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エリザベス・シェパード新譜 「Heavy Falls The Night」レビュー [楽理]

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私がこよなく愛する近年のミュージシャンのひとりであるエリザベス・シェパードが新作「Heavy Falls The Night」をリリースしたという事もあって、今回は作品レビューも兼ねて、彼女の最大の魅力である楽理的側面も含めつつ語っていこうかと思います。率直に言って、彼女は和声的な「毒」のまぶし方が実に巧みな近年稀に見るアーティストのタイプであります。前2作品のそれは毒の強度も強く、私のようなハイパーな和声を好む者にしてみれば非常に陶酔できる作品であったことは間違いありません。

今作「Heavy Falls The Night」というのは、小難しい楽理的な部分をのっけからアピールするのではなく、ジャズも知らないただ単に有機的で素朴な響きを好むような人にもスンナリ受け付けられるほど、楽曲に用いられるモチーフはそういった人の心を掴みやすいやさしさを備えていて、一般的にもかなり聴きやすい、それでいて彼女のハイパーな感覚をさりげなく認識することができる、そういうアルバムになっていると思われます。


女性というのを語るとすると、私から見ると本人の中で常に幾つもの「客観性」という小さな部屋を用意して、本人そのものである主体的な部分を擁護しながら周囲は客観性という城壁で守られている、そういう風にイメージすることができると思います。

愛するパートナーが居ても、「今日はひとりで人生の喜びを味わいたい」と、パートナーありきで幸せな時間を構築しても自分の楽しみは忘れず、客観性で備えた城壁「another one」をポーチのように小脇に抱えては、そのanother oneというのは、パートナーが備えてはいないモノを他のシチュエーションにおいて楽しむという自在の使い分けで多くのシチュエーションを楽しんでいるような感覚を備えているような。そういう姿が女性だなとつくづく感じるワケであります。

エリザベス・シェパードの今作品というのは、ひとつひとつのモチーフはキャッチーであり、それこそスウィング・アウト・シスターやジョニ・ミッチェルを聴く感覚で、シンプルな形態であるジャズという世界をジャズらしくないほどフォークロアな感覚で聴かせようとする配慮が前2作品にも増して強く表現されていますが、そのバランス感覚というのは絶妙であるのが今作品。

前2作と比べてもローズ(=エレクトリック・ピアノ)の比重は大きくなっておりますし、だからといってアコピが皆無になるワケではありません。しかも、一般的にも判りやすそうなキャッチーなモチーフのそれはどことなくブルージィーな情緒を用いて惹き付け、その判りやすいモチーフから彼女独特の和声感覚にリハーモナイズさせていくような感覚は、普通のジャズ屋さんが見せるリハーモナイズやらのアレンジとは異質のもので、まるで編み物を解きほぐすかのように瞬時に糸をほどくかと思えば、そこからまた即座に糸を紡いでみせるかのような和声的な世界が用意されているものであります。

その判りやすさを「オーセンティック」と形容するならば、そのオーセンティックとやらはまさに「正格」という混じりっ気の無い真の姿。これを写真で例えるなら正面写真のようなモノでしょうが、この「正格」の姿をエリザベス・シェパードはまるでその写真が3G加工させたものかのように色んな角度から映し出している世界をさりげなく提供してくれるというものであります。


楽理的な側面で呼ばれることの多い「正格」と「変格」。一方の「変格」の姿というのは、ジャズ屋さんも一所懸命角度を変えながら見せてくれてはいるものの、結婚式のスピーチでどこかで聴いたような言葉をそっくりそのまま喋られてしまうような「常套句」ばかりを耳にするのが近年とても多いエセなジャズの姿。

その「変格」の姿というものは、エリザベス・シェパードが手掛けると「こんな角度からも見せてくれるものなのだ」と、その技法の美しさにも酔いしれてくれるでしょうが、誰もがジャズ理論を知らなくてはならないというワケではなく、そんなことを微塵も知らぬ方にも、その技法の美しさにはいつの間にか酔いしれるであろう、そういう「バランス感覚」が今回は絶妙だと言いたいワケです。


先述の女声に顕著な「客観性」と「主体性」の使い分けですが、このような姿勢というのを音楽に置き換えるならば、自身の志向する音楽的主観の部分はうまいこと擁護しつつも、客観的にリスナーと付き合いながら、自分自身を表現している、と。つまり客観性という他人から見て分かりやすいアプローチが今回のアルバムにおけるやさしさのあるモチーフからの発展、という風に表現することが可能だと思います。



