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Slinky Thing ~ドナルド・フェイゲン 「Sunken Condos」考察~ [スティーリー・ダン]

 ドナルド・フェイゲンの新譜「Sanken Condos」が発売されたのを機にこうしてアルバム考察を繰り広げようと画策しているワケでありますが、アルバムタイトルは「水没したコンドミニアム」みたいに理解すれば宜しいのでしょうかね。暗喩に満ちたタイトルは今も健在ですな。
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 先ずは今作の音、私はかなり好きです。75年頃のAORを思い出してしまうかのような懐かしさを感じます。イナタさがあって音圧もEBU R128が広まって来たのもあって前作「Morph The Cat」よりも抑えられているようです。前作はステレオのパノラマ・イメージというのがおそらくPan Lawを用いているのか横の音がワイドに膨らむ印象だったのでしてそれはそれでまた良さがあるのも確かなんですが、フェイゲンやらSDの音は楽器群の構成はシンプルなので隙間を活かした音に慣れているせいもあり、今回がとても「余韻」を嗜む事ができるというか、膨張した空気のテンションを味わうような物とは対極に位置する、静寂のメリハリを感じ取れる音とでも言いますか。そうした音についつい何も考える事なく磊落に耽溺に浸りたいという落ち着きのある音にいつしかやはり耳が惹き込まれてしまうのが悲しい性であります。


 スティーリー・ダン(=以下SD)の作品「Everything Must Go」以降からフェイゲンの作曲の方法論で顕著なのはカノンの導入をアチコチで「散見」できる事です。カノンというのは端折って語れば「輪唱」にある様に「追行句と先行句」という風に、先行句のフレーズの音形を利用・借用したりする技法なのですが、良く知られた輪唱というのは音形も音高も全く同一で拍だけずらして唄う技法ですが、カノンの技法の醍醐味というのは、音形を借用し乍ら音高や旋法を変えていったり、音形を倍加してみたりとかそうして構築していくのが軈ては「対位法」になったりするワケですが、フェイゲンは近年カノンを積極的に導入している事は今作に限らず顕著です。

 そうしたカノンの技法が従来よりも更に鋭く決まっている曲が本作にはありますし、そうした所も含めて今回色々語ってみようかと思います。


1曲目「Slinky Thing」カル・ジェイダーやジョン・トロペイの姿を浮かべてしまいそうな非常に雰囲気のある曲。独特のイナタさと洗練された渋さが同居しているのはドラムが実にシンプルにビートを刻んでいるからでありましょう。

 リフ構築の隅々にまで計算高いアレンジとコード・プログレッションを感じる理由に、例えば曲冒頭のリフの在り方を取っても次のようなリズム譜にコードを充てて確認していただくと非常に緻密に計算された拍節に則ったコード付けをしているのがあらためてお判りになるかと思います(大局的なリズム譜ですが主にクラビネットが主役です)。曲冒頭の部分など特にそれが表れているのですが、コード一発系に思え乍ら実は随所にコード進行となるように和声構成音を縦に紡いでいるのです。それが次の譜例の様になります。

 Amキーですが、ワウ・ギターはドリアンの特性音であるナチュラル6thを鳴らした直後にそれをキッカケにクロマティックに下がる所に先ず注目すべきコードチェンジがあります。

 Emに転調した時の「More light, more light~」と続く時の直後のCmM9が壮絶な程にカッコイイですね(2ndテーマでのホーン隊とギターはナチュラル11th&ナチュラル13thも使って来ます)。素晴らしいッ!Eの方角からCaug方面に行く名曲と言えばSDだと「Negative Girl」なワケですが、「Negative GirlのそれはEメジャーからの「揺さぶり」で、この場合はEマイナーからの揺さぶりという点が絶妙ですね。ベッカー御大ばかりではないマイナー・メジャー9thのこうした揺さぶりはなんと心地良い事でしょう。和声体系に溺れた使い方ではないフレージングの動機付けが見事ですね。

