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ウェイン・ショーターに学ぶ複調 [アルバム紹介]

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 扨て、先日ウェイン・ショーター御大のブルーノート・レーベルからの新譜「Without A Net」が発売された事は記憶に新しい所でして、硬質なジャズを今もこうして繰り広げているのは素晴らしい事でありまして、レジェンドが今も尚こうした音を繰り広げているのに若い連中と来たら・・・(笑)。


 ジャズ界隈のみならずロック界だって本当はなかなかレジェンドと呼ばれる人達を超えられないのが実状だろうと思われ、ロック界ならばU2以降新たなビッグな人達が現れているかというとやはり疑問符が付くモノですし、ジャズに比べればロック界などまだ恵まれた方かもしれません(笑)。
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 御大の今作「Without A Net」のジャケットは、なんとご本人に依るモノだそうで、実は絵も描いたりするという事を初めて知った私。生産国のCDリム番迄拘る私ですからありとあらゆる盤を買い求めていたりするモノですが、こういう個人的趣味と楽理的背景とやらは無関係ですので、今回語るのは勿論楽理的な方向からの事でありまして、早速2曲目の「Starry Night」を例に語ってみる事に。


 「Starry Night」は各テーマがハッキリとした区切りを持っていないテーマで推し進められて行きまして、パティトゥッチが弓で弾き始めると最早その時点で3分は経過しているという(笑)。でも、ここでのパティトゥッチがアルコのボウイングをする時の「掛留」とコード進行の流れこそが、ジャズの垂直的な和声とは少し違う、それこそクラシック音楽でいう所のポリフォニーっぽさを演出しているのが妙味なのであります。

 ポリフォニーっぽさが醸し出されているからといってクラシック音楽をイメージされては困ります(笑)。ウェイン・ショーターの音楽がジャズの中でも異彩を放つ輝きを持っているのは、調的な世界に於いて単純な世界の方角ばかりを向かない所に最大の魅力が隠されているワケです。そうした特異な音は、通常体系化されている和音や方法論が異なる所があるので、それが独特の味になっているのであります。

 おそらく、ジャズを堪能する人達の中で理論的な背景など無視あるいはそうした知識を以てして語れない人であってもウェイン・ショーターの音の異端さという物は感覚的に認識しているだろうと思います。それを「味」と形容した場合、誰もが認識できる味ではあるけれども形容し難い独特の味なのでありますね。

 ジャズの語法に長けた者からしてもウェイン・ショーターのジャズ的語法は少々面食らうモノでありまして、楽理的な方面でのジャズ理論を知っている者でも一般的に体系化されている類の方面しか知らない者からすれば取り扱いにくいのがウェイン・ショーターの音楽ですが、それを理論的に証明しているのは少ないのも特徴なのです。

 仮にその証明が他の場面にもふんだんに活用できる物であればそうした方法論は活用されるでしょうが、ウェイン・ショーターの場合はオリジナリティが強いのか、他の場面で活用しきれないからここまで未開の地の様に遺されて来たのではないかとも思います。南極の氷の下にある湖のように(笑)。

 
 ジャズといっても体系化された一般的な方面のジャズというのは調的世界こそ嘯く物の、見ている方角は単一の方向であり共通理解の下で単一の調性を動きつつ、偶にはそれを「嘯いて」みたりして調的な世界に対して平均台の上を渡り歩く様な物が一般的なジャズの方法論だと思って下さい。

 ウェイン・ショーターの場合、ふたつの異なる平均台の競技を同時に観る様なモノだと思っていただければ良いでしょう。ふたつの異なる競技を見落さずに審査しなければならない様な物だと形容したら判りやすいでしょうか。


 一般的なジャズの語法では、単一の調的な世界を嘯く遊び方というのはとても巧みな為、それこそがジャズの真骨頂です。ほんの僅かなシーンに於いても仰々しいほど細かく細分化されたコード進行にしていったりする事もあります。そういう枠組みの中からほんの少し調性から外れたりする事はある物の戻って来るのもジャズなワケです(笑)。つまり、調的な世界を認識し乍らそこから逸脱したり戻って来たりする感覚にスリルを覚えるのがジャズの第一の段階でありまして、調性からの逸脱と呪縛の反復ばかりではなくプレイヤビリティーに溢れた技術の結集の様なフレージングを垣間みたり、渡り歩くのすら難しい拍子やリズムを何の苦もなく渡り抜ける様なプレイやら、そうした色んな要素という物は一つに括るとすれば「難解」な所にぶら下がる物でして、ジャズ聴いてりゃ難解な物にブチ当たるのでその遭遇を待つという人だっているワケです。