彼女の代名詞ともなっているさりげない7拍子はのっけから現れますが、全曲7拍子なワケではありません(笑)。ただ、その拍子の構造も奇異なモノに感じられないほどスンナリ入って来るというさりげなさは特筆すべき点だと思います。

私が「Heavy Falls The Night」を手にしてまだ数日しか経過していないものの、マイiPodで5ツ星になったのは5曲。その他は4ツ星でありますが、私の4~5個の星の基準は結構選別のスレッショルドが高いので、その辺りは誤解の泣きようご理解いただきたいワケですが(笑)、中でも5ツ星の曲を取り上げてみたいと思うワケですな。その5曲が


「The Taking」
「One More Day」
「High」
「It's Coming」
「On the Insufficiency of Words」

という曲たちなので、それらについてザックリ語ってみようと思います。最後に挙げた「On the Insufficiency of Words」の世界は秀逸ですので、私も結構時間を割いて今回アナライズしているので、その辺りの楽理的側面も確認していただければコレ幸いでございます。


2曲目「The Taking」ですが、ローズのソロ部分を聴くと、メロディック・マイナー・モードを巧みに使って、エリザベス・シェパードらしさが非常に良く出ておりまして、そのフレーズそのものは超絶技巧というモノではないのですが、アラン・ゴウエン特にSoft Head / Soft Heap期の頃を彷彿とさせてくれるようなフレージングが絶妙で堪らんのであります(笑)。ソロに入った時に溢れんばかりの彼女のセンスは実に凄いと思いますな。音を詰め込むのでもなく速弾きフレーズで埋めるワケでもない。しかし、彼女にしか備わっていない和声感覚のソレというのがビンビン伝わってくるワケですな。コレがそんじょそこらのジャズ・ボーカルやら女性ピアニストと違う(その手の人達が残念ながら持ち合わせていない和声感覚)重要な世界をさりげなく感じてしまうコトができるワケですな。



6局目の「One More Day」のテーマの結びのセカンド・ベースに私はケリー・ミネアーのそれを感じ取って、どこか郷愁の念に駆られました。ジェントル・ジャイアントのアルバム「Interview」収録の「I Lost My Head」の第一部のフォークロアな部分を思い出してしまいましたが、この曲とGGのそれは全く違いますよ(笑)。この曲をフルに通して聴いたのはまだ1回なのに(笑)、郷愁の念というものが導かれるのはそれ相応の世界が形容されているからなんですな。


8曲目の「High」は、カンタベリー系好きには堪らん曲でしょう(笑)。フロア・シーンにおいてもネタ曲にされるのではないかと思いますが、この曲はとにかくアルバム中看板曲のひとつになるのではないかと思います。インコグニートくらいしか知らない人にもうってつけだと思います。難しいコトは抜きにして耳にしてほしい曲であります。


9曲目の「It's Coming」は、スローな7拍子で少々ブルージィー。このキャッチーなブルージィーなモチーフの導入が次のBパターンの対比に巧いこと役立っているのであります。そのBパターンのブリッジとは!?実に見事ですよ。小難しいコト抜きに聴いてほしいと思いますな。曲の最初こそバド・パウエルの「チュニジアの夜」を彷彿とさせてくれるカウベルがどことなく懐かしさを感じさせてくれるワケですが。


で、10曲目の「On the Insufficiency of Words」というのは、この曲の特徴的な部分こそがエリザベス・シェパードの重要な部分のひとつとも思えますので、ちょっと長くなってしまうかもしれませんが綿密に語らせていただこうかな、と。



まあ、何はともあれ次の五度圏の図を今一度ご確認してもらうことに。

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難しいコト考えずに、これを「図形的に」まずは見ていただきたいのですが、時計に例えるなら


1時と2時
5時と6時
9時と10時


コレに相当する部分はなぜか色分けされているのが判りますね!?

んで、チョットだけ首をキモチ左に傾けていただけますと(笑)、色分けされたピンクとオレンジをミックスしてみると、いわゆる「放射能」のマークのような図形をイメージできると思うんですが、いかがでしょう!?(笑)。


笑っている場合ではなく、コレ、楽理的にも非常に重要なコトなんで、その辺もとっても判りやすく今回は語ってみようかと思います。


エリザベス・シェパードのアルバム「Heavy Falls The Night」の10曲目収録の「On The Insufficiency of Words」という曲は楽理的側面においても非常に重要な技法があるので、その曲中心に語るワケですな。


「On The Insufficiency of Words」という曲のキーはBメジャーでありますが、テーマに入るとEリディアンを強く示唆する流れから入ってくるワケですな。Eリディアンの時のコードは「E△7 (9、#11、13)」でありますがメジャー7thは希薄で、どちらかといえば「E69」的サウンドであります。しかしながらこの曲のリディアンを強く示唆する部分においては左近治は

