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そういや胎教って [クダ巻き]

胎教とやらが世間で語られるようになって産まれてきた子というのは、それこそ今や成人を迎えていてもおかしくはない時代になりましたが、その後お子さんどうでしょうか?
とまあ、胎教とやらには私自身は正直眉唾な所があるんですが、だからといって妊婦さんに過酷で劣悪な環境に身を投じろなどとは申しません。そこまで外道じゃないですよ(笑)。

ラフィン・ノーズやブルーハーツとかKENZIとか有頂天とか非常階段とか観てポゴって来て立派に出産した人、私の周囲にもおりました(笑)。音楽的な興味とやらはその後のお子さんはごく一般的だと思いますが、仮に当時ショパン聴かせようがモーツァルト聴かせようが五体満足で命授かったならその後の環境の方が音楽にとって重要なコトでしょ、と思わんばかり。

例えばですね、左近治が少々辛辣に語るにしても、殆どの場合はアーティスト側を批判しているのではなく、それを盲信している聴衆側に批判の矛先向いています(笑)。楽理面にしてもそれは同様です(笑)。

そういう人達の小脳に呼応させるようにですね、例えば少々お怒りモードで文章を書き連ねていたとします。そんな話題に「本当は無関係」であるはずのモノをちりばめて語るとですね、あたかもそれを「悪」だと思ったりしたりする人がいるんですな。つまり、本質見抜いていないから、自身の感覚(怒りとはとても本能的で、こういう時に同時に経験してきたモノってぇのは後々非常に響きます)を頼りにしてそれに身を委ねて判断してしまいがちなんですな。

もてあそぶとまでは言いませんが(笑)、左近治はワザとそうしている時もごくたまーにあります(笑)。いや、たわごとだから常にかもしれませんね(笑)。

音に対しては愚直だとしても文章においてはきちんと判断できるならば、楽理面においてきちんと語られているのならその部分だけを抜粋して昇華することなどたやすいでありましょうが、そもそもネットの情報を頼りにしている時点でそのような欲求を抱いている人自体に私は少々疑心暗鬼なところはありまして、一体何のためにブログ書いてんの!?と思われるかもしれませんが(笑)、一応、リリース曲に関連するコトで御託並べているのが私のスタンスなので、その辺りをご理解いただきながらお読みいただけると幸いなんですな(笑)。


そりゃー、偉大な作曲家の方々聴いてりゃジャンル問わずして、音楽の「選択」としては間違いはないでしょう。ただ、そんな教科書的レベルの人達聴いても教科書を凌駕するような音を身に付けられる人ってごく少数でありまして、そういう側面には正直嘆かざるを得ないワケですな。

皆等しく義務教育受けていても、実際にはどうなのか!?というと、これ以上述べなくとも判りますよね(笑)。


音を理解していないのに、音を文章で語っている情報をどれだけ理解できるのか!?ってぇ所に懐疑的なのがそもそも左近治のスタンスでありまして、判っている人に対してのメッセージが添えられていると思っていただければ幸いなんですな(笑)。場合によっては耳が聞こえないのにブログは読まれる方だっているワケですね。

但し、目が見えなければブログどころかネットに触れることなどまず無理でありましょう。でも、目の見えない人は絶対音感を有している(聴覚が鋭敏)人が多いのもこれまた事実。


多くの人は五体満足であるはずなのに、自分の好き嫌いや感情的な側面で判断して選別していることがどれほど多いことか。自分の嗜好度だけで音楽語られた日にゃあトンデモございません(笑)。

比較的、左近治の取り上げる音楽のジャンルが多岐に渡っているのは、ジャンル無関係に和声面を重視するからだとご理解いただければな、と。


まあ、もっと判りやすく言うと、仮に私が「差し障りなく」ショパンやらモーツァルトやらコルトレーンやらビル・エヴァンスをブログで語ったとします。差し障りの無いコト語っているだけにしか過ぎないので、ンなモン所詮個人の感想程度でしかない。偉大な先人達を取り上げるコトでその人達が偉いからといって私が偉いワケでも何でも無いのはお判りですね(笑)。