 でもこうした難解さ、という物も慣れて来るとある程度掴める様になって来るモノでして、特に単一の調性に乗っかっている場合、そこの難易度を高めるのは先ずはテンポやコードの集積(時間的)に現れて来ます。つまり一拍が8分音符に感じてしまうようなスピード感の中でのフレージングの応酬やらになります。そうした世界で生み出された難解な様式が今度は緩やかなテンポの曲で活用されたりする事で和声の垂直的な構造の難解な方が今度は花が開く様に活用されていったりなど、そういう語法の繰り返しでもあったりしますが、やはり単一的な調性では方法論が明らかになればなるほど読めてしまうのも事実です。


 現在のジャズの方法論が行き詰まっている感があるのも、昔のそうした方法論から脱却できずにプレイも当時の名プレイヤーを凌駕する事がないという事で、音の面でも飽和状態と閉塞感のある世界で従来の語法をやろうとしているきらいがあるので飽きられてしまっているのですが、ウェイン・ショーターの場合抑も語法が少し違うワケですね(笑)。だからこそこんな時代に於いてもまだ瑞々しく新しく響くのであります。


 ウェイン・ショーターの特異な世界観は複調、つまりバイトーナル亦はポリトーナルな視点で観ると容易に繙く事ができますが、繙いたからといって耳に飛び込む和音やらをそのまま気軽に咀嚼できるかというと亦別問題です(笑)。方法論を理解した所でその方法論を真似てもウェイン・ショーターの様な音楽を作る事は不可能でありましょう。ショーター御大だって複数の調性をひとりで全部並列に扱っているワケではありません(笑)。原点を今一度見直してみるとあらためて判りますが、出す音は単音ですからね、あのお方は(笑)。


 ウェイン・ショーターの方法論を理論的に繙くと複調・多調を視野に入れると理解が伴うシーンに多く遭遇出来るのですが、だからといってジャズに於ける複調・多調を扱う方法論がショーター独自の物であると迄は言いません。但し、他の「単一的な」枠組みの方での方法論で当て嵌めようとしても当て嵌まってくれない理由が複調・多調にあるという事を先ずご理解いただければ宜しいかと思います。喩えるならジグソー・パズルのピースの様なモノでしょうか。非常に似通ったピースと図柄であってもどうしてもピッタリと嵌らないパズルのピースのそれに、単一の調性に依る語法がウェイン・ショーターに当て嵌まらないという。

 調性が多層になったからといって名うてのジャズメンがひとつの調性コロガシやらせりゃ相当なフレージングを多用するワケですから、方法論さえキッチリ則っていれば多様な世界は増すでしょう。しかし、無秩序にふたつの調性が絡み合うだけの様なインプロヴァイズをしてしまったらショーター御大の音とて無秩序に葬り去られてしまうでしょう。そこをそうさせないのが「共通理解」であり、この共通理解の意味する物は、それぞれ違う調性が互いに遭遇する為の着地点、つまり共通する音を共有して接続し合う事なんですね。


 こうした共通し合う音の接続という物は対位法的な方面で言うと「応答」と呼ぶ事があります。例えばFマイナー(=ヘ短調)のA♭音とEメジャー(=ホ長調)のG#音が異名同音で共有し合う事も珍しくはありません。この共有し合っている着地点を対位法の世界では「応答」と呼ぶのです。必ずしも対位法の理論書が「応答」と書かれている訳でもありませんが、私のブログに於いてこうした「応答」という語句を見付けたら概ね対位法の側面で語っている事だという事をご理解下さい。

 つまり、過去にフーゴー・リーマンの件でも語ったブログタイトル「六極応答」という物も、六個の着地点を用意する、という意味なのでありますね。


 着地点という物が定まらないと無秩序に複数の調性が入り乱れてしまう事になりかねないので、それこそが「共通理解」なのであります。例えばヘ短調の枠組みの仕来りでA♭augという和音を誰かが奏でたとしましょう。クラシックの枠組みで考えればこれは「短調のIII度」です。平行長調側の主和音を増三和音に変化させる狙いは、平行短調側に導音=E音を常に形成させるからですね。