 更にその後はB♭マイナーへ行くのは先の「More light, more light...」の方から見ると三全音離れた方へ推移している所をお見逃しなく(2ndテーマでは旋法的にB♭mM9を示唆してB♭m7を使ってメリハリを付けています)。そうしてC7(♭9)に進み、その後E7に行ってトニックマイナーへと解決するワケですね。素晴らしい紡ぎです(この部分の2ndテーマではホーン隊が入って来てのE9 -> E7(♭9、♭13)です)。

 この曲のマイナー感(調性の)情緒の深さは前述の通りドミナント7th上での♭9thの活用とメロディック・マイナーを示唆するマイナー・メジャー9thを忍ばせて来る所がポイントでもありますが、この曲がアルバム冒頭1曲目という所が実に時代の進み方を実感させてくれるモノです。ナイトフライの時代でしたらおそらくこうした深い情緒の類とマイナー・メジャー9thをふんだんに活用した響きはAORっぽくない妖艶さを演出するような曲想を想起しやすかったであろうと思われ、アナログ音源時代でしたらB面3曲目とかラス前にある様な位置付けのように聴こえるかもしれません。

 でもこうした手法に聴き手も慣れて来たのか、時代がそうさせるのか、その深みのある情緒をソフィスティケイトさせている各楽器のリフの作り方が巧みなので「臭み」が抜けている所が1曲目に持って来れる特筆すべき点でしょうな。

 取り敢えず曲冒頭のAパターンのコードはどうなっているのかというと、Am一発系の様に思われるかもしれませんが、各パートのアプローチを取りこぼす事なく和音に汲み取った場合次の様な譜例の様になります。
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 譜例の小節毎に現れるAm6の6th音は、Aドリアンの特性音としてワウ・ギターだけが6th音を弾いているだけで、その音を手掛かりに♭6th音へのクリシェを始めるのですが、もう直後にはE7(♭9) omit3の音に変容してしまうので、Am6の部分はコードを与えなくとも本当はイイのかもしれません。Am7上でドリアンの特性音を経過的に出したという解釈で。

 1~3小節毎の一番最後に現れるF#ハーフ・ディミニッシュはベースが「E - F#」とF#というAマイナーから見たらナチュラル6th音を強調してくるのですが、ご存知のようにサウンドはAm6にはならず同一構成音のF#m7(♭5)となりますね。次のコードの為のハーフ・ディミニッシュという役割を担っているワケではなく、便宜的にはAマイナー上の6th音をベースが強調していて一連のリフを弾いていて寸止めでまた初めに戻る、という解釈で良いかと思います。
 これと同様の拍節が4小節目にもありますが和音の解釈が異なります。その理由は、ワウ・ギターが一連のクロマティックなフレージングによりA#音を弾いてきます。歌の唄い出しはDから入って来るものですから、この一瞬の局面でも違った和声感を生じて実際には注釈を付けているように上声部にAmのサウンド、下声部にF#augを伴うサウンドを演出するのでありますが、これをコード表記するとD7(9、♭13)となるという所に注意が必要です。このコードは次のコードに解決する為のドミナント・モーションを演出するモノではなく、先の上下の異なるアプローチによって生じた物という風に理解されればよいかと思います。
 
 一連のコード進行の動きは大局的に見れば「Im - V7 - Im」という事ではあるんですが、あまりにもベタなのを避けるためにトニック・マイナーを「VIm7(♭5)」で嘯こうとしたりという意図が見えます。但し、Aマイナー上で常にドリアンの特性音である「F#音」を意識させるのではなく、ベッタベタの方の「F音」を強調させる様にしているのもこの曲の特徴でありましょう。

 こういう曲調で存在感を増すジャズ・プレイヤーを挙げるとしたら私はディジー・ガレスピーを筆頭に挙げます。次にバド・パウエルでしょうか。でもそれらの人達の時代を想起する様な音ではなく70年代中期を感じてしまうのはクラビネットの存在が思いの外大きいのであります。実は74、75年頃というのは俄にAORシーンが賑わい始めた頃でもありまして、その頃結構使われたのがクラビネットなのであります。楽器の音の存在感に加えスローなテンポがより一層瞬間の音にすら耳が傾倒する事で和声感を強烈に印象づけるワケでありまして、わざわざ細かなコード付けをしたという事を念頭に置いていただいて曲と向き合っていただければと思います。

 「More light, more light...」の所は兎に角美しいですね、それにしても。