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城本クリニックCM曲に学ぶリステッソ・テンポとリズム・スキーマ [楽理]

 扨て今回私は、城本クリニックCM曲について語る事にしますが、本楽曲を今回題材に選んだ理由はあまりに酷い謬見が広く蔓延ってしまっているからに他ありません。



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 本曲の拍子構造が混合拍子を基にしているというのも一般的な理解としては敷居が高く判別を難しくしているというのが最大の特徴でもあり、そこにはリステッソ・テンポも介在させた上でのウインナ・ワルツが主体となっている西洋音楽スタイルの楽曲であるが故に、世俗音楽(ポピュラー音楽)からの観点だとあまりに多くの要素が抜け落ち、独自解釈を伴わせてしまうという謬見を結果的に蔓延させてしまうという訳です。

 また、某有名人がSNSで城本クリニックの拍子構造の難しさの嘆息をツイートした事にも拍車をかけている所がありますが、音楽的側面の問題解決として見た場合、そうした疑問を生じた際に疑義を抱える当事者からの考究が不完全であり何一つ正答に達しないまま理解を忽せにしてしまっているのはあまりに酷かろうという思いで、私は今回譜例動画を制作したという訳であります。

 音楽に対して目くじらを立てている訳ではありませんし、他人の何某かの瑣末な発言をほじくり返して揚げ足を取るのが私の趣味なのではありません。音楽という分野に対して皮相浅薄な理解で済ませてしまう様な風潮が許せないだけの事です。

 ほんの少しでも考究を深めれば正しい答に手が届くのにそれすらしない、バズったモン勝ちと言わんばかりの粗笨な理解で済ませる風潮が私はどうも苦手でありまして、正しさを理解する事がこれほど世知辛くなってしまったのかと思う事頻りです。

 そういう訳で「城本クリニック」のCM曲の譜例動画について小節順に語って行く事としますが、楽曲説明の前に知ってほしい前提となる最低限必要な要点を挙げますのでこちらをまず理解していただきたいと思います。

① 「バロック」という言葉の意味
② アラ・ブレーヴェ
③ リステッソ・テンポ
④ ウインナ・ワルツ
⑤ アクサク
⑥ リズム・スキーマ(ゲシュタルト)

正直な所、②〜⑤については正統な教育を受けている方でしたら音高を志す中学3年生でも熟知している基本的な事であります。こうした事を勘案すると、如何に粗笨な理解で済ませてしまえる人々の音楽的素養というものがあらためてお判りになろうかと思います。

 基本的に西洋音楽というのは「三位一体」という宗教的な理由を背景に、音楽の拍子は3拍子である事が是とされていた事があり、3拍子というのはとても重要な拍子でもあります。

 記譜法の発達により「単純音符」と「付点音符」が現れます。単純音符には付点が付される事のない音符なので、付点音符の側が重付点(複付点)でない限り、その音符の歴時は単純音符の1.5倍となりパルス数は「3」を意味する様になります。この付点音符を基にする拍子構造を「複合拍子」と呼び、単純音符での拍子構造を単純拍子と呼ぶのです。

 然し乍ら、通常の3拍子とは拍子記号の分母が付点を表す歴時の値ではありません。分母が「6」や「9」の拍子記号などお目にかかった事などないでしょう。拍子記号の分母は「2の冪数」の歴時であるという不文律があるからです(※これゆえに楽譜編集ソフトでも拍子記号の分母は2の冪数で統御されており、特殊な分母を示すには外部のIllutratorなどが必要)

 勿論、現代音楽では複雑な連音符を基にしている歴時の構造から、拍子構造の分母自体をその基本数に合わせる事で結果的に拍子記号の分母が「7」或いは「10」「12」とかになっているブライアン・ファーニホウの様な記譜スタイルも存在したりしますが、これは相当特殊な例に過ぎないという事は念頭に置いていただきたいと思います。

