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分数コードを堪能する為のオススメ曲 [楽理]

 今回取り上げる分数コードでありますが、分数コードにそれほど慣れ親しんでいない方が手っ取り早く分数コードという状況を会得できるタイプの楽曲を紹介する為の記事です。つまり、楽曲のタイプとしては調判定すら難しくしてしまう様な耳に小難しく厳しい物ではなく、耳に優しい楽曲に分数コードの彩りが絶妙なバランスで配合されているタイプの物を選んでいるのです。

 分数コードは下部付加音という括りの中で、低位に付加される単音がスラッシュ表記または音コード表記として表される状況があるのですが、高い方も低い方も和音というポリコードの状況も稀乍ら存在します。ポリコードの方はよっぽどではないと遭遇しないと思います。

 耳が未熟な時期に分数コードを耳にすると、和声的成分の中に《存在しなくていいだろ》と思ってしまいかねない音を薄々感じておられるかと思います。そうした音楽的状況を味覚的に喩えるならば、《酢豚に入っているパイナップル》《コールスローに入っているリンゴ》《山葵漬に入っている酒粕》《卵焼きに入っている砂糖》《九州の醤油》かの様に喩える事が可能かもしれません(笑)。

 和声と旋律という両者の関係は昔から次の様に言われます。

〈旋律は和声を欲し、和声は旋律を欲する〉

機能和声的な耳が習熟する過程では、《捉えやすい旋律に》《意表を撞く和声》が随伴すると、新たな「音楽的味覚」を得られる事でしょう。

 とはいえ、音楽的に習熟の甘い人というのはこの程度では済まない訳ですね。

《旋律は言葉を欲し、言葉は旋律を欲する》

「言葉」とは「歌詞」という状況を欲している事を意味します。

 そうした状況に甘んじて音楽を聴いてしまう人が居り(実際には歌詞に頼ってしまっているので音楽は副次的な産物でしかない)、この手のタイプの方が和声的に音楽を堪能する様に習熟を待つとなると相当なまでに長い時間が必要になろうかと思います。言語と音というのはそもそも相反する関係ですので、言語が欲求の源泉として優勢に働いてしまっていると線的にも和声的な状況も、聴取者当人にとって判りやすい(調を捉えやすい)ものでないと嫌悪感・忌避感を抱いてしまう様になってしまっているからです。

 何れにしても、習熟が甘い状況の場合では《判りやすい》線運び=旋律が必要でありましょう。勿論楽曲の中には、線的な牽引力がすさまじくあり《斯様にメロディーが推進してくれると喜びで涙が出そう》という作品にもごく稀に遭遇する事もあるでしょう。加えて、フレーズの過程で生ずる可動的な変化音が度々生じてもそれを容認してしまえる楽曲も例外的にありはしますが、数多ある楽曲が総じて強固な牽引力となる旋律で構築された楽曲ではないので、習熟に甘い人が判りやすいと察知する要因の殆どは、調的に靡いた旋律が用意されているという状況になります。

 それは即ち、旋律が [ド レ ミ ファ ソ ラ シ] の何れかを歌っている時の和声にそれら以外の音が含まれた和声が使われると、脳は新たなる情報を得て報酬系が強化される訳です。

 前掲の [ド レ ミ ファ ソ ラ シ] というのは全音階(ダイアトニック)の音組織です。メロディーがハ長調の音組織のまま、和声的にノンダイアトニックの音が使われる状況を脳が喜ぶ様に習熟するというのが音楽聴取能力の向上に見られる最たる例のひとつです。

 西洋音楽での無調または半音階的全音階システムおよびジャズの場合、音組織は凡ゆる状況が頻繁に変わり、適宜、旋律は新たなる和声感を欲し、和声は新たなる線を欲している状況が頻繁に交錯していると言えば判りやすいでしょうか。音楽の聴き方が強化されれば誰もが通る道です。それが何れは微分音にまで食指を伸ばす様に強化される事でありましょう。

 扨て、今回選出した楽曲は《期待され得る音楽的状況》に対して《意表を突かれた和声》という状況である楽曲であります。その意表は、裏切られて嫌悪感を催すのではなく、好い意味で裏切られた物の様に作用する楽曲を選んだものです。

 何はともあれ、分数コードという世界観を堪能していただくのが手っ取り早いと思うので、紹介して行く事にしましょう。



Night After Night / U.K.

