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坂本龍一に見る微分音の活用 [楽理]

 扨て、今回は趣向を少し変えて「微分音」の話題を語る事に。


 過去にも微分音の表記について取り上げた事がありましたが、今回は楽譜の記譜という側面ではなく微分音が用いられている用例を挙げて語るという事を目的としております。微分音というモノは平時の12等分平均律の枠組みに当て嵌まらない「ズレた」音なワケですが、それ単体で使っても効果は薄いですし、440Hzのコンサート・ピッチで律されたドミソの長三和音よりも各構成音が50セント低い長三和音のみを独立して弾いてしまってもそれは427.5Hzで調律されたドミソと変わりなくなってしまうのは先にも語った通りです(笑)。

 現代社会において微分音を効果的に聴かせるには、律された従来の音響的空間に微分音を加えるという手法が採られます。そうでなければ意味が無いとも言えるのでこうした手法は或る意味当然とも言えますが、そんな唐突に「当然」とカタを付けてしまっても、微分音を実感している人は極めて少なくなるのが現状でしょう。

 微分音から外れた音は自然倍音列の高次な方でも出て来るので、実際には誰もが無意識レベルに微分音は聴いた事がある筈ですが、音律の支配感が強い為脳の補正が働いて無意識に聴いてしまっている人も多いかと思います。今回語るのは微分音に対して意識を高めよとかそういう事を言うつもりは毛頭ありません。微分音が齎す不思議な作用だけでも知っておくだけで興味深い事が判ったり、音響的な効果や和声的追究の意味でも役立つ事が多いのではないかと思い、取り敢えずは知っておくだけでも損はないだろうという事でこうして語っているワケです。


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 私がポピュラーな方面の音楽で最初に微分音というのを強く意識させられた曲は、ジャコ・パストリアスの「トレイシーの肖像」に依る高次のナチュラル・ハーモニクスを用いた演奏と、坂本龍一の当時の日本生命販促用の非売品アルバム「Life in Japan」収録の「夜のガスパール」(※現在では他のベスト系アルバム若しくは2015年リマスターとなる2枚組CDの『音楽図鑑 2015 Edition』で入手可能)のBパターンでの音響的な白玉和音でしたでしょうか。こうした実例が当時の私が遭遇した経験でありました。時期的には「Life in Japan」というのはアルバム「音楽図鑑」の制作時期とダブるはずなので、概ねその辺りの時代だという事をご理解ください。このブログ記事の投稿時からは29年前の事となるのですね。ほぼ30年と言って差し支えないかもしれませんが(笑)。

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 現在はNHKのEテレで坂本龍一のスコラ音楽の学校をやっている時期でもありますから、そうした時期に合わせて今回は坂本龍一の「夜のガスパール」を例に挙げてみようかと思います。「夜のガスパール」に用いられている微分音というのはBパターンに現れる独特の卒倒感のあるきらびやかな和音の事でありますが、結論から言えばこの和音の一部には四分音・六分音・八分音が使われています。



 四分音という事は半音の更に半分、という事を意味しますので、ピアノの鍵盤で言えばミとファの間やシとドの間に丁度半分の音がある様なモノだと理解していただければ良いかと思います。半音は十二等分平均律で100セントなので、1単位四分音=50セントとなります。

 六分音は全音を6等分するので、ドとレなどの音程である全音を6等分した物であり全音音程が十二等分平均律では全音は200セントなので、1単位六分音=33.3セントという事になります。

 六分音を取り扱うに際して自然七度という自然数=7を底とする純正音程比を基本音から見立てた場合(※4:7という風に)、平均律の短七度(=1000セント)よりも「ほぼ」1単位六分音程低く「968セント」を得られるので概して自然七度は六分音の近傍として同列に扱われる事が多いです。加えて、自然七度そのものが近傍の十二平均律の半音よりも四分音の1単位微分音に近い(※50セントと32.825906セント)事もあるので、自然七度が四分音の喚起として均されて用いられる事もあります。

 八分音は全音を8等分しているので1単位八分音=25セントという風になります。音律体系にて一般的に言われる「コンマ」に非常に近しい微小音程でもあります。

※本記事投稿当初は私の拙劣な採譜もあり、四分音が内含されるだけとする不充分で誤った採譜で持論を展開しておりましたが、2019年9月18日時点で大幅に訂正させていただきました。

