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ハイパーな音世界においても叙情的に(3) [楽理]

今回もまた次回の続きでありますが、先のKクリでリリースしているメランコリックなデモのコード進行は提示したものの、とりあえずはハイパーな響きに慣れ親しんでほしいというキモチの表れから、とりあえずはヴォイシングを譜例にして今一度ご確認していただくとしましょうか。必ずしもリリースしているデモと完全に一緒ではありませんが(笑)、まあこういうヴォイシングで弾いて試していただければ、どういう響きなのかお判りになっているのではないかと思いまして。とりあえずは次の譜例を確認していただくことにしましょうか。1小節目の「Fsus4/Db7」という便宜的なコード表記というものは、こうした譜例で実際に確認していただければ一目瞭然ですが、下声部のヴォイシングというもの はDb7のRoot、Perfect 5th、そしてMajor7thという風に弾いているのは今回のこのハイブリッドな和声においては「Db△7」を母体とするコードに長六、増六の音を使用しているという意図から下声部の7th音は短七ではなく長七にしております。

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加えて、メジャー7thを母体とするコードにオルタードなテンション・ノートを付加させたとしても、通常ならばオルタード・テンションとナチュラルなテンション(ここでは長六と増六)という音を同時に和声的に用いることはありません(旋律的に用いることはあっても)。そういう通常の「禁則」というものに捕われてしまうと、一般的なコードネームの表記からは「外道」となってしまうのでありまして(笑)、ハイブリッド形式のポリ・コード表記としているワケであります。

とはいえ、便宜的に発生してしまう下声部がドミナント7th、上声部がsus4だのという左近治がよくやるこの手のコードは、左手(下声部)が長七ではなく短七のヴォイシングをしている時というのは、下声部はドミナント7thの情感を出しつつ、ドミナント7thの通常の世界観では禁忌とされる音を用いる時ですので、この辺りは使い分けているので、今回の例が全てではありません。とはいえ、このようなハイパーな和声はよほどの意図が無い限り一般的には無縁でしょうし、あまり参考にならないかもしれませんけどね(笑)。

まあ、下声部が長七を用いながら実際には下声部ではDbミクソリディアンを想起している、というのも矛盾するように思われるかもしれませんが、垂直レベルに和声を発生させようとするこの手のハイパーな和声の場合、「鍋終わった後のおじや」みたいな感覚でミクスチャーさせるような捉え方の方がスンナリ体得できるのではないかと思います(笑)。

こういうコードを背景にソロを取らざるを得ないようなシーンで、その人が道に迷わないようにするための注釈でありまして(笑)、この辺りのミクスチャーな感覚と、上声部と下声部の想起しうるモードの使い分け、というのが重要な点であります。面倒臭いので全部ゴチャ混ぜにしちゃえ!とかヤッてしまうと、ソロの時など大抵無意味な羅列で情緒を感じにくい音にしかなりませんので、この手の制約を設けた方が弾き手としてはやりやすいのが現実だと思われますので、こうして敢えて解説しているのであります。

まあ、他にミソ付けるとしたら5小節目の左手10度とか(笑)上声部のG音不要だろ、というのもありますが(笑)、今回のデモには用いていないアルペジエーター用のヴォイシングをそのまま流用したデータから引っ張ってきてしまっているのもあるんで、その辺はご容赦願いたいという苦しい弁明をさせていただきます(笑)。

6小節目の「左手6度足し」というのは、これはクロスオーバー感を誘うヴォイシングですね(笑)。「1+5+6」のヴォイシング(笑)。実際にここの左手6度というのは上声部からの拝借なんですけどね。

でまあ、全体見ていただくと「E#」とか出てくるんで、その手の表記に見慣れない人には小難しく思えるかもしれませんが、導入している和声が和声だけにどうしてもこういう表記となってしまうのが心苦しいところでしょうか(笑)。こっちの方が返って判りやすいと思うんですけどね(笑)。


特に注目していただきたい部分というのは、6小節目から8小節目の1~3拍目までの3種類のコードでして、これらは上声部と下声部がいずれも和音というポリ・コードなワケですが、8小節目の1~3拍目はポリ・コードじゃねえだろ!とツッコミ入るかもしれませんが、こちらも「ポリ・コード的発想」でお感じいただければ、と思います(笑)。

6小節目のポリ・コードは「よくある」タイプの型ですね。7小節目というのは見慣れないポリ・コード表記でありましょう。これら2つのポリ・コードの特徴は、上声部・下声部共にメジャー・トライアドで括ってある、という所ですな。


