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虫も蠢く啓蟄の訪れ [楽理]

啓蟄ってぇこたぁ、ある意味節季においては「春分イブ」なワケでございまして(笑)、こないだ冬至かと思ってたらもう春分かよ!?なんて光陰矢の如しという言葉を実感しておりますが、まあココだけのハナシ古きex girlfriendの誕生日が雨水の辺りだってぇのも声を大にして言えないモノでもありまして(笑)、なんだかんだいって季節など実感しちゃっている左近治です。


前回は肩の力を抜いていただく意味でもフュージョン関連やらベース関連やらCDの音質比較など話題にしたつもりなんですが、まあ、ココん所音楽産業が下火になっているので色んな面で上っ面だけで判断されてしまって指差されて笑われてしまっているような向きもあるようですが、まあそういう風に指差して笑うような人っていうのは待ち構えていたように悪口を言うワケではなく、悪口を言う動機のタネは何でもイイんですよね正直言って(笑)。怒りやストレスのスイッチ入るならどんな題材でもイイんですよ(笑)。だからそうしてワイドショーとかは肝心の中身などどうでもよく、そういう人達の動機付けであればイイんですよね(笑)。


音楽ってぇのは実はとても「動機」というものを重要視しなくてはなりません。非常に単純な音型としてのフレーズから発展したり、息をつくヒマもないような長い音節はストレスの元になりかねないので、息継ぎできるような抑揚を持たせたりとか色々工夫しなければいけないワケですね。色んな音階の知識を得ました!この手の近視眼的発想の人が陥りやすいワナは、その手の覚えたてのスケールをスケール・ライクに弾いてしまうモンだからフレージングの音程差にメリハリがないんですな(笑)。3度の跳躍を6度にするだけで全然違うのに、6度という音程は長短ありますがどちらかというとギターやベースだと隣接する弦よりも弦飛びすることの多い運指になりやすい音程なので、この手の音程をアタマの中に描けずに奏でられない人は普段からスケール・ライクな音楽の虫でしかないんですよ。


最近の音楽のメロディって正直スケール・ライクなフレージングが非常に多いように感じます。完全五度を超える音程差が少ないな、と。すごく世界観を拡大するのが6度の役割なのに、それを活かしていないように思うんですな。ギター出自の作曲が増えたせいなのでしょうか。


ま、言い換えれば作曲とかに行き詰まったらその手の音程転回してみなよ!ってコトでもあるんですな。スケールの数知っただけじゃ決して得られない「歌ゴコロ」(笑)。こーやって「~ゴコロ」とか書いちゃうから左近治の語ってるコトがペラくなっちゃうんですけど、一応ブログですからね。肩の力抜いて読んでもらわなければ、こんな冗長ブログそうそう読む気起きないっての!(笑)。


そんなこんなで今一度振り返っていただきたいんですが、下方倍音列とかお判りになりました?文章だけで判っていても耳付いていってない人の方が多いと思いますんで、耳の方付いて来てもらおうとしてもコレばかりはチト無理があるんですよ。ある程度習熟していないとまず判らないコトなので。故にいつかは克服できるかのように、そんな訪れが少しでも早く訪れるように私は色んな楽曲を推薦していきたいと思っているワケですね。

でも、私の語っている下方倍音列の世界というのも、いわゆるポピュラー音楽界隈から派生してきた世界観の方と一緒だと思って理解してしまうとジレンマが生じかねないので、その辺上手いコト乗り切っていただければな、と思わんばかりです(笑)。


例えばCメジャー・トライアドの鏡像音程作るにしたって、私はそこでFマイナー・メジャー9thとしての姿を和声的にガッツリ持って来るワケですが、通常の世界観からだとやんわりと「サブドミナント・マイナー」という世界観に置換して、より情緒を得やすい方向で糧にして行くと思うんですが、私の場合ソコがもう突飛なワケですね(笑)。サブドミナント・マイナーとして解釈すると、ハ長調でIIb△7が出現した時、それをサブドミナント扱いするワケですよね。私はつい何カ月か前にIIb△7で「トニック感を演出するための転調感」というコトを題材にして語っておりますが、ソコには基軸のフラつきとでも言えるような解釈をしてほしいがために敢えてそういう風に語っているワケですね。ですのでフツーの世界観と一緒に考えてしまうと矛盾することが多いと思いますのでその辺きちんと「二つの世界」みたいな世界観を考えていただけると有難いかな、と(笑)。