 先述した様に、微分音というのはそれ単体で使うよりも従来の和声的な枠組みである音律という確固たる基準のある音響空間と「併せて」使う事で効果が増大します。つまり、従来の音律の「ドミソ」に何らかの微分音を加えれば、その与え方次第ではとても興味深い微分音を用いた和音を鳴らす事ができるという事を意味します。今回あらためてYouTubeの方に譜例動画をアップしたので、後ほど楽曲解説も併せて語って行く予定です。








 微分音表記に慣れていない方からすれば面食らうかもしれませんが、次の様な注釈があれば理解しやすいと思います。「♭」が線対称でインバートした記号が実際の♭よりも50セント高い音なのだという事を示しております(※「夜のガスパール」に用いられている微分音変化記号については後ほど解説)。

 つまり便宜的にここでは調号に微分音を与えている譜例の最低音を「Ases」とドイツ流に表記しますが、実際には「Ases」と表記したならば通常の平均律の空間では「A♭♭」の意味の事なのでそれは「G」と同様なのですが、微分音を扱う時の「Ases」という読みは、四分音を意味したモノとご理解ください。「Aseses」としたら微分音の場合は八分音を示すという事も同様です。私のブログでは前後の文脈に微分音を扱っていない時以外ではこうしたドイツ語読みは統一しておりますのであらためてご注意いただきたいのですが、平均律の音空間のそれと混同しない様に、一般の方は注意が必要という事です。

 次の動画は原曲です。





 扨て、茲から楽曲解説になりますが、本記事初稿時では私の不充分な分析もあって微分音を採りきれていないばかりか、調性判断に於ても異なる四分音組織の増三和音を取って複調と判定させてしまっていたので、今回はその辺りを訂正し乍ら語る事になります。当初はBナポリタン・マイナーを引き合いに出して語ってはいた物の、本曲は取り敢えず「ロ短調」で示す事にしました。

 とはいえ本曲に機能和声的なカデンツ(終止形を標榜する)はなく、ロ短調としてのトニックやドミナントも現れる事のないモーダルな状況下でブルース進行を散りばめてドミナント7thコードを聴かせる所に最大の特徴があるかと思います。ブルース進行も、よくある全音あるいはセスクイトーン進行をさせる様な物ではなく、半音の平行進行の過程に適宜用いられていたりするのですが、スパニッシュ系統のアンダルシア進行の類に聴かせない様に曲想を構築しているのも特徴的であろうかと思います。


 譜例動画をあらためて確認してもらう事にしますが、1〜4小節目での増一度&短二度平行進行全てのコード・サフィックスには態々メジャー・トライアドを示す「△」を付与しておりますが、これらは後に現れるアッパー部の追加にてコードの真相が露わになる事を示しており、それらはメジャー・トライアドを冒頭からは示してはいても全てがドミナント7thコードに置換される訳でもないという事を強調したのであります。




 特に注意すべきは2小節目での3〜4拍目にかけて「A△ -> A♭△」として進む所です。後続「A♭△」というのは本編Aテーマとなるとコードが変容します。

 4小節目では移旋(モード・チェンジ)をしており、ロ短調(=Bm)からイ短調(Am)へ移旋していると想起する方が良いでしょう。イ短調での全音階的に下行平行進行を採るのですが、最後の「D△/G」というのは本テーマでも非常に曖昧な程に世界観が暈滃されております。

 5〜8小節目もコード進行は同様ですが、8小節目2拍目からマリンバが入って来るので、それを態々両手に分けて五線の高音部と低音部を跨いで表記しております。


 9小節目。茲からCP-80と思しきエレクトリック・ピアノにアッパー部が付与されてきて和音の全貌が見えて参ります。1〜2拍目は「G△7 -> A♭△」。後続となる「A♭△」は、更なる後続和音の「繋ぎ」となる経過和音として忍ばされているのですが、ロ短調での短調下中和音(短調サブメディアント)=「♭Ⅵ」から入って半音上行を採るのであるならばロ短調側から見た時の「♮Ⅵ」が半音上である筈なので「G♯△」とすべきなのではないか!? と思われる方もおられるかと思います。