「F#△/E△」と敢えて表記することとします。こちらの分数表記の方が後々楽理的側面を解説する部分で非常に判りやすいと思われるコトも考慮してでのコトであります。


少し音楽理論を知っている方であれば、これはcircle of 5th = 五度圏と呼ばれるモノだというコトだと即座に理解できるはずです。



「キーがBメジャーなのに何故Eを中心に書いているのか!?」


ハイ。この疑問にも今すぐお答えしつつ楽理的側面を語るコトにしましょう。楽理の「いろはにほへとちりぬるを」位まで知っている方なら、この五度圏の色分け部分が表しているものはバルトークの中心軸システムだということが即座に理解されることでありましょう。無論、バルトークの用いる、現代で言えばハイブリッド・コードのひとつの型である、というのも想像するに容易いコトでありましょう。


それでは、ココから細かく判りやすく解説していきますが(笑)、背景にコードもなく単音で「B音(=H音)」が鳴っている場合、このシーンにおいてB音に和声的に共鳴するのは「E音かF#音」という、音の高さの上下等しく完全五度という音程で隔たっている所が強く和声的に共鳴や情緒を得やすいポイントであるワケです。


モーダルな世界観というのは音列に導音(=主音の半音下)を与えないことも重要な要素のひとつでもありますが、通常、7音で構成される音階から「導音」を省くと6音というコトになります。

つまり、E音を示すところから6コ数えた所まで先ずは数えてみましょうか。

そうすると、時計的に5時のポジション、つまり「D#」の所までの音を抜粋してみると


「E、F#、G#、B、C#、D#」という音を拾うコトができました。

調性を確定するならば、

「Aに寄りそうかA#に寄りそうか」

いずれも時計回りか反時計回りでもうひとつ音を加えることで調性は確定します。先述の曲「On The Insufficiency of Words」というのはBメジャーであり、Eリディアンを強く示唆する、という風に語っていたワケですから、時計的に見るならば12時から6時の音を拾えば、この曲の「調性」で用いられる音全てを確定しているワケですな。


ココで今一度確認してほしいのですが、12時から6時まで時計回りに音を拾うにしても「3時と4時」部分は色分けしておらずグレーのままですね!?

(※Eもグレーにしておりますが、ソコはあまり気にしないでください)。


バルトークの中心軸システムというのはコルトレーン・チェンジの礎にもなっている、というかジャズの礎とも形容するに相応しい世界なのでありますが、いずれにしてもココで注目すべきなのは、「3時と4時」がグレーなのは意図しているもので、それらの対極にある所で音を持って行っちゃっているんですな。

つまるところ、本来3時と4時の位置に在る音を「9時と10時」に持って行っちゃった、と。

そうすると、曲のトニックはBなので、Eはとりあえず概念的にはこの際、色をグレーで示すとですね(笑)、さきほどの図のように色分けしている音のそれは12音の中でとてもシンメトリック(対称性のある中立性)な関係を構築することが可能なんですね。

対極な関係に置換できる、という根拠は中心軸システムに詳しいので、今更この手の事を左近治が語らずとも誰もが通る道だと思いまして、無粋なので語りませんが(笑)、まずは、こういう「中立的な」音世界を得た、という所を今回念頭に置いてください。


仮に「9時と10時」部分に置換すること無く見てみると、「B、D#、F#、A#」という音が残ります。


これらの音を構成するのは「Bメジャー7th」でありまして、バルトークの方ではこの「B△7」を「Hdur + Dis moll」として扱っていて、先ほどの対極側に置換したそれというのは「Hdur + Gmoll」というハイブリッド・コードとして用いている、いずれも中心となるメジャー・トライアドの上下に等しく長三度音程でセパレートされている(増三和音の関係)部分にマイナー・トライアドを補足する、というハイブリッドな和声の技法なワケですね。


いわゆる、メジャー7thコードでアウトサイドな世界を得たい場合、私も「オルタード・メジャー7th」と銘打って語ってきたモノでありますが、それとは少々見立てが異なる角度ではありますが、こうして対極側に置換されたコードは、ある意味「メジャー7thコードに#9thとb13thを加える」という根拠が生まれる所も重要な点です。

「#9thは少々使いづらくともb13thなら巧く使えるかも」

という、過去にもメジャー7th上でb13thを使う根拠を別の角度から左近治は語っていたワケですが、バルトークの中心軸システムを基にして語っても同じ音は得られるんですよ、というコトをついでに語っておきますね、と(笑)。


