SSブログ

スタンリー・クラークの打ち込みを終えて [制作裏舞台]

扨て、先にもチラッと触れたスタンリー・クラークではありますが、左近治がベースを始めた頃というのは時代背景、身内や親類の影響もあってスタンリー・クラークとジャコ・パストリアスというのは神懸かり的扱い(今でもそうですが)で、雑誌でもあちこちで特集組まれていたモノでした。そういう時代だったから私は感化されたというワケではなく、ベースばかりに耳を注力させなくとも楽理的側面においても非常に高度な音楽においてベースという在り方とフレージングのセンスを感じさせるベーシスト達でありまして、そんな所に魅了されたワケであります。

スタンリー・クラークの楽曲を手がけるのは、「Campo Americano」以来(=アルバム「Find Out!」収録)ではありますが、今回特に注力したのは、スタクラ特有の「ブッチブチ」とかきむしるかのような速弾き&装飾音連発のベース・フレーズの打ち込みでありますな。まあ、この某曲の詳細については追々語ることといたしますが、やはり自分の思い入れの強い楽曲というのは打ち込んでいてキモチがイイものであります。ココ数年は、もはや自分の好きな曲以外手掛けていないようにも思えるワケですが(笑)。

左近治はスタンリー・クラークの和声感覚とフレージングのセンスが好きでして、エレクトリック・ベースでのプレイはもはや唯一無二とも思える独特のキャラクターなので、ソコまで強烈なキャラクターを真似しようと思ったことはなく(=あきらめもつくくらい強烈)、スタンリー・クラークのアコベに酔いしれていたりもする私なのですが、打ち込みとなるとやはりエレクトリックの方を選択して挑むことに(笑)。

とはいえ、その「強烈な」キャラクターを打ち込みで再現するにも音源を結構シビアに選択しないと、あーゆーダイナミクス感溢れる音というのはどんなにベロシティ・レイヤー組まれたベース音源であろうとそうそう上手く再現できるモノではありません(笑)。ココに没頭し甲斐があるワケですが、ベース・フレーズのただ速弾きで、楽理的側面で何の魅力も無い曲であったとしたら、いくらスタンリー・クラークといえども制作しようとは思いません。


例えば、マーカス・ミラーというのは確かにスラップ・ベース・サウンドで一世を風靡したものですが、楽理的側面でマーカス・ミラーから学ぶモノは無かったと断言しちゃいます(笑)。ベースにまつわるエキップメント類への興味や知識を得ることには充分貢献してくれたとは思いますが、楽理的側面では正直得るものは無かったのがマーカス・ミラーです。

スラップというスタイルにこだわり、リフ作りにも入念に練られたフレージング。そこに際立つスラップ・サウンドというエッセンスがあり、映えるサウンドに時折垣間みることのできるサラリとこなす小技(=概ね符割の細かい音)。ややもするとキザではあるものの(笑)、そこに魅了される人は多いと思うんですな。

でも、こういう風に曲を作って自分のスタイルを築き上げていってしまうと、聴き手の器楽的な技術や耳の習熟度が向上して来ると、アーティスト側がいつまでも同じスタイルだと飽きられてしまう傾向にあると思うんですね。つまり、練り上げられているが故に楽曲から自由度を奪う。仮に、それだけ計算高く練り上げられた楽曲においても自由奔放に、リフ以上の魅力を生み出す魅力を構築できればイイんでしょうが、概ねこのように構築された楽曲で彩りを添えられる部分というのは「手数」くらいのモンなんですよ(笑)。


80年代前半〜中期なんてぇのは、どこぞのベース野郎も「6連!」だの「32分!」だのと、まあ、とにかく腕を競い合っていたような、それこそ車の世界で言えばホリデーオートやOptionの「オレ様すげーんだぜ!」みたいな子供のような競争みたいな醜い争いがあったように記憶しているのでありますが(笑)、あらゆる層において「欲するモノ」を得た時というのは、すぐ飽きるモノなんですよ。

そこで飽きさせずに音楽的にももっと深みがあれば飽きられるコトはないんですけどね。

ところが、マーカス・ミラーの武器であった「サウンド面」というのも、その妙とやらが徐々に知れ渡るようになってしまうと、こうなるとマーカス・ミラーの本来の価値が下がってしまう。しかも90年代のアナクロ・ブームでスラップ・サウンドは嫌悪され蚊帳の外、と来ればダブル&トリプル・パンチに等しいでしょう(笑)。

そうなると、アーティスト側から見た「お得意様」というのは新参者相手になってしまう、と。つまりそれらの人達は概ねまだまだ習熟されきっていない人達でもあると言えるワケであります。

アーティストへの配慮を欠いた意見ではなく、「新参者」という人とやらを愚弄しているワケでもないのでソコん所は誤解してほしくないのでありますが、マーカス・ミラーのベースでもてはやされたモノというのは概してシャープなリズムとスラップのサウンド・キャラクターに大別されると思うのでありますが、マーカス・ミラーのインプロヴァイズなど、正直言ってアウトサイド感覚やら楽理的追求度は皆無に等しいと思えまして(笑)、それ故、楽理的に学べるものは無かったと述べたワケですな。

サウンド・キャラクターこそシャープではなく、「ギットギト」な音。まさに脂汗かいて肉体労働とも呼べるようなふくよかなベース・サウンドを私は「ガテン系」と形容することにしますが(笑)、まあ代表格なのは私の大好きなエイブラハム・ラボリエルの音など、まさに「ガテン系」のひとり(笑)。

それほど多く語れることは少ない、音選びもマーカス・ミラーと似ているベーシストだけれども「ガテン系」な人は他におりましてですね、それがフレディ・ワシントン。近年ではスティーリー・ダンのツアーで来日したと記憶しております。

マーカス・ミラーは正直、この人からパクったんじゃねーのかなー!?と思えるくらい、フレージングの感性など結構似ている所がありまして、グルーヴに関しては私はマーカス・ミラーよりも遥かに好きなベーシストであります。まあ、初期のパトリース・ラッシェンなどはフレディ・ワシントンのグルーヴと、ラッシェンのコードワークなど、学べることが多いのではないかなーと思うワケであります。

特に、チャーチ・モードの世界においてもまだまだ知らぬ代理ドミナントの使い方など、チョットばっかし国内のAORっぽい感じで作られたアーティストで大騒ぎしているような人ならばマストなアイテムになることは間違いないでしょう。国内盤の3000円ほどもするシングル大全のようなアルバム買って、気に入る曲が1曲あるか無いかのモノ買うよりよっぽど勉強になると思いますね(笑)。まあ、中学生になったらiPodにはパトリース・ラッシェン入れとかないとマズイと思います(笑)。


とまあ、スタクラやパトリース・ラッシェンの話題にまで及んだのは、他でもなく左近治が制作をしているからであるからなんですけどね(笑)。色んな側面において興味深いモノを取り上げないとイケないかな、と思いまして。