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セカンド・ベースって何!? [楽理]

2nd Bassってゆーのはですね、「2本目のベース」とかそういう意味ではありません(笑)。楽理的側面における呼称で「セカンド・ベース」ってぇのは、いわゆる分数コードのコトを指します。
まあ、今回その分数コードとやらを表記するにあたって前以て述べておきたいのは、今回だけでなくとも私が分数コードにおいて分母部分が単音ではなく和声を指している時というのは分母も必ずコード表記しているのでありますが、表記している分母部分は今回全て単音です。つーか、これが一般的ですけどね。

参照ブログ記事例えば「C/D」という表記があったら、これは分子がCメジャー・トライアドで、分母が単音のD、というコトです。今回onコードの表記はしません。
仮に分母がDメジャー・トライアドだとしたら私は常々「C/D△」 or 「C△/D△」という風にしておりますよ、ってコトを言っているワケでありますが、まあ、こんな基本中の基本とやらをなにゆえ今さら語るのかというとですね、セカンド・ベース表記はおろか、その音自体の構成音が他のコードとたまたま同じだったという、自分ひとりの楽器というローカル・ドメインでしか和声を見ておらずに混同している愚かなヒトってゆーのが実はとっても多いんですね(笑)。ヘタに少し楽理カジっちゃってるヒトによくある誤解なんですけどね(笑)。そーゆーのをあらためて述べておきたいな、と。まあ、そんな配慮から来ているのが今回のテーマだと思っていただければな、と。

例えば次のようなコードがあったとします。

C/D

Bb/C 

いずれも、アッパー部(分子部分のコード)の「9th音」をベースに用いているので、分母がそういう音になるワケですね。


「セカンド・ベースなのになんで9th音やねん!?このドあほが!」


と思われる方いらっしゃるかもしれません(笑)。アッパーの9th音を下方に用いているということはですね、つまりは下方の世界では「2nd」なんですよ。度数をオクターヴまたがっているので長九度ではなく長二度となりますね。だから「セカンド・ベース」ってなワケですよ。

ま、判りやすく「C音」を用いた方がイイかもしれませんので、今回は「Bb/C」というセカンド・ベースの分数コードについてさらにハナシを進めていきましょうか。

セカンド・ベースの類は色々あるんですが、ポピュラーに使われているのは大別すると概ね3種類挙げるコトができます。例えば!?


Bb/C・・・基本的な形

Bb△7/C・・・分子が四声の場合で下が単音の時は、ポピュラーな表記として「Bb△7 (on C)」という表記になるかと思われます。

Bb6/C・・・コレが一番誤解されやすいモノで、よ~くアッパーの11th(=4th音)をベースに持ってきて表記しちゃってるよーなヒトにとっても多い誤解です。


じゃあ、3つ目に挙げた「Bb6/C」というのは何ゆえに誤解されやすいのか!?というトコロを紐解いていきまひょか。

「Bb6/C」というコードの構成音を確認しますね。分子は「Bb、D、F、G」で、分母が単音の「C」というコトになります。

分子の構成音だけを見れば「Gm7」の構成音と等しいワケですな。前後のトーナリティーやらも判断せずに、この手の構成音は「Gm7/C」なんだ!と決め付けてかかっているアホなヒトがホントに多いというコトを嘆いているのが今回の左近治のボヤキだと思ってもらえればよろしいかと(笑)。

そういう風に間違って理解されてしまう理由はふたつほどあると思います。

ひとつは、「Gm7/C」だと思ってしまう要因として、分子は「Bb、D、F、G」で、分母が単音の「C」という構成音を鍵盤楽器やギターという各それぞれのプレイヤー・ドメインだけで見てみるとそのヴォイシングとやらは「Gm7にCが加わっているように」見えてしまうから、というのがひとつの理由です。

例えば「Bb6/C」というコードのヴォイシングというのは鍵盤で例えたら、概ね「左手はCとGの5度で、右手はBbメジャートライアド」みたいにヴォイシングされやすい(ポピュラーなヴォイシング)ゆえに、そのように混同されかねないワケですな。