8小節目の1~3拍目というのは、過去にも左近治ブログで語ってきましたが、マイナー7thとハーフ・ディミニッシュが同居したようなコードなワケですが、これは下にAマイナー・トライアド、上にCマイナー・トライアドという風に見立てた方がスンナリ響きを理解できるでしょう、ということを過去に述べたということをおさらいしているワケでありますが、今回のこの例のように上と下でマイナー・トライアドを構築させたポリ・コードの音程関係を見れば、とりあえず短三度セパレートした関係となっているワケですね。


異なるマイナー・トライアドが短三度の音程差で生じるモード・スケールというのは「幾つか」存在するものの、少なくとも1オクターヴを7音で構成する音階においてマイナー・トライアドが短三度のセパレートで「ダイアトニック・コードとして」出現してくれる音階は私の知る限りありません(笑)。無論、チャーチ・モード・スケールにおいても出現しません。今回はココが重要ですので後述することにしてみましょう(笑)。


「Am7(#11)」というコードをポリ・コードに解体すると、上にCm、下にAmを作ることはお判りだと思います。つまるところ、Am、Cmという短三度セパレートした音程関係においてダイアトニック・コードを形成するモード・スケールというのはどういうモノが挙げられるのか!?という所からまず語ることにしましょう。


前述したように、1オクターヴを7音で構成する音階でマイナー・トライアドが短三度の音程関係が「ダイアトニック・コードとして」現れてくれる音階は、よっぽどヒネくれた音並びをカスタマイズしない限りはありません(笑)。しかし、1オクターヴで7音を超える音階、若しくは1オクターヴに7音という音階であっても増二度音程を含む音階を「便宜的に」マイナー・トライアドとして扱うのであればその限りではありません。

先述のAm、Cmという2つのトライアドですが、構成音を見ればそれぞれ「A、C、E」と「C、Eb、G」という音になり、Aを主音とした時にCmの3rd音である「Eb」を「D#」と見れば、自ずとジプシー系の音階やハーモニック・マイナーやハーモニック・メジャーのモードが見えてきます。

しかしながら、それらの構成音がモード・スケールに合致したとはいえ、「ダイアトニック」的視点で見れば次のようなジレンマが生じます。

仮にAm、Cmの双方の構成音を満たす音階で「Aハンガリアン・マイナー」か「Aジプシー・マイナー」を想起したとします。この2つの音階は第7音だけが違うだけですね。

しかし、これらの音階で「D#」をルートとするダイアトニック・コードをトライアドで見てみると、いずれも3rd音は五線上においては便宜的な3度音程を記しているでしょうが(笑)、実際には「D#sus2」(※いずれの音階においてもD#、F、Aという構成音)となるというジレンマが生じます。

そうすると、そもそもA音を主音とする「見立て」が違うのではないか!?というコトになりますが、このコード上(=AmとCmの合成)において先ほどの2つのスケールを弾いても別に音はハミ出ることなく合致します(笑)。


さらにいえば、Eを主音とするEハーモニック・マイナー・モードを想起すればより自然なのではないか!?という可能性も生じますが、Eハーモニック・マイナーの第6音から生じる「ダイアトニック・コード」というのはCmではなくCメジャーが本来の姿です(笑)。ハーモニック・マイナーで生じる第6音と第7音の「増二度」音程を便宜的に用いて「強制的に」用いている解釈というジレンマがここにもあるワケですね。無論、「Am、Cm」というマイナー・トライアドの合成された和声上でEハーモニック・マイナー・モードを弾いても外れることなく通用してしまうというジレンマです。


そもそも、少々突飛な世界の「ダイアトニックな世界」であってもダイアトニック感をそこまで維持する必要があるのか!?と言えばそれは決して違いまして、むしろ そういう束縛がない方が「自由」なワケですね。


7音を超える音階、例えばコンディミorディミニッシュトやらチェレプニンやら果ては11トーン・スケール(笑)なんていうモード・スケールを想起しているのであればまた少しハナシは違ってくるのでありますが、7音を超える音階においてスケールの「情緒たる」性格というのはチェレプニンを除けば非常に希薄になってしまいますし、7音で構成する音階を想起し、且つチャーチ・モード・スケールではなくとも情緒の得やすい音階を想起していた方が聴き手には伝わりやすい情緒なのでありますが、ジレンマはいずれにしても発生しているワケで、そのジレンマの中で弾いている自分自身が「一体オレは今どこにいるんだ?」と迷わないための認識をもって、このジレンマを受け入れないとアタマ痛めるだけになってしまうでしょう(笑)。

別に机上の理論による葛藤を実演する必要は全くなく、そもそも和声が「合成」されているのだからダイアトニックにこだわることなくとも、実はあるモード・スケールに合致しているんだ、というポジティヴな認識を持って柔軟に考えてくれれば扱いやすく(アドリブなど)なるのではないかと思ってこうして述べているワケであります。