で、原曲の「On The Insufficiency of Words」のEリディアンを強く示唆するテーマ部分にハナシを戻すとしますが、この時点では前述の対極に置換した音である「G音とD音」の音は出現しておりませんが、その後のテーマでディグリー表記すれば「サブドミナント・マイナー」つまり「Em」の世界に行く、つまりトニック・メジャーであるBメジャーからEリディアンというプロセスを経てEマイナーという和声に行くと。このEマイナーの世界はVIbである「G」を包含した世界、この「対極に置換した」世界観を演出している部分なのだということがお判りになると思います。


「こういう手法など普通に存在するモノなんじゃないの?」


ココまでは確かにそうかもしれませんが、先ほどのEリディアンを強く示唆するテーマ部では、和声的なアプローチで非常に興味深い和声を用いて、この「VIb△」(=G△)という和声を包含するEmに持って行っているという所を語りたいワケですな。その特徴的な和声感覚というのがエリザベス・シェパードの特筆すべきセンスなのでありますので、ソコを語らないとマズイのであります。


CDタイムで言うと、1分35秒の所。


ココは一連のEリディアンを強く示唆する部分でコード表記は「F#△/E△」。で、Eリディアンを保持しつつもバックのコードは「Daug/E△」に変化させて来ます。

さらに言うと、このアッパー部分のDaugはですね、実はDaugを内包する別のコードなのでありますが、1分39秒の所の唄メロのフレーズ(send it in a song~の「send it」のトコロ)は

E音→D#音→D音→F#音


という風に最初の3音はただのクロマティックのように聴こえるかもしれませんが、ココをクロマティックと聴いてしまうとダメな部分でして、とても重要な音なのであります。


最初のE音のメロディは下声部の和音「E△」からの拝借で、D#→D音という風に続く所はDaugにD#が加わる。つまり「D#m△7」を使っているワケであります。ココは絶対聴き逃してはいけない重要な部分です。旋律的にもどこか民族的な風合いを感じさせながらも、土着な感じは漂わせない歌い方や他の楽器のアレンジ感覚というのが絶妙なんです。

このフレーズをフローラ・プリムが歌えば非常に民族的な度合いは強まるでしょうし、この感覚というのは同じカナダというコトもあってジョニ・ミッチェルを引き合いに出されるエリザベス・シェパードですが、ジョニ・ミッチェルの方は歌詞にも重きを置くため、歌詞はエリザベス・シェパードほどシンプルにならず、もっと音が必然的に多くなってしまうのであります。どちらかと言えばバーバラ・ガスキンの感覚に近いと左近治は思います。


ちなみに、ここのアッパーがマイナー・メジャー7thになった部分は結果的にギターがC#音を明示的に弾くまでの間ではありますが、コード・ネームとしては

「D#m△7/E△」

という風になります。



左近治ブログを継続してお読みになられている方ならお判りかと思うんですが、この下にメジャー・トライアド上に長七度離れたマイナー・メジャー7thって、かつて私もGreensleevesのジャズ・アレンジで用いたコトもありましたね。それはそれで当時のブログ記事を参照していただくコトとして、私のその使い方は当時の記事では別の解釈で(その後のブログの話題に導くためのコトもあって)記述していますが、私が根拠も無くただ単にハイパーな和声を用いているワケではない、という事は今一度補足しておきたいな、と(笑)。


で、下がEメジャー・トライアドで上がD#m△7というコードの各構成音を列挙すると、


E、G#、B  D#、F#、A#、C##(=D)という風になり、先ほどの五度圏の図を今一度ご確認していただくとですね、「放射能マーク状」になっている音たちを抜粋して(G音のみ出現しない)いるコトとなり、そこで次のテーマで「Eマイナー(サブドミナント・マイナー)」に行くことで、この世界観を完結させているワケですね。


Bのトニック・メジャーを提示しつつも、Eリディアンに加えた浮遊感覚を醸し出した調的(とても中性的な)な世界を演出しているという、結構高度な技法を用いているのであります。


ある程度音楽理論を知っている人はコルトレーン・チェンジなど覚えるものです。中心軸システムとかね。でも、知っていて当然のはずなのに、近年じゃあそういう音世界を第一に表現してこそのジャズ畑のジャズ屋さんですら、先ほどのような音など全く使わずに(笑)、うわべだけの「ポピュラー理論」に収まる程度のエセなジャズの音が非常に多いのが現実なんですよ(笑)。

