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モード奏法における「ヘプタトニック」と云ふ壁 (2) [楽理]

扨て、前回の続きです。


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一連の『C△7 -> Db△7 -> C△7 -> Db△7』という2つ目の「Db△7」(つまり属音+ナンタラという風に想起した所)では、和声的にはメジャー7thであるものの、ココではDbリディアンを想起するようなコトはせずに、「増六度」をも用いることのできるシーンとして左近治は活用する部分なんです。Db△7の増六度音程は「H音」ですので、どういうモードを想起し得るのかというコトはあらためてお判りになるかと思います。先にも例に挙げたFハンガリアン・マイナーのモードが浮かびあがるかもしれませんが、Db△7を「リディアン的に用いずに」ナチュラル11th音を想起するモードにすると、これまた今度はFハンガリアン・マイナーから外れた異端なモードになるのはお判りだと思います(笑)。


この意図というのはDbを属音として捉えつつも「併存」する形でサブドミナントをも想起している状況でありまして、つまり複調的な世界観を構築するワケでもあります。


左近治の場合、このメジャー7thは特殊なドミナント7thとメジャー7thのハイブリッド的な要素を持つシーンとして活用することが多く、通常のそれらのコードでは禁忌となる音(特にナチュラル11th)を心置きなく活用するワケです。


とはいえ、ドミナント7thという一般的なコードにおいても、ドミナント・モーションを希釈化させた分数コード的用法については珍しいモノでもなんでもありませんから、この辺の理解がイマイチな方は、そうですね~、リットーミュージック刊のデイヴ・スチュワートが書いている理論書ありますよね(タイトル失念)。アレなんて読むとスンナリ理解できると思いますよ。現在の音楽に則した内容なので、古典的な理論に振り回されるコトなく理解が進むのではないかと思いますので、興味のある方は一度目を通されてみてもよろしいかと思います。まあ、ナチュラル11th音をソコまで忌み嫌うような人は、私が扱うような和声観という世界において理解できない人は皆無だと思いますけどね(笑)。念のために書いておきますね(笑)。


まあ、今一度振り返ると「C△7 -> Db△7」という一連のコード進行において、どういう風に想起するのか?と問われれば、当時の私の後輩はおそらくやC以外の所では極力リディアンで、ごくたまにCでもリディアンを想起して和声観を逸脱してみせるという、いわゆるスティーリー・ダンの「Peg」におけるジェイ・グレイドンのギター・ソロみたいなアプローチくらいまでしか発展させることしか出来なかったと思いますし、後輩自身もそれを演奏する前から見抜かれていたので降参状態で私にあらためて訊ねてきたワケでありますな。深い所にある私の「意図」を知るために。


当時の私も後輩に対して、「こういうのってお前に対して意地悪かな?」と尋ねてみたんですよ(笑)。でも後輩は世辞もあるかもしれませんが「こういう風に導いてくれるコトが有難いです!」と言ってくれるワケですね(笑)。


まあ、先輩後輩とかそういう人間的な付き合いなど全く皆無の、ネット上でこのような情報をご覧になった方に対して、みなさんにはどう思われるでしょうか?


私が楽理を学ぶ人間であるならば、私自身はこっちの底意地の悪い方を知る方が豊かな知識として肥やしになるんじゃないかな、と思っておりますが、こっちの道があまりにも自分には符合しない忌み嫌うべき道だという風に思われる方もいらっしゃるかもしれません(笑)。まあ、人を選ぶワケですよね、こういう世界というのは。万人向けではありませんからね(笑)。


但し、いくら自分の肥やしにしないまでも、「モード奏法」というモノをもう少し深く掘り下げてアプローチを採るために必要な見立て、というのは役に立つのではないかなーと思うワケです。ジャズマンじゃない人だって「なんちゃってジャズ」が出来るのは、このような「モード奏法」の確立があるからなんですが、実際のモードの見立てなんて、ホントに酷いモンでして、初心者と変わらぬ世界で「なんちゃってジャズ」を繰り広げているエセな連中だらけですよ、今なんて(笑)。少しは見立ての方法を変えるコトのできるような、そういうヒントとして今一度再確認できるようなモノとして受け止められるだけでもコレ幸いなんですな(笑)。