 3拍子。これはワルツと呼ばれますが、西洋音楽の3拍子というものは決してDAW環境での平滑なテンポ基準で捉える事はできません。基本的に西洋音楽のワルツは「1・2・3…」というリズムの内「2」を長く採ろうとします。綺麗な [3:3:3] ではないのです。感覚的には [3.1:3.3:2.6] とか、こうしたリズム比が全てではありませんが、総じて西洋音楽のワルツの拍子は「いびつ」なのであり、このいびつな様を是としているのです。

 なぜなら、そこには「バロック」という言葉があり、この言葉は特定の時代を示す呼称でもありますが本来の意味は「窳(=いびつ)」という意味があります。即ち「歪つ」です。

 こうしたいびつさを音楽的に捉える「リズムのゲシュタルト」という側面を、古い時代の人々は科学的な根拠などそこにはなくとも、音楽が抱えるリズムのゲシュタルトという、人々が心の中で重きを与えようとする心理を最大限に活かそうとしていた訳です。

 我々は楽曲を脳裡に思い起こす時、心の中ではいくらでもその楽曲のテンポをいじる事ができます。多くの場合遅めて拡大する様に聴こうとする事ができます。そうした心の中での起こりを実践していたからこそ「いびつ」なリズムは持て囃されたという訳です。

 リズムの心理的側面に伴う不思議な点は他にもあります。3拍子というリズムを人間が聴いている時、それがある程度のゆっくりとしたテンポであれば3つの拍は明確に [1・2・3] [1・2・3] と心に刻印して行くのですが、テンポが速まると3つのそれをひとまとめてにして [タタタ] [タタタ] と1拍子の塊の連なりとして聴こうとしてしまいます。これがリズムのゲシュタルトの類の「リズム・スキーマ」の例を示す際たる状況のひとつとも言えるのです。

 つまりそれは、3拍子の2小節長のテンポを速めれば6/8拍子に聴こえてしまう訳です。ですので、バロック期では作曲者ですらもテンポを一義的に決定せずに、拍子記号を(3/4 6/8)と併記している楽譜も存在します。

 例としてF.ショパンの「幻想即興曲」。このピアノの大譜表の左手を示す低音部が2/2拍子でありながら [八分音符×6×2] で充填されているのは、2拍3連を細分化した2拍6連としての連音符の数字を省略しているのではなく、低音部が12/8、高音部が4/4という事を暗に示しているという《拍子構造の逡巡》という背景がそのまま折衷案となって記されたものとも言えるでしょう。こうした折衷の状況を回避する様にして後の時代に連音符が登場する様になった訳です。元の拍子が2/2という所も、4/4拍子での速いテンポを示したが故に2/2と表した方が実態に則した拍子選択であろうと思います。




 加えて、パッと聴いた感じでは6/8拍子に聴こえる楽曲なのに、譜面を見ると3/4拍子で書かれているという楽曲も多く現れる様になります。これの最たる物が「ウインナ・ワルツ」です。テンポが速い3拍子というのが特徴でもあります。










 テンポが速められても「いびつ」さを明示するのは至難の技です。こうした歪つさの美しさは希代の名曲の数々から多くの「装飾」を知る事となるでしょうが、いびつなリズムはフランスではノート・イネガルとも呼ばれ体系化されておりました。そこには3連符を基にしたスウィング感となるポワンテというリズムの他に、5連符を基にしたスウィング感でのルレというリズムも体系化されておりました。

 そうした歪つなリズムは跛行リズムとも呼ばれ、複雑な混合拍子となって奇数の拍節感を明示する様になった物、これがアクサクです。バンド名の「アクサク・マブール」というのは言葉は悪いですが「跛公(びっこ)引きの不均等リズム」という意味になるという訳です。

 アクサクが非常に発達したのはトルコですが、近傍となる国々でもオスマン・トルコの影響を受けた地域や国々は同様の発達を遂げて多様化しており、ウズベキスタンのセヴィンチ・モミノワが歌う「Dubey-Dubey」は1拍7連の [3:4] のスウィング比となる逆付点の型となる歪つな構造であり、その [3:4] を基に不均等な3連符に聴こえるリズムは1拍7連符を不等分割 [3:2:2] のスウィング比にした歪つな構造となっています。