なんでソレを避けなければならないのか!?というと、C音とG音の「隙間」に3度音程を想起してしまうからですな。つまるところ「Eb音かE音か」というのを、ありもしないのに「想起しかねない表記」となるワケです。

但し、上声部をBbメジャー的にもGm7のように響かせず、あくまでも「C」に則ったフレージングで、且つCから見た3度音がブルージーでEb音もE音も自由度を持たせているという意図から来る場合なら、ソノ限りではないかもしれませんが、「Gm7/C」という表記においてアッパー部を「あたかも」Gm7の響きとして強調させたい場合、Gm7というコードから「Eb音」を弾くというのは逆に自由度を奪っているワケでして、そうなると「Gm7」から見た世界からは「E音」の方が通過しやすい道になってしまう。それなのにコード全体で「Eb音とE音」というブルーノートの自由度を持たせているというのは少々自己矛盾してしまう表記なのでありますな。

上声部の4th音がベースに来ている、という表記があったとしたら、それは細心の注意を払わなくてはなりませんし、過去にも述べたように、前後のコード進行においてそれまで「Gm7」を強く示唆していてベダルとしてベースがCに行くようなケースならこの手の表記はあり得るコトですが、ソノ手のケース以外で用いられてしたとするとあくまでも「便宜的」なものでしかなく深い意味を持っていないコトの方が極めて多いのがこの手の「誤解」なんですな。


ドミナント7thとしての母体として「C7ナンタラ」という表記だと、本来構成音として有している音「F音」がナチュラル11thのために、ドミナント・モーションとしては禁忌のナチュラル11thを含む表記をしたくない場合や、あくまでも上の世界は「Gm7」としてのヴォイシングをさせようという意図だったとしても、分数コードとして安易に上声部の4th音が下に来るのはよっぽどのことがない限りは避けなければならないワケですな。


加えて、和声が和声たる基本的な知識として、それほどまでに「分母側」に情感のある響きをわざわざ分数表記にするコト自体がまどろっこしいモノでありますし、仮にそういう表記があったとしたら配慮が足りない表記(上声部のペダルとしての用法は別ですよ)だと思っていただいてよろしいかと。こんな表記してジェフ・ミロノフにリズム・ギター弾いてもらおうとしてコード譜渡したらブン殴られると思いますよ(笑)。


つまり、ドミナント7thの3rd音に自由度を持たせたいけれどもナチュラル11thの扱いがどうも気にかかる。故に上声部の4th音が来るような「あたかも分数表記」でアタマ痛めるんなら、とっととポリコード表記すりゃイイだろと思わんばかりなんですな(笑)。つまるところ、Bb△/C△なども視野に入れつつ選択する必要があると思います。まあ上声部が四声で且つ6thを見抜かないで同一の構成音となるマイナー7th側を選択したら、それは本当にそうなのか?という所に細心の注意を払わなくてはなりません。


逆のケースとして、例えば上声部が「マイナー」のコードの分数、それがセカンド・ベースの場合のケースを考えてみましょうか。じゃあ、Bbm/CとかBbm7/Cとか。

アッパーがマイナー・コードの場合において、2ndとなるそれが長九度を想起し得るモード・スケール内の音に収まるのであれば私は分数ではなく実際にはonコード表記にしております。上がフリジアンを示唆する時などではない時のマイナー・コードである場合なら「Bbm7 (on C)」とか。そーゆーこってす。

ところがですね、アッパーがマイナー7thの場合、さっきと同様に6thコードが実はホントの姿なんじゃないの?と迷う方もいるかもしれません。可能性としてはつまり「Db6/C」というこってすな。

上がマイナー・コードの2ndベースというのは結構稀でして、あんまり多くは使われないとは思います。しかしながら上がマイナー7thどころか五声のマイナー9thで、且つセカンド・ベースという用法も少ないながらあります。

