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ハイパーな音世界においても叙情的に(2) [楽理]

扨て、前回の続きです。譜例は、F#ハンガリアン・マイナー・スケールを表しております。つまり、「C#△/D△」というポリ・コードを形成しているのはハンガリアン・マイナーを想起しているという意味でもあるのですがココは少し注意が必要です。

Fsharp_HungarianMinor.jpg


一応、アヴェイラブル・スケールとしてF#ハーモニック・マイナーも候補に挙げることができるからなので注意が必要なのでありますが、私自身としてはこの場面ではF#ハンガリアン・マイナーを想起しております。

Fsharp_HarmonicMinor.jpg


無論、ソロを取る時となればこの場合そこまで制約を設けたりはしませんが(笑)。それら2つのスケールを自在に使い分けてくれるのもよろしいかと思いますが、テーマ部であればココはハンガリアン・マイナーを指定します。とはいえデモにはメロディ抜いてるんでそういう意図は音だけでは伝わりませんけどね(笑)。


まあ、そうして8小節目の1つ目のコードで「Am7(+11)」というコードが出現するのでありますが、ここも先ほど同様に、アヴェイラブル・スケールとしてEハンガリアン・マイナー or Eハーモニック・マイナーという選択肢として候補に挙がるのでありますが、ココはEハーモニック・マイナーを想起しております。ソロにおいてもここは制約設けちゃうかもしれません(笑)。

E_HarmonicMinor.jpg


でまあ、今度は2つ目のコードで「C△7(+11) / D」というコードが現れますが、ここはよくあるセカンド・ベースの手法だということはお判りだと思います。モードもアッパーはそのままCリディアンと理解していただいて構いません。


一応、こうしてざっと早足で全体を語ってみたワケですが、多くの方はおそらく1小節目の部分の取り扱いに苦悩するのではないかと思うのでありますが、ふたつのモードをミクスチャーさせてしまって音列を羅列する、という使い方だけは避けた方がよろしいかと思います(笑)。小節内において自分のフレーズを上声部のモードか下声部か!?なんていう単一のモードを想起するよりも、小節内で自在に(ある程度のモチーフを用意して巧みに切り替える)扱う方が彩りが増すと思います。

ただ、使い勝手が悪いようなら最初は単一のモードだけを探って、バックグラウンドの和声やモードに自分の音を投影してみる作業を重ねれば、左近治がどういう音をイメージしているのか、ということはお判りになっていただけるかと思います。


このように複数の異なるモードが存在する時、特に難しいことなど考えずに、ハイパーな和声を与えようとかそういう複雑なことは抜きにして、二声をシンプルに与えて、それら各声部を異なるモードで「ハモらせる」という風にすると、こういう世界観は非常に判りやすいのではないかと思います。少し前にGG(=ジェントル・ジャイアント)の「Free Hand」でもこういうコト語りましたけど(笑)。


まあ、そういう異なるモードが並立しているシーンで、シンプルに二声を与え、各々がそれぞれのモード・スケールを保ちながら「3度」でハモらせてみるとしましょうか。そうすると次のような譜例になります。DbmixoLyd_BbharmonicMin.jpg



譜例では「符尾」を与えていませんが(笑)、その辺のツッコミはご容赦願いたいと思います(笑)。

この3度のハモりは、下声部がDbミクソリディアン、上声部がBbハンガリアン・マイナーを保ったまま3度音程によるハモり、という事です。各声部において特異なモードを配置させると、譜面上では3度であっても音程差としては必ずしも長短の3度ではないシーンも出てきますが、今回の例では一応長三度か短三度を維持しているハモりとなっていることに注意してください。但し、単一のモード・スケールを想起して、それを維持したまま3度を構成するシーンとは違って、「予期せぬ」ところでハモり具合が少々趣きを変えてくるというのはこの場合必然となります。

仮に上声部もDbミクソリディアンを維持しているのであれば、そのハモりというのは単純なチャーチ・モード(しかも単一)の世界に収まるという、とても馴染みのある世界のハモりなワケであります。
それぞれの声部が同じチャーチ・モードを維持しているのであれば、三度音程で「長三度」を生ずるのは3箇所になってくるのは至極当然であります。それ以外は短三度音程となるワケですね。


ポピュラー音楽やら通常の音世界では、ここで「予期せぬ」音が現れるシーンというのは、概ねセカンダリー・ドミナントの導入だったりするものです。そうして「彩り」のレパートリーを与えられ、聴き手は良い意味で裏切られたりするものです。

