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コンビネーション・オブ・ディミニッシュを今一度 [楽理]

今回取り上げるのは、いわゆる「コンディミ」と称されるコンビネーション・オブ・ディミニッシュ・スケールのコトであります。以前にも取り上げたことがありますが、それ以来のコンディミの掘り下げです(笑)。




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五度圏の図をご確認していただくとあらためて明確になりますが、コンディミとはすなわち異なる減七のフレーズが2つ組合わさっているから「Combination of Diminish」でありまして、減七のフレーズはそれぞれ半音離れているのであります。


つまり、Cを基準に短三度ずつ等間隔にセパレートされる減七のフレーズを1組の減七のフレーズとすると、もう一組の方はC#(=Db)から等間隔に短三度セパレートしている減七のフレーズがある、というワケでありまして、それぞれ一組の減七のフレーズは五度圏で確認すると「十字架」のように表され、二つの十字架が組合わさるように確認できるというワケであります。

興味深いコトに、このコンディミの見方は別の角度でも見立てるコトが可能でして、4組の四度/五度音程は短三度の等間隔によって構築されているという事も可能なのであります。

過去にも語っているように、短和音の性格で四度累積側に逃げ水のように重きを生じるような概念的なベクトルと、3つの五度累積で生じる13度というものが、結果的にルートの短三度下に音を重ねていき、ハーフ・ディミニッシュを生成する。このようにして他の調性を拝借するような近親性を利用した技法が生まれてくるワケですな(古典的な世界においてでも)。



例えばハーフ・ディミニッシュ(昔のトリスタン和音)の成立の基となっているのはこうした五度の累積による共鳴性も利用しながら近親的な調の拝借という技法がドッペル・ドミナント(現在のセカンダリー・ドミナント)としても古い時代からも使われていたワケでありますが、その基になっているのはもっと遡ればCメジャーの第7音を半音下げる(現在のCミクソリディアンですが、C調しかなかった時代はGメジャーのつもりのGミクソリディアンという使い方がその後発展)のはそれより昔のヒボフリギア旋法に置き換えるコトができまして、音楽というのはこのように発展して来たワケでありますな。長音階の第7音がフラットした音並びとなるヒボフリギア旋法が許容され(この時代には既に長調・短調があります)、今日のセカンダリー・ドミナントが許容され、五度累積による13度音程への拡大による今日のハーフ・ディミニッシュが許容され、減七フレーズが許容され、やがては倍音音列を生み、ドミナント7thのいわゆるシャープ9thやら、等音程構造の和音やら許容されていくようになるワケですな。無論これらの技法に密接なモノとなっていたのがフーガの技法であるのでしょう。


とりあえずハナシを戻してコンディミの話題を続けますが、先述の「4組の四度/五度音程」というのは、五度音程と見るよりも四度音程と見た方が、いわゆる「逃げ水」的な調的拡大のそれを見て取れるので、C音を主音とした場合の見立てにおいて次のような四度音程の組み合わせがコンディミのもうひとつの姿であるとも言えると思います。


G - C
E - A
C# - F#
Bb - Eb



という4組の四度音程の組み合わせ、という事を意味します。


通常、チャーチ・モードの世界というのは五度圏の円の半円内に収まるモノでありますが(何度も語っているコトですが、この半円内に収まる見立てというのはある意味とても深い意味を持ちます)、半円内にうまいコト収まってくれそうなコンディミが構成している音並びを対極側のアプローチへと導入したり、短三度ずつシフトさせてみたりするようなアプローチの可能性もあるんですな。つまるところ、半音セパレートの異なる減七フレーズだけでは収まらない多様な世界観をも構築している音並びであるというコトをあらためて認識できるワケなのであります。

こういう世界感の応用となると、Am7を見立てながらF#m7、Ebm7、Cm7という風に見立てを変えることも可能という、アプローチにおいてはコンディミという音列をまんま羅列するのではなく、見立てを変えることで多様なアプローチを演出させることができる、と言いたいワケであります。

例えばC音をルートとした場合、コンディミの音列というのはいわゆるメジャー/マイナー的な情緒という側面から見てみるとMajor 3rd音もMinor 3rd音も含んでいるような音列であります。