仮に上がBbm9で下がCだとすると、Bbmの3rd音であるDbと下のCで短九度を作るので、不協和なため使われることが「少ない」のでありますが、これはポピュラー・ミュージックの範疇でなければ結構耳にする響きです。まあ、坂本龍一の「きみについて」などポピュラー・ミュージックの中においては結構最たる例ではないかと思うんですが。

そういう時の上と下の「短九」は許容されるべきでして、和声そのものの本体と下声部が短九になってしまった「Db6/C」という表記は、この場合避けるべきだと私は感じておりますのでよっぽどのコトがなければ(想起し得るシーンとしてはクリシェですね)、後者の表記は用いません。

加えて、上四声のマイナー7thでのセカンド・ベースで重要なヴォイシングというのは、上の根音と下の音のふたつで鍵盤なら左手七度というヴォイシングで弾くことが情感を得やすい(会得しやすい)ものでありましょう。

短九度を内在する和声というのはヴォイシングに細心の注意を払わないと、ただでさえ耳の習熟度が浅いヒトにとっては強烈な不協和となるはずです(笑)。

この短九の持つ不協和の「封じ込め」的な使い方にヴォイシングの妙があるワケでして、坂道に自転車停めるための配慮とは、一体どういうコトをしなければならないのか!?というような例として挙げることができると思います。そうして封じ込めた「旨味」をですね、今度は倍音構成やら差音を考慮してヴォイシングさせていくと、立派に構築することが可能となるワケであります。

この手のヴォイシングとかはやはり過去にも挙げたヒンデミットのオーボエ・ソナタの第一楽章から十分に学び取ることができますし、さらには第一楽章からは音程根音の「うつろい」すら感じ取ることができます。誤解してほしくはないのは主軸がブレているのではなく、調性を変化させるという意味ですからね。

スキーが苦手なヒトが雪の斜面でどうにか踏ん張るには、それなりの工夫が必要でありますな。短九の巧いヴォイシングというのはそんな坂にフックでてめえの体引っ掛けているようなモノでして、それでも重力はてめえの体引っ張って力は掛かっている、と。そういう世界において「主軸」を見立てさせて、さらには調性の彩りを巧みに変化させ、いつの間にか解決しちゃいました!みたいな世界がヒンデミットのオーボエ・ソナタの第二楽章ですよ(笑)。

オーボエ・ソナタがジャズにおいてとても多くのヒントを与えてくれるのは間違いないでしょうが、だからといって「ジャズの負け」だと断を下すようなヒトには会得できないと思います(笑)。だからといってDrスランプあられちゃんのように「クラシックってつおいの!?」なんて考えが及ぶようでもこれまた会得できないことには間違いないでしょうけどね(笑)。

親という男女が居なければ生まれてこなかった私たちというのは自分が親に頼んで生まれてきたワケではありません(笑)。にもかかわらず、いつしか自己の欲望だけ優先してわがままになってくると、本来は未熟であるはずなのに自分の感覚こそが第一だと思ってしまうというのが欲望の落とし穴であるワケですよ。

耳コピすらまともできない耳持ってるクセして自分の好まないタイプの音楽には全く眼中にない(笑)。それでいて自分の好きなモノとなると途端に全てを受け入れようとしてしまう悪いクセ(笑)。その上楽器などなくともパソコンあればとりあえずは音出せるようになっちまう時代で、恋人などいない生涯チェリーボーイのヒトでもボーカロイド片手に操ることができる時代となれば、こりゃあもう推して知るべしですね。

昔の歌謡曲など、有名な人が歌っていなかったとしてもヒットしたであろう曲は多いものですが、今はそういうのが少ないと思えるんですな。つまり「誰々が歌っていないとNG」みたいな。その手の音楽は少し時間をおけばすぐにセカンド・ハンズ市場でワゴン・セールでも見向きもされない商品となるのがオチ。どうせそうなるんだから楽理など生半可でイイんだと思っている人ならそれはそれで構わないワケですけどね。