 西洋音楽に於けるワルツの実際と比しても全く異なる歪つな不均等リズムが存在するのをあらためてお判りいただけたかと思いますが、更にあらためて念頭に置いて欲しい拍子概念がアラ・ブレーヴェであります。

 例えば2/2拍子。この拍子記号で書かれる二分音符の物理的な速度は、4/4拍子で書かれる時の四分音符と同一となります。つまり、2/2拍子の1小節に四分音符が4つ充填された時の実際の速さは、4/4拍子での八分音符×4の物理的な速度と同一となるものです。

 アラ・ブレーヴェに関しては現代の記譜法でも同一の解釈で読まれ、これはジャズ/ポピュラー音楽界でも同様で「カット・タイム」とも呼ばれます。ジャズ方面だと4/4拍子でテンポが240超での300台の表記とかも珍しくありませんが、本当ならばアラ・ブレーヴェで二分音符を基とする表記に書き換える必要があろうかと思います。現にジャズ・アーティストの中にはアラ・ブレーヴェで書く人もそれほど多くはないものの存在しております。

 この様に2/2拍子をアラ・ブレーヴェと呼ぶのですが、4/4拍子との楽譜と異なる点は物理的速度が4/4拍子の倍になるという所にあります。

 加えて一部では日本国内のみならず、分母を「2」と採る拍子全般を総じてアラ・ブレーヴェと呼ぶ所があり、私のブログ初稿時点ではそれに倣ってしまっていたのですが厳密には異なるので、本曲で登場する3/2拍子の「アラ・ブレーヴェ」という表現は全て「プロポルツィオ・トリプラ」という表現にあらためさせていただきます。

 プロポルツィオという拍の概念自体が多義的に解釈されてしまっているが故に、アラ・ブレーヴェという拍の解釈も3/2拍子も同様の様に扱われてしまう向きがあるのが原因なのですが、3/2拍子であろうと2/2拍子であろうとそれらの拍子を3/4拍子や2/4拍子と比較した時に物理的速度が倍化するという点は同じ事となります。

 これらの前提をあらためて「城本クリニック」に対照させた場合、一聴すると3拍子とは捉えにくい箇処こそがプロポルツィオ・トリプラでの3/2拍子に内含する [1+2/2拍子] に起因しているという解釈に至るのですが、プロポルツィオ・トリプラから四分音符を基とする単純拍子に変じた際(ブレーヴィスと呼ばれる二分音符を基とする拍子では、二分音符こそが「1拍」という概念)、物理的な速度が半分に落とされては原曲と異なる状況になります。つまりリステッソ・テンポとは、斯様な状況に於ける従前の拍節と後続の拍節を揃える為に用意される表記なのです。

 例えば次の「2時のワイドショー」のテーマ曲(浪花のモーツァルト:キダ・タロー作)は世俗音楽基準で解釈してしまうと《シャッフルと8ビートとの交替》の様に思えてしまいますが(笑)、実際には《12/8拍子(テンポⅠ)→リステッソ・テンポの4/4拍子→テンポⅠ》という風に移行しており、その様に表記されて然るべき楽曲なのです。12/8拍子は6/8拍子で倍の小節数としても問題ありませんが。




 次の曲は4/4拍子から6+5/8拍子が交替するリステッソ・テンポの例です。U.K.の「Mental Medication」ですが、仮に6+5/拍子の部分を「シャッフル」と捉えた所で3連符を充填しきれずに次の小節が現れる事になります。




この様な状況の場合、連音符を規準に書かれる事自体が誤った判断となってしまいます。自ずと本楽曲はリステッソ・テンポを視野に入れない限り、連音符が拍子のパルスを充填しきれずに小節を連音符が跨いでしまいかねない矛盾を孕んだ表記になってしまう訳です。

 加えて、'L'istesso tempo' と注記が与えられている楽譜の意味の核心を語る事としますが、次の譜例が参考になるかと思います。

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 上掲の譜例で「複合拍子」であるのは一番下の6/8拍子のみであります。加えて、各譜例で示されるブラケットで括った赤色の「1拍子」という概念こそは現代でも変わりはありませんが、リステッソ・テンポ(=L'istesso tempo)と注記が与えられている場合、これらの《ブラケットで括った拍子を同一の物理的速度に揃えよ》という意味になるのです。