 ジョン・ウェットンが来日前の機内で書いた曲として知られる。埋め込み当該箇所のコードは「D/E」に依る2度ベース。基本的なキーはEメジャー(≒大半はEミクソリディアン)でありますが、Eという世界を卑近に見つめない和声的粉飾が本曲の最大の特長となります。

 CS-80によるシンセのコードは明らかに調的に直視せず「D△」および伴奏で付与させる「Dリディアン」を強く示唆して「E」という軸足を背くのに、ベースはどっしりと「E」を鳴らし、ダブルクロマティック上行を巧みに忍ばせて《Eはここだよ、キミたちサイコだよ》とジョン・ウェットンが誘っている様にも聴く事が出来るかと思います。

※文中の《キミたちサイコだよ》は、本アルバム収録となった日本青年館ライヴに於てジョン・ウェットンがMC中に《君達最高だよ》という呼びかけが《キミたちpsychoだよ》《君達最後だよ(この曲で)》という風に聴こえてしまった事がファンの間で語り草となり《キミたちサイコ(アタマ変)だよ》という風に諧謔的にイジられる様になり、今や本人もそれを知り来日の際は《キミたちpsychoだよ》と言う様になっているという言葉を辷り込ませている物です。





小麦色のマーメイド / 松田聖子

 作曲者は呉田軽穂名義(※往年の大女優であるグレタ・ガルボを捩ったもの)の松任谷由実に依る作品。撞着語法を用いた歌詞のそれは、どっち付かずを表現しているのではなく、「きらい」を忍ばせる事で「好き」のコントラストを強めた表現。そうした恥じらいのある乙女心を歌詞で巧みに表現しつつ、コード進行の側でも卑近な世界観を暈滃する様にして分数コードで暈すという訳です。

※日本社会に於ける多くの恋愛観では、パートナー間で「撞着語法」が通用しなくなった時は恋愛そのものが麻痺しており浮気や不倫の可能性が高まりやすくなります。

 埋め込み当該箇所のコードは「Fm7(on B♭)」という4度ベースの状況。テンポはモデラートでゆっくりとした曲なので、伴奏部分の和声も物理的に音価が長く採られるので分数コードを捉えるのに好都合でありましょう。





瞳はダイアモンド / 松田聖子

 作曲者は呉田軽穂名義の松任谷由実。キーはGのト長調。埋め込み当該箇所のイントロでのコード進行は「C△7(on D)-> G△7 -> Em7」で、過程に現れる分数コードは「C△7(on D)」の2度ベース。ディグリー表記をすれば当該分数コードは「Ⅳ△7(on Ⅴ)」という事になります。

 本曲でベースを奏する高水健司のフォデラと思しきローDサウンドと、高橋幸宏のアルバム『音楽殺人』収録の「The Core of Eden」で聴かれるローDの音、更にはマイルス・デイヴィス『We Want Miles』収録の「Jean Pierre」やグローヴァー・ワシントンJrのアルバム『ワインライト』収録の「Let It Flow」が、当時能く耳にする事の出来るロー・サウンドでした。






God Bless The Child / Blood, Sweat & Tears

 ビリー・ホリデイのカヴァーで原曲のキーはA♭(=変イ長調)。BS&TのカヴァーはキーがG(=ト長調)で、イントロ部分は13thコードを巧みに使ったハーモニーで「G7 -> C13」という状況。特に「C13」は「B♭△7/C△」とも捉えられ、2度ベースの重々しい始原的な用い方とも言えるでしょう。

※ボビー・コロンビーの素晴らしいドラム・プレイがあらためて判る曲のひとつでもあります。








Limbo / Yellow Magic Orchestra

イントロ冒頭は「B♭/C」の2度ベース、Aメロ冒頭が「Bm7(on E)」という4度ベースというコード。








Flamingo / Chick Corea Elektric Band

 冒頭のコード進行は「Dm7 → B♭7(on G)」という物で、特に後者のドミナント7thコードでの6度ベースは曲者で、これは「フリジアン・コード」と故マーク・レヴィンが称しているコードです。つまる所、上掲の和音構成音は [g・b・d・f・as] となる事で、実質的には「Gm7(♭9)」という状況である訳です。

