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『シン・YMO』を読んで [YMO関連]

 2022年8月19日に発売となった田中雄二著『シン・YMO』(DU BOOKS)を読み終え、ノンブルは693ページまで振られ、20字・28行・3段(=1680字/頁)という事になり、序文・跋文・ディスコグラフィ・出典を除けば単純計算でも108万6960字となる大著であり、相当な労作である事が伝わって来る物です。

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 合計24章に分けてYMO活動以前から90年代のYMO再生およびその後の21世紀の活動までを詳らかにされており、YMOファンでなくとも必読であろうと思える程に、アルバム制作の背景など多くの知られざる舞台裏が克明に書かれているので、YMOに心酔したファンも深く首肯しうる納得の1冊ではないかと思います。

 本書の本文は10.5Qというフォント・サイズ。つまり、ベタ組みの場合8文字辺り21ミリという文字サイズであるという訳で、老眼を飛び越え白内障の域に達したであろう当時からのYMOファンには眼鏡やルーペが必要かと思われますが、著者による本文となる解説文が明朝体、援用される文章がゴシック体と分けられているので、この乙張りの利いたフォント置換は読みやすさに拍車をかけているものと思われます。

 装丁や紙質に拘れば小売価格は更に2000円以上アップしたでありましょう。否、それをすると重くて読み手には辛かったのではなかろうかと思う事頻り。まだ手に取っていない方にイメージしてもらうならば、『現代用語の基礎知識』の厚みと本文の紙質かの様に思ってもらえればイメージしやすいかもしれません。くるみ製本が禍いしてか、読了の直前に奥付のページが背割れを起こしてしまいました(←こういう場合、木工用ボンドと爪楊枝を用意する事で簡単に修復できます)。

 私はJ.S.ミルの『論理学体系』を読んだばかりではなく書写もした経験があるので、120万字を優に超えるその経験が役立ち本書の平易に書かれる文章のそれには『論理学体系』の1/5程度の労力で済むかの様な感じで読んでおりましたが、私が読んで来た音楽書籍の中から比較すると『ヨハン・ゼバスティアン・バッハ』『音楽と病理』以来のボリュームのある内容でした。何はともあれ非常に平易な文章なので読みやすいのが良いです。敷居を高くせずに広く手に取って読まれる事でしょう。

 本書の読みやすさは何と言っても「縦組み」が功を奏していると思います。人間というのは水平方向の視野が広いので、横組みというのは視覚的に文字への追従に弾みが付き過ぎる事に依り読んでいる様で読んでいない様な状況が発生しやすいのです。つまり、熟読するには縦組みの方が断然良いのですが、これには個人差もあるので断言まではできません。

 発話速度の8割位が通常の読書でのスピードとして最適な速度となるでしょうから、概ね1分辺り500字前後を読むという感覚で本書を読めば、単純計算で35時間以内で読む事が可能であろうと思われます。

 先述にある通り本書の字数は単純計算で108万6960字と述べましたが、これは本文の部分を概算で弾き出したもの。実際にはこれよりも1.5万字程は少なくなるのではないかと思いますが、それでも100万字を超えているのは間違いないでしょう。茲に序文・跋文・ディスコグラフィー・出典が加わるので更に9万字位は加わるかもしれません。

 扨て、私自身が所有するYMO関連本となると『YMO BOOK』『Chaos』『細野晴臣 OMNI SOUND』『坂本龍一・音楽史』『坂本龍一・全仕事』『坂本龍一の音楽』しか所蔵していないので、本書の立ち位置をそれらとあらためて比較した場合、『YMO BOOK』を読んでいるかの様な印象を受けました。

 『論理学体系』を私個人のためにInDesignに入力した時を振り返ると、100万字を超える前から動作が段々と重くなって行った記憶があります。そうした動作の重さはFinaleの声部数と小節数が増える事をイメージしていただければ(そこまで重くはない)と思いますが、まあしかし相当な労力と作業工数を費やされたであったろうと思います。

