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小宇宙 [楽理]

 つい最近もドナルド・フェイゲンの「Tomorrow's Girls」のウォルター・ベッカーの突飛なギター・ソロを引き合いに出してバイトーナルの想起を語っていた記事がありましたので記憶に新しいとは思いますが、下声部において長三和音ではない、例えば短三和音やら増三和音(もちろん減三和音も含)が在る場合というのはどういう事なのか!?という事を新たに述べる必要があるかと思いまして、今回はハイブリッド和声における応用という風に捉えていただけると幸いです。


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 先の「Tomorrow's Girls」でのギター・ソロのアイデアというのはつい先日の他の記事にもある通り、バルトークのミクロコスモス103番のバイトーナル演出の例が非常に参考になるかと思われますので興味のある方はお聴きになってみて下さい。私のオススメのミクロコスモスはコチラのクロード・エルフェの物ですけどね。

 前回の記事でもエリザベス・シェパードの2012年リリースの「Rewind」収録の「Feeling Good」での終盤の「Am add9 -> CM7aug (on D)」という体の進行が奇しくもこれまで語っている楽理方面と合致するモノでもあるため、そういう曲の実際に耳にしてもらい乍ら理解すると楽ではないかなーと思っております。


 以前にも一発系のコード進行で語った事があるように、例えばマイナー一発系を例にした話題がありましたね。Dマイナー・キーという曲があってそれをDドリアン一発で弾ききるようなシーン。背景がずっとDマイナーのサウンドじゃメリハリに欠けるので「Dm7 -> G7」という2コード・パターンを選択してみました、というアレですね。しかしソコで登場するG7というのはCの方向へは未解決で延々と「Dm7 -> G7」を繰り返す事でDドリアン一発の世界観を堅持するというやり方なワケですね。

 しかしG7というコードはその後解決するワケではないので、このコードそのものを稀釈化させても成立させられる状況も考えられるワケでして、明確なドミナント7thが現れても未解決で済ませてしまうよりかは寸止め感は少なくなるので、G7における低次の構成音であるM3rdとP5th音を省略してアッパー・ストラクチャーというタイプに置き換えると概ねG7はF△/Gという体に置き換える事が可能となります。

 そこまで置き変わったなら「Dm7 -> F△/G」というコード進行を延々と繰り返しているコトとなり、F△/Gというのはセカンド・ベース(=スーパートニックの方である長9度音を下方に持って来た転回後を長2度音を最低音とする分数コードのひとつ)という体に変化したワケですね。

 G7という和声を稀釈化させた理由は、Cへの解決感を演出してしまうと意図しない調域を向いてしまうための回避策だったワケですな。DマイナーをDドリアンとして置換してはいても、Cの調域を感じさせてはダメなワケですね。

 扨て、そこでF△はDm7でも代理可能と解釈すると「Dm7 -> Dm7 (on G)」と、最早上声部はDm7のペダルでベースだけがツーファイヴという進行にも置換することが可能でして、いわゆるマイナー系の一発系の進行は、コード進行そのものは「一発」ではないものの、こうしたバリエーションがあったりするワケです。


 ここで重要なのは、G7という体をかなぐり捨てて他のコードへ稀釈化した時、G7が本来解決しようとしていたC音を置換したコードでは包含している事に着目してもらいたいワケです。つまり、解決先の音を稀釈化後には先取りしているワケです。「F△/G」と置換した時ではF△の5th音でC音を、「Dm7 (on G)」と置換した時ではDm7での7th音でC音を持っている事になり、「先取り」しているワケですね。


 この「先取り」という状況が存在する時、「総和音」が使えるポイントだと思って下さい。ここでの「総和音」という世界観の解釈は6音で構成される音階またはそれ以上の音(12音=半音階)までの音で構成される音列から生じる全ての音で構成される和音という意味です。

 DマイナーをDドリアンで置換した世界はヘプタトニック(=7音音階)の世界観です。この総和音は七声となります。以前にも語った事があるように、ヘプタトニックの世界観において総和音が許される状況は、その和音はトニックとドミナントを除く、つまりサブドミナントの体で始めて総和音を許容できる状況にある、という事を覚えていただいているかと思います。

 つまりCの調域ならばFをルートとするF△7(9、#11、13)というのが総和音を可能にするモノだと。

 扨て、そこでマイナー・コードにおけるナチュラル13thの扱いで、リットーミュージックから出版されているデイヴ・スチュワートも紹介しているそのコードについて、Dm7に13thがあるようなコードの場合、Fをルートとする音の何かではないか!?みたいに語られている理由というのを皆さんはどれほど追究されているでしょうか?