余談ではあるもののマーク・レヴィンという日本語での読みのそれは、日本語訳の著書が斯様に表記を充てているので私はそれに従っているのですが、'Lewine' というスペルを「レヴィン」と読む事に私は些かの違和を覚えます。本来の英語読みならば「ルーウィン」が近くなり、独語の様に開けた口の唇を震わす様な発音もしないので、最も近い発音は「マーク・ルーウィン」だと私自身は感じております。

 母体となる「Gm7」は副和音です。無論属和音ではありません。副和音のクセして不協和を是認するという状況を和音体系の側から照らし合わせると、アヴォイドという状況を正当化してしまう特殊な例となってしまうのを避けたが故に一般的にコード体系に括られなかった所に疑いの余地はありません。

 加えて、そうしたアヴォイド発現を正当化する状況を機能和声的に対照させた場合、和音構成音が結果的に示唆しているであろう《属和音の成分》を見出す必要性もあります。ですので、コード表記うんぬんは扨置き [g・b・d・f・as] という和声的状況を機能和声的に対照させると、ドミナント7thコードが優勢的に働く状況となるので「B♭7(on G)」という解釈をせざるを得なくなるという訳です。

 仮に母体となるコードが増・減のタイプの変化和音(特に半導七や減七)で短九度が付与されるという状況ならば、それらは結果的にドミナント的に機能するのでジャック・シャイエやマルセル・ビッチュはそうした和音を体系化しているのです。

 フリジアン・コードについては、私の過去のブログ記事で何度も取り上げているので、ブログ内検索で ‘flamingo’ とかけていただければ当該記事を幾つも拾ってくる事でありましょう。





Now You’re Not Here / Swing Out Sister

 サビに入る前の「Em7(on A)-> A7 -> D7(♭5、9)/A♭」に於ける「D7(♭5、9)/A♭」は白眉です。素晴らしい響きです。

 ドミナント7thコードのオルタード・テンションというのは「♯11th」がある為、その存在に靡くならば上掲「D7(♭5、9)/A♭」での [as] というのは 「G♯= [gis] 」であるべきではないのか!? と疑問を抱かれる方も居られるでしょうが、本曲のこの箇所では経過的に [g] も必要とされる状況です。想起され得るアヴェイラブル・モードは「♮4th・♭5th」を内含するモード・スケールを念頭に置く必要がある特殊な状況です。

 多くのドミナント7thコード上でのオルタード・テンションの体系化が本曲では異端となってしまうのです。「ミクソリディアン♭5th」というモードを念頭に置く必要があるので、興味を抱かれた方はブログ内検索をかけていただければと思います。尚、このリンク先ではミクソリディアン♭5thまでは触れておりませんが、本曲について詳密に語っているブログ記事ですので併せて参考にしていただければと思います。





Childhood’s End / KISS

 本曲のAメロの頭やサビ直前のドミナント部はコード表記としては「B♭sus4」というドミナントsus4に括られてしまうかもしれませんが、これは実質的にクォータル・ハーモニー(四度和音)として作用しており、リック・ビアト氏に倣えば「FQ4」というコードの第1転回形が「B♭sus4」に過ぎないという状況であり、Ⅴ度上で聴こえる主音=Ⅰ度の音が絶妙な分離感を誘っており、これが分数コードの様に聴こえるという訳です。




 サビ直前のドミナントsus4の部分では、より顕著に3次倍音が強調されているので、「A♭6/B♭」という「Ⅳ6/Ⅴ」の様にも聴こえるのですが、何よりドミナントたるⅤ度上で聴こえる主音という物をあらためて感じ取ってもらえれば、対立し合う関係を同時に耳にする感覚を実感する事でしょう。