 本書に於けるYMO誕生以前の部分は、坂本龍一周辺がもう少し詳しくても良かったかとは思いますが、そこは贅沢な悩みでしょうか。時代としてこの辺りとなると、読者は間章の著書で補完した方が良いかもしれません。とはいえ、YMO誕生以前の社会情勢やビジネス的な情況が手に取る様に述べられており、私自身クロスオーバー大全盛の時代を多感な時期で過ごしていた事もあり、当時の社会背景の息遣いが手に取る様に書かれており、読んでいてついつい亢奮してしまいました。

 私はYMOを最初に知った時から、彼等のそれにはソフト・マシーンの様に捉えておりました。KYLYNやカクトウギ・セッションに於ても同様で、日本版ソフト・マシーン+801の様にも捉えておりました。特にワールド・ツアーで渡辺香津美がサポートした時のそれには更にソフト・マシーンのハーヴェスト期=アラン・ホールズワース在籍時に照らし合わせていたものです。

 その後、「ノイ!」「ファウスト」の風合いが加味されたかの様に捉えていましたが、当時の坂本龍一の口から「スロッビング・グリッスル」「クラスター」などの影響という言葉に遭遇する度、《否々、ユキヒロはクラウトロック系に感化されているんじゃないの!?》みたいに捉えていたのが私のYMOの聴き方でありました。スロッビング・グリッスルの訳を知っていればとても女性アイドルにそれを語らせる事は出来そうにもありませんが、本書の《誰の入れ知恵か〜》という下りの部分は失笑が漏れてしまいました。現今社会ではそれこそセクハラに当たるかもしれませんし。

 そうしたハラスメントに敏感な現今社会に於て、本書で2、3箇所見受けられる「水子」という表現ですが、これは《お流れになる》という文脈で用いられており、日本社会でも俄かに 《abortion=中絶》に対する批判が色濃くなって来た中でこうした表現は革めるべきではなかろうかと思った次第です。

 尚、本書を少しずつ読み進むにつれて、私は下記に示す物を本書で詳しく知りたいという欲求に駆られました。

①「Kiska」山下達郎について
②「Jingle Y.M.O.」について
③「黄金のクラップヘッズ」について
④「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツー・スリー」について
⑤『B-2 UNIT』でのエキップメント
⑥「今日、恋が」について
⑦「過激な淑女」について
⑧スタジオ版「Propaganda」について
⑨「M-16」について


①については坂本龍一がポリムーグをメインに編曲と演奏に参加している重要な楽曲に位置付けられるもので、山下達郎『It’a A Poppin’ Time』が影響している事が大いに考えられるメンバーおよび録音でもありますが、本曲についての記述はなし。但し、同時期に坂本龍一が相当にギャラ(スタジオ・ミュージシャンとしての)を稼ぐ為にハードな仕事をYMO以外にこなしていた事が窺える内容が有る。




②については楽曲構造および「ヒロミちゃーん」という声が入っている様な克明な内容は無いものの、何をヒントに着想され坂本が制作したのかという内容が有り。

③については、本曲が実質プラスチックス+YMOの曲であるという点が重要なのですが、本曲についての記述は無し。但し、スネークマン・ショーをどういう経緯があってアルバム収録へと結びついて行ったのかという事は詳述されている。

④については、「磁性紀」がリリースされる前の重要曲であるとも思われるのですが、これについても詳述は無し。以降、スネークマン・ショーのアルバムはアルバム・リリース毎に紹介される事もなく、ディスコグラフィーからも割愛されており、本書でこれだけ多岐に亙って書かれているので、スネークマン・ショーのアルバム・リリースなどが抜けているのは極めて残念な部分です。

