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嘗ては無学な音だと思っておりました (2) [楽理]

扨て、続きとなりまして「Subway Music」について語りますが、イントロに関しては先のブログの通りです。


で、この曲というのは唄モノでしてAメロというのは、先ほどのE一発から転調して、トニックはG#マイナーに行くんですね。但し、すぐにIIb△に言ってもう一度トニック・マイナーに行き、次はC#マイナーに行く、という流れです。

曲調としてはガイコツ・マイクが合いそうなほどのオールディーズな雰囲気、まあステイタス・クオーばりのノリノリな感じを彷彿とさせてくれるワケでありますが、先のAメロのサブドミ部分のC#マイナーの所でスコット・ヘンダーソンはトコトン遊んでくるワケですよ。異端なほどのアウトサイドな音使いで(笑)。

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スコット・ヘンダーソンとか、その辺のアーティストの名前を出せば少々のアウトサイドな音などは、いくらオーディエンス側がそれに応える耳を持ち合わせなくとも、そんな崇高な名前出されりゃ黙って受け入れなければならない位なモンですよ。ミシュラン三ツ星レストランで仮に残飯出されたとしても黙って食わなければならない位(笑)。スコット・ヘンダーソンの名前出されれば、それだけでも、いくら聴き手の能力を遥かに超越した音であっても受け止めなければならないんですよ。


しかしながら「Subway Music」というのは他のパートのリフというのも実に単純なフレージングで、ボーカルのメロディ・ラインも実にシンプルでありまして、そこからアウトサイドな音を炸裂させるには、対位的な呼び起こしもないので脈絡や動機がほぼ無いに等しいので、突然そこからアウトされても困る部分は少なからずあるのです(笑)。いくらアウトな音に許容できる耳を持ってしても、です(笑)。

スコット・ヘンダーソンの名前を持ってしても当初の私としてはそれを拒絶&嘲笑してしまうくらいのモンでしたから、アウトな音に耳慣れてない人にしてみればもっと拒絶感は強いと思うんですよ(笑)。高校生の学祭とかでこんなフレージングした日にゃあ速攻でハブにされるのではないかと(笑)。楽理的にどんな言い訳があったとしても理解はしてもらえないであろう、それくらい異端な音だというのはお聴きになればすぐに理解できるでしょう(笑)。


しかし、このスコット・ヘンダーソンのアプローチというのは異端ではあるものの、楽理的側面から考察するとですねコレはかなり理にかなった音なのであります。それを「理にかなった」と理解できるまで少々道程は険しいかもしれませんけどね(笑)。

そこまで耳に「キビシイ」音に聴こえるのは、そのフレーズに至るまでの他のパートの脈絡や動機が希薄だから、というのは先述の通りです。酷暑の日にプールサイドでコタツに入って鍋に舌鼓打つようなモンです(笑)。それくらい奇異なワケです。


結論から言ってしまうと、スコット・ヘンダーソンのアプローチは「ドゥアモルの和声」を見立てた上でのオーギュメンテッド・スケールひいてはチェレプニン・スケールを想起したアプローチだというコトを見抜かなければならないのであります。

「Subway Music」内ではいわゆるC#m上でのスコット・ヘンダーソンの奇異なアプローチの場面は全部で3回出て来ます。3回目はまた別のアプローチなのでありますが、先ずは1&2回目のアプローチの方から語りますと、それはやはり前述の通りの結論を導くことができます。「ドゥアモルの和声」というのはCis moll + F durというハイブリッドな和声。つまるところ「C#m + F△」というハイブリッドな和声を見立てて、この和声からオーギュメンテッド・スケールを導くコトができるのはそれぞれの構成音を拾えば自ずと拾うことができます。

但し、スコット・ヘンダーソンのそのアプローチは先のドゥアモルの和声を更に飛躍させてヘプタトニック・スケールという、6音のオーギュメンテッド・スケールから7音に音を拡張することにより、「C#m7 + F△」を導いた方がより理解しやすいと思います。もちろん、これらの和声から導かれたヘプタトニック・スケールはとても特殊なモード・スケールを導くコトとなりますが、Cis音を異名同音にしてDesとして置き換えた譜例の音列を見れば「B or G or Ebチェレプニン・スケール」の一部だというコトを呼び起こすコトが可能となることがお判りいただけるかと思います。しかしながら、チェレプニンをまんま扱うのではなく、ヘプタトニックに収めて独特の情緒を得ようとしているのだというコトも特徴的ではありますが、こうした特徴的な根幹部分はハイブリッドなドゥアモルな性格から構築されているものだというコトは自ずと理解できるものと思われます。