 現代ではリステッソ・テンポの注釈が与えられない現代曲ならば、単純拍子・複合拍子は無関係に、拍子に収まる音符の歴時は同一と解釈されており、これはジャズ/ポピュラー音楽の歴時の追い方と同様であります。

 ところが、リステッソ・テンポという概念が抜け落ちてしまうと西洋音楽を拝戴(リスペクト)して、より高次な側面を追求しようとする「Mental Medication」の様な楽曲が登場した時の解釈が不十分となってしまう陥穽に嵌るという訳です。

 ブラケットで括った拍子の概念というものは脈膊・呼吸に起因する概念です。リステッソ・テンポという概念があれば、「シャッフル」と思っていた拍子も実は6/8または12/8拍子の方がより正確を期する場合があるのです。

 まあ、ジャズのスウィングやシャッフルというのは雑でだらけた感じの方が上手く行く時が多いので、ある意味ではワルツを杓子定規に各拍を揃えようとしない西洋音楽のそれと似た様な側面でもあろうかと思われます。

 楽譜には決して表わされない人間味のある揺れ。これは西洋音楽とジャズでは違った「呼吸感」があるのも確かですが、ビル・エヴァンス登場以降、ジャズのスウィング/シャッフルの拍子構造は6/8・9/8・12/8拍子または9/16・12/16拍子で捉えた方が楽曲が語りかけようとする拍節感の正確性はそちらの方がベターである物が非常に多いと私は感じます。

 いずれにせよ、リステッソ・テンポとは先述の様に《拍子の「入れ子」を揃えろ》という意味ですので、広く見渡せばメトリック・モジュレーションのひとつとも言える物なのです。

 この様に「前提」を粗方お判りいただけたと思いますが、茲から譜例動画を順に語って行く事としましょう。本曲は四分休符を1つ置いた(=0.5拍)3/2拍子の1小節から楽曲が開始されると解釈して宜しいかと思います。




 実質的に「3/2拍子」は「2+4」という四分音符のパルスで拍節感で伴奏が形成されており(1つ目のパルスが休符となる)、歌い出しはアウフタクトつまり弱起で入るのが特徴です。このアウフタクトが拍をつかみにくい物にしており、リステッソ・テンポで3/4拍子として継続されて行くという伴奏の方もアウフタクトに気を取られやすい為に拍子構造を判別しにくくさせている要因となっているのだと断言できます。

 それというのも、この3/2拍子は後の6小節目に歌われる《城本クリニック》の部分の3/2拍子こそが現れる、インデックスに「B」を与えた箇所こそがイントロにて断片として現れていると解釈しているので、イントロを単純拍子としての2+4/4拍子や、3+2/4拍子とは解釈していないのはこうした理由からです。

 本曲を単なる一部形式と見立てる事も十分可能ではありましょうが、その中でもこの3/2拍子の部分は別のセクションとして見立てる事も可能ではあると捉えた上でのインデックス表記です。ドミナントである事もそうした理由のひとつであるのですが、楽曲全体が物理的に短いので、一部形式として捉えた方が解釈する側からすれば楽でありましょうが、短いが故に隠れてしまう音楽的段落を紐解いた上で私はこうして解釈しているのであります。

 無論、私は原譜を確認している訳ではないので本曲の作者の楽譜のそれがプロポルツィオ・トリプラを採っておらずに単純に3+2/4拍子から入るイントロとして作っている可能性もありますし、4/4+1/4拍子という風な解釈も有り得るとは思います。

 とはいえ、私の解釈は舊來から脈々と受け継がれる西洋音楽の流儀を事細かに配慮した上で記譜するとなれば、プロポルツィオ・トリプラとリステッソ・テンポは必要不可欠な要素であると信じて已まないので今回の譜例動画の様な解釈となっている訳です。