まあ、ふたつの世界なんてカッコイイこと言っちゃいましたけど、概ね左近治の語っているコトってエッティンゲンのデュアル・ハーモニー・システムに合致することが多いと思います。音響的な特徴をもフレージングやら和声的にも導入しようとする考えですね。ケンブリッジ大学出版の「Music Theory and Natural Order」という著書を今一度お読みになっていただいて、それでスタンリー・カウエルの先の新譜に収録の「Chirality」をお聴きになっていただけると非常にタイムリーかな、と。


ひとえにこういう世界観を紹介したいのも、半音階的な世界観とやらを語りたいが故のコトなんですが、イキナリこーゆーコト語ってもフツーは理解し難いと思うんで、順を追ってじっくりと語っているつもりなんですね(笑)。

とはいえ読み手とすれば私と一緒に付き合えるほど悠長に構えていられる方は少なく、早い所解を導きたいと思うこともあるでしょう。ただそういう心理というのは概ね皮相的な人の特徴的な感情でもあるので、それを殺して悠長に構えられる人や時間の蓄積やら理解の難度を克服された方というものが本当の面白さというモノを共感し得るモノだと思って私は敢えてジワジワ語っているワケですわ。


まあ、最近でも属二十三の和音やら引き合いに出して色々語っておりますが、属二十三の和音が半音階の「全音階的世界」(※全音階システムとは、音階の総てを同時に和声として与える世界のコトです。半音階の全音階的~とは言葉上では矛盾するかもしれませんがご注意を)を表してるワケですが、半音階の音全てを網羅しているからと言って、先の譜例で表したG Dom23rdというカタチが全てを統一したカタチだと思ってもらっては困ります(笑)。Ab Dom23rdもあればF# Dom23rdもあるでしょうし、構成音はいずれも同じですが、それは全く違うんだよ、と。つまり12種類あるんだよと言いたいワケですな。


根音バスを求めて、行き着いた「概念的なルート」と本来既にあるシンプルな和音とミックスした場合、時としてその型が聞き慣れた和声のタイプとは異なる姿になるコトは往々にしてあります。

いわゆる「わっかりやすい」世界での根音バスの求め方というのは、ノンダイアトニックな音だとしてもその「型」が比較的わっかりやすいタイプの型におさまるのをフツーの人は好みますし、概ねこの程度の世界観に留まるんです(例としてハ長調やイ短調に出現するF#m7(b5)とか)。

その手の型に惹き付けられぬ様、自分の耳や脳をニュートラルに聞き取れるような習熟度を高めるべきでしょうし、そうなった時の根音バスの求め方によって導かれる和声というのは非常に複雑且つ多様なのは言うまでもありませんし、先はそういうコトを語っていたワケですな。

まあしかし、半音を網羅する世界観を示したのはイイけれど、これまで左近治が提示している世界と比較するとあまりにも飛躍し過ぎて端折り過ぎなのではないか!?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。まあ、確かに端折ってはおります(笑)。ただ、その過程を一挙に語るとまず理解できないので「順を追って」わざと端折っているんですな(笑)。


色んな例を出して、見慣れぬ音階からダイアトニック・コードを形成してみたり、半音音程の連続した音階をトコトン使ってみたりとか、7音で構成される音階なのにこうも異端なのか!?と思しき音階も例に出してみたコトと思います。まあこれまで多くはチェレプニンやらヒンデミットやらバルトークとか出て来て、ウェイン・ショーター、チック・コリア、ウォルター・ベッカーとか引き合いに出して語っていた世界観がありますが、一般的にはこれらの名前を挙げた人達というのはまあ音楽的な意味でもフツーの人はかなり尻込みできる位のオーラ漂わせた人達であるのは言うまでもありません。ベッカー御大の場合、「サーカス・マネー」リリース前までは一部ではかなり愚弄されたような扱いされていた向きもあるようですが(笑)、そんな論評繰り広げていた人達、今頃どうしているんでしょうか!?(笑)。