先述のように、基はこの音列そのものは異なる減七のフレーズを組み合わせたモノなワケですから、異なる2つの旋法がハイブリッドされたモノと解釈すれば、メジャー3rdとマイナー3rd音というものをあたかも同時に使うような対位的なアプローチを導入する考えの方が応用の幅が広がるワケです。

例えばトニック・マイナー・コード上でまんまコンディミをインポーズするにしても、マイナー・コード上でメジャー3rd音がハミ出てしまうものの、旋法的なフレージングをすることで、コードという呪縛に捕われることなく自由な音使いができるように発展しうるコトなのだと言いたいワケであります。こういう世界感はどういうシーンを形容しているモノなのかもう少し噛み砕いてみましょう。


じゃあ、先ほどのコンディミの音列の五度圏の図を今一度見てもらうとして、Cコンディミという音列があった時、ココでは例として2種類の異なるマイナー7thコードの組み合わせとして見てみるコトにしましょうか。ソコで、あくまでもココでは「Cm7 & F#m7」という2つのマイナー7thコードの組み合わせとして見ることにします。

これら2つのマイナー7thコードは対極(=裏)の位置にありますが、それをイイことにCマイナー・ペンタトニックとF#マイナー・ペンタトニックを使い分けてしまっているだけのヤリ方じゃあ全然「旋法的」ではないアプローチです(笑)。何が「旋法的」なのか!?というのは、ココでは例えば、二声の異なる旋法を導入したいというアプローチという風に理解して、そこで真裏の世界感を導入するだけでは「多旋法」つまりポリ・モーダルな世界は生まれにくいので、もう少し発想を変えるワケであります。


例えば、あるひとつの旋律がFミクソリディアンを弾いているとしましょう。その旋律と並立するようにもうひとつの旋律はAアイオニアンを弾いて、二声による異なる旋律を並立させた対位的なアレンジがあったとしましょうか。この両者のそれぞれのモードはチャーチ・モードを維持していて全然構いません。基軸の見立て方を変えればEbリディアン&Bドリアンでもあるでしょうし、Dフリジアン&Aアイオニアンかもしれません。ココで判るのは二つの異なる旋律はそれぞれ違うモードで並立状態にあるってぇトコロです。
つまり、このポリ・モーダルな一例はCコンディミから派生する音を、Cm7と見立てた側のコードを「Cドリアン」と解釈しつつ、F#m7と見立てた側のコードを「Aアイオニアン」と解釈しているという事に等しいというコトであります。

ココで「多旋法」的なフレージングをするには更にヒミツがあります(笑)。



コンディミという音列はシンメトリック(=対称的)な音列のため、短三度ずつセパレートしているトコロからスタートさせれば結果的に同じ音列になってしまいます。CコンディミもEbコンディミもF#コンディミもAコンディミも音は全く同じです。

ココで、「3連符」を導入してみましょうか。



安直にCコンディミをスケール・ライクに単純に上行フレーズでも弾いてみるとしましょうか。ソコに3連符を当ててみます。すると!?・・・

3連符のフレージングのため各拍頭には、周期的にやってくるはずの短三度音程のトコロの音ではなく、その次の音がやってくるワケですな。こうして各拍頭をピックアップするとただ単に短三度ずつ周期的に同じ音がやってくるようなフレージングではなく、あたかもひとりで弾いていても多旋法のような紋様が現れるようなモノとして捉えていただきたいんですな。

つまり、Cコンディミを羅列して上行フレーズを弾いたとしても、それを3連符で弾けば、2拍目アタマは「E音」が出現し、3拍目アタマには「A音」、4拍目アタマには「C#音」、次の拍のアタマは「F#音」が出現するコトとなり、例えばコレを「Cm7」というコードでスーパー・インポーズさせていたとしても「Cm7と対極のF#m7をハイブリッドに織り成すようにしたアプローチ」と形容できるコトになります。3連符とコンディミの成せるマジックとも言えるでしょう。

無論、こうしてCマイナー側から見れば本来ならハミ出るMajor 3rd音の出現(=E音)というモノに対して、Cマイナー感を阻害させる前にそれを織り成すためのアプローチがきちんと用意されながらフレージングされているような世界感を演出することができるワケです。マイナー・コード上でメジャー3rd音を使えるというもうひとつの根拠も、こういうアプローチがさらに加わるという意味でもあるんです。