 作者が構造を明示しない限りは私の解釈とて推測の域を出ない物でしかありませんが、少なくとも拍子の構造すら掴めない人々の解釈よりは十分に音楽の在り方としての例証を挙げているであろうと思います。

 尚、歌のパートで注意が必要な点は、連桁を一切繋げていない所が先ずひとつでありまして、この連桁で繋げないやり方は声楽パートでの標準的な記譜ルールです。7〜8小節目では二声で歌われますが「声部交差」を実際に起こして歌われているので、譜面上でも声部交差を起こしている事を明示しております。

 声部交差を起こしている原因は、最初から最後まで主旋律を歌うパートが2人目のパートだとした時、リフレイン時には2番パートよりも高い所を歌う1番パートは本来ならば2番パートよりも高い所を歌う筈ですが、2番パートが上行跳躍進行(=三度音程以上の進行は跳躍進行と呼ばれ、本曲の実際としては六度音程の跳躍が起きている)を採るフレーズの際、2番パートの下を歌っているからです。

 声部交差は回避される事が多いものですが、本曲では単声部の動きよりも両声部によるハモりを重視している為に声部交差を許容しているケースと考えられるのです。

 声楽パートはまず措くとして、弦楽器の殆どはピチカート奏法で奏されます。11小節目以降で現れる運弓は私の創作ですのでご容赦いただきたいと思います。上げ弓で入って、下げようとするストロークの動作でピチカートを奏するというイメージでの創作です。

 ピアノのパートでの4小節目に付記してある「prfz」という記号は少々見慣れないかもしれません。通常ならば「rfz」(=リンフォルツァンド)でありますが、これは「ポーコ・リンフォルツァンド」という物で、私はエネスクを参考にした物です。

 更にピアノの6小節目は、メゾピアノでメゾスタッカートで奏して欲しいという気持ちの表れでアーティキュレーションを振っております。

 扨て、本曲を彩るハープの演奏を確認してみましょう。1小節目3拍目強勢での11連符は主音まで突き抜けたにも拘らず導音 [h] に後退するのです。歌はアウフタクトで主音を先取りしておりますのでトニックの響きを先取りしても良さそうですがハープは導音に戻るのです。

 7小節目でのハープの9連符ですが、今度は上主音 [d] まで突き抜けて主音に後退するというフレーズになっており、同様に11〜12小節目に跨るハープのそれも上主音に突き抜けて主音に戻っており、ハープ全体は少々粗笨な演奏になってしまっている様な気がします。ギャラが安かったのでしょうか!?(笑)。

 私個人としては、冒頭の主音から導音に後退するのは良しとしても、上主音に突き抜けてしまうのは疑問ではあります。まあ、原曲の指示がこうなのであれば致し方ないのですが。

 扨て、12小節目以降の「語り」となる女声の「城本クリニック」という物ですが、私は今回、これも採譜して音高を明示しております(笑)。まあ、これをしてこそ私の採譜の特徴だと思うのですが、冒頭の [g] より175セント高の微分音はクインディチェージマ(2オクターヴ高)での短前打音(装飾音)なので注意をしていただきのですが、これは歯擦音に音高を与えた物です。

 そうして「実線スラー」で急峻な下行という事を示しているのですが、勿論帰着する音も [d] より50セント低い音となります。

 これらの微分音を明示している中での「破線スラー」の意味は、《過程の拍節感と音高は曖昧にしつつ、音高感は全音階的に吸着されぬ様に》という意味を持っています。やれる物なら、微分音的に破線スラーの過程で忍ばせても好いという意味でもあります。その際拍節感も不明瞭に、という意味です。譜例動画でのデモの実際はSurgeのシンセとPigmentsを混ぜている音ですので、如何にもなシンセの音なのであまりに不釣り合いだとは思うのですが、私個人としては、この部分を微分音的に採譜したいという思いが強かったのが本音でもありますので、その辺りはご寛恕いただければと思います。

 そういう訳で、あらためて「城本クリニック」にまつわる西洋音楽的なバックグラウンドを汲み取って楽曲を堪能していただければ之幸いであります。

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