 然し乍ら、短調サブメディアント「G」から半音上がるそれは、ロ短調での「♭Ⅶ」の変過和音として作用させたかったので「A♭」とさせていただきました。そうする事で、3〜4拍目で生ずる「A7(♯11、♭13) -> A♭7」というブルース進行にトライトーン・サブスティテューションが介在したそれらが「G△7」への一旦の帰結の為に用意された進行であるという整合性が採れるので、この様な音度表記を選択したのであります。

 
 扨て、10小節目での3〜4拍目で生ずる「A7 -> D7(9、13)」に関しては、それまでの進行と比して非常に調的な下行五度進行に映る訳ですが、特に後続の「D7(9、13)」というコードは、それまでの流れからすれば「A♭某し」が現れる筈の所なのです。この和音を三全音代理にして「A♭△」または「A♭7」から「D7(9、13)」へ置換させる事で、ロ短調の平行長調にある主和音を「Ⅰ7系」へ副次ドミナント化させた上で、ロ短調の「♭Ⅵ」へと、自身の立ち居振る舞いを強化させているという訳ですね。「♭Ⅶ -> ♭Ⅲ -> ♭Ⅵ」という下行五度進行を経て。

 それを調的には聴かせない所は、9小節目から入るファゴット風のシンセ・リードの「ロ短調をひしひしと感ずる」節回しを♭Ⅵの側から斜に構えて音楽的に見つめている様に、主音を直視したくない現れとして「♭Ⅵ」の立場とやらを決してトニック感が備わる様には聴かせずに振舞っているのであります。その振る舞いを強化する為に、過程にある和音を偶々下行五度進行に置換して乙張りを付けていると解釈して然るべきでありましょう。


 12小節目4拍目での「Em7/D」では、エレクトリック・ピアノは明確に [d] をオクターヴで奏しているものの、肝心のベースは [g - a] と進んでおります。とはいえこのベース・ラインには和声感を強く押し出すフレーズとしては作用しておらず、3拍目 [e] からの惰性的でダイアトニックなフレーズ(※ [e] から見て五度音= [h] を目指してはおらず、和音構成音の手招きとは異なるダイアトニックなオブリガート的な揺さぶりでしかない)である為、コード表記に影響しているのはCPの左手低音部の方であろうと解釈したので斯様な表記としております。物理的にはCPよりも音が低いベースがあるのは確かなのですが、和声的な形成としてベースが作用していない箇所であると言える訳です。

 13〜24小節目も同様なので解説は省略します。

 
 25小節目からBテーマとなり、本曲の真骨頂となる微分音が出現して来ます。茲からのテーマとして顕著なガムラン風のチャイムは、弱勢部を高音パートして二声部に分けて表記しております。この部分のコードをエレクトリック・ピアノの冒頭のヴォイシングだけから勘案すれば「G△7」ではなく「G△9」としても良いかもしれません。

 然し乍ら3〜4拍目で現れる両手でダブル・クロマティックを連鎖するアプローチでのそれは、ロ音= [h] を目指すフレージングなので、[g] から見た時の9thの振る舞いは確かに上拍にあろうとも 「G△9 -> G△7」とまでする必要はないだろうという解釈から敢えて「G△7」として留めております。つまり、小節冒頭で [a] 音が付与されたという解釈なのです。


 26小節目から移勢されて八分音符食った 'Synth Pad1' の低音部には待望の微分音が生じます。 [g] よりも25セント低い音から26小節目冒頭 [e♮] へ「スラー」として。

 同様にして26小節目冒頭の同パート高音部では、下から [cis] より25セント高い音(※幹音 [c] からは125セント高となる)、[fis] より50セント高い音(※幹音 [f] からは150セント高)、それらに [gis] が加わっているという実に音響的で虚ろに響く微分音のハーモニーを構築しているのであります。