君の瞳に恋してる / ボーイズ・タウン・ギャング

 オリジナルはフランキー・ヴァリで、ロバート・デ・ニーロ主演の映画『ディア・ハンター』でも象徴的に何度も使用されている楽曲でありますが、ボーイズ・タウン・ギャングのカヴァーの方が圧倒的に多く知られているのではなかろうかと思うので、カヴァーの方で例示する事に。




 尚、「C△/B♭ -> E♭6/B♭ -> B♭△」の最初のコードは上主和音の「Ⅱm」が副次ドミナント(セカンダリー・ドミナント)の「Ⅱ」というムシカ・フィクタ(可動的変化音)を起こした変化の様に思われるかもしれませんが、これは副次ドミナントが上行導音を採ろうとして生じた変化和音ではない所は注意を要する部分です。
※「Ⅱ」=「C△」が内含する [e] は、「Ⅴ7」=「F7」の根音 [f] に解決する為の [e -> f] というドッペル・ドミナントの上行導音として用意された [e] への変化ではないという意

 この「Ⅱ/Ⅰ」というコードの発現となる脈絡は、「Ⅱ」が実質的に「♭Ⅵ」というトライトーン・サブスティテューション(三全音代理)と同経路の物である、三全音複調を併存させる時の脈絡と同様となります。

 トライトーン・サブスティテューションを想起する場合、そこはドミナント7thコードを想起する必要がありますが、「Ⅱ7」が「♭Ⅵ7」からの三全音代理であるのと同様に「Ⅱ△」を「♭Ⅵ△」という経路からの脈絡だという風に見立てる必要があるという事を意味しているのです。


 とまあ、『君の瞳に恋してる』のイントロ部の和音表記の意図はお判りいただけたかと思いますが、それ以上に重要な事が譜例下段にも添え書きしている様に、最初の「C△/B♭」の上声部は変ロ音を主音とするリディア調のII度という解釈が必要であるというのが重要な解釈なのです。

 もしも「Ⅱ7 -> Ⅴ7 -> Ⅰ△」(Key=B♭)というコード進行を念頭に置くならば、「Ⅱ7」の和音構成音の第3音 [e] は、上行導音として [f] に一旦解決するという音楽的な引力を利用して「Ⅴ7」へ弾みをつけて進行し、「Ⅴ7」は新たに、その第3音 [a] が新たなる上行導音として作用して [b] という主音へ同様の音楽的な引力を用いて主和音への解決を明確にするという訳です。

 然し乍ら、ここでは音楽的な引力は上行導音としてではなく、連続する半音下行クリシェという斥力が明確になっている状況であるのです。つまり、その半音下行クリシェの動きとは [e - es - d] という流れであります。[e] 音は単体で見ればこそ幹音ではありますが、変ロ長調(Key=B♭)での音組織では「♯4th」の立場である訳で、この変化音が上行導音として作用せずに下行導音として作用するという事は三全音代理の作用を疑う必要があるという訳です。

 即ち、その半音下行という状況を後押ししているのが物理的には生じていない「G♭7」という「♭Ⅵ7」というコードの作用なのであります。

 ドミナント7thコードが内包する三全音の脈絡であるものの、楽曲はドミナント7thとしてではなくメジャー・トライアドで済む状況でトライトーン・サブスティテューションの経路を使っている訳です。この場合、実質的には三全音の代理という置換ではないので、三全音の調域の併存を見越した拝借という事になるのです。


Led Boots / Jeff Beck

 イントロ冒頭の3つのコードは「Fm7 -> E♭m7 -> Gm7(on C)」となり、3つ目の「Gm7(on C)」での [c] がドミナントであるにも拘らず、上音が《あさってを見つめる》かの様にドミナントを暈滃しているのが顕著に現れているので判りやすいかと思います。「ノールックパス」「お天気雨」の様にも形容し得る音楽的状況だと思います。



 

Take A Look At Yourself / Coverdale・Page

 結論から言うと、本曲のキーはCで終止和音は「D△/C△」のポリコード。通常、このポリコードは短調の偽終止として「♭Ⅶ△/♭Ⅵ△」という風に使われる類の物です。つまるところCマイナー・キーで「♭Ⅶ△/♭Ⅵ△」というのは通常範囲での偽終止の一例となる訳ですが、本曲のキーはCである点に注意を向ける必要があると同時に、終止和音の直前でフリジアン・スーパートニック(=♭Ⅱ)を置いて移旋しているという事も注意が必要となります。