コンディミという音列は主音の位置さえ変えればディミニッシュト・スケールとも言えるワケでありまして、コンディミに限らずディミニッシュトにも応用可能なコトであります。


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扨てココで、エリザベス・シェパードの2ndアルバム「Parkdale」収録の6曲目「Long As You’re Living」のCDタイム3分12秒辺りからアコピ・ソロが展開されるワケですが、この曲のキー(=調性)は、Cm。

アコピ・ソロはCm上でBbとAのゆったりとした半音トリルフレーズから次のアプローチを虎視眈々と伺うように長いトリルフレーズを聴かせてくれます。でもこのトリルにもA音を強く示唆しているコトによって非常にCドリアンっぽいイメージをエリザベス・シェパードによって作られるワケですな。そこで次の彼女の見せるアプローチはというと、CmにおいてCコンビネーション・オブ・ディミニッシュ・スケールをスーパー・インポーズさせてくる!というアプローチが実に見事なんですな。

「トニック・マイナー上でコンディミ当てはめただけだろ」なんて軽々しく思ってしまうようではいけません。このように軽んじて考えてしまう人というのは仮に同じアプローチをしたからと言っても、先述のように3連符がもたらしてくれるコンディミのより深い織り成すような情緒を得ようとまでの配慮は恐らく微塵も感じていないのが実情でありましょう(笑)。3連符を使うセンスというのはたまたま曲がシャッフルのワルツ(6/8拍子として聴くとよいでしょう)だから、という事でもありません。それはこのアコピ・ソロがトリルで始まりCコンディミをインポーズさせている一連の部分で次のコードに行くまでの最後のA音まで昇りつめた後のG -> F# -> E -> F#と結ぶ旋律が実に「旋法的」でありまして、この結び方というのが実に素晴らしいワケでありますな。


ただ単にトニック・マイナー上でコンディミ当てたような人がこのような旋法的なフレージングはまず出来ないでしょう。一連のフレージングのシメにその人の本当のセンスというものがココに如実に表れているという好例でありましょう。私自身がエリザベス・シェパードを好きなために贔屓目になってしまっているコトでもありませんよ(笑)。



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余談ですが、坂本龍一およびYMOによる「千のナイフ」という曲のCテーマの結びというのも今回の例と同様にGdim7においてGディミニッシュトを3連符で弾いて結んでいるワケですな。偶然にもコチラの曲も今回の五度圏で示した部分と全く同じ音になっているので非常に判りやすいのではないかと思います。こういう例からもコンディミ/ディミニッシュト系のフレーズの多旋法的側面を持ち合わせているかというコトがあらためてお判りになるのではないかと思います。
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特に、減七の音程というのは各音がそれぞれ短三度でセパレートされているワケで、減七のフレーズに対して別の音程で例えば長三度や完全四度/完全五度という、減七視点で見るとまず出てこない音程差からハモらせることで多旋法的な紋様を彩らせるコトが可能だと言いたいワケです。「千のナイフ」はGdim7という(和声感は希薄ですが)シーンにおいてGのベースに対して完全四度上からCのコンディミを弾いているようなモノだと思っていただければイメージが掴みやすいかもしれません(Gのディミニッシュト・スケールです)。

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以前にバッハを取り上げながら減七のフレーズの半音上をベース・ペダルとした例を引き合いに出したことがありましたが(Bdim7 on Cとして)、コレは「トッカータとフーガ ニ短調」のフレーズをC調に移調した例だったのでありますが、そのままC調に移調している例として今回のテーマとして語っているふたつの減七として確認してみると(五度圏の図です)、ベースがC音でそれを十字架とする「減七」がひとつのグループであり、このグループからC音のみ抜粋しているとすると、今回の五度圏の図ではピンクでは無い灰色の方の十字架(=もう一方の減七)のグループをアッパーとして弾いている例というのが「トッカータとフーガ ニ短調」の例だと言えるでしょう。もっと簡単に言えば今回の五度圏の図のピンクのふたつの十字架を反時計回りにひとつずらした例と見ればよろしいのでありますな(笑)。

このように、色んな工夫を凝らしてフレージングしているというワケですなぁ。