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ジェントル・ジャイアント/Black Catに見る多調的空間 [プログレ]

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 扨て今回はジェントル・ジャイアント(=以下GG)の初期作品「Acquiring The Taste」収録の「Black Cat」の理論的考察であります。敢えてこの作品を今になって取り上げるのは、私の語る理論方面での順序に沿ったモノでして(笑)、初期作品だからといって早々とコチラを語ってしまうのは非常に勿体無い作品でもあると思うので、あらためてこうして語ることが出来る喜びを実感しております(笑)。


 GGのアルバム・ジャケの中でもイメージがピンと来ない「舌丸出し」のそれに下品なイメージすら漂わせる人もおりますが、そもそも「Acquiring The Taste」という意味が「至高の嗜み」という意味でして、「You've got the acquiring the taste!」とか言うと「大将、エエ趣味してはりますやん!」という意味にもなるんですね。つまり、趣味の良い選択だと彼らは言いたいワケでしてこういうタイトルにジャケットなのでありましょう。

 このアルバムは保守的なプログレ・ファンからも人気が高く、GGが現在の様に認知されていない頃の、そうですねー、二昔前くらいだとこのアルバムとオクトパスが人気を二分していた様な所がありまして、アルバムの叙情性豊かな曲調に聴きやすさも備えているからでありましょうが、確かにアルバム「Acquiring The Taste」はあらゆる方面で見ても完成度は高いと思います。


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 因みに同名タイトル「Acquiring The Taste」という曲はケリー十八番の小曲でもあるんですが、マスター・テープ起因のエラーにより曲出だしのピッチが遅れて再生されるため変なピッチから不自然に再生されてしまうため、こうした所から一部ではたったこれだけの為にアルバム全体の評価を低めてしまっている事もあります。後年、ヴァーティゴから再発された2枚組CD「Edge of Twilight」に収録されている「Acquiring The Taste」は、冒頭のピッチを完全に修正して編集されており、これはヴァーティゴ・オリジナル編集のためか、その後の「Acquiring The Taste」のリマスターにおいてその修正版が用いられる事はありませんので、興味がある方は「Edge of Twilight」収録の「Acquiring The Taste」を聴いてみてはいかがでしょう。


 更に「Acquiring The Taste」というアルバムは非常に貴重な位置付けでもありまして、このアルバム収録から演奏されているライヴ盤は殆どありません。というか、見掛けるのは「Plain Truth」が収録されているモノに遭遇する位で(※「Playing The Fool」にて一部メドレーで「Acquiring The Taste」を聴く事は可能です)、例えば今回取り上げる「Black Cat」のライヴや「Edge of Twilight」のライヴとかはGG作品100数十枚揃える私でもお目にかかったコトがありません(笑)。「どうせまたPlain Truthだろ!?」というのがマニアの間で囁かれる共通のボヤキです(笑)。誤解の無いように語っておきますが「Plain Truth」が駄作なワケではないのです。他のヤツが聴きたいという心境が齎す感想です(笑)。
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 そんな小ネタを挟み乍ら漸く本題へと入るワケでございますが、「Black Cat」の音楽理論面における高みの部分とはCDタイムで言う所の0:40~0:45というほぼ5秒間に先ずは集約されることになるのですが、これと同様のパターンは全部で3つ出て来まして、最も重要なのがこの最初のテーマなのであります。その重要な点というのは、まず対位法を用いているのはお判りになるかと思いますが、多調的空間を作り出しているからに他ならないのであります。

 「Black Cat」もGGオフィシャル・サイトの方ではフィル・スミス氏編集に依る楽譜がアップロードされています。先のCDタイムで言えば当該楽譜はbmpファイルの5頁目になるのですが、私は敢えてフィル・スミス氏に敬意を払いつつ批判をさせていただきますと、まず楽譜表記の方の三声コーラスで唄われているのは下から「A#、F#、C#」というモノになりますが、「F#(=Fis)」は残念乍ら本曲においては「G音」を謳っております。背景の減衰早めのクラビネット(2ndテーマでのゲイリーのギター)がF#音を弾いているため、ついつい耳がそちらに靡いてしまいそうですが、実は三声コーラスはどのヴァースにおいても「A#、G(=実際はF♯♯)、C#」を唄い、ベースが「H(=英名表記のB)」、ギター及びクラビネット(※何れもゲイリーのワウ半踏みに依る音のようです)が「上からA、D#、A#、F♯」を弾いているのが正しいモノです。余談ですが、フィル・スミス氏の楽譜の方ではバックのギターやピアノの類は休符になっておりますが、原曲の実際ではきちんと録音されておりますのでお聞き逃しなく。




