモノと捉えていただけると判りやすいかもしれません。サブドミナントが生卵の腹の部分。つまり寝転がって横になっている卵の状態だと思って下さい。


 ドミナント・コードではオルタード・テンションではよく現れますが「七声」を伴う事があります。概ねそれは11度音が変化して#11thになっている時でしょう。これはヘプタトニックの総和音とは言いません。何故かというと他の調性からの拝借に当て嵌まるので、単一調性内から7つの音を全て使った「飽和」とは呼ばないからなのです。本当の意味での調的社会システムにおける総和音というのは、調性外の音を用いる事なく飽和状態を作り出す事を目的とするのでありまして、通常ならばサブドミナントに限られるワケですが、そういう意味でもリストのそれはやはり異端であるとも言えるでしょう。

 ただひとつ言える事は、リストの使用例でも確認出来る様に、朧げ乍ら感じ取れる調性の奇を衒うかのように別の方角から音が聴こえて来るかのような効果があるように(トニックを予期していたらドミナントの音が鳴ったという様な突拍子も無い感じ)、非常に面白い効果を得る事はお判りいただけるかと思います。調的なシステムに於いても色んな例外はありますし、それ以上に調性とやらをきちんと理解しておかなくてはいけないのでありますな。


 ココでもうひとつ思い返していただきたい事が、通常の和声システムの枠組みでは得られぬ様なハイパーな和声の成立です。複調・多調系の和音やら微分音が付加された様な、通常の枠組みとは異なるタイプの和音の存在を今一度鑑みると、それらは、「通常の」和声システムに於ける共鳴度の高い音程を足掛かりにしてぶら下がって、多様な和声的色彩を得ているという事であります。

 つまり、長三和音という「通常」の和声体系の最も安定度の高い和音に「something」が付随していたり、それは別に短和音に付随する形であっても良いとは思いますが、やがては共鳴的な音程に「something」がぶら下がっている状態だと思っていただけると判りやすいかなと思います。そうした本体に「ぶら下がる」形を全体として捉えて見た時、シンメトリカルな構造を見出す事があるのだと前回は述べていたワケです。

 そうした共鳴的な音程+somethingという形を発展していくと、おそらく、ぶら下がりの形が作用するのは通常の枠組みの中で起こる「脳の補正」も視野に入る様になり、例えば実際には共鳴的な音程に微分音が付加されていたのだけれども、そのシステムとは別の体系として微分音側が平均律に「補正」される事に依って全く別の和声体系が生まれたりする事も歴史的には生まれてきたと思います。そうした「補正」という物もひっくるめて考えると、今度は等音程という「均された」世界に行き着く事となるワケでして、結果的に「均された」音程というのは例えば増三和音+somethingとか減三和音+somethingとか完全四度の等音程+somethingなど色んな状況が視野に入って来る様になるのでありまして、等音程への足掛かりが結果的に強固になるというワケで、こういう世界の扉を開ける事にも繋がるワケですね。


 既存の曲に対して、複調・多調的な和音やシンメトリカルな構造や等音程の断片やらを見付ける事というのはそれが「通常」の和声体系に収まらない理解だからこそ行き着くモノでありまして、こうした世界観を身に付ける事で考えが及ぶ事も往々にしてあります。例えばそれはウェイン・ショーターが好例だという事を今回あらためて述べるワケですが、「本来」のジャズの理解を一旦払拭して等音程の世界を好意的に解釈する必要がありますので、従来の狭いジャズ的な考え方だと理解が及ばない可能性もありますのでその辺りはご容赦を。


 「古い」ジャズ体系というのは、和声的な世界を垂直レベルに掘り下げれば、高度に集積されているのはドミナント7thを用いる所で、この様な時にオルタード・テンションを使ったりする事で集積を高め和声的な色彩を強めるモノです。しかし、オルタード・テンションを用いても#11th、5th、♭13thという風に半音が連続するようなケースは稀ですし、ナチュラル11thが現れるケースも亦稀です。

 前者の場合は前述の様に半音の連続が集積する事でどことなくジプシー・スケール・ライクになってしまうのでありますが、5th音を和声的に省略しない場合ではヴォイシングに於いて綺麗に響かせる事が難しくなるという理由もあるかもしれません。但し禁忌ではないので使ってはいけないなどとは一切申して上げていないので使用に尻込みする必要は全く無いと思います。