偉大なる音、評価されるべき音とやらを色んな角度から分析した上で楽曲の魅力を述べているだけに過ぎないのが左近治のスタンスであります。一般的には楽理面で分析できる人だって少ないのは確かですが、知っている人達が集まる社会的な場所では、一般的には理解しがたいことを日常的に語られている実際を多くの一般の人が知らないだけです。


例えば、近年では報道でもよく見受けられるように、なんでもかんでもネットに持ち込まないと気が済まない輩が増えてきておりますね。イジメなど最たるモノでありましょうし、ケータイでテレビ観たりネットしたり、メールしたり、と。出会い系なんかもそうですわ。

出会い系とやらも「本能ムキ出し」ですが、本能そこまで露にした所でケータイ画面上で精子と卵子ぶつけあっても愚の骨頂ですわな(笑)。実際に出会わないコトには「事」が始まらないワケですから、そもそも初動のケータイでの行動こそがムダであると判断できない所には不安を抱かざるを得ません。

別にケータイでなくともインターネットをやる上でのネット上のコンテンツの在り方というのも含みますけどね。


ネットの使い方だけにとどまらず、もっと基本的な「言葉遣い」すら最近じゃヒドイものだと思うことしきりですけどね。

例えば、ある音楽を聴いて感極まっているとしましょうか。そして、その感動を例えば演奏者に伝えることができたとして、出てきた言葉が


「大変感動いたしました」


敬語使ってるし、どこに問題が!?と思われるかもしれませんが、言葉ってぇのは便利なモノで「感動」ってぇ二字熟語が、その人の「感動」を思う存分伝えてくれている言葉だと「盲信」してしまっているワケですな。そこで形容詞の「大変」など付け加えようが度合いなど大して変わり有りませんよ(笑)。

本当に感動したという様を敬意を持って表するならば、そんな便利な言葉で形容してはいけません。だからといって世辞並べろとか美辞麗句並べた所で、ただ単に言葉の羅列にしか過ぎません。

言葉で伝えることができないくらい感動していれば、その人の動作やしぐさや表情だけでも充分伝わることはあるのに、仏頂面で「感動しました」程度じゃ返って失礼なんですな。


もっと言えば、悪い事をして謝る時も、概ね自分の統率の利かない時間や場所から逃避したいだけの、


「反省しています」


便利な二字熟語を用いて、どこかどうして「反省」の内容が伝わるものか(笑)。ガキだけのことじゃなくて社会でも、取引先とのやり取りや顧客との対応などでも有り得ることでありまして、敬語を使っているものの、

「お詫び致します」


とまあ、この手の言葉しか出てこない。その手のセリフは何回言おうとも「お詫び」の本質が見えてこないので真意は伝わるワケがない。前にもこれに似たようなコト語っているのは、実は音楽面においても、ネット上の情報やら、言葉遣いの在り方とやらを左近治なりに批判しているワケですが、どれだけの人が「こーゆー事語ろうとしてたんだね」と思ってくれることか(笑)。ヘタすりゃ「反省してるって言ってんだろ!」と逆ギレされかねない世の中ですよ(笑)。

「うわべ」だけでしか理解できない人達は、こういう時こそ「うわべだけの言葉」で許容してくれる度量を持ち合わせている人ってまず居ないですよね(笑)。


盗んだバイクで街スッ飛ばす行為の歌詞に心酔する人が、いざ自分のチャリンコ盗まれて大目に見ることができるのか!?


こんなコトも述べましたね(笑)。


一応、全て音楽絡みの話題にしているんですが、文章にした所でこれすらもなかなか伝わらないモンですよ、実際は。

音となったら!?そりゃもう、、、、(笑)。