音楽ゴコロなんて、とことん「ドM」な探究心が無いと肥やしになりませんぜ(笑)。とはいえ、無学な音になってはいけないとは思いますんで、その辺りとは一線を画すべく、どのようにしてアプローチすればイイのか、という所を次回は語ってみたいと思います。


まあ、ココまで書けば自ずとご理解が進むのではないかと思うのでありますが、今回のようにごく一般的なポピュラーなコード進行において普段よりももっと厳格にモードを想起する所から端を発しているというコトはご理解いただけるかと思います。


で、先の例では2つ目のDb△7の所というのは、左近治のよく使う「属音+ナンタラ」みたいな形でしか物事見ておらずに、基のメジャー7thコード上からはハミ出た音の増六度とか用いているワケですよ。フツーの人はこーゆー見方はまずしません(笑)。フツーじゃない人にはなかなかお目にかからないモノでもあります。

フツーの人がこーゆー私のような視点でつまずくのは、大抵がそのシチュエーションにおいてヘプタトニックな構造を想起しているからなんですよ。いかなるコードが出現しようが可能な限り半音階を宛てがってみせる!といわんばかりに「攻め」の姿勢で挑む左近治のそれとはチョット違うと思うんです(笑)。とゆーか、半音階目指している人も大局的に見ればそれがクロマティックになっているだけで、殆どの局面においては概ねヘプタトニックな領域で自分自身にもやさしく攻めやすくしているのが関の山なんじゃないでしょうかね(笑)。最もラクで済ませられるのが初歩的なモード奏法なワケですからね(笑)。

ところがヘプタトニックな世界観で処理しているにも関わらず、代理ドミナントとなると途端にトライトーンの「等価な音程」を免罪符にして使いまくる、と(笑)。おいおい、結果的にヘプタトニック想起してんなら、トライトーンなんて転回させるだけで解決させようとするベクトルなんて変わっちまうのに等価に扱おうとすんのかよ!?っていう穿った見方が左近治の世界なワケですな。

想起している世界がヘプタトニックな世界なのに、トライトーンが等価な音程だからと言って「ファとシも一緒!」みたいな使い方程度じゃあ、悪いけど「クソもミソも一緒みてーなモンだろ、それだと♪」って言いたくなっちゃうんですな(笑)。


つまる所、ドミナントの代理コードとして裏コードを想起せざるを得ない時に、この時点でごく普通に何の疑問も抱かずにトライトーンが基のドミナントと「等価」であるからという理由でごく普通にモード処理してしまっても、実際には転調というダイナミックな変貌を待たずに、それこそ相転移するかのごとく「ファ」と「シ」の関係が入れ替わってしまっているのをなぜ見過ごして許容してしまうのか!?という所にギモンを抱かなければダメだろ、というコトを意味しているワケなんですよ。平均律とていくらファとシの関係が引っくり返しても等しく600セント幅であろうとも、想起している世界が7音というヘプタトニックであらば、ファとシを同様に扱えるワケがなかろうて、という所から端を発して、そんなまやかしで実際は近親的な調性を頼りに、そっちの世界の色彩があまりにも強いために、本来ならギモンを持ってよさそうな「ささくればった」細かいコトなど消し去られてしまうモンだから、そういう所をおざなりにしたまま強い色彩の方ばかりを優先してしまっているような世界が「通常の世界」なワケだと言いたいワケなんですな(笑)。


ヘプタトニックを想定せずに、あらゆるコード進行のシチュエーションにおいて「半音階」を意識している人、一体どれくらい居るでしょうか?アウトできる音といっても、それは大抵体系化させてしていたり、いわゆる「外し」の世界ですら何処かで聴いた感のあるようなアプローチばかりに収まっているのが殆どではないかと思うんですよ(笑)。

第一、メジャー7th系のコードが現れようが「増九度や短六を意識する音」やら、ドミナント7thにおいてナチュラル11thを惜しげも無く使えるシーンを見抜ける、またはそういうシチュエーションに導くことのできる方ってどれほど存在するでしょうか?おそらく殆ど存在しないのが実際ではないでしょうか。