 後者の場合というのは、通常の和声システムを壊すワケですね。ドミナント・モーションに於ける解決先の音をその時点で使う事を意味しますから、折角舗装したアスファルトの上に突如軟弱な地盤の上を歩いて進行しようとする様なモノですから扱いにはホトホト困る事でしょう(笑)。ジャズというのは古い調的システムの良い所を利用し乍ら、「別の調性に対して坂道を作る様な物」としてツー・ファイヴを細分化したりして行く事で自分自身の立ち位置から坂道を下るかのように調的な牽引力を利用して別の方向に進むという事が醍醐味なワケです。ところがナチュラル11thを作ると坂道が発生せずに自走してくれなくなるモンだから厄介、という風になってしまうのです。少なくとも既存の古いシステムに慣れきってしまっている者からすれば(笑)。


 ドミナント7thに於いてナチュラル11thが登場し乍ら別のオルタード・テンションも包含しているケースを好意的に高次な世界で解釈した場合、ドミナント7thという和音は元々減三和音という減七という短三度等音程の断片を包含している和音ですので、「等音程+something」という考えに発展させる事が可能となります。或る意味では、ドミナント7thの3rd音は等音程の応答位置のひとつである、と解釈しても問題はないのです。

 では、ドミナント7thの3rd音を「共有」(=応答)し乍ら、本来の和音の体である根音+減三和音(減七という短三度等音程の断片)という形とは別に、3rd音をシェアする様に完全四度等音程の断片である3音をぶつけてみましょうか。仮にC7という本来の形があったら、そこにはE+A+Dという体をぶつける事となります。

 するとそれは、結果的にE音は重複する物のナチュラル9thとナチュラル13thが付随された事となるワケですが、元々が「等音程」というシンメトリカル構造の発想なワケですから、ドミナント7thの3rd音に対して応答する音がシンメトリカルであっても問題は無いワケです。オクターヴのシンメトリカルな構造はまず三全音の関係(対蹠点)が浮かぶワケですから今度はドミナント7thのE音から三全音のBb音に対して等音程を「応答」する様にしてみます。


 先の例の様に完全四度等音程の断片である三声をC7のBbに対して応答させるとBb、Eb、Abという音を得ます。元のC7から見れば結果的にEb音とAb音を拡張的に得た事となります。


 これらの例だとまだまだ通常のドミナント7thのオルタード・テンションを視野に入れたモノになるだけで使い方としては甘い例になってしまいます(笑)。

 今度は等音程の側に目を向けてみた場合、完全四度等音程といえど先の例というのは強調している通り「断片」でしか過ぎないのでありますから、完全四度の等音程の側というのは別の方向へ目を向けて拡張させてもなんら問題はないワケです。

 例えば先のBb、Eb、Abを得た時に、Bbの完全四度下に音を付加してもなんら構いません。するとF、Bb、Eb、Abという風にも解釈可能ですが、ここで完全四度「下方」に目を向けるのは、上方に目を向けてしまうと倍音の進行を視野に入れた「四度進行」に対して順行となってしまうので敢えて「逆行」を用いるワケです。

 すると、完全四度等音程の累積の逆行というのは結果的に下方倍音列が視野に入るワケですね。つまりそれはフーゴー・リーマンが長調の鏡像形をフリジアンの下行形に見出した所から端を発する構造なワケですね。

 「逆行」を視野に入れるとC7の側からはナチュラル11th音の発生に伴って、元々包含している減三和音という等音程の断片ともう一つは拡張的に与えた完全四度等音程の断片を持っている事になります。

 完全四度音程を下方に累積する事は上方倍音列と同様なのでは!?と勘繰る方もいるかもしれませんが、それは根音から応答していれば同様になってしまいますが応答する音程が違うので逆行を視野に入れているワケですね。


 結果的にドミナント7thが本来持っている物とは別の由来の等音程を導く事が別の調を向くという足掛かりになっているのです。この等音程は今回の例は偶々完全四度を例に挙げただけの事で、他の等音程を当て嵌めても問題はありません。


 そこで漸く本題のウェイン・ショーターの話題になるワケですが、今回例に出すのはウェイン・ショーターのアルバム「Atlantis」収録の「The Last Silk Hat」であります。新譜の「Without A Net」からも色々やりたいのですが、検証に時間が掛かるのもあり今回は「The Last Silk Hat」から例を挙げるコトにしております(笑)。魅力については今も不変なので、ウェイン・ショーターが特異な存在であるという事があらためて理解できれば良いのではないかと思うので、敢えて「Atlantis」から挙げてしまいます(笑)。


 早速「The Last Silk Hat」の注目すべき部分を例に挙げますが、CDタイムでいうと丁度3分辺り、2:59~の所が宜しいでしょうか。譜例とは少々異なりますが、こういうヴォイシングで表す事が可能な部分が出て来ます。コードは敢えて載せておりませんがそれについて今語ることにしましょう。