 他方、ホ長調側の仕来りで挑んでいた者がEメジャー・トライアドを鳴らしたとしましょう。これはとニック側の世界ですね。先の別の調であるヘ短調と共有し合う音は「E音」であるのは明白です。

 この二つがE音という共通する音を頼りに「応答」した時、和声的に見ると両者はA♭オーギュメンテッド・トライアドtとEメジャー・トライアドの併存という形で均される事となります。多様な響きになる事は明白です。

 今回この様に引き合いに出して生まれたバイトーナル和音は、それぞれの調域を上声部or下声部のどちらに追いやっても、下声部に置いた時の音から見える音はまるで長三度と短三度の音が併存し合っていたり、短六度が同居している様な音を生じるのが最大の特徴でありましょう。つまり、ふたつの和音の主従関係を想起した時にA♭augという方を基準にした場合、A♭からは長三度音のC音と「あたかも」短三度のH音(=英名B音)が生じているのがお判りになると思います。
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 同様に、Eメジャー・トライアドを下声部においやって和声的な主従関係を先の例と入れ替えてみると、Eから見たフラット・サブメディアント(=短六度)方向にC音が現れるのであたかもEメジャー・トライアドに対して「短六度」の音が付随された様に響くワケです。
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 この後者の例、Eメジャー・トライアドを母体に短六度の音が付随する音の傍証はこれまで何度もやってきましたね。フィル・マンザネラ/801での「Initial Speed」でもそうですし、アート・ベアーズの「In Two Minds」や「Labyrinth」でもそうですし、ハーモニック・メジャーというモードを想起するのも宜しいのですが、メジャー・コードに短六が出て来たらバイトーナルつまり複調の世界に寄り添ったという事を実感した方がホントは早いのですね。
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 ウォルター・ベッカーのサーカス・マネーの発売辺りから私はこの手の事を悉く回りくどく説明しておりますが、繙いて語らないのは説明するにあたっての順序があるからでありまして、その順序に則って私が提示するよりも先に理解をされている方がいればとても有り難い事なのですが、おそらくそういう風に先読みが可能となる方はかなり限られた方となるので極めて少ないのが現状だと思うのでありますね。
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 今回重要なのはウェイン・ショーターの「Starry Night」に於ける特徴面を語るワケですから、そこで重要なのは、複調を用いても両者の調性がクッキリハッキリさせて使っているというモノではなく、一方の調性で生じている和音は「等音程」の物を使っている所が最大の特徴でして、実は複調・多調の世界観を極めて美しく輝かせる人というのはこうしたシンメトリカルな構造を鏤めて使うのが最大の「特長」だったりするんですね。

 ディミニッシュ・トライアドの場合、減七の断片ですから正確にはオクターヴを均等に分割した等音程ではなく等音程の断片というのが相応しいです。短三度の等音程は減七を生ずるので、長三度の等音程は自ずとオーギュメンテッド・トライアドに相応する音程で分割されるワケですね。長二度の等音程は全音音階(=ホールトーン・スケール)を生みますし、完全四度の等音程はやがては半音階を生むのであります。必ずしも1オクターヴ内に収めて考えないのも等音程の視野の特徴ですね。

 完全五度を等音程で累積しても構わないのでありますが、そこで得られる音は上方倍音列に補足されやすくなるので完全五度の等音程というのは「調域」を逸脱しない程度にしか累積させない程度にして使うという風に制限されるのであります。その制限は、等音程という手法を熟知していれば完全五度の等音程を使うよりも完全四度の等音程を使った方が上方倍音列に補足されぬ自由な音の空間を見出せるために完全五度の等音程よりも完全四度の可能性を自動的に選択するからであります。

 但し、長三度を増五度の転回として捉えて、長三度の脈絡を増五度に置換して役割を変えてしまう人もおります。こうする事で二全音と四全音を巧みに使い分ける事が可能になる希代のジャズマンがおりましたね。敢えて名前は挙げませんが(笑)。