⑤アルバム『B-2 UNIT』については非常に詳しく書かれているものの、プロフェット10導入に関しては触れられておらず。

⑥については何故かYMO散開後の章で触れられるものの、その詳しい内容までは触れられておらず。高橋幸宏の「前兆」での弦が関与しているという点に瞠目。唯、「前兆」という曲のスネアは「The Core of Eden」でのゲート・リバーブを改めて再現した音である筈なので、その辺りの言及は欲しかった。ニッカウヰスキーや高橋の兄の関与についての背景は詳述されている。

⑦「過激な淑女」はアルバム未収録の曲。これについてはどういう経緯で作られたかきちんと書かれている。

⑧スタジオ版「Propaganda」について本文で触れられていないのは意外でした。ディスコグラフィーの方では触れられてはおりますが、制作過程を知りたかったので残念。唯、散開コンサート用のバッキング・トラックとして新録したオケに坂本が相当尽力したという背景が書かれており、このバッキング・トラックは今猶存在するのではないかと思った次第。YMOアーカイヴとして掘り起こして欲しい音源です。

⑨「M-16」の原盤の版権がどういう状況であるのか、という事が触れられており、これにて当時を知る人は「なるほど」と思わせられるのではないかと思います。


 尚、スネークマン・ショー関連は『ピテカントロプスの逆襲』までは触れるべきであったのではないかと思うのですが、アルバムに関しては触れられておらずYENレーベルでのアーティストがどういう経緯で採用されて行くかという相関関係の方がページを割かれております。勿論、メロンや屋敷豪太など、最後の方で僅かに触れられる程度。

 これらが触れられていれば120点。結論として106点と言っておきましょうか。但し以下の誤植があったので99点。

「サン・セット」☞《サンセット》
「趣旨替え」☞《宗旨替え》
「帰国女子」☞《帰国子女》
「驚ろかされた」☞《驚かされた》
「切れにおり」☞《切れており》
「クレプスキュース」☞《クレプスキュール》
「悪口言われ」☞《悪口を言われ》
「シックのカヴァー」☞《シスター・スレッジのカヴァー》

 とはいえ、援用される他誌からのそれはゴシック体で《原文ママ》で書かれている様なので、原文の誤植もそのまま引用されていると思われる箇所は含んでおりません。援用される文章も多岐に亙っており、雑誌のみならずラジオからの発言および大学紀要論文まで引いて来ているのはあらためて畏怖の念を抱かざるを得ません。

 加えて、援用される文章で細野晴臣がミッキー・カーチスを訪ね、アライグマを「狩って」という語句が見られますが、これは恐らく原文ママなのであろうと思われます。

 24章ある中でそれぞれの章毎のピリオドとなっている多くはアルバム・リリースを起点にしているものです。40年以上前の出来事を2022年での若者にもそれが伝わる様にするには、当時の社会的背景および海外との比較など、また日本の音楽にまつわるインフラストラクチャーやら音楽周辺での海外の労組など、それらの付随する情報を巧い事滑り込ませて著者は話を進めてくれているので、当時を全く知らない人でもスイスイ読む事が出来るでしょう。

 YMO散開後の音楽周辺のインフラストラクチャーの解説──MIDI、SMPTE、その後のDAWなど──の織り交ぜ方も非常に親切で、CMIのバージョンやらCVIまで言及されているのも大変好感を持てる物です。戸田誠司がかなり関わっていたというのが意外でした。私自身としてはYMO散開後となると共立出版のbitなどを漁っていた時代でしたので、戸田誠司のPC活用という部分も非常に参考になりました。

 散開の遥か前は同期にFSKが使われていた事もあらためて知る事ができたのが収穫でした。こうした機器的な部分も本書はかなり克明に述べられているので、非常に納得できる内容です。とはいえ、SMPTEは80ビットのメッセージを持ち、MIDIクロックの精度は……そういう専門的な事までも網羅している訳ではなく、そうした所まで説明していた日には700ページでは到底収まらないでしょう。割愛させる情報も巧いのです。こればかりは器楽的な経験がある人ほどお判りになるのではないかと思います。