 キーをCと見ると「Ⅱ△/Ⅰ△」という状況になっているのですが、実質的にはⅢ度調に移旋( [c] を終止和音の時点で「♭Ⅵ度」の様にしてしまう)調的な欺きが見受けられます。原調の [c] が強い余薫がある為、終止和音の時点でも [c] が主音の様に聴こえるかもしれませんが、実質的にはこの時点で六度転調です。主音の位置をどの様に聴くかが主眼なのではなく、このポリコードの実際を肌で感じていただきたい所です。

※長調の場合で「♭Ⅶ△/♭Ⅵ△」の使用例というのは、音階音組織第7音の導音を採らずミクソリディアンから派生したCメロディック・メジャーに変じる楽曲(ハ長調=Cであるものの、[h] を明示的に用いず [b] という長調下主音を優勢にするモードを使用してのモーダル・トニック=Cという状況)で「♭Ⅶ△/♭Ⅵ△」を使うと奏功する。導音が顕著な場合は不向き。





Calyx / Hatfield and The North

 冒頭より3つ目のコードは「F♯m△7/B」の4度ベース。「B7(9、♯11)」の第3音オミット型でもあるものの、ドミナント7thコードを基にしない所がメロディック・マイナー・モードとしての世界観をより強める事となります。「B7(9、♯11)」というコードはKey=F♯マイナーとして、F♯を主音とする時の旋律的短音階(メロディック・マイナー)に変じた時のモードでの下属和音なのですが、メロディック・マイナー・モードの下属和音はコードの体としてはドミナント7thコードの型となるものの、下方五度進行にダイアトニックとしての行き場が無い(※♭Ⅶ度としての「E何某」というコードに進む事が出来ない。




 なぜなら、メロディック・マイナー・モードでは♭Ⅶ度としてではなく♮Ⅶ度上にコードを生ずるので、「E♯」何某に進まざるを得ない。ドミナント・モーションが成立せずに、閉塞と撞着を生む。これは、モード・スケールそのものが全音音程を多く含んでいる事により、機能和声および調から遠ざかるが故。




脚線美の誘惑/ザ・スクェア

 本曲のドミナント7thコードの7度ベース、マイナー・メジャー7thコードでの4度ベースをはじめ、3度ベース、メジャー7thコードでの2度ベースなど非常に多岐に亙っておりますが、高次な和声に負けないメロディーの線の牽引力の強さは、暈滃の感を強くする分数コードが本曲では他に充当する事が出来ない程に決まっており、素晴らしい楽曲のひとつに挙げられると思います。







 和音構成音の第3・5音をベースとして使用する例──つまり3度ベースおよび5度ベース──を多用してしまう人というのは「暈滃」という習熟が甘い人に多く見られたりするものです。但し、3度ベースを後続和音への上行・下行導音として使用される方は習熟が甘いとまでは言いませんが。

 5度ベースというのは旋律が目指すべき(使うであろう)という音や上方倍音のオクターヴの連鎖として重複する音でもあるので、重畳しい和声では往々にして省略されやすい音です。この音をわざわざベースとして使うというのはあまりに卑近である事が多く、ピアノを奏する初学者が単なる和音の転回形(四六の和音)のそれを偶々ベースに置き換えてしまうという様なケースが多く、5度ベースが必然的に現れて相応しいという5度ベースというのは実際には非常に少なく、卑近である事が大半です。但し例外的に、sus4または7th sus4コードでの5度ベースや、6th add 9thコードでの5度ベースはなかなか格好良く決まる物です。

 今回列挙した楽曲は、分数コードの響きが《あって然るべきもの》かの様に、線が持っている全音階的な余薫と、その余薫の暈滃が際立っている楽曲を例示してみました。また、そうした分数コードの状況が経過的な和音としてではなく比較的長く留まって耳にする事ができる様な楽曲を例示してみたので、分数コードの習熟の為に一役買えば之幸いです。

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