2018年12月19日加筆訂正

 久々に「Black Cat」の当該箇所を耳にしたら、ギターが [a] を弾いている事に依り「B7」という原調の属七が確定した事を再確認したので、当初 [g] としていた音は [fisis] という重嬰ヘ音である事を追認。そうすると、当初「Gdim△7 on B」と解釈していたコードは、それらの構成音を改めて再構成すると次の様に

「D♯7/B7」という風に、ホ短調の属七和音である「B7」を基底にし乍ら同主調平行調の属七和音「G♯7」を併存させるポリ・コード

が適切であるという判断に至りましたのであらためて訂正をさせていただきます。

 すると、このポリ・コードは2種の調域由来の2つの属七和音が併存であるとするならば、当初の解釈の様な4つの調性由来の多調としなくとも良いのではなかろうか!? という疑問を抱かれるかもしれません。無論、解釈としては2つの調域を併存させた複調であっても良いのですが、解釈としては一義的でなくとも済む為、当初の解釈の様に4つの調域を見込んで歪曲的な解釈の可能性もあるといえます。

 これは単に、当初の私の解釈とする自説の根拠を都合良く仕立て上げる為の物ではなく、フーガを形成させた場合、通常、主唱の属調を形成させる事になるので、その属調の同主調の音脈を作るという意味では少なくとも「三声目」の解釈はどうしても視野に入れざるを得なくなります。すると、複調を更に超えた多調の領域で考える必要が生ずる為、三声目以降の解釈としてより多声の多調として巧妙に解釈する事も可能という事になるのです。

 無論、2種の調域由来の属七和音の併存で済ますならば、その「コンパクト」な解釈も非常にシンプルに収斂させる事が出来る為、本曲が多調的展開をその後に採っていないのであるのであれば、複調という解釈でも都合は良くなるのです。何れにしても [a] 音の存在が無ければ、単に2種類の(ホ短調と嬰ト短調)調域という解釈は難しかった訳ですが、[a] 音の存在が解釈をシンプルにさせてくれたという訳ですので、粤にあらためて訂正をしておきたいと思います。

 尚、YouTube譜例動画でのテノール・パートは [g] となっておりますが、正当な解釈の上では [fisis] =F♯♯とすべきです。が、この譜例動画は原調=ホ短調を基としており、嬰種調号としてのホ短調である重要な変化音をそのままにしておきながら同度由来 [fisis] としてひとつの調号内で表されるのは却って混乱を招くと思い [g] としているのです。実際には正当な解釈として「B7」の和音構成音= [h・dis・fis・a] と「D♯7」の和音構成音= [dis・'fisis'・ais・cis] が適切であるので、その辺りは誤解なきようご理解のほどを。

 尚、訂正後のデモはYouTubeにアップしておきましたので、そちらの当該箇所を併せて確認していただければ幸いです。




 加えて、2種の調域でのポリ・コードとしての解釈に依る構成音分布は、次の様にピアノ・ロールで示しておきました。赤色がベース&ギターで、オレンジがコーラス三声部の部分です。



 更にもうひとつ注釈を加えますと、古い方の大譜表での譜例に依る四つの調域での解釈の方の「原調の同主調(=ロ長調)の解釈というのは、その時点でロ長調がその平行短調としての嬰ト短調の音脈を引っ張る事を意味する事になります。短旋法を用いる事で許容される線の運びは増二度音程が顕著になりますので、先述のYouTube譜例動画でのテノール・パート [e - g] の実際は [e - fisis] であるので、こうした増二度音程は許容される例となる訳です。全てに於て長旋法(長調)を基とする解釈とすると陥穽に陥りかねないので注意をされたし。



 2つの調域由来の2種の属七和音「B7」「D♯7」でのそれぞれのコモン・トーン(=共通音)は「B7」の導音 [dis] で応答し合っている事になります。基底に想定する属七の導音を応答させて、別の調域の和音を充てるという方策はある物で、私は嘗てこの導音に応答させつつ別の調域の四度和音を応答させ合うというバイトーナル・コードを紹介した事もありました。端的に言えば、イ短調の属七和音「E7」の包含する導音 [gis] に応答する四度和音を [gis・cis・fis] を加えるという様な用法です。こうした例は結果的に復調を視野に入れての活用であるので併せて参照の上ご容赦のほどを。

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 即ちフィル・スミス氏の方は全体のハーモニーが「F#△/B」という風になりますが、正しくは「Gdim△7/B」という複雑怪奇なハーモニーとして成立している状況になります(笑)。なぜこれほど迄に複雑なのか!?というコトをこれから語って行きますので興味のある方はそのままお読みください。