コードの機能をも超える、或いは調性をも超越するという「音の形」というのはごく普通に存在するもので、これの美徳化された世界はフーガの世界でもあったり、あるいは多旋法な世界だったりするワケですが、フーガの技法は扨置き、「多旋法」すなわち異なる調性を持つフレーズが並立している状況というモノにおいては、これをごく普通に扱えるような方というのも実際には非常に少なかったりするのではないでしょうか。

こういう世界を好意的に扱う世界というのは、自身の耳の習熟度の高さが要求されるのもありますが、それに加えて一般的な世界観を肯定しつつも払拭できないと、従来の固定概念とやらのジレンマに頭痛めるだけで何の得にもなりません(笑)。実際、学んでみた所で自分の耳で対処できないモノだから咀嚼するコトができずにチンプンカンプンになってしまう人が大半なんですな(笑)。私、そーゆー人に手を差し伸べようとは思っておりません(笑)。そういう人が道端で倒れていても助けるコトはしないでしょう。少なくとも音楽的な理解力が理由で道端に倒れてしまっている、という人の意味でして、心筋梗塞やら脳梗塞やらでブッ倒れているんならハナシは別ですよ(笑)。そういう状況なら見捨てるコトは致しませんが(笑)、音楽的な理解力の拙さで(自身の責任でどうにでも是正できるはずなのに)理解が進まない人に対して手を差し伸べるようなコトはしませんよ、というコトです。

ましてや、こーゆー世界観をネット上で語っているだけでも十分なヒントになり得るはずなのに、それすらも判らないようであればそれは私に責任があるワケでもありません(笑)。但し、なかんずく音楽に興味を示す者であるならば、これくらいのコトでつまずいているようでもダメダメなのは明白なのでありまして、その辺の立ち位置も今一度確認しながら、別世界を覚える必要が出て来ますので、その辺りは今一度念押ししておきますのでご容赦を(笑)。


※今一度補足しておきますが、2回目の「Db△7」から次にC△7へ行く時、2回目の「Db△7」を『属音+ナンタラ』と見なすと同時にソコを「VIb△7」と同時に並立させて見なす状況を作る、というコトです。もちろん3回目のC△7は「トニック」なんですが、あたかも主音を先取りしつつ属音と下属音を並立させ得るような状況を無理矢理作る、みたいに考えていただければ結構です。一般的な音楽観からすればこのようなシーンは回避すべきでしょうが(笑)、敢えて調性や和声の機能を離脱するという方向でのあるヒトコマと思っていただければ、と。今回のこのような機能は追々判るように説明する予定ですので末永くお待ちくださいね、と(笑)。


今一度考えてみてください。非チャーチ・モードなど想起するコトもなく、ポピュラー(ジャズ含む)音楽理論を素直に受け止めて理解していた人は、ハ長調におけるドミナント7thの代理(ちなみに裏コード)Db7出現時になんのためらいもなくDbミクソリディアンを当てはめていたコトを。

「ファ」と「シ」の位置がそれだとひっくり返って代用しているのにも関わらず、そんなコトは気にせずG7もDb7もトライトーンは等価だからという理由でいとも簡単に使っていたコトを今一度確認するならば、「ファ」と「シ」が入れ替わっていようがなにゆえ「無意識に」それを受け止めて等価な感覚として用いるコトができたのでしょうか?


私の言いたいコトは、そこを無意識に受け止めてしまうのではなく厳密に意識せよ、というコトなんですな。つまり、こうした「無意識レベル」に生じているその事象こそが、ハ長調と対極の位置にあるFisまたはGesとして等価に扱えるというコトを指し示す例でもあるワケです。ドミナント・モーションをそこまで忠実に受け止めているのであらば、なにゆえDb7発生時にGesまたはFisに行こうとする牽引力は全く無視してしまってCに戻ることが優先されてしまう、という「狭い」世界観を有してしまっていると、こうした「並立する事象」を余計に感じ取れなくしてしまいかねないんですな。故に「敏感に感じ取る必要性がある」と私が述べているのはそういう意味なんです。多旋法的に生じる世界を意識せよ、という意味なんですな。

次回以降は実例を踏まえた上で、並立する世界について語って行こうとしますか(笑)。