 ここで登場するコードは、従来のジャズの理解の範囲ならば「F#7(9、#11)」と表記される筈です。譜例通りならば5th音はオミットですが、ジャズの場合はアンサンブルにおいて表記されている音が入ってなくても便宜的に使用される事があります。7th音は実際には一切含まないのにアッパー・ストラクチャーの為の理解の為に与えられていたりとか、例えばC7(b9、#11、13)とあっても実際にはBb音が無かったり、或いはG音がオミットされていたりとか普通にある事です。そういう例を踏まえると、今回のこのコードは前述の様に「F#7(9、#11)」と表記されて普通なんですが、念のために「「F#7(9、#11) omit5」としておきましょうか(笑)。
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 でも、重要な事はソコじゃないんですね。御大はH音(=英名B音)吹いてますんで(笑)。つまりF#から見たナチュラル11thですね。

 その「異端な」プレイからすると最早上声部のA#音をB♭音と解釈して、C7aug/F#と表記しましょうか!?いやいや、いくら何でもそれだと今度はドミナント7th上で御大がCから見た長七度の音を吹いているコトになっちまいますぜ!となるモンですから、こりゃあ解釈に骨が折れるってぇモンですぜ!というのが通常のジャズの枠組みでの解釈ですわ。

 ジャズの多くが陳腐化してしまったのは、こうした実例から先の検証が行われずに「それがウェイン・ショーターだから」だとか「それがジョン・スコフィールドだから」とか「それがハービー・ハンコックだから」とか片付けてしまった所にも責任があると思うんですな。そうして皮相的に違いが判ってはいても「それがスタンリー・カウエルだから」とか余り名の知られていない人となると全く考えが飛躍される事なく、唯単に特別に扱う事でその場をやり過ごすという事で今度は唾棄したくなるような甘ったるいジャズばかりが礼賛される様になってしまうという。つまりジャズがパッと聴きの素人耳にも判断できる音と方法論が「ジャズ」として残っていき、異端な方はどんどん片隅へ追いやられるという始末ですわ。

 ショーター御大の新譜「Without A Net」など初めて耳にした時など、WERGOレーベルから出したと言っても遜色ないだろうな、等と思い乍ら私は聴いておりましたが、ジャズに対しての方法論とやらが今現在ではやたら狭い所で取り扱っているだけのモノが席巻してしまっているのが現実なんですな。或る程度スケールを覚えてスケール・ライクに弾くだけの方法論とか、その方法論を覚えてしまえばそれこそ自分の技量を精一杯活用してギンギンにスケール・ライクに押し込めればサーカス・プレイにも相応しくなり、その手の音に食い付いてしまう輩は魅了されてしまうんですな。ドリーム・シアターとかスケールライクに弾くだけの某女子ジャズピアニストさんやらに魅了される人というのは共通点があるかもしれませんね。歴史あるジャズの表紙飾っただけで音楽性というモノが本当に評価されて然るべきなのか!?というとそれは全く違うと思います。Vogueに載ったら別の意味で驚くかもしれませんが、議員がVogueに載った所で議員の資質が評価されるモノではないという事は痛いほど皆理解している筈なんですが、それが音楽人に変わっただけの事で・・・(笑)。


 ハナシが脱線してしまったので今一度御大の話題に戻しますが、先の「The Last Silk Hat」というのはドミナント7thである様でドミナント7thではないという理解から「等音程」を理解しなくてはならないのであります。
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 御大が作り上げているのは2つの異なる等音程の併存の状況でありまして、譜例にある通り、F#から完全四度音程を累積させた等音程と上声部にG#から長二度の等音程の併存という状況だという事への理解に及ぶ必要があるのです。

 奇しくも完全四度等音程の断片である三声の体はsus4とも認識が可能であります。つまりは今回の譜例からだとBsus4でベースがF#を弾いているとも解釈は可能なのです。そうした「便宜的」に与えたBsus4に於いてG#音、A#音、B#(=C)音を使っている、という風に理解すると、「sus4のルートから半音上の音使ったり(B#=C音)、半音下の音使ったり(A#=Bb)、長六度下(G#)の音使ったり出来るのは何故なのだろう!?」という脈絡に対してきちんと道筋を立てて考える事が出来る様になるワケです。

 こういう検証をすれば、ショーター御大は決してドミナント7th上で本来忌避されるナチュラル11th音を忌憚なく演奏しているのではなく、Bsus4というコードの根音を演奏していて、Bsus4から見ると到底脈絡が希薄な音を他が弾いているという風に見渡せるワケです。でもそれはBsus4由来のハーモニーとして聴こえるのではなく、F#音を基幹とする別の体系が生じているのですが、BとF#という関係の「逆行」から挟み撃ちにしているという状況が判るだけでも収穫があるのではないかと思います。

 だからこそこうした等音程と複調・多調を視野に入れた見立てが必要となるのでありますね。