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いまさらスリーコード!? [楽理]

基本を蔑ろにすると後々とんでもないコトにもなりかねないのが世の常でありますが、いわゆる「スリーコード」というモノをもう一回語っておきましょうか。前にも述べているんですけどね(笑)。

ま、Key=Cメジャーの場合のスリーコードというのは、各コードをメジャー・トライアドで表すとC、F、G

となるワケですね。しかし、スリーコードとやらの重要度を知らずに「ドがつくほどの」初歩的な知識としてしか扱われていない向きもあるので、今一度重要な点を述べておきますね。

スリーコードというのは直訳すれば「3つのコード」ですが(笑)、コレね、ホントは「主要三和音」という重要な名称があるんです。名称や呼称にこだわる方、特に注意です(笑)。

「なにゆえ主要やねんな?」

とまあ、ココに疑問を抱いてほしいのでありますが、先の3つのメジャー・トライアドの構成音をそれぞれピックアップしてみしょうか。


C・・・C音、E音、G音
F・・・F音、A音、C音
G・・・G音、B音、D音


とまあ、重複している音はあれど、これこそが「Cメジャー・スケール」という音階を満たした(トニック、サブドミナント、ドミナントという機能を満たしつつの)最小単位といえる3つの長三和音

というのが定義なんですな。


ところがロックなどブルージーな要素を用いて構築されている楽曲では、スリーコードを用いずに構築されているモノが多く、これこそが本来のスリーコードとやらを余計に過小評価させてしまっているのではないかと思うワケですな。

例えばCメジャーのキーなのに、コードは「Bb△」や「Ab△」、「Eb△」が出てきたり、スリーコードのそれと合致しないからと、蔑ろにされてしまう側面があるんですな。


仮に、こういうコードが出てきている時に自然と対応している行為こそが「モード・チェンジ」としての最たる姿でありまして、大局的な意味での転調ではありません。モード・チェンジこそが経過的な転調もしくは他調の拝借ではありますけどね。

もっと判りやすく言えば、大局的な意味ではCメジャー・キーを維持しつつ他の調性を導入しているワケで、まあ大画面でメイン画面のCメジャーという番組を見ながら子画面で、別のチャンネルを見ているようなモノだと理解してくれればよろしいか、と。


で、大局的にはCメジャーを維持しているのが災いしてか、AbとかBbが現れた時にも、Cメジャーの時と全く同じスケール扱っていたりしてトンデモない音出している人ってとっても多いんです(笑)。成人過ぎた人でもこーゆー音出してる人結構います(笑)。

つまり、モード・チェンジを知らないし、こういうコード進行があれば自ずとメロディ・ラインとやらも楽理的な知識など全く無くともモード・チェンジに対応した音を奏でているはずなんですが、最初に得てしまった誤った知識から広く対応できずに「Cメジャー」を常に意識してしまっているヘッポコ演奏している人が実に多いんですな。


で、この手の人がある程度年功積んじゃって楽器弾いているとですね、ただのタチの悪い言い訳しか口にしなかったりするんですよ(笑)。それが「ロックだ」ってな具合にね(笑)。

どんなロックな人であろうと、こんなヘッポコな壁突き抜けて世に出ているのでありますが、それすらお構いなしで聞き入れようともしない人も結構いるモンです(笑)。

こういう風に年を重ねてしまったヒトというのは、どんなに正論を年少者が指摘しても角立てるばかりでイイことはないでしょう(笑)。その手の人達が敬愛するようなヒトから運良く指摘されて初めて理解するのではないかと思うんですな。


ロックなスタンスであろうと、世に既に出ているロックな人達はきちんとしたモード・チェンジの感性を有して出ているのでありますが、そこまでの感性がないから自分のヘッポコ感性にかき消されてしまうような感性でしかないのでありますよ。ところが便利な言い訳として「ロック」や「パンクス」などと、まあ、いけしゃあしゃあとそんなカッコつけた言葉使わないでくれよ!と思わんばかり(笑)。

でも、彼らの自信の源というのはおそらく「ロック」なスタンスなのでしょうから、気付くまでどれくらいの歳月が必要なのか見届けてあげればイイだけのことなんですが、少なくとも私のブログ読んでくれている方で、このような浅はかな知識しか抱いていないという人はまず居ないと思うんですが(笑)、その手の人達に感化されぬよう、気をつけていってもらいたいものであります。

少なくとも、そんなヘッポコな音というのは音的な世界で用いられる「アウトサイド」な音でもないんですな。まあ、ある意味では「アウトサイド」な生き方かもしれませんけどね(笑)。そんなことおざなりにして好きな音楽社会からもスポイルされかねませんぞ、と言いたいワケですよ。


例えば、ペンタトニックと呼ばれる5音音階は世界各地に存在します。5音音階とはいえども、そこにはチャーチ・モードの世界観に置換させて「ある調性」を見出しているものが殆どでありまして、7音あるスケール・ノートを満たさずとも旋律の持つ音価や拍の位置、時には同じ音であっても音高そのものをオクターヴ変えたりすることで彩りを添える時もあります。