 個人的には1stアルバムから『B-2 UNIT』までの各人のCV/GATEの作業などに焦点を絞って詳らかに語って欲しかったので、その辺りの言及が無いのが少々残念な点でしょうか。「ブリッジ・ウォーター・トラブルド・ミュージック」の八分音や「B-2 UNIT」での31等分平均律やらの微分音制御には相当細かいCV/GATEの制御が必要な筈ですので、そうした部分は知りたかったのが本音です。

 私自身過去に、フェアライトのPeter Wielk氏にCMIのマイクロ・チューニングの機能についてメールの遣り取りをした事があり、そこで微分音の取扱いを可能としたのはCMI Ⅲからだとあらためて返事をいただき核心を得た事を思い出しますが、本書では『エスペラント』などの通常の音律とは異なる状況をきちんと坂本本人の言葉を援用しており、CMIのバージョンも克明になっているので非常に深く首肯し得る内容で、斯様な解説が常に詳らかになっているのが心強い所でしょう。

 無論、YMO各人および周辺の関係者全ての言葉を編纂しただけの文章ではないので、著者の言及には臆説となる部分もあります。然し乍らそうした推論は多くの事実や端的に想起し得る状況から立脚した上で《そう考えざるを得ないだろう》という前提を踏まえつつ論拠を終始挙げている点にも非常に好感が持てる物で、手前勝手な臆断を極力排除しているのも見逃せない内容となっております。

 掘り起こす時間が長ければ長いほど、《現在》から俯瞰する者は過程を時系列に追うと、《当時の事実》が現在の事実と異なる或いは若干意味合いが異なる事が多々有ります。本書は時系列に《現在》から俯瞰しており、援用される《当時の言葉》を巧みに抜萃しているので、そうした差異が悉く削ぎ落とされている点は拍手を送りたいと思います。勿論、削ぎ落とせば良いという物でもなく、齟齬が生じぬ様にきちんと配慮された文章で組み立てられております。

 通常ならば脚注を充てた方が、文章を書き進める事が出来て作業が楽である筈なのに、それをせずに文章として徹頭徹尾組み立てるという筋立ては、読み手にもブレの無いそれには迷いなく伝わって来るのも、本書の膨大な文章量とは裏腹にグイグイ推進力を得て読ませてしまうパワーの後押しには、苦痛を一切感じさせないものでした。

 
 私が本書で特に気に入っている著者の一文のひとつは191ページの坪口昌恭の言を挙げながら特徴的なコードの構成のそれを端的且つ詳しく述べている点です。

 これは、渡辺香津美の「Inner Wind」での「C7/D♭」やスティーリー・ダンの「Almost Gothic」での「D7/E♭」というコードのそれと同様の事を述べている訳です。










 とはいえ縦組み且つ譜例も用意できない状況でこうした楽理的な解説を端的に語るのは難しいものですが、それを端的に示しているのは非常に好感が持てる部分のひとつです。そうした点を鑑みても、著者が単にYMOのライブラリ的な知識ばかりが膨大にあるのではなく、楽理的な背景にも理解があるという事が判るのです。

 「インソムニア」の歌詞が何故ああなのか!? というクリス・モスデルと交わされる契約の前提や、『BGM』の歌詞がアルバム未掲載の背景の理由など、実に詳らかにされております。単に《アルファ商法》だと思っていた疑念は本書であらためて払拭されました。

 兎にも角にも驚いたのは「磁性紀〜開け心」の《歌詞》の存在ですね。これには本当に瞠目しました。ご存知無い方は是非本書を手にとって確認してみていただきたいと思います。

 加えて、『ニウロマンティック』収録の「Glass」のギター・ソロを私はてっきり大村憲司だと思っておりましたが、私は過去にツイッターでも大村憲司と呟いた事があったので大変失礼致しました。同時に大変参考になりました。

 2022年の白露。YMO御三方の健康を祈りつつ、大著『シン・YMO』に出会えた事に感謝します。有難う御座いました。

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