まあ、一般的なレベルからもかなり高次な音楽観を備えた人達であるから、と皮相的に見てしまうことで、異端な音楽観や和声観を別次元のように捉えてしまって、そんな世界観などやっぱり自分が理解出来ないから受け付けたくない、という人は多いのも確かです(笑)。

でもですね、例えば次のような音階を例に出してみたらどうお思いでしょうか!?

Verdi_EnigmaScale_DiatonicalChord01.jpg


まあ、譜例に名前付けちゃっているんでこの時点でバレバレですが、コレ、ヴェルディが作った音階なんですな。意外ですよね。ココでヴェルディの名前が出るのは。この音階を使って「全音階的に」7声の和声で鳴らしたのが今回のMP3のサンプルです。念の為にヴォイシングも載せておきましょうか。


Ais、H、C、Desと連続する半音。これを見てお感じになっていただければ左近治が過去に挙げたコード進行の例とかかなりヒントになってくるかと思いますが、私がただ単にヒンデミットやバルトークとか、その辺りから近視眼的に影響されているだけかと思われてしまうとチョット残念なんですな(笑)。

ドビュッシー好きな人は多いし、フツーの世界観としてヴェルディを受け入れている人も数多く居るクラシックの愛好家は、本来なら深い世界観を探求している筈なのに、「コレってヴェルディやん」とか「コレってペレアスとメリザンドやん」とか気付く人って非常に少ないんですな。こういう風に語れない人ってホントは哀しいコトなんですが、音楽愛好家が全て読譜が可能になるべきとか楽理を学ぶべきとは思ってはおりません。その手の世界を知らなきゃ知らないでイイんですが、同じ音を見つめていないクセして何処其処が違うだのとか感覚的な批評(しかも支離滅裂)でしか無いのに語っちゃおうとするのはチト問題があるかな、と思うんですな。

先日も題名のない音楽会で山田氏が、プログレファンにもクラシックファンにも特徴的なのは特権意識を持っていると表現されていて実に的を得た表現で笑ってしまったモノでしたが、正直な所、本来不要であるはずの「特権意識」ってぇのは得てしてどんなジャンルにも言えるモンなんですが、立ち位置そのものがある程度認知されているモノだからそこに胡座をかいただけのモノって存在しちゃうんですが、それをアーティスト側の方から既に特権意識から先にアピールされちゃうのが最近ロック畑とジャズ畑は非常に多いんですよ。大したコトやってねークセして(笑)。まあ、そーゆーのを聴いて喜んでしまっているような層に一石を投じたいという思いは確かにありますね(笑)。とはいえコイツらは面白おかしく酒の席での嘲笑ネタかのように扱えればどうでもイイんで、変に拳振り上げて立ち向かってもフナムシのように道開けるのが関の山なんですなー。

ジャズも知らないクセしてジャズを罵倒するな、と。クラシックの世界も知らないクセしてクラシックを無知で終わるな、と。ドリーム・シアター聴いて卒倒してるヒマあったらニュー・トロルスの太陽神太陽王(邦題:太陽王でしたね。「Le Roi Soleil」まーたやっちまいましたね左近治。まあコレくらいは勘弁していただきたいな、と)でも聴いてろ、と(笑)。私の怒りの沸点など電離層での水の沸点に等しいでしょうから、怒りの珍百景程度にご理解いただけると助かるんですが、まあそんなこんなで色んな話題出しながら「えっ!?こんな意外なトコロに!?」みたいな、そんなコトをちりばめながら異端な音楽の世界観を身近に感じ取れるように語ろうとしているのが左近治なワケでして、興味があればお付き合いくださいね、と。