結婚式のスピーチ喋るのに、杓子定規のどっかの本に載ってるだけの言葉並べてるだけのそういうフレーズの応酬程度にとどまっているのが多いのが現実って意味なんです(笑)。


先ほどから口酸っぱく語っているような部分をきちんと音にして出してくれているアーティスト自体今では少ないワケですが、少なくともそういう和声を実践して良質な音楽に仕上げている人達の功績を語らずにはいられないがために、私はこうして例えばウォルター・ベッカー語ってみたり、エリザベス・シェパード語ってみたり、カンタベリー系やらジャズ・ロック系にあるような音やらウェイン・ショーターやら引き合いに出したりしているワケなんですな(笑)。


まあ、もっと言ってしまうと、こーゆー所に気付けない人は耳をもっと研ぎ澄ます必要があるワケで、感覚的な感想文程度のもので御託並べられても得るモノなど無いに等しいワケでして、良質な音楽から学ぶべき所を見落とさないようにしながら、こういう素晴らしい楽曲に出会いたいモノであります。


さらにさらに付け加えておくと、「On The Insufficiency of Words」で「Daug/E△」が出てくる場面では、Eのオーバートーン・スケール=Eリディアンb7thというモードに変化しているとなると、言い換えればBメロディック・マイナー・モードになる、と。

基のキーはBメジャーですからソコにD#が加わってくることで、バルトークの全音階システム(モード上の全ての7音を重畳させた和声)をも超越して、7音を超える音階による「情緒」を得ることで、トニック・ドミナント・サブドミナントの関係をチェレプニン音階のそれのように相転移させる調的拡大という世界観をも演出しているのだ、という所まで見抜いてほしいのであります(笑)。

無論、私のブログを継続してお読みになられている方なら、私が何を言わんとしているのかは自ずとお判りになっていただけるかと思いますが。


つまる所、増三和音を内包し且つメロディック・マイナー・モードを内包し、7音を超える音階を想起しうる世界となれば、これをシンプルにすればオーギュメンテッドでもありますし、チェレプニンにも応用可能ですし、コンポジット・スケール的に形成された減三度音程または増二度音程を巧みに活用するとなると自ずと答は見えてきますね!?私のブログ上であれば概ねウォルター・ベッカーの「Circus Money」がアルバム発売前に配信された辺りくらいから、この手のコト語り始めているので参考になれば幸いでございます(笑)。


で、サブドミナント・マイナーの部分の「Em」はですね使い分けているようで

Em9
Em69
Em7 (9、#11)

という風に弾き分けているようであります。


マイナー7thコードに「#11th」が加わる場合、この場合はEマイナー・トライアドの短三度上にGマイナーが加わる世界観を演出可能なワケですが、ある意味ではこの場合Eマイナー・トライアド + Gm△7 or Bm△7という風に見ることもできて、

Eマイナーの上にGマイナー・メジャー7thかBマイナー・メジャー7thという、同じマイナー・メジャー7thが長三度関係によって現れている所もオツな所です。これらのマイナー・メジャー7thをさらに増三和音関係に配置するとするとD#m△7が出て来ますよね。アレ!?


コレ、さっき出て来ましたね。つまり、増三和音の関係にあるマイナー・メジャー7thを応用したモノなんですね。中心軸システムにおいても増三和音関係にある特徴的なアレンジがあるワケですが、それを導くことなく左近治流の見立ての角度で語っても、コレだけ筋を通して来てくれているのがエリザベス・シェパードなんですな。


メロディック・マイナー・モードでダイアトニック・コードを形成すれば、ドミナント7thは2つ出現しますし、その情緒というのはポリ・モーダルな感覚としても重要なことですし、特にジャズにおいてはドミナントの位置という基軸の見立てこそがキモですので、それに寄り添うことができるメロディック・マイナーの世界の演出というのはジャズにおいてとても重要でありまして、ハイパーな世界観の入り口でもあるワケです。

そういうコトを巧みに使いながらハイブリッドな演出をさりげなくこなしているのがエリザベス・シェパードなのだ、というコトをお判りになっていただけたでしょうか?

2010年、まだ始まったばかりですが、エリザベス・シェパードの新譜「Heavy Falls The Night」というのは、音楽的な部分や楽理的側面における研究にも一役買ってくれるほどのマスト・アイテムになることは間違いないでしょう。市場ではややもすると認知度が低いのでありますが、間違いなく今作品は大飛躍するのではないかと思います。オススメです。ウォルター・ベッカーの「Circus Money」級です。ウォルター・ベッカーのアルバム基準で言えば「Door Number Two」に近いでしょうかね、「On The Insufficiency of Words」は。