ペンタトニックで構成される1つのモチーフとなるフレーズを1小節とし、それを2小節、すなわち2回同じモチーフを弾いたとしましょうか。その時2度目のモチーフを弾く時は、どれか1つの音を1度目のモチーフとオクターヴ違いで弾くだけでも、旋律の持つベクトルというのは大きく変わるものであります。


曲全体を通して、ひとつの調性の持つダイアトニック・コード群には収まらなかったものの、そこに現れた和声は結局他調のチャーチ・モードの拝借にすぎない曲の方が断然多いのがこの世の中。

つまり、結局そこだけで充足しているというのは私にはあまりにもどかしいワケですな。例えるならですね・・・


道路があったとします。ハイ、下り坂に差し掛かりました。そこには地球の重力もあって坂を転がるように坂に沿ってグラヴィティは作用しますが、この坂に沿って自走するような力を、私はチャーチ・モードに収まる世界と形容します(笑)。

坂の傾斜がどれほどのモノであろうが、坂の傾斜関係なく地球の中心目がけて垂直に地面を掘って行くような「強固な」力を働かせ、その世界観を強固に示した場合、ただ坂を滑って行くだけの世界とは前々異質なんですな(笑)。別に足下に重力が働く必要はないし、もしかしたら天に向かって働くこともあるのかもしれない(笑)。その自由なグラヴィティの中で、そっちの世界を強固に示すのは、素直に滑って行くだけの人からしたら異端であり、音だとアウトサイドの場合だってあるでしょう。異質であることには変わりないでしょうけどね(笑)。

その異質と思えるものも、慣れてしまうと異質どころか普通の世界が実に杓子定規すぎて面白くないんですよ(笑)。時には空飛べるような世界観だってあるのに、何も好き好んで烏合の衆がうごめく道路で渋滞に巻き込まれてイライラ募らせてりゃ世話ねえっての(笑)。まさにそういう感じで、私は「外界」とやらを音楽に見出しているのであります。

ジャズの世界でもね、偉大なアーティストは沢山おりますよ。ところがね、それらの人の音楽を耳にタコ出来るくらい聴いた所で誰もが楽理的な知識を得たり、耳の習熟度が高まるといったらそうでもないと思うんですよ(笑)。

ビル・エヴァンス、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンク、バド・パウエル、ディジー・ガレスピー、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、チック・コリアなど、皆それぞれ本出せるくらいの理論や技術を持ってますよ。

じゃあ、これら聴いた所でその本の装丁を開くための「鍵」を誰もが手にすることが出来るのか!?というとそれは違いますね(笑)。


ある意味、ジャズの世界でも偏狭的に留まってしまっている人というのは、それらの人の音楽をどれだけ耳にして分析しようが、各自ひとりひとりの「鍵」しか手に入れられないと思うんですよ。どんな人達の鍵穴にも対応できる「鍵」を手にすることは、まず無理だと思います。

ただ、ヒンデミットのオーボエ・ソナタのたった1小節の世界に、それらの人の鍵穴を解錠できる鍵を手に取るが出来ますよ、ってぇのは私の述べているコトなんであります(笑)。

ヒンデミットのそれがマスター・キーとは言いませんけどね。ただ、それくらい広汎的に作用するモノだ、と。

スタンリー・クラークとレニー・ホワイトと組んだ日本の某女性ピアニストがおりますが、ピアノの出音そのものは本当にキレイですね。離鍵の良さの際立ちと打鍵の張りと言いますか、まさに「強弱ではない、鍵盤の弾かれる速度=ベロシティ」の妙味を実感できる音ではあるものの、フレージングのそれは非常に形骸的で杓子定規なのが私は気に入らない(笑)。

ブルーノートで言えば4100番台以降の人達を起用しても1500番台以前の音弾くような違和感とでも言いましょうか(笑)。まあ私が概ね4100〜4200番台が好きなだけかもしれませんけどね(笑)。

知った気になってコルトレーンの名前や実例出せばそりゃあ間違いはないでしょうが、ウェイン・ショーターやスタンリー・カウエルのような毒性と色艶を語れる人って層居ないと思うんですよ。しかも楽理的側面で(笑)。ある意味スタンリー・カウエルなど過小評価されているんじゃねーの?と思わんばかり。

まあ、音の「紋様」の出し方にヒントがあるんですけどね(笑)。ココに気付いて音楽聴いている人どれくらい居るのかってぇこってすわ。一生気付かずに墓行くんじゃああまりに勿体ないですしね(笑)。


倍音ってぇのはオクターヴすっ飛ばして出現します。オクターヴ内には生じません。このキーワードでお判りになる方というのが和声感覚と紋様を身に付けている方なんだと私は思いますが、こればっかりは身に付けないと判らないことなので語ってもムダだと思うんですけどね(笑)。

ビートルズやツェッペリン聴いてりゃ間違いねーんだよ!みたいにジャズもあまりに偉大な人の存在で盲信化されている向きがあるんで気をつけましょうね、と(笑)。


そんな私、今はウェイン・ショーターの「Teru」制作中ですわ。