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「なっ!?船員、小田急」 I'm Not The Same Without You /ドナルド・フェイゲン「Sunken Condos」考察 [スティーリー・ダン]

 ドナルド・フェイゲンの今作「Sunken Condos」の作品全体に渡った歌詞を吟味してみると色んな解釈ができるモノでもあり、そうした暗喩めいた所にSDのお二方の楽しみ方があったりもするんですが、私が感じた今作の情景は、老いて行く主人公の前に現れる若い女性というのは実は介護人が医療方面の技師とかカウンセラーの類の様に私は感じるワケですな。女性への欲情を自分自身は嘯き乍らもそうした感情に直視しようとも、先の成就に至るまでの事など頓着したくないという人生の惰性感が投影されている様に思えます。恐らくは嗜好していても直感的にしか判断が及ばず、痴呆すら進行している様を描写しているのかもしれません。
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 いずれにしてもそうした「老い」という事へ真正面から向き合わざるを得ない現実と、恐らくは向精神薬に頼らざるを得ないような描写も感じ取ったりするワケですね。それが2曲目の「I'm Not The Same Without You」に見られるギンギンとした様な疾走感。この曲の楽理的側面は後述しますが、こうしたギラギラとしたような疾走感が余計に、映画「レナードの朝」にある様な、アルツハイマー病を発症してしまった患者が、少々危険な薬を投与されほんの少しの間だけ改善するようなシーンをついつい重ねてしまうような状況を思い浮かべてしまうのです。

 曲が進むにつれ、おそらくは女性の対応がマンネリ化してきたのか対応に慣れて来たのか新鮮味を失うかのように猜疑心で彼女を見るように変化します。それも、ただ単に自分自身の欲望だけでイメージを膨らませていただけの事で、彼女の側に居る医師とデキているのではないか!?(歌詞では実際に行為に及んでいる)という描写で、その後の事件性を匂わせて、おそらく服役する事になったという事も匂わせる様になりますが、当の本人には自分自身への罪の意識はおろか、恐らくは悪気も感じる事なく正常な判断をできないような虚無感が常に備わっているのが今作の特徴ではないかと思うのです。

 兵役を匂わせる歌詞も、おそらくそれは過去の服役なのかもしれません。罪の意識が希薄で、自分自身や他者にも「先の先」という考えが余りにも空虚な描写が、どこか映画「エンゼル・ハート」すらも感じさせるような戦慄すら覚えます。


 扨て、本曲「I'm Not The Same Without You」のイントロ。先述の通り、なにかアパッチが攻めて来るかのような疾走感を伴いますが、のっけのコード、F#マイナー11系のコードのように響いてきていて7th音も包含しているのにギターはb6th音まで強調して来るのでよくよく音を採ると、完全四度等音程に依る六声のコードですね(笑)。C#から5回完全四度を累乗したAsus4/F#sus4(各々が短三度セパレートしたsus4コードとも形容できます)ですわ。

 そうして唄が入って来て、Aパターンでのメロディは主音(A音/Am:トニック・マイナー)に結句するも背景の和音がAm11という11th音を弾く所に、調性を直視したくない感じがよく表れています。でもそうする内にすぐ属音の方へ行くんですが例えば0:18秒の所では属音であるEの方へ行き乍らナチュラル11th音が響きながら次のA♭△/B♭へわざわざ経由してトニック・マイナーへ解決するという流れになっております。

 属音でのナチュラル11th音というのは解決先の音を先取りしている事になるのでドミナント・モーションという些か仰々しい進行を中和しているという風に解釈が可能です。言うなれば属音の位置でE7sus4を弾けば自ずと中和される事となります。sus4は本来四度音がメジャー3rdへ行くための前フリの様に機能しているのですが、属音の位置ではメジャー3rdへわざわざ行くよりも先にトニックの主音を先取りしている事になるので、狐の嫁入りとでも形容すべきでしょうか、「お天気雨」の様な感じを演出するようになると思っていただければ判りやすいかもしれません。

 その「中和」を拘るのは、ここで進行感を露にしてしまうとベッタベタのベタな短調の曲の様になるのを回避しているがための和声的な「嘯き」であるという事は推察するに容易い事でありましょう。

 1:21~1:31辺りにかけての見事なコーラスワークとホーンの絡みも属音の所ではやはりA音を先取りしている事がお判りになるかと思います。先日大江千里では次のコードを早々と差気取ってしまう事を批判していたワケですが、こういう先取りは「アリ」なんです。別に大江千里には牙を剥いてドナルド・フェイゲンには優しいというそういう視点ではありませんからね(笑)。一部の心ない方にはホントにそう思われてしまいそうでアレなんですが、こういう先取り感が最も巧みな人はウェイン・ショーター御大であり、ウォルター・ベッカーもその一人。スタンリー・カウエルは同様且つ等音程のアプローチが巧い方ですね。


 そうして曲が進んで終盤のハーモニカ・ソロと共にホーン隊が入って来る所のコードで少し注目すべき所があったので、そのまま曲終了まで4小節ループを繰り返す部分を譜例にしてみました。
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 1~2小節目はイイとして3小節目でのF7(9、#11)での#11thは常に使っているワケではありません。概ねF9の使い方の方が顕著です。で、注目していただきたいのは4小節目の属和音となる部分です。

 4小節目1~2拍目の「E7aug」は「E7(♭13)」としても本当は差し支えありませんが、次の3、4拍目で少し様相を変えて来るため進行が強くならない為敢えて「E7aug」という表記にしました。つまりAmへ行って欲しくない為の配慮でこうしているのです。5th音と♭13th音を使うのではなく#5thとしてバックも強調しているのがお判りかと思います。

 そして次の3拍目。ホーン隊のポルタメントも著しい所の目の覚めるようなハイブリッド和音ですが、これは頭を悩ませましたがAm6(9)/Eに#11th音であるD#音が付加された和音だという所が心憎いと言いますか。こういうコード、なかなか見るコトはないので何度も何度も聴きましたが、やはり判断はこうなりました。

 この構成音を便宜的に見やすくすると結果的に上からBメジャー・トライアド、その下にAマイナー・トライアド、そしてベースが単音でE音という表記にせざるを得ませんでした。そして4拍目でE7(♭9、13)という風に変化させていて、決してコレはE7のalt表記として片付けてはならない小節である事には間違いありません(笑)。そもそもドミナント7thを強固に進行させようとする狙いも希薄かと思うんですが、メロディが情緒豊かにしてあるので、大方次を読みやすい唄心溢れた運びなので和声は中立感を保っても曲が疾走していくというのも一因かと思います。