 これの用法と同じ様にクロマティックを完全四度に拡大させて脈絡を「引き延ばす」という最たる人がスタンリー・カウエルですね。スタンリー・カウエルにA - B - H - Cという半音を与えたら、そのモチーフを間違いなく完全四度等音程の断片に当て嵌めていく筈です。言い換えるならAからHという長二度の脈絡の為に次の様な音を用意してA-D-G-C-F-Bb-Eb-Ab-Db-Gb-Hという音を紡いでいくという事ですね。これが「引き延ばし」。二度という音程に収斂させる方法と語法を多く持っているのがスタンリー・カウエルの最たる特徴です。ですから彼は四度フレーズを「ふりかけ」の様に使ってそこから生ずる触手が背景の音楽のレセプターに嵌るという形でリアルタイムにコンポージングしているワケでありますね。四度フレーズの組み立てがクラシック音楽界で巧みな人はヒンデミットを最初に挙げなくてはならないでしょう。

 私がヒンデミットやらスタンリー・カウエルを引き合いに出すのは唯単純に好きだからということばかりではなく、こうした共通項の中から見出しているものですので、黛敏郎のNNNニュースのテーマの最初のテーマの構築が等比音程の鏡像を見出す事ができる所にスタンリー・カウエルやらヒンデミットの手法を見出しても、皮相的な理解しか持たぬクラシック・ファンから面白半分に「馬鹿じゃねーのコイツ」リツイートを頂戴した事もありましたよ(笑)。決して賛意を伴わないという事だけは確かな(笑)。そんなリツイートに「なにくそ」と思う事も馬鹿馬鹿しいと言いますか、楽理的な背景をそんな輩に向けても理解できないのが関の山ですから、どうせならクラシックやジャズに興味がなくとも音楽理論だけはきちんと習得しようとする人に伝わった方が何倍も喜ばしい事なんですね。

 というワケで、今回もウェイン・ショーターの「Starry Night」にシンメトリカルな構造、つまり等音程の断片を見付けつつ複調が垣間見えればそれでひとまずは特異な世界を発見できるワケです。それは次の様に先にもツイッターで呟いていたのでお判りの方も居るとは思いますが、それがコレですね。


 Starry Nightの終盤CDタイム7:58~の和音はE△/F#dim -> Faug/Amという動きが出て来ます。ひとつの調性には長三和音か短三和音を割り当てて、もう片方の調性には等音程の類の和音を置いているという解釈です。

 こうした複調の脈絡を繙く場合に判りやすくする「因数分解」の様な見立てがありますので、等音程の類、特にディミニッシュやオーギュメントの形を見付けた時は、オーギュメントが現れている際はそれを恰も「短調のIII度」と見立ててみて下さい。ディミニッシュが現れていたら長調のVII度を想起してみて下さい。

 すると先のコードの最初の例である「E△/F#dim」というのは、下声部のF#dimというのはGメジャー(=ト長調)を「暫定的」に見出す事ができます。もうひとつのコードの「Faug/Am」というコードでのFaugを今度はDmのIII度と見立てれば良いのです。つまりニ短調を「暫定的」に見出す事ができるワケです。


 Gメジャーの調域に置いて通常Eメジャー・トライアドはダイアトニック・コードとして現れないので、あらためてバイトーナルだという事が判りますし、2つ目のコードでのニ短調に於いてAmというのは、ニ短調の属七として変化していなければ単一の調性でも有り得るパターンですが、想起した側がFaugからなので自ずと七度を導音に変化させた音由来からですので、ここで生ずるAmという短三和音は別の調由来の、但し近親的な調性由来の和音という事が同時に判るのであります。


 これらの和音の例をバイトーナル基準で見ずに、例えばドミナント7thを基準にしてオルタード・テンションやらを視野に入れた表記にしようとしても「E△/F#dim」だとF#をルートとするとH音(=英名B音)というナチュラル11thを包含しますし、和声的に存在しないD音を与えてみる事で便宜的にD7ナンチャラ系の表記(D7 9 +11 13 omit D)としてもオミットするのがルートってぇのも変な表記ですし(笑)、こういう事で態々頭痛める前に複調は目の前に現れているのでチャッチャッと対応してあげなければなりません。シンプルな発想で。

 ナチュラル11thの発生については御大の作品「Atlantis」に於いても過去に私が取り上げているのでご参考までに。
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 すると、片方にシンメトリカルな構造がある物として繙くと、こういうシンプルな形が見えて来るのです。こういうシンメトリカルな構造を持つ和音は奇しくもオリヴィエ・メシアンのトゥーランガリラ交響曲の第3楽章でのピアノの和音などとても顕著な例ですので、ご存知無い方は是非耳にしていただきたい部分です。