 あの文章から読み取らなければいけない事は、すなわち今回私がこうして述べている「先取り」を視野に入れているが故の世界観だから通用している流儀なのでありまして、こうして理解していなければならない事なのです。ところが古典的な和声の仕来りだけに及び腰になっているだけの人間というのは忌避しなくてはならない状況としてしか覚えませんし、こうして使える、という状況を知った途端、今度は無秩序に使おうとしてしまったりするモンです(笑)。状況判断できないクセに楽理的な後ろ盾さえ得てしまえば標識など無関係に道路をスピードオーバーし乍らドライブする様なモンに等しい愚行が始まるワケです。そういう理解を避けるために私はこうして回りくどくもありましょうが詳細に述べているワケですね。

 つまりCの調域でのFをルートとする状況で総和音が許容される、つまる所それはサブドミナントに位置するコードであるため中心軸システムで考えるコトもなくDm7側でもFの方の代理であるためDm7でもナチュラル13thが現れても差し支えない状況でのそれは、「先取りありき」の時で通用し得るサウンドという風に理解が及ぶようになる事が重要なのであります。

 先取り、という風に形容できるシーンであらば母体がドミナント7thであってもそれに対してナチュラル11thを使う、という状況を意味している事と一緒でして、全てのシーンにおいて属七の体を包含してしまうから、という事で忌避してばかりではダメなんだぞ、という事を言いたいワケですな。ただし、それを避けることが多いのは、ドミナント7thという体を包含してしまう和声の体というのは、それ自体が強固な牽引力を持っているため忌避しておいた方がスムーズなワケで、だからこそ先述の「Dm7 -> G7」でのG7は「稀釈化」するワケですね。

 稀釈化が絶対、と言っているワケではないですよ。「ダメ、絶対!」という意味ではありませんからね(笑)。あと不協和が「悪」だとか「ダメ」とかそういう理解をしないで下さいね(笑)。「不」という文字にネガティヴな印象を抱いてしまうかもしれませんが、今日「協和」という純正なまでの協和もありませんから、深く考えることなく、勝手に悪者扱いしないでくださいね(笑)。悪者扱いしようとしていた音ってぇのは大概自分の理解を超えてしまうモノだけど、自身の未熟な耳と脳の方を自虐的に扱うことのできないワガママな振る舞いから生じた「若気の至り」でしかないのが関の山ですから、きちんと我が身を振り返り乍ら難しい音に挑戦していただきたいと思います。

 デイヴ・スチュワートはココまで文章にしないといけない事でしょうか!?それこそ「This is not my business!」と言われてしまうのがオチだと思うんですよ。だからといって片手落ちと言うことでもありません。寧ろ非常に旨く問題提起し乍ら音楽の深みを端的に語っていると思うんですな。知ろうとする能力が欠如しているクセして情報過多の現在において実際に得る情報が「過小」では、何をどうやって学ぼうとしてんだ!?と思わんばかりですな。本質を知ろうとする心構えが希薄だからこそ、我流が蓄積してしまった時に泣きを見るか路頭に迷うようになるのです。

 しかしそうした回り道があったとしても、それまでの時間や道のりを「無駄」だと思ってしまうようなら、この先楽理面で何かを得ようとしても無意味だと思います。理論面で何か知識を得たとしても最終的には脳が習熟しない限りは、得るボキャブラリーは無に等しいのでして、そういう世界観で構築されている音楽は概ねどんどん難しくなっていく物なのですが、そうした音楽を見付けてもこれずにうわべだけの音やら声のキャラクターがどうこうだとか、挙げ句の果てには歌詞がどうこうとか言っているような輩には、この先も楽理面を知る必要はないと思います。そういう状況から篩にかけられ淘汰され、音楽というものは初めて、収まるべき人の耳に収まるように出来ているんですね。
 こうした耳の痛いハナシとやらを念頭に置いて、現代の我々扱う音楽シーンの在り方を古来の仕来りをリスペクトしつつ咀嚼して発展させ乍ら理解せねばならないワケですのでお忘れなく。

 では、次回は下声部において長三和音若しくは長音階が収まらない場合の形式とやらを色々と語ってみることとしましょうか。