 これらのハーモニーにエレクトリック・ピアノが装飾音を塗しながら奏されている所も本曲の醍醐味のひとつではないでしょうか。

 26小節目でのコード表記は、母体となる「E7」に対して「♭9、♭13、短二十一度より25セント高、短二十三度より5単位四分音高となる「オルタード・テンション」を付与した表記としております。結果的には短属九が母体になっているのでありますが、実際には♭9thとした音こそが♭23rdであり、短二十三度の5単位四分音高い音とした音が「♭17thより50セント低い」音とした方がより良い表記かもしれません。

 というのも、F. H. クラインの 'Grandmother-Chord'(故田代櫂訳著では「母和音」)は、その後のスロニムスキーのレコメンドでは「短二十三度の和音」として知られ、芥川也寸志は「属二十三の和音」として紹介している物でもありますが、これらは訳が微妙に異なるだけで全く同様の和音を示しており十二等分平均律に於ける半音階の総合=総和音を3度音程にて堆積させて生じさせる物として知られる物ですが、母和音を基とし乍ら微分音を包含するオルタード・テンションとして示しているだけで、正当性とは又別の観点で便宜的に確認していただきたいと思います。

 27小節目の2拍目からは、本曲で最も顕著な微分音が現れます。これは 'Synth Pad2' にて示しておりますが、下から [f] より33セント低い音、[gis] より25セント低い音、[cis] より33セント低い音が28小節目2拍目まで掛留されており、先述の 'Synth 1' の微分音たちが混ざって来るという状況なのです。

 
 尚、本曲で現れる微分音変化記号は次の通りとなっているのであらためてご確認ください。

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 こうした響きは、あくまでも従前の十二等分平均律に於ける調性体系(=旋法的性質)が下支えとなっており、微分音体系をも取り込んでそれまでの体系をも見せなくさせてしまうほどに混淆とする世界観とは趣きを異にする物であり、標榜するのは従前の調性体系である訳です。その調性とやらも長調・短調とは異なる旋法的なキャラクターとしての調性なのであるという所も重要な理解である訳ですが、こうした多様な微分音の響きは「甘酸っぱい」と言いますか、非常に既知の体系に強いアクセントとなっているのは確かでありましょう。


 今回あらためて採譜の作業に大いに役立ったのが、2015年エディション(再リマスタリング)としてリリースされた2枚組CD『音楽図鑑』(MDCL-5034/35)です。また、ガムラン系のチャイムに混ぜて使ったのがArturiaのCMI Vでの 'Flutow' というライブラリであります。

 今回あらためてCMIの機能に気付いたのは、TUNE/MAPのパラメータの 'GLOBAL TUNING' の 'Scale' で手軽に直線平均律法(=linear temperament)にも対応できるので、非常に素晴らしい螺旋律を組む事が出来るという事です。例えば、シュトックハウゼンの『習作Ⅱ』で顕著な「2オクターヴ+純正長三度の25等分律」=[5^(1/25)] を組む事が出来ますし、四分音=24TETを構築したいのであれば [2^(1/24)] とすれば手軽に構築できるので非常に便利だと思います。フェアライトCMIも実機がそうであったのかどうかまでは確認できませんが、それが当時から出来ていたとすると遉CMIという所でしょうか。

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 CMIでそうした微分音の音律を組む事が可能だとすると、ドナルド・フェイゲンのソロ・アルバム『The Nightfly』収録の「Green Flower Street」の曲エンディングでの四分音による下行グリッサンド(下記動画の埋め込み当該箇所)も、おそらくやCMIに依るギミックなのではなかろうかとあらためて推察する所であります。あのグリッサンドそのものが四分音である事は間違い無いので、四分音グリッサンドに手軽にアクセスできる方法となると、当時はこうした機能に肖るしかなかったのではなかろうか!? とあらためて考えてしまうのであります。




 CMIで直線平均律法という螺旋律を実現可能となると、単に24TETばかりではなく[3^(1/38)] と遣れば、オーバー・トーナル5th(=tritave=トリターヴ)という純正完全十二度音程を38分割させた四分音をも使えるので、非常に面白い効果が期待できる事でありましょう。こうした機能を当時から坂本龍一は操っていたという事を考えれば、微分音を用いるのは必然であった事でありましょう。

 そうした現実に後年になって漸く気付く私のヘッポコな音楽感と耳にはあらためて情け無いという事を思い知らされるばかりであります。