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マンザネラ [プログレ]

左近治にしては少々珍しい所から引っ張ってきたアーティストなのではないか!?と思われるかもしれませんが、今回はフィル・マンザネラ/801から「Initial Speed」という曲を取り上げるコトに。私の人生においてマンザネラの音に出会ったのは、ダイヤモンド・ヘッドではなく高橋幸宏のソロアルバム「Neuromantic」だったワケでありますが、いずれにせよ当時から「ヘタウマ系ギタリスト」として形容されたりしていたモンでした(笑)。

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なにしろ、当時私の周囲で10ccやJapanやピーター・ハミル(≒VDGG)に心酔していた友人などはマンザネラをコピるとヘタになる!とまで言い放ち、そりゃあもう散々な言われようでした(笑)。

懐の幅は大きくないかもしれない、しかし時折見せてくれる和声的感覚は、やはりこの人がなにゆえ重宝されるのかというコトを判らせてくれる曲のひとつが、今回取り上げる「Initial Speed」だと信じてやみません(笑)。

原曲の方は、シンセのヒョロロヒョロロ・・・という賑やかなフレーズから入ってくるものの、途端にイーノの世界っぽい静かな空間へ変容します(笑)。まあ、イーノっぽいとはいえども、ここの静けさの世界こそがカンタベリー風合いを見せてくれるという絶妙なモノなんですな。

左近治は無論、この静けさの世界からの部分を制作しているのでありますが、「動」の世界の方もかなり無理矢理引っ張ってくればソフト・マシーンの世界にもあてはめることは可能だとは思います(笑)。

まあ、そんな感想などどうでもよいのでありますが、いわゆる「静」の部分のどアタマのコードに注目です。


耳が疎いヒトは、この最初のコードをただの「Eメジャー」だと思っているんですなあ、悲しいコトに(笑)。ココを探れないようではマンザネラを容易く揶揄することなど出来るワケはないと思うんですが、「見抜けない&知らない」が故に恥の上塗りを重ねてしまうというヒト、結構多いモンです。

Eメジャーの雰囲気漂わせつつも、ココは「C△7aug(on G♯)」というコードが真相でありましてですね、1拍目の8分裏から下声部のB音を半音高くオルタレーションさせるかのようにC音ずーっと次のコードまで引っ張ってますね。どアタマこそEメジャー・トライアドですけどね。

Eから見ればb13thの音ですし、CaugのⅤ度(※この場合のⅤ度は必然的に♯5thを採る事になる)ベースという用法とも言えるでしょう。

表記は非常に悩むものの基がⅤ度ベースで無ければ「E (on C)」でも伝わるとは思うんですけどね。いずれにしてもベースはC音弾くワケではないので、この手の響きをマネされたい方は使い分けが重要でありましょう(笑)。

こーゆーのを見抜けないままヘタウマだのと揶揄しちゃうと、結局自分の元へその言葉がそっくり返ってくるコトになるので、知った気になって暴走しちゃうとてめえが痛い目に遭うので注意が必要ですよ、と。

カンタベリー系を知る方ならば、マンザネラがリリースした「クワイエット・サン」はご存知でありましょう。

カンタベリー系の響きが好きなのだなぁ、というコトを「Initial Speed」においてもほのかに感じ取ることが出来るのが悦に浸れるトコロなんですな。

マンザネラをカンタベリー系に属するとしても、系としてはケヴィン・エアーズのようなタイプに属するかと思うんですが(音楽的に)、そこにスティーヴ・ミラーのような世界観を嗜好するタイプなんだろーなーと私は思っております。

マンザネラの801をカンタベリーと形容するのはおそらくムリがあるでしょうが、そんなアルバムの中においてもカンタベリー系に感化されているだろうという世界観を散見することができるワケでして、こういうトコロを見落としてほしくはないという思いもあって今回リリースしているのであります。

カンタベリー系と称する数々のバンドに、決まりきったルールがあるワケでもありませんが、それらの人達が有している和声感覚などは、その辺のプログレやロックの連中とは一線を画す高次な音楽性を有しておりまして、その辺りがもはやロックだけには収まらない広い音楽性こそが共通項とも言えるでしょうが、マンザネラにおいてもそういう世界観はやはり有しているのだな、と実感するワケであります。

侮って音楽を聴いてしまうと痛い目に遭いかねない、という、これはキャラヴァンの毒の忍ばせ方にも同様のコトが言えるかもしれません。


ただ、カンタベリー系とやらも70年代後半から80年代など実際には細々とリリースはされていたものの、表舞台からすれば死んだも同然のような扱いをされて(笑)、世はどんどん「デジデジ」でニューロマンティックな世界まっしぐらになっていくワケでありますな(笑)。

初期ヴァージン・レーベルを追っかけていた方ならブッ直撃食らっているんでしょうが(笑)、ヴァージンの路線変更においてヘンリー・カウがその後どういう道を辿ったのか、というコトを考えると、今を思えばReRを設立して正解だったと思わんばかりですな。

ハード・ロックというスタイルも形骸化していき、もはやポップスの音楽なのに音だけ歪んじゃってる!みたいな音楽ばかりになり(笑)、そのハードな路線も度を強めヘヴィメタ(笑)がやってくるのでありますなー。

その手の音やらもいつしか飽きられ、90年代にさしかかりグランジ系やらアナクロ回帰、オルタナ系へ流行が移ると、突如カンタベリー系やらレコメン系やらが賞賛されるようになったという、非常に皮肉な変遷があったものです(笑)。

80年代って何だったの?みたいな(笑)。

この手の波に巻き込まれてしまったのは、クラシック界を除けばいかなるジャンルも侵食されてしまったのではないかと思えるほどで、ジャズもフュージョン界も80年代にあったデジデジな侵食をモロに受けるワケですな(笑)。

今を思えば、その80年代チックな音も面白味はあるものの、2009年現在を考えると、当時の80年代末から90年代アタマのような動きになりつつあるような音をチラチラを耳にするようになりました。輪廻しているのはいつの時代でも同様ですが、現在進行形の音がどう変わろうと、もてはやされる根幹の美しさは不変なのでありますよ。

左近治はいくらトシ重ねているとはいえ、初期ヴァージンをリアル・タイムで聴いていたワケではありません(笑)。その辺の人達は大体私よりも少なくとも3歳くらい上の人達です(笑)。

エラそーなコト言えるのはその辺の人達でもありましょうが、楽理的な面においてはチト語らせてもらおっかな、というのが私のスタンスでありまして、その辺りをご了承願えれば幸いですな。