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スーパートニック(上主音)なカンケイ [楽理]

とりあえず、スーパートニックというモノを今一度語るコトにしますが、この言葉は別にハイブリッドな和声について用いるというような限定的なモノでもなく、音楽の世界では一般的に「上主音」と呼ばれる音程に位置する音のコトを言います。


ハ長調を基準にすると、主音はCでありまして、スーパートニックという上主音という音は「D」という、主音から長二度(=長九度)の音程関係というコトは、ご存知だとは思いますが今一度おさらいしておくコトにしましょう。

チャーチ・モード基準で言えば、ハ長調の上主音から開始される旋法はDドリアンというコトになりますが、左近治の場合はこの長二度(=長九度)の音程関係を重視するために、今後バイ・トーナルな世界やらを語るのに手っ取り早く示すために「スーパートニック」という名称を用いざるを得なくなってきたワケなので、その辺をご理解いただきたいな、と。

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以前に、ハイブリッドなモードを語る時に「ミクソリディアン+エオリアン」という混合したモードを語ったコトがありましたね。それはどういうコトを意味するのか今一度語るとすると、例えばGミクソリディアンとGエオリアンをハイブリッドとするような「併存状態」であるというコトを述べていたワケで、当時のその手の話題は今にしてようやく結び付くコトとなるワケです(笑)。


ミクソリディアンとエオリアンというのは通常長二度で隔たれている旋法ですが、これら2つのモードを共通する音から開始するとなると、調的な関係は「属調の属調」という「九度の関係」が見えてくるワケですな。例えばGミクソリディアン(Tonal in C)とGエオリアン(Tonal in Bb)という2つのモードは、Gエオリアン側から見ると九度の関係になる、というコトがお判りいただけるかと思います。

器楽的な面で重要なコトは、いくら九度の音程関係にある複数の調が併存状態であろうとも、BbメジャーとCメジャーという2つのメジャーを一緒にしてしまうという風に用いようとしているモノではなく、あくまでもGミクソリディアンとGエオリアンというような、少し前にも語ったようないわゆるメリとハリ。つまるところ調的な長・短にも似た明暗やら陰陽とも言えるような旋律で言えば反行形のような関係を際立たせながら併存状態を作り出している、という風に考えてみたいワケですな。


例えば「属調の属調」という2つの完全五度の重畳で手が届くというような、近い調的関係にある長九度という音程というのは非常に呼び起こしやすい世界でもありまして、特に「対位的な」アプローチでフレージングを試みようとすると、この手の技法は或る意味では無意識なほど自然に使いこなせるような世界観を併せ持っております。勿論それがダイナミックに調的な世界が変容する「転調」というマクロ的なシーンでなくとも、経過的なプロセスとしての「短い転調」とも言えるような彩りの変化というモノには役立つモノでありまして、何も長九度音程関係に限らず、対位的な世界を重視した場合、こういう旋法的な移ろいというのは作曲としての語法としても非常に役立つモノでありまして、こういう感性はポピュラー・ミュージックのそれよりもクラシック音楽の方が遭遇しやすいのではないかと思います。勿論ポピュラー音楽の分野でも採用している人は多数おりますし、クラシック界隈限定のモノでもありません。


絶えず九度方向に「いつの間にか」転調をしているかのようなフレージングに遭遇したりするようなコトはないでしょうかね!?まあ、そういう曲を片っ端から列挙するようなマネはしたくはないので、その手の音楽が、各自知っている分野で見付けることができたとしても別段凄いというワケでもないとは思います(笑)。自分自身の得意分野に合致した曲があるからといってそれを盲目的に過大評価したりしないでくださいね、というコトを言いたいのであります。というのも曲に対する個人の思い入れは自由ではありますが、作品のクオリティーと個人の思い入れの強さは必ずしも比例しないので、そういう当てはめ方で音楽を聴いてほしくはないからでありまして、寧ろ自身の中で拒絶してはいるんだけれども習得しなければならないような高次なレベルの音楽に直面して、このような楽理的側面を学び取っていただきたいと思わんばかりです。


例えば、対位的な手法をプログレ界隈で見付けたとしましょうか。プログレ好きであらばそれは嬉しい発見かもしれませんが、プログレが嫌いな人からすればそんなバイアスが掛かった所から曲を無闇に高い評価を与えているのだと穿った見方で認識してしまうかもしれません。ジャズであろうがロックであろうが、それは音楽ジャンルという垣根は無視して考えなければいけないコトであります。楽理的な部分をアナライズする際、楽曲に対する個人的な思い入れは払拭して学んでいくコトが重要だと思うんですな。無論、自分の好きな曲を徹底して調べ上げるというのも重要ですが、時としてニュートラルな位置から曲を見つめるコトも必要だというコトです。


特に自身の音楽嗜好のフィールドが狭く(偏狭的に)なってしまっていると、それ基準で物事を考えがちになってしまうモノなので、広い音楽ジャンルを耳にしない人は特に注意が必要かと思われます。というか、偏りある時点で、高次な楽理部分というのはどんなに数聴いても習得しきれないのが関の山だと思います。誰もがそんな苦い青二才の時代は経験するモンなんですけどね(笑)。何はともあれ、就中楽理的側面を深く学びたい者であるならば、偏狭的な音楽ジャンルに収まっているようではタカが知れております。大事なコトを学ぶにあたって、あまりにも無粋とも思えるようなコトを覚えざるを得ない時があるかもしれませんが、私たちは無意識に呼吸をしておりますが、呼吸のプロセスや呼吸法を覚えるコトで何かの役に立つコトだってありますし、ジョギング時の呼吸法や妊婦さんの呼吸法や水泳時の呼吸法で役に立つコトだってあるワケですな。無意識に誰もが呼吸しているからといってそれが何たるかというコトを覚える必要はないとばかりに無視しても良くないと思うのであります。


そういうワケで、上主音という或る意味非常に初歩的なキーワードについて学ぶ必要があるのか!?なんて思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ソコは左近治、きちんとワナも馳走も用意しておきますのでお楽しみに(笑)。