しかしながら、この「理にかなった」凄いアプローチというのも脈絡なんてものはほぼ皆無で動機も希薄な所でいきなりギュインギュイン攻めて来られると確かに面食らうワケですな(笑)。特に楽理的側面の部分で自身の理解を超えていたりすると、途端にコレは「完全に音外してんだろ!?」みたいに認識されちゃうコトの方が大多数だと思うんですよ。どんなに楽理的な言い訳用意していようとも、こんなアプローチいきなり採って自分のバンドで演奏してみてください(笑)。多分蹴り食らったり、近くの川に簀巻きになってたり、翌日から学校でハブられたりしちゃうかもしれません(笑)。スコット・ヘンダーソンが相手だとしても石投げられてしまうかもしれません(笑)。まあ或る意味では勇気の要るアプローチではありますね(笑)。


どんなに奇異なアプローチであろうと、多くの人はそれがスコット・ヘンダーソンという折り紙付きの人であるからこそ、楽理的側面を探ろうとして許容できるワケですよね。しかし殆どの人は如何に一般的なポピュラー&ジャズ理論を備えている人であろうと、ここくらいまで知る人はかなり少なくなってくるのが事実でありまして、だからといってアプローチというものを簡素化してしまってイイのかどうなのか!?というとソコはまたギモンなワケですよね。だからといって客の足元見てサジ加減変えられるようでは、一部の客には失礼になるワケなんで、こんなコトで難癖付けられるくらいなら最初から高次なプレーをしておけば間違いないんですが、あまりにも高次な所行っちゃっているという例がコレだと思ってもらえればよろしいかと(笑)。

では、今一度「チェレプニン・スケール」についておさらいしてみようかと思うんですが、とりあえずしつこいようですが「五度圏」を思い浮かべていただきたいんですな。時計回りにて完全五度が累乗するように。そんな五度圏を想起して12時を「C」とした場合、12時から4時の間は「C、G、D、A、E」という風に累乗を繰り返すワケですが、とりあえずこの「4時間」に収まった5音はペンタトニックにもなるワケですな。



C音を含むペンタトニックの可能性というのは他にも同様に

●11時~3時 (F、C、G、D、A)
●10時~2時 (Bb、F、C、G、D)
●9時~1時 (Eb、Bb、F、C、G)
●8時~12時 (Ab、Eb、Bb、F、C)

という全部で5種類のペンタトニックを混ぜると、C or E or G#チェレプニン・スケールを発生させるという、チェレプニン音階とはそういう隣接するペンタトニックを混成させた所から端を発するワケでして、例えば、あるフレーズが旋法的に隣接する調性に変化するような技法を伴ったりするというのも、近しい調性を利用して調性や和声的な機能を超越して和声的な彩りを多彩にしてみたりする対位的なアプローチというのはもはやチェレプニン・スケールはそういう姿を併せ持つ性格をハナから有していると思っていただいても結構なんです(笑)。寧ろ、そういう風にチェレプニンを使わなければ、ただ単にスケール・ライクに使っただけだと勿体無いワケであります。勿論過去の左近治のサンプル曲の中にはただ単にスケールライクにしてしまっているのも無くは無いですが(笑)、アレは当時の説明において必要なステップだっただけのコトで、過去の事をあげつらっていただきたくは無いので、そういう揚げ足は取らないでいただきたいな、と(笑)。


ま、いずれにせよこうしたチェレプニン音階の発生については濱瀬元彦著の「ブルーノートと調性」に詳しいので、詳しく知りたい方はそちらを目を通されてみてはと思いますが、濱瀬元彦の方ではドゥアモルの和声は紹介されませんし、この手の方向性を知りたい場合にはレンドヴァイの「バルトークの作曲技法」を知らないと結び付けることは難しいでしょう。両方の著書を持っているからといっても結び付ける方はこれまた少ないかもしれませんし、互いの著書が手を結び合っているワケでもありません(笑)。なかんずく楽理的な側面を高次なレベルで学びたい者は、こういう異なる側面にも共通する部分を見付けて学んでいかなければなりませんし、それを見抜いてこそようやく著書の内容が判るのでありまして、ただ単に魅惑的な本を所有しているだけで、本当の意味で理解できておらずに書物だけを持っている人というのは、この手の方面に興味を示す人間には結構見かける悪癖だったりするんですな(笑)。そこに埋没することなく、きちんと理解することが必要なワケですが、幸か不幸かネット上においてはこの手の解釈は覗き見されるかのように少数ながらも見つけ出してくれるニーズがあるのか、死臭漂う左近治の肉を嗅ぎ分けてくれる方にはあらためて感謝しなくてはなりませんね(笑)。この辺のコトなど死ぬまでに覚えなくとも構わない人の方が圧倒的に多いでしょうし、知った所で役に立つコトが少なかったりするのが現実だったりするんですけどね(つづく)。