 率直な所、「Black Cat」の当該部分は「4つの調性」が同居するポリトーナルで構成されたアレンジです。主題は元々Eマイナー(=ホ短調)なのですが、そこに属調同主調であるロ長調(A#音がロ長調の導音)、平行長調の下属調であるハ長調(G音がハ長調の属音)、下属調同主調の平行短調である嬰ヘ短調(C#音が嬰へ短調の属音)という構造で、ベースが本来のプライマリな調のホ短調の属音を弾き乍ら、コーラスを除いたハーモニーはBsus2を弾いている様に思えばポピュラーっぽい形式で理解しやすいでしょうか!?(笑)




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 それにしても、「Gdim△7にベースがBだなんて…」と思われる方もいるかもしれませんが、身じろぎせずに対峙していただきたいワケでして、いくらそこまで奇異なコードとはいえども、もとより原曲がどういう世界観を演出しようとしているのか!?というコトを痛切に感じ取っていただきたいワケですね。

 加えて、頭の中に本来描いていた調性感の強い叙情的な曲からなぜかいきなりコースを変えられたかの様な、それこそベースが長目に持続してくれていた属音によってやっと元の位置を判明することができるかのような、いやはやそれこそ車のドライブ中に突然フロントガラスに大量の水しぶきフロントガラスに掛かりワイパーも効果無し、という位の状況で、ワイパーがやっと拭き終えた頃にベースの属音が見えて来て本来の立ち位置が判るかのような、メシアンの様な言葉を借りればまさに「調性の逡巡」がそこにある効果を耳にする事ができると思います。

 2ndテーマではよりコーラスの方のG音はビブラートと共に安定していて、背景のゲイリーの音と思しき音も際立っているのでより一層「Gdim△7」である明快な答を得られるかと思いますが、2nd、3rdテーマではベースが今度は長々と属音を弾いてくれないので逡巡感が寸止めっぽくなってしまうのです(わざと演出しているのでしょう)。  ですから私は題材として最初のヴァースを取り上げているのですが、1stヴァースはケリーの音程がG音ではあるもののF#音との速いビブラートの行き交いなため背景のF#音が後押しをしてしまうため、よもや「F#△にb9th」という厳しい類の音がついついピッチを修正したくなってしまうんです。非常に判ります、このキモチ(笑)。ですが、実は正体は「Gdim△7」なのだというコトをあらためて強調しておきたいと思います。

 ではなにゆえそこまでGdim△7を強調するのか!?というコトなんですが、賢明な方ならもうお判りかと思うんですが、先ほどメシアンの言葉を例に出した様に、メシアンも亦多調使いで有名な人ですが、メシアンとて述べているように、和声や旋法の最も安定した形はメジャー・トライアドと長音階なワケであるからこそ、メジャー・トライアドを包含しつつ長音階の断片を必ず包含する移調の限られた旋法を体系化するのでありまして、Gdim△7とて解体すればこそ「F#△」というトライアドを包含する形の断片の姿のひとつであるのです。

 「何言うてんねん、コイツ!?」と思われるかもしれませんが、さらに私の言いたい事は、安定的なメジャー・トライアドを上声部に想起することによるハイブリッドの体を見出せ、というコトを意味しているワケですね。

 つまり、Gdim△7/Bという奇異な和声は、上声部にF#△、内声にG、ベースにBという形式でモノ見てくれ!ってぇコトを述べているワケなんですよ。

 更に言えば、内声のG音とベースのB音というのはもしかすると増和音の断片(D#音を想起可能)でもありますし、E音を付加すれば下声部に短三和音(=Em)があるというコトをも想起するコトが可能ですし、D音を付加すればGメジャー・トライアドという想起も可能になりますが、その拡大された想起の方迄考えが及ばないのは原曲にその音が無いからではあるものの、対位法音楽の在り方としてそういう方面に音を拡張するコトは充分可能な素材であり、GGはそこまでの構築で十二分なほどのアレンジをあっさりと披露しているのが「Black Cat」の特長のひとつでもあるのです。





 緩やかに道が湾曲している様な道路だと、自分が頭に描いていた方向感覚とは全く異なる方向に進んでしまうような経験したコトありませんか!?対位法音楽の難しい方面はまさにこうした「嘯き」が集約されていまして、私はブルックナーを聴くと特にそれを常々感じさせられまして、「まーたダマされちった、てへっ!」とか、「ワシ、いつまでブルックナーはんにダマされんねや!?」とか思い乍ら聴いております、去年も下野氏指揮のロマンティックにあらためて痛感させられた次第です。しかもブルックナーはんはエラいしつこいから是亦クセになるんですな。絶倫親父の抜かずの4発!!!!みたいな(笑)、もう夜明けでっせ、みたいなね。互いに酒焼けした声挙げ乍らみたいな夜を楽しむのもオツでんなー、みたいな音楽の色情魔を見るワケですが(笑)、まあ冗談は扨て置き、こういう音楽の面白さをあらためて実感していただければ愉しみが増幅するのではないかと私は信じてやみません。