例えば、Cメジャー・スケールにおいて3度のハモりを作るとします。上声部もモード・スケールを保って、下声部が「ド」から始まれば、下声部が「ド・ファ・ソ」の所では上声部が「ミ・ラ・シ」とハモるワケです。まあ、この例でいえばCメジャー・スケールの1番目、4番目、5番目というスケール・ディグリーに相当する部分というのが長三度音程の「ハモり」を形成してくれるワケであります。

こういう音程関係と位置関係とは違う所に長三度音程(短三度音程でも構いませんが)が生じたりすると、そこに異変を感じるのは器楽的に未習熟な人であっても持っている感性だと思うのですが、セカンダリー・ドミナントのそれを覚えてしまえばそれすらも予期できるような感覚を身に付けていくワケですな。そのセカンダリー・ドミナントの「方程式」にもあてはまらないモノが出てくる場合、それは次なるステップだと思っていただければよろしいかな、と。


チャーチ・モードというありふれた音列も複数別々に鳴らせば多様な響きを演出し、さらにそこで7音で構成される非チャーチ・モードの音階や7音を超える音階を導 入した場合となると、その多様さはさらに拡大します。

「立体的な世界」というのはセカンダリー・ドミナントやらの手法とはまた違う手法でこのような多様な演出をしようとしているワケでして、今回の私の場合、上声部は非チャーチ・モードを導入しているものの、上声部と下声部がチャーチ・モードであったとしてもそれぞれのトーナリティーが異なる導入であれば(例えばGドリアンとCエオリアンとか)、同様に多様な響きを演出したりするものです。


フーガなどではよく見受けられますが、あるモチーフを利用して、それらの調性をフラつかせるようにして輪唱(カノン)を導入したりして更に彩りを増す。

ところが、こういう違うベクトルの向き方というのはジャズ・シーンでは意外に少なく(各パートが自在にモードを変更していたらそれこそ統率が取れなくなってしまう)、このようなシーンが出現するのはジャズ・シーンだとやはり偶発的になってきます(ソコがまた良いんですが)。

同じ世界観を共有できる人同士であるならば、複雑なモードを複数想起している立体的な世界においても自在に発揮できたりするのでありましょうが、ジャズ界ではなかなか少ないものであります。

とはいえ他の世界だとそこにはインプロヴァイズという要素が希薄になってきます。余談ではありますが、カンタベリー系の人達というのはこの双方を兼ね備えている人達が多いため、その魅力があるのだと私は感じております。まあそうしてカンタベリー系第2期も収束するような時にRTFが出てくるワケですが。

こうして色々な音楽ジャンルにおいて「モード」は昇華されていっているはずなのでありますが、ジャズ・ファンの多くはビ・バップという「常套フレーズ」が多用される世界を好むワケですな。


進化していく「モード」の世界というのは、器楽的な心得や楽理的側面を知っている人でないと掴みどころが判りにくいというのがあるかもしれません。しかしながら、耳に入る音を素直に聴けば、常套句であろうと特異な世界であろうと自分に合った響きというのは自然と魅了される筈なのでしょうが、多くの人は自分の「型」というものを用意しちゃうのがマズイと思うんですな。


バンドやってりゃ必ず遭遇するであろう、自身の器楽的能力は低いのに理想だけは超一流アーティストをも凌駕するような人居ますよね(笑)。音出せばヘッポコ丸出しなんだけど、やたらと自信タップリという人ですね。

どんなに未熟であろうと音楽に素直に向き合っていれば、自分自身の出したい音を素直に追究する筈なのであります。器楽的な技術習得はまだまだであっても自分自身の嗜好度を自覚して、出したい音を素直に出そうとするという欲求。これが素直に体現されている事実だと思うんですが、その過程において身に付けなくてもイイものに心奪われ自我を別のベクトルに向けてしまう人が実際にはとても多いワケですな。大した音も出せていないのに、雑誌で見かけたアーティストのファッションやら生い立ちやらに心奪われ(笑)、肝心な音の世界よりもそれそのものを全部肯定してしまい感化される。自分を身勝手に投影して音楽とは別の部分を追究してしまうというスタンス。こういうベクトルが強い人というのは楽理的側面の魅力を気付けていない人が多いのではないかなーと思うワケでありますが、いずれにしても音楽に限らず邪魔なものに遭遇してしまうのは世の常であります(笑)。

音の好みというのは十人十色ですが、自身の周辺で見聞きしないような奇異な和声に出会ったとしても、その音に意図を理解して聴くことが重要ではないかと思うワケですな(次回に続く)