8小節目1~3拍目の「Am7(#11)」から見えてくる重要な要素というのは、ふたつのマイナーの世界観(短三度離れた)が同居しているものとして捉えることが出来たり、別のハーモニック・マイナー・モードを想起することが可能だということを言いたいんですな。


仮に、あるフレーズがCmのフレーズを強く示唆するモチーフがあったとします(ここに和声は与えずに)。じゃあ、そんなフレーズの短三度下にAmをぶつけるような音を構築してみたり(この場合、ドリアンを想起しやすいMajor6th音を生じるが故に、Cmから見たメジャー3rdの音を使う世界観になりかねないので、この辺りはマイナー・コード上でメジャー3rdを用いるという左近治の過去の記事を今一度参考にしてみてください)もしくは短六度下(=長三度上)のEハーモニック・マイナーを想起してみたり、Amを強く示唆するモチーフにCmの音をぶつけてみたり四度下(五度上)のEハーモニック・マイナーを想起したり、または主音はAでジプシー系の音階を想起したりなど用途は広がるワケで、単純なマイナー・トライアドにおいても「アウトが可能」な情緒を用いることができるワケで、ただ単純にAマイナーにおいてブルージー感を演出して減五度の音使っているという視点とでは、ボキャブラリーという点においても大きな差が出てきます。


大方、スタンダードなジャズであればドミナント・モーションという一連の動き(ツーファイヴ)の所が最も「遊びやすい」部分なワケであります。もちろん本来想起している所からはかなり縁遠い音を用いてアウトサイドするにしても、それなりのアウト感覚という「型」を身に付けていないと、間違った音とアウトサイドも一緒になってしまいかねないのでありますが(笑)、アウトサイドを「型」として持つのは少々語弊がありまして、本来なら外れた「着くずし」の感覚というのは、見よう見真似で誰かの真似をするよりかは、本人のセンスが一番問われる部分でもありまして、音楽におけるアウトサイド感覚というのもほぼ同様の事が言えるかと思います。


いずれにしてもツーファイヴの場面など無関係に、ひとつのマイナー・コードから別の方角を見出せる「根拠」を備えていれば、フレージングにも多様さが増すのではないかと思うばかりであります。無論、杓子定規でまんま使っていたらカッコ悪くもなっちゃいますが(笑)。つまるところ調性の「基軸」というのは、通常の世界においてはドミナントが強固に存在するワケでありますが、ドミナント基準の基軸の位置の移ろいだけを目まぐるしく変化させているだけでは、ボキャブラリーの面ではまだまだ乏しいのでありまして、そういう基軸の見立てとは全く違うフェーズで基軸を見立て、その基軸とやらを移ろわせるという意味合いもあって、マイナー・コードを引き合いに出して色んな世界の可能性を今回語っているというワケであります。


ひとつひとつのコードに目まぐるしく対応するだけではなく、別の方角からのモードを持ち込んで弾くというのも勿論アリですけどね。「立体感」という左近治が今回用いている調的な世界観を少しでもお判りになっていただければな、と(笑)。


無論、こうした世界観と同じような世界観を有する(包括するような)理論というのは、楽理に明るい方ならすぐに予想が付くとは思うんですが、それがバルトークですね。私の場合、バルトークのそれを拝借しつつバルトークの「バ」の字も一切出さずに語っているワケではありません(笑)。つまり、別の角度から見立てても同じ世界観を有することが可能であって、結果的にベクトル(方向性)さえ同じならば同じこと(音)を得るという所を語りたいワケであります。


但し、それらの世界観というのも結果的に「旋法的に」とどまる事で、旋法性に自由度を与えて和声が制限されるワケでして、和声も旋法も制限を極力少なくして、与えられる和声の姿は極力「素」の姿に細分化させつつ(例えばトライアドに解体、もしくは複数のトライアドなど)そこに旋法性をさらに与える、という視点で、より一層ハイパーな世界を見てみようという試みがあってのことなのであります。故に、型にはまったコード・ネームのそれは可能性を制限させてしまいかねませんし、結果的に従来のコード・ネームの型にムリヤリ当てはめてしまうと、奇異なコード表記になることも有り得る、というコトなのでありますが(笑)、たかだかコードネームの形式によって楽曲の可能性が制限されてしまうというのも実に愚かなモノであります(笑)。

そういうジレンマを感じつつも、奇異な響きかもしれないけれども心地良く響くようなアンサンブルをいかにして構築するか!?みたいな世界を語っているのでありまして、おいそれとポピュラー・ミュージックにおいて代用できるものでもないので(笑)、その辺りの違いを認識しながら理解していただきたいな、と思うばかりであります(次回に続く)